ペットロスを克服した体験談
36才女、ペットロスは新しいペットで埋めるしかない
私は地方のとある田舎で、両親と祖父母と一緒に暮らしている36才の女性です。我が家では青色のセキセイインコを飼っていました。そのインコは人懐こいことと、外に出たがることがあり、締め切った部屋の中で時折カゴから出して、室内で遊ばせていました。カゴから出ると、手に乗って遊んでくれたり、撫でさせてくれたり、ティッシュをちぎって遊んだりと、仕草のすべてが可愛らしくて面白いものでした。しかし、別れは突然訪れます。ある日、酒に酔った父が、玄関のドアを閉めないまま、カゴからインコを出して遊び始めたのです。インコはそのままドアから外に飛び出して、出ていってしまいました。1ヶ月ほど待ち続けましたが、インコは戻ってきませんでした。家族みんなで父を責めました。でも自分の過失で逃してしまった父の方が、精神的に参っていることは目に見えてわかっていたので、責めることもだんだんできなくなりました。家庭で飼われていたインコが野生で暮らすことは難しいはずなので、1ヶ月待っても戻らないことがわかった時は、もう生きていないだろうと理解しました。インコがいなくなってから、我が家は暗くなってしまいました。自宅には他にも犬やうさぎがいたのですが、かけがえのない1羽がいなくなることはそれほど寂しくて辛いことなのだと痛感しました。インコがいなくて後悔したのは、思い出をほとんど残していなかったことです。残ったのは鳥かごと数枚の写真だけでした。写真にはインコの姿かたちが映っているので悪くはないのですが、できれば動画として残しておきたかったです。我が家のインコは話しかけると、挨拶するようにさえずりをしたり、首をかしげる仕草をしていたのですが、それは写真からではわかりえません。ただ、実物のインコはもういないのに、思い出ばかりにふけるのは虚しいものがあったりもしました。結局ペットロスを少しでもなくすために、新しいインコを飼いました。新しいインコは前飼っていたものほど人懐こくはないのですが、少しでもロスから立ち直りたいです。
27歳女性、撮りためた写真と動画が前向きな気持ちに導いてくれた話
私が小学校1年生になった年に、家に新しい家族がやってきました。ミニチュアダックスフンドの男の子です。物心ついた時から、ずっと犬が好きで「いつか犬を飼いたい」と、うるさいくらいに両親に何度も何度もお願いをしていました。また、出かけた先でペットショップがあると、必ずショーケースの前まで足を運び、飼う予定が決まっている訳でもないのにただ眺めるといった、少々店員さん泣かせ?な行動もしてきました。そのような中で、「犬を飼う」という夢がやっと叶ったので、とにかく嬉しかったです。学校から帰ったら、ケージが置いてあり、眠っている犬を見つけた時は、漫画のように「これって夢なのかな」と、現実に起きていることとは思えないくらい衝撃を受けました。家に来た時は、まだ子犬だったので本当に小さく、そして寝ている時間が多かったです。可愛くて仕方がない私は、犬の体を「ツンツン」と優しくつついてみたりと、家にいる間はほとんどそばを離れませんでした。見かねた母に諭されてからは、ちょっかいを出したい気持ちを抑えながら、とにかく犬を眺めていました。学校から帰ると、いつも尻尾を振って迎えにきてくれることがとにかく嬉しくて、いつも家に帰るのが楽しみでした。朝や夕方の散歩は、母や姉、父が休みの時は父と行ったり、犬の散歩の時間を通して、家族でのコミュニケーションの時間も増えました。しつけ担当は主に母や父だったのですが、とにかくやんちゃな子だったので、最初はしつけに苦労している様子でした。スリッパをビリビリに破いたりと、いたずらっ子な一面も多々ありましたが、末っ子の私にも優しく接してくれる子でした。私が泣いていた時は、スッとそばにやってきてぴったりと体を寄せてくれる、人の気持ちに寄り添える、心優しい子で何度も助けられました。家に来てから10年が経つ頃、悪性のリンパ腫で亡くなりました。ものすごく大きな喪失感を感じました。撮りためた写真や動画を見返すことで、時間はかかりましたが、どこかで見守ってくれていると信じ、明るく前向きに生きようと思えるようになりました。
20代 自分の今するべきことをしっかり行うのがペットロス解消のカギに
20代 北海道 大学生 ペット歴15年 私は生まれた時からペットとともに生活していました。ペットというのは、ネコになります。1匹は公園で拾われた野良猫。色は濃い茶色です。このネコとは小さい時からよく遊んでいました。というのも、祖父の家でそのネコは飼われていました。祖父の家も近かったことから、よくそのネコとあそんでいました。 そんな中、私が15歳のの時にそのネコがなくなってしまいました。自然死でした。歳も歳だったのでよく頑張ってここまで生きてくれたなと思います。亡くなってからはとても寂しかったです。正直今でも寂しいです。忘れたくても忘れられないと思います。ですから、私は今やるべきことに集中することにしました。私は当時学生だったので受験勉強に打ち込みました。ほかにも、読書をしたり運動をしたり、1番いいのは人と関わるのがいいかもしれません。ペットとともに過ごした半面いなくなると寂しくなると思います。なので人と会ったり、電話すると気持ちが明るくなると思います。 気持ちを改めてリセットしても後悔することはありました。私は、そのネコの最期に会うことができず声をかけることができなかったです。最期に「今まで本当にありがとう」と声をかけてあげたかったです。それが私の唯一の後悔していることです。 最後にこの文章を読んでいる方々へ。ペットと過ごす日々はとても楽しいですよね。時に、ペットが歳をとっていくと「いつ死んじゃうのかな」と考えてしまう時もあると思います。考えて気持ちが落ち込んでしまう時もあると思います。私はそのようなことを考えるなら、今生きているペットとと楽しい時間をたくさん過ごしてほしいと思います。今という時間は二度と戻ってこないです。動物は人よりもはるかに寿命が短いです。たくさん愛して、遊んであげてください。たくさん写真を撮ってあげてください。たくさん話しかけてください。毎日楽しく過ごせばペットが亡くなった時に、”後悔”の二文字はなくなると思います。
49歳女性 天国から見えるように 上を向いて笑った
私は40代後半、犬猫大好きな女性です。私は以前、犬を飼っていました。シェットランドシープドッグのオス、蘭丸です。私の家族は昔はすれ違いばかりでみんな家には寄り付かず決して仲の良いとは言えない関係でした。ある日、友達の家で犬が数匹生まれたので一匹もらって欲しいと言われ、ワクワクしながら引き取りに行きました。まだ手のひらに乗る程の大きさで、うんともすんとも言わずプルプル震えながら私にもらわれてきました。その日はたまたま(滅多に無いことですが)家族がそろっていました。 あんなに震えていたのに家に着いたらいきなり元気になり、家族に尻尾をちぎれそうなくらいフリフリして顔や手をペロペロなめはじめたのです。その愛らしさに家族も癒されとても可愛がりあんなに冷めきった家族だったのに、みんな蘭丸がいるからちゃんと家に帰ってくるようになり会話も蘭丸の事が中心ですがとても増えて明るく仲の良いか家族に変わっていったのです。蘭丸はとても甘えん坊なので家族の誰かが外から帰ってくる時には一早く足音や車の音で気付き玄関でワンワン鳴き尻尾を振りながらお出迎えをします。そしてドアが開くとその隙間に鼻を入れてこじ開け抱っこをおねだりしてきました。抱っこするまで足元から離れないので私たちはどんなに疲れていても蘭丸をしばらくだっこしなければなりませんでした。大きくなっても同じだったので重たくて大変でした。蘭丸はとても臆病で怒りん坊だったので新聞配達の原付の音や雷の音が怖くてイライラしました。牙をむいて鼻の上をしわくちゃにして大きな声で吠えて走り回ったのですごくうるさくてかなわない時もありましたが、一仕切り吠え終わると悪いことをした後のごめんなさいをしてきました。蘭丸はとても食いしん坊だったので私たちの食事やおやつを欲しがりおねだりのお手をしつこく繰り返してどうにかして手に入れようとしました。その全てがとても愛おしかったです。そんな蘭丸が歳を取りだんだん大人しくなり動かなくなっていき天国へ行ってしまったあの時を今でも忘れる事はできません。もうお葬式も済み家には蘭丸はいないのに帰宅するといつものようにドアの隙間から鼻が出てきて欲しかったし原付の音でワンワン吠えて欲しかったし大好きだったバターたっぷりのトーストのおねだりをして欲しかった年月が長く続き、それは叶わないのだと泣き続けました。もう一度この手に抱きたい、散歩したい、お風呂にいれたげたいといつまでも願い続けました。ある日、いつものように蘭丸の思い出話を家族としている時に父が、うちの家族は蘭丸のおかげでひとつになれた、蘭丸はいつも笑ってる私たちが大好きだった、だから蘭丸が天国からよく見えるように私たちが上を向いて元気な笑顔を見せてあげなきゃいけないねと言いました。くよくよしていたら蘭丸がきっと天国で心配してお友達と遊べないような気がしたのでその日からは蘭丸の為に泣くのではなく笑う事にしました。あれから15年近くになりますが今でも笑って蘭丸の思い出話をしています。今、ペットを亡くして悲しい思いをしている方、たくさん泣いてたくさん悲しんで、そのあとはたくさん笑ってあげて下さい。天国へと旅立ったその子はきっとあなたの笑顔が一番好きだったから。あなたの笑顔が見たくてたくさんのおりこうさんをしたのだから。
愛犬との別れを経験して
10代の頃経験したペットロスをお話ししたいと考えます。その子との出会いは7歳の時でした。記憶の中にあるのはブリーダーさんのところへ父の運転する車に乗り迎えにいっている所です。その頃、犬を飼いたかった私はその子を世帯と迎えられる事になりすごく嬉しかったのを実際でも覚えています。散歩やご飯担当し、幼いながら共にレベルアップしていきました。ちょくちょくは、仲間との遊びの最中に連れて行ったはいいが舵取りのつなぎ方が悪く脱走されたり。学校で嫌な事、ハッピーな事があったケースは報告して。現実に私の一生に大きくかかわってくれました。脱走した事例、たまたま良い方に見つかって近くまで連れてきてくれました。あの時の愛犬の顔は可憐にてたまりませんでした。そのようなメモリーがいろいろの毎日でしたが11年の年月が流れると愛犬も寝てる時がずーっとなったり、身内が帰ってきた音ににぶくなったりしていました。食欲も以前より落ちてきていたのですが我が家では毎年庭でバーベキューをするのですが庭でおいしそうな匂いがすると愛犬も食べ物を欲してました。それは毎年の事で、その時はやはり食欲があるケースだからと考え愛犬が好きだったおやつを食べさせながらその時を満喫ました。けれどもその日を境にご飯を受け付けなくなり愛犬は天国に行きました。涙が止まらず…信じられませんでした。実際までありがとうね。最後にお風呂入りたかったよね。ごめんね。自身の悲しい心境と現在までのメモリーを語りかけながら常に硬くなった体をなでました。次の日業務の父とは別に私は自身で火葬場に連れていき最後の別れをして涙しながら職員の人と共に骨を拾いました。その後も居宅に帰るたびに犬小屋のほうに目を向け…というか目を向ける事が習性だったんですね。帰ってきて、嬉しそうにしっぽを振る愛犬に ただいま。と声をかけるそれが自然でした。そのがもういない…喪失感というか、暮らしにぽっかり穴があいたような。そこにいない事が不自然すぎて。居宅に帰ってきた感じがしないのです。一層様々な所に連れて行ってあげたかった美味しいものを食べさせてあげたかったシャンプーもしきりにしてあげればよかった写真を一段と撮っておけばよかった人もペットも同じですね。やりきる事はできない。そう感じました。人各々だと考えますが、私は必然的に犬がいない暮らしが自身の生涯ではありえなかったので数年後、新しい愛犬を迎えました。そこに踏み出すまでは悲しい心情は蓋をしないでとことん愛犬を思い出しました。悲しみのどんぞこから時が経つにつれ不思議と犬を飼って悔やみしているか考慮したんですそしたら私にとっては犬との暮らしは楽しい事しか考え浮かびませんでしたなのでさらにお別れする日がくるだろう。でも愛犬にしてあげたかった事があるならばなおさら次の世帯になる子を迎え楽しく笑って人生、前の子にしてあげれなかった事をしてあげようと考えました。直近で私が飼っている子は室内犬です。以前飼っていた子は中型犬で室外で飼っていたので、必ずに室内犬!!と決めていました悔やみしてた事を悔いのないように実践しています。といっても現時点でうちの家屋に預けています。現在のアパートは企業契約でペット不可なのでわずかの間離れ離れです。3か月後には持ち家が出来上がります。早く一緒に住むのがエンジョイです。ペットロスは思いっきり悲しんでいいと考えます。蓋をしたら先に進めません。急ぐこともなくゆっくりゆっくり。自身の心境に向き合う事で見えてきます。新しい身内を迎え入れる事はお薦めの前進でした。大好きなペットとお別れしてもその上すばらしいな毎日が送れますように…。
49歳、男性、ペットロスを解消するためには時間だけが必要でした
私は40代、男性、会社員です。それまで自宅で飼っていた愛犬、コーギーを病気でなくしました。我が家のコーギーは実に14年も一緒に生活をした、言ってみたら家族同然の存在だったのです。ですから愛犬とはどこに行くにも一緒でしたし、旅行に行く時に愛犬と同じ部屋で過ごせないのなら旅行自体も取りやめるくらい、私たち家族にとっては愛犬はかけがえのない存在だったのです。もう海外旅行なんてあり得ないという感じでしたね。愛犬のコーギーはハナちゃんと言いました。メスのコーギーでどちらかというとヤンチャな性格。でも私たちにとってはそんなヤンチャな性格のハナちゃんが本当に可愛くて仕方ありませんでした。ハナちゃんと出会ったのは町のペットショップだったのです。本当は犬を飼うつもりはありませんでした。けれど、そのペットショップでハナちゃんと目が合ってしまったら、もう離れる事が出来なくなっていました。もう完全に運命だったのだと思います。ですから愛犬ハナちゃんが亡くなった時は、もうどうしたら良いのか私にはわかりませんでした。しばらく、ハナちゃんがこの世にいないということを受け入れられなかったのです。病院でハナちゃんの亡骸を受け取り、自宅に連れ帰っても、何かハナちゃんが今にも動いて、いつもの生活にもどれるのでは?というような錯覚の中に私はずっといました。火葬を終えたハナちゃんを見た時、ああ、本当にハナちゃんはこの世にはいないんだと思うともう涙は止まりません。それからしばらく、ハナちゃんと一緒に行った海や公園に行っても、横に彼女がいないという現実を私は受け入れられないでいました。けれども、ハナちゃんが亡くなってから一年くらいして、ハナちゃんの姿を見るのが全て写真であることに私は気がつきました。ハナちゃんと一緒に写っている私はいつも笑っています。この時、私はいつまでも私が泣いていては天国でハナちゃんも笑えないなと思ったんです。それから不思議なくらい、私はハナちゃんがいない事を受け入れられるようになりました。多分、こういう気持ちになれたのは、落ち込むだけ落ち込んだかからだと思います。やっぱりペットも家族ですからね、そう簡単に元気になれる訳はないのです。ですから落ち込んでいた期間は私にとって必要な時間だったんだと思います。そしてこれからは違った形でハナちゃんと一緒に過ごして行こうと思います。毎朝、ハナちゃんの写真を見て、私も明るい顔で挨拶をしています。ハナちゃんもずっとそんな私たち家族を見守っていてくれるはずです。
37歳男ペットを飼って良かったことと別れのつらさ
現在37歳の男です。以前ラブラドールレトリーバーを飼っていました出会いは親戚の家で飼っていたラブラドールレトリーバーが子供を生んだのでうちで飼うことになりました。大型犬なので子供の時はとても小さかったのですが、とても大きく成長しました。特に吠えたりもせずに飼いやすかったことを覚えています。好奇心旺盛で散歩が大好きだったので自分の運動不足解消と一緒に遠くまで散歩に出かけていました。自分が仕事から帰ってくると散歩に連れて行くまで小屋の前でずっと待ち続けていたのを覚えています。軽トラックを保有しているので軽トラックの荷台に乗せて一緒にドライブに出かけることもありました。軽トラックが走り出すと尻尾を振ってとても喜んでいました。リードのつなぎ方が甘くて何度か脱走されたこともあります。足が速いので追いかけても追いつくことができなくて困りましたが、おやつを使って捕まえることができました。ずっと元気だったのですが、少しずつ後ろ足を引きずるようになってきました。大型犬は腰や膝の関節が弱りやすいということでした。散歩の距離も段々と短くなっていき、亡くなる前には自宅の庭程度しか散歩できなくなりました。散歩ができなくなった頃から食欲も少なくなり餌も段々食べなくなってきました。飼い始めて13年で亡くなってしまいました。亡くなる前に何かしてあげれることがなかったかと気になっていましたが掛かり付けの獣医さんの話では十分長生きして、できることはやってあげたと思いますよと言われたので少し安心することができました。自分の子供もペットがなくなってしまったことで悲しんでいましたが、命の大切さがわかったのではないかなと思います。また新しいペットを飼いたいとは思っていますが、別れのつらさを経験しているので飼うことを迷っています。機会があれば飼おうとは思っています。子供が大きくなり世話をできるようになった時には飼ってもいいかなと考えています。
32歳男性 どのようにペットロスを解消したか
私は大阪に住んでいる30代の男性です。私がまだ小学生で、ロクにペットの面倒など見られないような年齢だった頃、自転車で40分走ったところにあるペットショップで運命的な出会いをします。犬や猫ではなく、小鳥の雛でした。まだ整っていない羽、体毛さえ生え切っていなくて皮膚が丸見えになっている状態の雛たちが、餌を欲しがって上に口を開け、ピーピーと鳴いてる姿が可愛く思えて、すぐに買って帰りました。しかし、現実はそう上手くはいかず、やっと雛用の餌を用意できて餌をあげていたのですが、数日後、不明な死を遂げてしまいました。子供心ならがら私はとんでもないことをしてしまった。死因はなんだったのだろうと苦しんでいました。本屋で小鳥の育て方などの本を読み漁り、確信を得ました。次は大丈。そして再度私はペットショップへ行き、小鳥の雛を買いました。次は絶対に死なせてはなるものかと必死でした。ある一定の期間を過ぎると体毛も整ってきて、自分で餌も食べるようになりました。小鳥を育てることに成長しました。私の飼っていた小鳥は手乗り文鳥でした。しかし育て方を誤ったのか、指を差し出しても乗りませんでした。手乗り文鳥という名前を覆すほど自由奔放でした。その上、鳥なのに水浴びは嫌いで、とても暴れながら水浴びさせてました。鳥かごごとベランダへ出し、水浴びさせてから乾かしていると、その辺の雀が寄ってきて、鳥同士会話をしていました。いつしか、カゴからも勝手に脱出し、雀の群れに混ざり、そして戻ってくると言った、ほぼ家飼いされてない鳥でした。でも、そんな自由奔放な姿が愛くるしかったです。そんなある日、病気を抱え、獣医に見てもらいました。獣医の方も私たちの表情を見て察したのか、手に手を尽くし、手術してくれましたが、小鳥という身体の小ささ、体力からこのまま手術を続けるとそのまま死んでしまうかもしれないと言われ、自宅で連れて帰り、そしてその時は訪れました。その日から私は学校にいるときも、家にいるときも抜け殻のようした。自然に流れる涙と、ひょっとして夢だったのでは?と、空っぽの鳥かごを何度も見ました。私がこの状況を打破できたのは、自宅に一匹のスズメの雛が迷い込んできたことがきっかけでした。何も考えずまるで本能のように私はその雀を育てました。そしてきちんと自分で飛べるようになった時に、自然と他の雀に馴染ませるように逃がしてやりました。その後、病気で死んでしまった小鳥のことをまた思い出し思いっきり声を出して泣きました。私は命の尊さに大小がないことをその時感じて、ずっと引きずっていてはだめだと立ち直ることができました。
44歳男性、新しいハムスターがペットロスを癒やしてくれました
私は四十代の男性です。私が二十代後半頃の体験を話します。残業残業で帰宅するのが遅く、また帰宅する部屋に誰もいないのは非常にさみしかったです。何かペットが飼えないか調べ始めました。犬猫などは絶対に無理でした。とても世話が出来ません。もう少し手軽に飼えてかわいいものがないか探しました。色々探していくうちに、インコや文鳥、ハムスターが候補に挙がりました。飼育が比較的容易で有ることと、手のひらに乗せられることがハムスターを飼う決め手になりました。週末に近所のペットショップに行き、ジャンガリアンハムスターを購入しました。ゴールデンとどちらにするか悩みましたが、縦縞が気に入りました。その日から私の人生は変わりました。家に帰るとハムスターが待っています。小さい命。無垢な命。短時間でしたが毎日散歩をしました。手のひらからご飯を食べたり毛繕いをしたり、毎日ドキドキしていました。タイミングが悪いと私に原を立てるのも良かったです。犬や猫のような自意識が感じられないところがとても良かったです。あまり気を遣う必要もなく、風通しの良い関係だと私は思っていました。買い始めてから一年ほど経った時に事故が起こりました。私の不注意が招いた事故です。早く起きた朝、寝ぼけた頭で五分でいいからと思って散歩させたのが間違いでした。通常ハムスターを放すときは部屋の隙間という隙間をブロックします。ハムスターが間違えて入って迷子になることを防止するためです。私の部屋はいつでもハムスターを放せるように隙間は覆ってあったのです。しかしハムスターの体が到底入り込めないような隙間は覆ってなかったのです。酷い先入観でした。その朝ハムスターは到底通れないと私が思った隙間に侵入を試みたのです。ギリギリ入ることが出来て、もうでられないような隙間でした。すぐに助け出そうと試みたのですが、遅かったのです。その日も仕事がありました。否応なく出勤します。その日は仕事になりませんでした。集中しようと思ってもどうしても出来なかったのです。二週間ほど仕事の能率が上がりませんでした。小さな生きものを自分の落ち度で死なせてしまった、それもあんなに酷い形で。なにをやってもしばらくはつらかったです。会社の先輩に新しく何かを買いなよ、と言われてもしばらくはそんな気になれませんでした。しかし半年ほど過ぎたときに、同じジャンガリアンを飼う決心がつきました。今度はもっと念入りに囲いをつくって、そこで散歩をさせるようにしました。最初は申し訳なさも有りましたが、だんだんハムスターのかわいさがまさりました。私は段々癒やされていきました。ハムスターはそれから二年強ほど生きました。今度は寿命まで世話が出来て良かったです。そしてこのときは別れる寂しさはありましたが、ペットロスはあまり大きくありませんでした。
31歳女性 息子の存在がペットロスの悲しみを癒しました。
31歳既婚の女性です。私は1年前に実家にいた女の子のスピッツ犬を亡くしました。老衰でした。18年間生きて長生きでした。とても元気でお散歩好きな、よく笑う子でした。出会いは小学校6年生の時、母親と行ったペットショップでじっと見つめられ、私と母が運命を感じてすぐにうちの子になりました。小さい時はか弱くて、食も細く、家族全員で心配して必死でごはんを食べさせました。だんだん好みのものや食べさせるコツが分かってからはよく食べてくれるようになり、すくすく元気に成長してくれました。真っ白なでフワフワで愛想も良いのでご近所でもみんなから覚えられて可愛がられました。私が中学校に入ってからは、散歩は母が行くようになりました。散歩が大好きなので、グイグイ引っ張って行くし、帰ろうとすると嫌がるのでさんほするのはなかなか大変でした。私は中学校から厳しい部活に入り、その後高校、大学、就職、結婚となんだか忙しくしていて全然散歩には連れて行かなくなりました。今思うともっともっと大好きなお散歩に連れて行ってあげたら良かったなと思います。結婚して家を出てからは実家にほとんど帰りませんでした。1年ほど経って実家に帰った時に、あまりにも年老いて小さくなっていたのでショックで悲しくなってしまいました。目が悪くなってしまって壁に向かって歩いていってぶつかったり、足が弱ってフローリングの床でうまく歩けなくなっていました。夜中に鳴き声がするので慌てて見に行くと、トイレまで歩いていけずにおもらしをして、そこで滑ってもがいていました。私は泣きながら起こして体を拭いてやり、床を拭き、どうにか立たせようとしましたができませんでした。動きたくて鳴いているのに、どうしてもやれなくて本当に辛くて悲しくて、どうにかしてあげたいと思いました。そんな状態が1年ほど続きましたが、ある時からヒョコヒョコ歩きでも上手く歩けるようになり、元気を取り戻したように見えました。しかしその1週間後に眠るように息を引き取ってしまいました。家族全員が悲しみに包まれてみんなで綺麗な遺体のまわりで泣きながら一晩中抱きしめたり撫でたりしていました。とても乗り越えられる悲しみじゃないと思いましたが、安らかな顔で眠っている様子や、最後に元気を取り戻して歩けるようになったこと、食欲も最後まで衰えず苦しまずに死んでいったこと、を家族と話し、良い最期だったよねと励まし合いました。一緒に旅行に行ったり、大好きなレタスを盗み食いしてたことなど思い出をたくさん語り合いました。みんなとても一人ではいられなかったので、家族みんなでいることで心が少し落ち着くような状態でした。一番一緒に過ごす時間が長かった母は家事も手につかないような様子でした。しかしその後しばらくして私が出産し、息子が産まれました。私を含め家族みんなは息子の存在にかなり助けられ癒されました。必死に生きようとする小さな存在がとてもとても大きく力強く私たちの気持ちをどん底から引っ張り上げてくれました。やはりすぐに立ち直ることはできませんでしたが、人は何かに愛情を注ぐことで満たされるんだなと感じました。特にずっとペットを飼っていて、急にその存在を失うと、愛情を注ぐものが急になくなってしまうので、心のやり場がなくなってしまうんだと思いました。亡くなってしまったペットのことはきっと一生忘れないと思います。あなたの愛情を注ぐ先をどうかみつけてください。あなたの愛情を必要としている存在がきっといます。