ペットロスを克服した体験談

2024年1月14日

47歳男 飼っていた金魚たちは死んでも楽しかった思い出は死なない


私は47歳です。

男です。

5年ほどまえ、飼っていた金魚が立て続けに亡くなった経験をお話したいと思います。

飼うようになったきっかけは子供がもらってきたからでした。

もともと自分から金魚を飼う予定はありませんでしたが、地元のお祭りで子供が金魚すくいでもらってきました。

最初は二匹でしたので、家にあった金魚鉢で飼い始めました。

そして、お祭りのたびに子供が金魚すくいをしてはもらってくるかたちになり、最終的には6匹になりました。

その頃にはさすがに手持ちの金魚鉢では手狭になり、新しく大きめの水槽を買いました。

それに伴って、下に敷き詰める砂利とか、水草とか、必要なものを一式揃えていきました。

飼っていくうちにだんだんと愛着がわいていきました。

最初はなんとなくながめていただけでしたが、毎日エサをあげたり、仕事から帰ってながめているうちに、だんだんと可愛くみえて来ました。

子どもたちと一緒に水槽を眺めたり、それぞれの金魚に名前をつけたりしていると、見ているだけでも幸せな気分になれるのです。

金魚たちはすくすくと大きくなっていきました。

金魚といっても微妙に種類が違ったようで、大きくなるにつれてその違いがはっきりしていくのが分かるのも楽しく感じていました。

飼い始めてから2年ほどたった頃です。

一匹の金魚がなんだか元気がないように見えました。

身体に白いカビのようなものがついているのです。

いろいろ調べて、違う水槽で身体を洗ってあげたり、栄養のあるエサを考えたりと手を尽くしました。

しかし、数日後、朝起きて水槽に目をやると、水面にその金魚が横を向いて浮かんでいるのが見えました。

死んでしまったようでした。

いくら金魚とはいえ、それまで一緒に生活してきた家族に違いはありません。

胸がつかえるような気持ちになりながら家の庭に埋めてあげました。

その後、水を入れ替え、他の金魚たちに影響がないようにと細心の注意を払って飼っていたつもりでした。

ところがそれでは終わらなかったのです。

まるで順番が来るように、一匹また一匹と、時間を置きながらも確実に弱っていき、最後は死んでしまうのです。

最後の一匹になってしまったときは本当に泣きそうな気持ちでした。

やがてその一匹も他の金魚たちと同様に、弱って死んで行きました。

全ての金魚を亡くしてしまい、空っぽになった水槽を見たときの無力感はいまでもはっきり覚えています。

いろいろ手は尽くしたつもりでしたが、結果としてはすべて死んでしまいました。

当時はとても悲しかったし、何か他に出来たのではという気持ちが無いわけではありません。

しかし、たとえ2年ほどの短い期間とはいえ、自分の子供たちと一緒に育てることが出来たという思い出はちゃんと残すことが出来たと思います。

悪いことばかりではなかったと、前向きに考えられるようにしています。

金魚たちは死んでしまいましたが、思い出は死なないと気を取り直すようにしています。

60歳の男性ですが、テレビでみたそっくりなパピヨンに癒されました


横浜に在住している60歳の男性です。

20年前に建売り住宅を購入してからある日、買い途中でペットショップでパピヨンに出会いました。

その前はマンションに住んでしたので動物を飼うことができず、家を買ったときに犬を飼おうかと考えているところでした。

 小型犬がいいなと家族でみていたら、一匹元気のよいパピヨンと目があったときにピンときました。

そのパピヨンは顔の模様が対象ではなく、片目だけの模様でした。

他のパピヨンに比べてやんちゃで元気がいいので家族も気に入りました。

名前はぱぴにしました。

 その後散歩に連れていったり、部屋で遊んだり、公園でいきなり脱走して車にひかれそうになったりして楽しくくらしました。

16年間生きたので高齢だと思います。

最後は食べ物ものどに通らなくなり、スポイトで水分を補給している状態でした。

寝たきりが続いていました。

 ところが亡くなる前の日に突然立ち上がり、歩きだしたときは感動しました。

最後の力を振り絞ってくれたと思えたので、涙がでてきました。

亡くなったときには立ち会えませんでしたが、目を閉じて動かなくなっていましたが、体温は感じることができました。

 その後しばらくは、犬の姿をみるのがつらかったです。

外出したときに、毎日散歩していた道で同じような人と出会っていましたが、会うのがつらかったです。

元気な他の犬をみているとどうしてもぱぴの元気な姿を思い出してしまいます。

ぱぴのためにペットシーツを通信販売で取り寄せていましたが、予備はまだ家においてあります。

どうしても捨てられません。

 これがペットロスかなと思いましたが、時間が解決してくれたかんじです。

家の廊下にぱぴが滑らないようにじゅうたんを敷き詰めていましたが、取り除きました。

いつまでもくよくよしていると、ぱぴのためにもならないと思ったからです。

誰かがいつまでも思い出をひきづっていると、ぱぴが成仏でいないと聞いたので、無理やり他のことで笑うようにしていました。

 いまでもテレビでパピヨンがでてくると思い出すので、チャンネルを変えています。

ですが先日同じ模様のあるパピヨンが出演している番組に遭遇したときに、悲しみよりも他の場所でぱぴが元気でいるかのような不思議な気持ちがしました。

そのときにペットロスが解消された気持ちになりました。

 いまでもどこかで生まれ変わったぱぴがいる、と思っています。

35歳女、時間が自然と傷を癒してくれました


30代女性です。

高校生の時、飼っていたネコが死にました。

まだ2歳でした。

近所に捨てられていたので拾ってきました。

両親の反対を押し切って無理やり飼っていました。

ですので、餌代、予防接種代、避妊手術などその猫のためにアルバイトを始めました。

子供のようなかけがいのない存在になってきました。

猛暑が続き、ここ数日食欲が落ちているなあと心配していた矢先、部屋で死んでいる姿を発見しました。

もう死んでいるとわかり、パニックになり、獣医さんへ即電話し、「夜だけれども今から見てもらえないか」泣きわめきながら聞いていました。

10分くらい後に、少しだけ冷静になり、「もうダメなようです」と再度獣医へ電話したのを覚えています。

数日間は、とてもショックでこの世の終わりという気持ちでした。

ふとした瞬間に、人前関係なく涙が出てきてしまい、周りに気づかれないよう、トイレに駆け込んで涙をぬぐっていました。

普段は気丈にふるまってはいましたが、内心は生きる気力もなくなり、学校の授業も友達と過ごす、放課後もうわの空でした。

この先、どんなに頑張っても、どんなにお金持ちになっても、そのネコはもう戻ってこないんだと思うと悲しくてなしくてしょうがなかったです。

誰かに相談する気力もありませんでした。

当時はペットロスという言葉を知らず、自分に何が起こったのか、どうして良いものかわかりませんでした。

自分にとっては子供のような存在だったので、周りの人からするとあくまでペットなので、深く同情してくれる人がいませんでした。

自分の体験を共有できる人がいたら、良かったなと思います。

その後、大学受験や就職など人生の中で大事なイベントがあり、そちらに気を取られていくようになりました。

17年経った今でも思い出すととても悲しくなりますが、その頻度は低くなり、落ち込む時間もかなり少なくなりました。

時間が解決してくれていると思います。

人も動物もいつかは必ず死にます。

そして、この世の中には自分の力ではどうしてもコントロールできないことがたくさんあります。

後悔しないように100パーセントで相手に接することもとても大事だと思います。

同時にそれに依存しないで、予期せぬことが起こっても前へ進んでいくことや、どんな事実も受け入れる心を持つことが一番大事だと思います。

37歳 女 亡くなった子に似た子をお迎え


30代女性です。

実家では保護猫を飼っていました。

実際10年飼っていたので10歳以上の子です。

キジトラのようなミックスの子で母が引き取ってきました。

私はそもそもあまり猫に興味がなく、その子も積極的に私に絡んでくる子でもなかったのであまり興味がありませんでした。

私は社会人になり一人暮らしを始め帰省した時にしか合わなくなりましたが会うたびに活動量が減ったなと思うようになりました。

結婚して主人と一緒に住みだした頃、主人が猫好きだと告白しどうしても小さい頃から飼いたかった種類の猫をお迎えしたいと言いだし、将来生まれる子供がアレルギーにならないよう掃除を協力すること、私の書斎とクローゼットに入れない等ルールを決めた上で、ペットショップとブリーダーを巡り始めました。

半年ほどで気に入った子をお迎えできた頃には私も猫好きになっていました。

主人の飼いたかった猫はメインクーン、長毛種で大きくて頭が良くて、オスなので甘えたでとても可愛い子です。

実家に帰った時に、うちも猫を飼った、メインクーンで頭がいい。

粗相もしないし、毛もボリューミーで豪華、見た目も選別したので好みのブラウンタビーホワイトで白靴下が可愛い、だの家族に写真を見せながらキャッキャしていました。

本当は長毛種だからブラッシングも大変だし、去勢前にはスプレーもしたし、毛玉は吐くし手がかかるのですが自分で見つけてきて、病院やペット用品を探したり、甘えて膝に乗ってきたり一緒に寝てくれる猫は愛らしかったのです。

その頃実家の猫はもう餌もあまり食べず、高いところにも登りにくくなり、少し白髪混じりの毛並みになっていました。

いつ行ってもベランダから外を見て日向ぼっこしているだけの実家猫が、その時は部屋を移動していきました。

今思えば聞きたくなかったのかもしれません。

翌月、実家の猫は老衰で亡くなりました。

ペット葬儀には私も立ち会いましたが、もうガリガリでいたたまれませんでした。

父が「◯◯はお前(私)に懐いてたからなー」といい、「えー全然懐いてないよ」と答えると、実は私の脱いだ部屋着の上で寝たり、私が仕事から帰ってくる前は玄関のスリッパ収納台に乗って待っている、と。

私は母が亡くなっていて葬儀でバタバタしていてリビングのソファで寝てしまった時も、その猫がお腹の前で寝ていたよ、と。

それを聞いてから、あの時なんで他の猫のことばかり褒めたのだろうと後悔しました。

年取った和猫と、幼い洋猫なんて全然違うのに。

一年くらいは野良のキジトラを見ると罪悪感がありました。

その後に、ペットショップで見かけた生後6ヶ月のセール価格になった猫を飼いました。

キジトラではなかったですが同じ青い目をした臆病な子です。

名前は実家の子からつけました。

自己満足かもしれませんがこの子を実家の猫と重ねながら大事に育てていこうと思います。

34歳 女 意外な来客で癒され


私は中学2年生から柴犬を飼っていました。

母がペットショップで一目ぼれしたのが飼い始めたきっかけでしたが、すぐに家族の一員としてなくてはならない存在になりました。

柴犬の特徴か、家族以外の人にはなつかず、来客に吠えるので少し困る面もありましたが、一方で自分たちだけになついていることで一層可愛くも思えました。

散歩が大好きで、リードを持った私が現れると、すぐに門の前まで走って行ってスタンバイ。

そして、いつまでも帰りたがりませんでした。

しかし、歳を取るにつれて徐々に耳が遠くなり、目も白内障になり、そして痴ほうもはじまってしまいました。

ずっと休みなくぐるぐる歩き続け、狭いところに挟まって動けなくなっているのを見つけては助けてあげていました。

ずっと庭で放し飼いをしていたのですが、徐々に寒さや暑さにも弱くなり、日中は外、夜は玄関で過ごし、そして段々と玄関にいる時間が増えていきました。

それでも、フラフラする足腰で踏ん張りながらご飯は頑張って食べていました。

衰えながらも一生懸命生きる姿は本当に愛おしかったです。

しかし、遂にご飯も食べなくなり、息が細くなってきて、これはいよいよかと感じた夜、私は愛犬を胸に抱きながら一晩を過ごしました。

すると、突然、あれだけ虫の息だった彼女がキャンキャンと何かを訴えるように鳴いたのです。

抱かれているのが嫌だったかなと思い、床におろすと、彼女は体の中の汚いものを出し、そして息を引き取りました。

最後に吠えた時に訴えたかったのは定かではありませんが、生前本当にお利口だった彼女のことなので、きっと私の服を汚すのが嫌で気を使ったのではないかという気がしています。

それからというもの、私の心にはぽっかりと穴が開いてしまったような寂しさがありどうしようもありませんでした。

だからと言って、ペットを失う辛さを味わった直後で新しい生き物を飼う気にもなれず、庭を見ては彼女が走り回っていた姿を思い出すような毎日でした。

私がこのペットロスか脱することができたのには二つの理由があります。

まずは、小さなサボテンを買ったこと。

枯れにくい植物を選び、名前を付けて寂しくなったらサボテンに話しかけていました。

もう一つは、庭に時々野良猫の親子が遊びに来るようになったことです。

それまであまり猫は好きではなかったのですが、子猫が兄弟で戯れる様子などは本当に癒されました。

野良猫なのでいつ現れるかはわからないのですが、それがまた見つけた時のウキウキ感を増幅させました。

決して餌は与えていないのですが、安全な家だと分かったからか、今では軒下で無防備にくつろいだりするようになっており、気ままな来客とのおつきあいを続けています。

25歳女性 残された家族を思って前向きになれました


現在25歳女性、会社員です。

私が小学6年生のときに飼った愛犬が昨年10月になくなりました。

母と一緒にブリーダーさんのところへ見に行って、電車で連れて帰ってきた日のことを今でも昨日のことのように思い出します。

子供だった私が大人になるまで、共に成長してきた大事な家族、仲間が天国へ旅立ったときは味わったことのない絶望感でした。

亡くなる1ヶ月ほど前から体調が良くなく、いつも通っている病院で血液検査をすると胆嚢に炎症を起こしているから、飲み薬を出して様子を見ましょうといわれました。

数日たっても良くならず、次第に食欲もなくなりぐったりするようになりました。

毎日のように病院へ通い、入院もしましたが、先生からは難しいだろうと言われました。

あきらめ切れなかった私は、地元で評判の違う病院へ連れて行くことにしました。

その病院は最新医療機器がそろっており、先生も私たちの気持ちをよーく理解してくださり、希望を捨てずに頑張りましょう、と励ましてくださりました。

あの先生に出会えてなければもっと辛いペットロスになっていたと今では思います。

最新の機器で色々と検査しなおしたところ、数値が非常に悪く、先生もこんな数値は見たことがないと仰せでした。

しかしながら、毎日ステロイド治療や点滴を繰り返したら少しずつ元気になって歩けるようにまでなりました。

亡くなる前夜は家の庭で少しだけ走ることもできました。

結局転院してから1週間程度で亡くなってしまいましたが、我が家には一緒に過ごした愛犬がまだ2匹おります。

うち1匹は亡くなった愛犬の子供です。

残された2匹も大事な家族が亡くなってしまった事に気づいているようで、しばらく元気がありませんでした。

残された私をはじめ、母、父、兄、皆が愛犬の死から立ち直ることができませんでしたが、残された2匹のためにも、健康管理はしっかりしよう、ストレスなくたくさん遊ばせよう、と前向きになることができました。

今は、家の中に仏壇のような場所を作り、毎日お花の水替えをしたりして毎日天国で幸せに暮らしてくれていることを願っています。

私は愛犬に出会えて一緒に成長することができてとても幸せでした。

32歳女性 愛犬との思い出を語り合う


30代女性ねねと申します。

3年ほど前にずっと飼っていた愛犬を亡くしました。

老犬だったので覚悟はしていましたし、亡くなる前は家族で協力して介護をしていたので、心の準備をしないといけない、とは思っていましたが、いざ亡くなってしまうと心にぽっかりと穴が空いたような気持ちになりました。

母親も落ち込みがひどくて、しばらくは二人で泣いていました。

そんな時に心の整理ができたのは、亡くなってからきちんとペット用のお葬式ができたことが大きかったように思います。

人間でも動物でも、大切な人たちを亡くした時に、お葬式などを行うことで、現実を受け止めるキッカケになるのだろう、と感じました。

その後も母親と一緒に、愛犬の写真を見て思い出話をしたり、愛犬のグッズを整理して思い出ボックスにしまったり、月に一度お墓に行ったりしました。

また心の整理をするために日記を書いてみたりもしました。

思い出話をするのもそうですが、自分の思いを日記などで外に出すことで、悲しみが癒えていく感覚はありました。

もちろん最初は思い出話をするたびに泣いていましたが、一年ほどたつと、愛犬の微笑ましいエピソードで家族で盛り上がれるほどには回復できたように思います。

新しいペットを飼うことを勧める人もいますが、私はとてもそんな気にはなれませんでした。

それよりも、亡くなった愛犬の思い出を家族で大切にしていきたい、と今は考えています。

今はペット用のお葬式もあり、思い出の写真をアルバムにできたりもします。

そのようなことをすることで、ペットを亡くした悲しみを少しずつ浄化していくことが、ペットロスを克服する上で大切なことだと思います。

たかがペットで…なんてひどいことを言う人たちもいますが、辛い時は相手にせず、悲しみを共有できる人と一緒に、ペットの大切な思い出を語り合うことも、私には効果があったので、今ペットロスで苦しんでいる方も、そのような方法がある、と思っていただければと感じます。

28歳女 楽しかった思い出の写真の整理で気持ちも整理しました


私は現在、20代後半の女性です。

中学1年生の時に両親がいきなり犬を飼ってきました。

その子はスムースチワワのメスで毛が短いタイプです。

両親がペットショップから買ってきた時には生後10ヶ月で大人に近い状態でした。

その子はガリガリに痩せており、手足も鼻も長く見た目はチワワというよりはバンビに似ていました。

小さな目でした。

そんな見た目で売れ残り、10ヶ月になっても売れなかったのでセール価格になっていたそうです。

抱っこすると暴れたりせず大人しくしていたので、可愛く思えて買ってきたそうです。

子犬感はなく、だいぶ成長していたのでトイレも芸もすぐに覚えたので飼っていて困ることは全然ありませんでした。

たまに風邪引く程度で10歳くらいまで大きな病気も怪我もありませんでした。

後悔していることは、初めて犬を飼ったので必要な知識がなかったことです。

たまに、床にお尻を擦り付けながら歩くことがありました。

可愛いなと思っていましたが、本当は肛門絞りをしてあげる必要がありました。

肛門に溜まった物があるのでその歩き方をするときは肛門絞りをやらないといけない時でしたが、可愛かったので私は喜んでいました。

それは亡くなった後に知った情報だったのでかわいそうなことをしたと反省しています。

あとは、避妊手術をしてあげていれば乳がんや子宮の病気のリスクを減らせたことです。

10ヶ月経ってから飼った子ですがその時にすぐに手術してあげれば良かったと今でも思います。

我が家では知識がなく、産ませる予定もないのに避妊手術をしていませんでした。

案の定乳がんや子宮の病気になってしまい、手術しても手遅れでした。

術後の衰弱が激しく死期が近いことが分かったので離れてくらす兄が会えるようしました。

兄も最後に生きた状態で会えたことは喜んでくれたので、家族に連絡することをオススメします。

亡くなってからは、あんな小さな子が居なくなっただけなのに存在は大きかったと実感しました。

寿命ならあと2年くらいは生きてくれると思っていたので雑に接した時期があることを後悔しています。

散歩もあんなに楽しんでいたのに、私は忙しくてリードを引っ張ることが多かったです。

今はスマホやテレビでたくさん情報を得られるので活用しています。

前の子の反省点を少しでもいかせるようにしています。

スマホでその子の写真をよく撮っていました。

1000枚近くありましたが、泣いてもいい日に写真を整理しました。

当然可愛い時や楽しい時の写真ばかりなので、自分の至らなさよりも楽しかった思い出が勝つようになりました。

写真を見ると、この子は幸せだったと思えるようになり悲しさは薄まりました。

36歳女 子供同然の猫がお星様になりました


主人が猫が好きで、猫を2匹飼っていました。

2匹とも野良猫から保護しました。

とてもかわいく、癒されていましたが、メスの子が10歳過ぎたあたりから段々泌尿器系で病院に行く事が増えました。

猫は痛みに強いらしく、あまり泣いたり行動にでる事は少ない層で、なんだかおかしいなっとこちらが察してあげないと、悪くなってしまう事もい多いようです。

冬になると繰り返し、膀胱炎になるようになりましたが、カーペットをひいてあげたり、餌を工夫したりしていました。

ある日、粗相をしてしまい、お風呂にいれてあげました。

なんだか体調が悪そうだったので、明日病院に連れて行こうかなと思って寝ました。

すると、明け方、いつもより大きな鳴き声が聞こえました。

しかし、子供が猫アレルギーがあるので、寝室には入れないようにしていたので、やっぱり病院に連れて行こうと思って、そっと聞いていました。

いざ、起きてみると、寝室の前で息を引き取っていました。

明け方すぐに開けてあげればよかったとすごく後悔しました。

段々と寿命はみえてきていましたが、最後に抱っこしてあげればよかったと。

最後にお風呂にいれてあげてきれいな姿で逝かせてあがられたかなとは思いますが。

猫アレルギー持ちの家族がいたので、これ以上猫を飼うことはできないと思っていました。

無理な延命治療もしないと決めていました。

しかし、本当にこれでよかったのかなという思いはあります。

どんな状況でも、しっかりと看取れる環境がそろっていなければ、安易にペットは飼ってはいけないと心から思います。

子供たちはとても悲しそうですが、命の大切さを気づかせてくれました。

子供たちには、お星様になっていつも私たちを見てくれているんだよ。

と教えました。

星をみると、あれかな?と言ってくれます。

心の中では、いつもそう思っています。

これから、またペットを飼うことはありませんが、いつも空から見守ってくれていると思い込むだけでも、段々といなくなっても大丈夫になってきました。

49歳女 時間がペットロスを解消した


40代女性です。

私の家族であったネコを亡くしてペットロスに陥ってしまったのですが、その子が亡くなって4年目の今ようやくペットロスから立ち直りました。

ペットロスに陥っている間はテレビで動物を見るだけで涙がぽろぽろ流れて・・・。

特にネコを見てしまうと亡くなったネコを重ねてしまいどうしようもない気持ちになったのです。

家族であるネコを病気で亡くしました。

おばあちゃんネコで16歳で天国へ。

腎臓機能に異常が見つかり検査入院や点滴治療・投薬治療などできる限りのことをしましたが間に合いませんでした。

私がネコの異変に気づかなかったのがネコの寿命を縮めたのです。

後悔先に立たず・・・それはよく分かっていました。

家族は泣き崩れる私を見て何度も励ましてくれたし、「やれることは全てやったじゃないか!」と言ってくれましたが私は自分の愚かさを心の底から憎んで自分で自分を苦しめていました。

食事が喉を通らず日に日にやせ衰える私に家族は毎日食事を作ってくれました。

結局ガリガリにやせ衰え月経が止り完全に閉経したのがネコが亡くなった翌年のこと。

このままでは家族に迷惑がかかるとようやく前を向きました。

ネコはお寺で火葬してもらいお骨は家に持って帰りました。

毎日水をあげていつも一緒に居るような感覚もあります。

毎日のようにお骨に向かって話しかけたりしてその度に心が軽くなっていきました。

現在ペットロスは克服したと言えるレベルです。

食事を普通に食べられて声を出して笑うことも出来るようになりました。

克服していないときは涙もろくてちょっとしたことで不安になって・・・。

声を出して笑うこともほとんどない状態で。

日々娘と亡くなったネコのことを話すことも心に良いのかもしれません。

思い出したくないからとネコのことに触れないようにしていた頃の方が辛かったのです。

「太っていたよね!」「まん丸でボールみたいだったよね~!」と笑って話せるようになりました。

ペットロス

Posted by 管理人