ペットロスを克服した体験談
32歳女性妊娠でペットロスを克服した
はじめまして。私は30代の主婦です。今は一戸建てに主人と子供と暮らしています。半年前まではチワワの女の子と四人で暮らしていました。わたしとチワワが出会ったのは14年前にもなります。そのころミクシィが流行っていて、そこの掲示板に里親募集の記事に目が留まりました。大阪に住んでいる老夫婦が高齢のためその子を飼うことが困難になり、里親を募集しているというものでした。黒のロングコートチワワで一歳の女の子の写真が載せられていました。私は一目ぼれしてすぐにその方とコンタクトを取り、無事に家族になれた次第です。性格も温厚でただ、散歩が嫌いで本当にかわいい子でした。はじめて犬を飼うので本を読んだり知人にアドバイスを聞いたりしました。餌はちょっとでもいいものをと獣医師推奨の高めのものをあげていました。そのおかげか、特に病気にかかることもなく元気に過ごしていました。12年を超えたころから、足腰が急に立たなくなり、目も濁ってきました。一日中寝ていることが多くなり私は不安でした。ちょっとでも元気になってくれるように、マッサージをしたりおやつを変えてみたりしましたが結局それから二年後老衰のため静かに息を引き取りました。私は今まで一番身近にいてくれた存在をなくし、一時期食事が喉を通らなくなりました。毎日泣いて暮らしていました。完全なペットロスでした。もっと大切にしてあげればよかったと後悔ばかりで、自分を責めました。そんな中偶然にも妊娠していることがわかり、主人がこの子はチワワの生まれ変わりかもしれない、チワワにできなかったことを子供にいっぱいしてやろうと言ってくれ、その一言に救われました。今度は犬と主人という関係ではなく親子になれる。そう思うとなんとなく元気が湧いてきました。亡くなる命もあれば生まれてくる新しい命もある。それは一期一会です。何かの縁で出会う出会いを大切にしようと感じました。また、後悔しないように限りある命だと思って精一杯愛情をかけようと思いました。
29歳女 青春時代の愛猫のペットロスについて
私は、20代後半の専業主婦でありますが、ペットロスにより悲しみに明け暮れておりました。そんな私は、どうやってペットロスを解消するような形で立ち直ったかをお話しさせていただこうと思います。私がペットロスでペットをなくすまでに愛用していた猫としましては、雑種の猫で当初は、家に迷い混んできました。迷いこんできた当初は、私が中学生の頃で、一度は断腸の思いで近くの神社まで自転車で届けて見送ったのですが、数日後に家の縁側におりましたので、そこから抱き締めて再会を噛み締めるような形で、家族で迷い猫として再び再会した猫を飼うことになりました。再会を果たした雑種の猫とは、放し飼いするような形で、野放しに近いような状態で、家と近所を常に行き来するような形でした。熾烈な猫同士の縄張り争いにも勝つような形で、かなり重い傷を負うこともあり、家の押し入れで一週間程蹲っている時もありましたが、復帰を果たし、家の近所を徘徊するようになりました。そこから、向かい側の家から排泄物の件で苦情が来て、弁償しろとか言う問題にも発展したのですが、何とかそれも丸く収まり、そこからは平穏に放し飼いする形になりました。放し飼いで飼い始めた時は何も思っていなかったのですが、実は非常に、猫のノミが多くて、自宅の私の部屋にも蔓延しました。その時はノミだらけで、正直夏場で暑くて痒いと言うことがあって寝れませんでしたが、それも我慢して過ごすこととしました。やはり家猫としてちゃんと飼っていれば、問題行動等を起こさずに済んだのかなと実感しております。また、小さい猫を連れてかえってきたことがあったのですが、誰かにまた拾われるような形で奪われてしまいましたので、猫にとってはかわいそうなことをしたなと思いました。ペットロスとしましては、ある日突然やってきました。猫は自分の死期が近くなりますと、突然どこかへ行ってしまうのです。放し飼いをしておりました猫につきましても突然姿を消し、自宅から長年連れ添ってきた猫が居なくなりましたので、非常に辛いペットロスを体験しました。しかし、今となりましては、死期に立ち会わないで良かったかなと思っております。やはり死ぬ間際に立ち会うのが一番辛いのでそう言う意味では放し飼いで救われたメリットであると思います。
49歳女 母の愛とヨガがペットロスから救ってくれた
40代女性です。長年家族同然に生活していたネコを失ったときから私のペットロスは始まりました。ペットロスと言うよりも家族ロスと言った方が良自然なくらいネコを病気で失った寂しさと後悔で心が押しつぶされそうでした。泣いて泣いて泣き疲れてもまた泣いて・・・。これ以上涙は出ないはずなのにどこからかあふれてくる涙。来る日も来る日も亡くなったネコのことばかり考えて一時は頭がどうにかなってしまいそうでした。母に、「私が死んだらネコの骨と一緒にして欲しい」と頼みました。同じ骨壺に入れてという意味ではなく、「別々の骨壺だけど同じ墓に入れて欲しい」と頼んだのです。母が先になくなってしまったときのことを考え娘にも同じ事を頼んであります。ペットロスに陥っている人は少なくないでしょう。これだけイヌやネコなどペットを飼っている人が居るのだから同じだけペットロスに陥る人が居ると思います。その人達がどうやって立ち直るのか分からないけれど、私はやせ細って別人のような自分を鏡で見たときこのままではダメだと我に返りました。近所に住んでいる母が食べ物を持ってきてくれなかったら私は倒れていたかもしれません。母が私の状態を心配してせっせと食べ物を運んできてくれて一緒にいてくれたから今の私が居ます。あのときほど母の存在を有り難いと感じたことはありません。母の助けにより少しずつ人間らしくなっていった私は気晴らしにとヨガを始めました。瞑想する度に亡くしたネコのことが浮かんできて涙が流れていましたが、数ヶ月経つ頃には泣かずに瞑想できるように。ヨガ仲間の存在も有り難く、ヨガを続けることでゆっくりだけどペットロスを乗り越えることが出来たのです。今でもネコのことを考えると涙が出ます。だけど昔ほどメソメソしなくなりました。ヨガを始めたことで気持ちが少し前向きになっていったんだと思います。ペットロスは辛いけどいつか必ず乗り越えられると私は信じています。
50歳、女性、新しい出会いをすることで寂しさが癒えていきました
私は家族4人で地方に暮らしている専業主婦です。初めはわが家の子どもが欲しがったことからハムスターを飼いました。飼育箱のセットなどは子どもたちがやりましたが、掃除も時々はするけど忘れたりして、毎日の餌やりや水替えなどの必須のお世話は結局私がするような形になり、そのおかげで情が移ってかわいいと思いました。子育てのようなもので毎日の様子をつかむことが大事だと思ったので、朝一番に様子を見て、何時間かおきには見るようにしていました。学校に行って不在の子どもに見せようと写真も私が一番たくさん撮りました。よく考えるとこのハムスターとは私が一番長く一緒にいたことになります。ハムスターの寿命は短いとは分かっていたので、2歳頃からは特に毎日の動きに注意して見ていましたが、運動量も餌の寮もガクンと落ちたなと分かり、そろそろだと思っていた矢先に死んでしまいました。朝見た時には緩慢ながらも動きがあったのですが、その数時間後にうずくまって息はしていて、数十分の間に息を引き取りました。そのすべてを見ていたので、何もしてあげられない残念さと、それでも天寿は全うしてくれたという気持ちでした。飼育不良ではないことは分かっていたので後悔はないのですが、やはり死に直面すると悲しかったです。帰宅した子どもも泣いたので慰め役になりましたが、実際に命の終わりを見届けた身としてはつらかったです。小動物とたった2年ほどでしたが、情が移っていたこともあり、しばらくの間は良く涙が出て、子どもが家に居ない時などには声を上げて泣きました。飼育スペースが空っぽになっているのを見ても涙があふれてくる日が何日も続きました。後悔はないものの、寂しかったです。子どもも同じように寂しい思いをしていたようでしたし、別れる悲しさよりも育てる楽しさをまた味わえば楽しいのかもと少し思えるようになって、新しいハムスターを飼うことにしました。前の子と比較しながら子どもと話したりしてお世話をする毎日の中で少しずつ寂しさが薄れていきました。
29歳女 子供達の力ペットロスを落ち着かせることができた
現在3人の子供と共に生活しています。以前は2匹の猫と、元夫も一緒に暮らしていました。1一匹の猫は元夫が引き取り、元気に暮らしています。もう一匹は他界してしまいました。真ん中の子供が現在4歳。1才になる前に、捨て猫だったオスの茶トラを拾い、一緒に暮らすようになりました。もう我が子のように可愛がり、寒い時期には一緒に寝たり、子供と一緒になって追いかけっこをしていたり。本当にペットとしてではなく、一人の家族と言えるほどでした。子供が増えても動揺することなく、様子を見に行ってくれたり、しっかりお兄さん猫をしてくれていた子です。離婚成立後、一緒に引越しをして暮らす予定だったのですが、元気だった若い3歳の茶トラの猫が急病で亡くなってしまいました。その10日ほど前、体調を悪くしたことがありましたが、しっかり通院し病院も終わって、復活したはずだったのに、しばらく普通に過ごしたかと思っていたら、急嘔吐していました。あれ?と様子を伺いつつも、子供の世話や家事に追われていて、気が紛れてしまい、気がつくと夜遅くにはぐったりしていました。元夫の帰宅は毎日遅く、連絡もつきません。帰宅後相談しましたが、夜間救急へいかず、翌朝一番に動物病院へ駆け込んだらいい。と言われ、子供も置いていけないので、そのまま寝付きました。翌朝、普段なら好きなところで寝ているはずなのに、私の目が冷めると、なぜか隣に寝ていました。そして、おはようと声をかけると、顔をあげることもなく、動くこともなく、虫の息の状態でした。急いで自分と子供達の朝食や、身支度を済ませ、動物病院へ走るぞ!というとき、激しく痙攣?してそのまま息を引き取ってしまいました。ダメ元だということはわかっているけれど、子供達を急いで車に乗せて、動物病院へ藁にもすがる気持ちで走りました。もしかしたら助かるかもしれない。子供達と一緒に、猫に声をかけながら駆け込みましたが、先生は「残念ですが…」と。子供達と猫と一緒に自宅に帰り、一緒になってわんわん泣きました。子供のめも気にせずしこたま泣きました。離婚して一緒に暮らすはずだった、家族の癒しの猫がこの世から消えてしまった事実が悲しくて、辛くて、本当に何もしたくありませんでした。引越しご、本当ならここにあの子も一緒にいるはずなのに。そんなことばかり考えて過ごしていました。が、そんな風にいつまでも暮らしていられないので、子供達と一緒に、スマホの中にある猫の写真をかき集めて、存分に眺め、自宅に写真を飾り、一緒に生活することにしました。悲しくもありますが、子供達が散歩で花をとってきたり、絵を描いてプレゼントしたりしている姿を見て、いまでも一緒に暮らしている。と思っています。亡くしたすぐは、本当に泣いてばかりで、食事すら作れないような状態でしたが、子供達と一緒に思い出を存分に語りながら、自宅からその子の存在を無くさないことで、なんとか落ち着いています。
41歳男性 愛犬に、自分がしてあげれることをしてあげれた
41歳男です。我が家には、ボーダーコーリがおりました、最初にきたのは、13年ぐらいまえです。赤ん坊のまま来ました、なかなか、しつけの難しい犬でしたが、大変頭のいい子でした、3歳ぐらいには、小さい子供より、頭がよくなっている感じでした、小さい子供も一緒に住んでいるのですが、子供を守るようなしぐさは、番犬として、とてもかわいくもあり、家族の一員に、いつのまにかなっておりました、休日は、どこへいくのにもいっしょでした、おもに、大きな公園が多かったです。家でお弁当をつくり、車にのりこんで、出発です。公園では、子供とじゃれたり、私とフリスピーで遊んだりします。犬がはいっていい、プールにもつれていったりして、楽しい思い出をつくったものです。散歩も毎日朝、出勤前には1時間ほどつれていったあげました、私のウオーキングにもなって、ちょうどよかったです。愛犬家の方たちともウオーキングでしりあって、人間関係の幅が広がりました、ただ犬の寿命は、人間とくらべて、ずいぶん短いのです。10年から15年ぐらいだといいます。11歳になったころから、散歩も行かず、家に伏せるようになりました、動物病院にもつれていきましたが、そろそろ、年だということでした、やがて、12歳になるころには、ご飯をたべなくなってきました、そうして、痙攣までおこすようになりました、動物病院の先生は、年だといって、どうしようもないといわれました、私にしてあげることはなにかな?と自問自答して、家で看取ることにしました、数日後、私は近くで寝ていましたが、起きたら、息を引き取っていました、私は、愛犬との思い出を、思い出し、涙をながし、しばらくの間、放心状態になりました、犬は、火葬して返骨してもらって、庭にうめてあげました、これからも、ずっといっしょです。放心状態になりましたが、してあげられることは、全部してあげた、愛犬も天国でよろこんでいるはずと、自分を言い聞かせて、ペットロスから立ち直ったのです。
34歳女 高校生の思い出と愛犬の絆
34歳、専業主婦です。高校生の頃に黒い色の大きな犬を飼っていました。とても人懐っこく、私をみるとワンワンと元気に吠えてアピールしてくれる犬でした。雄犬だったので、力が強かったけれど散歩も私にあわせてくれて毎日とても元気をくれました。出会いは親が貰ってきたのがきっかけで、真っ黒でコロコロしていたのがとても印象に残っています。犬が大好きなので、本当に嬉しかったし毎日抱っこしたり散歩したりして、過ごしていました。よく食べるのもあって、どんどん大きくなっていきました。大きいのにとても怖がりな犬で、車が来ると、家に入って出てこなくなってしまったり吠えてしまったり、そんな一面もあってとても印象に残っています。そんな毎日を過ごしていて何年かたったとき、体調が悪い時期が続き散歩もできなくなり、ご飯も食べなくなっていきました。好きだったブラッシングを横になっているままの状態で毎日してあげました。体が伸びて、もうそろそろお別れかもしれないね。と、家族で話していました。その時私は高校生だったので、休むことは出来ず、朝声をかけて頭を撫でて学校に行きました。帰って来ると、朝撫でた頭はそこにはなく親に聞くと、あの後すぐに亡くなったんだよ。と聞かされました。何だかなんとも言えない気持ちになりました。痛みを一緒に感じたかった、寂しさを感じたかった、そんなことが頭をぐるぐるまわりました。親に家の裏に埋めたからと後から聞いて、好きな餌と花を持ってそこにおきました。手をあわせてありがとう!と伝え、笑って別れました。もしペットロスで苦しんでいるなら、悲しみよりも、一緒にいた時間楽しかったことや、いたずらされてこんなこともあったなと思ったことなどを思い浮かべてください。その方がペットも、楽しいと思うんです。飼い主が元気な方がきっと嬉しいと思うし飼い主と楽しかったことや、嬉しかった事があった方が報われると思うんです。
30代・女・新しい家族がペットロスを乗り越えさせてくれた
はじめまして。私は30代の主婦です。現在は主人の仕事の都合で地元を離れ賃貸アパートに住んでいます。私は10代の頃経験したペットロスをお話ししたいと思います。その子との出会いは7歳の時でした。記憶の中にあるのはブリーダーさんのところへ父の運転する車に乗り迎えにいっている所です。当時、犬を飼いたかった私はその子を家族と迎えられることになりすごく嬉しかったのを今でも覚えています。散歩やご飯担当し、幼いながら一緒に成長していきました。時には、友達との遊びの最中に連れて行ったはいいがリードのつなぎ方が悪く脱走されたり。学校で嫌なこと、嬉しいことがあったときは報告して。本当に私の人生に大きくかかわってくれました。脱走したとき、たまたま良い方に見つかって近くまで連れてきてくれました。あの時の愛犬の顔は可愛くてたまりませんでした。そんな思い出がたくさんの日々でしたが11年の月日が流れると愛犬も寝てる時間が長くなったり、家族が帰ってきた音ににぶくなったりしていました。食欲も以前より落ちてきていたのですが我が家では毎年庭でバーベキューをするのですが庭でおいしそうな匂いがすると愛犬も食べ物を欲してました。それは毎年のことで、その時はせっかく食欲があるときだからと思い愛犬が好きだったおやつを食べさせながらその時を楽しみました。しかしその日を境にご飯を受け付けなくなり愛犬は天国に行きました。涙が止まらず…信じられませんでした。今までありがとうね。最後にお風呂入りたかったよね。ごめんね。自分の悲しい気持ちと今までの思い出を語りかけながらずっと硬くなった体をなでました。次の日仕事の父とは別に私は自分で火葬場に連れていき最後の別れをして涙しながら職員の人と一緒に骨を拾いました。その後も家に帰るたびに犬小屋のほうに目を向け…というか目を向ける事が習慣だったんですね。帰ってきて、嬉しそうにしっぽを振る愛犬に ただいま。と声をかけるそれが当たり前でした。そのがもういない…喪失感というか、生活にぽっかり穴があいたような。そこにいないことが不自然すぎて。家に帰ってきた感じがしないのです。もっといろんな所に連れて行ってあげたかった美味しいものを食べさせてあげたかったシャンプーも頻繁にしてあげればよかった写真をもっと撮っておけばよかった人もペットも同じですね。やりきることはできない。そう感じました。人それぞれだと思いますが、私はどうしても犬がいない生活が自分の人生ではありえなかったので数年後、新しい愛犬を迎えました。そこに踏み出すまでは悲しい気持ちは蓋をしないでとことん愛犬を思い出しました。悲しみのどんぞこから時間が経つにつれ不思議と犬を飼って後悔しているか考えたんですそしたら私にとっては犬との生活は楽しい事しか思い浮かびませんでしたなのでまたお別れする日がくるだろう。でも愛犬にしてあげたかった事があるならばなおさら次の家族になる子を迎え楽しく笑って暮らし、前の子にしてあげれなかったことをしてあげようと思いました。現在私が飼っている子は室内犬です。以前飼っていた子は中型犬で室外で飼っていたので、絶対に室内犬!!と決めていました後悔してたことを悔いのないように実践しています。といっても現在実家に預けています。今のアパートは会社契約でペット不可なので少しの間離れ離れです。3か月後にはマイホームが出来上がります。早く一緒に住むのが楽しみです。ペットロスは思いっきり悲しんでいいと思います。蓋をしたら先に進めません。急ぐこともなくゆっくりゆっくり。自分の気持ちに向き合うことで見えてきます。新しい家族を迎え入れる事は一番の前進でした。大好きなペットとお別れしてもまた素敵な日々が送れますように…
29歳女 愛猫との別れの日は突然に
29歳主婦です。わたしが猫を飼っていたのはもう20年近く前になる、小学生の頃です。元々両親は動物を飼うことは反対だったので、それまで動物と関わることのない生活を送っていました。そんなある日、姉が子猫を連れて帰ってきました。話を聞くと、友達と出かけた先で子猫を見つけたと。人懐っこい子で、初対面の姉や友達でも触らせてくれたそうです。一通り遊び、帰ろうとするとなんとその子猫が追いかけてきた!周りに親猫も見あたらない、まだ手のひらに乗るほどの小さな子猫。どうしても放っておけず、連れ帰ってきたのでした。もちろん両親は反対。だけど最初に見つけた姉からしたら、自分を選んでついてきてくれたその子を見捨てるなんてできない。結局、姉の泣き落としに負け、両親は飼うことを許してくれました。いざ飼い始めたら両親も可愛くて仕方がないようでした。どうしてもだんだんと、お世話をする人が両親になっていきます。子供は可愛がる担当です。やはり、お世話をしてくれる人のことは猫だって好きですよね。甘えてきてくれる猫に、特に父はメロメロでした。そんな両親がどうして動物を飼いたくなかったのか。不思議に思って聞いたことがあります。返ってきた返事は、「死んじゃうと悲しいから」。そこで、初めてペットの死を考えました。どれほど長生きしても、いつかお別れする日がくるんだ。動物を飼うということは、いつかくるその子を看取る日まで責任がついてまわるのだと、その時初めて感じました。そして2年ほどの月日が流れ、その日は突然にやってきました。もともと野良猫だったこともあり、外にも出られる環境にしていました。賢い子で、走る車には決して近づかず、いつも家の前で遊んでいたのですが、その日は違いました。急に道路に飛び出していき、そのまま走ってきた車の下敷きに。駆け寄った時には既に呼吸が乱れていて、そのまま家族が見守る中天国へ旅立ちました。まさかこんな急に別れることになるとは、家族の誰一人として思っていなかったので、本当に心が追いつきませんでした。こんなことになるなら、家の中だけで飼えばよかった、もっと相手をしてあげたらよかった、たらればばかり浮かび涙が出ました。たった2年、それでも2年、毎日当たり前のようにいた子がいなくなるのは悲しく、とても寂しかったです。それでも比較的早く気持ちが落ち着いたのは、その子が子供を残していってくれたからだと思います。悲しくても残された子猫のお世話は待っているし、また、いなくなってしまった猫の面影の残る子猫はとても可愛かったのです。いなくなってしまった猫の分、この子に愛情を注ごうと思いました。そして、同じ後悔をしないようにこの子との毎日を大切に過ごそうと思いました。ペットのいなくなる悲しみは、ずっとなくなりません。今でも、亡くなってしまった猫を思うと悲しいです。だから、その悲しみはなくさなくていいと思います。そのうち悲しみだけじゃなくて、一緒に過ごした日々を懐かしく思える日がくると思います。どうしても前を向けない時は、新しく家族を迎え入れることも考えてみてほしいです。いなくなってしまった子の代わりはいないけど、あなたの愛情を受け止めてくれる子はいます。いつかまた別れがくるけれど、それは人間も同じです。だからこそ一緒にいられる一瞬一瞬を大切に、後悔しないよう過ごすしかないのだと思います。たくさん泣いて悲しんで、落ち着いたら一緒にいて楽しかった日々を思い出してください。それから、悲しみをどこか片隅に残したままでいいので、楽しいことをしてみてください。あなたの心がいつか晴れますように。
46歳 女性 周りにも視野を向けてペットロスを解消
子どもの時に、近くの家の犬が出産し、1匹だけ見た目も違うし、なんとなく遠慮がちな子犬を見て、すごく気になりました。そこのおばさんに、この子、ちょっと他の子にもいじわるされがちだから、もらってかわいがってもらえたら有り難い、みたいなことを言われて、両親に頼み込みました。田舎の家で、家の中で飼うという認識がなかったので、父が、車庫に犬の家を作ってくれて、母がその家にあわせて布団を作ってくれました。まだまだ、子犬だったので、本当にかわいくて、時間がある時は、ずっと犬のそばにいました。シェパードのように真っ黒なハーフ犬でしたが、とにかく犬なのに犬らしくないというか、おだやかで吠える事も少なく、家族が犬の近くに行くと、満点の笑顔でそんなにしっぽをふって自分にバチバチあたって痛くないの?というくらい表現してくれる子でした。散歩に行っても、前足からこけたり、つまづいたり、雨の日は散歩をいやがったり、小さい頃は、えさをお箸であげてたので、お箸で口の前まで持っていってあげるまで、よだれをたらーと垂らして待っていたり、本当に愛おしい子でした。一度、散歩中に変な人に会ったことがあるのですが、飼い主を守るどころか、いちもくさんに逃げて、いつも立ち寄る駄菓子屋さんのところまで逃げていました。笑 おかげで、変な人と絡む時間もなく、犬が迷子にならないように必死で追いかけたので、私も事なきを得ました。車に乗ったら、車酔いでヘロヘロになるし、やたら手のかかる子でしたが、本当にかわいかった。私が泣いていると、首をかしげながら、そばにきてまるまってくれたり、水遊びがてら、身体を洗うと怖がってかたまるし、ブラッシグをすると、ぐでんぐでんになり寝てしまったり。彼は、大切な家族で友達でした。嫌なことがあると、犬の家で過ごしました。彼を見ていると落ち着きました。でも、6歳を過ぎた頃、彼の様子がおかしく、病院に連れて行くと、ガンだと言われました。どんどん体力がおちていき、散歩も行きたがらなくなりました。母親は、なでていると落ち着いた顔をする、というので、なでていましたが、逆にそれくらいしか、私にはできませんでした。ある日、学校から帰って、家に入らずに撫でていると、母親が、さっきまで息してたんだけど、あんたを待ってたのかな、、、と声をかけられました。まだ、あたたかくて、なでていたら、目をあけてくれるかと思いました。静かに息を引き取った、と母から聞きました。私の後悔は、あの日、学校に行った事、です。家族で彼の悲しみを共有したわけではないですが、父が悲しんでいるのも、母が悲しんでいるのも感じました。それが、私の力になり、彼の死をこえる事ができたと思います。自分だけで、解決しなくていいと思います。知らない人にでも聞いてもらっても気持ちがおだやかになるかもしれないです。きっと、飼い主が悲しみに暮れているのを、亡くなった子達が望んではいないと思います。