ペットロスを克服した体験談

2024年1月14日

44歳 女性 再び犬を飼うことでペットロスを解消できた


私は飼っていた愛犬を14歳で亡くしました。

出会いはペットショップです。

とても頼りなく、儚げな容姿に一目惚れし、本当は違う犬種を飼いたいと思っていたのですが購入したのは真っ白なスピッツでした。

そんな出会いの儚げな様子とは一変、連れて帰ってすぐに大暴れ、何でも噛む、なんでも食べるというおてんば娘。

真っ白でコロコロした毛玉のような容姿に、家族みんなが癒されました。

しかし犬と言うのはあっという間に歳を取ります。

13歳くらいから「痴ほう症」の症状や「関節炎」など、本当に人間と同じなんだな…と思えるような症状がバタバタと現れだしました。

ですが、不思議なことに犬の介護の世話はちっとも辛くなかったです。

おしっこやうんちも間に合わずに最終的には紙おむつをはかせました。

白内障で真っ白になった目は誰も映さなくなったのかいろんなところにぶつかります。

痴ほうの症状でおなじところをくるくる回ったり、反対にじっと立ち止まったままになったりもしていました。

そんな姿も愛おしく感じていました。

最期は本当にあっけなかったです。

なんだか今日は具合が悪そうだからと、病院に預けた数時間後に「息を引き取りました」と連絡がありました。

あの具合が悪そうに見えたその時が、犬が私に向かって最期を伝えていたのかもしれない…そう思うと、あの時病院に行かなければよかったのではないか、と今でも自問自答しています。

よくテレビなどでは家族に見守られながら…とか、飼い主の腕の中で…など犬との最後の時間を迎えられたエピソードなとがありますよね。

でも私にはそれがないのです。

返ってきたときはもう亡骸だったのです。

泣いても泣いても、涙が枯れることはありませんでした。

普通にしていても、じわりじわりと涙が絶えず出て困りました。

焼かれて骨になっても、何か区切りがつかなくて、延々と何かがくすぶり続けて涙が絶えず出てきました。

これがペットロスなどというものなのかな…などとぼんやりと思っていました。

犬が歩くと聞こえる、爪を鳴らす「チャッチャッチャッ」という音を、寝る時にゴトンと体を横たえる音を、いびきの音を無意識に探す生活が続きました。

ペットロスを解消した方法は、結局また犬を飼う事でした。

捨てることかできない犬のたくさんの形見に囲まれて、どうすればいいのか途方に暮れていたころ、姉にスピッツがペットショップにいるよ、と教えてもらいました。

スピッツ自体ペットショップにいることが珍しいので驚きましたが、購入することは考えませんでした。

まるであの子の代わりにしようとしているようで、同じ犬種など考えてはいなかったのです。

ですが、飼ってしまった。

それは、見に行った時には大きくなりすぎたのか(それでも4か月ほど)、衝撃の1万円だったからです。

もしかして売れなかったら殺処分されてしまうかもしれない。

そう思ったら連れて帰るしかなかったのです。

現在9歳になるこの子は、亡くなったあの子の代わりにしてしまうかも…なんていうのは連れて帰ってすぐにふっとびました。

何もかもが正反対だったからです。

性別も別なら性格も正反対でした。

亡くなったあの子に出来なかったことはすべてやろうと思いました。

現在特に病気もなく、とても元気で、あの時連れて帰って本当に良かったです。

死に際というのは選べません。

あの時病院に行かなかったとしても「病院に行っていたらもしかして…」と逆のことを思っていたとおもうのです。

ですからできるだけやれることをちゃんとやろう、というのが後悔しない犬の飼い方だと思います。

今この子は散歩は一日2、3回。

雨の日も風の日も、雪、台風の時でさえ、お散歩大好きな愛犬のために欠かしません。

食事も朝は手作り食、キロ1000円前後の安全に作られたフード。

亡くしたあの子に出来なかったことはできるだけやるようにしています。

できることは全部、後悔しないように、現在を生きています。

とはいえ、ロスになるくらい愛せたのだとしたら、それはいいことなのかもしれませんけどね。

きっと虹の橋で待っていてくれているはずですから。

55歳女性がペットロスを同じワンちゃんで回復できたことについて


私は主人と子供と3人で暮らしています。

今は仕事をせずに専業主婦としています。

私がワンちゃんと出会ったのは、子供がペットショップで買ってきてくれた時です。

その時、可愛い小さいワンちゃんを、私が退屈をしているだろうからということで買ってきてくれたのです。

相当高かったと思うのですが、子供がボーナスが出た時だったのでそれで買ってくれました。

その後は、毎日一緒にいることによりとても満たされた気持ちになることができました。

子供たちも大きくなり、なんとなく生きがいみたいなものを得ることができたと思ったからです。

走る姿を見たりしていると、ほんのりすることができるのです。

そのことから自分の子供のように可愛がっていました。

ところがそのワンちゃんが、4歳の時に病気になりなくなってしまったのです。

病院も連れて行きましたがやっぱり助けることができませんでした。

その翌日に静かに息を引き取ったのです。

その後は、生きている楽しみを感じることができませんでした。

ひとりでいると、自然と涙が出てしまうのです。

ワンちゃんと一緒にいた時間を思い出してしまうんですね。

泣いていると、こどもが心配をしてそんな私の姿をみて、ワンちゃんを買うことを考えていてくれたようです。

主人と二人で、また同じ犬種のワンちゃんを買ってきてくれたのです。

そのときは、飛び上がるぐらい嬉しくなりました。

またあの様のような楽しい時間を過ごすことができると思ったのです。

想像していた通り、楽しく過ごせています。

ペットロスは、とても辛いです。

人がなくなった時と同じぐらい辛さがあります。

人は帰ってくることがありませんが、ワンちゃんなどのペットの場合は嬉しいこととして、同じようなワンちゃんを買うことができます。

くよくよしているよりは、同じようなワンちゃんを育てて元気になることが、ペットロスから抜け出す第一だと思っています。

是非さみしさで潰されそうになっている人は、行動して欲しいです。

33歳 女 野良猫ペットロスを解消した体験談について


私は、30代前半の女性でありますが、私は、最愛の野良猫を飼っておりました。

その野良猫と知り合った経緯としましては、私達家族が、普通に生活しておりました時に、ふいに一匹の野良猫が迷い込んできたのです。

その毛並みからすると猫の種類はアメリカンでありました。

非常に色艶の良いメス猫で最初は、お腹が空いている状態でありましたので、エサをやるような形で、特に意識はしておりませんでした。

しかし、毎日縁側に来てエサをねだるようになり、ここから、急速に野良猫に温情が芽生えてくる形となりました。

息子と娘もその猫が大変気に入り、ついに子供達の説得に負けて、自宅で野良猫を買うようになりました。

飼ってからが非常に大変であったことは、家の中にも気軽に出入りするような形でありましたので、夏場はノミが非常にすごかったことです。

それにも家族で我慢して可愛さもあって耐えておりましたが、主人が夜不規則な仕事をしており、大変機嫌が悪い日等がありましたので、猫を怒鳴り付ける日もありました。

そしてついに主人は怒ってしまい、猫をすてて来るように言いました。

仕方がなく私と子供達は自転車で野良猫を捨てに行くような形となり、神社で元居た場所に帰ってね、と言う形の願いも込めて最初見つけた場所と似たような場所でお別れをする形になりました。

その野良猫はずっと私達の姿が消えるまで視線を外すことが無かったのが大変辛かったですが、ここでお別れと言う形になりました。

ここから衝撃の事実が発覚しまして、野良猫が3日後に縁側にボロボロの姿になって迷い込んできたのです。

家族総出で、祝うような形となり、ここからかなり愛情を持って接するようになりました。

それから虹子と名付け、共に生活するようになってから、10年後にふといなくなり、恐らく死んだのだなと思いました。

ここから凄くペットロスで苦しみましたが、悲しんでも仕方がありませんでしたので家族でまた新しい同じ種類の子猫を飼ってまた、新しいペットと生活する形でペットロスを解消する形になりました。

42歳・女・とことん哀しみを認めることで解消できる感情


40代女一人暮らしです。

15年間連れ添った愛猫との別れを数年前に経験しました。

一人暮らしと共に飼い始めた、初めての家族です。

楽しい時も寂しい時も、常に一番側にいてくれました。

しかも息を引き取ったタイミングは、私の一泊2日の外泊中でした。

特に悪いところはなく、老衰でした。

死に目に立ち会えなかったこともあり、かなり落ち込みました。

持病はなかったとはいえ、年老いた相棒を一匹残して外泊した自分を責めました。

なんとか仕事には行っていたものの、誰とも会う気にはなれず、仕事の休憩中などふとした瞬間に泣いてしまいそうになるのを堪えることもありました。

「帰ってもいない」そのことに慣れるまでに時間がかかり、帰宅する時間が一番憂鬱でした。

そんな時、同じく愛猫家の友人から、「無理をしないで。哀しむべき時には、ちゃんと哀しんで」と言ってもらえたことに、とてもホッとしました。

いいんだ。

今はとことん哀しんで、落ち込んで、それでいいんだ。

そう腹をくくって、その日から私は正々堂々と亡くなった家族との思い出に浸りながら生活を、するようにしたのです。

まず最初に、スマホに撮りためていた写真で、フォトブックを作りました。

今はアプリでとても綺麗に仕上げてくれるサイトがあります。

次に愛猫専用のインスタグラムのアカウントを作りました。

そこには愛猫との思い出の写真をたくさん更新しました。

同じくペットロスを経験した多くの先輩たちとつながることができたのは、大きな励みになりました。

最後に、愛猫仲間相手に亡くなった家族の思い出話をたくさん聴いてもらいました。

とことん過去の話に付き合ってくれた友人には、本当に感謝しています。

このような行動を集中して半年くらい行いました。

すぐに他の家族を招き入れることもなく、猫カフェやペットショップに足を運ぶこともしませんでした。

あくまでも過去に時間を止めて過ごしたことに、結果私を少しずつ正常な自分に戻す意味がありました。

ちゃんと死を悼むこと、ムリして前向きにならないこと、とことん落胆している自分を認めてあげることで始めて、愛しいペットの死を受け入れられるのだと思います。

あれから2年以上たった現在、我が家にはまだ新しい家族はいません。

猫カフェやペットショップにはたまに行きます。

でもあの時のように、心が揺さぶられような痛みからは解放されました。

もしもペットロスで悩んでいる方がいれば、どうか無理して早く立ち直ろうとしないでほしいです。

心の回復を焦る必要なんかなく、もっと立ち直れない自分を認め尊重してあげてください。

そうすればいつか必ず、ちゃんと自分が生きることを優先にできる日が来ます。

時間が癒してくれます


沖縄在住、物心ついた時から犬が大好きで悲しくなった時、寂しいときいつもそばにいてくれて子犬のときから一緒にいたので、彼女(犬)も私を親のように慕っていてくれたと思います。

私の足元にぴったりとついて眠ったり、少しわがままをいったりとしましたが、一つ一つの仕草がとても愛らしく私の大切な存在でした。

別れのきっかけになったのが、私の進学のためでした。

寮生活をおくらないといけないためもちろんペットはだめ。

しかもそう簡単に帰れる距離になかったので、長期休みのときしか家にかえることができませんでした。

また、ブラシやお散歩など私がほとんどしていたため、私がいなくなったらこの子のお世話大丈夫かな・・・と不安で、学校がはじまり家に毎日電話して犬の様子を聞いていました。

そして、夏休み前の進級がかかわってくる大事なテスト期間中、私の人生においてとても嫌な出来事がおこってしまいました。

テスト期間中は、私は徹夜でテスト勉強をしていました。

いつもしてるはずの電話もその期間中は自分に余裕がなくできませんでした。

そしてテストを二教科目が終わりお昼休み、母に電話をかけてみました。

いつものように様子はどう?とききましたがうーん・・・まあまあと歯切れが悪い回答でした。

ちょっと不自然に感じましたが、とりあえずテストに集中しようとと思いそこまでつっこまないで電話をきりました。

テストが終わり、もう一度母に電話すると、犬が散歩中にげてしまい事故にあって苦しんで死んだということがわかりました。

それを知ってしまった私は一か月泣きました。

すぐに教えてくれなかった家族を憎んだし、なぜ逃がしたのか、私だったらにがさなかったのに、地元の学校に通ってずっと一緒にいればよかったと後悔の嵐でした。

すこし落ち着いたころ犬の写真を見返しました。

私にあまえている写真ばかりでした。

この子のことを思い出してないてばかりいたら、楽しい思い出までぜんぶなかったことになってしまうな。

できるだけ楽しかったことだけ思い出して、あの子に心配かけないようにしようと思いました。

そうすることで、徐々に悲しみからぬけだせていったように感じます。

あの子と過ごした大事な時間をいまでもふと思い出して、写真をみています

ペットロス

Posted by 管理人