犬を亡くしてペットロスになった体験談
愛犬と過ごした3年間はかけがえのない思い出 10年経っても後悔や悲しみが
小学校1年生の時、母親の再婚で引っ越した時のことです。引っ越し先で初めてゴールデンレトリバーの「タロー」に出会いました。今までマンション住まいでペットとの生活に縁がなかったこともあり、これからのタローとの生活に胸をときめかせていたのを覚えています。それからは学校終わりに散歩に連れて行ったりもしました。 毎年夏休みには母方の実家に数日間行くことになっていたので、小学校4年のその夏もいつものように数日間家を空けました(父と父方の祖母は家に残っていました)。楽しい時を過ごし、家に帰ると父がどことなく悲しそうな表情でこちらを見てきました 「タローが今朝死んだ」 私は父が何を言っているのかわかりませんでした。始めて会ってからまだ3年しかたっていません。これからもっと仲を深めていきたいと思っていたのに。最後の方は散歩もめんどくさがって散歩も毎日連れて行ってあげていません。タローのことをいろいろ考えているといろいろなことが頭に浮かんできます。そういえばタローが何歳なのかもわかっていません。私はタローのことをわかっているつもりで何もわかっていませんでした。今、思い返しても胸が締め付けられる思いがします。しかし、私以上に長い時を過ごしてきた父の悲しみに比べたら、まだまマシだったかもしれません。 ペットの死は確かにつらいです。十年以上たった今でも思い返しても後悔や悲しみが出てきます。しかし、命の大切さを学び、優しさを知るといった体験ができるのも事実です。ペットとの生活は楽しいです。タローと過ごした約3年は僕のかけがえのない思い出としていつまでも残り続けるでしょう。
足を怪我して寝てばかりいるようになった愛犬を不憫だからという理由で家族の意見を聞かずに保健所に連れて行った祖父を憎んだ
私がまだ子供の頃、私の祖父がもらってきた雑種犬がいました。メスなのに、性別を見間違えてオスの名前を付けられていました。とても優しくて元気な犬でしたが、ある時、祖父がその犬の後ろ足をフォークリフトで轢いてしまいました。わざとではありません。祖父は犬を動物病院に連れていきましたが、もう後ろ足は治る見込みがないといわれてしまいました。犬が家に帰ってきてから、みるみるうちに元気がなくなり、ほとんど寝てばかりいました。でも、私や弟が近寄ると小屋から出てきてくれます。幼い私は毎日その犬の足をマッサージしてあげました。すると、一瞬ですが、痛みを忘れたかのように立ち上がるのです。それを見た私は嬉しくなって、いつかよくなると信じ、足をさすり続けました。ある日、帰るとその犬がいなくなっていました。どうしたのか私の父親に聞くと、病院に入院して手術する、しばらくいないとのことでした。私はその言葉を信じて待っていました。でも、事実はそれとは異なりました。足が悪くなり、動けなくなった犬が憐れだ、見ていられない、ということで、それならいっそのこと天国へ送ったほうがいいと祖父は考えました。祖父は家族の意見は聞かず、独断で保健所に連れていってしまったのです。私は何度も犬のことを聞きましたが、父は歯切れ悪そうにもう少しで帰って来るというばかりでした。ある日、とうとう父が事実を打ち明けると私は悲しみのあまり怒り狂いました。自分勝手な理由で、可愛がっていた犬を天国へ送った祖父を憎みました。私の家では、朝ご飯を食べる前に必ず仏壇に手を合わせる習慣があったのですが、私はそのたびに亡くなった家族のことと一緒に、その犬のために祈りました。何度も「助けられなくて、ごめんね」と謝りました。でも、私の心は傷ついたままでした。今でも保健所に送られる数々の犬や猫たちの話を聞くと心が痛みます。いつか、私が犬や猫をその場から救うことができたなら、出来る限りのことをして幸せな生活を送らせてあげたいです。私が以前の犬にできなかったことをしてあげることで、幼少期のいやな思い出を昇華し、せめてものその犬の供養となるように願っています。
5歳で亡くなった愛犬はどこが悪かったのか?早く病院に連れて行けばよかったと後悔
私がペットのごんと出会ったのは、父親が連れて来てくれた時からでした。私が犬が大好きなので、ユジンの家で生まれたワンちゃんを連れて来てくれたのです。その後は、私とずっといる形になりました。学校から帰ってきてもずっと一緒です。尻尾を振ってくれるので、その姿が愛らしいです。しかしゴンが5歳の時に、急に元気がなくなりなくなってしまいました。あっと言う間だったので、どうしてなくなったのかわかりません。そのことについて、とても後悔をしています。何かサインがあったのではないかと思うのです。そのサインについて全く気付かなかったのです。その後は、学校から帰ってきて、ゴンがいないのでとても寂しいです。いつもいるはずのワンちゃんがいないのです。その寂しさはなにもする気持ちが起きませんでした。母親が心配して色々なところに連れて行ってくれたりしたのですが、やっぱりごんと一緒がよかったです。そして食事もあまりできなくなり、大好きだったお菓子も食べたくありませんでした。どうしてもごんと過ごした思い出が蘇ってきて、そのことばかり考えていたからです。そして私が元気になったのは、ごんの小さい時にそっくりなワンちゃんを連れて来てくれた時からです。そのワンちゃんをみた時はごんのうまれかわりと思うことができのです。毎日散歩をするうちに、少しづつそのワンちゃんとの生活をする中で、寂しさも少なくなっていきました。ゴンちゃん、天国で楽しく散歩してね!ごんの生まれ変わりをありがとう!
最後までちゃんと生きられた愛犬は幸せだったのかもしれないと考えペットロスを乗り越えられた
私が23歳の時、実家で買っていた愛犬が死んでしまいました。愛犬は、私が小学校1年生の時にどうしても飼いたいと両親にお願いして、新聞広告の子犬を譲りますと言う欄に書かれていた雑種のオス犬でした。私は愛犬が家にやって来たことがうれしくて毎日散歩に行ったりお世話をしていました。愛犬はやんちゃで活発ですが、とても人懐っこくてよくお散歩中他の人やお散歩中のワンちゃんに寄って行ってしまう子でした。また、食べることも大好きで、なかなか待てを覚えてくれなくて、当時小学生の私は本当にしつけに苦労しました。実家にいたときはそんな感じで愛犬と共に生活をしていたのですが、私は就職を機に実家を離れることになりました。離れると言っても隣の市だったので、実家にはたまに帰って、愛犬と遊んだりお散歩に行ったりしていました。そして私が22歳になった頃、実家に遊びに行くと私の母が最近愛犬の体調が良くないと言う話をしてくれました。悪い病気ではないようでしたが、加齢によるものだろうと病院では言われたそうです。以前よりも、寝ていることが多くなっていましたし、お散歩も疲れやすくなったように見えました。そうしてだんだんと加齢とともに弱ってきた愛犬は、私が23歳の時に静かに死んでしまいました。私はその時実家にはいませんでしたが、母からの電話があって号泣してしまいました。そしてその週末に実家に行き、色々と話を聞きました。愛犬は、亡くなった日の朝に一度起きたけれど、ご飯もまったく食べずにまた寝てしまって、どうやらそのまま静かに亡くなったようでした。家族は最初寝ていると思ったと言っていました。話を聞くと余計に愛犬との思い出が思い出されて、私はまた泣いてしまいました。そして、家を出てからあまり遊んであげられなくなったことをとても後悔しました。愛犬がいなくなってしまってから、私もしばらくは食欲もなくボーっと過ごす日がありました。一人が寂しくて頻繁に実家に帰ってくるようにもなりましたが、そんな私を見て母が一言「愛犬は苦しんでなかったようだし、寿命を全うして幸せだったんだよ」と言ったのです。その言葉を聞いて私は、確かにそうだと感じ、最後までちゃんと生きられた愛犬は幸せだったのかもしれないと考えられるようになりました。そして、そう考えられるようになると私の心も整理がついて落ち着きを取り戻し始めました。今はもうあれから10年近く経ち、愛犬と別れた悲しみは乗り越えています。ですが、今も一家に行ったら忘れずに愛犬の写真に手を合わせています。愛犬には、楽しい日々をありがとうと思っています。大切な家族であるペットを失うことはとっても辛いことです。でも、ペットは人間よりも早く死んでしまいます。とても悲しいことですが、そのペットはきっと家族に愛されて寿命を全うしたのだからきっと幸せだったはずです。そう思うと少しは悲しみも癒されるかなと思います。
愛犬がなくなり4歳児ながらに感じた喪失感 大人になった今でも新しい仔はむかえていない
私がこの世に生まれた時、すでに10歳だった犬がいました。ピーちゃんと呼んでいました。 マルチーズとプードルのミックス犬であり、ふわふわしていてとても触り心地が良いのが、ピーちゃんに関しての1番古い思い出です。ピーちゃんと過ごした記憶は、正直長くあるわけではありません。私が4歳の時、つまりピーちゃんは14歳の時になくなりました。私の記憶は幼稚園に通いだした3歳ごろからなので、一年半分程度しか思い出を遡ることができません。それでも、ピーちゃんの死が私の人生において、初めて生き物の生死を感じさせたことに変わりはありません。覚えています。最初に気にしだしたのは祖父でした。明らかにピーちゃんに喧嘩がありませんでした。病院に行くと言って帰って来た後、もうちょっとの間しか一緒にいれないかもねぇと言われました。子どもだった私には理由がわかりませんでしたが、今思えば老衰だったんだと思います。2週間だったそうです。そこから一緒にいれたのは。期間は私は覚えていませんでした。でも幼稚園から帰ってくるとずっと一緒にいた気がします。あまり弱っていた印象はありません。しばらくして私が幼稚園に行っている間にピーちゃんが亡くなったと聞いた時も、あまり実感はありませんでした。家でピーちゃんに会った時、ものすごく不思議な気持ちになりました。さっきまで動いていたのに動かない。これが死ぬってことなのか。お母さんや他の家族が泣いている中、初めて経験する生き物の死に、ただ戸惑っていました。大人になった今まで、私の家で新しい子はむかえていません。生まれた時からそばにいたピーちゃん。4歳だった私は寂しいとか悲しいなどと感じる前にただ喪失感を感じていました。その時はわからなかったけど、私は本当にあの子が好きだったんでしょう。ありがとね、ピーちゃん
8年前の愛犬の老衰 もっと可愛がってあげたらよかったと後悔
8年前の春の日、我が家の愛犬マルが亡くなりました。老衰でした。マルと初めて会った日のことは、ずいぶん前のことなのによく覚えています。いつもと同じように家に帰ると、元気な見知らぬ犬が玄関先で出迎えてくれて驚きました。犬を飼う計画などそれまでなかったのに、知り合いの家で飼い主のいない犬として保護されていたマルに家族が一目惚れして、家に連れて帰ったそうです。その日から、マルは我が家の大切な一員になりました。迷い犬として生活していた時期もあったはずですが、マルはとても素直で人懐こい性格でした。マルと一緒にすごした年月は約7年。長くはないですが、とても濃い思い出がつまっています。迷い犬だったので正確な年齢は分かりませんが、うちに来た時点で推定6歳から7歳。亡くなったのは推定14歳ということになります。マルは人生の後半を我が家で過ごし、天に旅立っていきました。マルが亡くなった日、私は家にいませんでした。寒い寒い冬の間、段々と体力が落ちていくのが目に見えて分かり、獣医さんにも長くはないことを告げられていました。犬の寿命としては短すぎることもなく、いつか人間よりも先に死んでしまうのは分かっていたのですが、帰宅してマルが死んだことを告げられた時の、身体に穴が開いたような感覚は忘れられません。マルが旅立ってから思うのは、マルと過ごせたことへの感謝、そして「もっと可愛がってあげればよかった」という後悔の思いです。生きていた時は一生懸命可愛がったつもりでしたが、亡くなってから「もっと散歩に行ってあげればよかった」「あのときマルが私を呼んでいたのに、何故すぐ答えてあげなかったのか」「マルのことが大好きなことをもっと伝えたかった」など、今も思います。でも、マルを撫でていたときの幸せな手触りやマルの優しい眼もはっきりと覚えています。マルはきっと我が家で過ごせて、幸せだったんだろうと思うのが慰めです。マルと出会えてよかったし、思い出や絆を通じて私たちの中に生きているのだと感じます。今、大切なペットを亡くして悲しい人や後悔の思いがある人も、心の中にいつも大切な仔が生きていると思います。
愛犬の突然の事故死 しつけの後悔 行き場のない感情 受け止めるしかないが辛い
最愛のペットとの別れ、辛いですよね。私は、正直こんなに辛いとは、思っていませんでした。侮っていました。やはり、人は体験したことでないと、想像力に欠けるのだなと、実感しました。そんな思いをしたのは、つい最近のことです。10月に入ってすぐのある日、四歳の娘と外に買い物に行って18時すぎごろに帰宅しました。お風呂に入る前に、あ、忘れてた!と、スマホの電源をいれたときです。(出掛け先で充電がなくなり電源が入っていませんでした)すぐにラインが入り、確認しました。それは実家の母から、17時ごろに入っていたラインでした。ラッキーひかれちゃったどうしよう何も考えられない今相手の運転手と事情聴取うけてるそんな内容でした。私は、思わず叫びました。お風呂から娘の声がします。「ママ、まだーー?」お風呂に入る直前に見たそのラインで、私はいきなりのパニックになりました。それからのことは、あまりよく覚えていません。とにかく、娘がいるのにも関わらず、焦ってしまいどうしよう、どうしよう、そればかり口にしていました。ラッキーに出逢ったのは、高校一年生の時です。私の父は、私が中学生の時に脳梗塞で倒れ、それから在宅で介護をしていました。その時に見たテレビで、動物の奇跡のようなタイトルの特集がやっていました。私と母は、これだ!と思いました。犬か猫を飼って、父の回復を手助けしてくれないかと、そんな期待もこめて、ラッキーを飼い始めることになったのです。ペットショップに行った父が、車椅子から一番最初に指をさし、最初から最後までずーっと抱っこして離さなかったのが、ラッキーでした。ミニチュアダックスフントのオスで、当時は8か月でした。売れ残りなので、安くします!と、ペットショップの人は言いました。私達は、そんなのが信じられないくらい、一瞬でラッキーの虜になってしまいました。今思えば、何かの縁で繋がっていたのではと思っています。そして、ラッキーとの生活が始まりました。私は、学校から帰るとすぐにラッキーの部屋に行き、躾を教えたり、芸を覚えさせたり、まるで我が子のように可愛がりました。一緒にお風呂に入り、時には一緒に寝て、ラッキーがいる生活が、当たり前になっていきました。社会人になり、なかなかラッキーと触れあえる時間もとれないなかで、休みの日には同期とラッキーの散歩をしたり、車でドライブに連れて行ったり、時間がないなかで少しでも触れあえるようにしてきました。そんなとき、急に私の犬アレルギーが発症しました。もともと猫のアレルギーは少しあったので、懸念はありましたが、まさかという感じでした。そしてそれからというもの、可愛いのに触りたいのにたくさん触れ合えなく、ラッキーと距離ができてしまいました。それでもなんとか、マスクをして触ったりなど、工夫をしながら散歩などには行ってました。そして、22の時に私が結婚をし家を出ました。すぐに子供にも恵まれ、たまに実家に帰ると、子供も一緒に今度はラッキーを可愛がりました。本当に、みんなの癒しであり、愛する家族でした。そんなラッキーの死を、私はどうしても信じられませんでした。娘を寝かしつけ、夫が帰ってきてから娘をお願いし、私はすぐに車で実家に向かいました。玄関をあけると、衣装ケースに入った、綺麗な姿のまま目を閉じているラッキーが、そこにいました。本当に、寝ているようでした。ラッキー、起きてよ。なんで寝てるの?お姉ちゃん、覚えてるでしょ?ねぇ、起きてよ。また首をかしげて、可愛く鼻を鳴らしてよ。お腹を見せて、ゴロンとしてみせてよ。どんなに呼び掛けても、反応しませんでした。うちの実家の家の前の道路は、前にも何度かご近所の犬が車に跳ねられていました。一方通行のその狭い道を、時速20キロであり通学路でもあるその道を、ほとんどの車はものすごいスピードで通り過ぎるのです。母は、膝を悪くしており、ラッキーがリードを強く引っ張って走っていった時に、すぐに追いかけることができなかったそうです。そしてものすごい音と共に、ラッキーが倒れこんだと。即死でした。車が悪いわけではありません。飛び出したラッキーが、それを躾てこなかった私達が悪いのです。けれども、20キロでどうしたら即死になるのか、まだ生きられたんじゃないか、そもそもなぜラッキーが、あんなに元気だったのに。ごちゃごちゃな感情をどこにぶつけていいかも分からず、ただひたすら涙を流し、ラッキーに謝ることしかできませんでした。守ってあげられなくて、ごめんね。うちの家に飼われて、幸せだったのかな。そんなことばかりが、心を埋め尽くしていきました。翌朝も、起きるなり泣きじゃくって、娘を困らせました。この文章を書いている今も、涙が溢れそうです。まだ心の整理なんかできてなく、信じられてないかもしれません。それくらい、辛いのです。それでも、朝はやってきます。目の前には愛する夫と守るべき子供がいます。それだけが私の原動力であり、辛さを和らげてくれる時間です。後悔など、数えきれないくらいあります。ラッキーと一緒に行きたかった場所も、まだまだたくさんありました。それでも、もうラッキーはいないのです。それが現実であり、真実です。それを受け止めて、後悔しないように生きていく努力をすることが、ラッキーへの償いであり、お悔やみになるのかなと、思っています。きっと、私の父と共に、ラッキーも空から見守ってくれてると信じて、日々前を向いて歩いていきます。
苦しみながらなくなった愛犬 安楽死をえらんだほうがよかったのか自問自答
4年前に愛犬を亡くしました。もう18歳だったので、亡くなる1年前から認知症のような症状が始まり、最後の方は、ほとんど寝たきりの状態になりました。寝たきりの状態はかなり長く続きました。足をバタバタさせたり、夜中に苦しそうに鳴いたりして、こちらもどうしていいかわからず、ただ膝に抱いて撫でてやることしか出来ませんでした。見ているのもせつなく、あまりにも可哀そうだったので、獣医さんに相談すると、「安楽死」という選択肢もある、というようなことを言われ、とてもショックで傷つきました。その時は、「まだ生きているのに、飼い主の勝手で死を選ぶなんて」と思い、そんな発言をした獣医さんを恨んだりしました。結局、安定剤、睡眠薬や痛み止めなどで、なんとか症状を抑えながら、けれど、次第にその薬もあまり効かなくなって、愛犬は苦しみながら、亡くなってしまいました。愛犬が亡くなった後は、とても悲しくて、仕事や家事も手につかない状態が長く続きました。他の犬が散歩をしているのを見ると、自然と愛犬を思い出し、涙が出ました。テレビなどで犬の特集をしていると、愛犬を思い出すので、極力見ないようにしていました。あれから4年経ちます。時々、写真を眺めては、愛犬のことを思い出します。そして、私たちの選択が正しかったのかどうか、自問自答しています。あの頃は、「安楽死」なんてとても考えられず、獣医さんを恨んだりしました。けれど、結局、私たちの選択は、愛犬を最期まで苦しませてしまいました。「本当は、獣医さんが正しかったのではないか?私たちは自分たちのエゴで、愛犬を苦しませたのではないか?」答えはわかりませんが、そんなことを考えると、今でも涙があふれてきます。
愛犬の死から湧き出る感情 もっと可愛がってあげてたらよかったと
僕とペットとの出会いは、彼女と同居した時に彼女が実家で飼っていた犬でした。当時は3歳でちっちゃくてかわいいので愛情をもって育てました。しかし13歳の誕生日の一ヶ月前に亡くなりました。最後はぐったりしながら僕らの寝ている布団の上で亡くなりました。動物を飼うのは初めてではないですが、実家で飼っていたためにペットの死を目の当りしたのは初めてでした。正直どうしたらいいかもわからないほど辛く、悲しかったです。病院に通っていたので、先生が「何かあれば夜中でもいいから電話ください」と仰ってくれていたので、夜中の12時にもかかわらずお電話させていただき、「僕でよければ最後診させてください」と仰ってくださいました。病院まで車で10分くらいの距離なんですが、頭の中は当然整理が付いていませんでした。夜中にもかかわらず最後診ていただいた先生には感謝しています。本当にみんなにかわいがってもらえた愛犬でした。しかしやはりもっとかわいがってあげればよかった、もっとこうしてあげればよかったと沢山の後悔が沸いてきました。本当にこの子は幸せだったか。そう考える度に涙が溢れてきます。まだ現在は新しくペットを飼う気になれません。もちろん犬は好きですが、犬が好きというよりも「あの子」が好きだった感情のほうが大きいです。最後僕と彼女で看取れてあげれたのはよかったですが、もっと長生きしてほしかったです。やはり命なのでいずれはこうなる事は覚悟しなければなりません。今どんなに精一杯いろんなことをやってあげても、亡くなった後には必ず後悔の念が押し寄せてきます。僕も精一杯やったつもりですが、もっと可愛がれたんじゃないかという思いでいっぱいになりました。ただ、僕らは愛犬がいてくれて間違いなく幸せでした。もう一度会えたならそう言ってあげたいです。たくさんの人に可愛がられて幸せだっと今は思います。
愛犬が亡くなって1年後夫の説得で納骨したがいまではよかったと思う
うちにやって来た子・・茶色と白の毛のコントラストがはっきりしたシーズー犬でした。「アトム」と名ずけました。産まれて40日・・共働きでしたので、日中一人にさせておくのが心配で、仕事が終わるとタクシーで帰っていました。(笑)アトムが来てすぐ、私は長男を妊娠していることがわかりました。アトムが連れて来てくれたのかな・・5年できなかったのに。産まれて来た長男の横には、いつもアトムがいました。たまに、息子に「俺が兄貴だぜ!」と言わんばかりに、おしっこをかけられたこともありました。長男と一緒に育って来たアトム。食いしん坊で、目を離したすきに息子のメロンパンを全部(5個)食べちゃって、知らん顔。みんなの食べているものも「僕にもちょうだい・・」と、瞳をウルウルさせる・・。その瞳が可愛いくて、可愛くて・・。大人になったアトムは、まさに我が家の「ご長男」様。いつの間にか、弟は2人に・・。その頃から、たまに痙攣をして苦しむことが多くなって来ました。病院では、少し心臓が弱っているかな・・とのこと。まさか、そんなに早くお別れが近かったなんて思っていませんでした。11月の初め・・「しまった!寝坊した!」と寝室のドアを開けてリビングに飛び出しました。いつになく寒い朝・・。床に横たわるアトムをひょいと飛び越えました。「あれ?」朝、リビングに出ると自分の寝床から飛び出して「ママ」ってくるのに今日は・・。冷たい床に横たわり、動かない・・。「アトム」「アトム」と、二回呼んでみました。が、その体はピクリとも動かず、目は空を見つめています。一瞬、「ぬいぐるみ?」と、思うくらい不自然な光景。私は、足元から何かが這い上がってくる感触を覚えました。そこから動けず夫を呼びました。横たわっているアトムのそばによることができないのです。「死んでるんでないか?」夫は冷静に一言・・。気が動転していてその後のことがあまり思い出せないのですが・・。病院に電話をした時、先生が「もう死後硬直してるんだよね?助けられないわ・・」と、言われたことだけ鮮明に覚えています。心臓発作のようでした。多分、苦しくて吐いて、私たちの寝室の前まできて、生き絶えた感じでした。ごめんね、苦しかったのに一緒にいてあげれなかった、ママを探した?ママ、このドア開けて!って、思った?こんな形でのお別れしかできなかったの?と、私は悲しくて仕方がありませんでした。その日は、仕事をどうしても休めず出勤しました。バスタオルにくるんでおいて来たアトムが、帰ったら生き返っているんじゃないか、「ママ、脅かしてごめんね」と、飛びついてくるんじゃないかと帰りましたが、そんなことはなかったんですね・・。半分開いた目は、何度閉じようとしても閉じませんでした。翌日、動物霊苑で火葬してもらい小さくなったアトムをうちに連れて帰りました。何日も眠れない日が続き、何も手につかなくなりしばらくは、義理の母が家事をしに来てくれていました。1年後、夫の説得もあり泣く泣く納骨をしましたがいまでは納骨してよかった・・と、思います。けじめがついた感じがして、少しづつアトムとの日々も振り返ることができるようになりました。来年春、アトムが亡くなった時2歳だった下の息子が、家を出ます。そろそろいいかな・・アトムの次の子を迎えるのには。そんなことも思えるこの頃になりました。アトム、そちらでは幸せに暮らしてる?そろそろ、ママのお話相手に誰か迎えようと思うんだ・・いいよね?「うん、そうだね」と、言ってね。