ペットロスになって仕事中に泣く経験をした方の体験談
愛犬を亡くした悲しみは「他犬」が救ってくれました
3年前に愛犬が亡くなりました。生後2カ月で我が家にやって来て、19年間も一緒にいた文字通りの「家族」です。人間にすれば100歳ですから大往生と言えると思いますし、お陰様で大きな病気をした事もなく、安らかな最期ではありました。 私には兄弟姉妹がおらず、一人っ子ですからメスの愛犬は唯一の姉妹にような存在でした。旅行に行く時も、友人に家に行く時も、いつも一緒で、雑種でしたが大人しく頭も良かったので、誰からも好かれましたし、人間の事が好き、と言うより殆ど自分の事を人間と思っていたような節もあります。 亡くなる4カ月前位から、みりみる体力が衰えて行き、「散歩に行くよ」と言っても嬉しそうに尻尾は振るのですが、ヨロヨロとしか歩けず、抱っこして外に連れ出していました。 いよいよ食事もできなくなり、獣医さんのところに連れて行きましたが、老衰に逆らう事はできず、3日後に息を引き取りました。看取ったのは唯一の家族である私一人です。 人間の身勝手な考え方を知ったのは、愛犬が亡くなった時でした。職場に「3日間で良いにで休ませてほしい」とお願いしましたが、「家族の喪ではないでしょ」と言われました。それまでは「可愛いですね」「本当に家族ですよね」と言ってくれていた人達も、それとこれは別と言った対応で寂しさが倍増でした。 1週間経っても、2週間経っても、思い出すと涙が止まらず、仕事中でも一度、頭に浮かんでしまったら最後、号泣寸前で、どうにか持ち堪える日々だったのですが、私は、思い切って違う犬たちと触れ合う事を実践して心が晴れるようになりました。 休みの日は、ちかくのドッグランに行き、仕事帰りはドッグカフェに立ち寄って。自分の愛犬ではなくても多くの犬たちと触れ合う事で少しづつ癒されて行きました。 全く違う犬であればこそ、別の形で人間に愛情をくれて慰めてくれるものです。 「早く元気になってね」と言ってくれているようで、見ず知らずの赤の「他人?」いえ「他犬」で、愛犬ロスを乗り越えられたと思います。
突然の愛犬の死亡連絡に勤務中なのに号泣してしまい
幼犬から家に来て、10歳までずっと一緒だった愛犬の突然の死亡連絡が来たのは仕事中でした。社会人1年目、東京へ上京して仕事をしていた私へ、日中なのに母から連絡が入りました。なんだろう?と思い電話をとると、そこには泣いている母が・・・どうしたの?何があったの?と言ってもごめんなさい、ごめんなさいと謝ってばかりで、一向に理由を言ってくれる気配もなく、仕事中の私はまた夜に掛けなおすと伝えて切ろうとしたら、愛犬が亡くなったとポツリと言って切られてしまいました。それだけ聞いた私は、勤務中なのに号泣してしまい暫く席に戻れませんでした。残業をしない様に必死で終わらせ、母へ連絡をしてやっと聞き出せた内容は、交通事故死でした。元々とってもやんちゃで、たまに脱走をしてしまう愛犬でした。それでも、逃げ出してもその日のうちに帰ってくるので、母も見つけに行かなかったそうです。事故にあう2日前に脱走して、珍しく帰って来なかったそうです。次の日にも帰ってこなくて、心配した母が探しに行き、近所の人に見かけた情報を聞いたりして探していたら、遠くでブレーキの音が聞こえたそうです。あんなに急に止まって、危ないな。そう思って、その付近まできた時に何かが倒れているのに気付いたそうです。まさか・・・動物が引かれた!?と内心思った母は引き返そうと思ったそうです。でも、なんだか行かなくてはいけない衝動にかられたそうです。近づいたら・・・そこに横たわっていたのは愛犬でした。母は早く探しに行かなかった事を今でも後悔しています。いつもの事・・・そう思い込むのもどんな理由でも止めようとも思ったそうです。私もそれ以来いつもの事、どうせ等決めつける事をしないように心がけています。まだ生きれた命、決めつけなければ寿命を全う出来たと思うといつまでも心が痛みます。そう母が話すたびに、私もとても哀しくなります。
小学生の頃から17年間一緒だった愛犬が大往生で天国へ 仕事中に頭がいっぱいになり泣いてしまった
私が小学生だったころ、私がどうしても欲しいとわがままを言って飼うことになったミニチュアダックスフンドのリッキーちゃん。現在私は30歳で、今年の6月にリッキーちゃんが天国へ行きました。17歳でしたがあと1ヶ月生きれば誕生日でした。普通のミニチュアダックスよりも一回り小さく、小柄で他の子より長生きできるかなと心配になりましたが、大きな病気もせず長生きしてくれました。天国にいく最後の2年くらいはちょっとボケがはじまったかな?という感じでぼーっとしており一日中寝ているようになりました。それでも私が会社から帰ってリッキーに会うとしっぽを振って「会いたかったー!」と喜んでくれたのを思い出します。小柄なので年をとっても見た目は昔とそんなに変わらず可愛く、リンゴが大好きで私がリンゴ食べていると「シャリッ」とした音で反応して必ず目を光らせて私のところに来てくれました。小さい頃からずっと一緒だった愛犬が病気もせず元気に長生きしてくれたのは本当に良かったです。しかし年をとっていくと食欲もなくなり段々痩せていきました。そして常に震えるようになり、部屋でも服を着させたり、暖かいマットや毛布を用意したりと寒さ対策も行いました。寝ているときに「キュンキュン」と鳴くようになり、年をとってからはいつ死んでしまうのかと不安でした。最後は夜中に小声で鳴きながら息を引取りました。ずっと一緒に暮らしてきた愛犬が死んでしまうのは受け入れがたく、死んだ後もまだ寝ているかのように感じて信じられませんでした。心の中に穴がすっぽり開いたというのはこういうときなんだなと思いました。心に穴が開いて頭も真っ白なはずなのに、リッキーちゃんが小さい頃の記憶や思い出が走馬灯のように頭の中に出てきます。次の日仕事は休めず行きました。しかし一日中リッキーちゃんのことで頭がいっぱいで仕事になりませんでした。仕事中に思い出して泣いてしまいました。亡くなった週に火葬をし、葬儀もお願いしてひと段落した後に、「本当に死んじゃったんだなあ」と実感がわきました。立ち直りとはちがって一区切りというような感じでしたね。亡くなって1ヶ月は思い悩んだり夢にリッキーちゃんがでてきたりなどして悲しかったですが、子供に「リッキーちゃん、今頃おばあちゃんと天国で何してるかなあ」の一言で、そうだ、リッキーちゃんは死んじゃったけど、天国で元気に走り回っているかもしれない。と考えるようになってからは気持ちが楽になりました。リッキーちゃんも天国にいったからといって一人じゃないんだ、寂しくないんだと思うと、きっと今頃天国で私たちのことを見守ってくれてるに違いないと思います。だから私も元気にならないと!と思い、心の中にはリッキーちゃんがずっといてくれているので頑張ることできています。
もっと可愛がってあげてたらよかったと愛犬の死で
愛犬のさくらは16年間一緒でした彼女は飼い主が見つからないと保健所に行く事になっていた子で私の父が可哀想だと思い引き取りました私は当時6歳で一人っ子でしたですので彼女が家に来たとき私に妹ができたと思いましたさくらは賢い子でどんなに起こっても噛まず知らない人が家に来たら吠えるという番犬もしてくれましたさくらは水が苦手てお風呂に入らされるのをとても嫌がっていましたお風呂にいれるといつも暴れて言うことを聞きませんでした私が悲しいとき彼女はそばに寄り添ってくれましたまるで私の心がわかるように私の膝に頭をおいて一緒にいてくれました本当にとても大切な家族でしたですが半年前癌で倒れ亡くなってしまいました正直最初は違和感しかありませんでした犬小屋を見ればいつもいたさくらが何処にもいなくて心にぽっかりと穴が開き亡くなった事を思い出して涙が出るという毎日の繰り返しでした夢にも出て来て愛犬一緒に楽しく遊ぶ夢を見た後目が覚めて現実に戻ったとき悲しみと吐き気が同時に襲ってきました気分転換に外に出ても飼い主さんが犬を散歩しているところを見て愛犬の事を思いだし心が不安定になることがとても多かったです生きていた頃はなんにも思わなかったのに亡くなったとき初めてさくらの有り難さや大切さをかんじました彼女は自分の心の大半をしめていたのだともっと遊んであげれば良かったもっと大切にしてあげれば良かった私といて彼女は良かったのだろうか彼女は幸せだったのだろうかそんな気持ちがいつも駆け巡ります仕事中も真剣に取り組まなければいけないのに彼女の事を思いだし心が不安定になることが多く普段ならしないミスもしてしまうことがありました今は大分落ち着きましたがそれでも時々思い出して涙を流す事があります新しい子を買えばこのペットロスから解放されるのだろうかと思いましたしかしあの子と別れてから死というものが怖くなりもし別のペットを買ったとしても結局死を見届けなければならないそうなるとまた辛いことになるそう思うとペットを飼うことができませんまだ私は当時立ち直ってはいませんですが出来るだけ気持ちを変えたいと思い趣味を作ることにしました軽いランニングですが少しだけ心がすっきりするので私と同じような悩んでいる人はやってみる事をオススメします