ペットロスを克服した151人の体験談

目次

30代・女・新しい家族がペットロスを乗り越えさせてくれた

はじめまして。

私は30代の主婦です。

現在は主人の仕事の都合で地元を離れ賃貸アパートに住んでいます。

私は10代の頃経験したペットロスをお話ししたいと思います。

その子との出会いは7歳の時でした。

記憶の中にあるのはブリーダーさんのところへ父の運転する車に乗り迎えにいっている所です。

当時、犬を飼いたかった私はその子を家族と迎えられることになりすごく嬉しかったのを今でも覚えています。

散歩やご飯担当し、幼いながら一緒に成長していきました。

時には、友達との遊びの最中に連れて行ったはいいがリードのつなぎ方が悪く脱走されたり。

学校で嫌なこと、嬉しいことがあったときは報告して。

本当に私の人生に大きくかかわってくれました。

脱走したとき、たまたま良い方に見つかって近くまで連れてきてくれました。

あの時の愛犬の顔は可愛くてたまりませんでした。

そんな思い出がたくさんの日々でしたが11年の月日が流れると愛犬も寝てる時間が長くなったり、家族が帰ってきた音ににぶくなったりしていました。

食欲も以前より落ちてきていたのですが我が家では毎年庭でバーベキューをするのですが庭でおいしそうな匂いがすると愛犬も食べ物を欲してました。

それは毎年のことで、その時はせっかく食欲があるときだからと思い愛犬が好きだったおやつを食べさせながらその時を楽しみました。

しかしその日を境にご飯を受け付けなくなり愛犬は天国に行きました。

涙が止まらず…信じられませんでした。

今までありがとうね。

最後にお風呂入りたかったよね。

ごめんね。

自分の悲しい気持ちと今までの思い出を語りかけながらずっと硬くなった体をなでました。

次の日仕事の父とは別に私は自分で火葬場に連れていき最後の別れをして涙しながら職員の人と一緒に骨を拾いました。

その後も家に帰るたびに犬小屋のほうに目を向け…というか目を向ける事が習慣だったんですね。

帰ってきて、嬉しそうにしっぽを振る愛犬に ただいま。

と声をかけるそれが当たり前でした。

そのがもういない…喪失感というか、生活にぽっかり穴があいたような。

そこにいないことが不自然すぎて。

家に帰ってきた感じがしないのです。

もっといろんな所に連れて行ってあげたかった美味しいものを食べさせてあげたかったシャンプーも頻繁にしてあげればよかった写真をもっと撮っておけばよかった人もペットも同じですね。

やりきることはできない。

そう感じました。

人それぞれだと思いますが、私はどうしても犬がいない生活が自分の人生ではありえなかったので数年後、新しい愛犬を迎えました。

そこに踏み出すまでは悲しい気持ちは蓋をしないでとことん愛犬を思い出しました。

悲しみのどんぞこから時間が経つにつれ不思議と犬を飼って後悔しているか考えたんですそしたら私にとっては犬との生活は楽しい事しか思い浮かびませんでしたなのでまたお別れする日がくるだろう。

でも愛犬にしてあげたかった事があるならばなおさら次の家族になる子を迎え楽しく笑って暮らし、前の子にしてあげれなかったことをしてあげようと思いました。

現在私が飼っている子は室内犬です。

以前飼っていた子は中型犬で室外で飼っていたので、絶対に室内犬!!と決めていました後悔してたことを悔いのないように実践しています。

といっても現在実家に預けています。

今のアパートは会社契約でペット不可なので少しの間離れ離れです。

3か月後にはマイホームが出来上がります。

早く一緒に住むのが楽しみです。

ペットロスは思いっきり悲しんでいいと思います。

蓋をしたら先に進めません。

急ぐこともなくゆっくりゆっくり。

自分の気持ちに向き合うことで見えてきます。

新しい家族を迎え入れる事は一番の前進でした。

大好きなペットとお別れしてもまた素敵な日々が送れますように…

35歳女 思い出話とぬいぐるみがペットロス解消のカギ

35歳の専業主婦です。

半年前に可愛がっていたジャンガリアンハムスターを亡くしました。

もともとハムスターが大好きで、小さい頃から一番大好きな動物でした。

今回、子供が「どうしてもペットを飼いたい」というので子供のために飼ったのですが、その可愛さにあっという間にメロメロになって私のほうが夢中になってしまいました。

しかし、悲しいことにハムスターの寿命はとても短く2年足らずで天国に旅立ってしまいました。

朝、様子をみると眠っているかのような顔をしていて、いつもならエサの催促をするため巣箱から出てくるのですがこの時は少しも動きませんでした。

飼った時からあっという間にお別れの時が来てしまうことは覚悟していましたが、それでもやっぱり可愛がっていたハムスターが死んでしまったショックは大きかったです。

子供と私でハムスターにお別れを言いました。

ハムスターがいなくなった小屋を掃除していると妙に悲しい気分になっていて、可愛かった顔や一生懸命回し車を回している姿、ほお袋にエサを詰めている姿が思い浮かんできて涙が出そうでした。

日課になっていたエサの時間になると寂しさは倍増です。

毎日寂しくてしかたなく、やる気もいまいち出なくなっていました。

でも、子供もいるしこのままではいけないと思い、自分なりにペットロスの解消に努力しました。

まずやったことは元気だった頃の写真を見ながら子供と思い出話です。

悲しさに目を背けずに思い出を話すことによって、いくらか気持ちが和らいでいく感じがしました。

下手に気持ちを封印してしまうと余計に悲しさが募るので、誰かと話すことはとても大切なことだと思います。

次に写真をもとにペットのぬいぐるみを作ってくれる作家さんにぬいぐるみ製作を頼みました。

出来上がったぬいぐるみはそっくりで、死んでしまってもいつでも一緒にいる気分にさせてくれました。

この2つの方法を実践したことでペットロスは徐々に解消していき、今でもハムスターを思い出すことはあっても不思議と悲しい気持ちにならず、懐かしい気持ちのほうが大きくなりました。

20代 自分の今するべきことをしっかり行うのがペットロス解消のカギに

20代 北海道 大学生 ペット歴15年 私は生まれた時からペットとともに生活していました。

ペットというのは、ネコになります。

1匹は公園で拾われた野良猫。

色は濃い茶色です。

このネコとは小さい時からよく遊んでいました。

というのも、祖父の家でそのネコは飼われていました。

祖父の家も近かったことから、よくそのネコとあそんでいました。

 そんな中、私が15歳のの時にそのネコがなくなってしまいました。

自然死でした。

歳も歳だったのでよく頑張ってここまで生きてくれたなと思います。

亡くなってからはとても寂しかったです。

正直今でも寂しいです。

忘れたくても忘れられないと思います。

ですから、私は今やるべきことに集中することにしました。

私は当時学生だったので受験勉強に打ち込みました。

ほかにも、読書をしたり運動をしたり、1番いいのは人と関わるのがいいかもしれません。

ペットとともに過ごした半面いなくなると寂しくなると思います。

なので人と会ったり、電話すると気持ちが明るくなると思います。

 気持ちを改めてリセットしても後悔することはありました。

私は、そのネコの最期に会うことができず声をかけることができなかったです。

最期に「今まで本当にありがとう」と声をかけてあげたかったです。

それが私の唯一の後悔していることです。

 最後にこの文章を読んでいる方々へ。

ペットと過ごす日々はとても楽しいですよね。

時に、ペットが歳をとっていくと「いつ死んじゃうのかな」と考えてしまう時もあると思います。

考えて気持ちが落ち込んでしまう時もあると思います。

私はそのようなことを考えるなら、今生きているペットとと楽しい時間をたくさん過ごしてほしいと思います。

今という時間は二度と戻ってこないです。

動物は人よりもはるかに寿命が短いです。

たくさん愛して、遊んであげてください。

たくさん写真を撮ってあげてください。

たくさん話しかけてください。

毎日楽しく過ごせばペットが亡くなった時に、”後悔”の二文字はなくなると思います。

37歳男ペットを飼って良かったことと別れのつらさ

現在37歳の男です。

以前ラブラドールレトリーバーを飼っていました出会いは親戚の家で飼っていたラブラドールレトリーバーが子供を生んだのでうちで飼うことになりました。

大型犬なので子供の時はとても小さかったのですが、とても大きく成長しました。

特に吠えたりもせずに飼いやすかったことを覚えています。

好奇心旺盛で散歩が大好きだったので自分の運動不足解消と一緒に遠くまで散歩に出かけていました。

自分が仕事から帰ってくると散歩に連れて行くまで小屋の前でずっと待ち続けていたのを覚えています。

軽トラックを保有しているので軽トラックの荷台に乗せて一緒にドライブに出かけることもありました。

軽トラックが走り出すと尻尾を振ってとても喜んでいました。

リードのつなぎ方が甘くて何度か脱走されたこともあります。

足が速いので追いかけても追いつくことができなくて困りましたが、おやつを使って捕まえることができました。

ずっと元気だったのですが、少しずつ後ろ足を引きずるようになってきました。

大型犬は腰や膝の関節が弱りやすいということでした。

散歩の距離も段々と短くなっていき、亡くなる前には自宅の庭程度しか散歩できなくなりました。

散歩ができなくなった頃から食欲も少なくなり餌も段々食べなくなってきました。

飼い始めて13年で亡くなってしまいました。

亡くなる前に何かしてあげれることがなかったかと気になっていましたが掛かり付けの獣医さんの話では十分長生きして、できることはやってあげたと思いますよと言われたので少し安心することができました。

自分の子供もペットがなくなってしまったことで悲しんでいましたが、命の大切さがわかったのではないかなと思います。

また新しいペットを飼いたいとは思っていますが、別れのつらさを経験しているので飼うことを迷っています。

機会があれば飼おうとは思っています。

子供が大きくなり世話をできるようになった時には飼ってもいいかなと考えています。

31歳女性 息子の存在がペットロスの悲しみを癒しました。

31歳既婚の女性です。

私は1年前に実家にいた女の子のスピッツ犬を亡くしました。

老衰でした。

18年間生きて長生きでした。

とても元気でお散歩好きな、よく笑う子でした。

出会いは小学校6年生の時、母親と行ったペットショップでじっと見つめられ、私と母が運命を感じてすぐにうちの子になりました。

小さい時はか弱くて、食も細く、家族全員で心配して必死でごはんを食べさせました。

だんだん好みのものや食べさせるコツが分かってからはよく食べてくれるようになり、すくすく元気に成長してくれました。

真っ白なでフワフワで愛想も良いのでご近所でもみんなから覚えられて可愛がられました。

私が中学校に入ってからは、散歩は母が行くようになりました。

散歩が大好きなので、グイグイ引っ張って行くし、帰ろうとすると嫌がるのでさんほするのはなかなか大変でした。

私は中学校から厳しい部活に入り、その後高校、大学、就職、結婚となんだか忙しくしていて全然散歩には連れて行かなくなりました。

今思うともっともっと大好きなお散歩に連れて行ってあげたら良かったなと思います。

結婚して家を出てからは実家にほとんど帰りませんでした。

1年ほど経って実家に帰った時に、あまりにも年老いて小さくなっていたのでショックで悲しくなってしまいました。

目が悪くなってしまって壁に向かって歩いていってぶつかったり、足が弱ってフローリングの床でうまく歩けなくなっていました。

夜中に鳴き声がするので慌てて見に行くと、トイレまで歩いていけずにおもらしをして、そこで滑ってもがいていました。

私は泣きながら起こして体を拭いてやり、床を拭き、どうにか立たせようとしましたができませんでした。

動きたくて鳴いているのに、どうしてもやれなくて本当に辛くて悲しくて、どうにかしてあげたいと思いました。

そんな状態が1年ほど続きましたが、ある時からヒョコヒョコ歩きでも上手く歩けるようになり、元気を取り戻したように見えました。

しかしその1週間後に眠るように息を引き取ってしまいました。

家族全員が悲しみに包まれてみんなで綺麗な遺体のまわりで泣きながら一晩中抱きしめたり撫でたりしていました。

とても乗り越えられる悲しみじゃないと思いましたが、安らかな顔で眠っている様子や、最後に元気を取り戻して歩けるようになったこと、食欲も最後まで衰えず苦しまずに死んでいったこと、を家族と話し、良い最期だったよねと励まし合いました。

一緒に旅行に行ったり、大好きなレタスを盗み食いしてたことなど思い出をたくさん語り合いました。

みんなとても一人ではいられなかったので、家族みんなでいることで心が少し落ち着くような状態でした。

一番一緒に過ごす時間が長かった母は家事も手につかないような様子でした。

しかしその後しばらくして私が出産し、息子が産まれました。

私を含め家族みんなは息子の存在にかなり助けられ癒されました。

必死に生きようとする小さな存在がとてもとても大きく力強く私たちの気持ちをどん底から引っ張り上げてくれました。

やはりすぐに立ち直ることはできませんでしたが、人は何かに愛情を注ぐことで満たされるんだなと感じました。

特にずっとペットを飼っていて、急にその存在を失うと、愛情を注ぐものが急になくなってしまうので、心のやり場がなくなってしまうんだと思いました。

亡くなってしまったペットのことはきっと一生忘れないと思います。

あなたの愛情を注ぐ先をどうかみつけてください。

あなたの愛情を必要としている存在がきっといます。

34歳 女性 中庭に巡る命を見てペットロスが解消

長く飼っていた犬を無くした時の話になります。

15歳で病気で亡くなってしまったのですが、年齢もそれなりだったので、大きな後悔はしていません。

ただ、今も鮮明にその犬の姿を思い出す事が出来ます。

最期の数年は、脳疾患のてんかんを患ったこともあり、真夜中でも発作を警戒してなければならず、寝不足と疲労が溜まっていました。

亡くなってしまった事で、看病をやり切った気持ちと、どうしたって埋められない存在感の穴が同時に私の中に生まれました。

寂しいけれど、ホッとしている。

そんな日々が続いて、静かで長いペットロスの期間が始まりました。

もっと出来ることがあったんじゃないかとか、一回でも多く遊べば良かったとか、いや、自分は頑張った、これ以上は無かったとか。

色んな事を考えました。

酷く落ち込むようなことは無かったけど、どこか寂しい部分はそのままで、それが薄れるまでには時間が必要という事も分かっていました。

二年が経った頃、その犬を飼っていた中庭に、猫の親子が現れました。

母猫と、生まれて数週間の仔猫です。

警戒心が強く、近づく事も出来ない二匹でした。

中庭に犬を飼っていた頃には、野良猫は寄り付かなかったので、その場所で猫を見るのは不思議な気分でした。

そして、ハッとしました。

この庭に、あの犬はもういないんだと。

その瞬間に、自分の中で区切りが付いたのをはっきりと覚えています。

それから、その庭でその母猫の育児が始まりました。

警戒していることは分かっていたので、普段は素知らぬふりで、気付かれないようにそっと窓から見守っていました。

その母猫は本当にしっかり仔猫のお世話をして、教育をしているのが分かりました。

家族も、みんな動物好きなので、このまま大きくなるまで見守っていようという温かい雰囲気でした。

仔猫もだいぶしっかりしてきたある日、もう一匹の痩せた三毛猫が現れました。

その猫は人間を警戒するのではなく、必死にこちらにアピールして、助けを求めていました。

そして、仔猫もそろそろ親離れをする時期になった時、母猫は姿を消しました。

三毛猫と仔猫はそのままうちで引き取りました。

それから母猫はたまに仔猫に会いに来ていましたが、完全な成猫になったのを見届けてからは、来ていません。

庭に集まる命が繋がって、ペットロスを癒してくれました。

31、女性、夜間ウォーキングで、月のうさぎとお話をするのがペットロス解消法

はじめまして。

私は都内で一人暮らしをするOLです。

私の住まいはマンションですので、基本ペットが禁止されています。

しかし、小動物であれば問題ないとのことでしたので、一人暮らしの寂しさを紛らわすために、うさぎを飼っていました。

もともとハムスターか亀でも飼おうかなとペットショップを訪れたのですが、その時まだ生まれたてで店頭には出されていない、段ボールに5、6羽もぞもぞ動いている子ウサギを見て一目ぼれし、その場で即購入を決めました。

当時うさぎの購入価格は7000円程度で、飼育道具一式を購入してもそこそこの金額内で納めることができたのも魅力的な点でした。

家に連れて帰ってからは、家中のあちらこちらを噛まれてしまい、大変だった記憶があります。

特に、コンセント類はほとんどだめになってしまいました。

正直、ウサギの飼育道具一式より、コードをかまれてしまい壊れてしまったドライヤー等の器具の買い替えの方が、お金がかかったような気さえします。

しかし、どんなことでも許してしまうほど、私は彼女に溺愛をしており、家に帰ることが何よりの楽しみになっていました。

一緒に生活をしてから2年ほどのこと、いつも通りトイレの清掃をしようとしたところ、血の塊のようなものを見つけました。

女の子なので、さては生理がきたのかと思っていたのですが、ネットで検索しても、うさぎに生理のような現象はないと書いてありました。

いてもたってもいられず会社を休み、そのまま動物病院へ駆け込みましたが、血尿がでてしまうと、小動物、とくにうさぎなどは体力が持たず、手術をする方がかわいそうだと説明を受けました。

目の前が真っ白になったような気がして、何をしていても気が気でなく、現実を受け止めることがどれだけつらかったか、今でも思い出します。

そして、その1週間後に、突如お別れとなってしまいました。

彼女がなくなってからは、何をしていても力が入らず、生きることとはなんなのか、そんな哲学的なことを慢性的に考えるようにもなりました。

四六時中涙もとまらず、泣ける曲を聴いてとにかく好き放題泣いていました。

仕事帰りの雨の日に、何の気なしに少し遠回りして帰ってみようと思い、のんびりと歩いてたどり着いたのが、皇居でした。

気づいたら、1週ぐるっと約5キロ、苦も無く歩いていました。

疲れ切って、ぐったりと疲れて寝ることが、その時の私には、何より頭を休ませるいい時間だったように思います。

それからというもの、よく皇居へ足を運び、ゆっくりとウォーキングをするようになりました。

そこでは、本当に多くの人がウォーキングやランニングをしていました。

夜になれば、夜空に満点の月を観ることもできました。

月を見ながら彼女とお話をするのが、しばらく日課になっていたように思います。

私が彼女とお別れをしてから、もう7年がたちますが、今でもたまに、皇居をウォーキングしています。

月が見える日には、今でも彼女とお話をしています。

50歳女性 ペットロスは自分ではどうしようもなくただただ時間が癒してくれました

自然いっぱいの田舎で育ち、子供の頃から番犬としての犬の存在が途切れることはありませんでした。

親がもらってきたり、捨て犬に見込まれて飼うことになったりと出会いのいきさつはいろいろでした。

そんな犬との過去の中で、初めて自分の犬としてお金を出して飼った犬がいます。

ダルメシアンのものすごい美犬でした。

その頃の自分は今思えばファッションみたいに犬をとらえ、自分でもダメだろ!と首をかしげるようなおかしな愛犬家だったことを認めないわけにはいきません。

人間の身勝手な思惑に巻き込まれて来たにしてはもったいない、姿も性格も最高の彼女が、生活の中心になったのも当然です。

できることはすべてしてあげたい、犬として最高の幸せをあげたいと思い、オフ会に参加して内気な彼女のダル友になってくれそうなわんちゃんを探したり、川に行って泳ぎを教えたり、海端の公園で何時間も散歩したりと子供を育てるような情熱を傾けました。

でも時には散歩が面倒くさくてトイレだけですませたり、雷に怯えて膝の上に乗ってくる彼女に何時間もつきあえないと突き放したりとずいぶんひどいこともしてしまいました。

それがすべての後悔の根幹にあります。

本当にいつも愛情を注いであげた、と胸を張っていえないから辛いのです。

死別はいつかくる仕方のないことだけど、もっとできるはずだったことをしなかったから、別れてこんなに悲しいんだと思います。

生きている時に一緒にすごせる貴重な時間を、もっともっと大事にするべきだった。

ぴったりくっついて、一秒たりともはなれずにいるべきだった。

そんな思いがいつまでもぐるぐると頭に渦巻き、出口がない暗いトンネルを歩いているようでした。

結局時間がペットロスをいやしてくれ、心の痛みもずいぶんましになりましたがやっぱり痛いです。

これからもたぶん痛いでしょう。

死ぬまでもっていきます。

忘れることができなくていいんだと思っています。

最後に「こうすればよかった」と対策がわかっている後悔をひとつあげます。

16歳で老衰のため彼女が亡くなった時、取り乱してしまい、遺骨を引き取ってくることができませんでした。

まったく知らないところで土にせず、楽しく走り回った庭に埋めてあげればよかったと、迷いなくいえます。

もう自分の犬を飼うことはないけれど、同じ気持ちの方に。

31歳男 ペットロスの後悔から立ち直らせてくれた詩

去年の春、約20年飼っていた猫を亡くしました。

私は現在31歳なので、小学生の時から共に生活していたことになります。

そんな猫の病気のこと、いなくなった後に思ったことなどを書いてみたいと思います。

飼い始めたきっかけは、近所の家で子猫が4匹生まれ、その内の1匹を我が家で引き取るという形でした。

我が家は庭が広く、近くに車が通るような道もないため、外に出たい時に外へ出す飼い方をしていました。

それから19年以上、病気らしい病気はしたことがなく、20年はもちろん、25年26年と長生きしてくれるものと家族一同思っていたところ、母が異変に気づきました。

餌を食べる量が減り、どことなく元気がないように感じ動物病院へ。

そこでの診断は「慢性腎不全」高齢になればなるほど避けられない病気で、一度衰えた腎臓の機能は回復することはないそうです。

異変に気づいてから約二週間後、とても苦しそうな姿を見せた後、天国へ旅立ちました。

苦しんでいる猫を見ている時、そして旅立った後に思ったことは、腎不全のリスクを何でもっと事前に考えておかなかったのかということでした。

20年も生きていれば内臓の機能はどこかしら衰えていて当然なのですが、これまでの健康ぶりに油断してしまっていました。

本で調べたり病院で検査をしていれば、腎臓の機能を助ける食事を与えるなど、緩和ケアをする余地があったのではないかと後悔しました。

それは思いは今でも残っています。

亡くなって約一年が経ち、ときどきスマホに保存してある画像を見ながら思い出を振り返ります。

目つきが異様に鋭い猫だったため「どれもこれも目つき悪っ!」と家族で笑っています。

長年一緒にいただけに寂しさは消えませんが、自由に外へ出す飼い方をしていた分「どこかで元気にしてるのかな」と考え楽になれる面があるのも大きいです。

個人的に一番救われたのは、最近知った「虹の橋」という詩。

「病や老いのない楽園で飼い主を待っている」という趣旨の詩を読んで涙を流し切り、負の感情から解放されたような、前向きな気持ちになれました。

29歳女 青春時代の愛猫のペットロスについて

私は、20代後半の専業主婦でありますが、ペットロスにより悲しみに明け暮れておりました。

そんな私は、どうやってペットロスを解消するような形で立ち直ったかをお話しさせていただこうと思います。

私がペットロスでペットをなくすまでに愛用していた猫としましては、雑種の猫で当初は、家に迷い混んできました。

迷いこんできた当初は、私が中学生の頃で、一度は断腸の思いで近くの神社まで自転車で届けて見送ったのですが、数日後に家の縁側におりましたので、そこから抱き締めて再会を噛み締めるような形で、家族で迷い猫として再び再会した猫を飼うことになりました。

再会を果たした雑種の猫とは、放し飼いするような形で、野放しに近いような状態で、家と近所を常に行き来するような形でした。

熾烈な猫同士の縄張り争いにも勝つような形で、かなり重い傷を負うこともあり、家の押し入れで一週間程蹲っている時もありましたが、復帰を果たし、家の近所を徘徊するようになりました。

そこから、向かい側の家から排泄物の件で苦情が来て、弁償しろとか言う問題にも発展したのですが、何とかそれも丸く収まり、そこからは平穏に放し飼いする形になりました。

放し飼いで飼い始めた時は何も思っていなかったのですが、実は非常に、猫のノミが多くて、自宅の私の部屋にも蔓延しました。

その時はノミだらけで、正直夏場で暑くて痒いと言うことがあって寝れませんでしたが、それも我慢して過ごすこととしました。

やはり家猫としてちゃんと飼っていれば、問題行動等を起こさずに済んだのかなと実感しております。

また、小さい猫を連れてかえってきたことがあったのですが、誰かにまた拾われるような形で奪われてしまいましたので、猫にとってはかわいそうなことをしたなと思いました。

ペットロスとしましては、ある日突然やってきました。

猫は自分の死期が近くなりますと、突然どこかへ行ってしまうのです。

放し飼いをしておりました猫につきましても突然姿を消し、自宅から長年連れ添ってきた猫が居なくなりましたので、非常に辛いペットロスを体験しました。

しかし、今となりましては、死期に立ち会わないで良かったかなと思っております。

やはり死ぬ間際に立ち会うのが一番辛いのでそう言う意味では放し飼いで救われたメリットであると思います。

52歳女性 愛猫のメッセージで癒やされました

私は埼玉県に住む50代の女性です。

パートをしながら年老いた母と実家暮らし。

20代の頃から猫がいる生活を続けてきました。

最後に亡くなったトラ猫のサンちゃんで3匹目ですが、初めてペットロスになりました。

サンちゃんは会社の人から譲ってもらった子で本当に大人しく、手のかからない子でした。

ご飯はカリカリしか食べないし食卓からものを失敬することもない、壁を引っ掻いたりすることもしない。

つまり人間にとって困ったことをまったくしない猫でした。

本当に一緒にいてこれだけ楽な猫は初めてで、私達親子はサンちゃんを可愛がるだけ可愛がってきました。

そんなサンちゃんも14才になりそろそろ足腰が弱ってきたなぁと感じていた頃、でも前の猫よりも病気一つせず元気だったのでまだまだ数年は生きてくれていると信じて疑わなった頃、異変が現れました。

ご飯を食べずにうずくまって動かないのです。

トイレもしていないようだったので、すぐに病院へ連れて行きました。

レントゲンの結果、肺の周りに何か膿のようなものが溜まっていると。

すぐにそれを抜いていただき、入院させました。

翌日お見舞いに行きました。

サンちゃんは声が出せるようになっていましたが、まだまだ弱々しくご飯も食べないということでした。

先生は単純なものではなく、手の施しようがない悪い病気の可能性もありますと言われましたが、私はとにかくサンちゃんが良くなることしか信じられませんでした。

その次の日病院からサンちゃんが亡くなったと報告がありました。

その頃から私の記憶は曖昧なのです。

ハンマーのようなもので頭を叩かれたうな衝撃でした。

ボンヤリした頭で先生のお話を聞いて、眠っているようなサンちゃんの遺体を引き取りました。

ボンヤリしながらお花を買いに行き、火葬の予約をしました。

すべて夢のようでした。

3日前まで元気だった猫がこんなにあっけなく亡くなるなんて…。

とてもじゃないけど信じられませんでした。

でも家に連れて帰ってから翌日固くなったサンちゃんの身体はその死が本当だと言っていました。

ウィルス性の胃腸炎というのがサンちゃんの命を奪ったのです。

猫のとても怖い病気の1つです。

その日から私は生きる屍のようになりました。

何をやっても現実感が薄いというのか…。

とりあえず仕事をして食べて寝ていましたが常にサンちゃんのことが頭にから離れません。

もっと早く気づいてあげていれば、病院に連れて行ったのは正解だったのか、などと考えました。

そして思うのはサンちゃんのいない家はとてつもなく寂しいということでした。

もう一度抱きしめたい、声が聞きたいと思いました。

毎日声をあげて泣きました。

泣き暮らして何が支えになったかと言えば『虹の橋伝説』でした。

亡くなったペットは虹の橋で飼い主を待つというお話です。

もう一度会えるならそれまで生きなければと思いました。

それから夢に出てきたサンちゃんにも助けられました。

私が夢に出てきて!と叫んで寝たら本当に出てきて、テレパシーで会話しました。

何と言ったと思いますか?『んもー何の用?せっかく遊んでたんだから用がないのに呼ばないで!』これには参りました。

サンちゃんは自分の死など気にもとめてなかったのです。

何も変わらないのになんで泣いてるのさという感じです。

この夢のおかげで毎日大泣きすることはなくなりました。

仕事もありがたかったです。

ヒマになると考えて悲しくなるので頭を空っぽにできる場所があって良かったです。

一年くらいはペットロスは続きましたが少しずつ癒えます。

サンちゃんの気配を感じることもありますし、メッセージを受け取ることもありました。

いずれも私を気遣ってくれるメッセージでした。

年があけて付き物が落ちたように楽になりました。

10ヶ月くらいかかりましたね。

今でも寂しいですが生きてるのが辛いということはありません。

今お辛い方も必ず癒えるので大丈夫です。

色々な他のペットを亡くされた方と語るのも良いと思います。

一緒に生きた大切な時間を思い出に変えて、いつか会える日まで生き抜こうと思っています。

35 男 新しい猫を拾ってペットロスを解消した

私は田舎の地方都市住まいです。

家の周りはまだ畑や田んぼが残っていて、野良猫なんかも少なくありません。

もう20数年前になりますが、私が小学校低学年の時に野良猫がうちの庭に迷い込んでおりました。

生後8か月くらいでしょうか、凛々しいけどまだあどけなさの残る白黒茶色が混ざった雄猫でした。

仕方なくご飯に味噌汁をぶっかけただけのねこまんまを食べさせてあげたのですが、いずれでていくだろうと特に家に入れる事もなく放っておいていました。

そのうち、ねこまんまに鰹節が混ざったり、こっそりお小遣いでかった猫缶をあげたりうちとの距離は縮まっていたものの、まだ飼うとはなっていなかった頃。

うちの近くで全く関係のない猫が死んでいたのです。

その猫を偲ぶように寄り添って離れない雄猫がいました。

カラスなんかも近寄ってくるのですが、追っかけまして追い払ってはその死んだ猫の元に戻ってくるのです。

それをみたうちの母が「あんなに情に厚い猫は飼わんといかん」と言い出し、死んだ猫を埋葬し、雄猫を飼う事に決めました。

その時驚いたのは、私たちが死んだ猫に近づいても特に威嚇せず、付いてきたのです。

母だけでなく私も何か運命的なものを感じ、飼う事にしました。

にゃん太朗と名付け、それからは私はにゃん太朗を兄のように感じ、何をするにも一緒で10数年過ごしました。

家族です。

そして最後は病気を患ったものの、苦しむことなく亡くなりました。

にゃん太朗が死んだことを認めたくなかった私はペット葬式や弔いをすべて母に任せてしまいキチンとお別れ出来ず、それもまた心残りとなってしまいました。

実家の近くの原っぱに行くと、一緒に鬼ごっこをしたな。

裏の線路を見ると、3日ほど行方不明になったとき夜な夜な轢かれてないか確認しに行ったな。

実家のソファをみると、父が邪魔にしつつ父と寝ていたな。

出かけようとすると、最後フラフラになりながらも見送りに玄関まで来てくれたな。

などなど、何を見ても思い出してしまって辛かったことを覚えています。

今まで可愛がっていた彼がいなくなって、ぽっかりと穴が開いてしまったのがわかりました。

見かねた母が、新しく猫を飼おうかと言いましたが、私は代わりを求めていたわけではないので断りました。

そんなある日、またも野良猫が、似ても似つかないくらい愛らしい子猫がまた庭にいたのです。

私は、また辛い思いをするのは嫌だったので里親でも探そうと提案しましたが母は「にゃん太朗があの世で心配してるんじゃないの。

だからわざわざ子猫をうちに送ってくれたんじゃない?にゃん太朗も幸せだったからウチにこの子を送ったんじゃない?」と言いました。

続けて「悲しんでてもにゃん太朗だって喜ばないでしょ。

にゃん太朗に向けてた愛情をこの子にも分けてあげなさいよ」と言われハッとしました。

悲劇のヒロイン気取っててもにゃん太朗は戻らない。

だったら今困っているこの子を助けてあげようと思ったのです。

その子猫を飼う事にしたはいいものの、ほんとに子猫過ぎて、餌からトイレから苦労しました。

おかげでにゃん太朗の悲しみを忘れられたのも事実です。

その後他に家を建てても何故か猫が寄ってきて、また違う猫も飼っています。

縁があればまた違う猫を飼う事もあると思います。

ペットを亡くした気持ちは痛いほどわかりますが、逆に、亡くなった猫ちゃんが「幸せだったよ、だから今困ってる猫を代わりに幸せにしてあげて」と新しい猫を送り付けてきてると考えると逆に笑えてくるのです。

なので、ロスで悲しんでる方がもしいらっしゃったら、ペットショップで新しいペットを飼っても良い。

以前のペットとの時間があったから新しいペットを飼えると気持ちを切り替えて欲しいと思うのです。

乱雑な文章で失礼しました。

47歳・女性「訳あり犬を我が子にして命を救ってペットロス克服」

現在40代後半の主婦で、小さい時からいつも犬と一緒の生活が当たり前の家庭で育ちました。

今から12年前に、大型の新築マンションに引越しをしたのですが、昼間は当時1歳の娘との生活で、見知らぬ土地ですし、友達もいないので、うつ病になりました。

たまたま出かけたホームセンター内にペットショップがあり、犬嫌いの主人が飼うことなんて許してくれないと思っていると、腸ヘルニアで売れ残っていて、しょんぼりとしている白いロングコートチワワと出会いました。

ちょうど引越しをしたマンションが「ペット飼育可能、ただし小型犬に限る」となっていたので、主人も私の病気が少しでも楽になればと、飼うことを許してくれて、我が家に連れて帰りました。

名前は「いちご」と名付けて、娘の妹のように可愛がりました。

寂しがりやで大人しく、いつも私の足元にいるかわいい子でした。

ヘルニアは治ったのですが、7歳になり、フィラリアの検査をしている時に、心雑音があることがわかり、エコーなどの検査をしたところ、「僧坊弁膜症」とわかり、投薬での延命しかないと宣言された時は、娘と私で病院で泣きました。

時々、「ゲホ、ゲホ」と咳き込みが激しい時があり、気にはしていたのですが、この激しい特有の咳き込み方が「僧坊弁膜症」のワンちゃんがすることと知りました。

咳き込みがひどい時に、もう少し早く連れて行って、診察を受けていれば、よかったのかと思うと、そうではなく、僧坊弁膜症を発症すれば、もう延命措置しかないと説明を受けると、もう大事にするしかないと決めました。

毎日1回薬を飲ませて、薬が切れそうな時に診察に連れて行く生活が3年間続きました。

薬がなくなれば、心臓の弁膜が止まって死んでしまう、その恐怖が毎日続きましたし、薬を飲ませていても、完全な延命措置ではありませんから、毎日毎日が愛おしくてなりませんでした。

しかし、別れは突然やってきました。

ちょうど中学受験をする娘の出願日の前日(2016年12月22日)に、「ママ、いちごちゃんの様子が変だよ」というので、様子を見ていると、おすわりをしていてもフラフラしているので、翌日に受験の出願はインターネットからできるので、出願を済ませてから病院へ連れて行くことにしていました。

そして翌日の12月23日、パソコンに向かって娘とネット出願をしていたのですが、突然いちごちゃんが倒れて泡を吹き出しました。

これは危険と判断して、近所に住む実家の父に車をお願いして、動物病院にも緊急診察の連絡をいれ、私がいちごをタオルで包んで抱っこして、急いで動物病院へ向かいました。

しかし、車の中で痙攣を起こして、泡をますます口から出して、冷たくなっていき「いちごちゃん!もうすぐ病院で先生に診てもらおうね」と声をかけましたが、車内で息を引き取り、動物病院で死亡確認をしていただき、泣きながら帰宅して、ペット専門の火葬会社に火葬をお願いしました。

延命しかなく、健康体に戻ることは絶対にないと宣言されて覚悟はしていのですが、突然の別れで、そして自分の胸の中で息を引き取ったので、かなりショックで泣きました。

娘の中学受験もあって、精神面に影響がでないか心配しましたが、「いちごちゃんのために、頑張る」とその後勉強を頑張り、見事志望校に一発合格をしました。

合格したのはよかったのですが、いつもいた「いちごちゃん」がいないということで、時々涙を流す娘には心が痛みましたし、私もふとした時に、自分の胸の中で死んだ「いちご」の顔を思い出すと、涙が止まらず、中学校の準備で出かけるのもつらくて、普段の生活も何もしたくないと感じました。

そして、4月に娘が中学校に入学してから、ふとペットショップに立ち寄った時に、「いちご」と同じような境遇のチワワの子を見かけたのです。

その子は、「目立たないうけ口」ということで、血統はいいのに、うけ口という理由で売れなくて、もう売れなければペットショップの人が引き取ることになっていたということを、店員さんから聞き、娘が抱っこして、いろいろと話を聞いていると、すっかり娘になついてしまい、ついに「いちごちゃんがまた来てくれた!この子を妹にしたい!」と言い出しました。

主人とどうしようかと悩んだのですが、ワンちゃん自体も娘にすぐになついて、離れたくないとぴったり寄り添うので、そのワンちゃんは「いちごちゃんの生まれ変わり」として、我が家の子にすることにしました。

しかし、その後、この引き取った子が食物アレルギーもちとわかり、病院でしか買えないフードで生活させているのですが、ひとなつっこい性格で、「いちご」とはまた違う性格なので、娘にも笑顔がもどり、私もふとしたことで涙を流したり、日常生活に不便さを感じなくなりました。

新しい子を迎えることで、ペットロスを解消するというのは、いいのかどうかはわかりませんが、「いちご」も障害を持っているということで、我々と出会い、そして新しくやってきた「マロン」は食物アレルギーとうけ口というハンディキャップを持っているので、我が家には、そういう訳ありの子がやってくるというご縁があるのかもしれません。

ハンディキャップをもつ犬を嫌がる人は多いと、店員さんからお聞きしましたが、私は、ハンディキャップをもつ犬ちゃんとの出会いで、かわいそうな子を救ってあげて、ペットロスを克服しているのだと感じます。

犬好きですし、保護犬にも興味はあり、もし余裕があれば、保護犬を我が子として引き取って、大事にしてあげたいです。

保護犬・保護猫を引き取ることも、ペットロスを乗り越える方法かもしれません。

61歳 男 愛犬との別れを克服する手段は仕事に打ち込むこと

20年ほど前、私の趣味は山歩きでした。

山歩きと言っても大げさなものではありません。

山の麓まで車で行き、緩い勾配の山道を1時間ほどかけてゆっくり登り、休憩をして体操や腕立て伏せ、ダッシュをした後、ゆっくり下りてくる軽い身体ほぐしです。

その犬との出会いは山歩きの最中に起こりました。

5月晴れの連休の日、私は自然の癒しを求め、鹿児島の山に入りました。

車を登山道入り口に停め、1時間ほど登り、空き地で柔軟体操をした後、下り始めた私の後を子犬が追いかけてきたのです。

ころころと太った子犬は全体が黒く、眉毛と四肢のくるぶしが茶色でした。

長い耳は後にはピンと立つのですが、その時はぺったりと前に垂れていました。

子犬は生後ひと月ほどです。

私の脚にまとわりつくように追いかけてきます。

私は無視して歩いていました。

しかし子犬は諦めず、追いかけてきます。

ふもとまで数十メートルの所で私は足を止め、背中を撫でてやりました。

子犬は私の手を舐めてきました。

そのしぐさは「あなた様に一生忠誠を誓います」とでも言っているかの様でした。

私は決心しました。

この犬を飼おうと。

犬を車に乗せ、スーパーで鶏の唐揚げを買い、山道の中腹にある空き地まで行きました。

空き地から奥へ100メートルほど路地を歩いたやぶの中に段ボール箱で犬の家を作り、首に細縄をつなぎ、縄の端を樹の幹にくくりつけました。

私の前にお座りをした子犬の前に購入した鶏の唐揚げを置き、踵を返しました。

翌日、見に行くと子犬は小便をちびりながら大喜びしてくれました。

山通いがしばらく続き、いたたまれなくなった私はアパートの中で飼い始めました。

犬飼育の書籍を読み、太郎と名前を付け、吠えないようにしつけました。

部屋は鉄筋コンクリート造りビルの5階にありましたが、ペットを飼うことは許されません。

散歩に連れ出すときは緊張しました。

子犬との共同生活が5カ月ほど続き、悲喜こもごもがありました。

6か月目に大家にばれ、手放さざるを得なくなりました。

離れた所に住む親族に相談し犬を譲渡することに決めました。

太郎を連れて行き、断腸の思いで戻ってきました。

一カ月ほど苦しみました。

たかが獣との別れがあれほど苦しいとは。

これが世間で話題の「ペットロス症候群」かと思い知らされました。

ペットロスの解消法はひたすら仕事に打ち込むことでした。

41歳男性 愛犬に、自分がしてあげれることをしてあげれた

41歳男です。

我が家には、ボーダーコーリがおりました、最初にきたのは、13年ぐらいまえです。

赤ん坊のまま来ました、なかなか、しつけの難しい犬でしたが、大変頭のいい子でした、3歳ぐらいには、小さい子供より、頭がよくなっている感じでした、小さい子供も一緒に住んでいるのですが、子供を守るようなしぐさは、番犬として、とてもかわいくもあり、家族の一員に、いつのまにかなっておりました、休日は、どこへいくのにもいっしょでした、おもに、大きな公園が多かったです。

家でお弁当をつくり、車にのりこんで、出発です。

公園では、子供とじゃれたり、私とフリスピーで遊んだりします。

犬がはいっていい、プールにもつれていったりして、楽しい思い出をつくったものです。

散歩も毎日朝、出勤前には1時間ほどつれていったあげました、私のウオーキングにもなって、ちょうどよかったです。

愛犬家の方たちともウオーキングでしりあって、人間関係の幅が広がりました、ただ犬の寿命は、人間とくらべて、ずいぶん短いのです。

10年から15年ぐらいだといいます。

11歳になったころから、散歩も行かず、家に伏せるようになりました、動物病院にもつれていきましたが、そろそろ、年だということでした、やがて、12歳になるころには、ご飯をたべなくなってきました、そうして、痙攣までおこすようになりました、動物病院の先生は、年だといって、どうしようもないといわれました、私にしてあげることはなにかな?と自問自答して、家で看取ることにしました、数日後、私は近くで寝ていましたが、起きたら、息を引き取っていました、私は、愛犬との思い出を、思い出し、涙をながし、しばらくの間、放心状態になりました、犬は、火葬して返骨してもらって、庭にうめてあげました、これからも、ずっといっしょです。

放心状態になりましたが、してあげられることは、全部してあげた、愛犬も天国でよろこんでいるはずと、自分を言い聞かせて、ペットロスから立ち直ったのです。

18歳からの13年間セキセイインコと過ごしました

今現在35歳、男性、会社員の話です。

18歳高校3年まで両親と、過ごしていました。

小学校時代にセキセイインコを飼っていたのですが、小学校のクラス全体で育てるという事になり、自分のクラスで当番制で世話をしていたのですが、いつの頃からか忘れてしまったのですが、自分のクラスに預けわずか数カ月でセキセイインコがなくなってしまい、二度と学校と一緒にはペットは飼わないと強く心に決めていました。

18歳になり、高校を卒業し2年間だけ、両親が用意してくれた分譲マンションに1人暮らしをする事になり、ある日何と無くふらっとペットショップに入ると、時代は鳥インフルエンザの猛威をふるっていた時だったので、セキセイインコが二羽で税込で3980円で販売していました。

正直その瞬間は、今でも覚えていますが、ほぼ直感で飼いました。

万が一、病気になってしまった際の病院の確認、治療費の相場確認、ペット保険、毎月のご飯代、ペットが居る以上、旅行に行く事も今後は簡単にはできなくなるなど、今、この年齢ならば考えて、その上で飼うかどうかを決めるのですが、この時ばかりは、本当にスピード勝負で飼いました。

セキセイインコは、私が当時読んだ本ですと、平均寿命が7年から20年位と書いてあり、事実私の飼ったセキセイインコ達も最大で13年間生きてくれました。

最後の方は、飛ぼうと羽を羽ばたかせても落ちてしまうので、それで衝撃で怪我をしないようにずっと見ていました。

最後に飛べない中飛ぼうとしてくれていた姿は、今でも目に焼き付けられてはなれません。

亡くなったあとは、自身の家族の墓の近くに埋葬しました。

今でも自宅にセキセイインコのゲージはあるので、ペットロスは簡単には消えませんでした。

毎年家族の墓参りに行く度に思い出すので、私がペットロスを解消できたのは、今、新しくイングリッシュモルモットを飼っています。

毎日の世話に追われ幸せなのですが、そのおかげでなんとか、ペットロスを解消できているのだと思います。

それ以外の解消方法は、私は時間が、解決してくれると個人的には、思います。

こればかりは中々難しい問題です。

24歳女 新しくペットを飼う

私は小学生の頃から飼っていたヨークシャーテリアが3匹いました。

性格は甘えん坊だったりやんちゃだったりクールだったりでそれぞれ違う可愛さがありました。

年齢もみんな14歳以上で目も見えにくくなっていたのか、壁に頭をコツンとぶつかることも多かったです。

エサの時はとても喜んで元気に食べていましたが、それ以外のはほとんど寝たきりになっていました。

最初の一匹が突然の痙攣を起こし、病院に連れて行くと膵臓の数値が悪く1週間入院をしました。

入院のおかげで調子も良くなりあと2日で退院となった時に体調が急変し、駆けつけた時には既に息を引き取っていました。

ペットを失うのは私にとって初めての事だったのでショックがとても大きかったです。

最初の一匹が亡くなって、半年後に残りの2匹も後を追うように亡くなりました。

寂しくて一緒に逝くんだと聞いたことがあったので、一気に家族が減るかもしれないと覚悟はしていましたが構えていてもいざ3匹すべてがいなくなってしまうと中々立ち直れませんでした。

最後の1匹は自宅で、母の腕の中で息を引き取りましたが、2匹は病院で亡くなってしまったため看取ることができなかったのが悔しい気持ちと寂しい思いをさせてしまって申し訳ない気持ちがありました。

家で生活をしていると、キッチンに立っているといつもおこぼれを狙っている1匹に気をつけて食材を切ったり、犬達を踏まないように下を見ながら歩いたりすることが癖になっていて、もういないんだったとふと我に返ったときに思い出しては泣いていました。

家族と話し合い、こんな悲しい思いはもうしたくないからペットは飼わないと決めました。

しかし、あるご縁で同じヨークシャーテリアの子犬をまた飼うことになりました。

最後の1匹が亡くなって1ヶ月経ったぐらいの時でした。

はじめはこんなすぐに飼っていいんだろうか、周りから変に思われないだろうか、と後ろ向きでしたが、初めてその子犬を見た時にビビっとくるものがあり、その直感を信じて飼うことにしました。

初めてのオスでとてもやんちゃで賢くて家族みんなが癒されました。

その子が来てくれたおかげで毎日が楽しく、幸せな気持ちでいれるようになりました。

この子を一生幸せにしてあげたいと思い、また生きがいとなったので、新しくペットを迎え入れるということで私はペットロスから立ち直ることができました。

36歳男 時の経過が、一番悲しみをいやしてくれました

現在は主夫をやっている36歳、埼玉県在住です。

私が愛犬を失ったのは、30歳の時でした。

愛犬は18歳と半年でした。

小学校五年生の時から飼い始めていたので、私の青春時代の相棒といった感じで、とても忠実で愛くるしい犬でした。

最初の出会いは、ペットショップではなく保健所でした。

殺処分する前に里親を募集しているので、その時に選んで飼い始めました。

ちなみに、選んだのは母親でした。

犬の散歩は私にとっての家族内における大切な仕事になり、アイデンティティーでもありました。

犬の散歩を通して知り合いもたくさんできたので、愛犬には非常に感謝しています。

また、今思えば思春期の不安定な心情を、散歩を通して解消できていた部分もかなり大きかったんだなあと実感しています。

その愛犬、名前はチビというのですが、チビが死んだときのことを思い出すと、今でも心が痛みますが、大部分は過去のこととして受け入れられています。

亡くなる前の一年間くらいは、要介護犬でした。

やはり年齢による衰えには勝てず、あれだけ元気で、たくさん筋肉があったものがやせ衰えてしまっていく過程を見るのは辛かったです。

でも、それが命というものだと今では思っています。

介護も、最初はトイレのときに腰を支えてやるくらいで済んでいたものが、寝たきりになり、ペットシートの上でさせるしかなくなってしまいました。

あれは今思えば、チビにとっては辛かっただろうなと思います。

なるべくこまめにペットシートを交換してやるくらいしか私たちにはできませんでした。

このようになくなる一年前くらいから、いつ死んでもおかしくはない状態でしたので、心の準備はできていました。

それでもいざその時が来たときは、ショックで数か月は鬱々と過ごしていました。

仕方のないことだと思います。

やれると思ったことは、全てやったので後悔していることはありません。

もし私がアドバイスできることがあるとしたら、全ては無理でも、やれる範囲でやれることをやってあげると後悔も少なくて済むのではないかということと、悲しむことは悪いことではないので、十分悲しんであげる時間を作ることくらいです。

36才女、ペットロスは新しいペットで埋めるしかない

私は地方のとある田舎で、両親と祖父母と一緒に暮らしている36才の女性です。

我が家では青色のセキセイインコを飼っていました。

そのインコは人懐こいことと、外に出たがることがあり、締め切った部屋の中で時折カゴから出して、室内で遊ばせていました。

カゴから出ると、手に乗って遊んでくれたり、撫でさせてくれたり、ティッシュをちぎって遊んだりと、仕草のすべてが可愛らしくて面白いものでした。

しかし、別れは突然訪れます。

ある日、酒に酔った父が、玄関のドアを閉めないまま、カゴからインコを出して遊び始めたのです。

インコはそのままドアから外に飛び出して、出ていってしまいました。

1ヶ月ほど待ち続けましたが、インコは戻ってきませんでした。

家族みんなで父を責めました。

でも自分の過失で逃してしまった父の方が、精神的に参っていることは目に見えてわかっていたので、責めることもだんだんできなくなりました。

家庭で飼われていたインコが野生で暮らすことは難しいはずなので、1ヶ月待っても戻らないことがわかった時は、もう生きていないだろうと理解しました。

インコがいなくなってから、我が家は暗くなってしまいました。

自宅には他にも犬やうさぎがいたのですが、かけがえのない1羽がいなくなることはそれほど寂しくて辛いことなのだと痛感しました。

インコがいなくて後悔したのは、思い出をほとんど残していなかったことです。

残ったのは鳥かごと数枚の写真だけでした。

写真にはインコの姿かたちが映っているので悪くはないのですが、できれば動画として残しておきたかったです。

我が家のインコは話しかけると、挨拶するようにさえずりをしたり、首をかしげる仕草をしていたのですが、それは写真からではわかりえません。

ただ、実物のインコはもういないのに、思い出ばかりにふけるのは虚しいものがあったりもしました。

結局ペットロスを少しでもなくすために、新しいインコを飼いました。

新しいインコは前飼っていたものほど人懐こくはないのですが、少しでもロスから立ち直りたいです。

41歳男 新しい彼女がペットロスを解消してくれた

41歳会社員をしています。

システム関連の仕事をしています。

あれは、10年くらい前のことですが、それまで猫を飼っていました。

ヒマラヤンという猫で、とても家族みんなで可愛がっていました。

本当に、毎日、その猫と遊ぶのが、癒しになっていました。

それでも、猫なので寿命が来ます。

ちょうど10年前に、その猫が無くなってしまいました。

本当に悲しくて、泣きまくりました。

どうしたらいいのか分からない状況になっていました。

本当に、ぽっかりと胸の中に穴が空いた状態になっていました。

悲しくて悲しくてしょうあありませんでした。

そのときの心情は、本当に家族を亡くしたのと同じ痛みを味わっていました。

それから、1か月、2か月が経過しても、ほとんど、回復することはありませんでした。

何をしても、猫の事が頭によぎってしまい、どうしようもない状況でした。

なんとかしなければならないなと、趣味でヨガを始めることにしました。

すると、そのヨガに通い始めると、可愛い女の子と出会うおとになりました。

ヨガの女の子とすっかりと、仲良くlなっていました。

そして、気づいたら、女の子と付き合うことになっていました。

楽しい毎日がやってきました。

彼女のことを考えると嬉しくてたまらなくなっていました。

そして、気づいたら、猫を失った悲しみというものから、解放されていました。

ペットロスを解消することができたのです。

猫の空いた穴を、新しい彼女が埋めてくれました。

本当に、当時の彼女には、感謝をしています。

彼女が出来てから、本当にあっという間に、回復していきました。

彼女の力は、大きいなと思いました。

後悔していることといえば、2か月くらい、家の中でふさぎ込んでいることでした。

もっと早く、外に出ていけば良かったなと思っています。

読んでいる方にも、ペットロスになったらば、とにかく、外に出ていくことをおすすめします。

いつまでも、塞いでいてもしょうがないので、切り替えることが大事だと思います。

40代女性、新しい愛犬と暮らしがペットロスを解消してくれました

私達夫婦には子供が居ません。

結婚して2年ほどが経った時に、犬を飼おうと思い始めました。

でもペットショップではなく、何らからの理由で保護されている犬を飼いたいと思って、色んな保護施設を周ったり、犬の里親探しのイベントなどに参加して、夫婦二人ともが気に入る犬を探し回りました。

そして、ある里親探しのイベントに行った時に、一匹の可愛い犬に出会いました。

その子は私達夫婦を見ながら一生懸命に柵の周りを飛び跳ねていました。

その犬を見て、私も主人も気にって、その子を引き取ることになりました。

その子はその時3歳で、元の飼い主さんから虐待をされていたので保護されていたそうです。

その過去の辛い経験からなのか、一緒に住むようになってからしばらくの間は、とても大人しく、全く鳴くこともありませんでした。

でも保護団体の方から、その子は散歩が大好きだと聞いていたので、頻繁に散歩に連れて行きました。

それから一カ月ほど経った時に、愛犬をおいて私も主人も家の外に出た時、初めて鳴き声を聞きました。

その時は可哀そうと思う気持ちと、初めて彼女の鳴き声を聞くことが出来て嬉しかったのを覚えています。

そしてそれから、愛犬はだんだんリラックスしてくれるようになって、お腹を見せて寝るようになりました。

そんな姿を見て、私たちに心を開いてくれていると嬉しかったです。

私たちは愛犬と一緒に色んな場所に出かけました。

公園、ビーチ、山など、私達が行くところはどこにでも連れて行きました。

何度もキャンプにも一緒に行きました。

そして愛犬はどこに行っても楽しそうでしたし、私達はその姿を見て嬉しかったです。

でも愛犬が10歳を過ぎたころから、行動がだんだん遅くなってきました。

そして15歳を過ぎると、大好きな散歩にもあまり行きたがらなくなってしまったり、家でもずっと寝ていることが多くなりました。

心配だったのですが、年だから仕方がないと思ってそのままにしていました。

でも愛犬が16歳を過ぎたころからは、極端に動きが遅かったり、以前とは態度が違ってきたので、かかりつけの動物病院に連れて行きました。

そして獣医師さんに言われたのは、愛犬の腎臓が弱っているということと、高齢だから仕方がないということでした。

それでもまだ大丈夫かなと思っていたのですが、その数日後から愛犬が苦しんで鳴くようになってしまいました。

あわてて、再度、動物病院に連れて行って、色々と検査をしてもらうと、腎臓と肝臓の状態がかなり悪いので、もしかしたら今夜が峠で明日まで持たないかもしれないと言われてしまいました。

私達はその言葉を聞いて、すごくショックで二人で泣きました。

愛犬はぐったりして、まったく動けない状態でした。

でも私は最後までちゃんと看取る覚悟をして、愛犬を夜通し、なでたり、話しかけたりしていました。

そういう日が何日か続いた後、愛犬が少しずつ、動けるようになってきました。

まったく動くことが出来なかった愛犬がゆっくりと歩けるようになった時には、本当に嬉しくて感動しました。

そしてそれからは、また一緒に愛犬が好きだった公園やビーチに出かけることが出来ました。

ご飯も少しずつ食べることが出来るようになって、すごく嬉しかったです。

動物病院にも頻繁に連れて行って、お薬をもらったり、点滴を打って貰いました。

そんな日々が3か月ほど続いた後、愛犬は急に天国に逝ってしまいました。

弱ってはいるけど、まだまだ大丈夫だと思っていたので、彼女を失った時には本当にショックでした。

息を引き取った後にも、何度も人工呼吸をしたり、身体をさすって話しかけたりしましたが、彼女が生き返ることはありませんでした。

私たちは本当に悲しくて悲しくて、愛犬の思い出がいっぱいある家に居ることが出来ずに、外出ばかりしていました。

周りの人たちは、別の犬を飼うことを勧めてきましたが、私達は愛犬のことが忘れられなかったし、愛犬を失った時のショックが強すぎて、別の犬を飼うことは出来ませんでした。

そしていつも愛犬の話をしました。

それから2年以上が経ってから、引っ越しで遠くの場所に移動しました。

すると新しい犬を飼いたいという気持ちになりましたので、探して小さな子犬を飼い始めました。

その子犬を飼いだしてからも、前の愛犬のことをよく思い出して夫婦で話しますが、前の様に悲しい気持ちは無くなってきました。

そして今の愛犬との生活を楽しんでいます。

新しい犬を飼い始めたことによって、やっと長い間のペットロスから立ち直れた気がします。

そして今の愛犬との生活を大切に楽しんで行きたいと思っています。

37歳 男 8年の愛猫 姉の喝で立ち直る

私は37歳の会社員です。

以前8年間22歳から30歳のときくらいまで実家で飼っていた猫がいました。

この猫は私が県外の学校へ行っていた時に、バイトもしていて、バイト先の酒ケースを置く場所に捨てられていたのが出会いでした。

へその緒も付いたままの子猫で、その日は5月でしたが、小雨が降り続いていてとても寒かったのですが、その子猫は雨でできた水たまりのなかで目も開かない状態で必死に「ニャーッ!ニャーッ!」と鳴いていました。

最初はどこで泣いているのかわからなくて、しかもその声量はもう少し大きい猫が鳴いているのかと思うくらい大きい声でした。

するとまるで親指より少し大きいくらいのみのむしみたいな生き物を水たまりで見つけ、それを触って初めて子猫だとわかりました。

お腹がパンパンに膨れて鳴いていたので、死に物狂いで助けを求めていたのでしょう。

学生寮でしたが、寮長に「面倒みれるんなら、特別に交渉してみるよ、どうせお前あと半年で地元へ帰るんだもんな」ということで、特別に許可をもらえました。

子猫用の哺乳瓶と粉ミルクを急いで探して買いに行きました。

大きめのペットショップに売ってたので買って、3時間ごとにミルクをやって、なんとか元気になり、少し大きくなったときに学校卒業と同時に実家へ戻りました。

その後、実家の私の部屋で飼い始めました。

なんとか実家の環境にもなれてくれて、でも他の部屋へはなかなか行こうとはしなくて、私の部屋がベースでした。

私が仰向けで寝ていると、お腹の上に乗ってきて、私の顔にお尻を向けて座るんです。

いつも「顔こっち!」と私の顔の方に向けるのですが、すぐにきびすを返してあっちを向いてすわり、でも私のもとを離れませんでした。

よくなついてくれました。

名前は「ちょべ」ちょっと変わった名前ですが、実家に帰って子猫を見たとき母さんが「ちょべたんかい?」と方言なのかなんなのかわかりませんが、そう言ったので「ちょべ」と名づけました。

性別はオスです。

8年位生きましたが、晩年は苦しかったです。

突然餌を食べなくなり、ゲッソリと痩せていきました。

動物病院へ連れていくと、もう手遅れだと言われました。

呆然として、ずっといるものだと思っていたので、写真もろくにとっていなくて、慌ててその時はスマホとかなかったので、使い捨てカメラを買ってきて、何枚も撮りました。

でも、写真にうつるちょべはまだまだ元気そうな顔なんです。

切なくて悲しくて。

最後の日の前日の夜にトイレから出られなくなってうずくまっているちょべを見つけ、ベットに寝かせてやりました。

姉と母と私が泣きながら見送りました。

ペットロスの解消は、正直しばらくはなにもできませんでした。

いっそ私も自殺しようかとさえ思いました。

ちょべは私に拾われて本当に幸せだったのか、本当に私でよかったか、いろいろ後悔してメソメソしていました。

姉が見かねて「そんなに悲しいなら一緒に天国へいけよ!」と怒鳴り、きっと姉なりの愛のムチだったのでしょう。

確かにメソメソしていては天国のちょべが可愛そうだ、こんな情けない父ちゃんだったのか、って。

そう思い、踏ん切りをつけました。

きっかけは姉の泣きながらの喝!でした。

それがどんな方法であろうと、姉の思いがちゃんとあったから、私も立ち直れたのだと思います。

また苦しい境遇の動物がいたら、自分が救うことを許されるのであれば、育てて一緒に生きていきたいなと思います。

あの子ほどカワイイ猫はいないなあ

専門学校で知り合った友達が猫を飼っていて、その猫が赤ちゃんを産んだ話を聞きました。

そして最後の黒猫が貰い手がないということでした。

親の仕事柄、猫は飼えないと諦めていましたが、なぜかその時は、飼えるんじゃないかとの確信が強く、「その子私が欲しい」と友達に宣言していました。

得意の事後承諾、強引に、ケージに入ったその子を自宅に持ち帰ると、両親は今考えても本当に不思議なほど怒りませんでした。

一人っ子の我が子に、何か自分たちには出来ない教育、与えられない経験、そんなものをこの黒猫が与えてくれるんじゃないかとでも思ったのかもしれません。

それは当たっていました。

心の底から愛おしいと感じる、感じることがどれほど無敵なことか知りました。

無償の無敵、いるだけでいい。

何があっても「ああ、出会って良かった」という100パーセントの愛情を経験できたことは幸せでした。

それほど唯一無二の宝物であっても、それでも私は死に目に立ち会えませんでした。

その日、職場へ母から連絡が入り、急ぎ帰ると、泣き顔の母の腕の中で亡くなっていました。

泣きながら「なんでもっと早く帰ってこなかったの?!」と責める母に言葉は出ませんでした。

死の数週間前、弱った身体を横たえることが多くなりました。

そんなある日、急に身体を起こして階段のほうへ歩き出しました。

驚くことに階段を昇り始めたのです。

ゆっくりゆっくり。

昔はもの凄い勢いで上り下りしていた階段。

昇り切ると部屋の奥に進んで窓際に横たわりました。

2階に来るのは久しぶりだね、話しかけると眠そうにゆっくりと瞬きし、窓から注ぐ柔らかな陽の光を黒い毛並みに受けていました。

私はその姿があまりにも神聖に見えたので、カメラで撮らずにいられませんでした。

私が初めて家に連れてきてケージから出した途端に、狂ったように滑りながら走り回った、この2階の部屋。

専門の葬儀社に連絡を入れたのは母でした。

電話口で号泣しています。

何年生きたのか問われて、23年ですと答えたところ、「偉かったですね、褒めてあげてください。

」と言われたそうです。

本当に偉かった。

同じような経験をして、何かを求めて今この文章を読んでいる人に言えることは、私でさえあなたのかなしみを理解できないかもしれないということです。

それはあなただけの貴重な経験だからです。

あなたにしか乗り越えられない体験になるからです。

正直当時のことを私は憶えていないのです。

もうずいぶん経ちます。

甘えん坊だったあの子も今は私の心の中に居場所を移しています。

そして、時々、猫を見るたびに、「あの子ほどカワイイ猫はいないなあ」と思ってしまうのです。

10歳、女 時間の経過とともにいい思いでとして思えるようになった

40代の専業主婦です。

この子は初めて飼ったペットでした。

セキセイインコを2羽飼いました。

黄色い子と、青色の子です。

父親が知り合いから譲りうけたそうです。

ペットは飼ったことが、なかったので本当に嬉しかったのを覚えています。

餌をあげたり、鳥小屋の掃除をしたり何でも世話をしたくてしょうがなかったです。

そんなときに黄色い鳥は、病気でなくなりました。

家にきて半年も経っていないときでした。

小学生と言う子どもだったこともあり、すごくショックでした。

ずっと一緒に遊んだり出来ると思っていたので、そのときはすごく落ち込みました。

しかし、落ち込んでばかりはいられません。

青色のセキセイインコの世話を一生懸命頑張りました。

病気になっては嫌だと思い、自分なりに一生懸命お世話していました。

見た目もかわいかったですが、とても人懐っこくて可愛い鳥でした。

その子も、2年経ったころ病気になって亡くなりました。

生まれて初めて飼った、鳥たちでした。

可愛かったし、いろいろとお世話もしてきました。

病気なのでしょうがないことは、今ならわかります。

しかし、子どもの頃だったのですごくショックでした。

いつもいた鳥小屋がなくなり、鳥の鳴き声もしない。

まえは、それが当たり前だったのに急に聞こえなくなるとすごく気持ちが落ち込みました。

今まで味わったことがなかった気持ちを知った時だったと思います。

あの時は落ち込んで、暗くなったり、泣いたりすることがありました。

しかし、時間が経つにつれて徐々にいい思いでとして考えられるようになったと思います。

一緒に過ごした時間は、確かに楽しかったし、すごく充実していました。

それは時間がたってきちんと気持ちの整理ができたから思えるようになったと思います。

しかし、たまに何かもっとしてあげれたかなと考えるときもあります。

それはきっとペットを飼った事があるかたなら感じた事があるかもしれません。

どんなにいろんなことをしても、後悔することはあるのかも知れません。

30歳女 夢の中に現れたペットから感謝のイメージを受けて前に進んだ

これは今から20年以上前、私が小学生の時に飼ったハムスターの話です。

当時はハムスターがとても流行っていて、クラスにも必ず数人はハムスターを飼っている子がいました。

動物が大好きだけれども、動物アレルギーだった私は本当にうらやましく思っていました。

そのうち、「ハムスターなら小さいからアレルギーも出ないはず!お願い!」と親に懇願して、絶対に自分が世話をするからと約束して、なんとか許可がおりました。

ペットショップで、ひときわ色白で、目のパッチリした「彼」と出会いました。

悲しいことに、彼は生涯私になつくことはありませんでした。

素手で触ると噛みついてくるのです。

それでも彼はとびきり愛らしく、気高く、かけがえのない存在でした。

美味しいものを食べたときの「おいしい~」と目が細くなってニコニコとしている無邪気な姿が忘れません。

彼は平均寿命よりも長く生きて、眠るように亡くなりました。

老衰です。

けれども後悔がつきず、あの時もっとお掃除をしていたら。

もっと栄養のある食事をあげていたら・・・色々な思いがかけめぐります。

私がいけなかったんだ、と自分を責めました。

その夜から、彼のことを思い出しては、涙が出るようになりました。

会いたくても、もう会えない。

ごめんね、と謝りたくても、もういない。

たかがハムスターで・・・と笑う人もいるかもしれませんが、本当に大切な存在でした。

定期的にハムスターの夢を見るようになりました。

なんと、20年たった今でも定期的に見ます。

内容はいつも同じもので、決まってハムスターの世話を忘れている夢です。

「いけない!ハムスターを飼っていたんだ!掃除と餌やりをしなきゃ」そう言って焦っている夢です。

夢から覚めて、もうとうの昔に彼はいなくなったんだ、そう気づくとまた涙があふれます。

でもこの夢を何度も見るうちに、彼が「ありがとう」と言っている気がして、少しずつ浄化されていくような感覚がありました。

今はこの経験を活かし、動物の命の大切さを伝えていこうと思えるようになりました。

今も辛い思いはありますが、そういった気づきを与えてくれた彼に感謝をしています。

37歳 女 亡くなった子に似た子をお迎え

30代女性です。

実家では保護猫を飼っていました。

実際10年飼っていたので10歳以上の子です。

キジトラのようなミックスの子で母が引き取ってきました。

私はそもそもあまり猫に興味がなく、その子も積極的に私に絡んでくる子でもなかったのであまり興味がありませんでした。

私は社会人になり一人暮らしを始め帰省した時にしか合わなくなりましたが会うたびに活動量が減ったなと思うようになりました。

結婚して主人と一緒に住みだした頃、主人が猫好きだと告白しどうしても小さい頃から飼いたかった種類の猫をお迎えしたいと言いだし、将来生まれる子供がアレルギーにならないよう掃除を協力すること、私の書斎とクローゼットに入れない等ルールを決めた上で、ペットショップとブリーダーを巡り始めました。

半年ほどで気に入った子をお迎えできた頃には私も猫好きになっていました。

主人の飼いたかった猫はメインクーン、長毛種で大きくて頭が良くて、オスなので甘えたでとても可愛い子です。

実家に帰った時に、うちも猫を飼った、メインクーンで頭がいい。

粗相もしないし、毛もボリューミーで豪華、見た目も選別したので好みのブラウンタビーホワイトで白靴下が可愛い、だの家族に写真を見せながらキャッキャしていました。

本当は長毛種だからブラッシングも大変だし、去勢前にはスプレーもしたし、毛玉は吐くし手がかかるのですが自分で見つけてきて、病院やペット用品を探したり、甘えて膝に乗ってきたり一緒に寝てくれる猫は愛らしかったのです。

その頃実家の猫はもう餌もあまり食べず、高いところにも登りにくくなり、少し白髪混じりの毛並みになっていました。

いつ行ってもベランダから外を見て日向ぼっこしているだけの実家猫が、その時は部屋を移動していきました。

今思えば聞きたくなかったのかもしれません。

翌月、実家の猫は老衰で亡くなりました。

ペット葬儀には私も立ち会いましたが、もうガリガリでいたたまれませんでした。

父が「◯◯はお前(私)に懐いてたからなー」といい、「えー全然懐いてないよ」と答えると、実は私の脱いだ部屋着の上で寝たり、私が仕事から帰ってくる前は玄関のスリッパ収納台に乗って待っている、と。

私は母が亡くなっていて葬儀でバタバタしていてリビングのソファで寝てしまった時も、その猫がお腹の前で寝ていたよ、と。

それを聞いてから、あの時なんで他の猫のことばかり褒めたのだろうと後悔しました。

年取った和猫と、幼い洋猫なんて全然違うのに。

一年くらいは野良のキジトラを見ると罪悪感がありました。

その後に、ペットショップで見かけた生後6ヶ月のセール価格になった猫を飼いました。

キジトラではなかったですが同じ青い目をした臆病な子です。

名前は実家の子からつけました。

自己満足かもしれませんがこの子を実家の猫と重ねながら大事に育てていこうと思います。

お墓が私のパワースポット

飼っていたペットとの出逢いは今から24年前の私が小学2年生の時です。

ペットはトイプードルです。

その当時は、両親が共働きで姉がいたのですが、年が離れていたため、帰宅すると誰も家にいないことが多く、当時飼っていたプードルが私をいつも出迎えてくれました。

家に帰ってくると必ずしっぽを振って全身全霊で喜んでくれる姿がとてもかわいかったです。

一緒に寝ることも多かったし、家にいるときはいつも隣にいてくれて、姉妹のように一緒にいました。

家族旅行にも一緒に連れて行き、私の小学生・中学生・高校生・大学生の学生生活を見守っていてくれました。

大学生に入り、12歳を迎えた頃、変な咳をするようになり、獣医さんで診て頂いたところ、入院が必要になりました。

入院するまでもかなりつらそうな咳をしていたのを今でも覚えています。

入院中に会いに行くと、弱っていながらもしっぽをふって不安そうな顔は今でも忘れられません。

それからあっという間に入院先で亡くなりました。

母からそれを告げられたときは、姉と一緒に声をあげて大泣きしました。

後悔していることは、もっと病気を早く見つけてあげたかったこと。

入院先に毎日お見舞いに行ってあげたかったこと。

看取りは家でしてあげたかったことです。

入院先の不安な場所の中で、一人で天国に行かせてしまったことは一番の心残りです。

亡くなってから、家族で埋葬もして供養もしました。

しばらくは、心にぽっかりと穴が空いた状態が続き、たくさん泣きました。

自宅から少し離れた愛犬が眠るお墓は私のパワースポットとなりました。

月命日には通ったり、何かつらいことがあって話を聞いて欲しいときにはお墓に行くようになりました。

お墓に行くと、何故か落ち着く時間になりました。

やっぱり時間が一番の効果がありましたが、自分自身がそのペットのことを忘れてしまうのが怖くて、今でも写真は飾っているし、お誕生日や命日にはそっと手を合わせたり、大好きだったあんこをお供えしたりして、忘れないでいるようにします。

愛犬との別れを経験して

10代の頃経験したペットロスをお話ししたいと考えます。

その子との出会いは7歳の時でした。

記憶の中にあるのはブリーダーさんのところへ父の運転する車に乗り迎えにいっている所です。

その頃、犬を飼いたかった私はその子を世帯と迎えられる事になりすごく嬉しかったのを実際でも覚えています。

散歩やご飯担当し、幼いながら共にレベルアップしていきました。

ちょくちょくは、仲間との遊びの最中に連れて行ったはいいが舵取りのつなぎ方が悪く脱走されたり。

学校で嫌な事、ハッピーな事があったケースは報告して。

現実に私の一生に大きくかかわってくれました。

脱走した事例、たまたま良い方に見つかって近くまで連れてきてくれました。

あの時の愛犬の顔は可憐にてたまりませんでした。

そのようなメモリーがいろいろの毎日でしたが11年の年月が流れると愛犬も寝てる時がずーっとなったり、身内が帰ってきた音ににぶくなったりしていました。

食欲も以前より落ちてきていたのですが我が家では毎年庭でバーベキューをするのですが庭でおいしそうな匂いがすると愛犬も食べ物を欲してました。

それは毎年の事で、その時はやはり食欲があるケースだからと考え愛犬が好きだったおやつを食べさせながらその時を満喫ました。

けれどもその日を境にご飯を受け付けなくなり愛犬は天国に行きました。

涙が止まらず…信じられませんでした。

実際までありがとうね。

最後にお風呂入りたかったよね。

ごめんね。

自身の悲しい心境と現在までのメモリーを語りかけながら常に硬くなった体をなでました。

次の日業務の父とは別に私は自身で火葬場に連れていき最後の別れをして涙しながら職員の人と共に骨を拾いました。

その後も居宅に帰るたびに犬小屋のほうに目を向け…というか目を向ける事が習性だったんですね。

帰ってきて、嬉しそうにしっぽを振る愛犬に ただいま。

と声をかけるそれが自然でした。

そのがもういない…喪失感というか、暮らしにぽっかり穴があいたような。

そこにいない事が不自然すぎて。

居宅に帰ってきた感じがしないのです。

一層様々な所に連れて行ってあげたかった美味しいものを食べさせてあげたかったシャンプーもしきりにしてあげればよかった写真を一段と撮っておけばよかった人もペットも同じですね。

やりきる事はできない。

そう感じました。

人各々だと考えますが、私は必然的に犬がいない暮らしが自身の生涯ではありえなかったので数年後、新しい愛犬を迎えました。

そこに踏み出すまでは悲しい心情は蓋をしないでとことん愛犬を思い出しました。

悲しみのどんぞこから時が経つにつれ不思議と犬を飼って悔やみしているか考慮したんですそしたら私にとっては犬との暮らしは楽しい事しか考え浮かびませんでしたなのでさらにお別れする日がくるだろう。

でも愛犬にしてあげたかった事があるならばなおさら次の世帯になる子を迎え楽しく笑って人生、前の子にしてあげれなかった事をしてあげようと考えました。

直近で私が飼っている子は室内犬です。

以前飼っていた子は中型犬で室外で飼っていたので、必ずに室内犬!!と決めていました悔やみしてた事を悔いのないように実践しています。

といっても現時点でうちの家屋に預けています。

現在のアパートは企業契約でペット不可なのでわずかの間離れ離れです。

3か月後には持ち家が出来上がります。

早く一緒に住むのがエンジョイです。

ペットロスは思いっきり悲しんでいいと考えます。

蓋をしたら先に進めません。

急ぐこともなくゆっくりゆっくり。

自身の心境に向き合う事で見えてきます。

新しい身内を迎え入れる事はお薦めの前進でした。

大好きなペットとお別れしてもその上すばらしいな毎日が送れますように…。

36歳女 犬と猫のペットロスから立ち直ったきっかけ

30代の専業主婦です。

3年ほど前に愛猫を亡くし、約1年前には愛犬も亡くしました。

私は猫が昔から大好きでしたから、特に愛猫をなくしてからは長い間喪失感がありました。

その猫は、私がある時から道路上で毎日見かけるようになり、食事はとっているのか、怪我してないか、車には気をつけないとなど、ほっとけなくなってしまい室内で飼うことになりました。

茶色と灰色と白色の三色のまだら模様の変わった猫でした。

しっぽはボブテイルと言って、くるくると丸まっています。

その個性的な風貌は、時が経つほどに愛しさを感じさせました。

やんちゃな女の子でしたが、人間のような喜怒哀楽があるところも愛していました。

寂しい、イライラする、甘えたい、そんな感情が見て取れるわかりやすい猫でした。

よく明け方に私の所へ来たので、腕枕をして一緒に寝ていました。

よだれを垂らしてぐっすり眠る姿は今でも忘れられません。

徐々に年を取ってきて老衰で亡くなってしまってから、私はいつも通り生活をしていました。

しかし、その猫の温もりを感じられない、もう会えないと言う感覚もしっかり感じ、寂しかったです。

そして、最近子猫を飼うことになりました。

家に来てくれた子猫は、私がかつて愛した、亡くなってしまった猫によく似ています。

今、新しい子猫が来て半年以上経ちましたが、ペットロスの寂しい感覚や辛い感覚はほとんどありません。

私の周りにもペットロスで辛い思いをしている方は少なくありません。

その人の気持ちや感覚というのは、その人にしか分からないもので、外からコントロールできるものでもありません。

しかしもし、動物との新たな出会いがあるのであればそれを受け入れてみてください。

そうすることによってペットロスの辛さが和らぐ可能性があります。

人も動物も必ずいつかは亡くなります。

生きていくということは、動物の死を見送り続けるということなのかもしれません。

ですが、死が全てではないことも事実です。

今生きている動物や植物、なんでも構いません。

是非そちらに少しだけ目を向けてみてください。

34歳 女 時間ぐすり

私は、4年前に愛犬を亡くしました。

私といえば犬好き、犬好きと言えば私というくらい周りでは犬好きで通っていて、本当に心の一部のような存在でした。

私と彼女が出会ったのは、私が中学生の頃でした。

初めて参加した、犬猫の譲渡会。

その中でもとりわけ元気な子犬でした。

譲渡会なので、くじ引きで譲渡していただけるかどうかが決まるのですが、決まった瞬間は今でも鮮明に覚えています。

「膝の上に、まだ三ヶ月しか生きたことのない命が乗っている!」愛犬は本当に元気いっぱいに我が家にやってきました。

愛犬はどちらかというとトボけた性格で温厚な犬でした。

私達はどちらも子供でしたから、本当に姉妹のように育ちました。

犬に泣かされたこともありますし、おそらく犬も私に泣かされたことも多いでしょう。

それでも、一日の終りには、あたたかい愛犬のキスで仲直りしたものです。

いまでも、あの頬にあたる舌のやわらかさ、あたたかさ、そして犬臭さを覚えています。

ずっと一緒にいると思っていたのに…人生とは難しいもので、私のほうが実家を離れることになりました。

理由は進学。

それでもちょくちょく実家に帰っていたので、寂しさはありませんでした。

しかし、その後結婚が決まり、実家から遠く離れたところに引っ越さなければいけなくなりました。

私がどんなに家から長く離れていても、彼女は私のことを忘れることはありませんでした。

いつも近づけば耳を伏せてしっぽはちぎれんばかりに振り、そして「早く犬小屋から出してよ!」と催促するのです。

彼女はとっても素敵な犬でしたから、私の伴侶は犬嫌いが直り、今では犬が好きというところにまでなりました。

彼女は本当に最後まで素敵な犬でした。

健康で、病気一つせず、自慢の犬です。

後悔があるとすれば、近くにいれてやれなかったことでしょう。

それでも、16歳。

天寿を全うしたと言えます。

我が家に来て、彼女は幸せであったかなぁ。

幸せであってほしいなぁと、心から思います。

四年たった今、以前は犬を見るだけで大号泣していましたが彼女はもうすでに心の一部になりました。

今ペットロスで苦しんでいる人がいたら、時間が癒やしてくれると伝えたいです。

彼女がくれた愛情の分だけ、私の心は強くあります。

愛犬は消えたわけではなく、心に空いた穴はすべて彼女の思い出と愛情で埋まりました。

時間はかかりましたが、もう大丈夫です。

ああ、でもそうだなぁ。

やっぱりまだ、彼女には会いたいと強く思ってしまいます。

31歳男 1年の年月と大学進学を機にペットロスを解消した

私は31歳の男性です。

私の家では、10数年前に犬を飼っていました。

犬種は柴犬で、黒色の毛をした可愛い子でした。

その子は、私が小学1年生の頃、父の知り合いの所で生まれ、父が貰ってきて我が家に来ました。

その子が小さい時は、真ん丸でとても可愛かったのを覚えています。

散歩や餌やりは私が担当しており、家族の誰よりもその子と関わる時間が長かったです。

その子も、私に懐いてくれていて、その子が居るから毎日にメリハリがあり、楽しく感じたものです。

ただ、生き物ですからいつか必ず寿命が来ます。

その子も例外ではありませんでした。

その子は、亡くなる半年くらい前から元気が無くなり、餌もあまり食べなかったり、夜に寂しそうに泣く事が多くなりました。

日に日に弱っていくその子を見て、とても心が痛かったのを覚えています。

私に出来る事と言ったら、ただその子の傍にいてあげる事しかなく、無力感を持った記憶があります。

そして、その子は私が高校2年生になった時に亡くなりました。

亡くなった時は本当に辛くて悲しく、無気力な状態が続いていました。

その時は、これがペットロスなのかと思いました。

その状態は1年程度続きました。

その頃には大分気力が改善されていましたが、まだ寂しさを感じる事がありました。

だけど、いつまでもそんな状態でいる事は、亡くなった愛犬も望んでいないのではないかと思い、大学進学を機に、心機一転頑張ろうと思いました。

そうして大学生活を勉学に、バイトにと頑張り、いつの間にか心の空洞も無くなっていた事を覚えています。

もし今、大切なペットを失ってしまい、落ち込んでいる方がいるようであれば、月並みですが、時間がいつか解決してくれると伝えたいです。

亡くなってしまっても、自分がその子の事を忘れない限り、自分の中でその子はずっと生き続けるのです。

私は、いずれまたペットを飼おうと思っています。

いつか亡くなってしまうとしても、共に過ごした年月は自分の大切な財産になると思っているので。

アラフォー男性 克服したのかなあ

私は30代後半の独身男性で、今は独り暮らしをしています。

実家には、確か私が4、5歳の頃から常に猫がいました。

「いました」と言っても、大概は私や母が迷い猫を拾って飼うということが多かったです。

ほとんどの子たちには不妊や去勢の手術をしていましたが、ある時期には多頭飼いとなり一時は8匹を飼う大家族状態にもなりました。

そんな歳月ですから、何匹もの猫たちの最期を経験してきました。

老衰で亡くなった子、腎臓等の内臓を悪くして最期には衰弱してなっくなった子、交通事故に遭ってしまった子…。

私は一人っ子でしたし、猫たちは、より一層、私にとっては兄弟のような存在でした。

動物に言葉が分かるはずがありませんが、どこか気持ちが通じ合い、一緒に楽しく過ごしたり、あるいは私を慰めてくれる猫もたくさんいました。

思うに、親しい人間関係と全く変わらないのです。

ただ相手が小さかったり、私たち人間の選択の影響が大きいというだけのことです。

なので、どの子が亡くなった時も、家族が亡くなったのですから、等しく悲しく、その形が違ったというだけでした。

長く患っていたならば「それなりの」覚悟をしていましたし、事故の際には狂ったように嘆き悲しみました。

広い庭はありませんでしたが、敷地の隅や、祖父母の土地にお墓を掘って葬いました。

「ペットロス」は、家族等の親しい人を失うことと変わりません。

なので、どう向き合ったら良いか、それを突き詰めて考えることは、尊い考えであり経験ですが、解を見つけることはできないと思います。

命の終わりとの接し方ですから。

悲しみの種類も様々だと思います。

後悔が大きいかもしれません。

もっと早く病気に気付いてあげられたら良かった。

もっと一緒に楽しい時間を過ごさせてあげれば良かった。

是非、今のその思いを、ありのままに感じてください。

何か答えが出るわけではありませんが、あなたがそのような思いを強く強く感じること自体に、そのペットとあなたが過ごした日々の価値が凝縮されているのだと思います。

40代女性、親友だったあの子と、お別れの儀式

現在、40代後半の女性です。

私が昔、飼っていた猫のお話をします。

子供の頃から、猫が飼いたくて飼いたくて。

「中学生になったらね」と親から言われてきました。

約束の中学生になり、さあ、猫を飼おう!となりました。

田舎だったので、野良猫も多いし、猫を飼っているお宅も多く、ペットショップと言う選択肢はありません。

タイミングよく、お友達の飼い猫が子供を産んで、貰い手を探しているということで、さっそく、会いに出かけました。

雑種ではありましたが、長毛で丸顔の2匹の子猫、一匹は黒、一匹は、薄茶色の可愛い子猫たちでした。

私は、黒猫の虜になりましたが、他の家族は、皆一致して薄茶色の子を気に入りました。

私の約束の猫なのだから、私の気に入った子を!と主張しましたが、これから家族になるんだから、みんなに可愛がられる子の方がいいだろうと、多数決で薄茶色の子猫を貰うことが決まりました。

当初は、それが不満で仕方なく、人懐っこいその子に、ちょっと冷たくしてみたり、子供じみたいじわるをしました。

でも、やっぱり憧れた猫との生活。

気がつけば、べったり。

部活の時間が終わるのも待ちきれず、ダッシュで帰宅。

内向的な私には、人間の友達より、大切な存在。

それからは、ずっと一緒。

その子は、私の最高の友達であり家族になったのです。

中学3年生になったとき、私は、将来就きたい職業のことを考えて、少し遠い高校に進路を決め、寮に入ることになりました。

自分の将来の夢の為とはいえ、家族から離れる…両親と離れる事より、その子と離れることが、一番の心残り。

勉強を終えたら、また一緒に暮らそうね、と約束して、高校生活を始めました。

1年経った頃、寮に住む私に、手紙が届きます。

あの子が亡くなったと。

携帯電話もまだまだ普及していない時代。

人間の家族の危篤なら、学校に電話連絡も出来たでしょうが、私が看取ることなく最後の亡骸を見ることもなく、サヨナラすることになりました。

目の前で、その死を受け止めることが出来たら、もう少し、実感もあったかもしれませんが、私には、それがありません。

最期の様子を家族から聞き、ただ、想像するだけ。

しっかりお別れできていないことが、私を苛みました。

家族は、いつも餌を与えていたという野良猫が、車庫に子猫を産んだので、その子猫たちを、うちの子として飼い始めたと聞きました。

私は腹立たしく思いながら、寮生活を悶々と、逝ってしまった子のことを思いながら暮らしました。

私には、あの子だけ。

高校を卒業し、実家へ戻っての暮らしが始まりました。

新しい猫たちとは距離をとり、あの子のことばかりを思っていました。

すると、母が、「あの子のお墓を作ろうか」「庭木の植え替えをしなければいけないし、庭の片隅に埋めたあの子の亡骸を掘り起こして、あなたの手でちゃんと、お墓を作ってあげよう」と言いました。

私には、あの子の死が、非現実のものだったのです。

庭を掘り起すと、あの子の亡骸の入った箱が出てきました。

箱には名前が書かれており、大切に大切に何重にも布にくるまれたあの子の亡骸。

その時、私だけでなく、家族にとっても、大きな悲しみだったのだと気付き、また、本当に、あの子は逝ってしまったんだと、実感をしました。

お墓を作ると言っても、庭の片隅から、片隅に、庭木の植え替えの邪魔にならない場所に移すだけの作業。

それでも、自分の手で、その作業が出来たことが、私の中で、何かを大きく変えました。

これが、一つの、重要な儀式だったのだと思います。

それからは、新しい猫たちとも、わだかまりなく家族になれた気がします。

今は、親友だったあの子の可愛い姿を、笑顔で思い出すことが出来ます。

元気になった金魚が突然死んでしまった話

当時28歳、女です。

うつ病の休職中のできごとです。

その当時、癒しにとアクアリウムで金魚を飼い始めました。

3万円もする大きな、ひれの美しい金魚で、何件も金魚屋さんをみてまわって、お金をためて、この子がいいと一目ぼれをして決めた金魚でした。

病状は軽快したとはいえど、まだ復職できるレベルではとうていなく、母親には「今はまだやめておいたほうがいいんじゃないの」ととめられましたが、結局は私が押し切り飼育をはじめました。

事前に世話のしやすい水槽を選んで、さあ万全と飼育を始め、名前もつけて、毎日話しかけ、手からエサを食べるような人懐っこい金魚に育ちました。

人はもちろん、うちの猫が水槽によっていっても、金魚もすいすいと寄っていくようななつっこさでした。

1年近くたった時、冬の水温がかわったころに水替えをすると、金魚がまるで元気がなくなりました。

おなかがはって、ひっくりかえるようになり、心配で金魚屋さんに相談しました。

所定の薬をもらい、えさをたち、水のかえる分量や頻度の落とし方、ひやひやしながら毎日声をかけ、きっとよくなるよ、なおすからね、と金魚にも自分にも言い聞かせるように世話をしました。

すると看病のかいあって、元気にすいすい泳ぎ、いつものようによってきて餌食いが戻ったのです。

やった!よかった!と安堵で涙が出るほどでした。

よかったね、私の飼い方がわるくてごめんね、これからは苦しい思いはさせないからね、と謝り、ほっとして図書館へと出かけました。

帰ってくると、金魚は死んでいました。

腹をうえにして、浮いていて、ぴくりともしません。

信じられず、次の日までほぼ一晩様子を見ていましたが、やはり死んでいました。

金魚屋さんにきいたところ、死ぬ前に元気を取り戻すことはあるようなのです。

ろうそくの灯が消える瞬間に一瞬強くもえるように。

そして、私がみたとおりのできごとがおこると。

本当にかわいそうなことをしてしまった。

あの子を飼うにふさわしい上手な飼育者のところへいければ、あの子はまだ元気でいたかもしれないのです。

そして、子供だって生まれていたかもしれない。

泣けてたまりませんでした。

その時、ケースは違うのですが、主治医が希死念慮をするような心の病や症状の場合、いちばんうつがひどい時よりも、ちょっと動いてみようかな、という元気が少しでたときが実はいちばん危ないのだといっていたことを思い出しました。

そういうときこそ用心してほしいと。

私にもおぼえがある症状でした。

それを思い出せて金魚のことや気持ちがぐちゃぐちゃになり、一晩泣いて、つらさは残るけれど、次の朝はすっきりとしていました。

金魚が私の鏡というか、私の生きる手だすけをしてくれたのだとむしょうに思えたのです。

傲慢な発想ではありますが。

金魚との毎日も経験も、私が得た思いもずっと残ります。

それが、救いになりました。

25歳女、愛犬の死をどう捉えるかによって道は拓ける

初めまして!20代の会社員、女性です。

今は一人暮らしをしています。

私のペットロス体験が誰かの手助けになればと思い今回記事を書かせて頂きました。

その犬は私が物心付いて間も無く我が家にやってきた、メスのゴールデンレトリバーでした。

名前はアリスと言います。

若干4、5歳だった私が両親の友人の家で産まれたアリスを見て欲しいと懇願し、それから10年間生活を共にしました。

当時の日本は今のように室内で犬を飼う事があまりなかった為、アリスも大きくなってからは外の小屋で飼うようになりました。

外飼いになったのが原因なのか、飼い主である、私や家族に対しては忠誠心が強く従順でしたが、他人に対しては常に牙を剥くような犬でした(笑)きっと、家を守らなくてはいけないという正義感がアリスにはあったんだと思います。

そんなアリスとの思い出は数多くあります。

小学生の頃、同級生の男子に馬鹿にされ、アリスを見せつけてやろうとやっとの思いで公園に連れて行き、ですが連れて行ったは良いものの、同級生の野球ボールにアリスが反応して駆け出してしまい、私もリードを離すわけにもいかなく、そのままぶっ飛び、芝生に突っ込み顔面から引きずられたり(笑)そして数ヶ月に一回ぐらいのペースで夜中脱走してみたり、私が中学生になり体型を意識し始めてランニングに勤しんでいる時に気がつくと後ろにいて一緒にランニングしていたり(笑)私の幼少期からアリスは常に私の側にいてかけがえのない存在でした。

ですが必ず、人間より先に犬は死んでしまいます。

アリスにもその時がやって来ました。

私が中学2年生になった頃でした。

アリスは散歩に行くのもままならないような感じで常にフラフラと体調が悪そうなのです。

両親や祖父母は暑いせいでちょっと夏バテでも起こしているんだろと言い病院へは連れて行きませんでした。

そんな日から一週間ほど経った頃、私の親は飲食店を営んでいていつも帰宅する時間が23時ごろと遅かったのですが、その帰宅する時間が遅く、実家も田舎にあった為、私の両親は帰宅するといつもアリスをノーリードで自由に家の周りを走らせて散歩していました。

私もよく両親が帰って来たと分かると外に出て一緒にアリスと戯れて、散歩をしていました。

その日もそうでした。

外へ出ると、ここ一週間、具合の悪そうだったアリスが元気に駆け回っていたんです。

私はやっぱり夏バテだったんだと安心して駆け回っていたアリスの名前を呼びました。

アリスは私に気がつくと一目散に駆けよって来ました。

私はアリスを抱き締めながら昔はもっと大きく感じていたはずの体を撫でて、夏の電柱のライトに群がっている蛾をみて、アリス~見て~気持ち悪いね~と笑いながら話しかけました。

そんな夜を過ごした次の日は早朝から雷が轟き、雨がひっきりなしに降り続け、天気がとても悪かったのです。

祖母はアリスが雷を苦手なことを知っていたので、安全な地下室にアリスを入れてあげました。

そして朝ご飯の時間になり地下室にアリスのご飯を持って行くと、アリスはもう冷たくなっていました。

昨日の元気な姿はアリスが最後の力を振り絞って、私達に心配を掛けないようにとしていたんだと考えると涙が止まりませんでした。

なぜ気が付く事が出来なかったのか、もっと出来ることは沢山あったんじゃないか後悔してもしきれませんでした。

私のこの心の痛みは一生消えないと・・それなのに、数週間後に母親が犬の里親サイトで犬を保護しようと思うと言ってきたのです。

私の心はズタボロです。

新しい犬なんて要らない!!ですが私の意見など通るはずもなく・・成犬になってから飼い主に捨てられたという、メスの秋田犬が我が家にやってきました。

保護犬と秋田犬という和犬のクールさも兼ね備えていた犬だったので、もちろんすぐには懐きません。

可愛くない!!やっぱり、アリスの代わりになんかなれないんだ!!受け入れる事は容易ではありませんでした。

ですが次第に接して行くうちにこの犬の生い立ちなどを考えるとそうやすやすと嫌いにはなれなかったのです。

昔は雨が降ろうが、雪が降ろうが、犬は外!そのせいで些細な変化に気がつけづにいた事も事実です。

アリスに対してしてあげられなかった事をこの犬にしてあげよう、それがアリスに対する多少の報いになるのではないだろうか?その保護犬はアリスとは違い室内で飼うことになりました。

初めは愛想も何もない犬でしたが次第に心を開いて行き、私も気がつくとアリスに対するペットロスが無くなってきていました。

可愛がれば可愛がっただけ、大きなペットロスが生れる事は当然です。

ですが、その愛犬の死をこれから先どう捉えるかによって自然とペットロスは無くなっていくのだと思います。

42歳女性、家族でペットのエピソードを思い出し、笑い合っています

愛犬が亡くなって気付くともう3年ほどが経ちます。

活発でしたが、気が強く、自己主張の強いタイプの子でした。

犬種はミニチュアダックスで、その中でもわりと小柄だったので、見た目はかわいらしかったのですが、媚びを売る様子もなくドどしんと構えているような真の強さを持っていました。

亡くなった時はもう高齢で、犬年齢では18歳間近でしたが人間での年齢でいうと80歳も超える年齢でした。

彼女が一切になる前から家族として一緒に過ごしてきていたので、日々に感謝することもなく、ただ、当然のように年老いていうのが当たり前のようになっていたと思います。

毎年できないことが増え、寝ている時間が多くなっていき、痴呆気味な部分も見えていました。

そんな夏のある日、家族で海水浴に出かけました。

もちろんペットも一緒に連れていきましたが、あまりの楽しさに急遽一泊して帰ろうということになり、私たちは小さなホテルへ泊まり、彼女を近隣のペットホテルに預けたのです。

いつもだったら、事前にどんなところなのかチェックしてお泊りをさせるのですが、その時は、近隣にホテルもあまりなく、目についたところに連れて行ったのです。

結果的には、そのホテルが管理がずさんなところで、その日以来調子が悪くなり4日後に亡くなりました。

あの時、迎えに行くと水を浴びるように飲んでいたので、熱中症だったのかもしれません。

その時の事を思うと今でも後悔が襲います。

ずさんなペットホテルに対しての憤りではなく、なぜ、あの日に限って急遽泊まることにしたのか。

なぜ、下調べもしていないようなホテルに彼女を預けたのか。

あの時、体調を崩してなくても遅かれ早かれ老衰していくことは明らかでした。

それはわかっていますが、やはりあの時、私の軽い判断で彼女を苦しめる結果となってしまったことはとてもつらく感じました。

その後悔は今でも消えませんが、今は、元気に走り回っていた彼女の思い出を思い出すようにしています。

もうどうにもならないのだから、一緒に出掛けた楽しかったことを笑い話にして家族で思い出しています。

今、ペットが元気いっぱいでも、いつかは必ず見送ってあげなければならない現実がやってきます。

それは仕方のない事ですが、どうか、常に言葉を話さない家族の事を気にかけ、後悔のない毎日をペットと過ごしてほしいと思います。

46歳 女性 周りにも視野を向けてペットロスを解消

子どもの時に、近くの家の犬が出産し、1匹だけ見た目も違うし、なんとなく遠慮がちな子犬を見て、すごく気になりました。

そこのおばさんに、この子、ちょっと他の子にもいじわるされがちだから、もらってかわいがってもらえたら有り難い、みたいなことを言われて、両親に頼み込みました。

田舎の家で、家の中で飼うという認識がなかったので、父が、車庫に犬の家を作ってくれて、母がその家にあわせて布団を作ってくれました。

まだまだ、子犬だったので、本当にかわいくて、時間がある時は、ずっと犬のそばにいました。

シェパードのように真っ黒なハーフ犬でしたが、とにかく犬なのに犬らしくないというか、おだやかで吠える事も少なく、家族が犬の近くに行くと、満点の笑顔でそんなにしっぽをふって自分にバチバチあたって痛くないの?というくらい表現してくれる子でした。

散歩に行っても、前足からこけたり、つまづいたり、雨の日は散歩をいやがったり、小さい頃は、えさをお箸であげてたので、お箸で口の前まで持っていってあげるまで、よだれをたらーと垂らして待っていたり、本当に愛おしい子でした。

一度、散歩中に変な人に会ったことがあるのですが、飼い主を守るどころか、いちもくさんに逃げて、いつも立ち寄る駄菓子屋さんのところまで逃げていました。

笑 おかげで、変な人と絡む時間もなく、犬が迷子にならないように必死で追いかけたので、私も事なきを得ました。

車に乗ったら、車酔いでヘロヘロになるし、やたら手のかかる子でしたが、本当にかわいかった。

私が泣いていると、首をかしげながら、そばにきてまるまってくれたり、水遊びがてら、身体を洗うと怖がってかたまるし、ブラッシグをすると、ぐでんぐでんになり寝てしまったり。

彼は、大切な家族で友達でした。

嫌なことがあると、犬の家で過ごしました。

彼を見ていると落ち着きました。

でも、6歳を過ぎた頃、彼の様子がおかしく、病院に連れて行くと、ガンだと言われました。

どんどん体力がおちていき、散歩も行きたがらなくなりました。

母親は、なでていると落ち着いた顔をする、というので、なでていましたが、逆にそれくらいしか、私にはできませんでした。

ある日、学校から帰って、家に入らずに撫でていると、母親が、さっきまで息してたんだけど、あんたを待ってたのかな、、、と声をかけられました。

まだ、あたたかくて、なでていたら、目をあけてくれるかと思いました。

静かに息を引き取った、と母から聞きました。

私の後悔は、あの日、学校に行った事、です。

家族で彼の悲しみを共有したわけではないですが、父が悲しんでいるのも、母が悲しんでいるのも感じました。

それが、私の力になり、彼の死をこえる事ができたと思います。

自分だけで、解決しなくていいと思います。

知らない人にでも聞いてもらっても気持ちがおだやかになるかもしれないです。

きっと、飼い主が悲しみに暮れているのを、亡くなった子達が望んではいないと思います。

27歳女、新しい思い出を新しい家族と作りました

私は1歳の頃から犬と一緒でした。

初めての犬は保健所から連れてきた雑種犬でした。

兄が駄々をこねておじいちゃんがあと1日しか余命がなかった子を選んできました。

外飼いの雑種でしたがとても頭のいい子で、幼い私が迷子になっても見つけて連れ戻してくれたりしました。

私が小学生の頃から毎朝の散歩は私の日課で毎日一緒でした。

私が16歳になると犬も16歳、犬はお腹に腫瘍ができ通院していましたが16歳の冬ご飯を持っていくと倒れていて父に抱っこされ安心したところで息を引き取りました。

外飼いだったこともあり寂しい思いも怖い思いも沢山したと思います。

たとえば私たち家族が知らないところでカラスにイジメられたり、新聞配達の人にイジメられたりしてたみたいです。

近所の人が助けてくれたりしましたが、室内飼いであればイジメられることもなかっただろうととても後悔しました。

もっと遊んであげて、もっと色んなところに出かければ良かったと思いました。

学校に行ったら泣くのを我慢してたりしましたが友人に、「その子は幸せだったね。

」と言われた瞬間に涙が止まりませんでした。

今でも思い出したら涙が出てきます。

ずっと可愛がってきて家族だった子が死んでしまうと何をしていてもその子のことが頭の中を過ぎりますし常に目に涙が溜まりました。

その時にこのままではダメだと思い私はその子の分ももっともっと幸せになる子を!と、その後2匹迎えました。

1匹は子犬のときには不整脈で、成犬になってからは心臓病(肥大)と脾臓にガンが見つかり通院しながら先生と話し合い無理をさせない範囲で色々な場所に連れて行って思い出を作りました。

とても良い先生に出会えて危なかったときも寝ずに治療して頂いて、家での過ごし方などもアドバイスしてくれたりケアも教えてくれ、息を引き取るときは出来る事はしたので後悔はしませんでした。

もう1匹は健康でディスクやアジリティ、いろんな大会に出てみたり一緒に競技をして思い出をいっぱい作っている最中です。

後悔しているならば新しい子を迎えるのもいいと思います。

迎えるのに抵抗がある方もいると思いますがなによりも癒されるます。

犬の優しさに触れることができる嬉しさ、また新しい家族と新しい思い出を作るのもいいと思います。

20歳女性、心の中にいる愛犬と生き続けていくと誓いました

動物が大好きで、幼い頃から犬やインコ、ハムスターやウサギなどさまざまな動物と暮らしてきました。

特に思い入れが強かったのが、中学生の頃に飼い始めた雑種のハッピー。

近所の犬が子どもを産み貰い手を探しており、我が家の家族の一員になりました。

私自身が多感な時期で、家族とも折り合いが悪かったのですが、家に帰ればハッピーが迎えてくれるので、家族との距離もハッピーが縮めてくれていたように思います。

大学進学と同時に家を離れることになり、ハッピーとの時間は少なくなりましたが、帰省するとシッポを振り回して迎えてくれたことを思い出します。

大学2年生の冬、突然「ハッピーが危篤」と家族から連絡が入りました。

ほんの数か月前に帰省したときは元気だったのに。

突然倒れて瞳孔が開いてしまい、動物病院へ搬送するも数時間後にそのまま亡くなってしまったそうです。

原因はわかりませんでした。

6歳という若さで突然天国に旅立ってしまったハッピー。

急なことで、死に目にそばにいてあげることが出来なかった悔しさで、泣きながら新幹線に飛び乗り実家に帰りました。

実家では箱に入れられたハッピーの姿が。

最期は苦しかったのか、目は開いた状態でした。

まだ体もあたたかく、でもどんなに呼びかけても微動だにしませんでした。

もっと遊ぶ時間を取れば良かった。

もっと可愛がってあげれば良かった。

ハッピーは我が家に来て幸せだったのだろうかという思いと罪悪感で、胸が押しつぶされそうでした。

翌日ペット霊園にて供養してもらい、私も学業のため自宅に戻りました。

しばらくは学業にも身が入らず、授業中もバイト中も、友達と過ごす時間の中でも突然涙が流れてきたり、精神的に非常に不安定でした。

朝起きると泣いていたことも多々あります。

そんな自分の心を救ってくれたのは、同じようにペットを亡くして悲しい思いをした飼い主さんのブログです。

もうペットは飼わない、悲しくて立ち直れないといった思いに共感し、色々な方のブログを読ませてもらいました。

自分の気持ちを整理する中で湧いた思いが「ハッピーにしてあげられなかったことを、次に家族となるペットにしてあげたい」というもの。

ペットロスで心に空いた穴は簡単に埋まるものではなく、ハッピーの代わりはいません。

ただ、ハッピーが自分の中にいるからこそできることもあるのではないか、と思いました。

ペットと暮らす喜びをもたらしてくれたハッピーのおかげで、また新たに犬を迎え一緒に暮らしています。

あれから10年以上経った今も、ハッピーのことを思うと涙が出てきます。

ペットロスを克服したとは言えないかもしれません。

しかし、ハッピーは私の中に生き続けていて、私もハッピーと共に生きて行こうと思っています。

時間が解決する、という無責任なことは言えませんが、家族になってくれたペットはいつまでも飼い主さんの中に生き続けると思うようになり、私はまた前を向いて生きられるようになりました。

28歳女性 スマホで撮影した画像をみた

はじめまして、専業主婦をしている女性です。

私は結婚を機会に、実家を離れることとなり、ペットと別れなくてはならなくなりました。

実家は動物が大好きで、犬や鳥、ハムスターに金魚、ハリネズミなど様々なペットを飼ってました。

みんな大好きなのですが、今回はその中で、ハリネズミとの別れの話をさせていただきます。

出会いは一昨年の秋のことです。

近所のペットショップにメスのハリネズミがいたんです。

当時、ハリネズミブームだった私と母は、近所にハリネズミがいるのは珍しいと思い購入することにきめました。

性格はおとなしく、人懐っこいいい子でした。

家にお迎えした後も特に病気にもならず、とても健康な子で手が掛からなかった印象です。

そんな彼女は、お風呂のあとが特に苦手でよくタオルを噛んで離さないなんて事も…しばらくして、私の結婚が今年決まり、実家を離れることになったので、彼女を連れて行くか凄く悩みました。

結果、今の家ではハリネズミを診てくれる病院もないということで、実家においていくことに決めました。

お別れ当時から、最近まで彼女が気になってなりません。

ペットロスはハリネズミだけでなく、愛犬たちもいたのでそっちのことも…。

動物系のテレビ番組を見ていると「どうしてるかな…?」と思ってしまいます。

実家においていったことについて、後悔はありますが、家族が見ていることに安心してます。

スマホで撮影した画像を見て、寂しさを紛らわしたりするのですが一時的でむしろ逆効果かな…と。

とはいっても、SNSでハリネズミの写真を見てたりもしてました。

とっても癒されました。

自分自身の生活ももちろん大切ですが、私と同じく結婚や就職などで実家を離れなくてはならなくなった時は、無理に連れて行くことはないと思います。

病院もそうですし、新しい環境になれず、体調を悪くしてしまえば、もともこもないと思うので実家に甘えられるのであれば、預かってもらい定期的に帰る事をおすすめします。

あとは、動物が嫌いなわけででは無いので、ペットショップにむやみに立ち寄らないのも案のひとつです。

何故なら、お迎えしてしまいたくなりますからね。

ペットロス解消とは少し離れた話になってしまいましたが、私の経験談となります。

ロスって、意外と解消出来にくい問題ですね。

無理することはないですし、生きているならば会いに行けたら会いに行けばいいのです。

こんな話をしている内に、また実家のハリネズミに会いたくなりました。

41歳+男性+気持ちを切り替えて解消

私は41歳の男性です結婚する前に、5年飼っていた犬が亡くなりました亡くなってからの翌日からは喪失感が酷く、仕事に手がつかないくらいの状態でしたさすがにそれではまずいと思いまして、別のペットを飼おうかと思いましたが、さすがにできず下記の方法でクリアしました◆体を動かす事にしました家に閉じこもりがちになっていて、運動をしていなかったのでまずは軽い運動から始めました。

体を動かすと、交感神経を活発化させたり、脳内からセロトニン(幸福ホルモン)が分泌されると言われています。

とにもかくにも体を動かすことです◆食事をとることにしました健全な体調にするべく、食生活を見直しました。

三食食べる事、肉魚だけではまずいので、野菜を摂取して、バランスのよい食生活に移行しました。

とにもかくにもバランスよく食生活をすることです◆お墓をつくり、お参りペットがいない状況を受け止めるには精神的にはきついかと思いますが、それでは前に進むことができないので、整理をする為に、家の庭にお墓を作りました。

毎日、お参りをしまして、私の気持ちを伝えました当初はつらかったのですが、徐々にではありますが、現実を受け止められるようになりますので、「悲しくなってもしょうがないよね~」と思えるようになり、前に進めるようになりました。

勝手な思い込みですが、私がずっと悲しんでいるようでは、ペットも悲しんでいると勝手に思いまして、子持ちが吹っ切れるようになりました前向きに生きることがペットの気持ちであると思います◆人に話を聞いてもらう同じ境遇に遭遇した友人がいましたので、話を聞いてもらいました。

しかしながら、あまりにもペットのお話をしすぎると何時間もすると相手に精神的な負担をかけすぎるので、少しだけするのがよいかと思います上記を行って解決するのかわかりませんが、まずはどれでも酔いのでやってみてはいかがでしょうか?飼い主の状況をペットが喜ぶわけではなく、ペットの気持ちを背負ってこれから前向きに生きていくことが良いかと思います

37歳男性 においの染みついたタオルでペットロス克服

現在37歳の男性です。

高校1年から大学4年まで飼っていたプレリードッグが虹の橋を渡った時の体験です。

高校生になるまでは金魚やカエルといった水槽で飼育できる生き物を飼っていました。

母はインコを飼っており、休みの日になると近所のデパートまで餌などを買いに行っていました。

デパート内に魚や犬猫、ハムスターなどを扱っているペットショップがあり、動物を見るのも好きだったので、よくついていきました。

すると今まで見たことのない「プレリードッグ」というげっ歯類の赤ちゃんが売られていました。

犬猫のように大きくなく、手のひらで可愛がれるくらいの赤ちゃんプレリーに一目ぼれし、母におこずかい交渉を行いその日のうちに家族になりました。

プレリードッグは小型犬のように「キャン」と鳴くのが特徴で非常に活発で、大人になりきるまでは発情期の攻撃性があったりと大変苦労しました。

しかし大人になって落ち着いてくると、母の飼っていたインコを背中に乗せたまま室内を散策したり、リードをつけて近所を散歩したりと、多くの思い出を一緒に作ることができました。

特に思い出深いのは、私が夜寝る時に部屋の電気を消すと騒ぎだすようになったことです。

暗いことが怖いわけでもなさそうなのに何で騒ぐのかとある日ケージの扉を開けたところ、ケージから私のベッドまで真っすぐと向かってきて、私の枕もとで寝始めたのです。

最初はそのまま寝て、つぶしてしまったりどこかへ逃げてしまうかと不安でしたが、朝になっても枕もとや枕の下敷きになっても伸びて寝ていたり、私の脇に潜り込んで肩枕で寝てたりすることが増え、次第に一緒になるのが当たり前になりました。

そんな日々を送りながら大学に入学し就職活動をし始めたくらいの時、だんだんと元気がなくなってきているように感じ、近所の動物病院へ行きましたが、当時はプレリードッグを診察してくれる病院がなく、リスだったらわかるけど、こんなに大きなプレリードッグは責任が持てないと診察を受けることもできませんでした。

今ならネットでいろいろ検索できるのに、当時は家庭にパソコンが普及し始めた矢先、裕福でもなく興味もなくパソコンを買っていない家庭では、どうすることもできませんでした。

餌をふやかしてあげたり、鼻が詰まって息苦しそうなときは吸って取ってあげたりとすることしかできず、家族で弱っていくのを見守り、手が空けば撫でてあげることしかできませんでした。

そしてある日家から電話があり、もうそろそろと言われ、慌てて帰りましたが間に合わず、虹の橋を渡ったばかりでまだ温かい体を一晩中抱きしめて一緒に寝たのを鮮明に覚えています。

悲しくて泣いたりするというよりは、喪失感から心にぽっかりと穴が開き、その穴が大きな存在感を発しているような感じでした。

翌日家族で冥福を祈り、これまで魚やインコがなくなった時に埋葬していた庭の一角にプレリードックも土葬しました。

ケージなどはその日のうちに処分をしました。

大きな悲しみが迫ってくるような恐怖感があったからです。

でも一緒に毎日のように寝ているときにかけてあげていたバスタオルだけは洗濯や処分をする気になれず、いつも寝る時は枕もとにおいて匂いを嗅ぐように寝ていました。

心とは裏腹にいろいろなものを早く処分したのに、いなくなった喪失感を埋めるために匂いだけは失いたくなかったのです。

土葬した庭に行くのも当時は不安や恐怖から避けていたのを思い出しますが、それでもバスタオルの匂いだけは離せませんでした。

当時私はなぜかバスタオルを何枚もベッドに持ち込む癖があり、枕もとには枕と同じ大きさくらいのまるまったバスタオルが積んでありました。

母が勝手に持っていき洗濯をするのですが、匂いが染みついた一緒に寝ていたバスタオルだけは何も言わずとも洗わずにいてくれました。

そんな日々が続き半年もすると、母が「もう大丈夫ね」と私に話し始めたので不思議に思っていると、匂いのついたタオルもこっそりと洗濯をし始めていることを話し始めました。

洗濯されたタオルと混ざり匂いがなくなっていくのに気が付かず、徐々に洗濯された匂いをプレリードックの残り香と勘違いしているようでした。

そんな特に何をしたわけでもない、自分の認識が変わっていくことに気が付き、ふと寂しさと悲しさが押し寄せてきてしっかりとした喪失感を味わったのを覚えています。

そして泣き止んだ時には、なぜか前向きに、自分を自分で励ませるようになっていました。

そして一枚だけ残していた写真を額に入れて部屋に飾り、心で語りかけられるようになりました。

動物の話になると泣いてしまうよくあるペットロスというよりは、死に直面して受け入れることができず見ないふりをし続けていたペットロスだったのだと思います。

時間の解決とも言えますが、その間常にに残り香と共に生活し心が壊れるのを救ってくれていたのだと思います。

逆に匂いが残るほうが長引きそうなイメージもありますが、心で亡くなったペットにすがるより、物に感情を移したほうがもしかしたら何かのきっかけで回復することがあるのかもしれません。

あれから15年、今は4年前からフェレットを飼っています。

やっとまた動物を飼う心が整ったのだと思います。

そして今回はしっかりと世話をして調べて何かあったら治療し、笑顔でお別れができるよう頑張っています。

そしていつもテレビの隣に置いてあるプレリードックの写真を見ては、当時一緒に寝てくれた姿を思い出し、フェレットと一緒に寝るために奮闘しています。

51歳 女性 動物のぬいぐるみがペットロスを解消してくれた

ペットと一緒にいる期間は10年前後になります。

中にはさらに長く一緒にいる場合もあります。

しかし、ペットは人間よりも寿命が短いので、必ず先にペットの方が天国へ行ってしまいます。

私もそのような経験を過去にした時、しばらくペットロスになりました。

いろいろな想い出がよみがえり、悲しくなることもありました。

そして、私の場合はもうこのような辛い経験をしたくないと思い、それ以来、ペットを飼うことは止めました。

しかし、長年、ペットが居た生活から、居ない生活に慣れていくことは難しいものです。

なので、時間がかかるかもしれませんが、ペットロスが治っていくには、やはり時間が解決してくれるものだと思っています。

そして、ペットの代わりになる何かを見つけたほうが良いと思います。

新たにペットを飼うのでも良いですが、私の場合はまた、同じ悲しみになるのは嫌だったので、ぬいぐるみをペットの代わりにしました。

それまではペットがいたおかげで、ぬいぐるみが欲しいとは思ったことがありませんでした。

しかし、ペットが居なくなって、始めてその存在に変わるものが必要だと感じました。

おそらく、ペットの代わりになるのは人間ではないのだと思います。

ぬいぐるみはペットのように餌をあげることはできませんが、いつもそばに居てくれます。

また、自分の悩みを聞いてくれますし、いつも傍に居てくれます。

さらに大事に扱えば、一生一緒に居てくれる存在です。

それでも、ぬいぐるみはペットに比べると物足りなさを感じることもあります。

ペットを飼っている人を羨ましく思うこともあります。

しかし、長い目でみたら、ペットロスから解放された後は、ぬいぐるみの方がいろいろな面に於いて、精神的に楽だと思うようになりました。

ペットは家族の一員ですし、ぬいぐるみも同じだと思います。

中にはリアルアニマルのぬいぐるみもあるので、その子がもしかしたらペットロスを助けてくれる存在になるかもしれません。

自分を救ってくれる存在は必ずしも、生きている動物でなくても良いと思いました。

44歳男性、新しいハムスターがペットロスを癒やしてくれました

私は四十代の男性です。

私が二十代後半頃の体験を話します。

残業残業で帰宅するのが遅く、また帰宅する部屋に誰もいないのは非常にさみしかったです。

何かペットが飼えないか調べ始めました。

犬猫などは絶対に無理でした。

とても世話が出来ません。

もう少し手軽に飼えてかわいいものがないか探しました。

色々探していくうちに、インコや文鳥、ハムスターが候補に挙がりました。

飼育が比較的容易で有ることと、手のひらに乗せられることがハムスターを飼う決め手になりました。

週末に近所のペットショップに行き、ジャンガリアンハムスターを購入しました。

ゴールデンとどちらにするか悩みましたが、縦縞が気に入りました。

その日から私の人生は変わりました。

家に帰るとハムスターが待っています。

小さい命。

無垢な命。

短時間でしたが毎日散歩をしました。

手のひらからご飯を食べたり毛繕いをしたり、毎日ドキドキしていました。

タイミングが悪いと私に原を立てるのも良かったです。

犬や猫のような自意識が感じられないところがとても良かったです。

あまり気を遣う必要もなく、風通しの良い関係だと私は思っていました。

買い始めてから一年ほど経った時に事故が起こりました。

私の不注意が招いた事故です。

早く起きた朝、寝ぼけた頭で五分でいいからと思って散歩させたのが間違いでした。

通常ハムスターを放すときは部屋の隙間という隙間をブロックします。

ハムスターが間違えて入って迷子になることを防止するためです。

私の部屋はいつでもハムスターを放せるように隙間は覆ってあったのです。

しかしハムスターの体が到底入り込めないような隙間は覆ってなかったのです。

酷い先入観でした。

その朝ハムスターは到底通れないと私が思った隙間に侵入を試みたのです。

ギリギリ入ることが出来て、もうでられないような隙間でした。

すぐに助け出そうと試みたのですが、遅かったのです。

その日も仕事がありました。

否応なく出勤します。

その日は仕事になりませんでした。

集中しようと思ってもどうしても出来なかったのです。

二週間ほど仕事の能率が上がりませんでした。

小さな生きものを自分の落ち度で死なせてしまった、それもあんなに酷い形で。

なにをやってもしばらくはつらかったです。

会社の先輩に新しく何かを買いなよ、と言われてもしばらくはそんな気になれませんでした。

しかし半年ほど過ぎたときに、同じジャンガリアンを飼う決心がつきました。

今度はもっと念入りに囲いをつくって、そこで散歩をさせるようにしました。

最初は申し訳なさも有りましたが、だんだんハムスターのかわいさがまさりました。

私は段々癒やされていきました。

ハムスターはそれから二年強ほど生きました。

今度は寿命まで世話が出来て良かったです。

そしてこのときは別れる寂しさはありましたが、ペットロスはあまり大きくありませんでした。

49歳、男性、ペットロスを解消するためには時間だけが必要でした

私は40代、男性、会社員です。

それまで自宅で飼っていた愛犬、コーギーを病気でなくしました。

我が家のコーギーは実に14年も一緒に生活をした、言ってみたら家族同然の存在だったのです。

ですから愛犬とはどこに行くにも一緒でしたし、旅行に行く時に愛犬と同じ部屋で過ごせないのなら旅行自体も取りやめるくらい、私たち家族にとっては愛犬はかけがえのない存在だったのです。

もう海外旅行なんてあり得ないという感じでしたね。

愛犬のコーギーはハナちゃんと言いました。

メスのコーギーでどちらかというとヤンチャな性格。

でも私たちにとってはそんなヤンチャな性格のハナちゃんが本当に可愛くて仕方ありませんでした。

ハナちゃんと出会ったのは町のペットショップだったのです。

本当は犬を飼うつもりはありませんでした。

けれど、そのペットショップでハナちゃんと目が合ってしまったら、もう離れる事が出来なくなっていました。

もう完全に運命だったのだと思います。

ですから愛犬ハナちゃんが亡くなった時は、もうどうしたら良いのか私にはわかりませんでした。

しばらく、ハナちゃんがこの世にいないということを受け入れられなかったのです。

病院でハナちゃんの亡骸を受け取り、自宅に連れ帰っても、何かハナちゃんが今にも動いて、いつもの生活にもどれるのでは?というような錯覚の中に私はずっといました。

火葬を終えたハナちゃんを見た時、ああ、本当にハナちゃんはこの世にはいないんだと思うともう涙は止まりません。

それからしばらく、ハナちゃんと一緒に行った海や公園に行っても、横に彼女がいないという現実を私は受け入れられないでいました。

けれども、ハナちゃんが亡くなってから一年くらいして、ハナちゃんの姿を見るのが全て写真であることに私は気がつきました。

ハナちゃんと一緒に写っている私はいつも笑っています。

この時、私はいつまでも私が泣いていては天国でハナちゃんも笑えないなと思ったんです。

それから不思議なくらい、私はハナちゃんがいない事を受け入れられるようになりました。

多分、こういう気持ちになれたのは、落ち込むだけ落ち込んだかからだと思います。

やっぱりペットも家族ですからね、そう簡単に元気になれる訳はないのです。

ですから落ち込んでいた期間は私にとって必要な時間だったんだと思います。

そしてこれからは違った形でハナちゃんと一緒に過ごして行こうと思います。

毎朝、ハナちゃんの写真を見て、私も明るい顔で挨拶をしています。

ハナちゃんもずっとそんな私たち家族を見守っていてくれるはずです。

41歳女 彼の死を生かして生きていく

17年間家族の一員だった愛犬が亡くなりました。

その最後の数年、私は実家を離れていたので、帰省するたびに彼に会えることをとても楽しみにしていましたし、半面で、会っていない間の老化も目の当たりにし、胸が苦しくなりました。

晩年は、白内障もあって、あまり見えていないとのことでしたし、数年前までは散歩に行くと、こちらが引っ張られる風だったのに、そんな勢いもなくなっていました。

自分の半生を共に過ごしたわけで、いつのときも一緒にいました。

庭で飼っていたので、夜中に雷がなると、くぅくぅという鳴き声で目が覚め、パジャマのまま外に出て、彼を玄関先に連れてきては、翌朝母に怒られたり。

それは、母が一番世話をしていたので、玄関が臭くなるということと、はしゃいで玄関を汚してしまう掃除を母がしていたからでした。

私がやれば良かったのに、その頃はかわいがるものの、掃除や散歩などは母任せにしていたのです。

母もキャリアウーマンなので、朝はとても忙しく、散歩は5分くらいでした。

本当に、心底後悔しているのですが、なんで私がちょっと早く起きて十分な散歩に連れて行ってあげなかったのだろうと、何でもっと外で走り回らせてあげなかったんだろうと、今でも後悔で後悔で、申し訳ない気持ちになります。

あっちに行きたいのに、リードを引っ張ったり、もっと走りたいのに家に帰ってきたり、あの頃の私をぶん殴りたいような、そんな気持ちになります。

最期のときは、誰も側にいてあげれなかったのです。

残暑の夕暮れ、仕事から帰ってきた母が倒れていた彼を見つけました。

それを聞いて、涙が止まりませんでした。

あんなに長く一緒にいてくれたのに、私はもっとできることもあったのにしなかった、後悔と懺悔の気持ちで胸が張り裂けそうでした。

あれから数年経ちますが、未だに思いだすと涙が出てきます。

でも、彼が亡くなってしばらくして、私の妊娠が分かり、今母になって、愛情を注ぐことの大切さを身をもって感じています。

子供のトイレの始末もなんてことありません。

だって愛する子供ですから。

時を戻して、もっと彼を大事にしてあげたいという思いは募りますが叶いません。

でも、彼の存在を忘れずに、一生反省しながら、彼が教えてくれたことを大事に心に留めて前に進んでいます。

27歳女性、撮りためた写真と動画が前向きな気持ちに導いてくれた話

私が小学校1年生になった年に、家に新しい家族がやってきました。

ミニチュアダックスフンドの男の子です。

物心ついた時から、ずっと犬が好きで「いつか犬を飼いたい」と、うるさいくらいに両親に何度も何度もお願いをしていました。

また、出かけた先でペットショップがあると、必ずショーケースの前まで足を運び、飼う予定が決まっている訳でもないのにただ眺めるといった、少々店員さん泣かせ?な行動もしてきました。

そのような中で、「犬を飼う」という夢がやっと叶ったので、とにかく嬉しかったです。

学校から帰ったら、ケージが置いてあり、眠っている犬を見つけた時は、漫画のように「これって夢なのかな」と、現実に起きていることとは思えないくらい衝撃を受けました。

家に来た時は、まだ子犬だったので本当に小さく、そして寝ている時間が多かったです。

可愛くて仕方がない私は、犬の体を「ツンツン」と優しくつついてみたりと、家にいる間はほとんどそばを離れませんでした。

見かねた母に諭されてからは、ちょっかいを出したい気持ちを抑えながら、とにかく犬を眺めていました。

学校から帰ると、いつも尻尾を振って迎えにきてくれることがとにかく嬉しくて、いつも家に帰るのが楽しみでした。

朝や夕方の散歩は、母や姉、父が休みの時は父と行ったり、犬の散歩の時間を通して、家族でのコミュニケーションの時間も増えました。

しつけ担当は主に母や父だったのですが、とにかくやんちゃな子だったので、最初はしつけに苦労している様子でした。

スリッパをビリビリに破いたりと、いたずらっ子な一面も多々ありましたが、末っ子の私にも優しく接してくれる子でした。

私が泣いていた時は、スッとそばにやってきてぴったりと体を寄せてくれる、人の気持ちに寄り添える、心優しい子で何度も助けられました。

家に来てから10年が経つ頃、悪性のリンパ腫で亡くなりました。

ものすごく大きな喪失感を感じました。

撮りためた写真や動画を見返すことで、時間はかかりましたが、どこかで見守ってくれていると信じ、明るく前向きに生きようと思えるようになりました。

33歳男 時間の経過がペットロスを解消してくれた

私は、現在33歳の男性です。

今回は、愛犬を失った時のペットロスをどのように解消したのかについて、ご紹介します。

私が犬を飼ったのは、小学校6年生の時に父が知り合いから、シーズーのメスの赤ちゃんを貰ってきたのがきっかけでした。

初めてのペットだったので、最初は少し怖いと思いましたが、すぐに懐いてくれて家族でとても可愛がるようになりました。

名前はリリーと名付けました。

リリーはとても人懐っこくて、いつも就寝する時は私の布団の中で一緒に眠り込んでいました。

たまに布団の中で、お漏らしをしてしまうこともありましたが、今となってはそれも良い思い出です。

ずっと元気だったリリーですが、10歳を過ぎた頃から少しずつ静かになり、日中も眠っている時間が長くなっていきました。

それでも夜に私や家族が帰宅すると、尻尾を振りながら出迎えてくれたので、まだまだ長生きするだろうと思っていました。

ところがリリーが15歳のある朝、突然呼吸困難になってしまい、かかりつけの動物病院に連れて行ったのですが、その日の夜に亡くなってしまいました。

先生曰く、老化によって内臓の機能がすでに限界を超えていたそうです。

あまりにも突然の事だったので、私はしばらくの間リリーの死を受け止めきれずにいました。

家でふとリリーの事を考えた時や、外で犬を見かけて不意にリリーを思い出した時に、その場で泣き崩れることがありました。

そんな状態が続いたので、しばらくはリリーの写真を見る事が出来ませんでした。

何よりも後悔したのは、リリーが亡くなる数年前から学業や仕事が忙しく、あまりリリーの相手をしてあげなかった事です。

もっと家にいる時間を長くして、リリーとの思い出を作れば良かったと自分を責めました。

リリーが亡くなってから、そんなペットロスの状態が5年程続きましたが時間が経つに連れて、徐々に悲しい気持ちは薄れていきました。

今でもリリーをたまに思い出しますが、泣きたくなるような気持ちにはなりません。

おそらく時間の経過が解決してくれたのだと思います。

今もペットロスで苦しんでいる人達がいると思いますが、必ず乗り越えられる日が来るので安心して下さいと伝えたいです。

47歳女性新しい子猫を譲渡会で譲り受け飼い始めました

日本と海外両方転勤で転々としている転勤族です。

家族は夫婦と子供が一人です。

子供が生まれる前海外に住んでいたころ主人が出張がちで家にほとんどいませんでした。

新しい国に入国して日が浅く親しい友達もいなかったため寂しい時間を過ごしていました。

住んでいた場所がコンパウンドという塀で囲まれた一軒家が立ち並ぶ大きな区画の中でした。

プール、店、病院、レストランなどが備わるコンパウンドで中は治安もよい場所でした。

猫が可愛がられていた国柄もあり野良猫が多く住んでいました。

また気候は年中暑いので猫にとっても外での生活はしやすい環境でした。

日本のように迷惑がられていない野良猫はとてもフレンドリーでしたので寂しい時間を過ごしていた私の家にも時々猫が遊びに来ていたのでご飯をあげたりして仲良くなりその中の一匹を飼うことになりました。

その後転勤で日本、海外、行ったり来たりしましたがそのたびに連れていき16年ほど一緒に暮らすことができました。

最後は海外から日本に帰国しました。

高齢ということもあり長いフライトが不安でしたが何とか頑張ってくれました。

海外からペットを連れて帰るには狂犬病の注射、血液検査のあと6か月の待期期間が必要になります。

海外で待機するのですが突然転勤が決まったため6か月より早く日本に帰国することになり猫だけ成田の係留施設で待機することになりました。

先に家を決めあと1か月少々で我が家に迎え入れられるというとき係留施設で息を引き取りました。

もともと野良猫さんだったので正確な年齢はわかりませんが私たちと一緒に生活したのが16年。

野良猫時代に子供もウンでしたので十分長生きだったと思います。

最後に家につれていけなかったことが残念でしたが野良猫だったらもっと短い生涯だったはず、と後悔しないようにしています。

係留施設の方も何度も写真を撮って送ってくださいましたし会いに行ったときは丁寧に対応してくれてお骨もきれいな入れ物にいれて送ってもらいました。

骨壺を見ているといろいろな後悔や悲しみが襲ってくるのですぐに保護猫譲渡会に行き新しい子猫を迎え入れました。

もといる猫さんが亡くなってすぐになんてとか何日過ぎたらと気になさる方もいるかもしれませんがペットロスは日にちが解決することはないと感じたので私の場合はすぐに子猫を迎え入れました。

結果、子猫の愛くるしいしぐさで亡くなった猫と子猫を比べて家族でお話することもでき良かったと思います。

25歳女 長い時間をかけゆっくりと覚悟を決めさせてくれた

ゆうきとの出会いは、私が小学2年生の頃。

真夜中にふと目が覚めると、枕元に子猫がいたのです。

半分眠ったままの頭で喜びながら、近くにいた父に「これ、夢?」と尋ねたことを覚えています。

それから私とゆうきは、姉弟のようにじゃれあいながら成長していきました。

ゆうきは当時高齢猫に片足を突っ込んでいた先住猫を追い掛け回したり、巨大な昆虫を捕まえては家の中に持ち込んだり、そこらじゅうにマーキングしたり、何かとお騒がせで、当時子供だった私や父と離婚寸前だった母からは、十分な愛情を注がれなかったかもしれません。

そこが一番、今でも悔やまれるところです。

そんな風に、ゆうきや私が成長するまでの間は何かとドタバタしましたが、私が高校を卒業するころにはお互いに落ち着いて、「ツンツンした猫」と「そんな猫を溺愛する女」という一般的な猫飼いの構図に落ち着きました。

ゆうきは私にとって、世界で一番かわいい弟でした。

そんなゆうきを失ったのは、今からたった半年ほど前のことです。

それでもあまり悲しみを引きずっていないのは、彼が17年10カ月もの間生きてくれたことと、亡くなるまでの間に何度も「命が危ない」という状態になったにも関わらず、そのたびに不死鳥のごとく復活し、私たちの覚悟を少しずつ固めてくれたからにほかなりません。

最終的には老衰で亡くなったゆうきですが、彼には持病がありました。

きっかけは、私たちの不注意で彼の脱走を許してしまったことです。

家から脱走し、丸一日たったあとに帰ってきたゆうきは、頭にけがをしていました。

すぐに病院に連れて行きましたが、数日たつと傷口は膿み、それがきっかけでてんかんの発作を起こすようになってしまいました。

発作が出るようになってから、一日中けいれんが止まらなくなったり、おしっこが何日も出なくなったり、ゴハンが食べれなくなったりといった問題が、一つずつ順番に起こりました。

ぐったりするゆうきを見て「もうだめかもしれない」と私たちが覚悟を決めたことは一度や二度ではありません。

しかし彼はそのたびに問題を乗り越え、私たちの前にふたたび元気な姿を見せてくれました。

そんな彼のおかげで、私たちは少しずつ覚悟を固めることができたし、後悔も少なく済んだんだと思います。

それでも愛する者を亡くした事実に変わりはないので、こうして書いているとやはり涙が出てきますが、彼を家族に迎えたこと、彼を愛したことは一ミリたりとも後悔していません。

ずっと愛しています。

30歳女 子供の頃からの愛犬を失った時の悲しみから復帰まで

子供の頃から犬が大好きだったので、小学生の時にペットとして犬を飼い始めました。

それまでに一度もペットを飼ったことがなかったので、自宅に犬が来た時には心から嬉しくなったことを覚えています。

好きな犬と遊んでいる時間は、本当に至福のときでした。

ところが、犬はしばらく元気だったのですが、病気がちになってしまいました。

その頃はもう寿命が近い年齢だったからと感じています。

それ以来、ペットと一緒に散歩にいく機会が減ってしまいました。

散歩に行くよりも、自宅でゆっくりと時間を過ごさせてあげることが増えました。

それに、自宅の近所にある獣医さんに体の調子を確認していくことも増えたのです。

薬を飲ませてあげなければならなかったのですが、とてもかわいそうな気分になりました。

しかし、薬を飲むことによって体がちょっと楽になったようなので、気が紛れました。

ある時、薬の効果もほとんどなくなり、完全にペットが弱ってしまいました。

それから間も無く、亡くなったのです。

信じられませんでした。

家族として一緒に過ごしていた犬なので、亡くなった時には悲しい気分になりました。

自宅の部屋にこもって一人で泣くことも増えました。

友人や家族のメンバーに心配されることもあったのですが、ペットロスには本当に悩まされたことを覚えています。

泣いても泣いても涙がすぐに止まることはありませんでした。

楽しいことを考えようと思っても、悲しい気分が変わることはないのです。

かなり時間がかかりました。

セラピーの先生に頼って、話を聞いてもらうこともありました。

話を共有すると、少しは気分が楽になったかもしれません。

しかし、完全にペットロスから復帰するためには、かなりの時間がかかったと感じています。

だいたい一年くらいは、暗い気持ちで過ごす日々が多かったです。

今思えることは、ペットロスを感じる時には無理しないようにして、悲しい気持ちを認めてあげることも大事なのではないでしょうか。

必ず大丈夫になる時は来ます。

49歳・女性・お墓の花壇と他の動物が癒してくれました

現在49歳、身体が弱く独身ですが、要介護1の高齢の母と静かに暮らしてます。

今まで3匹、犬を飼った事がありますが、最後に飼った犬が死んだのは18年前です。

真っ白の秋田犬のメスでした。

私が進学の為に家を離れてる時、生後半年の子犬がもらわれて来てました。

帰省の時、初めて会いましたら、他人を見る目で見られてしまいました。

私はこの家の娘で、あなたよりも古株なのよ。

それにしても、なんて綺麗な犬でしょう。

弟が女優のマリリンモンローが身につけていた白い毛皮のイメージとよく似てるという事でモンローと名付けました。

私が卒業後、家に帰りましてその後10年近く一緒に過ごしました。

飼い主孝行で13年半も長生きしてくれましたのに、介護は亡くなる3日位しか、必要なく、あっという間に亡くなりました。

後悔してる事は犬の飼育書をもっと読めばよかったかな、という事です。

大きな物置につないで飼っておりました。

広々としてよいかと思ってたのですが、犬はオオカミの巣穴のイメージで狭い所に入って休むと安心するそうですね。

毛布でも入れてやれば、暖かそうですしね。

若い頃は冬に雪が降るとお腹をこすりつけて遊んでましたが、晩年は布団と毛布を敷いてやると喜んでました。

食べ物も特に齢をとってからはもっと気を遣ってやればよかったと思います。

結構食べない方が良いものもあるみたいで。

でも1週間に2羽、自家製鶏がらスープをやってたのはよかったのでしょう。

一滴も残さず、容器をなめてました。

冬に亡くなりまして自宅の庭に深さ1m位の大きな穴を掘って埋めました。

新聞紙を敷いてセーターをかけて、花と食べ物を入れて。

動物が掘り返さないようにトタンをブロックで飛ばないようにおいて。

春に花壇を作りました。

最初の年に色々な種類の花がミックスされてる種を播きましたが、ピンクと白のおいらん花の大輪が一つずつ咲きまして、モンローが会いに来てくれた気がしました。

もう18年になりますが、なるべく踏まないように花を植えてます。

そして、犬を飼ってた頃は現れなかった狸が柿の実を狙って出没するようになり、遊び場にしてた休耕田はキジの縄張りとなりました。

48歳女性食べてペットロスを解消しました

約16年間一緒に生活していたネコを亡くしてペットロスに陥りました。

昔からネコが好きでやっとネコを飼える環境になって16年間本当に幸せでした。

毎日その子が居てくれるだけで心が安定していたから亡くなった後は完全にペットロス。

自分の子供を亡くしたような辛さで心もカラダも折れそうでした。

16年間って長いですよ。

人間の子供だっておぎゃーと生まれて16年経てばカラダだって大人ですからね。

ネコはそこまでの成長が見えないけれど、16年間寝食を共にしていたのだから自分の子供同様に可愛かった。

最終的に腎臓が機能しなくなって亡くなってしまいました。

最期は自宅でわたしとわたしの母が看取りました。

母が居なかったらわたしはもっともっと深いダメージを受けていたでしょう・・・。

その子の状態が悪くなり2習慣くらい通院したり入院したりしていたんですが、その時も母が居なかったらわたしは気がおかしくなっていたでしょう。

ひとりではとても耐えられない状態にありました。

その子が亡くなってお葬式をしました。

ペット供養が出来るお寺を紹介してもらって火葬してお経を上げてもらいました。

人間の時と同じような手順できちんと供養してもらい、骨をキレイな骨壺に入れてもらって自宅へ連れて帰りました。

今もその子の骨は自宅のリビングにあります。

毎日お水をあげています。

家族が集まる1番賑やかな場所にその子の骨を置いている理由はその方が寂しくないと思ったから。

そしてその子が好きなソファーがあるからです。

わたしはしばらくペットロス状態で食事が喉を通りませんでしたが、母が励ましてくれて頑張って食べるように。

食べられるようになるにつれてペットロスが解消していきました。

食べないと人間ダメになっちゃいますね・・・。

ペットロスの期間は半年くらい。

食べられるときに食べることを続けていくうちに元気になれて母も安心したようでした。

悲しむときは悲しんでいいと思いますよ。

52歳女性 新しい家族を迎えて罪滅ぼしする毎日

五十代の女性です。

私の父親は日本犬が好きで、子供の頃から犬はほぼ途切れず飼っていました。

そんな父が病に侵され苦しんでいた時、長年飼っていた老犬も父と同じような症状になってしまいました。

父はその時は幸いにも快方に向かったのですが、入院先から外泊を認められ帰る予定だった前日に、犬の方が天に召されてしまったのです。

次の日に帰宅した父は息絶えた犬に寄り添い、肩を落としていました。

まるで、父の身代わりのように天国へ旅立ってしまった老犬・・父親の落胆ぶりは凄まじく、子供達で相談し、父親が退院した時に、仔犬を新しい家族に迎える事にしました。

そして、良心的なブリーダーさんから一匹の豆柴犬が我が家にやってきました。

名前は当時デビューしたての人気アイドルグループ「嵐」からいただき、アラシと名付け、庭で一緒に遊ぶ事が父にとってのリハビリになっていたのですが、その父もアラシが一才になる前に他界しました。

以後、アラシの飼い主は私になり、そして人間ひとりと犬一匹の生活がはじまりました。

父は犬を玄関までしか入れませんでしたが、私はアラシを室内で飼う事にして座敷犬にしてしまい、夜も一緒に寝ました。

当時私はまだ30代で、親戚にアラシを預けて長期海外旅行に行ったことで、アラシは「分離不安症」になり他人にはなつかない犬になってしまいました。

それからは出来るだけ寄り添って暮らし、どこに行くにもほぼ一緒という生活でした。

あまりこだわってはいなかったのですが、アラシは血統書つきの犬でしたので、機会があればお見合いをして仔犬を生ませたいと考えていたので去勢をしなかったのですが、残念ながらその機会は訪れませんでした。

年月が経ち、アラシが10才になったころ、健康診断で睾丸に腫瘍ができている事がわかり手術したのですが、手遅れだったようで間もなく再発し、11才になってすぐの頃に再手術をしましたが、心臓が持たず、そのまま息を引き取りました。

私も手術中に亡くなるとは露にも思わず、突然の別れにしばらくは呆然としましたが「家に帰ろう!」と毅然として、自分で運転してアラシの亡骸を家に連れて帰りました。

私が去勢させていればと本当に後悔しました。

この年は東日本大震災が起こった年で、東北ではない私の地元の動物保護施設にもたくさんの被災犬が避難していて、被災犬ではなくとも一匹でも譲渡してもらえれば、間接的に役に立てるのではと考え、施設にいた柴犬を迎えました。

あえて問題有りの犬を選び、この仔の面倒を見る事でアラシを長生きさせてあげられなかったせめてもの罪滅ぼしになればと今でも思ってます。

47歳男 飼っていた金魚たちは死んでも楽しかった思い出は死なない

私は47歳です。

男です。

5年ほどまえ、飼っていた金魚が立て続けに亡くなった経験をお話したいと思います。

飼うようになったきっかけは子供がもらってきたからでした。

もともと自分から金魚を飼う予定はありませんでしたが、地元のお祭りで子供が金魚すくいでもらってきました。

最初は二匹でしたので、家にあった金魚鉢で飼い始めました。

そして、お祭りのたびに子供が金魚すくいをしてはもらってくるかたちになり、最終的には6匹になりました。

その頃にはさすがに手持ちの金魚鉢では手狭になり、新しく大きめの水槽を買いました。

それに伴って、下に敷き詰める砂利とか、水草とか、必要なものを一式揃えていきました。

飼っていくうちにだんだんと愛着がわいていきました。

最初はなんとなくながめていただけでしたが、毎日エサをあげたり、仕事から帰ってながめているうちに、だんだんと可愛くみえて来ました。

子どもたちと一緒に水槽を眺めたり、それぞれの金魚に名前をつけたりしていると、見ているだけでも幸せな気分になれるのです。

金魚たちはすくすくと大きくなっていきました。

金魚といっても微妙に種類が違ったようで、大きくなるにつれてその違いがはっきりしていくのが分かるのも楽しく感じていました。

飼い始めてから2年ほどたった頃です。

一匹の金魚がなんだか元気がないように見えました。

身体に白いカビのようなものがついているのです。

いろいろ調べて、違う水槽で身体を洗ってあげたり、栄養のあるエサを考えたりと手を尽くしました。

しかし、数日後、朝起きて水槽に目をやると、水面にその金魚が横を向いて浮かんでいるのが見えました。

死んでしまったようでした。

いくら金魚とはいえ、それまで一緒に生活してきた家族に違いはありません。

胸がつかえるような気持ちになりながら家の庭に埋めてあげました。

その後、水を入れ替え、他の金魚たちに影響がないようにと細心の注意を払って飼っていたつもりでした。

ところがそれでは終わらなかったのです。

まるで順番が来るように、一匹また一匹と、時間を置きながらも確実に弱っていき、最後は死んでしまうのです。

最後の一匹になってしまったときは本当に泣きそうな気持ちでした。

やがてその一匹も他の金魚たちと同様に、弱って死んで行きました。

全ての金魚を亡くしてしまい、空っぽになった水槽を見たときの無力感はいまでもはっきり覚えています。

いろいろ手は尽くしたつもりでしたが、結果としてはすべて死んでしまいました。

当時はとても悲しかったし、何か他に出来たのではという気持ちが無いわけではありません。

しかし、たとえ2年ほどの短い期間とはいえ、自分の子供たちと一緒に育てることが出来たという思い出はちゃんと残すことが出来たと思います。

悪いことばかりではなかったと、前向きに考えられるようにしています。

金魚たちは死んでしまいましたが、思い出は死なないと気を取り直すようにしています。

28歳女 楽しかった思い出の写真の整理で気持ちも整理しました

私は現在、20代後半の女性です。

中学1年生の時に両親がいきなり犬を飼ってきました。

その子はスムースチワワのメスで毛が短いタイプです。

両親がペットショップから買ってきた時には生後10ヶ月で大人に近い状態でした。

その子はガリガリに痩せており、手足も鼻も長く見た目はチワワというよりはバンビに似ていました。

小さな目でした。

そんな見た目で売れ残り、10ヶ月になっても売れなかったのでセール価格になっていたそうです。

抱っこすると暴れたりせず大人しくしていたので、可愛く思えて買ってきたそうです。

子犬感はなく、だいぶ成長していたのでトイレも芸もすぐに覚えたので飼っていて困ることは全然ありませんでした。

たまに風邪引く程度で10歳くらいまで大きな病気も怪我もありませんでした。

後悔していることは、初めて犬を飼ったので必要な知識がなかったことです。

たまに、床にお尻を擦り付けながら歩くことがありました。

可愛いなと思っていましたが、本当は肛門絞りをしてあげる必要がありました。

肛門に溜まった物があるのでその歩き方をするときは肛門絞りをやらないといけない時でしたが、可愛かったので私は喜んでいました。

それは亡くなった後に知った情報だったのでかわいそうなことをしたと反省しています。

あとは、避妊手術をしてあげていれば乳がんや子宮の病気のリスクを減らせたことです。

10ヶ月経ってから飼った子ですがその時にすぐに手術してあげれば良かったと今でも思います。

我が家では知識がなく、産ませる予定もないのに避妊手術をしていませんでした。

案の定乳がんや子宮の病気になってしまい、手術しても手遅れでした。

術後の衰弱が激しく死期が近いことが分かったので離れてくらす兄が会えるようしました。

兄も最後に生きた状態で会えたことは喜んでくれたので、家族に連絡することをオススメします。

亡くなってからは、あんな小さな子が居なくなっただけなのに存在は大きかったと実感しました。

寿命ならあと2年くらいは生きてくれると思っていたので雑に接した時期があることを後悔しています。

散歩もあんなに楽しんでいたのに、私は忙しくてリードを引っ張ることが多かったです。

今はスマホやテレビでたくさん情報を得られるので活用しています。

前の子の反省点を少しでもいかせるようにしています。

スマホでその子の写真をよく撮っていました。

1000枚近くありましたが、泣いてもいい日に写真を整理しました。

当然可愛い時や楽しい時の写真ばかりなので、自分の至らなさよりも楽しかった思い出が勝つようになりました。

写真を見ると、この子は幸せだったと思えるようになり悲しさは薄まりました。

44歳 女性 再び犬を飼うことでペットロスを解消できた

私は飼っていた愛犬を14歳で亡くしました。

出会いはペットショップです。

とても頼りなく、儚げな容姿に一目惚れし、本当は違う犬種を飼いたいと思っていたのですが購入したのは真っ白なスピッツでした。

そんな出会いの儚げな様子とは一変、連れて帰ってすぐに大暴れ、何でも噛む、なんでも食べるというおてんば娘。

真っ白でコロコロした毛玉のような容姿に、家族みんなが癒されました。

しかし犬と言うのはあっという間に歳を取ります。

13歳くらいから「痴ほう症」の症状や「関節炎」など、本当に人間と同じなんだな…と思えるような症状がバタバタと現れだしました。

ですが、不思議なことに犬の介護の世話はちっとも辛くなかったです。

おしっこやうんちも間に合わずに最終的には紙おむつをはかせました。

白内障で真っ白になった目は誰も映さなくなったのかいろんなところにぶつかります。

痴ほうの症状でおなじところをくるくる回ったり、反対にじっと立ち止まったままになったりもしていました。

そんな姿も愛おしく感じていました。

最期は本当にあっけなかったです。

なんだか今日は具合が悪そうだからと、病院に預けた数時間後に「息を引き取りました」と連絡がありました。

あの具合が悪そうに見えたその時が、犬が私に向かって最期を伝えていたのかもしれない…そう思うと、あの時病院に行かなければよかったのではないか、と今でも自問自答しています。

よくテレビなどでは家族に見守られながら…とか、飼い主の腕の中で…など犬との最後の時間を迎えられたエピソードなとがありますよね。

でも私にはそれがないのです。

返ってきたときはもう亡骸だったのです。

泣いても泣いても、涙が枯れることはありませんでした。

普通にしていても、じわりじわりと涙が絶えず出て困りました。

焼かれて骨になっても、何か区切りがつかなくて、延々と何かがくすぶり続けて涙が絶えず出てきました。

これがペットロスなどというものなのかな…などとぼんやりと思っていました。

犬が歩くと聞こえる、爪を鳴らす「チャッチャッチャッ」という音を、寝る時にゴトンと体を横たえる音を、いびきの音を無意識に探す生活が続きました。

ペットロスを解消した方法は、結局また犬を飼う事でした。

捨てることかできない犬のたくさんの形見に囲まれて、どうすればいいのか途方に暮れていたころ、姉にスピッツがペットショップにいるよ、と教えてもらいました。

スピッツ自体ペットショップにいることが珍しいので驚きましたが、購入することは考えませんでした。

まるであの子の代わりにしようとしているようで、同じ犬種など考えてはいなかったのです。

ですが、飼ってしまった。

それは、見に行った時には大きくなりすぎたのか(それでも4か月ほど)、衝撃の1万円だったからです。

もしかして売れなかったら殺処分されてしまうかもしれない。

そう思ったら連れて帰るしかなかったのです。

現在9歳になるこの子は、亡くなったあの子の代わりにしてしまうかも…なんていうのは連れて帰ってすぐにふっとびました。

何もかもが正反対だったからです。

性別も別なら性格も正反対でした。

亡くなったあの子に出来なかったことはすべてやろうと思いました。

現在特に病気もなく、とても元気で、あの時連れて帰って本当に良かったです。

死に際というのは選べません。

あの時病院に行かなかったとしても「病院に行っていたらもしかして…」と逆のことを思っていたとおもうのです。

ですからできるだけやれることをちゃんとやろう、というのが後悔しない犬の飼い方だと思います。

今この子は散歩は一日2、3回。

雨の日も風の日も、雪、台風の時でさえ、お散歩大好きな愛犬のために欠かしません。

食事も朝は手作り食、キロ1000円前後の安全に作られたフード。

亡くしたあの子に出来なかったことはできるだけやるようにしています。

できることは全部、後悔しないように、現在を生きています。

とはいえ、ロスになるくらい愛せたのだとしたら、それはいいことなのかもしれませんけどね。

きっと虹の橋で待っていてくれているはずですから。

54歳 男性 結局、月日の経過が解決してくれるしかなかった

当年、五十も半ばに差し掛かる男性です。

ペットはその大・小にかかわらず愛情を注げば、注ぐほど、懐いてくれて、可愛いものです。

しかし、その分、いなくなってしまった時の喪失感、悲しみも計り知れません。

今からもう40年以上も前のことです。

まだ、小学校の高学年だった当時の話です。

公団住宅に住んでいるので、犬や猫を飼うことは入居時の規約で禁じられていました。

それでも、私は兄弟や姉妹がいない一人っ子だったのと、生来、動物が好きだったので自分で世話をするという約束で親に頼み込んで飼ったのが、文鳥でした。

どうせ飼うのなら懐いてくれる雛のうちから飼いたいと近所の小鳥店に出向きました。

運良く、丁度、繁殖の時期だったので桜文鳥、白文鳥も含めて雛が沢山、売られていました。

それまでは、文鳥と言えば桜文鳥という固定観念があったのですが、「白文鳥」という清楚な響きと珍しさに惹かれて、白文鳥を飼うことにしました。

多くの雛が口を開けてピヨピヨと鳴いている中に一際、元気がよく、目が合った(と自分が思っていただけなのかもしれませんが)雄の雛を見て「この子にします」と店の人に言って、餌と飼育に必要な道具一式を購入しました。

店の人から飼育上の注意点と「雛のうちの今は、背中が黒いけど大人になるにつれて徐々に消えていきますからね。

可愛がってあげて下さい」と教えてもらいました。

子供ながらに今日から小さいとは言え、一個の命を預かるという責任を感じたのを今も思い出します。

犬には「ポチ」猫には「タマ」と名付けるように、安直ですが、「鳥」なので「ピーちゃん」と名前を付けて、その日からピーちゃんとの生活が始まりました。

ピーちゃんは家族全員に懐いていましたが、餌をやる私には、親だと思っているのか特に懐いてくれて、私の歩く後を追ってくるので踏み潰してしまいそうになって危なく、掌にのせて歩いていたのを思い出します。

半年くらい過ぎたころには店の人が言ったように背中の黒い羽毛もすっかり、とれて大人の白文鳥になりました。

それを機会に鳥かごを購入して雛用の藁巣から引越しをしました。

最初のうちは、環境が変わったせいか、かなり動揺してかごの中でバタバタと暴れていたのですが、10日くらいで慣れてくれて私も一安心でした。

今、思うと、強引な引っ越しをさせてしまいピーちゃんには、可哀そうなことをしてしまったかもしれません。

当初の約束通り、鳥かごの清掃、餌や水の取替えは全て自分でやり、必ずその際には、言葉がわかなくても話しかけてやりました。

勿論、こんなことは、こちらの自己満足かもしれませんが、こういうことで互いの信頼関係は強まるようです。

実際、話しかけると目を見て聞いてくれていたように思い出します。

文鳥にもちゃんと心はあるようです。

それから大事にしていたことが、もう一つあります。

それは。

日に数回の放鳥、つまりかごから出して思いっきり飛ばしてあげることです。

人間でも、毎日、家の中にいたらストレスも溜まるので、それは文鳥も同じです。

最初のうちは、嬉しそうに家の中を飛び回っているのですが、30分~40分もすると疲れてしまうのか、飽きてしまうのか、私が机で勉強をしている傍にいろいろとイタズラをしてきます。

他愛もないことなので特に怒ることもしませんでしたが、集中しないといけないときは、手のひらに乗せておくか、肩にのせておきます。

最初は、耳たぶを甘噛みしたりして遊んでいますが、そのうちに眠ってしまいます。

放鳥している時に台所で水を出して両手の中に水をためて「お~い、ピーちゃん!」と呼ぶとパタ、パタと飛んできて気持ちよさそうに水浴びを楽しむことなどもよくありました。

夕飯時に放鳥すると私の傍にきて、飯椀のふちにとまり、一緒に米の飯をついばむほど懐いていました。

今、考えると衛生上良くないのですが、雛の時からずっと飼っていたせいか、そういうことは気にもしなかったです。

中でも忘れえぬ思い出は、モフモフです。

両手の中に乗せて私の鼻先でピーちゃんの背中を撫ぜることです。

適度なモフモフは、付き合ってくれますが、あまりしつこいと怒ります。

それでも、可愛いのでついついやってしまいます。

こんなに可愛いピーちゃんとの生活も徐々にお別れの日が近づいてきます。

文鳥の寿命は平均して、6年~7年くらいと言われています。

鳥も人間と同じで年齢を重ねると動作も鈍く羽の艶も何となく冴えなくなるようです。

それは、高校2年の冬の頃です。

その日も何時通り、登校前に餌と水を取替えたのですが、ピーちゃんは、何時にも増して動作が緩慢で元気がなく見えたので、得も言わぬ不安を抱えながらも登校しました。

その日は、授業が終わるとピーちゃんのことが心配で早々に帰宅の途につきました。

帰宅して直ぐに「ピーちゃん、ただいま。

大丈夫かい?」と不安げに話かける私にピーちゃんは、何時もと変わらずに喜んでかごの柵の飛びつき私の帰宅を喜んでくれました。

「朝の元気がないのは、杞憂に過ぎなかったのか」と私は胸をなでおろしました。

手を洗って早速、ピーちゃんを放鳥してあげました。

年をとってからは、若いころのように派手に飛び回ることもなく直ぐに私の肩に止まったので手の上に乗せて「朝は、心配したよ」と話かけて背中を優しく撫でました。

ピヨ、ピヨと鳴いて、指先を甘噛みしたりしていたのですが、疲れたのか、安心したのか、ピーちゃんはそのまま、眠ってしまいました。

しかし、それから、5分くらい経過しても全く、動かなくなってしまい、「ピーちゃん!」と呼びかけても反応しません。

私は、動揺して、「お母さん、ピーちゃんが大変だよ!」と母を呼びました。

母も飛んできてピーちゃんも手の中に抱いてみましたが、「あっ…ピーちゃんは死んでいるよ!」絶句しました。

私は頭の中が真っ白になってしまいました。

さっき、まで自分の手の中で生きていたピーちゃんが死ぬなんて…信じられない!私は、震える手で母の手からピーちゃんを受け取ると「ピーちゃんのバカ、親よりも先に死ぬヤツがあるかっ!?」鳥の寿命はわかってはいましたが、動揺のせいか私はこんなわけのわからないことを口にしました。

それを見た母が、「ピーちゃんは、お前が帰って来るまで待っていてくれたのだろね。

そして お前の手の中で旅立って行きたかったのだと思うよ」といいました。

これを聞いて、私の目から涙が止めどもなく溢れてきました。

只の偶然だったのかもしれません。

しかし、もし、母が言うように私の帰りを待って旅立って行ったのだとしたら犬や猫よりも遥かに小さい生き物なのに飼い主への恩義を忘れずにいたのかと思うと胸が締め付けられるようです。

今、この文章を書いている時ですら、当時のことを思い出すと言いようのない悲しさと苦しさが、こみ上げてくるようです。

「ピーちゃん、ありがとうね、ピーちゃん、ありがとうね…」私は、何度もつぶやき、手の中の動かなくなったピーちゃんに最後のモフモフをしていました。

ピーちゃんの体はまだ温かく、「ピヨ」という愛嬌のある声で起きだしても不思議ではなかったです。

ピーちゃんを亡くしたダメージは大きく、主のいない鳥かごを見る度に言いようのない喪失感に駆られ、「もっと暖かい場所に移してやればよかったのか」「老衰だとしても動物病院に連れていけばよかったのか」色々な思いが頭を交錯していきます。

結局、立ち直るのには、1ヵ月ほども掛かってしまったように記憶しています。

月並みなことですが、ペットロスから立ち直るには、月日の経過が解決してくれる「日にち薬」しかないようでした。

もし、ピーちゃんにもう一度、会えたなら飼い主として、健康管理がいまひとつ行き届かなかったことを詫び、そして、自分が帰ってくるまで頑張って、待っていてくれたことに心からお礼を言いたいです。

もう直ぐ、ここの公団住宅も建替えになりますが、ピーちゃんは、家の前にある小さな花壇で今も眠っています。

32歳女 最愛であるデグーマウスとの死別から立ち直ったブログ

私がペットロスを解消した内容としまして、私は、30代前半の専業主婦であるのですが、私は、ハムスターやデグーマウスなど、掌サイズのペットを飼うのが非常に好きで、毎日ハムスターやデグーと掌に乗せて遊んだり、楽しく話しかけたりしております。

中でもハムスターよりも一回りか二回り大きいデグーマウスにつきましては、寒冷地の高原に生息する生き物であるのですが、暑いのが大の苦手で色々対策もさせて頂いているとこなのですが、まず名前を付けて呼んであげるとすぐにゲージごしに、鼻をクンクン擦り付けて餌をねだるポーズをするのです。

これがたまらなく可愛くて毎日名前を呼んで餌を上げるような形で、名前を呼んでおります。

時にはゲージから出たい素振りを何回もするのですが、その度に定期的に部屋の中を閉め切って遊ばせるようにしております。

糞も全然気にならない位の草の臭いで、ペットとして飼うには自分の中でかなり上位の生き物であると思っております。

そんな愛用のデグーマウスですが、非常に可愛がって毎日話しかけていたのみも関わらず、突然息絶える形になってしまいました。

私はそれが悲しくて溜まりませんでした。

家族同様で接してきた形でありましたので、急に居なくなられるような形で、家族を亡くした失意に陥れられた感覚に失意のどん底に陥ってしまいました。

そんな急なペットロスにより私を窮地から奮い立たせてくれたのは、とあるWEBサイトの閲覧内容でありました。

私以上に、赤ちゃんの頃から触れ合ってきた愛犬と急に死別するような形でペットロスになってしまった方でも、悲しんでいるだけでは何も始まらないとまた、同じ犬種の犬を飼うことでまた再び愛せるようになったと言う記事を見て感涙ものでありました。

ここから再起してまた新たに新しいデグーマウスを飼わせて頂く形になり、同様に愛せるようになり、ペットロスから解消される形になり、ブログを作って下さった方には大変感謝しております。

25歳男性 自分がペットの存在価値を高める

私は、25歳男性です。

当時、16歳の頃にハムスターを飼育しておりました。

元々は、私の3歳下である妹が飼いたいとのことで、飼育することになりました。

私は、生き物が大好きですし、ハムスターが飼われる以前にも私自身がカブトムシを毎年飼育しておりました。

ハムスターは大人のメスのサファイアブルーのジャンガリアンで気が強かったです。

よく噛んできましたが、可愛いハムスターでした。

2年ほどで亡くなりました。

亡くなった状況としては、私が学校から帰宅した時に母から教えてもらい、ハムスターを見に行ったら横になって死んでおりました。

その時の心情は、「そっか。

死んでしまったか。

」という感じでした。

その時に涙は出ませんでしたが、夜はベッドの中で泣いてしまいました。

翌日は、家の前の土に埋めました。

それ以降、毎年命日にはお参りをしておりました。

亡くなる直前は動きがヨボヨボしており、毛もよく抜けていたので、予感はしておりました。

病気でも事故でも無いし、ハムスターとしては、長生きしたかなと考えたのですが、もっと改善できることは無かったかと数週間は悩みました。

何よりも、うちに来て幸せだったのかが1番気になりました。

やんちゃなハムスターだったので、少し厳しく躾けてしまった時もあり、後悔といえば後悔の念はありました。

もしも、あなたが生き物を育てているとしたら、その生き物の死後に感じるあなたの想いまで想定して育てて下さい。

今の育て方であなたは後悔しませんか。

何よりも、その生き物は幸せそうですか。

お互いが幸せになる生き方を貫きましょう。

それと、もし、既に飼っていた生き物が死んでしまっており、自分の飼い方などに後悔があって悩んでいる方は、飼っていた生き物に是非とも感謝をして下さい。

大切な者の死に直面する事は、そうそうありません。

あなたには、これからも大切な他者が増えるはずです。

あなたの感情を後悔の方向へ揺さぶる経験は、1度だけで良いはずです。

その経験が大切だと思えれば思えるほど、亡くなったペットの存在は報われるでしょう。

生き物という相手を操作して、完璧な思い出は作れません。

お互いの相互作用でより上を目指しましょう。

あなたがより良くあろうとすれば、あなたの存在価値とともにペットが死んだ意義も自ずと高まります。

48歳女 ユーチューブの動画が悲しみを癒してくれた

40代後半の女です。

離婚してから、ずっと一匹の犬と一緒に暮らしてきました。

マルチーズとチワワのミックスで、とても愛らしい犬でした。

名前をハッピーといいます。

私が命名しました。

犬が嫌いで、人間が大好きというハッピーは、いつも私と一緒に眠っていました。

亡くなった当座は、自分の家に愛犬がいないことが、受け入れられず、泣いてばかりいました。

友人と話していて、犬というキーワードが出てくるだけで、涙が出てくるので、長い間、ハッピーのことは禁句にしてもらっていたぐらいです。

ハッピーの使っていた食器をみても涙、美容院でつけてもらったリボンを見ても涙、首輪をみても涙していました。

あまりにハッピーの物に囲まれて生活していると、忘れられなくなると、食べていたドッグフード、ペットシーツ、タオル類は、ネットで調べた動物愛護団体に全部寄付しました。

けれども、忘れることなんてできるはずがありません。

2年たった今でも思い出します。

それでも、今では、泣くことは減ったとは思います。

お骨は私のベッドルームに置いてあるのですが、ハッピーが私のことを見守ってくれていると思えます。

最近の私の趣味は、ユーチューブで犬の動画を見る事です。

ゴールデンレトリバー親子の動画を好んで見ています。

というのは、リアルタイムでゴールデンレトリバーの妊娠から子犬の誕生、すくすく大きくなっていく様子を1年あまりにわたって、見てきたからです。

動画がアップされるたびに、わくわくしました。

ちいさな掌にのるような子犬が、今では母犬より大きいのですから、他人の子の成長は早いです。

その動画のゴールデンレトリバー親子は、父イヌ、母イヌ、子イヌと揃っているので、家族の軌跡もたどれるわけです。

まず、父イヌがいて、その犬にお嫁さんがきて、結婚して、出産というふうに時系列ができています。

ユーチューブの世界はすごいと思います。

時間や、世界を共有しながら、私もまるで、犬を飼っているかのような喜びにひきこまれていきました。

ペットロスはなくなることはないと思いますが、悲しみは少しずつ薄れていくと私は、自分に言い聞かせています。

44歳女 家族みんなで振り返ることがペットロスからの解消になった

我が家は夫、私、息子、娘の4人家族です。

今から10年前に初めてペットを飼いました。

日曜日に家族で出かけたホームセンターのペットコーナーでネザーランドドワーフとホーランドロップのミックスウサギと出会いました。

生まれて3ヶ月ほど経っていて大人に近いためか、あまり目立たないところにいました。

私はその子がどうしても気になって、その場を離れることができなくなり、それを見ていた夫が見兼ねて飼うことを許してくれました。

その日から彼女はうちの三番目の子供となりました。

それから7年間は私たちの家族として、私達の心の支えとなり安心を与えてくれる大切な存在に成長していきました。

家族4人が出かけて長い時間一人にされた際には、私達に背中を向けたままでいたりとすごく甘えん坊さんでした。

7年後、乳がんが見つかりました。

かなり進行していて、すぐに緊急手術をしましたが、余命2ヶ月と診断されました。

何も知らないように私を見つめる姿が今でも忘れられません。

それから毎日のお薬の時間は私と彼女の格闘の時間となり、関係がギクシャクすることもありました。

噛みつかれることもなかったのに噛み付かれたり引っ掻かれたり。

涙が止まりませんでした。

元気な時は、どちらかというと食いしん坊な方でしたが、日に日に食事の量も減り、痩せ細っていく姿を見るのは本当に彼女にとっても私達家族にとっても辛い時間でした。

でも毎日頑張っている彼女に元気をもらい、治療を続けることができたのは本当に感謝です。

余命宣告から3ヶ月後に彼女は私達家族に見守られ亡くなりました。

抱っこを嫌がり、ちょっとすました彼女でしたが、亡くなる瞬間に今まで聞いたことのないキーキーという声で私達にお別れを告げ、初めての抱っこをされたまま息を引き取りました。

「お別れを言ってくれたんだね」みんなでそう話し涙を流しました。

「いい子だったね」「頑張ったね」「私達も頑張らなきゃ」と子供達から自然と出てきた言葉に彼女の存在の大きさを感じました。

やれる事を精一杯やったと思った看護も今となっては少し後悔しています。

余命が長くはなかったので、「あの時、手術をせずに少しでも痛い思いを減してあげたらよかったのかな」「長く生きて欲しくて手術したのは私達の勝手だったのかな」と思うことがあります。

ですが、7年も一緒に居たんです。

私達の気持ちは届かないわけがありません。

彼女は賢くそして礼儀正しい子です。

親バカですね。

それでいいんです。

彼女との別れが辛ければ辛いほど、幸せな時間だったことは間違いないのです。

私達の不器用な愛情もきっと届いているはずです。

毎日、彼女の話をしないことはありません。

彼女のことを忘れるのではなく、楽しいことと共に振り返ることができるようになれたのは、最後まで一生懸命に生きようとした彼女に恥ずかしくないように毎日を前向きに生きて行こうと家族で話しているからです。

52才女性観葉植物を育てる事で猫への愛情を植物に例えることが出来た

愛猫ですが2年前に亡くなりました。

心臓の病気で寿命でした。

亡くなった時は、看病を主人と2人でやれるだけやりきったという気持ちでいたつもりでしたが、今までいた者が居ないということは、日に日に寂しさが募ってきました。

猫寺が近くにあり、猫の温もりが欲しくて主人と一緒に猫に会いに行きました。

触ってみましたが、ウチの愛猫とは全然違う触り心地に感じられますます自分の猫が愛おしくなり、2人で元気になるつもりが悲しさで帰宅する感じになってしまい、本当に寂しかったですね。

ちょっとロスになってましたね。

同居している義母が綺麗好きで、もう猫は飼わないで。

毛が抜けるからと言っていたので、猫を飼うわけにもいかずで、寂しく気持ちのよりどころがありませんでした。

そんな時に、ホームセンターで小さい観葉食物が安売りでたくさん売ってました。

育てるというか、世話をするものを失って、母性本能の行き場がない状態でしたが、この観葉食物を買ったことから始まって、育てるということに目覚めました。

猫を飼っている時は葉っぱを食べたりしてしまうので観葉食物はずっと置いていませんでした。

もともと花や植物は好きだったので、久しぶりになんだか世話をするのが、嬉しかったです。

植物だから義母にも迷惑にはならないし大丈夫でした。

それから仕事が休みの毎週末になるたびにホームセンターや、花屋に行って何か可愛い植物はないかと見に行くのが気晴らしになりました。

安いし小さいので、しかも色々な種類を集めて世話をしていると心が安らいで気分も明るくなりました。

猫の事はまだまだ全然忘れたりしてませんし、寂しいですが、そればかり考えている事がなくなってロスが和らいできたと思います。

猫がいた場所、猫のトイレや、餌入れが置いてあった場所が置くものがなくてしばらくガランとしてましたが、今ではその代わりにちょっと植物を置いたりしています。

植物を育てることが、猫を育ててる代わりみたいなものですね。

ロスを解消しています。

40歳男 新しい彼女ができてペットロスを解消

会社員をしている40歳の男性です。

昔、猫を飼っているときがありました。

猫は、とても家族になついていて、本当に家族の一員のような感じでした。

そんな猫も、13歳くらいになってきて、あきらかに弱っている感じになっていました。

ペットがいなくなるのは、当たり前のことなのを分かっているのですが、受け入れたくありませんでした。

そして、みるみるうちに猫の状態が悪化していきました。

どんどんと何も食べなくなっていきました。

そしてやせ細っていました。

そして、ある日、亡くなってしまったのです。

本当に、家族みんなが悲しい気持ちになりました。

それが、ペットロスになってしまいました。

猫が亡くなって、しばらくは、立ち直ることができませんでした。

ちょうど、自分は大学生のころだったのですが、大学にも行きたくないという感じでした。

毎日のように、猫のことを考えてため息をしているような状態でした。

悩んでも何も変わらないのですが、それでも、悲しみの中に浸っていました。

そして、1か月くらいが経った頃、ようやく大学には、いくことができるようになりました。

そして、大学生活が戻ると、少しずつ気持ちが切り替わっていきました。

そして、ペットロスを解消することができたのは、サークルで彼女ができたことでした。

彼女ができることで、一気に自分の心の中は、彼女のことでいっぱいになりました。

毎日がハッピーな気分に変わっていきました。

ふと気づくと、猫の心の傷は癒されているのに気づきました。

この時の心情は、本当に彼女に感謝だなという気持ちでいっぱいでした。

彼女がいてくれるだけで、こんなにも気持ちが軽くなるんだなと思いました。

そして、猫が亡くなって暗い気持ちだった気持ちは、全く無くなっている状態でした。

後悔していることは、大学を1か月近く休んでしまったことです。

もっと、早く復帰をしていれば、自分の気持ちも楽になったのだろうと思っていました。

アドバイスがあるとすれば、ペットロスになったら、普段の生活をして、何か新しいことを取り込むことだと思います。

28歳女 デグーとの別れを育児が癒してくれた

現在31歳で都内のマンションに夫・2歳の娘と3人で生活しています。

行動した経緯や時期2015年ころにデグーを購入。

私が小さい頃ハムスターを飼ってかわいがっていたことがあり、何か動物を飼いたいと思っていました。

ペットショップでハムスターを見ようとしたところ、偶然デグーのケージがあり、その愛くるしい姿に一目ぼれ。

またかしこくて飼い主を覚えるという点も魅力的でした。

携帯で飼い方や特長を調べて、ごはんやケージなどの必要品を購入してタクシーで連れて帰りました。

体調不良の原因2016年秋に私が娘を出産したころから、ペレットフードを主に与えることにしましたが、これが衰弱の原因でした。

本来乾燥したチモシーなどの牧草を食べて生きるデグーにペレットフードのみを与えると、齧歯類は歯が伸び続けてしまい、咀嚼ができなくなります。

私は出産直後で体が回復しておらず、デグーの飼育方法を十分理解しないままペレットフードのみを与え続けてしまいました。

脱毛と衰弱娘が自宅にきてから、デグーは自分の足の毛や体の毛を必要以上にむしり取ってしまい、体のあちこちが痛々しいほどに?げていきました。

赤ん坊が生まれたことによる強いストレスが原因だと思います。

できるときはケージの外に出したり、なでたりしましたが、以前と比べてデグーとの関わりは減っていきました。

またチモシーを食べなくなりペレットばかりを食べるために歯が伸びすぎてしまい、食事量が目に見えて少なくなっていきました。

それに伴って体重が減り始め、毛で覆われた体を触ると指先に骨があたるようになりました。

病院通いと別れ体重が半分程度になり脱毛もひどかったため、動物病院に何度かいき、ペレットの種類を変更したり、歯を強制的に折る処置もしてもらいました。

硬いペレットは食べられないため軟らかくしたものもあげましたが、衰弱が激しくなり最終的に何も食べなくなりました。

息をするのも苦しそうで、体を揺らしながら呼吸していました。

最期は私の手のひらでしばらく苦しんだ後、天国に召されました。

8年~10年の寿命といわれるデグーなのに、我が家にきて2年も一緒にいることができませんでした。

その後子供の育児が忙しく、同時に救いでもありましたが、今もペットショップでデグ―を見ると胸が痛みます。

私の知識不足と無責任な対応で、大切な家族を長く苦しめる結果となったことを今も強く後悔しています。

当たり前ですが、ペットを飼うためには責任感が何より大切です。

特に最近は日本では見かけない小動物や爬虫類がペットショップに並び、珍しさやかわいらしさで、つい衝動買いしたくなると思います。

私もまさしく衝動買いだったのですが、希少なペットは動物病院での対応事例が少なく、デグーの場合は診察を断られることも多々ありました。

ペットを飼う前には正しい知識をみにつけ、近隣の動物病院で受け入れ可能か、長期的に飼育が可能かなどをしっかり見極めて頂きたいと思います。

22歳大学生 気持ちを外に発散してペットロスを克服

私は40歳の会社員です。

今から18年前に6年間飼っていた愛犬ロックが亡くなった時のことをお話しします。

ロックは私が12歳の頃、我が家に来ました。

親戚のうちが飼っていたのですが、転勤で、ロックを飼えなくなり、我が家が引き取ることになりました。

私とロックは最初から相性が良く、家族の中で一番私に懐いていました。

中学、高校、大学と進学し、部活やアルバイトで忙しくなりましたが、朝の散歩だけは私が必ず連れて行っていました。

ロックにとっても楽しい時間だったと思いますし、私も悩みや考え事をロックに話すことで、リフレッシュしたり、考えを整理することができました。

しかし、別れは突然訪れました。

大学4年生の秋のことでした。

講義中に何度も母親から電話があり、何となく嫌な予感がしました。

折り返すと母親は泣きながら、ロックが車にはねられて、死んでしまったと言いました。

20年近く経った今でも、その時の感覚はハッキリ覚えています。

立ち眩みのようにフラリとし、休み時間で、うるさかった周りの音が一切聴こえなくなりました。

その後、どのように帰ったか覚えてませんが、いつの間にかウチに戻り、ロックを抱いていました。

事故だったのに、ロックはキレイで眠っているようでしたが、冷たくなっていました。

その後はただただ悲しく、涙が止まりませんでした。

仕事から帰ってきた父親が、庭の隅に、ロックを埋葬してくれましたが、私は立ち会えませんでした。

次の日、学校もバイトもあったので、気は進みませんでしたが、いつものように行動しました。

しかし、身体も心も重く、全くやる気が起きませんでした。

時々、ロックのことを考えてしまい、涙が出ることもありました。

友だちに相談しようにも、20歳を越えた男がペットとの死別でクヨクヨしているとなると、情けないとか、小学生みたいとか、別のペットを飼えばとしか言われません。

しかし、その時、気付いたのは、泣くと少しスッキリするということです。

ですから、泣ける時は泣いて、気持ちを落ち着けました。

また、毎日日記を付けるようにしました。

思ったことは何でも、ロックのことやそれ以外のことを好きなだけ書くようにしました。

書くことで気持ちを客観的に見ることができるせいか、書いた後は、不思議と気持ちが落ち着くことが分かりました。

2週間程すると、泣くことはなくなりましたが、日記は続けました。

1ヶ月程すると、ロックの記述はどんどん少なくなり、悲しみよりは楽しかった思い出を書けるようになっていました。

そうして私はロックとの死別を克服していきました。

今、思えば、気持ちを溜め込まず、身体の外に出したことが良かったのかもしれません。

ただ、この死別があまりにもショックが大きかったので、それ以降、我が家はペットを飼っていません。

28歳女 残った二匹との生活

はじめまして。

私はアラサーの社会人です。

会社をリタイアして、今はフリーランスでデザインの仕事をしています。

自宅は実家暮らしで母と猫二匹で暮らしています。

去年の四月までは猫は三匹だったのですが、一匹、癌のためにこの世を去ってしまいました。

癌が発覚したのは亡くなった年の一つ前の秋…11月頃のことでした。

ずっと口が気になるようでベロを出していた猫だったのですが、いつもバクバク食べていたご飯もあまり食べなくなり、心配になって病院に連れて行きました。

すると、顎の下部分に癌ができているとのことでした。

もうその時点でどうにもならず、すでに身体にも転移をしているということでした。

持って三カ月だろう、そう言われていたのですが、その子はがんばって頑張って、その倍の6カ月を生きてくれました。

最後は体重も半分ほどになって、鳴くことすらできずに旅立ちました。

その子はベッドの上が大好きで、いつもベッドの上で生活していました。

ご飯を食べ終わると必ずそこに戻って、遊ぶ時も、寝る時もベッドの上でした。

弱ってきて、ベッドに上れなくなったのですが、亡くなる時はベッドに運んであげて、そこで息を引き取りました。

なので、その子がいないベッドの上はなんだか寂しくて、空っぽのベッドを見ているととてもつらかったです。

ふと、その子の毛がしまいこんでいた服についていたりすると、とても切なくなって、「もうあの子はいないんだな」と思いだして、鳴いてしまいます。

あの子が使っていたご飯用のお皿やお気に入りの玩具も見ているだけで切ないです。

今は残った二匹と暮らしています。

その子たちがいるから…ちゃんとご飯をあげて、一緒に遊んで、と暮らしていける状態でした。

代わりがいるから寂しくない、というわけではなく、やはりどこか「あの子とは違う」と比べてしまうこともありました。

でも猫にも個性があって、あの子とは違うけれども良いところも持っています。

だからこそ、亡くなったあの子の分もその子たちを可愛がってあげたいな、と毎日思っています。

ついこの間亡くなってから一年が経ちましたが、あの子が好きだったおやつを、残った二匹にあげました。

仏壇にもお供えしました。

天国でも美味しいおやつを食べているならいいな、と思います。

31歳女 猫を失った悲しみは猫が癒やしてくれた

保護施設でみつけておうちに迎えたねこを、4ヶ月足らずで亡くしました。

おうちに迎えた当初から猫が病気であることが判っていたのです。

猫は多頭飼育崩壊の現場から保護された猫エイズキャリアで、発症して末期の状態でした。

先が長くないかも知れないと判りつつ、どうしても私はほかの猫ではなくそのねこがおうちの猫になって欲しかったのです。

おうちに迎えてからのねこはみるみる痩せていき、お腹は病気の為に膨れて毛をむしられた鶏のようになっていきました。

そして4ヶ月足らずでわたしの膝の上で亡くなりました。

それからは毎日悲しくて悲しくて、あんなにかわいい生き物が死んでしまった事が理解できませんでした。

生活にはぽっかり穴が空きました。

大好きだったねこのいない暮らしは決して充実したものではありませんでした。

とはいいつつ、猫を飼う気は少しもありませんでした。

猫との暮らしは充実していて大好きでしたが、当時は一目惚れしてどうしても一緒に暮らしたかったねこを亡くし、私はもう生涯猫を飼うことは無いと思っていました。

今後一目惚れして、大好きになる猫なんてあらわれないと思っていたのです。

とはいいつつ、日が経つにつれて、猫は飼わないにせよ、猫は見たい、猫に触りたいと言う気持ちになってきました。

私は再び保護施設に通い始めました。

猫が私と同じ空間にいるだけでその時間は充実した時間になります。

猫とふれあううちに、やはりわたしには猫が必要だと思うようになりました。

そのときに出会ったのが、現在私を癒やしてくれているネコです。

保護施設でタイミングが合い出会いました。

ねことネコは尻尾が長く、毛色が同じです。

顔や目の色は違うものの、同じ色の猫を飼うことに少し後ろめたい気持ちもありましたが今はこのこと出会えて良かったと思っています。

ネコは亡くなったねこよりもさみしんぼですこしお茶目で、ドジなこです。

前のこがしっかりしているこだったので、今はこの違ったかわいさに癒やされ日々を過ごしています。

42歳・女・とことん哀しみを認めることで解消できる感情

40代女一人暮らしです。

15年間連れ添った愛猫との別れを数年前に経験しました。

一人暮らしと共に飼い始めた、初めての家族です。

楽しい時も寂しい時も、常に一番側にいてくれました。

しかも息を引き取ったタイミングは、私の一泊2日の外泊中でした。

特に悪いところはなく、老衰でした。

死に目に立ち会えなかったこともあり、かなり落ち込みました。

持病はなかったとはいえ、年老いた相棒を一匹残して外泊した自分を責めました。

なんとか仕事には行っていたものの、誰とも会う気にはなれず、仕事の休憩中などふとした瞬間に泣いてしまいそうになるのを堪えることもありました。

「帰ってもいない」そのことに慣れるまでに時間がかかり、帰宅する時間が一番憂鬱でした。

そんな時、同じく愛猫家の友人から、「無理をしないで。

哀しむべき時には、ちゃんと哀しんで。

」と言ってもらえたことに、とてもホッとしました。

いいんだ。

今はとことん哀しんで、落ち込んで、それでいいんだ。

そう腹をくくって、その日から私は正々堂々と亡くなった家族との思い出に浸りながら生活を、するようにしたのです。

まず最初に、スマホに撮りためていた写真で、フォトブックを作りました。

今はアプリでとても綺麗に仕上げてくれるサイトがあります。

次に愛猫専用のインスタグラムのアカウントを作りました。

そこには愛猫との思い出の写真をたくさん更新しました。

同じくペットロスを経験した多くの先輩たちとつながることができたのは、大きな励みになりました。

最後に、愛猫仲間相手に亡くなった家族の思い出話をたくさん聴いてもらいました。

とことん過去の話に付き合ってくれた友人には、本当に感謝しています。

このような行動を集中して半年くらい行いました。

すぐに他の家族を招き入れることもなく、猫カフェやペットショップに足を運ぶこともしませんでした。

あくまでも過去に時間を止めて過ごしたことに、結果私を少しずつ正常な自分に戻す意味がありました。

ちゃんと死を悼むこと、ムリして前向きにならないこと、とことん落胆している自分を認めてあげることで始めて、愛しいペットの死を受け入れられるのだと思います。

あれから2年以上たった現在、我が家にはまだ新しい家族はいません。

猫カフェやペットショップにはたまに行きます。

でもあの時のように、心が揺さぶられような痛みからは解放されました。

もしもペットロスで悩んでいる方がいれば、どうか無理して早く立ち直ろうとしないでほしいです。

心の回復を焦る必要なんかなく、もっと立ち直れない自分を認め尊重してあげてください。

そうすればいつか必ず、ちゃんと自分が生きることを優先にできる日が来ます。

32歳女性妊娠でペットロスを克服した

はじめまして。

私は30代の主婦です。

今は一戸建てに主人と子供と暮らしています。

半年前まではチワワの女の子と四人で暮らしていました。

わたしとチワワが出会ったのは14年前にもなります。

そのころミクシィが流行っていて、そこの掲示板に里親募集の記事に目が留まりました。

大阪に住んでいる老夫婦が高齢のためその子を飼うことが困難になり、里親を募集しているというものでした。

黒のロングコートチワワで一歳の女の子の写真が載せられていました。

私は一目ぼれしてすぐにその方とコンタクトを取り、無事に家族になれた次第です。

性格も温厚でただ、散歩が嫌いで本当にかわいい子でした。

はじめて犬を飼うので本を読んだり知人にアドバイスを聞いたりしました。

餌はちょっとでもいいものをと獣医師推奨の高めのものをあげていました。

そのおかげか、特に病気にかかることもなく元気に過ごしていました。

12年を超えたころから、足腰が急に立たなくなり、目も濁ってきました。

一日中寝ていることが多くなり私は不安でした。

ちょっとでも元気になってくれるように、マッサージをしたりおやつを変えてみたりしましたが結局それから二年後老衰のため静かに息を引き取りました。

私は今まで一番身近にいてくれた存在をなくし、一時期食事が喉を通らなくなりました。

毎日泣いて暮らしていました。

完全なペットロスでした。

もっと大切にしてあげればよかったと後悔ばかりで、自分を責めました。

そんな中偶然にも妊娠していることがわかり、主人がこの子はチワワの生まれ変わりかもしれない、チワワにできなかったことを子供にいっぱいしてやろうと言ってくれ、その一言に救われました。

今度は犬と主人という関係ではなく親子になれる。

そう思うとなんとなく元気が湧いてきました。

亡くなる命もあれば生まれてくる新しい命もある。

それは一期一会です。

何かの縁で出会う出会いを大切にしようと感じました。

また、後悔しないように限りある命だと思って精一杯愛情をかけようと思いました。

50歳、女性、新しい出会いをすることで寂しさが癒えていきました

私は家族4人で地方に暮らしている専業主婦です。

初めはわが家の子どもが欲しがったことからハムスターを飼いました。

飼育箱のセットなどは子どもたちがやりましたが、掃除も時々はするけど忘れたりして、毎日の餌やりや水替えなどの必須のお世話は結局私がするような形になり、そのおかげで情が移ってかわいいと思いました。

子育てのようなもので毎日の様子をつかむことが大事だと思ったので、朝一番に様子を見て、何時間かおきには見るようにしていました。

学校に行って不在の子どもに見せようと写真も私が一番たくさん撮りました。

よく考えるとこのハムスターとは私が一番長く一緒にいたことになります。

ハムスターの寿命は短いとは分かっていたので、2歳頃からは特に毎日の動きに注意して見ていましたが、運動量も餌の寮もガクンと落ちたなと分かり、そろそろだと思っていた矢先に死んでしまいました。

朝見た時には緩慢ながらも動きがあったのですが、その数時間後にうずくまって息はしていて、数十分の間に息を引き取りました。

そのすべてを見ていたので、何もしてあげられない残念さと、それでも天寿は全うしてくれたという気持ちでした。

飼育不良ではないことは分かっていたので後悔はないのですが、やはり死に直面すると悲しかったです。

帰宅した子どもも泣いたので慰め役になりましたが、実際に命の終わりを見届けた身としてはつらかったです。

小動物とたった2年ほどでしたが、情が移っていたこともあり、しばらくの間は良く涙が出て、子どもが家に居ない時などには声を上げて泣きました。

飼育スペースが空っぽになっているのを見ても涙があふれてくる日が何日も続きました。

後悔はないものの、寂しかったです。

子どもも同じように寂しい思いをしていたようでしたし、別れる悲しさよりも育てる楽しさをまた味わえば楽しいのかもと少し思えるようになって、新しいハムスターを飼うことにしました。

前の子と比較しながら子どもと話したりしてお世話をする毎日の中で少しずつ寂しさが薄れていきました。

12才、女性 飼っていたもう一羽のお陰でペットロス解消出来た

40代、専業主婦です。

家で始めて飼ったのはセキセイインコでした。

そこあとに、黄色いセキセイインコと青いセキセイインコを飼いました。

その黄色いセキセイインコは、少し目を離した隙に猫に襲われてなくなりました。

子どもの頃だったので、かなりショックだったことを覚えています。

青いセキセイインコは、プリプリしていてかわいい子でした。

黄色いセキセイインコは、気の強い感じで、しっかりしている感じでした。

黄色いセキセイインコは、しゅっとしていて、ホッソリタイプの鳥でした。

2羽いるのが当たり前だったので、青いセキセイインコも寂しそうに見えました。

子どもながらにそう感じました。

しかし、青いセキセイインコのお世話もあるし、しっかりしないといけないとも思いました。

落ち込んでばかりいてはいけないと。

鳥のお世話は、私がすると約束して飼ってもらっていたのでしっかりしようと言う気になったと思います。

だから落ち込んでばかりいないで、立ち直れたように思います。

ペットが亡くなるのは、いつかは経験しないといけないものです。

その事はやはり子どもだったので、その時がくるまできちんと理解出来ていなかったように思います。

その時が突然きて、心の準備が出来ていなくてパニックになったんだと感じます。

しかし、青いセキセイインコがいたことで自分がしっかりしないといけないと思いました。

自分がしっかりしないといけないと思うと、立ち直るしかなかったのかも知れません。

確かに悲しかったし、辛かったです。

いつもいるはずの黄色いセキセイインコがいなくなることは。

しかし、ずっと悲しんでばかりいてはいけないとも感じました。

その事で成長できたのも事実です。

きちんと思い出として、しょうか出来たのかもしれません。

一緒に過ごしたの日は楽しかったし、大切な思い出です。

それは変わらないし、ずっといい思い出として残っているとわかったので、立ち直れたんだと思います。

26歳女、新しい犬を迎えてペットロス解消

はじめまして。

大阪府在住のキラキと申します。

私は和歌山県出身で、結婚を機に大阪府に移住しました。

私が初めてペットを飼ったのは、小学生の頃でした。

当時私は、通っていた小学校のバレーボールクラブに所属しており、練習試合で知り合った隣町の小学校の友人から子犬を貰いました。

友私も家族も、初めてのペットで喜び、子犬をラッキーと名付けて大事に世話をしていました。

ある朝、私がラッキーの散歩から帰り、抱きかかえようとした時に逃げ出してしまい、行方不明になりました。

近所を探しましたが、両親は仕事で私も学校の時間が迫っていたため、それ以上探しに行くことが出来ませんでした。

授業が終わって帰宅すると、母が携帯を持ったまま泣いていました。

理由を尋ねると、ラッキーが国道で車にひかれて亡くなっていたと、役場から連絡があったからでした。

私も母と一緒に泣き、落ち着いてからラッキーの遺体を役場へ確認しに行きました。

役場の窓口でラッキーの遺体について伺うと、ラッキーが身に着けていた首輪とリードを渡され、愛犬の物で間違いなければ確認は以上で、愛犬のためにも綺麗な思い出のままでいてあげてほしいと、役場関係者からの気遣いでした。

私は、ラッキーが亡くなったのは、あの時私がラッキーを抱きかかえようとしたせいだと、自分を責めました。

ラッキーのことを考えると、一緒に過ごした思い出が溢れるのと同時に涙も止まりませんでした。

ラッキーが亡くなって2週間ほどした頃、家族と出掛けた際に立ち寄ったホームセンターでペットショップを見つけ、家族でラッキーの小さかった頃の懐かしい話をしながら、ケースの中の子犬を見ていました。

帰宅後、父と母が揉めているような会話が聞こえたので耳を澄ませてみると、父が先程訪れたホームセンターのペットショップの子犬が気になっているらしく、それに対して母は、まだラッキーが亡くなって1ヶ月も経っていないのに新しい子犬を迎えるのは、亡くなったラッキーが気の毒だと話をしていました。

それを聞いて、私も母と同意見でした。

ラッキーが亡くなったのは自分のせいだと思っていたので、子犬は可愛く思えても、新しい子を迎える気持ちにはなれませんでした。

それからラッキーが亡くなって1ヶ月が経とうとした頃、学校から帰るとテーブルの上にケーキの箱が置いてありました。

おやつのケーキだと思い箱を開けてみると、中には毛が黒い小さな動物が入っていました。

私は驚いて悲鳴を上げると、近くにいた父が笑っていました。

母が私に真剣な表情で、父が母と私のために新しい子を連れてきたそうで、ラッキーの時と同じように大事に育ててあげようと話をしてくれました。

私は父の気持ちは分かりましたが、喜んでいいのかは分からず、複雑な気持ちでした。

しかし、ラッキーと同じように、生まれてすぐに親から引き離され、新しい環境に来た子犬の気持ちを考えると、大事に育ててあげないといけないという考えに切り替わりました。

父が連れて帰ってきた子犬は、ミニチュアダックスフンドでした。

私は母に本屋に連れて行ってもらい、ミニチュアダックスフンドの飼い方の本を買いました。

本を読み進めるうちに、ラッキーが生きている間にしてあげたかったことや、ラッキーに対してしてはいけないことをしていたなどと、犬について今まで知らなかったことがたくさんありました。

また、私がラッキーを抱き抱えようとした時、ラッキーは驚いて逃げてしまったのではないかと思い、過去の自分の行動を反省しました。

人間も犬も、痛い思いや悲しい思いをしながらではなく、幸せだったと思いながら亡くなるのが理想ではないかと考えました。

そのため、ラッキーのような亡くなり方にならないよう、新しく迎えたミニチュアダックスフンドをキラキと名付け、大事に育てようと思いました。

そのキラキは今年で14歳になり、家族のスリッパやメガネなどを盗んでは、自分のテリトリーに隠しすいたずらっこです。

ごはんの時間になると、可愛らしく首を傾げながらおすわりをし、賢く待っているアピールをしています。

そんなキラキと過ごした時間はあっという間でしたが、その背景にはいつもラッキーがいました。

ラッキーにしてあげたかったことをキラキにしてみたり、キラキが楽しそうにしていたり喜んでいたりすることで、少し気持ちが救われた気がしました。

ラッキーが亡くなったことは今も悲しいですが、キラキがいてくれて良かったと思います。

世話をするのは大変でも、一緒に過ごす時間はかけがえのないものです。

これからもたくさん思い出を作っていきたいのと思うとともに、長生きしてほしいと願っています。

ペットは家族同然と思う方は多いのではないでしょうか。

ペットとのかけがえのない時間を、ペットと一緒に楽しく大切に過ごしてほしいと思います。

44歳女性、植木を購入して楽しみを作り、半年経ってペットロス改善

16年間飼っていた愛犬が亡くなり、もう家族同然だったので、約半年間は家族全員でペットロスになりました。

特に父は定年退職してから毎日のように愛犬と共に散歩したり、出かける時にはいつも一緒にいたので、ペットロスが激しく、一時期は外に出かけるのも億劫になり、なかなか外へ出かけようとせず、家の中にいることが多くなって防ぎこむようになりました。

ペットロスの解消方法がいまいち見つからず過ごしていた時、ホームセンターへ出かけると、植木があったので気になる苗をいくつか購入してみました。

ミカン・ブルーベリーなど苗を購入し、まずは庭の土を改良することが必要なので、腐葉土を購入して土の状態をよくするなど、色々と手を加えて色々と工夫して庭の改造を行いました。

父も元気が出たようで、庭の土を改善するため、ホームセンターから買ってきた腐葉土を加えて土をならしたら、その後しばらく経ってから苗を植えて、毎日様子をみるのが楽しみになりました。

やはり植木はお手入れしないと虫がつきますし、色々とトラブルも起きやすくなるので、しっかりと対処するようにするなど、父も普段からしっかりと苗の対策を行うようになり、ちょっとした楽しみができたことで、少し時間はかかりましたが、半年経った頃からペットロスから解消されました。

もう16年間一緒に過ごしてきた愛犬だったので、最初はとても寂しく感じ、毎日ふとした時に愛犬がいた頃を思い出していましたが、それも次第に薄れてきたので、やはり植木の手入れなど色々と手を加えるようになってからだいぶ気持ちが楽になってきたのを感じるようになりました。

外に出たくないといっていた父も庭を改造することで、楽しみが増え、気持ちもだいぶポジティブになってきたのを感じます。

普段の生活の中で、ペットロスは色々と影響がありますが時間をかけてゆっくりと環境を変えていくことで次第に精神状態も落ち着いてきたのを半年経ってから実感しました。

55歳女性がペットロスを同じワンちゃんで回復できたことについて

私は主人と子供と3人で暮らしています。

今は仕事をせずに専業主婦としています。

私がワンちゃんと出会ったのは、子供がペットショップで買ってきてくれた時です。

その時、可愛い小さいワンちゃんを、私が退屈をしているだろうからということで買ってきてくれたのです。

相当高かったと思うのですが、子供がボーナスが出た時だったのでそれで買ってくれました。

その後は、毎日一緒にいることによりとても満たされた気持ちになることができました。

子供たちも大きくなり、なんとなく生きがいみたいなものを得ることができたと思ったからです。

走る姿を見たりしていると、ほんのりすることができるのです。

そのことから自分の子供のように可愛がっていました。

ところがそのワンちゃんが、4歳の時に病気になりなくなってしまったのです。

病院も連れて行きましたがやっぱり助けることができませんでした。

その翌日に静かに息を引き取ったのです。

その後は、生きている楽しみを感じることができませんでした。

ひとりでいると、自然と涙が出てしまうのです。

ワンちゃんと一緒にいた時間を思い出してしまうんですね。

泣いていると、こどもが心配をしてそんな私の姿をみて、ワンちゃんを買うことを考えていてくれたようです。

主人と二人で、また同じ犬種のワンちゃんを買ってきてくれたのです。

そのときは、飛び上がるぐらい嬉しくなりました。

またあの様のような楽しい時間を過ごすことができると思ったのです。

想像していた通り、楽しく過ごせています。

ペットロスは、とても辛いです。

人がなくなった時と同じぐらい辛さがあります。

人は帰ってくることがありませんが、ワンちゃんなどのペットの場合は嬉しいこととして、同じようなワンちゃんを買うことができます。

くよくよしているよりは、同じようなワンちゃんを育てて元気になることが、ペットロスから抜け出す第一だと思っています。

是非さみしさで潰されそうになっている人は、行動して欲しいです。

33歳女 母が突然新しいうさぎを買って来たことでペットロスが軽減

まだ完全にというわけではありませんが、ペットロスは解消されつつあります。

私は30代の女性で、20代の頃から飼っていたうさぎを去年の暮れに亡くしました。

死因は癌で、見つかった時はもう癌が大きくんってしまっていましたが、早期発見したとしてもうさぎの手術というのは非常にリスクが高い為、手術をしたからと言って良くなるとも限らないそうです。

見つかった時は何もしてあげることが出来ず、下痢をしていたので下痢止めの薬を飲んでお尻をキレイにするくらいしか出来ませんでした。

癌であることがわかって一ヶ月後くらいに亡くなってしまったので本当に辛かったです。

まず私がペットロスを解消する為に初めに行ったことは、ハンドメイドの作家様にうちのうさぎをモデルにしたマスコット人形の制作を依頼したことです。

マスコットを作ってもらうことで大好きだったうさぎと過ごしている気分になれるのではないかと思ったからです。

しかしそれだけでは全然解消されませんでした。

私の場合、ペットロスを自分で解消したというよりも突然解消せざるを得ない出来事が起きたのです。

それは母親が新しいうさぎをホームセンターで買って来たことです。

連絡もなく突然買って来ました。

私はもっと落ち着いてから欲しかったし、飼う時は自分で選びたいと思っていました。

それなのに勝手に飼って来てしまったのです。

その時点では前の子が忘れられなくて仕方がなかったのですが、新しく来たうさぎと触れっているうちに少しずつペットロスを解消することが出来ました。

前のうさぎと性格も全然違いますが、前のうさぎはしてくれなかったペロペロ舐める行為などをよくしてくれます。

その他にも私は仕事打ち込みまくることでも辛い気持ちを軽減させることも出来ました。

仕事をしていた方がペットがいなくなったことなど余計なことを考えなくて済みます。

ペットロスで悩んでいる方は思いきって新しくペットを家族として迎えるのもいいかも知れません。

46歳女性 愛猫との幸せな時間を思い出してペットロスが癒された

46歳女性です。

数年前に飼い猫を亡くした経験があります。

その猫は庭に遊びに来ていた野良猫が生んだ3匹の子猫のうちの1匹で、後日親猫と共に自宅で飼うことにしたオスの猫でした。

本当は完全な室内飼いにしたかったのですが、元が野良猫だったためか自分で窓を開けてしょっちゅう外に遊びに行ってしまう猫でした。

家で飼い始めてからすくすくと育っていって、2年経つ頃にはすっかり大人のオス猫と変わらないような体格になっていました。

そんなある日、とても元気な猫で病気や元気が無いといった気配は何もなかったのに、突然自宅のフローリングの上でぐったりと横たわってしまっていました。

家族もみんな驚いて急いで近所の動物病院に連れて行ったのですが、既に手遅れで亡くなってしまっていました。

獣医さんのお話によると、心臓が止まってしまい突然死したのだろうということでした。

こんなに急にいなくなってしまうとは家族の誰も思っていなかったので、ショックのあまりしばらくの間は泣いて過ごしていました。

火葬する際は花も一緒にお供えしました。

その猫がいなくなってからも、使っていた猫クッションを片付けることはできず、家の中で不思議と気配を感じてしまうことも多かったです。

また、やはり外に遊びに行かせていたために、気がつかないうちに小さな怪我や病気になってしまっていたのかもしれないと後悔もしました。

こんなに悲しい気持ちはきっとずっと消えないだろうと、その時は思っていました。

しかし何か月も経つうちに、不思議と悲しい気持ちは薄れていき、「あの猫はきっと猫の天国で幸せに暮らしているのだろう」という静かな気持ちに変化していきました。

亡くなった猫のことを悲しんでいるよりも、天国で幸せに暮らしている様子を想像する方が、亡くなった猫にとっても自分たちにとっても幸せだろうと思えるようになったのです。

何故このように思えるようになったのかといえば、猫が生きている間は家族みんなが幸せな経験ができたからなのだと思います。

いつまでも悲しんでいては、猫がくれた幸せな時間まで無駄になってしまう、そんな気がするのです。

今現在ペットロスで悲しんでいる方たちもいると思いますが、ペットと過ごした時間まで消えてしまうわけではありません。

無理に立ち直ろうと頑張りすぎる必要はないので、悲しい時は悲しんで、その合間にでもペットと過ごした幸せな時間を思い出してあげると供養にもなると思います。

29歳女 子供達の力ペットロスを落ち着かせることができた

現在3人の子供と共に生活しています。

以前は2匹の猫と、元夫も一緒に暮らしていました。

1一匹の猫は元夫が引き取り、元気に暮らしています。

もう一匹は他界してしまいました。

真ん中の子供が現在4歳。

1才になる前に、捨て猫だったオスの茶トラを拾い、一緒に暮らすようになりました。

もう我が子のように可愛がり、寒い時期には一緒に寝たり、子供と一緒になって追いかけっこをしていたり。

本当にペットとしてではなく、一人の家族と言えるほどでした。

子供が増えても動揺することなく、様子を見に行ってくれたり、しっかりお兄さん猫をしてくれていた子です。

離婚成立後、一緒に引越しをして暮らす予定だったのですが、元気だった若い3歳の茶トラの猫が急病で亡くなってしまいました。

その10日ほど前、体調を悪くしたことがありましたが、しっかり通院し病院も終わって、復活したはずだったのに、しばらく普通に過ごしたかと思っていたら、急嘔吐していました。

あれ?と様子を伺いつつも、子供の世話や家事に追われていて、気が紛れてしまい、気がつくと夜遅くにはぐったりしていました。

元夫の帰宅は毎日遅く、連絡もつきません。

帰宅後相談しましたが、夜間救急へいかず、翌朝一番に動物病院へ駆け込んだらいい。

と言われ、子供も置いていけないので、そのまま寝付きました。

翌朝、普段なら好きなところで寝ているはずなのに、私の目が冷めると、なぜか隣に寝ていました。

そして、おはようと声をかけると、顔をあげることもなく、動くこともなく、虫の息の状態でした。

急いで自分と子供達の朝食や、身支度を済ませ、動物病院へ走るぞ!というとき、激しく痙攣?してそのまま息を引き取ってしまいました。

ダメ元だということはわかっているけれど、子供達を急いで車に乗せて、動物病院へ藁にもすがる気持ちで走りました。

もしかしたら助かるかもしれない。

子供達と一緒に、猫に声をかけながら駆け込みましたが、先生は「残念ですが…。

」と。

子供達と猫と一緒に自宅に帰り、一緒になってわんわん泣きました。

子供のめも気にせずしこたま泣きました。

離婚して一緒に暮らすはずだった、家族の癒しの猫がこの世から消えてしまった事実が悲しくて、辛くて、本当に何もしたくありませんでした。

引越しご、本当ならここにあの子も一緒にいるはずなのに。

そんなことばかり考えて過ごしていました。

が、そんな風にいつまでも暮らしていられないので、子供達と一緒に、スマホの中にある猫の写真をかき集めて、存分に眺め、自宅に写真を飾り、一緒に生活することにしました。

悲しくもありますが、子供達が散歩で花をとってきたり、絵を描いてプレゼントしたりしている姿を見て、いまでも一緒に暮らしている。

と思っています。

亡くしたすぐは、本当に泣いてばかりで、食事すら作れないような状態でしたが、子供達と一緒に思い出を存分に語りながら、自宅からその子の存在を無くさないことで、なんとか落ち着いています。

飼い主初心者を卒業させてくれた初めての愛犬

46歳の女性です。

動物が大好きで、いつも私のそばにはペットがいます。

セキセイインコや文鳥などの小鳥を飼ったこともあるし、ハムスターを飼っていたこともあります。

でもその中でも特別な存在なのが犬。

今現在も家の中にパートナーのように寄り添ってくれている犬がいますが、今回お話するのは今から30年と少し前に出会った犬の話です。

その犬は、私にとって初めての愛犬でした。

中学2年生のとき、近所の集会所に捨てられていた雑種の子犬を連れて帰り、そのまま飼うこととなりました。

犬はワンワンと吠えるからということで、名前を「ワンタ」と名付けました。

とても短絡的な名付け方でしたが、実際にはその子は全く吠えないおとなしい性格の犬で、まるでうさぎのように物静かでした。

犬の飼い方の知識がなかった私は、ペットシートの存在も知らず、部屋のすみに新聞紙を敷き「ここでおしっこするんだよ」と教えました。

非常に頭の良い犬で、1回でトイレを覚え、その後失敗することはありませんでした。

元々犬を飼っている友達から犬のことについて色々教わり、少しずつ犬の習性や犬の飼い方の基礎知識というものを学んでいきました。

私が飼い主として初心者でド素人なのに対し、ワンタはそんな飼い主を静かに見守ってくれる賢い賢い犬でした。

今思えば、きっと愛犬は「もっとこうしてほしいのに」とか「どうして僕が言いたいことを、この人は理解できないのかなー」と思っていたこともたくさんあったのではないかと思います。

また私自身が十代だったこともあり、遊びたい盛りで、犬の世話よりも友達と遊ぶことを優先させていた時期もありました。

そんなときは私以外の家族がエサや散歩の面倒を見ていたのですが、きっと本当は「もっと僕のそばにいてよ」って思ってたんだろうと振り返ります。

ワンタは賢いだけでなく、体がとても丈夫でした。

病気知らずでいつも健康。

賢くて健康な犬だったからこそ、犬のことがよくわかっていなかった私のパートナーになれたのだと思います。

つまり、飼い主の「欠けている点」「物足りない部分」を埋めることができる犬だったということです。

その子は…15年、そばにいてくれました。

中学生だった私が30歳近くなり、社会人として働くようになっていくのを長く見ていてくれました。

最初の頃、たった1度でトイレの場所を覚えた犬でしたが、最後の2ヶ月ぐらいはトイレの失敗ばかりするようになりました。

肝臓が悪い…ということに気づいたときには、時すでに遅しで、老いも手伝ってあっという間に寝たきりになってしまいました。

こちらは完璧とは程遠い、物足りない飼い主だったはずなのに、その子は15年間、心から私を愛してくれました。

最期のとき、彼は私のことが心配だというような顔をしていました。

もちろんお別れは辛かったですけど、こちらから「もうバイバイしようね。

大丈夫だよ。

そばにいるからね」と別れの言葉をかけました。

「バイバイ」の意味をよく知っている彼は、その言葉を聞き、最後に大きく深呼吸をして目を閉じました。

後悔がなかったといえばうそになります。

けれど、私がどうにかペットロスを乗り越えられたのは、愛犬の一途な思いを裏切らないようにしようという思いがあったからです。

どんなときも愛してくれた。

どんなときも味方でいてくれた。

だから私が私自身のことを責めたり、元気がなくなったりすれば、一番悲しむのは天国に逝った愛犬だと考えるようにしました。

完全に乗り越えるまでには時間がかかりましたが、その後、前向きな気持ちでまた犬を飼えるようになりました。

年々、初めて犬を飼った頃よりも犬の心がわかるようになりましたし、今では他のおうちで飼われている犬ともすぐにお友達になれます。

今があるのは、未熟な私を成長させてくれた初代の愛犬のおかげです。

きっと彼は今でも、天国で私のことを見守ってくれていると思います。

だから30年経った今でも、彼に恩返しするような気持ちで前向きに生活しています。

飼い主が笑顔でいることは、飼い犬にとって一番の喜びですから…。

25歳女性 残された家族を思って前向きになれました

現在25歳女性、会社員です。

私が小学6年生のときに飼った愛犬が昨年10月になくなりました。

母と一緒にブリーダーさんのところへ見に行って、電車で連れて帰ってきた日のことを今でも昨日のことのように思い出します。

子供だった私が大人になるまで、共に成長してきた大事な家族、仲間が天国へ旅立ったときは味わったことのない絶望感でした。

亡くなる1ヶ月ほど前から体調が良くなく、いつも通っている病院で血液検査をすると胆嚢に炎症を起こしているから、飲み薬を出して様子を見ましょうといわれました。

数日たっても良くならず、次第に食欲もなくなりぐったりするようになりました。

毎日のように病院へ通い、入院もしましたが、先生からは難しいだろうと言われました。

あきらめ切れなかった私は、地元で評判の違う病院へ連れて行くことにしました。

その病院は最新医療機器がそろっており、先生も私たちの気持ちをよーく理解してくださり、希望を捨てずに頑張りましょう、と励ましてくださりました。

あの先生に出会えてなければもっと辛いペットロスになっていたと今では思います。

最新の機器で色々と検査しなおしたところ、数値が非常に悪く、先生もこんな数値は見たことがないと仰せでした。

しかしながら、毎日ステロイド治療や点滴を繰り返したら少しずつ元気になって歩けるようにまでなりました。

亡くなる前夜は家の庭で少しだけ走ることもできました。

結局転院してから1週間程度で亡くなってしまいましたが、我が家には一緒に過ごした愛犬がまだ2匹おります。

うち1匹は亡くなった愛犬の子供です。

残された2匹も大事な家族が亡くなってしまった事に気づいているようで、しばらく元気がありませんでした。

残された私をはじめ、母、父、兄、皆が愛犬の死から立ち直ることができませんでしたが、残された2匹のためにも、健康管理はしっかりしよう、ストレスなくたくさん遊ばせよう、と前向きになることができました。

今は、家の中に仏壇のような場所を作り、毎日お花の水替えをしたりして毎日天国で幸せに暮らしてくれていることを願っています。

私は愛犬に出会えて一緒に成長することができてとても幸せでした。

31歳男 新しい家族との出会いがペットロスを癒してくれた

私は現在東京都に住む30代会社員です。

私の実家で10歳の頃から一緒に過ごしてきたラブラドールレトリーバーとの出会い、別れの経験を書きたいと思います。

出会いは私が小学5年生の頃でした。

習い事から実家に帰るとなぜか家の中がいつになく騒々しかったことを覚えています。

元々犬が好きだった父が家族に相談もせずに、近くのペットショップでたまたま目が合ったラブラドールレトリーバーの女の子を連れて帰ってきてしまったのです。

それまで飼ったことのある動物といえばハムスターくらいだったので、私も、下の弟、妹も初めは皆少し怖がるようにして接していたように思います。

名前は当時流行っていたTVドラマのロシナンテの災難からとってロッシーと名付けました。

ロッシーは本当に活発な、でも少し人見知りな女の子でいつもどこに行くにも一緒でした。

まだ幼かった私たち兄弟と一緒に散歩に出た時には、池や川を見つけると我を見失って飛び込みに行ってしまうほど水に入るのが大好きでした。

いつも一緒で、いつまでも一緒だと思っていたのですが、やはり大型犬の老化は早く、9歳になった頃からはケガや病気を繰り返し、病院にかかることも多くなってきました。

様々な薬を飲み、体調の浮き沈みを繰り返していた9歳の7月7日、ロッシーは家族みんながリビングにいるタイミングで、一人一人に挨拶をするようにして寄り添って、しばらくすると一人で奥の部屋へ消えていきました。

それがお別れでした。

突然の別れでしたので、家族みんな泣き崩れ、動揺しました。

それまで会話の中心だったロッシーがいなくなってしまったので家庭内の会話も減ってしまいました。

こんなことをしたよね、とか、こうしてあげられしいたらもっと長生きしたんじゃないかとか過去のことばかりが話題になるようになりました。

すっかり暗くなってしまった我が家がペットロスから立ち直ったきっかけは新しくラブラドールレトリーバーの男の子を迎えたことがきっかけでした。

見た目はイエローラブと黒ラブで全然違いますし、性格も違います。

そもそも男の子です。

でもそれがよかったのだと思います。

ロッシーとの思い出をなぞるのではなく、新しい思い出を作っていこうと思えたので。

40代女性 ほかの子と関わることにより気持ちが変わった

ミケと初めて会ったのは13年ほど前でしょうか?近所の野良猫で人懐っこい性格でしたので子供たちの良い遊び相手でした。

ある時、近くの家の人が「保健所を呼ぶ」と話していた事を聞いた子供たちが、我が家に助けを求めに来た事が切っ掛けで飼い始めました。

ミケは5歳でしたが、子猫と間違えるほどの小柄な猫でした。

10年ほど一緒に暮らし、2か月ほどの介護生活で旅立ちました。

ミケを看取ったあとはあまりに辛く、二度と猫は飼わないと決めました。

でも、毎日のようにミケのお気に入りだったベットの上、クッション。

ソファーを見に行ってしまい涙がでました。

ブラッシングした際に取っておいた毛を洗い、干して、瓶に入れ、首輪と一緒に置き、いつもそこにいるミケを可愛いかわいいと、撫でました。

ある日、娘が「動物の保護施設を見に行きたい」と言うので私も興味があり、一緒にいった所、一匹の猫に娘が惹かれました。

顔立ちの綺麗なほっそりした猫でしたので、直ぐに貰い手は見つかるだろうなと思っていましたが、もう随分長く施設にいるとのこと。

娘が気に入った事もあり、話を聞くと「猫エイズ」「白血病」の反応が出た猫だそうで・・・。

猫を飼うつもりはなかったのでその日は帰りましたが、保護施設の猫が忘れられなくなりました。

「病気持ちと、言うことは一生あの狭い檻にいるのか?」「発病したらどうなるのか?」「安楽死?保護所が最後までちゃんと介護する?」ミケの時にお世話になった動物病院に聞きに行ったところ「白血病は2年で死ぬからやめた方がよい。

猫エイズだけならワクチンでまったく問題なく普通に寿命を全うできるけどね。

子猫なら反応が出ても変わるから次、検査したら陰性かもね」と言われ、ますます考え込むようになりました。

「あの猫は生きて2年。

一生、あの狭い檻の中なのか・・・」心の中に引っかかって、私は一生この引っかかりを持って生きて行くのかと思ったらそれも辛くなりました。

3日ほど経って保護施設から電話があり「先日お話した猫を再検査したところ陰性でした」と聞き驚きましたが、動物病院の先生の「子猫の反応は変わるから、一回陽性が出たなら持ってる確率は高い」との言葉も忘れられず。

しかし、「この引っかかりを持って生きて行く」のも辛いと思い、すぐに引き取りに行きました。

新しく猫を迎えることのなにが辛いのか・・・と、考えたところ。

やはり「死ぬこと」他に「ミケのいた場所が上書きされて思い出が薄れるような気がしていた事」でも、違うんですね。

上書きはされない。

ミケはちゃんとそこにいて、新しい子のお気に入りの場所は全く違う場所。

二匹ともまったく違うんですね。

思いもよらず「保護施設」の見学に行った事から新しい子を迎える事になりましたが、施設に行ってからミケが死んで辛い・・・との気持ちよりも「楽しかった事」を思い出すようになり、新しい子にも短い期間でもあの楽しさを共有したいと気持ちが変わりました。

新しい子をきちんと検査してもらったら白血病も猫エイズも持っておらず、ホッとしましたが別の病気がみつかり、今は月1で注射が必要で大変ですが、とても楽しく暮らしています。

33歳 女 野良猫ペットロスを解消した体験談について

私は、30代前半の女性でありますが、私は、最愛の野良猫を飼っておりました。

その野良猫と知り合った経緯としましては、私達家族が、普通に生活しておりました時に、ふいに一匹の野良猫が迷い込んできたのです。

その毛並みからすると猫の種類はアメリカンでありました。

非常に色艶の良いメス猫で最初は、お腹が空いている状態でありましたので、エサをやるような形で、特に意識はしておりませんでした。

しかし、毎日縁側に来てエサをねだるようになり、ここから、急速に野良猫に温情が芽生えてくる形となりました。

息子と娘もその猫が大変気に入り、ついに子供達の説得に負けて、自宅で野良猫を買うようになりました。

飼ってからが非常に大変であったことは、家の中にも気軽に出入りするような形でありましたので、夏場はノミが非常にすごかったことです。

それにも家族で我慢して可愛さもあって耐えておりましたが、主人が夜不規則な仕事をしており、大変機嫌が悪い日等がありましたので、猫を怒鳴り付ける日もありました。

そしてついに主人は怒ってしまい、猫をすてて来るように言いました。

仕方がなく私と子供達は自転車で野良猫を捨てに行くような形となり、神社で元居た場所に帰ってね、と言う形の願いも込めて最初見つけた場所と似たような場所でお別れをする形になりました。

その野良猫はずっと私達の姿が消えるまで視線を外すことが無かったのが大変辛かったですが、ここでお別れと言う形になりました。

ここから衝撃の事実が発覚しまして、野良猫が3日後に縁側にボロボロの姿になって迷い込んできたのです。

家族総出で、祝うような形となり、ここからかなり愛情を持って接するようになりました。

それから虹子と名付け、共に生活するようになってから、10年後にふといなくなり、恐らく死んだのだなと思いました。

ここから凄くペットロスで苦しみましたが、悲しんでも仕方がありませんでしたので家族でまた新しい同じ種類の子猫を飼ってまた、新しいペットと生活する形でペットロスを解消する形になりました。

20代女 妊娠をきっかけに、抜け出せたペットロス

現在会社員で事務をしている、20代、女です。

大切なペットである、Aを亡くし、ペットロスに陥りました。

ペットを飼おうと思ったきっかけは、元々先に同じ種類のペットBを飼っていたのですが、そのペットとつがいになればと思い、飼い始めました。

なので、どちらかというと、はじめに飼っていたペットBのほうに愛情は傾いていたのですが、賢く、また、整った顔立ちのAに、どんどん惹かれていきました。

そしてAは神経質でしたが、じっと、人の目を見て話を聞いてくれる、当時仕事に悩んでいた私の一番の心の支えとなりました。

しかし、Bとの折り合いが悪く、喧嘩になってしまい、Aは死んでしまいました。

Aがいなくなってしまったことが信じられなくて、Aを思い出すたびに泣き、仕事もままならない状態でした。

ほとんど毎日、Aの墓参りをし、ありえないことですが、Aが生き返っていないかと、期待をしてしまうほど、精神的に追い詰められていました。

どうしてAと喧嘩をしたのかと、私自身に不備があったことを棚に上げて、Bに当たってしまうこともありました。

一週間ほど経ち、少しだけ冷静になってきたころ、私は少しでもAに似たペットが飼いたい、と販売元のホームページを見ました。

心なしか、やはりAと似ているように思いました。

しかし、またBと喧嘩してしまったら、という懸念もあり、もう一匹飼うことは断念しました。

喧嘩はありましたが、元々AはBのことが大好きで、よく一緒にいました。

なのでペットは、Bだけを飼い、Aの分まで愛情を注ごうと決めました。

そして私は、Aが生まれ変わり、また私に会いに来てくれることを願い、妊活を始めました。

そして、生活基盤と体調を整え、また会いにきてほしいということを心の中でAに伝えること半年ほどで、妊娠し、Aが会いにきてくれたことを実感したことで、はじめてペットロスから立ち直れました。

これからは子どものことを、そして、Bのこと、家族のことを、大切にすることで、Aへ顔向けできる人間になりたいと思えました。

33歳 男 実家の庭に愛犬を土葬してペットロスを解消しました

33歳男です。

コーギー犬を飼っていました。

昨年、前年なことに亡くなってしまいました。

10年くらい前、母が知り合いから、赤ん坊のコーギー犬をもらってきました。

赤ん坊なので小さいのと、なおかつ、コーギー犬はそもそも手足が短いので、とても小さくてとても可愛らしいと思いました。

昨年、愛犬がおしりを野犬に噛まれ、おしりに深く傷を負ってしまい流血していたので、獣医さんに診てもらったのですが、そのまま死んでしまいました。

実家の家族全員が悲しんでいました。

そして、実家の庭に家族全員で協力して、死んでしまった愛犬を土葬しました。

土葬するときは、家族全員が集まって、協力して、穴を掘り、死んだ愛犬を担いで運び、墓に埋め、スコップで土をかけ、土葬した場所の象徴として棒を立てました。

庭に土葬すると、ずっと近くにいることになるので、良いと思いました。

庭の土葬した場所に行くと愛犬のことを思い出せるので、愛犬と過ごした時期のいろいろあったことを思い出し、感慨に耽ることができるので良いと思いました。

母と弟は、散歩をさぼり気味だったので、もっと散歩をすれば良かったと後悔していました。

私は、愛犬の死の原因となった野犬におしりを噛まれたことに対して、愛犬を守るためのセキュリティー対策をもっと厳重にしておけば良かったと思いました。

父は、愛犬が死んだことが悲しくて、もう犬は飼わないと後悔していました。

愛犬がいて当然であり、毎日愛犬のためにやっていたことが、突然の愛犬の死により、毎日の愛犬のためにやっていた日々の日課が無くなってしまうので、心にぽっかりと穴が開いてしまいましたが、実家の庭に土葬すれば、すぐその場所に行けば、愛犬のことを思い出せるので、身近な場所に土葬することはペットロスに対しての有効な対処方法だと思います。

21歳女お墓を作ることで心が軽くなった

私は小学生の時に、初めてペットを飼いました。

お母さんにおねだりして、ハムスターを育てる事を許可して貰ったのです。

ブルーサファイアハムスターという種類で、綺麗なグレー色をしていました。

ヒマワリの種を食べる姿が本当に可愛くて、たくさん食べさせたりしていました。

おそらく、それが悪かったのでしょう。

丸々と太った結果、早死にしてしまって、3ヶ月ほどで死んでしまいました。

初めて飼ったペットという事もあり、愛情をたくさん与えました。

しかしそれが重すぎて、死なせてしまう結果となってしまったのです。

その頃はまだ小学生でしたが、1週間はずっと落ち込んでしまいました。

何をするにも無気力で、すぐに涙ぐんでしまいます。

そんな私を見かねてか、お母さんがある事を提案してくれました。

それが、ハムスターのお墓を作ってあげようという事でした。

土に埋めてから、牛乳の瓶を置いて花を添えたのです。

それからお母さんは私に言いました。

「ハムちゃんはお空に行ったけど、いつも見てくれているよ」それを聞いて、心が軽くなるのを感じました。

その日から私は学校から帰ったら、必ずお墓の前に手を合わせるようになりました。

ここで手を合わせる事で、いつでもお話ができると思ったのです。

今日は学校で何があったのか、喧嘩してしまった話だとか、何でも話しかけたりしていました。

そうすると自然と心が軽くなって行ったのを実感することが出来ました。

ですがやはり、後悔しているのは早死にさせてしまったことです。

命の重さについて、もっと深く考えなければいけないなと思うようになりました。

あれからもう10年が経とうとしていますが、今でもその頃のことは鮮明に覚えています。

ペットも限り命を持っているわけですから、いつかは必ず死んでしまいます。

ですが、それを悲観する必要はないと思うのです。

いまもどこかで見てくれている、とそう考えを変えるだけでも、心がすっきりするのではないでしょうか。

42歳女性 時間が一番の薬 無理をしない

私は40代の女性です。

20年ほど前に、友人宅で産まれた雑種の子犬をもらいました。

彼は私にとってかけがえのない友人であり兄弟であり子どもでした。

当時まだお年頃だった私は、親には言えない悩みを打ち明け、秘密を分かち合ってもらいました。

母を亡くした際も、家族の前ですら泣けなかった私は、彼を抱きしめてこっそり涙を流しました。

18年がたち、彼も年老いて、若い頃には当たり前にできていたことが難しくなり、介護が必要になりました。

私は独身でしたが会社員だったので、夜中に何度も起きなければならない介護生活は大変でしたが、今までの恩返しだと思い、精いっぱいお世話しました。

ある日「なんとなく元気がないな」と思っていたら、夜中に激しいけいれんを起こしました。

翌日の朝一番に獣医の往診を受けましたが、高齢で手の施しようがないとのことでした。

とてもさみしく胸がつぶれるような思いでしたが、痛みと苦しみは取り除いてもらえるよう鎮静剤を処方して頂き、最期の時間は住み慣れた我が家でゆっくりと過ごすことにしました。

それからの数日間は、寝ているのか起きているのか、朝なのか夜なのかわからないような時間でしたが、その時はやってきました。

ろうそくの炎が消えるように、彼は静かに私の手の届かない世界へと旅立ちました。

「あの子は十分生きてくれた」「精いっぱいやり切った」という気持ちで、清々しい寂しさを感じました。

それでも喪失感は大きく、会社のトイレで涙を流したり、通勤電車の中で突然涙が溢れることが何度もありました。

テレビのペット特集も見ることができなくなりました。

もし今、悲しみにとらわれ深い谷底にいる方がこの文章を読んでくださるとしたら、「時間が一番の薬だよ」と伝えたいです。

今は自分の感情に蓋をせず、思う存分悲しみと寂しさに浸ってください。

時間が経つうちに記憶が薄れ、また新たな悲しみを経験しますが、必ず微笑とともに「大好きな、大事な愛おしいあの子」を思い出せる日がやってきます。

「あの子」はあなたの心の中の「大事なもの」の引き出しにしまわれていて、いつでも取り出して慈しむことができるのですから。

54歳女性 とことん泣いて後悔したのちに愛犬の笑顔が見えました

共働きでただ流されるだけの毎日だった私達夫婦のもとにやってきてくれた一匹の雑種の老犬。

保護施設で出会ったその犬は悲壮感のかけらもないくらい穏やかで優しい目をしていました。

しつけをする時間がないので成犬を望んではいましたが7歳ともなるとどれだけ一緒にいられのか、ということがネックでしたが、ご縁を感じ家族になってもらいました。

すぐに我が家に慣れ、やはり出会った時と同じ穏やかに優しく私達に寄り添ってくれました。

シニアといえどもまだまだ元気だったので、平日はずっと留守番させていたこともあり、休日には車で遠出したり、宿泊旅行したり。

この子がいるだけでこうも生活がキラキラするんだね。

そんなことを夫婦で話しては本犬が鬱陶しいと思うほどいっぱいの愛情を注いできました。

今まで悲しく辛いことを経験してきたはずですから。

多少のアレルギーなどで病院にかかったことはあれど、大きな病気もせず暮らしてきましたが、15歳くらいから徐々に衰えが顕著になってきました。

白内障、痙攣発作、腎臓病。

絶対この子を守る!という意思だけはぶれず、食事やケアについて勉強し実践してきました。

が、とうとうその日はやってきます。

享年17歳。

本当によく頑張って長生きしてくれました。

寝たきりになって1年。

昼夜逆転になり、仕事との両立はかなり困難でした。

でも介護の日々は愛犬が残してくれた最後の蜜月の時間でした。

旅立つには不足のない年齢でした。

病気で辛かっただろうし、自分なりに覚悟は出来ていたはずです。

なのにやはり心にあいた穴は想像以上に大きかったのです。

日常生活は、表面上普通に過ごせていました。

仕事も、家のことも。

でもちょっとしたすき間すき間に襲ってくる寂しさはどうしようもありませんでした。

友人達は共に泣いてくれ、優しい言葉もいっぱいいただいたというのに、やれるだけのことはやったというのに、自然と後悔すべき部分を探している自分がいました。

病院に連れていったタイミングが悪かったのではないだろうか、あの時あの子は辛かったのではないだろうか、私はやり過ぎたのだろうか。

小説が書けるくらい後悔ネタがあふれ出てきました。

人であれペットであれ、大事な存在を失い、その事実を消化するには相当の時間がかかります。

見送ってから1年くらいは寝たきりのまま私を見上げる少し悲しげな愛犬ばかり思い出していました。

一周忌を過ぎ、ふと気づくと、一緒に行った旅行やゴハンを前に嬉しそうな笑顔を見せる愛犬が脳裏に登場していました。

これが愛犬ロスから脱出できたと思えた瞬間でした。

その後は三寒四温のように、後悔が襲ったりしつつ、笑顔の愛犬の割合が増えていきました。

そしてもうすぐ2年。

今まで辛くて見返せなかった愛犬の写真を眺めては感謝の気持ちを伝えられるようになりました。

ロスからの回復は本当に人それぞれだと思いますが、どんなに辛くても悲しくても寂しくても、必ず最後には感謝だけが残ると思っています。

日にち薬とは良く言ったものですね。

きっと天国の愛犬は情けない飼い主の私をハラハラしながら見守っていてくれたのだと思います。

47歳 女性 クロのペットロスを癒してくれたのは新しい子犬

私は動物が大好きで、犬、猫、ハムスターにインコ、フェレットにカメ、金魚にリス、うさぎなど沢山の動物たちと暮らしてきました。

そんな中で忘れられない犬が雌犬のクロです。

私が幼い頃に叔父が捨て犬を拾って来て、我が家に置いて行ったのがクロです。

実際は黒くはなくて、柴犬の雑種のような茶色の犬でしたが、家族の誰かが適当にクロと名付けたのでしょう。

いつからかは記憶はありませんが、小さな頃から一緒に過ごして来ました。

クロの好きな言葉は「さんぽ」体の大きなクロは散歩の時は私をぐいぐいと引っ張り、何度か転ばされたこともあります。

でも、私がわざと死んだふりをすると、心配してくぅーんくぅーん鳴きながら起こしてくれる優しいクロでした。

泣いているときは涙を舐めてくれて、喜ぶときには一緒にジャンプして。

お留守番が大嫌いで、出かける私たちを恨めしそうな悲しい目をするクロ。

お風呂も動物病院も注射も大嫌いでブルブル震えていた。

学校の給食の残りはクロのためにこっそりと持ち帰り、食べさせました。

食べきれない食べ物は、土を掘って隠していましたが、その後はたぶん腐ってしまっていたんじゃないかなと思います。

誰もいない広い高原に連れていき、リードを外してあげるとと耳を後ろにそらせ俊敏に駆け回り「見て!見て!」と得意そうにしていたクロ。

私はクロと一緒に成長していきました。

一時期、友達と遊ぶことに夢中になりクロをかまってあげずに忘れてしまっていたことがあります。

クロは毎日、おかえり!おかえり!会いたかったよ!って鳴いて尻尾を振ってくれていたのに、私はほっといてしまっていました。

クロどんなに寂しかったかな、私には友達がいたけれど、クロには私たち家族しかいなかったのに。

そのうち、クロはだんだんおばあちゃん犬になっていきました。

中年太りになりお腹が下がり、毛艶もなくなりボサボサになって、ハゲもできていきました。

それでも食欲はあり、りんごもキュウリもバリバリ食べていました。

徐々にボケが始まりました。

家族の帰宅を間違えて、他の人と間違えてワンワン吠えてしまい「あ!間違えた」としょぼーんと謝る様子などがありました。

さらに足元がおぼつかなくなっていきました。

それでも「さんぽ」は大好きで、「さんぽ」の言葉を聞くと喜ぶ姿が愛おしかったです。

ほとんど歩けなくなって、抱っこでも散歩は続けました。

そんなある日、クロが横になったまま動かなくなっていました…あ、生きてる。

声を掛けると動けず、目も開かないのに尻尾だけ振ってくれます。

あぁ、クロ返事してくれてるんだね。

クロクロ…そのまま徐々にクロは動かなくなって虹の橋を渡って行きました。

クロは水仙やマーガレットの咲くお花畑に眠っています。

その後、家族はみんなペットロスになりました。

犬小屋を見ては泣き、首輪を見ては泣き。

それからしばらくたち、同級生の家で犬が生まれたので見に来ないかという話がありました。

もうあんな悲しい思いはしたくない、もう辛い思いはしたくないと思いながらも、見に行ってしまいました。

かわいいむくむくした子犬!見ちゃったら…飼いたくなります。

そして新しい家族が出来ました。

クロのことはその後も何度も思い出し、涙したけれど新しい家族が出来たことにより悲しみから抜け出すことができたのだと思います。

ありがとうクロ。

私が虹の橋に行ったら迎えに来てね。

その後も沢山のペットを見送りながらも、また新しい家族を迎え入れて幸せをもらっています。

今悲しみの淵にいる方も、もしかしたら、新しい家族を迎え入れることによりペットロスから立ち直れるかもしれません。

沢山の愛をありがとう。

44歳女楽しかった思い出話しでペットロスを克服

私は44歳の女性で在宅の仕事をしています。

私はかつてミドリガメを飼っていました。

祖母に飼ってもらい、小さな水槽に入れて眺めているのがとても幸せでした。

周囲からは勘違いではないかと言われるのですが、名前を呼べば小さな顔を水面から出してくれて、まるで自分の名前が分かっているかのようでした。

大切に、大切に飼っていましたが、ある日。

水槽の中で動かなくなっていました。

名前を読んでも、もう顔を見せてくれる事がなく、触っても何の反応も示してはくれませんでした。

哀しくて、哀しくて毎日泣き続けました。

友人達は励ましてくれるのですが、なかなか立ち直る事は出来ませんでした。

中には、そこまで落ち込むのはおかしいという人もいましたが、私にとっては大切な家族なのです。

空っぽの水槽を見る事が辛くて、早くに捨ててしまいました。

水槽があったスペースを見ては涙が溢れるという日々を繰り返していました。

ですが、いつまでも泣いている事を亡くなったペットが見ていたらどう思うのだろうと思いました。

ペットを亡くすという事は、出会った時から決まっていたのです。

私は何とか立ち直ろうと、あえて明るく振る舞いました。

ミドリガメの事は思い出さないようにしました。

でも、思い出さないようにすればするほど、いろんな事を思い出してしまうのです。

かえって心が辛くなるだけでした。

そこで、私は忘れる事はやめて、家族と一緒にミドリガメの思い出を話す事にしました。

そこには、楽しかった思い出や、困った思い出などがあり、終始笑顔で話す事が出来ました。

涙もこぼれましたが、それでも心がとても軽くなったんです。

確かにペットが亡くなり、そのショックは大きいのですが、存在までが消えた訳ではないのです。

なので、私は楽しかった思い出をいつも思い出すようにしています。

その後も様々なペットを飼いましたが、心の中からミドリガメがいなくなる事はありません。

いつも心の中にいるのだと思う事で、亡くした哀しみを乗り越える事が出来ました。

50歳女家族でこの子との愉快な思い出話で盛り上がる

私は50代の主婦で、夫・娘・息子の4人家族です。

以前は私の母も一緒に住んでいましたが、2008年5月に乳がんを患い亡くなりました。

母は気配りの出来る優しい性格であったため、子供たちは2人とも母になついていました。

その母が他界してしまい、高校生と小学校の高学年だった多感な子供たちは拠り所を失ったように気落ちし、なんだか家族がバラバラになったような空虚な気持ちで過ごしていた半年後、小学生だった息子が「犬を飼いたい」と言い始めました。

そういえば亡くなった母も私も犬は大好きで、いつかは飼いたいと思っておりました。

母を亡くした寂しさも癒えなかったので、思い切って生後2か月のオスのチワワを家族として迎えました。

私の中では「家族がまた増えた!」という幸せな思いでこの子を迎えたのを覚えています。

それからというものは子供たちも夫も、帰宅するとまずこの子の顔をみては笑顔にさせてもらい、この子のおかげでまた家族が一つになりました。

本当に本当に・・・我が家の宝物でした。

色々つらいことがあっても、この子を抱っこしながら泣いてるとつぶらな瞳でじっと私の顔を見て傍で黙って寄り添っていてくれました。

ただ、いまだに後悔しているのが、あまりに可愛がりすぎてついつい人間の食べ物を食べさせてしまったこと・・・ドッグフードを段々食べなくなり、獣医さんとも相談しながらなるべく低カロリーのものを選んではいましたが、やはり体が大きくなっていきました。

さらに呼吸器の病気を発症してしまい、8歳の誕生日を迎える直前に天国へ召されていきました。

人間と同じように家族の見守る中、小さな棺にはこの子が大好きだったおやつや、ぬいぐるみ、家族からの手紙を詰めてお葬式をしました。

今、ペットは家族のように考えておられる方が多いようで、こういったペット専用の火葬・お位牌作成をしていただけるところがあります。

もうすぐ3年経ちますがまだこの子のお骨は骨壺に入って我が家の御仏壇に安置されています。

お位牌はこの子の写真が印刷されたクリスタル製のもので「ありがとう、ずっと一緒だよ」の文字が印字されています。

幸いにして我が家の菩提寺ではペットの供養塔も建てているので家族の・・・いえ、私の気持ちが整理できたら、あるいは私が年老いてあの世に逝くときに一緒に埋葬すればいいという気持ちでいます。

今、骨壺は可愛らしいスカーフで包まれていて、毎朝「おはよう」、出かける時は「行ってくるね」帰宅したら「ただいまー」を普通に語りかけています。

勿論携帯の待ち受け画面はこの子の”笑顔”の写真。

天国に召された1年間(普通より長いかもしれません)、近所で犬の姿を見るのも、テレビで犬の番組を見るのも、チラシの写真ですら嫌でした。

「この子はいないのに何で・・・」と言葉では表現できない思い・・・せめて姿が見たい!という意味不明な思いからネットを検索してたら、何とこの子にそっくりな人形を見つけました。

アメリカからの輸入ですが目を閉じて眠っている姿のもので電池を入れると呼吸をはじめ、おなかが呼吸音とともに収縮するという何ともリアルな人形です。

3000円ほどしましたが、この時の私は藁をもつかむ思いでこの人形を即購入しました。

今でも私の作業机から一番よく見える位置に汚れないようにビニールでカバーして安置してあります。

邪魔にならない限り出来るだけこの子の居た形跡を残して、それを見ながら家族とこの子についてのなるべく面白い思い出話で盛り上がる、そうやって少しずつ傷が癒えていったように思います。

今では近所を散歩しているワンちゃんに自分から近寄って声を掛けるほどになりました。

今は魂となったこの子も、私がいつまでも悲しんでいる姿をみたくないでしょうから。

この子はいつまでも私たち家族のそばにいるのですから。

22男 1年の時を経て時間が解決してくれました

私は小学六年生のときにセキセイインコを飼っていました。

黄色と緑のきれいな色をしたとてもかわいい子でした。

この子を飼うときにペットショップへ訪れた時に一目でこの子を飼うと決めました。

決めた理由はこの子が一番輝いていたのとこの子と過ごしたいという直感的な理由でした。

この子が訪れてから家庭が温かくなった気がしました。

ゲージから出すととても元気に飛び回り、肩に乗ったり自由気ままな姿を見るのが好きでした。

家族と共に過ごす機会や話題もくれたのもこの子のおかげだと思います。

しかし、中学生に上がるにつれてこの子と過ごす機会が減ってきました。

私は部活に熱中し、休日も平日も変えるのが遅くなり遊べなかったからです。

その状態が高校生を終えるまで続きました。

朝早く朝練があるから出ていき部活の練習につから遊ぶこともほとんどなくなっていきました。

この六年間の期間ほとんど遊ぶことができなく、自分のことばかり優先してしまったことはとても後悔しています。

大学に入学してからは部活をやめたので一緒に遊ぶ機会がまただんだんと増えていきました。

しかし六年空いた穴を埋めるのは遅すぎたと感じました。

年のせいかあまり元気に飛び回ることも肩に乗ってくることも少なくなっていました。

それでも空いている日は毎日遊びました。

そして、大学二年生になった時セキセイインコの寿命のことを意識し始めました。

もう一緒に過ごして八年の時が過ぎていました。

なるべく長生きしてほしかったのですがそうはいきませんでした。

授業中に母からの一通のラインが入り体調が悪く一切飛ばなくなった、と。

急いで家に帰り側に寄り添いました。

まだ息があるもののとても苦しそうな君を見るのはとても辛かったです。

1日中ゲージから出し寝るのでさえ一緒に過ごしました。

そして、朝目が覚めると隣には息を引き取った君がいました。

正直その時は実感がなく虚無感が身にまとわりついていました。

この子を幸せにしてあげられたのだろうか、たのしかったのだろうかなどといろいろ考える日々が続きました。

今でも考えることがあります。

かまってあげられなかった6年間をとても後悔しています。

今は気づかないかもしれませんが人は失ってから大切さに気付くことが多いと思います。

これを読んだ方はこのことを忘れずに生きてほしいです。

失う前に。

28歳女 フェルト人形とアルバム作りで受け入れた家族の旅立ち

15年も一緒にいた子を亡くしました。

私が小学校の低学年の頃から一緒に過ごしてきた家族でしたが、私が社会人になって二年目に旅立ってしまいました。

彼女は老犬ながらとても元気で食欲も旺盛な様子でもっと長生きしてくれるものだと安心していたのですが、亡くなる少し前に急にご飯を食べることも散歩をすることもできなくなってしまいました。

その後どんどん衰弱していき、あっという間に逝ってしまったのです。

最期を看取ることができたのですが、とても苦しそうだったのが本当に辛くてなかなか現実を受け入れることができませんでした。

出来ることなら眠るように、苦しまずに逝って欲しかったのです。

でもそうはならなかった。

そうさせてあげられなかったことがとても悔しかったのを覚えています。

亡くなってしばらくは、いつもの場所に気配を感じたり、実は透明になって見えないだけで近くに居るんじゃないか、皆に認識してもらえず寂しい思いをしているんじゃないかとずっと思っていました。

彼女の死が受け入れられなかったのです。

どうしても彼女が恋しかった私はせめて似た見た目のヌイグルミを側に置きたいと、ネットや店舗で探し始めました。

しかし同じ犬種のヌイグルミやグッズはあっても全く似ていないのです。

どれだけ探しても似た面影のものが見つからず、どうしようかと途方に暮れていました。

そのときにフェルトアートに出逢いました。

羊毛フェルトで自分のペットの人形を作っている方たちがいたのです。

さっそく手芸屋さんに行ってフェルトの材料を購入し、何度か試作した後に彼女そっくりのフェルト人形を作り上げることができました。

その時に私は不意に受け入れることができたのです。

彼女がもう逝ってしまったということを。

実は彼女の人形を作るために、家中の写真をかき集めたのですが、その過程で折角だからとアルバムも作ったのです。

そしてそのアルバムを見ながら人形をつくっていました。

家に来たばかりのころんころんの犬がおおきくなってイタズラや遊びを満喫している姿、年老いてゆっくりと寛いでいる姿に何度も目を通し、彼女の人生を噛み締めたのです。

辛いことや、悲しいこともあったけれど、彼女は確かに遊んで、食べて、のんびりして過ごしていたのだということを、アルバムや人形製作を通して飲み込めていけたのだと思います。

もし今大切な家族を亡くされて行き場のない後悔や悲しみを抱えておられるなら、その子の写真をぜーんぶ集めてアルバムにされてはどうでしょうか。

そして何か形に残るものをつくって側に置くのもいいと思います。

その子の死に向き合うのではなく、死も含めたその子の人生を受け入れる事ができるようになっているかもしれません。

20才男 僕の部屋の窓からは花が見える

初めまして。

僕は田舎住まいのアルバイターです。

 僕の人生には物心をついた時からずっとペットがいます。

僕の家ではペットと呼ばず毛のある子どもということで、毛どもちゃんというのですが、一緒に暮らしてきた毛どもちゃんの種族も様々です。

僕がはっきりと記憶にある子たちだけでも、リス、ミニチュアダックス、ミニウサギ、セキセイインコ、フクロモモンガ、猫、ロップイヤー(うさぎ)とたくさんです。

僕の記憶にない毛どもちゃんたちもいるのだと聞いています。

 保護した鳩もいました。

 僕が高校時代、セキセイインコちゃん、ミニウサギちゃん、ミニチュアダックスちゃんと半年余りの間に立て続けに虹の橋へと渡って行ってしまったつらい時期がありました。

 僕は別れの時が近くなると傍を離れたくありません。

とてもつらいけれど、抱っこして撫でて「がんばれ、がんばれ」と必死に応援します。

涙は出来る限り我慢します。

 そして、虹の橋へ渡って行ってしまったら、たくさん「ありがとう」と伝えます。

 もう一緒に過ごすことは出来ない。

僕は何も手につかなくなってしまいます。

学校を休み、たくさんの花を買いに行きます。

重くても自転車で、歩いてたくさんの鉢植えの花を買います。

その子の好きだった色や似合っていた色、そんなことを思い出しながら花を選びます。

 いよいよ身体ともお別れの時、母親に身体をきれいにしてもらった子を寝かせ、ごはんやおもちゃなど持って行かせてあげます。

何度経験しても、あの土を掛ける瞬間の何とも言えない罪悪感や辛さは慣れません。

 そして、たくさん花を植えます。

咲いている花を見ると、元気に一緒に過ごしていた時を思い出して笑顔になれるのです。

季節が変わるたびに花を買い植えます。

 僕がいつか人生を終えて、虹の橋で皆に再会できる時まで、虹の橋の子たちに心配をかけないように、皆との思い出を、皆のくれた笑顔の時間を思いながら一生懸命生き抜きます。

 後悔はたくさんあります。

あの時こうしてあげればよかった。

もっとこうしてあげればよかった。

でも一番はすごく甘えん坊だったミニチュアダックスちゃんが夜中に一人でひっそりと虹の橋へと渡って行ってしまったこと。

あんなに寂しがり屋で甘えん坊だったのに。

 まだまだ今も一緒に暮らしている毛どもちゃんたちがたくさんいます。

 毛どもちゃんたちは優しくて可愛くて愛おしいとても大きな大切な存在。

なのに与えられた命の時間は人間よりもずっと短く、見送ることのほうが多い。

 つらいけれど、その子たちとの時間を思い出すと、どんなに笑顔と優しい時間をくれていたのだろうと思います。

 写真や花を見て、その子たちの思い出を笑顔で思い出し、その子たちに負けないように一生懸命生き抜いていつか虹の橋で再会する時に胸を張って会えるように。

 必ず虹の橋から見守っていてくれると思います。

35歳女 一緒に住んでいる愛犬が癒しをくれた

私は、現在35歳2児の母です。

動物が大好きで、6歳~今も常に動物を飼って状態です。

初めて出会ったのは18歳の専門学校で産まれていた可愛い3匹のトイプードルの雄たちです。

うち、一匹を家族として向かいいれることになり県外へ転勤になった時も一緒に引っ越しをして、苦楽を共に過ごしてきました。

愛犬が17歳の誕生日を迎えた当たりから、おしっこの量と飲む水の増えたなと思いましたが、特別変わりはなく様子をみることにしました。

食欲もあり、眼と耳があまり感覚がないような老化現象がありましたがある日、急にペタンと床に座り込んだ状態で動かなくなっていました。

病院に連れていき、腎不全を起こしているということで、週に何回か脱水を回避するために点滴しに通院することになりました。

ふらふら立つのですが、すぐにペタンと座り込んでしまうのでおむつをはかすことにし、呼吸が荒く胸が大きく動いてじっとしている状態が2週間続いたころでしょうか。

仕事に行く前に様子を見て、いつものように寝ていたので出勤してきました。

帰って一番に様子を見ると、上向きになり、痙攣を起こしていたのですぐに病院に行きました。

先生には、長くはなく、このまま病院にいて点滴治療をして楽になるのを待つか、おうちでゆっくり過ごしてあげるか。

どちらがいいですか?と選択を迫られました。

連れて帰りたかったのですが、あまりにも呼吸がえらそうで連れて帰ると本人が苦しいかと思い、次の日の朝一で会いに来ることを選びました。

私のなかで、そんなすぐには死なないと思っていたので、一日酸素がたくさん送ってくれる場所で今よりも楽になればいいと思っていたので、心配ながらも朝までまつことに。

朝、支度をして息子達を幼稚園に送り届けたあとに病院へいく途中に携帯に電話が。

病院からでした。

いやな予感が的中。

先ほど、息を引き取りました。

と。

迎えにいく車の中で、そんなはずはないと涙はでませんでした。

到着して、まだ温かい愛犬を見ても寝ているようにしか見れなかったのですが。

苦しむことなくスーッと逝ったのではないでしょうか?と看護師さんに優しい言葉で、ダーっと涙が押し寄せてきました。

看取れなかった。

ただそれだけが悔やまれ、あのまま連れて帰ってあげていたら、家で看取れることができたのではないか。

不安になりながら病院の中に置いて行かれたと、本人は思ったのだろうか・・・など、ぐるぐる頭を回りました。

息が苦しくて、もがくぐらいなら、スーっと楽にいけたなら私の選択は間違っていなかったのではないかと思い聞かせている毎日です。

いつも座っていた座布団を見ると亡くなった愛犬の姿がまだ残っているようで、寂しくて、探している私のロスはしばらくはとれませんでした。

ぽっかり穴が開いたような時間でしたが、亡くなった愛犬には2歳年下の15歳になる息子がいます。

まだ、高齢の愛犬15歳がいるので、悲しい思いを和らげてくれているので何とか過ごせています。

あの時の選択で悩まれているご家族は沢山いると思います。

その時の最善の選択は、愛犬は認めてくれると思って手を合わす毎日です。

ありがとうございました。

34歳女ワタシがペットロスから立ち直れたきっかけ

こんにちは。

私は関西在住の34歳です。

私がペットロスから脱出出来たきっかけは、ズバリ『恋愛』です。

私は今年の2月に10年飼っていた愛犬を亡くしました。

動物は飼った時点から、ペットとの別れ(死)を覚悟する事が伴ってきます。

正直、新しく家族を迎えた時はそんな事まで考えず、これから始まる楽しい生活にドキドキワクワクしてしまいます。

もちろんそれで良いと思います。

しかし、来るべき時はいずれやってきます。

私と犬の別れは突然でした。

前日まではご飯も食べ元気だったのに(夜から調子が悪くはなりましたが)、次の日の朝方に亡くなっていました。

本当に犬がなくなってからの生活は、辛さを通り越し地獄でした。

犬は基本、私の部屋で私と一緒に過ごしている事が多かったので寝るときも一緒でした。

しかし犬が亡くなった夜は寂しくて寝れず…朝起きればいつもいるはずの犬がいない…仕事に行く時はいつも見送りがあり、仕事から帰れば餌が欲しいのか(笑)ギャンギャン泣きながらのお出迎え。

一つ一つ犬がいないことに泣いていました。

食欲はなく、ビールばかりを飲む生活。

冒頭で動物を飼った時点から別れ(死)を覚悟する事が伴ってくると書きましたが、私はその覚悟が全く出来てなかったんです。

ペットの死を受け入れる余裕は当時全くありませんでした。

私は以前からいわゆる、マッチングアプリを利用していました。

利用していた目的はやはり出会いが欲しかったというのが1番の理由です。

しかし、犬が亡くなった直後は誰かとやりとりをする気にもなれず、私はアプリを全く開けていませんでした。

犬が亡くなって1週間が経っても辛い気持ちが消えることはなく、しかしこの寂しい気持ちをどうにか紛らわしたいという気持ちで私はアプリを開けてみることにしました。

ある日、私は仕事のお昼休憩の時にアプリを開けたら後に付き合う事となる彼と出会いました。

彼は私と同じ居住地で年齢も一緒でした。

そんな事ですぐ意気投合し、やりとりが始まりました。

彼とやりとりをしていると、本当に辛いことを忘れさせてくれ私の心の救いとなりました。

彼と付き合う事となり、彼と過ごす中で犬がいない辛さで泣いたりするようなことはなくなりました。

結局、その彼とは残念ながらお別れしてしまったのですが(笑)あの時、彼と出会えて私を地獄から救ってくれたのは間違いなく彼でした。

犬がいない事は今でも寂しいです。

でも今は現実を受け止めれるようになりましたし、また素敵な出会いがあればという気持ちで一杯です(笑)大切な何かを失ったショックは本当に辛いものです。

立ち直るのも安易ではありません。

私は恋愛がきっかけで立ち直る事が出来ましたが、本当にふとした時に立ち直れるきっかけが出来ると思います。

今もし、何かに落ち込んで辛い思いをしている方がいるのなら、焦らずでいいので自分に諦めないで下さい。

最愛のペットである文鳥の死…喪失感を克服したのは、やはり日にち薬

当年の夏で50代の半ばを迎える神奈川県に在住する男性です。

現在、ライティングで仕事をすべく毎日、コツコツと勉強中です。

そんな私のペットロスを解消したお話を書かせて頂きます。

中学に上がって直ぐくらいの頃のことです。

ペットを飼いたかったのですが住んでいるところが、公団住宅(現UR)の団地だったので犬と猫は飼わないというのが、入居時の約束でした。

それでも、兄弟、姉妹のいない一人子という境遇だったので何か可愛がれる対象が欲しくて悩んだ末に思い付いた苦肉の策が、小鳥でした。

最初は、小鳥ならば何でもよく、インコ、十姉妹、文鳥と特にこれといった特定のものは、決めずに近所にある小鳥の販売店に出向きました。

丁度、繁殖の時期だったせいもあり、かなりの数の小鳥の雛たちがあちらこちらでピヨピヨと騒がしいほどに鳴いていました。

お店の人に事情を話すと、「それならば、文鳥がおすすめです。

中でも白文鳥は気品があってここ最近の一番の人気です」と教えてくれました。

白文鳥?・・・文鳥と言えば一般的に見かける桜文鳥を考えていたのですが、白文鳥という今まで聞いたことない文鳥の名前に一気に引き込まれてしまい、早速、雛のところに案内して貰いました。

何匹も元気よく鳴いている雛の中から目があった(と勝手に私が思っているだけかもしれませんが・・・)一際、元気のいい雛を見つけて「この子にします」と指をさしました。

そして、早速、購入。

雛専用のエサと藁巣も共に購入、飼育上の注意を教えてもらいました。

「白文鳥は雛のうちは、背中が黒いですが、大きくなるにつれてとれますから」ということも教えて貰いました。

可愛い、可愛い小鳥ではありましたが、小さいとは言え、一個の命を預かるという責任の重さも同時に感じていたのを思い出します。

というわけで白文鳥との生活が始まりました。

名前は、安直ではありますが、鳥なので「ピーちゃん」という名前をつけました。

ピーちゃんは家族全員によく懐いてくれましたが、取分け、餌を与える私にはよく懐いてくれてヨチヨチ歩きでまだ飛べないですが、私の後を追いかけてきました。

本当に可愛かったです。

お店の人の言うように、大きくなるにつれて背中の黒い部分は消えていき一年と少し経過したころには、完全に大人の文鳥へと成長していきました。

雛のうちから飼って面倒を丁寧にみていくと本当によく懐いてくれます。

呼ぶと遠くにいても飛んでくるし、夏などは、両掌の中に水を溜めておくとその中で水浴びをしたりもします。

しかし、初めがあれば、終わりがあるように命あるものには、必ず死があります。

文鳥の寿命は一般的に6~7年と言われていますが、ピーちゃんもその例に漏れませんでした。

別れは、突然に訪れました。

その日は何となく元気のないピーちゃんを心配して後ろ髪を引かれる思いで登校したのですが、心配になり放課後は急いで帰宅しました。

帰ると、ピーちゃんは、元気で出迎えてくれたので安心して、手を洗い籠の扉を開けて放鳥してやりました。

やはり、年齢を重ねたせいかあまり以前のようには、飛び回らず直ぐに、私の手のひらに止まりそのまま寝てしまいました。

しかし、何時ものお昼寝とは何か様子が違いました。

そう、呼吸をしていないのです。

慌てて母を呼ぶと「あぁ・・・ピーちゃんは死んでいるよ!」と。

私は愕然としました。

そして「ピーちゃんは、お前が帰ってくるのを待っていてくれて、お前の手の中で天国に行きたかったのだろうね」と。

胸を締め付けられるような悲しさがこみ上げてきて、自分の掌にピーちゃんを戻すと最後のモフモフをしてあげました。

ピーちゃんは、の体はまだ温かく名前を呼ぶと「ピヨッ」と何時もの返事を返してくれるのではと思うくらいでした。

ピーちゃんを亡くした喪失感、ペットロスは予想外に大きかったのを記憶しています。

先ずは、ピーちゃんの家つまり鳥籠を直ぐには、撤去することができませんでした。

撤去してしまうと、本当にピーちゃんとお別れをすることを受け入れてしまうことになるので、撤去できなかったというのが正直なところです。

しかし、毎日、主のいない鳥籠を見るたびに胸の内から突き上げてくるような寂しさや悲しさに苛まれて辛くなり約1ヶ月ほど経過したころに断腸の思いでようやく鳥籠を撤去しました。

さらに、雀が遊んでいるとその形にピーちゃんを重ねてしまい、何とも言えない悲しさを味わったのも思い出します。

実際、大きさ的にも雀と文鳥はあまり変わらない大きさです。

しかし、何時までもこの状態を続けるわけにもいかず、自身で納得して受け入れる以外には、手はありません。

では、どうやっていったかたというと、結局は「日にち薬」で時が解決してくれるのを待ち、悲しい気持ちを風化させるしかありませんでした。

「あれだけ、可愛がったのだからピーちゃんも決して思い残すことはない!」と、自分自身に言い聞かせて。

ただ、やはり後悔しているのは、動物病院に連れていけば、もうちょっと長生きできたかな?あの日(ピーちゃんが死んだ日)は思い切って学校を休んでしまえばよかったかな?と色々と尽きせぬ思いが出てきます。

これは、誰でもそうらしく、知人でやはり飼っていた文鳥をなくした人もあれこれと悔いが出てきたらしいです。

ペットロスは実に辛く、悲しいです。

そして思いもがけなく突然にやってくることもあります。

ペットを飼って可愛がっている人はこの日が必ず来るということを頭の片隅にでもおいて、悔いが残ることなく愛情を注いでやることを心掛けてあげるのが、いいと思います。

愛情を注げば、注いだだけ、彼等は懐きます。

そして、彼等はその愛情を決して裏切ることはしません。

ペットロスに苦しんだ私がこんなことを書くのもおかしな話ですが、十分に愛情を注ぐことが出来たならば、お別れのときも少しはペットロスも軽くなのるのでは?と思います。

あと何年かでここの公団も建替えになりますが、ピーちゃんは、共有部分である花壇の目立たぬところに眠っています。

今でも、その前を通ると心の中で「ピーちゃん!」と呼びかけてあげています。

55歳女性 猫カフェと仕事にやりがいをみつけて乗り越えたペットロス

50代既婚女性です。

子どもがいない私たち夫婦にとって、愛猫はとても愛しい存在でした。

出会ったのは、近所の地域猫を世話する人が、捨てられていた子猫2匹を拾ったと言って、私の仕事先に見せに来た時です。

そのうちの一匹がうちの子になりました。

その時は、栄養失調でガリガリに痩せ、毛並みは悪く、片目は良く見えていないようでした。

あまり長生きしないかもと覚悟しましたが、大きな病気もなく19歳を迎えました。

19歳になる少し前に、目が完全に見えなくなりました。

家の壁にぶつかりながら歩いていることで、目が見えなくなったことに気づきました。

ぶつかって怪我をしそうな場所にはすべて緩衝材をあて、危険がないようにしました。

ケージに閉じ込めたりせず、できるだけ今まで通りの生活ができるように心がけました。

それでもやはり心配で、私たちは外出を控えるようになりました。

目が見えなくなって半年後、食欲がなくなりました。

そしてその1か月後、急に徘徊が始まりました。

ある日突然、家の中をひたすら歩き回り、壁に突きあたってもまだ進もうとするのです。

その日から、私と主人は交代で、夜もリビング(猫の主な居場所)に寝袋で寝て、何かあった時に備えることにしました。

体重がどんどん減るので、人間の食べ物でも食べたがる物は何でも与えました。

チーズ、魚肉ソーセージなどです。

それまでは、塩分の多い人間の食べ物は、欲しがっても与えないようにしていました。

病院が大嫌いな子で、病院に行くストレスでかえって寿命を縮めると思ったので、病院には連れて行きませんでした。

病院に連れて行かなかったことを後悔しないように、十分話し合った結果でした。

もう長くはないだろうと覚悟してからは、濃密な時間を過ごしました。

毎日たくさん抱っこして、たくさん撫でて、毎晩一緒に寝ました。

ツンデレで言えばツンな子で、あまり抱っこや一緒に寝ることが好きではなかったのですが、このころはずっと抱っこさせてくれたし、ずっと一緒に寝てくれました。

猫ってなんて優しいのでしょう。

私たちに思い出を作る機会を、覚悟を決めるための時間をくれたとしか思えません。

外出を極力控え、夜は1時間おきに様子を見るために起きました。

自分たちが後悔しないように、出来る限りのことをしたつもりですし、実際に後悔していません。

そういう状態で愛猫は2か月生きてくれました。

彼女が2か月生きてくれたおかげで、私たちが生かされたのです。

そして、二人で看取ることができました。

看取らせてくれたのです。

覚悟を決める時間を与えられ、後悔もなかったので、ペットロスにはならないと思っていました。

ところが1か月後、風邪をひいたのをきっかけに、体調が悪い日が続きました。

体調悪化の原因はわからず、これがペットロスなのだと理解しました。

ペットロスは新しいペットを飼うことで癒される、と言う人もいます。

でも50歳を超えた夫婦がこれから新しい猫を飼うということは、猫が20歳まで生きることを考えると躊躇してしまいます。

私たちは猫カフェに行くことにしました。

あまり商業的なところではなく、保護猫カフェで居心地の良い所を見つけることができました。

保護された猫ちゃんたちが新しい家族をみつけられることを祈りながら、遊ばせてもらえます。

愛猫を亡くしてから2年が過ぎました。

今でも思い出せば悲しくなるし、名前を呼んでしまうこともあります。

でも猫カフェへ行くことと、仕事に新しいやりがいを見出すことができたので、なんとか乗り越えたかな、と思っています。

新しい子を迎えるのも一つの手段だと思いますが、それができない場合は(猫ちゃんを亡くされた場合は)猫カフェへ行くことで少しは癒されるかもしれません。

それと、何かやりがいのあることを見つけられればいいと思います。

35歳女 仕事に没頭することで気を紛らわしてペットロスを解消

現在1歳児育児中のアラサー主婦です。

実家からは遠く離れた場所で生活しています。

実家で飼っていた犬が亡くなった時の話を書きたいと思います。

私が中学2年生の時、妹が近くのスーパーマーケットに里親募集の張り紙がされているのを見て親を説得し、生後半年の犬を貰ってきました。

私は動物は好きでも嫌いでもなく、実家で世話をしたことがある生き物は学校で渡された蝶々のサナギとオタマジャクシくらい。

犬なんて飼えるのか、私は世話に関与しないぞ、とどちらかというと否定的でした。

ですが、妹が嬉しそうに抱えた段ボールからひょこっと顔を出した仔犬と目が合った瞬間、メロメロに。

私だけじゃなく家族全員が仔犬と戯れたくてライバルになるくらいにメロメロになりました。

新しい家族と一緒に、私は高校受験、進学で他県で一人暮らし、とどんどん時が過ぎていきました。

一人暮らしのときも長期休みには必ず実家に帰り、犬と遊びまわりました。

私がいない間にあった面白い話など聞かせてもらったり、当時あまりそりが合わず会話も少なくなっていた父と一緒に散歩に連れて行ってみたり…犬は家族を繋ぐかけがえのない存在になっていました。

しかし、私が就職して仕事が忙しくなると帰省する回数も減り、結婚してますます帰らなくなり、家族とも犬とも疎遠になっていました。

妹とはメールやSNSでやりとりしていたので、まぁうまくやってるだろうと実家周りのことには無関心になっていました。

そんなある日。

職場でお茶を飲んでいる時に妹からメールが届きました。

犬が、亡くなったとのことでした。

しかも火葬が終わり、ペット霊園に納骨してきたとのこと。

しばらく意味が分かりませんでした。

詳しく聞いてみると、しばらく前から調子が悪く、病院に連れて行ったら病気が見つかって、投薬や手術もしたけど快方に向かわず、病院で息を引き取った、というのです。

そんなこと、何も聞かされていませんでした。

私が実家に無関心になっていたので、おそらく母や妹が変に気を使ったのだと思われます。

でも、そんな状況なら、知らせてくれたら、すぐに戻って一目でいいから犬に会いたかったです。

私がいなくても他の家族に沢山可愛がってもらってたので、犬自身が寂しいとか私に会いたかったとかはなかったでしょうが……私だって可愛がっていたことは知っているはずです。

初めて段ボール箱から顔を出した日、一緒に眠った夜、ふわふわした毛並み、まあるいお目目、ピンと立った耳、ブンブン振り回される尻尾、散歩道での嬉しそうな顔……最後に会ったのは4年前くらいなのに、思い起こされる犬の姿は私が高校生くらいの頃のものでした。

初めてのアルバイト代でおやつを買って与えたなあ…嬉しそうだったなあ。

学校で友達と喧嘩して帰ってきたときずっと側にいてくれたっけ……。

それなのに、私は犬が病気で苦しんでいることすら知らなくて、火葬されて骨になったあとに泣いてるなんて。

私が悪いのはわかるんですが、情けなくて、一気には受け止めきれなくて、会社だというのに長いこと泣いていました。

帰宅してからも、次の朝起きてからもずっと泣いて何も喉を通りませんでした。

昔の写真を見返したり、夫に心情を聞いてもらったり、仕事に没頭することで気を紛らわしながら、一ヶ月かけてなんとか回復した感じです。

ペットを亡くしたことも辛いですが、死に目に会えなかったという後悔は未だに残っていて思い出すたびにつらいです。

実家に可愛がっていたペットがいる方は、年に1度だけでもいいので帰省して顔を見ておくことをおすすめします。

22歳 女 時間の経過に身を任せました

私が愛犬に出会ったのは、近所の方が飼っている犬が子供を産んだが、数が多く全ての犬の面倒を見ることが出来ないので一匹引き取ってほしいと頼まれたからでした。

親に頼み込んでやっと飼うことを許可してもらった時はすごく嬉しかったです。

私は当時まだ小学生でしたので、オスだと成長したら散歩の時に引っ張る力が強くなること等を懸念し、一番大人しそうなメスを選びました。

雑種でしたが、見た目的には柴犬に近かったです。

引き取った時はまだ生後あまり経っておらず、小さな体で一生懸命歩く姿がとても愛おしかったです。

特に大きな病気もせず元気だったのですが、ある日学校から帰ると親から愛犬が死んだとのことを告げられました。

その時は愛犬はまだ6歳で、犬だからもう少し生きるだろうと思っていたのであまりにも突然のことでとてもショックを受けたのを覚えています。

朝は元気に見送ってくれた愛犬が今は冷たくなっている、息をしていないという事実が信じられなかったです。

生き物の死を実際に目にしたのはその時が初めてであり、忘れる事はできません。

1日1日を最後だと思って接しなかったことをとても後悔しています。

いるのが当たり前になってしまっていて、十分に愛情を注げていたのだろうかと今でも時々考えることがあります。

今までいた場所に愛犬がもういない、犬小屋だけが残っている、という状況は辛かったです。

私も大学進学で実家を出て一人暮らしを始める予定でしたので、新しい犬を飼う事は話題には登りませんでしたが、犬小屋はそのままでした。

家族も辛かったのだと思います。

正直、時間以外に解決してくれるものはないと思います。

無理に忘れようとしても辛さが増すだけでしょうし、忘れ去られて愛犬が嬉しいはずはありません。

先日実家のパソコンの長らく使っていなかった私のアカウントを開きました。

フォルダの中に愛犬の動画や写真が入っておりましたが、何年も経った今では落ち着いて見ることが出来ます。

27歳女性ハム太の死によって飼い主の責任に気づかされた時

私は小さいころから身近なところに動物がいました。

家では犬を飼っていて、とてもなついてくれて楽しく暮らしていました。

なので、動物がいることが当たり前だと思って今まで生活してきました。

小学生の時にアニメの「とっとこハム太郎」を観てハムスターを飼いたくなって、ゴールデンハムスターを1匹飼いました。

名前を「ハム太」といって雄のゴールデンハムスターでした。

ネズミは人になつかないと思っていましたが、ハム太はすごく人になつきました。

とても愛嬌があり、かわいかったです。

1度も噛まれたことはなく、悪いことは特にしませんでした。

半年くらいしたころからハム太に異変が起きました。

ハムスターの寿命は2年くらいだと思っていた私はすぐに良くなるだろうと思っていましたが、体中の毛がどんどん抜けていきました。

ほとんど、毛がなくなってしまい、元気に動けなくなり息も絶え絶えになってしまい、病気の原因は分かりませんでしたが精一杯助けたつもりでした。

これ以上苦しんでいるハム太を観るのがつらくなりこのままゲージの中で一生を終えさせるのはかわいそうだと思い親と相談して、野へ返してあげることにしました。

ゲージから出してあげるとハム太はすぐに見えなくなってしまいました。

その時は1週間くらい悲しい思いをしたのを覚えています。

しかし、今からして思えば自分は飼い主として失格だったなと思います。

どんなに弱っていても息を引き取る最後の瞬間までハム太の面倒を見てあげるべきだったと思います。

小学生の私は動物の死に対して抵抗があり、ハム太の死体を見るのが嫌だったのだと思います。

しかし、命あるものには必ず死があり、ましてハムスターなどの小動物の寿命は短いので必ず死を経験することになります。

そういうこともすべて理解したうえで生き物を飼わないといけないんだということを、後になって気が付きました。

そのことに気が付いたときにこれから生き物を飼うときは絶対に最後まで見届けてあげようと心に誓いました。

38歳女 ぬいぐるみをそばにおいて、時間が経ってから動画を見返す

こんにちは。

5年前にフェレットを亡くした飼い主です。

フェレットは雌のパスバレー、模様はセーブルで名前はルナでした。

フェレットを飼ったことのある方ならご存知だと思いますが、フェレットは噛み癖の強い生き物です。

ペットショップで色々な子をお試し抱っこしている時に遊び気分で噛まれる事はよくありましたが、ルナははじめっから甘噛みや舐めたりするだけ、あとはくったり身を寄せて甘えてきました。

オモチャ相手には悪魔のような形相で全力カミカミしていたので、噛むことがキライというわけではなかったようですが、人間は噛まないと決めていたかのように誰かを噛むことはしない子でした。

音楽を流せば頭を振って踊り(特にインド音楽がお好みだったようです)、カバンに潜り込んではお財布を抜き取って走り出したり、私の手を咥えてタンスの下のMY宝物箱に運んでいこうとするような、陽気で可愛い子でした。

発症したのは7歳の時。

突然口元を掻きむしって苦しみ始めたので最初は誤飲を疑いました。

すぐに夜間動物病院に運び、その時はめぼしい原因も見当たらずに治まりました。

しかし、その後も度々発作を起こすようになり、かかりつけの動物病院でインスリノーマ(膵臓の腫瘍)と診断されました。

誤飲で苦しんでいるように見えたのは低血糖の発作だったのです。

発作が起きるとブドウ糖を与え、治まらなければ病院に走りました。

最初は処置さえしていればしばらくは大丈夫だったものが、次第に間隔は狭まり、最後の方では週に2度、3度と増えていきました。

最期の日は発症から半年後のことでし。

その日の発作は大きく、病院から帰った後もぐったりと横たわったままで時折「くぅ」と鳴いていました。

フェレットは余程のことがなければ鳴きませんので、苦しかったのだと思います。

もう少し、ブドウ糖を与えた方がいいのかもしれないと抱き起した瞬間に、目から光がすうっと消えていきました。

命はこうやって抜けていくのかと頭のどこかで妙に冷静に思ったのを覚えています。

看取った直後、もうすぐさま猛然とケージやルナのものを片付け始めました。

「悲しみで動けなくなる前に」「明日空っぽのケージをみたらもっと悲しくなってしまう」と思っての事でしたが、翌日、埋葬を済ませた後で帰宅した部屋に、ルナの痕跡が何も残っていないのは余計に寂しい事でした。

お別れが近い事はわかっていたので、やれることはなんでもやったつもりです。

そこに後悔はないのですが、遺品の片づけはもっと落ち着いて、ゆっくりすればよかったと思いました。

毎日毎日、いつもルナが走り回っていた床の低い位置や、丸まって宝物で遊んでいた部屋の隅に、視線がつい向かってしまいます。

でももう、そこには何もないし、当然ルナもいない。

いないことを再確認しては泣く、の繰り返しでした。

視線のやり場に困り果て、ふと見つけたイタチのぬいぐるみにルナの服を着せてみました。

生前にふと買ってみたものの、着せてみたら窮屈そうで、結局1回しか着なかった服です。

その服を着たぬいぐるみを、いつもルナが居た場所を転々と移動させ、寂しくなったらそこを見るようにしました。

お散歩に連れていくと尻尾をバフンバフンに膨らませて興奮していた事を思い出し、お散歩用のリードもつけて、出かける時にはカバンに入れてこっそり連れ歩いたりもしました。

闘病中、夜中に何度も目を覚まして様子を確かめた癖が抜けず、ルナの夢を見ては何度も起きて、ぬいぐるみのルナを見つけました。

夢に出てくるルナはいつも発作を起こして苦しんでいました。

ルナが無くなった直後は、元気だったころ、楽しく暮らしていた頃のことは思い出せず、写真を見返すこともできませんでした。

思い切って撮りためた動画を繋いで一本にまとめ、見返すことができたのは半年以上たってから、ルナの夢をあまり見なくなった頃です。

「最後は苦しい思いをさせてしまったけれど、こんなに楽しい時もあった」「一緒に暮らしていて幸せだった時間の方が圧倒的に多かった」時間が経ってから見返したことで、しみじみとそう思うことができました。

ペットロスを感じずに済む方法はありませんし、何をやっても振り切ることはできないと思います。

無理に克服しようとは思わず、日にち薬に任せて自然に癒されるのを待つより他に無いのではないでしょうか。

今は新しいペットと暮らしています。

それでも「新しい子がいるからもう悲しくない」ということはなく、時折思い出しては寂しくなったり懐かしく思ったりします。

その後引っ越しもしましたが、ぬいぐるみのルナはまだ部屋にいます。

今でもペットロスが抜けきらないほどに、私はルナが可愛くて大切だったんだなあ、と思うようにしています。

42歳女・愛猫の突死から3年、救ってくれたのは野良猫たちでした

我が家は大人ばかりの3人家族です。

ここ10年は障害を負った父の介護に追われ毎日があっという間に過ぎていく生活を余儀なくされています。

そんな人間ばかりですと心も体も疲弊してしまいますが愛猫(チャム・女の子・10歳)がどんな時も寄り添ってくれたおかげで会話の無い父とも猫の話題でコミュニケーションを取る事が出来ていました。

我が家の周囲は山に囲まれていますので飼い猫と言えども家の中でじっとしていることは無く朝日が昇るとチャムは元気に野山に駆け出して遊ぶのが日課でした。

3年前のある夏の日、チャムが家に昼ご飯を食べに帰って来た時の事です。

私の目の前でクタクタと足腰が立たず倒れ込んでしまったのです。

タダならぬチャムの様子に私も母も驚き慌てて街の獣医さんへ連れて行きました。

獣医さんが居る近隣の町まで車で20分。

あっという間にチャムの息が激しくなり私の腕の中で苦しそうにしている様子が本当にいたたまれなかったです。

病院に到着した頃には失禁し体温が下がっていくのを感じました。

診察を受けるなり点滴をしてもらいましたが「多臓器不全です。

今夜が峠です。

入院出来ますがお家で看取った方がチャムちゃんの為には良いでしょう」と結局調子の悪いチャムをバスタオルに包み帰宅しました。

チャムは一晩中苦しみ翌日の明け方、「ウォーン」と今まで聞いた事の無いような声で鳴き天国へ旅立ちました。

前日の朝まで元気だった子がなぜこんなに苦しんで死ななければならなかったのか?もっと早く不調に気づいてあげる事は出来なかったのか?と悔やんでも悔やみきれませんでした。

死因は先生の見立てではおそらく殺鼠剤や除草剤を口にしたんだろうとの事でした。

チャムの死は完全室内飼いだったら防げたことです。

自分の認識の甘さに呆然としました。

それから気分が落ち込み毎日悲しみに沈んでいました。

チャムが我が家にとってどんなに重要な存在だったのかを思い返すたびに涙が出て止まりません。

そんな日々を過ごしているうちに2年が過ぎました。

そして昨年の春、庭に野良猫の親子5匹が遊びに来るようになったのです。

地域のボランティアさんに協力を仰ぎ野良ちゃんたちを捕獲して不妊去勢手術を施し地域猫としてリリースする事にしました。

この活動に奮闘するうちに少しずつ心が軽くなってくるのを感じました。

今思うとペットロスから回復するには時間が必要だったと感じています。

大切な子をなくした悲しみと後悔は今でも消えてはいませんが徐々に受け入れる事が出来たんだと思います。

そして地域猫活動と言う新たなミッションに一生懸命取り組む事で心が前向きになれた気がします。

今は庭をフェンスで囲い安全な場所で元野良ちゃんたちを室内とお外で世話をしています。

全く懐いてくれませんがそれでも猫達の健気で可愛い姿に元気な頃のチャムの姿を重ね癒されています。

44歳女性「ごめんね」じゃなく、「ありがとう」

その子との出会いは、私がワンコとニャンコの保護活動をしていた時期です。

迷子で保護され、我が家で初めて預かるワンコでした。

ワンコを飼っていたのは、私が子供の頃から大人になるまでいた1匹だけで、その子が亡くなってから10年以上ぶりに接するワンコです。

つらい過去を忘れ、まっさらな気持ちで新しい第二の犬生を送ってほしいと思い、「サラ」という名前を付けました。

もちろん、当時は保護活動をしておりましたので、新しい飼い主さんを見つけるために預かりました。

皮膚病がひどく、いい方との出会いもなく、我が家に来てから、1年ほどで、うちの子にすることに決めました。

サラが来てから、色んなワンコを預かり、新しい家族の元へ送り出す中、来る子来る子にフレンドリーに接するサラ。

怖がりな子には、大丈夫だよ~と言わんばかりに、優しく頼もしく接するサラ。

色んな出来事がある中、私も新しい家族を作ることになり、サラと一緒にお引越し。

子供も生まれ、私の人生の転機をいくつも見てきた子です。

そんな中、時折、何かの強い痛みで鳴くようになりました。

我慢強いサラが、痛みを紛らわすため、小屋の周りの木をかじったりするようになりました。

動物病院に連れていくと、ヘルニアとの診断で、薬をもらい、それで痛みはおさまっているようでしたので、さほど心配はしていませんでした。

それから、また引っ越しをすることになり、一緒に新居へ移るとともに、動物病院も変えました。

新しい動物病院で、前の病院で出してもらっていたヘルニアの薬を見せ、引き続き、薬を出してもらっていました。

でも、ある時、すごく強い痛みで、必死に耐えるサラを観ました。

そんなサラは今まで見たことがなく、しばらくすると、おしっこを何回もするためにしゃがむけど、出ないという状態になり、病院に連れて行くと、膀胱が固く、もしかしたら腫瘍があるのかもしれないとのことでした。

推定14歳のサラ、手術しようという話にはなりませんでした。

それから、しばらく膀胱の薬を出してもらっていましたが、最期の日、痛みにもがき苦しみ、痛み止めの注射も打ってもらいましたが、それも効かないようでした。

夕方、家族に看取られ、私の腕の仲で静かに息を引き取りました。

あれから、3年になりますが、まだあの最期の痛みに耐えている姿が忘れられません。

もっと早く本当の病気が分かっていれば、と思うこともありますが、最後まで自分の足で立とうとしていた強いサラの姿を思い出し、前を向かねばと思いました。

亡くなってから数日後、気持ちを落ち着かせるために、サラへの手紙を書きました。

「ごめんね」の手紙ではありません。

サラとの思い出や、サラに教えてもらった全てのこと、「ありがとう」の気持ちでいっぱいの手紙です。

その手紙を書くことで、気持ちの整理が少しできました。

いつも一緒にいてくれた大切な家族がいなくなるのは、本当に寂しく、どうしたらいいか分からなくなりますが、自分がこの世を去ったあとに、サラに再会するとき、サラを見習って、精いっぱい最後まで頑張って生きたよ!といえる人生を送りたいと思います。

私には、他にもワンコとにゃんこたちがいます。

色々先を考えると不安になりますが、きっと大丈夫、時間がかかるけど、いつか大丈夫になる。

あなたもきっと。

40歳女 近所のワンちゃんを構うことで回復したトラウマ

はじめまして。

動物全般大好きな40歳女性「もふもふ」です。

知人にたくさんの真っ白な子犬が産まれ、見にお邪魔した際に「日曜大工で小屋を作ってあげるから飼ってみないか」と言われて一匹飼うことになったのが始まりでした。

私が30歳の頃のことです。

当時は親元に住んでいたためお散歩の時間もたっぷりあり、可愛い盛りの子犬ということもあってよく構ってあげていました。

飼う時には親にも「責任を持って飼うから」と宣言し、手製の木の小屋を毎日覗いて撫でたり庭に放して遊ばせたりしました。

しかし私が仕事で多忙になり、車出勤するようになってからは、犬小屋の前を通る機会も減り、帰宅も遅くなりあまり構ってあげていませんでした。

お散歩も週に数度きり。

あとは両親に任せきりになっていました。

責任を持って飼うとあれほど宣言したのに…。

今思えばなんと無責任だったのか、と思います。

10年そんなことが続いたある日、年齢的に腎機能が下がり免疫が落ちていた飼い犬は、予防接種の甲斐なく、ついにフィラリアにかかってしまいました。

病院では「もうトシなので、あまり長くはないでしょう」とのこと。

できるだけ接点を持とうとしましたが、小屋から這い出てくるのもツラそうにみえて、私はつい目を逸らし気味になってしまいました。

もっと時間の限り、これでもかというくらいに構ってあげるべきでした。

そしてついに一ヶ月ほど経った休日の朝、親から亡くなったことを告げられました。

私は社会人になってからあまり構ってあげられなかった後ろめたさから「ごめんね」という思いばかりで、遺骸を直視できず、無責任なことにほとんどの手続きを親に任せてしまいました。

大きな生き物を飼ったのはこのときが初めて。

死ぬときになって生き物を飼うことへの責任の大きさを痛感しました。

でももう手遅れです。

「私にはもうペットを飼う資格はない」と感じました。

「可愛いから、欲しいから」という理由だけで飼ってしまったことも後悔しましたし、自分の都合のいい時にしか構ってあげていなかったことへ後悔の念しかありませんでした。

街中でペットを見かけると後悔にさいなまれ、自分の罪の意識から目を逸らし続けていました。

ですがご近所さんが白い子犬を飼ったとき、「少しうちのワンコの子供時代と似ている」と思いつつ構っているうちに、だんだんとトラウマがほどけていくような気がしました。

その子犬が成犬になった今もずっと子犬時代と変わらない頻度で構い続けています。

<可愛い時代だけでなく、子犬特有の愛らしさを失っても変わらない気持ちで接していきたい。

自分のペットにしてあげられなかったことをたくさんそのワンちゃんにしてあげたい>。

私の独りよがりな気持ちでしょうが、そうせずにはいられません。

さまざまな後悔から、次のペットを飼うことをためらう人も多いことでしょう。

ですが、「かつての反省を活かしてペットを飼うことができる」という自信がついたら、ふたたびペットを飼うのもいいかもしれません。

私にはまだその自信がないので、その近所の白いワンちゃんを構うのみに留めていますが、なにせペットへの罪悪感やロスの哀しみをこのワンちゃんが癒してくれました。

存在そのものに感謝したい思いです。

当時10歳 男 大泣きして癒した

私は、夫婦二人ぐらしをしている還暦を迎えたおっさんです。

これから書く事は私が小学生の頃の話です。

その頃のことを思い出しながら、子供の気持ちで書きます。

 ある日学校から帰り、近所の空き地で友達と遊び、薄暗くなってきたので家に帰ろうと歩いていると小さな猫が私についてきました。

走って逃げようとしましたが、それでも必死についてきます。

かわいそうになり、抱き上げて家に連れて帰りました。

お母さんに飼いたいとお願いしました。

お父さんに聞いてからと言われました。

ほどなくお父さんが仕事から帰ってきて、今まで何も飼ったことがなかったので、良いと言ってくれました。

 私は、タマと名前を付けて可愛がりました。

タマは頭の良い猫で毎朝私の耳をあまがみして起こしてくれました。

私が学校に行くとき途中まで必ずついてきました、送ってくれていたのでしょう。

でも閉口することもありました。

蛇やネズミや虫などを捕まえては、家にもって帰って来るのです。

タマにとっては大威張りで自慢だってのでしょう。

そのうち、タマはお腹に子供を宿し3匹、子猫を生みました。

そうタマは雌猫だったのです。

その後、3回2~3匹づつ子猫を生みました。

普通猫はお産を人に見せないものだそうですが、タマはお産のたびにお母さんが手伝っていました。

生まれた子猫は、近所の人にもらわれていきましたが、残った子猫はすべて家で飼っていました。

いつの間にか家は猫屋敷になっていました。

 何年かたったある日、タマは体調を悪くしてあっけなく死んでしまいました。

猫は死ぬときも人眼につかないところに行くそうですが、タマは私たち家族の目に届くところで死にました。

私は大泣きしました。

お母さんが、猫は死ぬと猫の島に行って幸せに暮らすのだと、話してくれました。

タマの亡骸を段ボールに入れ、線香の束に火をつけて入れて近所の海に行き流してあげました。

お母さんと二人で、猫の島でしあわせに暮らせよと祈りながらいつまでも見送りました。

ペットロスのさなかに夢で会いに来てくれた

人生もすでに老年期に入っていきそうな主婦です。

私は、今でも感謝しきれないくらい大切な想い出の猫がいます。

その猫と出会ったのはもう25年くらい前になるでしょうか。

もともと猫好きで実家でも猫を飼っていました。

今の主人とつきあい始めた時に、一時期彼の猫を実家で預かることになりました。

ただ家にはすでに飼い猫がいて、争いになりそうなので、私の部屋で飼うようにしてたけど、やはりお互い気に入らないのか家猫は、しばらく私に寄りつかなくなってしまいました。

預かったのはほんの数ヶ月だったので、やがて彼のもとへ戻っていきました。

そして私たちは長い腐れ縁の果てに結婚。

もれなく新居にあの当時預かった猫も一緒にやってきました。

懐かしいのと、私の事をちゃんと覚えていて、すぐすり寄ってきました。

その後私は妊娠をして、猫と2人のまったりとした日々を過ごしました。

妊婦ってすごく眠いのです。

体も疲れやすいしね。

私が昼間ソファに寝転がると猫も私の腕枕で高いびき。

至福の時間でした。

やがて子供が生まれ、毎日が育児に追われての生活。

子供中心で猫などかまっていられない。

主人も子育ては私任せだったし、何より私が育児をしっかりやらなければ、育てなくてはと追い詰められていたと思います。

育児ストレスがすごくて、その頃は猫がすり寄るのも苛立ち、猫もストレスで縄張りを主張するかのようにカーテンにおしっこをかける。

その都度カーテンばかり洗う。

手間が増える。

猫にストレスをぶつけていたと思います。

叩いたりはしないけどよく足で邪険にしていました。

たぶん猫も子供に焼き餅を焼いていたんだと思います。

でも・・・それから猫の具合が悪くなり、どんどん痩せていき亡くなりました。

肝臓が悪かったみたいでした。

失ったときの辛さは今でも鮮明に覚えています。

私も主人もその猫が大好きでした。

それに私の育児ストレスをすべて受け止めてくれてた。

「辛く当たってごめんなさい」と暫く泣いてばかりでした。

そんな日々のある日、夢を見ました。

猫が私に「ごはん」と餌をねだりにきた。

そして主人を見たら嬉しそうに主人に飛びついていった。

そんな夢。

まだ元気で若い頃の猫の姿でした。

「ああ、会いに来てくれたんだ」元気でいるんだって。

それからは失った猫の悲しみもだんだんと癒されて懐かしい想い出に変われるようになりました。

失うときは辛いけど、一緒に過ごした時間は大切な宝物です。

側にいてくれているんだと思うと、ペットロスも解消されました。

32歳女、保護犬カフェで元気をもらう

私が愛犬と出会ったのは20年前、中学の頃でした。

知り合いのペットショップで格安で当時大人気だったダックスフンドが買えると聞いて喜んで受け取りに行きました。

出てきたのは目やにがちょっと多めのブラックタンのダックスフンド。

まだ3ヶ月のため子犬で、鼻も短く、手の中に収まるくらいの大きさでした。

とてもとても可愛くて、すぐ私は気に入りました。

私がずっと犬を飼いたいと言っていてやっと飼えた犬。

名前は父がつけました。

それからすぐ、最愛の父が亡くなりました。

突然の心臓発作で家族は家におらず、最後を看取ったのはその犬でした。

それから父の形見犬となりました。

生活は変わり、母は仕事へ出かけるようになり私も学生なので家にあまりいられず。

躾もあまりされなかったためトイレし放題。

毎日片付ける日々でした。

でも可愛い可愛い犬なので怒ったりはせず可愛がっていました。

社会人になってさらにあまり家にはいない私。

犬はいつもひとりぼっち。

そんな生活が10年ほど続きました。

犬が16歳の時、私は結婚しました。

結婚した際犬も一緒に苗字が変わりました。

犬も16歳、人間でいうと80歳過ぎです。

最後はゆっくり余生を過ごしてあげたいと、私も結婚して専業主婦になり家にいることが多くなりました。

その年にぼうこう癌の宣告をされました。

年齢もありますし、仕方がないかなと思って介護をしていました。

保険に入っていなかったためたくさんお金がかかりました。

でも今まであまり病気せずいてくれたので気にせず支払いました。

とにかく一緒にいてあげる。

16年間ずっと一緒にいてあげることができなかったので沢山撫でたり、お昼寝を一緒にしたりしました。

17歳の誕生日、犬用のケーキをあげたらとても喜んでいました。

義実家に帰る際など泊まりの場合はホテルに預けました。

ホテルの人もとてもいい人で、毎日写真で様子をブログにあげてくれました。

17歳の冬、ぼうこう癌が末期でもうあまり長生きできないと病院の先生から申告されました。

ご飯もあまり食べれなくなり、私が作った甘く煮たサツマイモは唯一喜んで食べていました。

最後を看取った日、悲しく吠えていました。

それまで吠えることはあまりなかったので心配して夜一緒に寝ました。

私の隣で静かに息を引き取っていました。

その後ペットロスは時間の経過と、保護犬カフェで保護犬たちと戯れることで克服できました。

ペットショップには悲しくなって行けず、どこか触れ合えるところがないか探していたら保護する団体を見つけました。

保護犬カフェは利用するお金もその団体へ寄付されるため、まだ飼えない私のような人でもお茶をしにいく感覚で犬たちと触れ合える場所でした。

色々な境遇のこたちが、元気に走り回っているのを見ると本当に元気をもらえます。

今後犬を飼う際は、保護犬と決めています。

60歳の男性ですが、テレビでみたそっくりなパピヨンに癒されました

横浜に在住している60歳の男性です。

20年前に建売り住宅を購入してからある日、買い途中でペットショップでパピヨンに出会いました。

その前はマンションに住んでしたので動物を飼うことができず、家を買ったときに犬を飼おうかと考えているところでした。

 小型犬がいいなと家族でみていたら、一匹元気のよいパピヨンと目があったときにピンときました。

そのパピヨンは顔の模様が対象ではなく、片目だけの模様でした。

他のパピヨンに比べてやんちゃで元気がいいので家族も気に入りました。

名前はぱぴにしました。

 その後散歩に連れていったり、部屋で遊んだり、公園でいきなり脱走して車にひかれそうになったりして楽しくくらしました。

16年間生きたので高齢だと思います。

最後は食べ物ものどに通らなくなり、スポイトで水分を補給している状態でした。

寝たきりが続いていました。

 ところが亡くなる前の日に突然立ち上がり、歩きだしたときは感動しました。

最後の力を振り絞ってくれたと思えたので、涙がでてきました。

亡くなったときには立ち会えませんでしたが、目を閉じて動かなくなっていましたが、体温は感じることができました。

 その後しばらくは、犬の姿をみるのがつらかったです。

外出したときに、毎日散歩していた道で同じような人と出会っていましたが、会うのがつらかったです。

元気な他の犬をみているとどうしてもぱぴの元気な姿を思い出してしまいます。

ぱぴのためにペットシーツを通信販売で取り寄せていましたが、予備はまだ家においてあります。

どうしても捨てられません。

 これがペットロスかなと思いましたが、時間が解決してくれたかんじです。

家の廊下にぱぴが滑らないようにじゅうたんを敷き詰めていましたが、取り除きました。

いつまでもくよくよしていると、ぱぴのためにもならないと思ったからです。

誰かがいつまでも思い出をひきづっていると、ぱぴが成仏でいないと聞いたので、無理やり他のことで笑うようにしていました。

 いまでもテレビでパピヨンがでてくると思い出すので、チャンネルを変えています。

ですが先日同じ模様のあるパピヨンが出演している番組に遭遇したときに、悲しみよりも他の場所でぱぴが元気でいるかのような不思議な気持ちがしました。

そのときにペットロスが解消された気持ちになりました。

 いまでもどこかで生まれ変わったぱぴがいる、と思っています。

30歳、女性、里親になり別の猫を飼うことでペットロスを解消しました

東京都に住んでいる30代女性のあやと申します。

愛猫とはペットショプで出会い、3年間ほど一緒に過ごしました。

愛猫とのエピソードをご説明します。

私が26歳の頃に飼い始めましたが、賢く優しい性格の猫でした。

私が外にゴミ出しに行くと扉が空いていれば一緒についてきて、ゴミを出し終えて家に戻ると一緒に家に帰る等、よく後ろをついて歩いてくれました。

外へ散歩に行くのが好きな猫でしたので、私が出かける際に一緒に外に出て、私が自転車に乗り走りだすと、その猫は走って50m程の距離をついてきました。

その姿を見た時には、猫というのは家につくもので人にはつかないと聞いていたし、もっとクールな性格の生き物かと思っていたのに、人にも懐くものなのかもしれないと思い嬉しくなりました。

同時に猫なのに犬のような行動をするので面白いと思い笑ってしまいました。

他にも、その猫が仔猫を育てている時には自分の身体のことよりも仔猫達を優先して仔猫達の身体を舐めて清潔にしてやり、鳴き声がするとその猫がご飯を食べている途中でもすぐに巣箱に帰って行く姿を見ることもでき、人間の親でもこうはできない人も多い中で、育児放棄をするようなこともなく子育てをする賢い猫だと思いました。

他にも、その子育ての途中に、仔猫が壁に立てかけてある鏡に登って鏡を倒していまい、その鏡に他の仔猫が挟まれて動けなくなるというアクシデントが起きた時がありました。

私がその場にいたので、倒れた鏡を起こして挟まれた猫を助け出しましたが、その際にそれを見ていたその母猫は普段では見られないような唸り声をあげて怒った様子を見せて、私の方を見つめていました。

恐らく、鏡を起こす時に重量のある鏡でしたので、一瞬傾き仔猫の身体に負担がかかったようで、その仔猫が鳴き声をあげたため、私がその仔猫をいじめたように思ったのではないかと考えています。

普段は絶対にそんなことはしないのに、この時だけは私に対して怒った様子を見せたので、それだけ母親としての愛情が深いのだろうと考えると、充分に気をつけていたつもりでしたが、飼い主として、もっと部屋を安全な状態にしておくべきだったと少し後悔するような気持ちになりました。

引っ越しをした際に一緒に猫を連れて行きましたが、部屋が気に入らなかったようで、ある日出ていったまま帰らなくなりました。

その猫は仔猫の時に外に出たがるのを外に出したので、外に出かけることができないとフラストレーションが溜まるようでした。

その後に仔猫の頃に外に出ることが無ければ外に出たがらないようになると知ったので、アドバイスがあるとすれば、そのようにしたほうが、猫もフラストレーションを溜めることなく、飼い主も猫の失踪による突然の別れによるペットロスは防げるということがあるかと考えます。

その他にペットロスの解消方法があるとすれば、そのペットを飼った経験を活かして、次は里親として同じ種類のペットを飼う等して助けるという方法があるかと考えます。

40歳女性 新しい愛猫を迎えてペットロスから立ち直れた

まだよちよち歩きだった頃に保護して、家族になった愛猫でした。

15年間、大病をすることもなく手のかからないいい子だった。

ある年、いつものように予防注射で病院を訪ねたら「高齢になってきてるし1度健康診断しましょう」と先生に言われ血液検査をしました。

結果は腎臓が悪くなってきているとのこと。

それから2か月ほどで急に容体が悪化し、病院に点滴に通いながらもどんどん痩せていきました。

そして1か月ほどしたころ手を繋いであげながら最後の瞬間を迎えました。

あっという間に逝ってしまって、数か月は何をしても涙が流れていました。

この記事を書いていてもまた涙が出てきます。

あの子がいなくなった部屋に、いつまでもあの子の存在がありました。

ちょっとした物陰が、あの子に見えました。

辛くて寂しくて堪りませんでした。

これがペットロスか・・・とぼんやり考えていました。

自分では浮上できないし、浮上するための努力をしようとも思いませんでした。

ずっと忘れずに考え続けていたいって思っていました。

1年が過ぎた頃、やっぱり猫が好きで、新しい家族を迎えようかと考えるようになってきました。

でも・・・あの別れを再度味わいたくないという思いが拭えずどうしても踏み出せないままでいました。

そしてさらに1年が過ぎた頃、急に今の子が家族になったのです。

朝、目を覚ますと子猫の鳴き声が聞こえてきました。

ベランダから外を見ると小さな子猫がヨタヨタと、私たちの住むマンションの駐車場へ入ってくるのが見えました。

旦那と一緒に様子を見に行ってみることにしました。

うちのマンションには立体駐車場があるんですが、さっき見かけた子猫が見当たりません。

どこに行ったのかなと辺りを探すと立体駐車場の地下部分に落下していました。

一人では這い上がってこれない様子でウロウロしていました。

「おーい、大丈夫??」って声をかけると一生懸命近づいてきます。

なんとか救出してみると目を傷めたのかほとんど目を開けれない状態の子でした。

こうして保護してから、我が家の子として迎えることになった新しい家族。

驚くことに、それまで前の子のことでずっと心が辛かったのがキレイに流れていったかのようになったんです。

思い出として心にずっと居続けているのは変わりないけど、新しい子を迎えることでペットロスから立ち直ることができました。

ペットは家族です。

先に逝ってしまうことは、その子の人生をしっかり見届けてあげられたということです。

別れは辛いけど、一緒に幸せを作れたと信じています。

どうか今、ペットロスで苦しんでいる人に届きますように。

32歳女性 愛犬との思い出を語り合う

30代女性ねねと申します。

3年ほど前にずっと飼っていた愛犬を亡くしました。

老犬だったので覚悟はしていましたし、亡くなる前は家族で協力して介護をしていたので、心の準備をしないといけない、とは思っていましたが、いざ亡くなってしまうと心にぽっかりと穴が空いたような気持ちになりました。

母親も落ち込みがひどくて、しばらくは二人で泣いていました。

そんな時に心の整理ができたのは、亡くなってからきちんとペット用のお葬式ができたことが大きかったように思います。

人間でも動物でも、大切な人たちを亡くした時に、お葬式などを行うことで、現実を受け止めるキッカケになるのだろう、と感じました。

その後も母親と一緒に、愛犬の写真を見て思い出話をしたり、愛犬のグッズを整理して思い出ボックスにしまったり、月に一度お墓に行ったりしました。

また心の整理をするために日記を書いてみたりもしました。

思い出話をするのもそうですが、自分の思いを日記などで外に出すことで、悲しみが癒えていく感覚はありました。

もちろん最初は思い出話をするたびに泣いていましたが、一年ほどたつと、愛犬の微笑ましいエピソードで家族で盛り上がれるほどには回復できたように思います。

新しいペットを飼うことを勧める人もいますが、私はとてもそんな気にはなれませんでした。

それよりも、亡くなった愛犬の思い出を家族で大切にしていきたい、と今は考えています。

今はペット用のお葬式もあり、思い出の写真をアルバムにできたりもします。

そのようなことをすることで、ペットを亡くした悲しみを少しずつ浄化していくことが、ペットロスを克服する上で大切なことだと思います。

たかがペットで…なんてひどいことを言う人たちもいますが、辛い時は相手にせず、悲しみを共有できる人と一緒に、ペットの大切な思い出を語り合うことも、私には効果があったので、今ペットロスで苦しんでいる方も、そのような方法がある、と思っていただければと感じます。

27歳女 羊毛フェルト犬が救うペットロス

私は現在、27歳になる女性です。

私が物心がついたころには家に5匹ほどの犬を飼っていました。

その犬たちは保護犬や近所で育てられないかということで家にきた犬たちでした。

特にシーズー犬が多くそれぞれの個性があり犬がいない生活は考えていませんでした。

そして私が小学生になるころには5匹の犬たちは老犬となり寿命がきて旅立っていきました。

その後、犬のいない生活が何ヵ月かありましたがその状況に私の母が耐えられなくなりブリーダーからシーズーの子犬を譲ってもらい飼い始めました。

私はそのころ小学校高学年で久しぶりの犬、しかも子犬ということでとても可愛がりました。

ですがその犬が老犬になったころ祖父母の家に犬を預け父、母、妹と私の4人は父の仕事の都合で東京へ引っ越すこととなりました。

それまで犬たちと暮らした家は田舎だったのでいつでも犬を家族にできましたが東京のマンションはペット禁止で一切犬に関わることがなくなりました。

散歩をしている犬をみると本当にうらやましく、お金を払ってでも触らせてもらいたいと思うようになりました。

そんなとき、ありがたいことに犬に触れさせてくれた方に出会いました。

触れたとたん犬に対する思いがより強くなり絶対にまた一緒に暮らしたいと思うようになりました。

それから東京で犬と暮らすにはどうすればいいのかということをたくさん調べました。

ですが調べれば調べるほど今の現状では到底無理ということが分かり、そのまま過ごしているうちに犬と離れて20年以上たち、犬を見るだけで涙が出るようになりました。

そんな中で一人暮らしをはじめ自分だけで精一杯な中でも犬の存在は大きくなんで私は犬と暮らせないんだろうと思う毎日でした。

そしてある日、犬のことを調べていると羊毛フェルトでできた犬の画像を見つけました。

モノづくりが好きだったというのもあり犬を作ってみることにしました。

最初は小さくてキャラクターみたいな犬になりましたが作り続けていくうちに本物に近くなり始めました。

そして私の心にも変化が起き、たくさんの羊毛フェルトで作られた犬を見ているうちに寂しさがまぎれる感覚がありました。

今ではペットロスで悩んでいる方からの要望でその方の犬を作り渡すことで満足感があり自分自身のペットロスを解消しています。

31歳女 新たな生命が私を癒してくれます

私は小学校二年の時に引っ越しました。

隣の家には雑種の少し大きな犬がいました。

動物好きの私はすぐにお隣さんと仲良くなり、その犬ともよく遊んでいました。

ある日、その犬が妊娠していたということで八匹の子犬を産みました。

私と兄は父に頼み、子犬を一匹引き取ることになりました。

体は黒で足は靴下を履いたように白い子犬でした。

動物を初めて飼ったので少しだけ不安はありましたが、それでもその子犬が可愛くて仕方がありませんでした。

車に乗るのを嫌がる子だったので、遠出はしませんでしたが毎日近所を散歩していました。

父は番犬のつもりだったので家の中で飼うことはしませんでしたが、それでも何か嫌なこととかがあると外に出てその子に話を聞いてもらっていました。

走るのが好きで、でもその頃はまだドッグランがあまり無い頃だったので散歩中に一緒に走っていました。

でもやっぱり犬の方が足が速いのでいつも引きずられてばかりでした。

中学校、高校に上がると部活が忙しくなり、あまり散歩に行けなくなったのは心残りです。

もう少し一緒にいたいと思っていたのですが、私は大学生になり、県内ではありましたが、少し離れた大学に通うことになりました。

住む場所も寮だったので会う機会が減ってしまいました。

それでもひと月に一度は帰れるようにして犬と会うようにしていました。

そして大学三年の冬、私が実家に帰り、いつものように犬と遊び、その日は何故かいつも以上に携帯で写真を撮りまくっていました。

そして大学の寮に戻り明日からまた授業だなと思って寝た次の日、朝早くに父から電話がありました。

あまりにも珍しいことだったので驚いて電話に出ると、父が涙声で犬が死んだと話しました。

私は何を言われたのか一瞬わからなくて思わず聞き返しました。

だって昨日はあんなに元気だったし、またすぐ帰るねって言ったのに……。

父の話では夜中に窓をガシャガシャと爪で叩く音がしたそうです。

それでもよく一人で暴れて遊んでいる子だったのでその時は気にしなかったそうです。

でも朝、ご飯をあげようと外に出るとすでに息をしていなかったということでした。

夜中に騒いだ時に見に行っていればよかったと父は後悔していました。

私も最後を見届けることができず後悔しました。

まさかあの日に撮った写真が最後の写真になるとは思ってもいませんでした。

それから少しして男子にいじめられている黒い子猫を助けました。

その子は母猫から無理やり引きはがされた子だと聞きました。

それが可哀想だと感じてしまい私はその子を飼うことにしました。

犬と猫なので見た目は全然違うはずなのに、顔立ちが少しだけ飼っていた犬に似ている気がしました。

特に鼻がスッとしているあたりが似てて、少しやんちゃな性格もあの子のことを思い出します。

でもやっぱり生き物を飼っていると目の前の子のことで手一杯になり、あの子のことは忘れませんが、それでも今飼っている猫に癒されてるなと思いました。

40才女 新しい出逢いが癒やしてくれた

40代フランス在住の女性です。

30代始めには仕事の関係でベルギーに住んでいた頃に私とモモは出会いました。

出会ったのは大阪市が運営している動物保護施設のホームページです。

捨て猫で保護された時にはもう1才は超えていて、飼い主を募集するも1年以上も見つからず、あと数週間で殺処分されてしまう事がホームページに明記されていたので急いで保護施設に電話しました。

一時帰国の際に必ず引き取りにいくので殺処分は止めて下さいと。

私の一時帰国の日は殺処分の日を過ぎてしまっていたのですが、必ず迎えに行きますからと懇願し、受理していただきました。

日本に帰国した翌日に早速両親と共に保護施設に向かいました。

大阪と言っても家からはかなり遠い山奥にある施設でした。

施設に入ると中には20匹くらいの猫が保護されていて子猫も沢山いました。

中に入ると奥の方からダッシュで飛びついてきて足元にまとわりついて離れない猫が、私が殺処分されないようにお願いしていた「モモ」でした。

会った事もないのにまるで私が来るのを待っていたかのように、ずっと私の周りを離れず、飼育員の方や職員の方も驚いていました。

両親は他にもっと可愛い子猫もいるからわざわざ成猫じゃなくてもいいのではないか、と言われましたが私はもうこの子が運命の猫だとs信じ連れ帰る事になりました。

私にべったりな猫で毎日私の帰りを玄関で待ち、寝る時もずっと一緒でした。

モモと暮らす毎日は楽しくてたまらず、仕事のストレスも家に帰ると吹き飛ばしてくれました。

ある時、家に帰るとモモがなんとなく元気が無く、ご飯も食べないので病院につれて行きました。

先生によると「何の異常も無いよ。

心配しすぎだよ。

」と。

家に連れ帰り様子を見る事にしました。

翌日起きるとぐったりとしていてまたご飯を食べず。

ただ先生に大丈夫と言われたのと仕事を遅刻する訳にも行かず、会社に向かいました。

定時で仕事を終えダッシュで家に帰ったらもう力無くぐったりしていたのですぐに病院に向かいました。

先生に看てもらうと、先生の顔色が変わり「体温が低すぎる。

」と言われ、緊急入院。

翌日病院から亡くなったとの電話がありました。

夕方迎えに行き連れ帰りましたが一晩中涙と嗚咽が止まらず。

死んでしまった理由も分からず。

その翌日には火葬してきました。

それから1週間ほどはもう何をしていても涙がでてしまう毎日でもう死んでしまいたいくらいでした。

ある日ペットロス解消方法をネットで調べていたら「新しくペットを迎えた方がいい」と書かれていたので里親募集のサイトでモモに似た猫を見つけて引き取る事にしました。

新しく猫を迎えると気も紛れ泣く事もあまり無くなりました。

今も元気で私のそばで甘えています。

ペットを亡くすと辛いです。

ただもう辛い思いはしたくないとペットを飼うのを止めずまた新しい子を迎えて欲しいです。

日本には殺処分で毎年何万匹もの犬や猫が亡くなっています。

その子達に手を差し伸べる意味でもはペットは飼い続けて欲しいと思います。

36歳女 子供同然の猫がお星様になりました

主人が猫が好きで、猫を2匹飼っていました。

2匹とも野良猫から保護しました。

とてもかわいく、癒されていましたが、メスの子が10歳過ぎたあたりから段々泌尿器系で病院に行く事が増えました。

猫は痛みに強いらしく、あまり泣いたり行動にでる事は少ない層で、なんだかおかしいなっとこちらが察してあげないと、悪くなってしまう事もい多いようです。

冬になると繰り返し、膀胱炎になるようになりましたが、カーペットをひいてあげたり、餌を工夫したりしていました。

ある日、粗相をしてしまい、お風呂にいれてあげました。

なんだか体調が悪そうだったので、明日病院に連れて行こうかなと思って寝ました。

すると、明け方、いつもより大きな鳴き声が聞こえました。

しかし、子供が猫アレルギーがあるので、寝室には入れないようにしていたので、やっぱり病院に連れて行こうと思って、そっと聞いていました。

いざ、起きてみると、寝室の前で息を引き取っていました。

明け方すぐに開けてあげればよかったとすごく後悔しました。

段々と寿命はみえてきていましたが、最後に抱っこしてあげればよかったと。

最後にお風呂にいれてあげてきれいな姿で逝かせてあがられたかなとは思いますが。

猫アレルギー持ちの家族がいたので、これ以上猫を飼うことはできないと思っていました。

無理な延命治療もしないと決めていました。

しかし、本当にこれでよかったのかなという思いはあります。

どんな状況でも、しっかりと看取れる環境がそろっていなければ、安易にペットは飼ってはいけないと心から思います。

子供たちはとても悲しそうですが、命の大切さを気づかせてくれました。

子供たちには、お星様になっていつも私たちを見てくれているんだよ。

と教えました。

星をみると、あれかな?と言ってくれます。

心の中では、いつもそう思っています。

これから、またペットを飼うことはありませんが、いつも空から見守ってくれていると思い込むだけでも、段々といなくなっても大丈夫になってきました。

43才女性、生まれた時からの家族との別れと新しい出会い

40代独身女性、パートナーと二人暮らしの会社員です。

幼い頃からペットがそばにいる環境で生活してきました。

実家は鳥、犬、2~3匹の猫が常にいる状態で、私も幼い頃から動物好きでした。

特に猫は、一番身近な家族・友達として、いつもそばにいてくれる存在です。

その家族と、最初に別れを経験したのが15才の時です。

ヤス、という名のその子は、年老いたヤス猫でした。

彼女のオレンジの短毛は、いつも乾いた草とお日さまの匂いがして、私はその背中に頬をつけてクンクンするのが大好きでした。

その頃、私の家には不登校の弟がいて、暴力がひどくなる時期が続きました。

毎日殴られては家を追い出されて外で泣いていた私に、お日さまの匂いのするヤスのふかふかの毛は、心を落ち着けてくれる存在でした。

外で一人、親にも誰にも助けてもらえず、飼い猫のお腹に顔をつけて泣いていた私にとって、なにも言わずあたたかなお腹を提供してくれるヤスは一番の理解者だったのです。

ヤスとの別れは突然でした。

ある雨の日、いつも帰ってくる時間になっても姿が見えないのです。

少し心配でしたが、どこか遊びにいってるのかな?明日になったら帰ってくるかな、と、その日は思いました。

しかし、その翌日、翌々日になってもヤスは帰ってきません。

外で餌を持って「ヤス~、帰っておいで~!」と一生懸命呼びました。

近所の草むら、裏山にも探しにいきました。

「ヤス、年寄りだったからね、死んだのかも」と母が言いました。

「絶対死んでないもん!生きてるもん!」と泣きながら母に言いましたが、どこかでひっそりと倒れている姿を想像したら、本当につらかったです。

しばらく食事を取ることができなくなり、テレビを見ても何を見ても楽しい気持ちになることが出来なくなりました。

暴力でつらい日々が続いていた私にとって、身近な家族よりも、ヤスの方が私の心に寄り添ってくれた存在だったからです。

もっと一緒に遊んでいればよかった、とか、もっと美味しいものを食べさせてあげればよかった、もっとなでてあげればよかった、もっとそばに居ればよかった。

ヤスがいなくなった日々から、私を助けてくれたのも、小さな猫でした。

我が家の車庫に捨てられていたその子猫は、大人だったヤスとは違い、やんちゃで、あちこちに粗相をするし、ひっかくし噛みつく。

でも、ご飯を食べてすやすや眠る姿は、すごく小さく弱く、でも命の塊みたいな温もりがあり。

毎日学校から帰ったら、やんちゃな子猫に振り回される日々に、いつしかまた笑えるようになりました。

動物は、どうしても人間より寿命が短いです。

側にいられるのも、人の人生と比べたらわずかな時間。

でも、何より無条件に愛せるという幸せを感じさせてくれる存在です。

ペットを亡くすと、家族を亡くしたのと同じように感じ、「もう猫なんて飼わない」と思う人も多いと思います。

私もそうでした。

でも、命が短いからこそ教えてくれることもあります。

短い命のこの子たちが、私のそばに来たのも縁だと思います。

もし、もう飼わないと思っていたあなたのそばに、新しい家族ができる機会があったとしたら、そばに迎えてあげて欲しいと思います。

55歳女 同じ体験をした人と話す

55歳の主婦です。

パートで働いています。

私がこれからお話しするメスの黒猫ココと出会ったのは5年前の11月でした。

県の動物愛護センターから『飼い主募集中』と出ていた猫をネットで見つけ、引き取りました。

ココは当時4歳程度とのことで大人だったのでなかなか引き取り手がなかったようでした。

迷子になっていて保護されたそうで、人慣れしていて初日から家族の膝に乗って甘えて可愛がられました。

 ココの体調に異変が出たのはそれから3年後。

腎不全と診断され、1年の闘病の後亡くなりました。

まだ8歳。

うちの子になってからわずか4年でした。

 ココがいなくなってから毎日泣いてばかりでした。

何を見てもココの思い出に繋がり、車の運転をしながら、家事をしながら、お風呂に入りながら、いつも泣いていました。

外出して猫(特に同じような黒猫が)を見かけると辛いので出かけることも嫌になり、誰かに会って猫のことを話したくない、「亡くなった」という言葉を話したくなくて知人に会うことも嫌でした。

 私を心配した家族が「また猫を飼おう」と言い出したのはココの死からまだ1ヶ月後でした。

私は「とんでもない」と思いましたが「家にこもってばかりでは」と夫に連れ出され、保護センターや民間の譲渡会に出かけました。

そこで、猫の保護をしている方と出会い、夫が、最近猫を亡くしたことなどを話すうち、その方も何年も前に亡くした猫が忘れられず、今でもその子をスマホの待ち受けにしていることなどをお聞きしました。

お話を聞くうちに「この感情を持ったままでいいんだ。

早く何とかしようと焦らなくていいんだ。

」と思い気持ちが少し楽になったことを覚えています。

その方は夫にも「まだ奥様は辛い時期だから落ち着くまで待って。

」と言ってくださいました。

 その2か月後、その方から連絡をいただき、思いがけず子猫を飼いはじめました。

チョコレートのような茶色いおてんばな子です。

それでも飼い始めはココを思い出して泣きました。

でも「ココの代わりに」ではなく「ココの分まで」愛情を注ごうという気持ちに変わっていきました。

 ペットを亡くした方へ。

同じようにペットを亡くし悲しい体験された方は気持ちを分かってくださって話しやすいです。

体験のない人によっては「ペットを亡くしたくらいでいつまでも」と分かってもらえず、こちらがよけい辛くなります。

 悲しみが癒えるまでには時間も必要です。

我慢せずに泣いてその子を想ってあげてください。

29歳男 豚さんとの思い出は動画を見る事で解消

こんにちは。

僕は29歳の男性です。

職業としてっは現在、自営業(フリーランス)をしております。

 この豚さんとの出会いとしては、友達の家が養豚場を経営していたことから始まりました。

 肉豚として出荷されるはずだったのですが、僕が養豚場に遊びに行った時に、とても僕に懐いてくれた豚さんだったのです。

 運命を感じてしまい、直談判して僕が飼う事にしたのです。

豚さんの名前としては、「ブーちゃん」(そのまんまかい(笑)) ブーちゃんとは8年くらい一緒に暮らしました。

とても人懐っこい子であり、可愛い子でした。

 ちょっといじける顔や姿も、これまたキュートでした。

ところが、老衰であの世に旅立ってしまったのです。

 それからというもの僕は心身ともに悲しみによって病んでしまっておりました。

でも、僕は生きなくてはいけません! そこで「どうしたらこの悲しみを乗り越えられるのか?」考えてみました。

 考えた結果としては、「ブーちゃんと一緒に撮影した動画がある!」と思い、動画を見てみる事にしました。

 そうすると今までの落ち込みは嘘のように、心身ともに元気になっていくのが自分でわかりました。

 本当にメンタル的な事って大きいと痛感した一コマでもあります。

 この時の心情としては、「その動画の中からブーちゃんがひょっこり現れそうな」感覚になりました。

 ですが残酷なもので、ブーちゃんはあの世です。

このなんとも言えない感覚に、少し辛かったのも事実ですが、毎日ブーちゃんの動画を見ていると、やる気も元気も取り戻すことができました。

 そして、ブーちゃんは「僕が落ち込んでいる姿なんか見たくないよな」と思えるほどにメンタル的には回復しました。

 後悔していることといえば、もっとブーちゃんと遊んでやれば良かったと思いましたし、甘えてきたブーちゃんを優しく抱きしめたり、撫でてやりたかったと思いました。

 仕事が忙しかったり、日常の生活に追われて、ブーちゃんに構う事を疎かにしてしまったのも事実です。

 最後になりますが、僕からのアドバイスとしては「ペットとの時間を大切にしてください!」としか、言いようがないのです。

 ペットの一つ一つの仕草、性格、好きな食べ物、嫌いな食べ物、好きな遊び方、好きな飲み物、等を把握してあげて、ゆっくりゆっくりでいいから、思い出を作ってみてくださいね。

 その思い出を動画か写真に記録させることも忘れないでください。

 ペットが旅立った時に、その記録が絶対にあなたの力になってくれるはずです。

 そしていつの日か、ペットロスを解消する事が出来る事を祈っております。

30歳 男性 思いっきり泣きまくった

はじめまして。

都内在住の引っ越し太郎と申します。

年齢は30台前半の男性です。

私は以前、ビーグル犬を飼っておりました。

きれいな茶色としろの模様に、額には素敵な流星が入っているイケメン君でした。

彼との出会いはある日偶然に入った地元のペットショップでした。

特にペットを飼う予定もなく、ただの暇つぶしに入店しただけだったのですが、すぐに目に入ったゲージにいたのが彼でした。

目があった途端にしっぽを振り、抱っこしてほしそうにガラスにもたれて立ち上がるその姿に一目ぼれをして、衝動的に自宅に連れ帰る事になりました。

さて、いざ連れ帰ったものの、それまでペットを飼った経験がなかった私は、ネットで情報を収集して、ご飯やゲージを大急ぎで用意しました。

また、当時一番困ったのは躾についてでした。

何をどうやって教えればよいのか見当もつかなかったのですが、今思えば彼は最初から聞き分けがよく、いたずらもしない非常におとなしいまじめな子でした。

なので、躾らしい躾は行った覚えがありません。

晩年を除き、トイレも決まった場所できちんとするよい子でした。

彼との生活に慣れてきてからは、あっとゆーまに時間が過ぎた気がします。

仕事で遅い帰宅の時は、私が帰ると必ず玄関まで迎えにきてくれて、そのまま一緒に散歩しました。

仕事で疲れていましたが、彼との夜の散歩はリフレッシュすることができて次の日の仕事をまた頑張ろうと思うことができていました。

なにも悪い事をしなかった彼ですが、ある日突然食べ物をはいてうずくまってしまいました。

急いで病院に連れてゆくと胃がんと宣告されました。

そこからは今までの生活が嘘だったかのように衰弱していき、本当にあっけなく亡くなってしまいました。

何が悪かったのか、どうすればよかったのか、何もわからず、ただ、葬儀場でぼーっと彼の遺体を見つめていたのを今でも覚えています。

命の儚さを実感しました。

多忙を理由に帰宅時間が遅かったこと、もっといろんな場所に連れていってあげたかったこと、おいしいものをたくさん食べさせてあげたかったこと、心残りはたくさんあります。

あっとゆーまの人生が、彼にとって幸せだったのかが今でもわかりません。

彼の死後、しばらくは何に対してもやる気が起きず、ぼーっと過ごしていました。

そんなある日、ケータイに入っている数少ない写真を見返した時、全ての思い出がよみがえってきて一人で号泣しました。

大人になってからというか、人生で一番泣いたと思います。

そうやって泣き散らしたあとは、不思議と気持ちが少し落ち着き、仕事にも徐々にやる気が起きてきました。

ペットロスの気持ちは当事者しかわからないと思います。

思い出を振り返って、感情を表に出すことで、乗り越えるための第一歩が踏めるものだと思います。

人もペットも明日必ず元気でいられる保証はありません。

今日できる事、今日伝えられる事は、ぜひ今日のうちにしてあげて下さい。

34歳 女 意外な来客で癒され

私は中学2年生から柴犬を飼っていました。

母がペットショップで一目ぼれしたのが飼い始めたきっかけでしたが、すぐに家族の一員としてなくてはならない存在になりました。

柴犬の特徴か、家族以外の人にはなつかず、来客に吠えるので少し困る面もありましたが、一方で自分たちだけになついていることで一層可愛くも思えました。

散歩が大好きで、リードを持った私が現れると、すぐに門の前まで走って行ってスタンバイ。

そして、いつまでも帰りたがりませんでした。

しかし、歳を取るにつれて徐々に耳が遠くなり、目も白内障になり、そして痴ほうもはじまってしまいました。

ずっと休みなくぐるぐる歩き続け、狭いところに挟まって動けなくなっているのを見つけては助けてあげていました。

ずっと庭で放し飼いをしていたのですが、徐々に寒さや暑さにも弱くなり、日中は外、夜は玄関で過ごし、そして段々と玄関にいる時間が増えていきました。

それでも、フラフラする足腰で踏ん張りながらご飯は頑張って食べていました。

衰えながらも一生懸命生きる姿は本当に愛おしかったです。

しかし、遂にご飯も食べなくなり、息が細くなってきて、これはいよいよかと感じた夜、私は愛犬を胸に抱きながら一晩を過ごしました。

すると、突然、あれだけ虫の息だった彼女がキャンキャンと何かを訴えるように鳴いたのです。

抱かれているのが嫌だったかなと思い、床におろすと、彼女は体の中の汚いものを出し、そして息を引き取りました。

最後に吠えた時に訴えたかったのは定かではありませんが、生前本当にお利口だった彼女のことなので、きっと私の服を汚すのが嫌で気を使ったのではないかという気がしています。

それからというもの、私の心にはぽっかりと穴が開いてしまったような寂しさがありどうしようもありませんでした。

だからと言って、ペットを失う辛さを味わった直後で新しい生き物を飼う気にもなれず、庭を見ては彼女が走り回っていた姿を思い出すような毎日でした。

私がこのペットロスか脱することができたのには二つの理由があります。

まずは、小さなサボテンを買ったこと。

枯れにくい植物を選び、名前を付けて寂しくなったらサボテンに話しかけていました。

もう一つは、庭に時々野良猫の親子が遊びに来るようになったことです。

それまであまり猫は好きではなかったのですが、子猫が兄弟で戯れる様子などは本当に癒されました。

野良猫なのでいつ現れるかはわからないのですが、それがまた見つけた時のウキウキ感を増幅させました。

決して餌は与えていないのですが、安全な家だと分かったからか、今では軒下で無防備にくつろいだりするようになっており、気ままな来客とのおつきあいを続けています。

30代男 生きていた証を見てもらいたかった

15年くらい前に飼っていた猫の話です。

近所にケガをした猫があらわれ数日間うろついていたため、自宅の庭にて保護したところ、そのまま居着きました。

その時猫は4歳くらい、ケガ自体はそんなに重いものではなかったのですが、動物病院の先生曰く、身体があまり強くなさそうだという風に言われました。

事実、ケガが直ったあとも吐くことが多く、他の猫との喧嘩で傷を負って家に逃げ帰ってくるということもよくありました。

当時は今ほど室内飼育が強く推奨されていなかったこともあり、自由に家に出入りできるようにしていたのですが、身体が弱いことがわかっていたなら外に出られないようにしたほうが良かっただろうなと今でも思います。

数年後のある夏休みの朝、隣家の庭で息絶えていました。

 前日の夜には与えた餌をいつもどおり食べていたし、はっきりとしたケガなどもなくどうして死んでしまったのか全く原因がわからなかったので、もう二度と動かなくなってしまった体を抱いて自宅に連れ帰ったときはとてもショックでした。

朝早くの出来事だったので、その日のうちにペット葬儀屋に連絡してお別れと火葬を済ませました。

その夜は悲しみを振り払おうと歌番組やバラエティを見て声を出して笑おうと努めたのですが、やはりふとした瞬間に悲しくなりました。

 その後数週間は喪失感が唐突にやってきては涙が出ました。

気分が落ち着くようになったきっかけは、ホームページ(当時はまだブログが無かったので)に猫の写真をまとめたページを作ったことです。

今はいなくなってしまったけど、たしかに生きていた。

 そういう記録を残すことと、それを誰かに見せて知ってもらうこと。

それまでは、存在がすべて無くなってしまったように感じましたが、自分の思い出の中だけではなく、誰かに見てもらえる形で残すことで、存在した証をずっと残せると感じられたことが、喪失感を和らげるきっかけになりました。

ただ、当時はまだ動画撮影できるデバイスを持っていなかった上に、写真もそれほど撮っていなかったので、もっと残しておけばよかったなと今でも思います。

今はSNSで日常的にペットの様子を記録することが当たり前になっていますが、誰かと思い出を共有できれば、その分だけ存在した証を「長生き」させられるんじゃないかなと思っています。

43歳男 思い出の物は処分しましょう

普通のおじさんです。

小学校入学後すぐに父が友人からいただいた柴犬の赤ちゃんが我が家にやってきました。

しかし、会社員一年生の冬に我が家で育ててきた柴犬が天国へと出発したのです。

天国へ出発した日、仕事で、最後を看取る事ができなかった。

あの日、仕事を休んで最後まで一緒にいてやりたかった。

寂しくさせて出発したんじゃなかろうか?そばにいて欲しかったんじゃなかろうか?色々な事を思うと後悔ばかりでした。

我が家の玄関の脇にあった犬小屋を長らくそのままにしていたため、犬小屋を見るたびに胸が締めつけられ涙が出そうになりました。

そして、また戻って来るような想像をしてしまうのです。

柴犬が天国へ行って数ヶ月後。

犬小屋がボロボロになってきたので、玄関脇に置いておくとみっともないという事で、撤去解体する事になりました。

今後、犬を飼う予定がなかったので、犬小屋があった場所に花が咲く植物を植える事になりました。

種を植え、毎日の水やりをし、花が咲く頃には、毎日のように悲しんでいたのが知らず知らずのうちに柴犬を思い出して、悲しくならないようになりました。

それからです。

柴犬に使っていたものをすべて片付けよう。

処分しようと家族に相談しました。

はじめは、反対する家族がいましたが、やはり処分しようということになりました。

そして、すべてを処分した後、私以外にペットロスになっていた家族も回復しました。

大事に育てて、一緒に生活していたペットの物ですが、ペットが天国へ出発した後、視野に使っていた物があるとつい思い出して悲しくなったりします。

心苦しい思いがありましたが、思い切って全て処分して良かったなと思います。

思い出の物は処分して、心に大事にしまっておくのが、結果、家族全員にとても良かったなと思います。

今、思うのは、もっと早い時期に行動しておけば良かったと思います。

それも後悔の一つでした。

思い出の物を処分するのも、ペットロス解消する一つの行動ですね。

13歳の男の子はペットロスを受け入れ癒すため自分でペットを埋めた

はじめまして、高橋と申します。

この話の当時は9~13歳でした。

男性です。

まず、今回お話しするペットは金魚2匹です。

出会った経緯は当然お分かりかと思いますが、子供のころに祭りの金魚すくいです。

その頃は本当に小さく、多分2センチあったかどうかくらいだったと思います。

金魚たちを飼い始めるとすぐ、私は兄弟とともにエサやりで接していくこととなります。

まだ幼かったので、水槽の水を交換するなどのメンテナンスは親がやっていましたが、エサは私たちが担当し続け、旅行へ行く際には数日もつ固形のエサを入れて行ったりと世話を欠かしませんでした。

最終的には、金魚すくいで入手した金魚として考え難い、4年も共に生活することとなるのですが、その過程であれだけ小さかった身体は、逆に金魚かどうか怪しむほど大きくなっていきました。

5センチはゆうに超えているであろうレベルになると、なんだかこのまま何時までも大きくなっていって、ずっと一緒にいられるような感覚さえ当時はあったように思います。

ただ、途中で金魚の匹数を増やした際には共食いを生んでしまい、そこで一度悲しい思いをしましたが、まだ最初の2匹は生きているので深くは傷つきませんでした。

しかし、その2匹も4年が経とうかという頃、同時に病気をしてしまいます。

みるみるうちに弱っていく姿は、今でも鮮明に記憶しています。

当時はインターネットの世界もここまで発展しておらず、親が病気の情報を探るのにも一苦労。

結局、手の打ちようも無いまま2匹は死んでしまいました。

朝起きたら2匹とも横になって浮いていた光景が忘れられません。

私や兄弟、そして親もずっと世話をしてきたので、特別みんな後悔はしていなかったと思います。

ただ、私は産まれてから親戚や近しい人が亡くなる経験をしたことが無いまま、最初に直面した死がこの2匹の金魚だったので、そのショックは相当なものでした。

2匹が死んだ日はずっと落ち込んでいましたが、立ち直るきっかけになったのは夕方、近くの公園へ金魚を埋めに行ったことでしょう。

埋めたり、人間で言えば葬式に行くことは、その死を受け入れて踏ん切りをつけることだと今では思います。

それも自分の手で埋めに行くことで、気持ちは全然そうじゃなくても、受け入れるためのきっかけには間違いなくなります。

また、今ペットロスで苦しんだり、悩んだり、悔やんでいる人は、その気持ちの強さ、ツラさが、ペットに注いできた貴方の愛情と比例していることに自信を持ってください。

「あの時なぜこうしてやれなかったのか?」という想いは、いかに貴方がペットを愛していたか雄弁に語っています。

貴方はペットにとって本当に幸せな飼い主だったでしょう。

胸を張ってください。

だからといって気持ちが晴れることは無いかもしれませんが、少なくともペットの死で自分を責めないでください。

38歳男性 今いるほかの子との生活でペットロスを解消しました

38歳男性です。

4匹犬を飼っていました。

みんな兄弟ではありませんが妻と私は犬好きなので増えていきました。

毎日4匹の愛犬に癒され愛犬中心の生活を送り幸せでいっぱいでした。

1番上の子は19歳で亡くなりましたが、16歳の頃病気で急に歩けなくなり寝たきりになりました。

介護の始まりです。

床ずれができないように床ずれ防止用のマットレスを購入し、おむつを使用し食事を食べさせ水を飲ませたりと約3年介護をしました。

夜中でも水が飲みたくなったりおしっこをしたら、泣くので起きて水を飲ませてあげたりおむつを交換したりと寝不足にもなりました。

亡くなる半年ほど前からは夜泣きもひどくなり、何をしても泣き止まず私たちも体力的に辛かったですが、一番つらいのは本人だったのでしょう。

亡くなる1か月ほど前から食欲もなくなり色々工夫しながら少しでも食べれるようにしました。

亡くなる1週間前にはほとんど食べなくなり点滴に通いました。

先生からこれ以上は、効果は得られない時間の問題と言われた時には何とも言えない感情でした。

それでも生きようと一生懸命泣いている(もう声は出ていませんでした)様子を見ると胸が張り裂けそうでした。

最後は好きなおやつを1口食べ水をペロッとなめ大きく息を吸ってそのまま亡くなりました。

こんなにも悲しい気持ちになったのは生まれて初めてでした。

今にもまた起きてきそうな感じでした。

介護をしているときは大変なこともありましたが、亡くなって介護をする必要がなくなってから時間が余り、何をしてよいのかわからない状態になりました。

しかしまだ、3匹生きているので何とかペットロスになっている中でも日常の生活を送りました。

半年後、ようやく1番上の子がいない生活に慣れてきた頃に急に2番目の子が亡くなりました。

老衰でした。

あと2匹いますが、3番目の子も高齢です。

こんなに辛い思いをあと2回しなければいけないかと思うと辛すぎです。

私の経験からペットロスから立ち直るには新しい子を迎えるなどペットと過ごすことだと思います。

それ以外立ち直る方法はないような気もします。

私も今いる2匹がいなくなったら新しい子を迎えるつもりです。

37歳男性どのようにペットロスを解消したか

私は以前犬を飼っていました。

シベリアンハスキーの雑種犬です。

中学3年生の時に友達の飼っていた犬に子供ができてそれを貰ってきたのがはじまりでした。

まだ生後3か月ほどで小さく自転車のかごに入れて家まで連れて帰ったのですが何度もかごから出ようとしてて結局自転車には乗らずに押して帰った事を覚えています。

私の家ではそれまで飼った事あるペットがリスなどの小動物ばかりだったため最初はわからない事だらけでした。

こんなちっちゃな子犬時代から散歩連れていくのかな?とか餌はどんなものを上げたらいいのかな?とか夜になると寂しそうに鳴いてるので一緒にいてあげたほうがいいのかな?とか思う事は色々ありました。

さすがにシベリアンハスキーの雑種という事もあり大きくなるまではとても早かったです。

元気いっぱいに育ってくれました。

お気に入りの玩具はテニスボールで「投げて投げて」って感じで人さえいれば手元にボールを持って行ってました。

甘えん坊という事もあってやっぱとてもかわいかったです。

そんな幸せな時を長く過ごしていましたが14歳のとき突然下半身が一切動かなくなってしまうという出来事がありました。

まったく血が通わなくなり下半身だけ冷たくなってました。

動物病院につれていっても埼玉にある動物病院でしか手術はできないと言われ、血が通わないまま放っておけばやがて下半身が腐ってしまって死に至る、と(ちなみに当時は高知県に住んでいました。

)結局手術は断念せざる得ず、でも下半身が腐ってしまってそのまま死ぬのを黙って見ている事もできず、下半身を揉んだりして何とかできないかと藻掻いていました。

少しずつ足が腐り肉片が落ちたりすることもあり骨が見えてる部分も少しありました。

ある時ずっとマッサージを続けていると下半身が血まみれになってしまった事がありパニックになって動物病院へ連れていくと「おや?血が通い出したんだねぇ?」と血が出始めたのは下半身はもう動かなくてもこれ以上腐ることもなくこれから身体を再編させる準備との事、これによる死は回避できました。

でもシベリアンハスキーの平均寿命は11歳前後と言われています。

すでに14歳を迎えており、一時的に足を引きずりながらも前足だけで動いたりと元気になっていましたが、1年後のある日、朝からずっと遠吠えを続けていておかしいな?とは思ってたのですが夕方あたりから足先からどんどん冷たくなり夜遅く、すでに遠吠えする力も残っていないのにそれでも少しでも「ワフ・・・ワフ・・・」と吠えてて最後はその声もなくなり・・・息を引き取りました。

それから翌朝ペット霊園にて火葬をしてもらったのですが母が「全部煙になってしもうた・・・」と言った時涙がこらえられなくなりました。

それからはずっと悲しいままずっと火葬された山の方向を見ては溜め息をつく日々でした。

当時働いてた職場はその山の近くにあったため毎日山が見える位置であったため他の方よりペットロスを解消するまでには時間がかかったかもしれません。

ある日、仕事から帰って玄関をあけると・・・中で子猫が待っていたのです。

え?なんで?と思いながら家にいたお祖母ちゃんに聞くとお祖母ちゃんが買い物に行った帰りにそのままついてきてしまったんだとか・・結局その猫をそのまま飼う事になったのですがそれも最初はわからない事だらけで大変でした。

でもペットロスはそこで解消されたのだと思っています。

ただ今もこの記事を書きながら涙しているのでペットロスは今も少しはあるのかもしれません。

最後ですがペットロスは何か夢中になることがおきれば少しずつではありますが自然と解消されるものと思ってます。

何かを思い出す時はペットロスの悲しみより、そのペットと暮らした楽しい日々を思い出してください。

自然と悲しみではなく楽しかったなって思えます。

あまりまとまった文章ではありませんでしたがこれが私と飼っていた犬エルとの思い出でした。

ありがとうございました。

楽しい日々を思い出として

49歳女 母の愛とヨガがペットロスから救ってくれた

40代女性です。

長年家族同然に生活していたネコを失ったときから私のペットロスは始まりました。

ペットロスと言うよりも家族ロスと言った方が良自然なくらいネコを病気で失った寂しさと後悔で心が押しつぶされそうでした。

泣いて泣いて泣き疲れてもまた泣いて・・・。

これ以上涙は出ないはずなのにどこからかあふれてくる涙。

来る日も来る日も亡くなったネコのことばかり考えて一時は頭がどうにかなってしまいそうでした。

母に、「私が死んだらネコの骨と一緒にして欲しい」と頼みました。

同じ骨壺に入れてという意味ではなく、「別々の骨壺だけど同じ墓に入れて欲しい」と頼んだのです。

母が先になくなってしまったときのことを考え娘にも同じ事を頼んであります。

ペットロスに陥っている人は少なくないでしょう。

これだけイヌやネコなどペットを飼っている人が居るのだから同じだけペットロスに陥る人が居ると思います。

その人達がどうやって立ち直るのか分からないけれど、私はやせ細って別人のような自分を鏡で見たときこのままではダメだと我に返りました。

近所に住んでいる母が食べ物を持ってきてくれなかったら私は倒れていたかもしれません。

母が私の状態を心配してせっせと食べ物を運んできてくれて一緒にいてくれたから今の私が居ます。

あのときほど母の存在を有り難いと感じたことはありません。

母の助けにより少しずつ人間らしくなっていった私は気晴らしにとヨガを始めました。

瞑想する度に亡くしたネコのことが浮かんできて涙が流れていましたが、数ヶ月経つ頃には泣かずに瞑想できるように。

ヨガ仲間の存在も有り難く、ヨガを続けることでゆっくりだけどペットロスを乗り越えることが出来たのです。

今でもネコのことを考えると涙が出ます。

だけど昔ほどメソメソしなくなりました。

ヨガを始めたことで気持ちが少し前向きになっていったんだと思います。

ペットロスは辛いけどいつか必ず乗り越えられると私は信じています。

24歳女 人間と同様の供養をし思い出を形にした

去年の夏に15年間連れ添った犬を亡くしました。

出会いはペットショップで家族全員でこの子なら迎えたいと意見が一致して家族に迎え入れました。

迎え入れてからたくさん旅行に行ったり、近所の散歩では犬友達がたくさんでき犬がいない生活では話さなかった人達とたくさん繋がることが出来ました。

大きな病気を1つもしなかったのですが、ある時いつものように動物病院でのお泊まりをお願いしている時に「後ろ足に麻痺が出てます」という電話を受けました。

もう15歳だし歳かな、なんて家族で話してましたが日を追うごとに容態は悪化し検査をしても原因が特定できないという状態でした。

そんな時に身内に不幸が起こってしまい、飛行機での移動を余儀なくされてしまったのですがもうこの状態で飛行機に乗せることはできないので病院にお願いして預かってもらいました。

その時に「必ず帰ってくるから頑張るんだよ。

まっててね。

」と声を掛けたのが最後の言葉になりました。

その後身内での出来事を過ごしている時に病院から息を引き取ったと連絡を受けたので、少し予定を前倒しして迎えにいきました。

ホームセンターでペット用の棺とお花を用意し病院へ迎えに行きました。

棺の中にはまだ着てない洋服と大好きなおもちゃ、おやつ、ブランケット、一緒に撮った写真を入れてあげました。

家で1時間ほど皆で過ごし、近くでペット火葬をしている葬儀屋まで行きをして火葬してもらいました。

そこの葬儀屋ではお骨を入れられる小さなペンダントを販売していたので、私と母はそのペンダントを購入しそれぞれ牙と爪を入れて持ち歩いています。

荼毘に臥した後家族全員で「まだその辺にいる気がする」などと話していました。

仏壇ではないですが、家の一角にコーナーを作りお骨と共に写真とおもちゃを飾っています。

七日毎に余っていたドッグフードと缶詰、大好きなおやつをお供えして四十九日まで人間と同様のことをしてあげました(お経はあげてませんが)その後飾ってる写真を変えられるように写真を印刷したりするうちにアルバムが出来上がったのでいつでも家族が見られるところにアルバムを飾っています。

そしてこの夏にお骨を庭に埋めてあげることにしました。

墓標となる石にも名前を刻み供養する予定です。

最後を看取ってあげられなかったのは心残りですが、人間と同様の供養と思い出を形にしたことでペットロスを乗り越えました。

35歳男性、ゴールデンレトリバーを失ってから 再び弟を

40歳男性です。

今の犬とその前にゴールデンレトリバーを飼っていましたがそのゴールデンが亡くなった時、母と私はペットロスになりました。

ガンで余命、1か月と聞かされてからほぼ1か月で天国へ旅立ちました。

いままでいた事が当たり前すぎて、隣に犬がいない虚無感に母も私に打ちひしがれそうでした。

 父が早くに亡くなり、ゴールデンを母は息子の様に、私は弟のように思っており、家族が一人増えていた事で心から救われていたと思います。

犬は話しかけても返事はしないし、会話にはなりませんが心の思いを母も私もお互いがいない時に語り掛けたりしていました。

犬がいない現実をなんとかしたかったのかもしれません、母も私も里親募集のインターネットを見てました。

母は1FのリビングのPCで私は2Fで自分のIPADで見ていて、偶然にも今の犬(雑種)のページをお気に入りで見ていた事が夕飯時に会話していてわかりました。

「この犬、かわいいとおもうねんけどな」「お母さんも? オレもやわ」早速もらいにいこうか、でもゴールデンが死んで、まもないのにすぐに次の犬をもらいにいくのはゴールデンにとっても失礼なのかな。

と思ってました。

うちの近所で母と親友の方に相談しましたが。

「失礼とか考えずにこうどうすればいいのよ」そのアドバイスがあって次の雑種をもらいに行きました。

 最初のゴールデンをもらいに行く時、「絶対に死ぬまで可愛がろう」そう決めてもらいに行きましたが、雑種をもらいに行ったとき、「ゴールデンと同じようにかわいがろう」そう決めました。

ペットを失ったとき、どうしてよいのかわからないと思います。

私の場合、次の雑種をもらう決断をしてよかったと思います。

 前のゴールデンと性格も違う犬ですが、ゴールデンと同じようにかわいがろうと思っています。

みている人にアドバイスがあるとしたら、どうしようか決断を迷う事があると思います。

犬を飼っていた母の友人の言葉が私たちに響いたように同じ悲しみを持った人のアドバイスを参考にされればよいと思います。

私の文章が貴方の一助となれば幸いです。

34歳女 高校生の思い出と愛犬の絆

34歳、専業主婦です。

高校生の頃に黒い色の大きな犬を飼っていました。

とても人懐っこく、私をみるとワンワンと元気に吠えてアピールしてくれる犬でした。

雄犬だったので、力が強かったけれど散歩も私にあわせてくれて毎日とても元気をくれました。

出会いは親が貰ってきたのがきっかけで、真っ黒でコロコロしていたのがとても印象に残っています。

犬が大好きなので、本当に嬉しかったし毎日抱っこしたり散歩したりして、過ごしていました。

よく食べるのもあって、どんどん大きくなっていきました。

大きいのにとても怖がりな犬で、車が来ると、家に入って出てこなくなってしまったり吠えてしまったり、そんな一面もあってとても印象に残っています。

そんな毎日を過ごしていて何年かたったとき、体調が悪い時期が続き散歩もできなくなり、ご飯も食べなくなっていきました。

好きだったブラッシングを横になっているままの状態で毎日してあげました。

体が伸びて、もうそろそろお別れかもしれないね。

と、家族で話していました。

その時私は高校生だったので、休むことは出来ず、朝声をかけて頭を撫でて学校に行きました。

帰って来ると、朝撫でた頭はそこにはなく親に聞くと、あの後すぐに亡くなったんだよ。

と聞かされました。

何だかなんとも言えない気持ちになりました。

痛みを一緒に感じたかった、寂しさを感じたかった、そんなことが頭をぐるぐるまわりました。

親に家の裏に埋めたからと後から聞いて、好きな餌と花を持ってそこにおきました。

手をあわせてありがとう!と伝え、笑って別れました。

もしペットロスで苦しんでいるなら、悲しみよりも、一緒にいた時間楽しかったことや、いたずらされてこんなこともあったなと思ったことなどを思い浮かべてください。

その方がペットも、楽しいと思うんです。

飼い主が元気な方がきっと嬉しいと思うし飼い主と楽しかったことや、嬉しかった事があった方が報われると思うんです。

49歳女性 天国から見えるように 上を向いて笑った

私は40代後半、犬猫大好きな女性です。

私は以前、犬を飼っていました。

シェットランドシープドッグのオス、蘭丸です。

私の家族は昔はすれ違いばかりでみんな家には寄り付かず決して仲の良いとは言えない関係でした。

ある日、友達の家で犬が数匹生まれたので一匹もらって欲しいと言われ、ワクワクしながら引き取りに行きました。

まだ手のひらに乗る程の大きさで、うんともすんとも言わずプルプル震えながら私にもらわれてきました。

その日はたまたま(滅多に無いことですが)家族がそろっていました。

 あんなに震えていたのに家に着いたらいきなり元気になり、家族に尻尾をちぎれそうなくらいフリフリして顔や手をペロペロなめはじめたのです。

その愛らしさに家族も癒されとても可愛がりあんなに冷めきった家族だったのに、みんな蘭丸がいるからちゃんと家に帰ってくるようになり会話も蘭丸の事が中心ですがとても増えて明るく仲の良いか家族に変わっていったのです。

蘭丸はとても甘えん坊なので家族の誰かが外から帰ってくる時には一早く足音や車の音で気付き玄関でワンワン鳴き尻尾を振りながらお出迎えをします。

そしてドアが開くとその隙間に鼻を入れてこじ開け抱っこをおねだりしてきました。

抱っこするまで足元から離れないので私たちはどんなに疲れていても蘭丸をしばらくだっこしなければなりませんでした。

大きくなっても同じだったので重たくて大変でした。

蘭丸はとても臆病で怒りん坊だったので新聞配達の原付の音や雷の音が怖くてイライラしました。

牙をむいて鼻の上をしわくちゃにして大きな声で吠えて走り回ったのですごくうるさくてかなわない時もありましたが、一仕切り吠え終わると悪いことをした後のごめんなさいをしてきました。

蘭丸はとても食いしん坊だったので私たちの食事やおやつを欲しがりおねだりのお手をしつこく繰り返してどうにかして手に入れようとしました。

その全てがとても愛おしかったです。

そんな蘭丸が歳を取りだんだん大人しくなり動かなくなっていき天国へ行ってしまったあの時を今でも忘れる事はできません。

もうお葬式も済み家には蘭丸はいないのに帰宅するといつものようにドアの隙間から鼻が出てきて欲しかったし原付の音でワンワン吠えて欲しかったし大好きだったバターたっぷりのトーストのおねだりをして欲しかった年月が長く続き、それは叶わないのだと泣き続けました。

もう一度この手に抱きたい、散歩したい、お風呂にいれたげたいといつまでも願い続けました。

ある日、いつものように蘭丸の思い出話を家族としている時に父が、うちの家族は蘭丸のおかげでひとつになれた、蘭丸はいつも笑ってる私たちが大好きだった、だから蘭丸が天国からよく見えるように私たちが上を向いて元気な笑顔を見せてあげなきゃいけないねと言いました。

くよくよしていたら蘭丸がきっと天国で心配してお友達と遊べないような気がしたのでその日からは蘭丸の為に泣くのではなく笑う事にしました。

あれから15年近くになりますが今でも笑って蘭丸の思い出話をしています。

今、ペットを亡くして悲しい思いをしている方、たくさん泣いてたくさん悲しんで、そのあとはたくさん笑ってあげて下さい。

天国へと旅立ったその子はきっとあなたの笑顔が一番好きだったから。

あなたの笑顔が見たくてたくさんのおりこうさんをしたのだから。

32歳男性 どのようにペットロスを解消したか

私は大阪に住んでいる30代の男性です。

私がまだ小学生で、ロクにペットの面倒など見られないような年齢だった頃、自転車で40分走ったところにあるペットショップで運命的な出会いをします。

犬や猫ではなく、小鳥の雛でした。

まだ整っていない羽、体毛さえ生え切っていなくて皮膚が丸見えになっている状態の雛たちが、餌を欲しがって上に口を開け、ピーピーと鳴いてる姿が可愛く思えて、すぐに買って帰りました。

しかし、現実はそう上手くはいかず、やっと雛用の餌を用意できて餌をあげていたのですが、数日後、不明な死を遂げてしまいました。

子供心ならがら私はとんでもないことをしてしまった。

死因はなんだったのだろうと苦しんでいました。

本屋で小鳥の育て方などの本を読み漁り、確信を得ました。

次は大丈。

そして再度私はペットショップへ行き、小鳥の雛を買いました。

次は絶対に死なせてはなるものかと必死でした。

ある一定の期間を過ぎると体毛も整ってきて、自分で餌も食べるようになりました。

小鳥を育てることに成長しました。

私の飼っていた小鳥は手乗り文鳥でした。

しかし育て方を誤ったのか、指を差し出しても乗りませんでした。

手乗り文鳥という名前を覆すほど自由奔放でした。

その上、鳥なのに水浴びは嫌いで、とても暴れながら水浴びさせてました。

鳥かごごとベランダへ出し、水浴びさせてから乾かしていると、その辺の雀が寄ってきて、鳥同士会話をしていました。

いつしか、カゴからも勝手に脱出し、雀の群れに混ざり、そして戻ってくると言った、ほぼ家飼いされてない鳥でした。

でも、そんな自由奔放な姿が愛くるしかったです。

そんなある日、病気を抱え、獣医に見てもらいました。

獣医の方も私たちの表情を見て察したのか、手に手を尽くし、手術してくれましたが、小鳥という身体の小ささ、体力からこのまま手術を続けるとそのまま死んでしまうかもしれないと言われ、自宅で連れて帰り、そしてその時は訪れました。

その日から私は学校にいるときも、家にいるときも抜け殻のようした。

自然に流れる涙と、ひょっとして夢だったのでは?と、空っぽの鳥かごを何度も見ました。

私がこの状況を打破できたのは、自宅に一匹のスズメの雛が迷い込んできたことがきっかけでした。

何も考えずまるで本能のように私はその雀を育てました。

そしてきちんと自分で飛べるようになった時に、自然と他の雀に馴染ませるように逃がしてやりました。

その後、病気で死んでしまった小鳥のことをまた思い出し思いっきり声を出して泣きました。

私は命の尊さに大小がないことをその時感じて、ずっと引きずっていてはだめだと立ち直ることができました。

49歳女 時間がペットロスを解消した

40代女性です。

私の家族であったネコを亡くしてペットロスに陥ってしまったのですが、その子が亡くなって4年目の今ようやくペットロスから立ち直りました。

ペットロスに陥っている間はテレビで動物を見るだけで涙がぽろぽろ流れて・・・。

特にネコを見てしまうと亡くなったネコを重ねてしまいどうしようもない気持ちになったのです。

家族であるネコを病気で亡くしました。

おばあちゃんネコで16歳で天国へ。

腎臓機能に異常が見つかり検査入院や点滴治療・投薬治療などできる限りのことをしましたが間に合いませんでした。

私がネコの異変に気づかなかったのがネコの寿命を縮めたのです。

後悔先に立たず・・・それはよく分かっていました。

家族は泣き崩れる私を見て何度も励ましてくれたし、「やれることは全てやったじゃないか!」と言ってくれましたが私は自分の愚かさを心の底から憎んで自分で自分を苦しめていました。

食事が喉を通らず日に日にやせ衰える私に家族は毎日食事を作ってくれました。

結局ガリガリにやせ衰え月経が止り完全に閉経したのがネコが亡くなった翌年のこと。

このままでは家族に迷惑がかかるとようやく前を向きました。

ネコはお寺で火葬してもらいお骨は家に持って帰りました。

毎日水をあげていつも一緒に居るような感覚もあります。

毎日のようにお骨に向かって話しかけたりしてその度に心が軽くなっていきました。

現在ペットロスは克服したと言えるレベルです。

食事を普通に食べられて声を出して笑うことも出来るようになりました。

克服していないときは涙もろくてちょっとしたことで不安になって・・・。

声を出して笑うこともほとんどない状態で。

日々娘と亡くなったネコのことを話すことも心に良いのかもしれません。

思い出したくないからとネコのことに触れないようにしていた頃の方が辛かったのです。

「太っていたよね!」「まん丸でボールみたいだったよね~!」と笑って話せるようになりました。

30歳女 一緒にいてくれたウサギに感謝の気持ちを込めて前を向く

私は30代の女性です。

私の家族は人間が4人とネザーランドドワーフの雌ウサギさんが1羽が一緒に住んでいました。

ウサギさんとの出会いは彼氏さんが一目ぼれして彼氏さんのアパートに連れて帰ってきたのがきっかけでした。

合鍵でアパートに入るとすでにゲージがあり、私が入ってきた為か小屋の後ろに隠れていました、丸見えでしたが。

どうしたら良いのか分からずでしたが怖がりなのは予想が付いたので彼氏さんが帰ってくるまで放置したのを今でも覚えています。

彼氏さんはウサギさんがビビりなので名前を「ビビ」と名付けました。

はじめはゲージの扉を開けても出てきませんでしたが、少しづつビビの世話をし餌をあげ掃除をする中で少しずつ慣れたのか扉を開けると自分から出てきて部屋の中を探検していました。

月日も過ぎて彼氏さんが旦那さんへと変わってビビも私の本当の娘になりました。

その後、人間の子供も生まれ、そのたびにゲージを襲われて怖い思いをしてきたであろうビビ、一緒にお昼寝したり子供がお世話係になりブラシをかけてもらったり時には噛んだり動物に優しくしなくてはならないと人間の子供は覚えました感謝しかありません。

夜になると夫婦の晩酌相手にもなってくれて良く旦那さんとじゃれていました、癒されました。

どんなになれてもビビは自分から人間の膝や手には乗ってくれませんでしたが頭を撫でろと手の下に良く入り込んできたのを覚えています。

ビビと出会い8年がたった頃、私は病気になり入院することになりました。

家族のことが気がかりでしたが仕方がありませんでした。

半年が過ぎた頃。

夜、旦那さんから電話がかかってきました。

普段はメールばかりだったので慌てて出ると泣いていました。

「ビビが死んでしまった。

弱弱しくてビビが自分から俺の膝に乗って動かなくなった。

」っと言ったのです。

すぐに涙が沢山でました。

すぐにでも会いに行きたかったけど、それは叶いませんでした。

私の事は待てど暮らせど帰ってこないとビビは思っていたかもしれません。

旦那さんは朝になったら庭にお墓を作り子供たちと一緒に埋めると言いました。

その夜は持っているビビの写真を眠れずに眺めていました。

その後、少したって私は退院することが出来ましたビビが私の病気を一緒に連れて行ってくれたのかもしれません。

もっと相手してあげればよかった、入院しなければビビの異変に私が気づいて病院に連れて行けたかもしれない。

沢山の後悔が頭の中を過りましたが、もう撫でてはあげられないので「ありがとう」を沢山考えたいと思っています。

彼らは人間より早くに死んでしまいますが人間に沢山の事を教えてくるパートナーです、どうぞ出来だけ寄り添ってあげてください。

23歳女 お線香をあげるたびに心が凪いでいった

20代の女性です。

その子に出会ったのは1年半ほど前のことでした。

ペットショップで一目ぼれしたジャンガリアンハムスターをとてもうれしい気持ちでお迎えしました。

今でもあの日のことは鮮明に覚えています。

小さな体と活発な動き、その子と過ごす毎日はとても楽しかったです。

しかし、私のその子に対する食事コントロールが上手くなかったようで、1歳を過ぎたころに眼のふちにできものができてしまいました。

そのあとはお薬を飲んでもらうことで症状自体は落ち着いていきました。

その子は、私が仕事から帰ると「お外に出して!」と必死に抗議してきて、かわいかったです。

ある日、部屋でおさんぽをさせている最中にうとうとしていしまい、目が覚めると部屋の中でその子は冷たくなっていました。

布団の下に潜り込んでいたようで、体が平らにつぶれていました。

私はしばらくの間、とても正気ではいられず毎晩のように泣き続けました。

自分が殺してしまったんだと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

そのあと死んでしまったその子を火葬までの間、部屋で見つめていました。

やわらかいタオルを敷いて、その上に寝かせました。

ろうそくとお花を添えて、やさしい音楽を流しました。

火葬が終わった後は骨壺が帰ってきて、それでもまだ現実味が私の中にありませんでした。

なんとか気持ちを落ち着けようとお線香とお花を買ってきて、苦しいたびにお線香をつけました。

お線香は落ち着く香りでした。

そのあとお盆がやってきたので、精霊馬を手彫りして大好きだった食べ物をたくさん用意しました。

住んでいるアパートの都合上、迎え火と送り火はできませんでしたが目印として家のドアノブに、その子の名前とひまわりの絵を描いたシールを貼りました。

来てくれるかな、と少し不安に思っていました。

ですがお盆の最初の日、本当にその子は来てくれました。

私がまどろんでいると一瞬ですがその子の甘い香りがしたんです。

どんなに求めてももう嗅げない香りがその時だけ嗅げたんです。

あぁ、会いに来てくれたんだと涙がこぼれました。

それから少しずつ気力を取り戻して、次にハムスターを飼うことがあれば部屋散歩の時間は決めようと心に誓いました。

そして決して目を離さないこともです。

もし自分の過失で愛するペットを亡くしてしまったとしても、愛情深く毎日お世話をしてくれたあなたのことをその子は恨んだりしないと思います。

今は私もそう思えます。

きっと天国であなたが幸せに暮らしてることを願いながら楽しく走り回って美味しいものを好きなだけ食べていますよ。

だから大丈夫です。

前を向いてその子に胸を張れる生き方をしていきましょう。

36歳男 ペットの死はペットが癒してくれた

私は30代の男性です。

田舎にある実家に住んでいたころからいろいろな種類のペットを飼ってきました。

犬や猫、ウサギなど一般的なペットから、珍しい動物も飼ったことがあります。

その中の一つを紹介したいと思います。

出会いは私が中学生のころ、その日は土曜日で学校が午前中まででした。

家に帰ると一つ下の弟が先に帰ってきており、大きな段ボールがリビングにおいてありました。

中を見ると子猫でした。

どうやら捨て猫を見つけてしまったらしく、放っておけなくなり連れてきたみたいです。

弟は面倒を見るつもりでしたが、その時すでに我が家には犬が2匹いました。

私も猫は今まで飼ったことがないし、とてもかわいかったのでを何とか親を説得し、家族の一員となりました。

決して人懐っこいわけではなく、自分が甘えたいときには甘えてくる猫らしい猫でした。

進学の為実家を離れる際にも気がかりで、頻繁に帰ってきては猫とあそびました。

ただそれも年に数回なので、そのあと10年ほど生きましたが、実家を出てから会った日数を数えてみると1か月にも満たない日数でした。

就職して頻繁に帰ることができなくなり、最後に会った数日後に亡くなりました。

状況的に難しかったとはいえ、もっと時間を作って会いに行きたかったと非常に後悔しました。

亡くなったの聞いたときにすぐにでも駆け付けたかったのですが、実家とその時住んでいた場所がだいぶ離れていて、交通費などを見てもすぐに行けるような状況ではありませんでした。

実家を出る前も、忙しくれかまってやれなかった時もあったので、もう少し時間を作っておけばよかったと後悔しています。

解消したのはほかでもない一緒にいる家族(ペット)でした。

犬が2匹いたのですが、比較的に猫と仲が良く、猫が亡くなってから一緒にいる時間を作る様に意識し、限られた時間の中で濃い時間を作ることで、解消することができました。

この記事を読んでいただいている方へ、ペットを飼う場合、寿命を見てもペットの方が先に死を迎えます。

生きている間にできる限り一緒にいる時間を作ってあげてください。

その中で、ペットの死を受け入れることができる覚悟を持ってください。

時間は永遠ではありませんので、限られた時間の中でペットと楽しい時間を過ごすことができていれば、受け入れることができるはずです。

35歳女、時間が自然と傷を癒してくれました

30代女性です。

高校生の時、飼っていたネコが死にました。

まだ2歳でした。

近所に捨てられていたので拾ってきました。

両親の反対を押し切って無理やり飼っていました。

ですので、餌代、予防接種代、避妊手術などその猫のためにアルバイトを始めました。

子供のようなかけがいのない存在になってきました。

猛暑が続き、ここ数日食欲が落ちているなあと心配していた矢先、部屋で死んでいる姿を発見しました。

もう死んでいるとわかり、パニックになり、獣医さんへ即電話し、「夜だけれども今から見てもらえないか」泣きわめきながら聞いていました。

10分くらい後に、少しだけ冷静になり、「もうダメなようです」と再度獣医へ電話したのを覚えています。

数日間は、とてもショックでこの世の終わりという気持ちでした。

ふとした瞬間に、人前関係なく涙が出てきてしまい、周りに気づかれないよう、トイレに駆け込んで涙をぬぐっていました。

普段は気丈にふるまってはいましたが、内心は生きる気力もなくなり、学校の授業も友達と過ごす、放課後もうわの空でした。

この先、どんなに頑張っても、どんなにお金持ちになっても、そのネコはもう戻ってこないんだと思うと悲しくてなしくてしょうがなかったです。

誰かに相談する気力もありませんでした。

当時はペットロスという言葉を知らず、自分に何が起こったのか、どうして良いものかわかりませんでした。

自分にとっては子供のような存在だったので、周りの人からするとあくまでペットなので、深く同情してくれる人がいませんでした。

自分の体験を共有できる人がいたら、良かったなと思います。

その後、大学受験や就職など人生の中で大事なイベントがあり、そちらに気を取られていくようになりました。

17年経った今でも思い出すととても悲しくなりますが、その頻度は低くなり、落ち込む時間もかなり少なくなりました。

時間が解決してくれていると思います。

人も動物もいつかは必ず死にます。

そして、この世の中には自分の力ではどうしてもコントロールできないことがたくさんあります。

後悔しないように100パーセントで相手に接することもとても大事だと思います。

同時にそれに依存しないで、予期せぬことが起こっても前へ進んでいくことや、どんな事実も受け入れる心を持つことが一番大事だと思います。

時間が癒してくれます

沖縄在住、物心ついた時から犬が大好きで悲しくなった時、寂しいときいつもそばにいてくれて子犬のときから一緒にいたので、彼女(犬)も私を親のように慕っていてくれたと思います。

私の足元にぴったりとついて眠ったり、少しわがままをいったりとしましたが、一つ一つの仕草がとても愛らしく私の大切な存在でした。

別れのきっかけになったのが、私の進学のためでした。

寮生活をおくらないといけないためもちろんペットはだめ。

しかもそう簡単に帰れる距離になかったので、長期休みのときしか家にかえることができませんでした。

また、ブラシやお散歩など私がほとんどしていたため、私がいなくなったらこの子のお世話大丈夫かな・・・と不安で、学校がはじまり家に毎日電話して犬の様子を聞いていました。

そして、夏休み前の進級がかかわってくる大事なテスト期間中、私の人生においてとても嫌な出来事がおこってしまいました。

テスト期間中は、私は徹夜でテスト勉強をしていました。

いつもしてるはずの電話もその期間中は自分に余裕がなくできませんでした。

そしてテストを二教科目が終わりお昼休み、母に電話をかけてみました。

いつものように様子はどう?とききましたがうーん・・・まあまあと歯切れが悪い回答でした。

ちょっと不自然に感じましたが、とりあえずテストに集中しようとと思いそこまでつっこまないで電話をきりました。

テストが終わり、もう一度母に電話すると、犬が散歩中にげてしまい事故にあって苦しんで死んだということがわかりました。

それを知ってしまった私は一か月泣きました。

すぐに教えてくれなかった家族を憎んだし、なぜ逃がしたのか、私だったらにがさなかったのに、地元の学校に通ってずっと一緒にいればよかったと後悔の嵐でした。

すこし落ち着いたころ犬の写真を見返しました。

私にあまえている写真ばかりでした。

この子のことを思い出してないてばかりいたら、楽しい思い出までぜんぶなかったことになってしまうな。

できるだけ楽しかったことだけ思い出して、あの子に心配かけないようにしようと思いました。

そうすることで、徐々に悲しみからぬけだせていったように感じます。

あの子と過ごした大事な時間をいまでもふと思い出して、写真をみています

41歳男、やはりペットが亡くなるのは非常に辛い

私は昔から犬が好きで、社会人になってからもずっと犬を一匹飼っていました。

ところが、年を取ったと言うのもあるのですが急に元気がなくなり、そして遂には突然倒れて亡くなりました。

私は物凄くショックを受け、思わず号泣してしまいました。

しかし、いつまでも悲しんでも戻ってこないのも解りますので、忘れるために趣味であるパチンコに毎日通うようになりました。

お金は確かにたくさん使うのですが、おかげさまでパチンコをしている間だけは少し忘れることが出来ました。

やはり、パチンコとなるとどうしても夢中になり目が離せなくなるので、その間だけはパチンコに集中している為、愛犬のことも忘れることが出来ました。

また、もうひとつ忘れるためにしていたことは、短い期間でしたが会社を休み有給休暇として小旅行に行っていました。

少し街から離れた田舎の方へと行ったのです。

喉かな田舎町は日頃の生活をも忘れることが出来るため、非常に助かりました。

愛犬のことは勿論のこと、日頃のストレスなどにも解消できるチャンスでもありました。

そして、小旅行も終わりやがてまた毎日の日常生活に戻ったのですが、それでも愛犬のことに関しては以前と変わらず辛いものがありました。

また、共に散歩に行った場所などには特に辛くなるのであえて違う場所へと散歩したこともありました。

そして、少し気持ちも落ち着いた頃には新しいペットを飼おうかとペットショップに行ったこともありました。

他の犬を見ると辛くなることもあったのですが、それ以上新しいペットを飼ってみようと言う気持ちにもならして頂きました。

以前は犬でしたが、今度は猫の方を飼ってみようかと考え中です。

ちなみに、昔は犬と共にセキセイインコも飼っていました。

セキセイインコは未だに元気で私の生活をも楽しくしてくれています。

そして、また近いうちに新しい犬を飼うことも考えているのです。

やはり、目には目を、歯には歯をと言うように新しいペットによって解消出来ると思っています

40歳女 その子との思い出を毎日話しましょう

猫が大好きで三匹飼っていました。

現在は一匹いますがあとの二匹のうちの一匹を亡くした時ショックでその前後の記憶が何をしても悲しみと喪失感だったので同じ思いの方と分かち合えたらと思います。

その子はとてもおてんばなメスで田舎に住んでいることもあり外にも自由に出していました。

避妊手術もしてその子が2歳くらいの時、夜になっても朝になっても帰って来ないので心配したまま仕事に出かけたら、父から電話があり道路の反対側でうちの子が足が血だらけになって倒れているとのことでした。

車にはねられたのです。

父が病院に連れて行きまだ息はあったので仕事が終わってからすぐに病院に行きましたが何日か経って足の骨折だけでなく神経を傷つけてしまっていることがわかり、腰から下に感覚がないためもう自力で歩けないとのことでした。

神経が通っていないのでトイレの感覚もない。

1日何度かトイレを私たちがお腹を押して排便をする手伝う生活が始まりました。

木登りが大好きだったのに私のベッドにも自力で二本足で上がるのに一苦労でとても可哀想でした。

動かない麻痺した後ろ足の怪我を防ぐために私の部屋か二階だけで生活するようになりました。

私が出かけたり旅行以外はそれからずっと一緒の部屋で生活しました。

全てわたしか家族の力でトイレをして生き延びていると思うと本当に可愛いというかお世話のしがいがありました。

寝るときもほぼ私の腕まくらで寝ていました。

1日でもおしっこがでないと猫は死んでしまうから必ず家族の誰かが家にいなければなりませんでした。

そんな生活が10年ほど続いて、猫も高齢になりかけた頃、胸のあたりにしこりを見つけました。

病院に連れて行ったら乳ガンでした。

手術を勧められたとき、この子にもう麻酔や手術でカラダにメスをいれたくない。

二本足で10年生きてきて手術してさらに何年生きられるんだろうか。

家族もそれに賛成して余生をゆっくり過ごしてもらいたいと思っていたらその後1ヶ月半後くらいした頃急に元気がなくなり、そう思っていた2日後に呼吸がどんどん荒くなって亡くなってしまいました。

二本足でもすごく元気になって毎日ベッドによじ登ってきて一緒に寝てた子がそのベッドで苦しんでいる姿を見て最後何もしてあげられずに1日か2日でどんどん弱って死んでしまう姿、はじめて看取る愛猫の死に呆然とするばかりでした。

みんなで良くお世話したよねと慰めあいましたが同じベッドでいつもぬくもりを感じながら過ごしてた子が冷たくなり、その子が硬くなっていく姿はなんとも言い難いものです。

今もいる猫は可愛いですけど人間のベッドで一緒に寝ることを真冬でもしない子なので私の寝るときの寂しさのロスをうめるのには抱き枕でした。

また家族で毎日さみしいねとかその子の好きだった餌のこととかなんでもいいので思い出を語り合うことでその子を忘れていないこと、よくお世話したよねと話し励ましあうことで元気を得ています。

ガンの治療をしなかったことの後悔はありませんが、交通事故にあわせてしまったことは私たちが家と外を自由にさせていたせいで事故にあってしまったので今の子もそうですが、猫は飼うなら室内でが絶対良いと思います。

また思い出をどんどん話すとその子を忘れませんし写真や動画を見て懐かしむこともできるので生きているうちにその子の写真や動画をたくさん撮っておいて良かったです。

最近新たに子犬を迎え入れました。

全く猫とは違いますが新しい子を迎えることも気分が全く変わって良いと思います

32歳女 闘病生活の果てとお葬式にて

フェレットを亡くして3年経ちますが一緒にいた日々は今も忘れる事なく覚えています。

出会いは主人がペットを飼いたいと言ったのがきっかけでした。

その時住んでいたアパートがペット飼育不可でしたが小動物は許可されていましたので犬や猫ではなく小動物を飼う選択しかありませんでした。

フェレットにした理由は私が子供の時に飼いたかったからです。

お互いフェレットを飼うのは初めてだったので飼育本やネットで調べながら一緒の生活をスタートしました。

犬や猫と違って芸を覚えたり甘えてきたりはしませんが寝てる姿や、ゲージから部屋に出した時に嬉しそうにクックックッと言いながら散歩したり近くに寄ってくる姿は可愛いかったです。

フェレットの寿命が6~8年と言われていますが6歳になった時です。

おじいちゃんとなって前ほど活発には動かなくなり寝ている時間の方が増えましたが、ある日ぐったりとしていて耳や鼻先が白く血色も悪かったので病院に連れて行きました。

病院に行って診断されたのは癌でした。

お腹に3個ほど影があり治る可能性は無いと言われました。

手術する事はできても治療の為の手術ではなく本当に癌なのか解明するだけの手術なので高齢であり小さな身体に負担を大きすぎるので手術はせず薬を飲んで癌の進行を遅らせる事を勧められました。

病院や帰りの電車の中では涙を堪えていましたが、家についた瞬間から翌朝まで泣き続けました。

主人にはまだ亡くなった訳じゃないんだからと言われましたが、いつか来る別れを突き付けられた事がショックで涙が止まりませんでした。

その日から闘病生活が始まりました。

朝晩に薬をあげるんですがペースト状のおやつに練りこんだり、練りこんだおやつを食べない場合はスポイトで溶かした薬を飲ませていました。

隔週で病院にも通院しました。

癌を宣告されてから2ヶ月後は少し元気になり歩き回る事も出来ましたが3ヶ月後には悪化し歩こうとしてもつまづいて身体を引きずるように歩く事しか出来なくなり隔週の病院が毎週になりました。

そして半年後に亡くなりました。

たまたま仕事が休みで家にいた時です。

部屋の中に出しても歩けないので日の当たる場所で膝に乗せて日向ぼっこをさせていました。

気持ち良さそうにしていました。

ゲージに戻し離れた後に物音がしたのでゲージに行くと中でひっくり返っていました。

手で触った瞬間身体に力が入っていない事が分かり名前を呼びましたが反応ありませんでした。

目をつぶっていて寝てるようでしたが力が入っていない身体は死んでいる事を実感させました。

自然と「辛かったね、頑張ったね、ありがとう」と言葉が出てしばらく日向ぼっこさせていた時と同じように膝に乗せて泣きました。

癌宣告された時、闘病中の間に別れを受け入れられていたのかひどく泣く事はありませんでした。

はっきりと心の整理がついたのは亡くなって3日後のお葬式の時です。

もうこの世にはいないんだ、とすんなりと受け入れられ悲しい気持ちから離れられました。

後から病院の先生に一度元気になった事、半年ともった事に驚いたと聞いてあの子の頑張りを嬉しく思いました。

後悔する事も沢山ありました。

もっと早めに病院に連れていったなら、もっと遊んであげれたなら…とキリがありません。

しかしペットを亡くして後悔がない人などいないと思います。

悲しみを受け入れられるのは時間がかかりますしいつまでも思い出して泣いてしまうと思います。

私もこれを書きながら涙がポロポロと出てきました。

でもそれで良いと思います。

悲しい別れを忘れる事がないように一緒に過ごした大切な日々も忘れる事はありません。

無理に忘れる事や泣くのを我慢する事はありません。

今は亡くした事が受け入れなく辛いかもしれませんがいつかは受け入れられる時がきます。

受け入れられた後は楽しかった日々や写真を見てほんわかしたり少し泣いたりしてあげてください。

その思い出はこれからのあなたを支えてくれます。

29歳女 愛猫との別れの日は突然に

29歳主婦です。

わたしが猫を飼っていたのはもう20年近く前になる、小学生の頃です。

元々両親は動物を飼うことは反対だったので、それまで動物と関わることのない生活を送っていました。

そんなある日、姉が子猫を連れて帰ってきました。

話を聞くと、友達と出かけた先で子猫を見つけたと。

人懐っこい子で、初対面の姉や友達でも触らせてくれたそうです。

一通り遊び、帰ろうとするとなんとその子猫が追いかけてきた!周りに親猫も見あたらない、まだ手のひらに乗るほどの小さな子猫。

どうしても放っておけず、連れ帰ってきたのでした。

もちろん両親は反対。

だけど最初に見つけた姉からしたら、自分を選んでついてきてくれたその子を見捨てるなんてできない。

結局、姉の泣き落としに負け、両親は飼うことを許してくれました。

いざ飼い始めたら両親も可愛くて仕方がないようでした。

どうしてもだんだんと、お世話をする人が両親になっていきます。

子供は可愛がる担当です。

やはり、お世話をしてくれる人のことは猫だって好きですよね。

甘えてきてくれる猫に、特に父はメロメロでした。

そんな両親がどうして動物を飼いたくなかったのか。

不思議に思って聞いたことがあります。

返ってきた返事は、「死んじゃうと悲しいから」。

そこで、初めてペットの死を考えました。

どれほど長生きしても、いつかお別れする日がくるんだ。

動物を飼うということは、いつかくるその子を看取る日まで責任がついてまわるのだと、その時初めて感じました。

そして2年ほどの月日が流れ、その日は突然にやってきました。

もともと野良猫だったこともあり、外にも出られる環境にしていました。

賢い子で、走る車には決して近づかず、いつも家の前で遊んでいたのですが、その日は違いました。

急に道路に飛び出していき、そのまま走ってきた車の下敷きに。

駆け寄った時には既に呼吸が乱れていて、そのまま家族が見守る中天国へ旅立ちました。

まさかこんな急に別れることになるとは、家族の誰一人として思っていなかったので、本当に心が追いつきませんでした。

こんなことになるなら、家の中だけで飼えばよかった、もっと相手をしてあげたらよかった、たらればばかり浮かび涙が出ました。

たった2年、それでも2年、毎日当たり前のようにいた子がいなくなるのは悲しく、とても寂しかったです。

それでも比較的早く気持ちが落ち着いたのは、その子が子供を残していってくれたからだと思います。

悲しくても残された子猫のお世話は待っているし、また、いなくなってしまった猫の面影の残る子猫はとても可愛かったのです。

いなくなってしまった猫の分、この子に愛情を注ごうと思いました。

そして、同じ後悔をしないようにこの子との毎日を大切に過ごそうと思いました。

ペットのいなくなる悲しみは、ずっとなくなりません。

今でも、亡くなってしまった猫を思うと悲しいです。

だから、その悲しみはなくさなくていいと思います。

そのうち悲しみだけじゃなくて、一緒に過ごした日々を懐かしく思える日がくると思います。

どうしても前を向けない時は、新しく家族を迎え入れることも考えてみてほしいです。

いなくなってしまった子の代わりはいないけど、あなたの愛情を受け止めてくれる子はいます。

いつかまた別れがくるけれど、それは人間も同じです。

だからこそ一緒にいられる一瞬一瞬を大切に、後悔しないよう過ごすしかないのだと思います。

たくさん泣いて悲しんで、落ち着いたら一緒にいて楽しかった日々を思い出してください。

それから、悲しみをどこか片隅に残したままでいいので、楽しいことをしてみてください。

あなたの心がいつか晴れますように。

52歳・女性・虹の橋の話を知りペットの死への考え方が変わった

子供の頃から動物が大好きで、ペットを飼っていなかった時期はありません。

それゆえ、ペットとの別れは何度も経験しています。

愛するペットと別れても比較的短期間で立ち直ることができるのですが、以前飼っていた猫との別れではかなりつらいことがあり、立ち直るのに時間が掛かりました。

その猫との出会いは、我が家が自営業で飲食店を経営していた頃です。

お腹を空かした野良の猫で食べ物を与えたところ、すぐになついてくれました。

野良猫は警戒心が強いタイプも多いですが、この子は以前は飼い猫だったようで、短期間で抱っこすることもできました。

当初は猫が毎日のように店に通い、餌を与えていたのですが、いつまでもこのままにしておくわけにはいかず、自宅で飼うことになったのです。

見た目はサバトラのメス猫でウサギのように短い尻尾が特徴的でした。

明るい性格で、先住猫たちともすぐに仲良くなれたのです。

それから数年間は元気に暮らしていましたが、次第に元気がなくなり病院に連れていくことになりました。

診断はガンで、手術をするかどうかを選択することになったのです。

ガンと診断されたこともショックでしたが、それ以前に毎日猫と触れ合っていたにも関わらず気づけなかったことが悔やまれてなりませんでした。

まだ年齢も若いこともあり、手術を決断したのです。

手術からしばらくは調子良く過ごしていたのですが、それから急変し、いろいろな治療を試してみたものの手遅れで短期間で天国に旅立ってしまったのです。

もう少し早く発見できていたら、もっと長生きしてくれただろう、元気に過ごせただろうといつまでも自分を責めていました。

今でも、思い出すとつらくなるときがありますが、ある時に「虹の橋」の話を聞き、いつかまた会えるという気持ちになれたのです。

もちろん、生きている間は合うことはできませんが、いつか私も旅立ったときに、待っていてくれたらどれだけ幸せだろうと考えています。

愛するペットと同じく、天国に行くためにも少しでも良い人間でいようと考えるようになりました。

今も数匹の猫と暮らしていますが、いつか来るお別れの際にも過剰に悲しますに笑顔で送ってあげたいと思っています。

39歳女性 猫友達の優しさに癒されました

猫好きで以前に3匹猫を飼っていました。

3匹とも捨てられていた子達でした。

今はもう3匹ともいなくなってしまいましたが、特に最後の子について書きたいと思います。

やはり猫好きの友達が「子猫生まれたから見に来て~!」と連絡をくれたのが、そもそもの出会いでした。

すでに2匹拾っていたので(今回は見るだけ!)と心の中では決意していそいそと友達の家に出かけていきました。

可愛い子達が4匹ヨチヨチと歩いている姿を見ただけでも幸せを感じていましたが、そのうちの1匹が正座をしていた私の膝にヨジヨジ登ってきたあげく、寝てしまったのです。

膝で小さく丸まって寝ているその姿を見たら、先ほどの決意はあっさりと崩れ気づいたら「もらって帰るね!」と家に連れてきてしまったのです。

とにかくすごい人懐い子で、家族にも他人にも愛想よくみんなから愛される子でした。

ただ、子猫の時から先輩猫と比べて水を飲むのが少ないなあとは思っていたのですが、やはりそれも原因となり尿結石が重くなっていったのです。

だんだんと血尿になってしまい、トイレに行っては苦しそうにしている様子を見て本当に可哀想でした。

病院に行っても何度も再発し、結局少しずつ弱っていく姿は辛かったです。

最後は自宅で静かに亡くなりました。

まだまだ若くて、元気だったのでまさかこんなに早くいなくなるとは思わずにしばらくは呆然としていました。

トイレにもついてくる、お風呂にもついてくる、猫ながらまるで忠犬のような子だったので、寂しさはひとしおでした。

そんな寂しさを癒してくれたのは近所の猫友達です。

猫はペットと頭ではわかっていますが、それでもかけがえのない家族の一員です。

近所の猫友達は共に涙してくれて、手紙やちょっとしたプレゼントを届けてくれたりしました。

「あの子は本当に可愛かったよね…」と思い出話をしてくれたのも助けになりました。

共に泣き、悲しみを共有してくれる仲間を見つけることが大きな支えになると実感しました。

もし近所に猫友達がいないと言う方ならSNSなどで猫好きな方と思いを共有されたらいいかもしれません。

1人で悲しむのもたいせつですが、誰かに慰めてもらうのもペットロスを解消していく大きな助けになると思います。

居候猫から飼い猫へ、楽しかった日々と別れ

初めまして。

ずっと猫嫌いでしたが、仕事で実家を離れている間に両親が野良猫を拾い、買い始めたのがきっかけで猫好きになりました。

実家は田舎で庭付きの家が多く、猫は外へ自由に出入可能な状態で飼っているうちも結構あります。

実家にいる間は犬を飼っていたこともあり、よく猫に向かって吠えていたので、自分自身も庭に不法侵入してくる動物といった感じで好きになれませんでした。

10年ほど前、帰省すると家の裏口に猫が待っていることがあり、母がこっそりご飯をあげているということでした。

野良猫なのでのみとかいるかもしれませんし、私はあまり触りませんでしたが、人見知りしない猫のようで両親によく懐いていました。

その猫が身ごもり、家の裏で子猫を育て始めたのがきっかけで、ただご飯をあげるだけでなく飼おうということになって病院で予防接種したり、去勢や避妊手術などをしてその後長らく両親に愛されて暮らしています。

いざ買い始めてみると、やはり可愛いもので、特に子猫の可愛さは魔力でもあるかのようでした。

家族はすっかり猫にとりつかれてしまって(良い意味で)、私は変えるたびに猫と遊ぶことを楽しみにするようになりました。

両親にとっても猫のいる生活はいろいろな世話の手間が増えるものの、日常を楽しくしてくれるかけがえのない存在だったようです。

生まれた子猫のうち、子供の頃大怪我したことで一度家の中で飼っていた猫は特にお気に入りのようでした。

運動神経がよかったのか、その猫だけが裏口の網戸をうまくよじ登って家の中へ出入できます。

また、警戒心が強く怖がりなため、両親にしか懐かないということも両親の心をとらえたのでしょう。

正直猫のいる生活がここまで二人の生活を明るく変えてしまうとは思いませんでした。

父はDIYで猫用のタワーを作って見たり、趣味を広げることにもなったようです。

そんな幸せな時間が10年ほど続きましたが、散歩に出かけたお気に入りの猫が帰ってこない日がありました。

毎日出かけて必ずご飯を食べに帰ってきて、母に毛づくろいのブラシ掛けをしてもらって寝るのが日課になっていたので、不安に思った両親が探したところ、近所の人の情報で近くの道路で車に跳ねられて死んでいたのを見つけたそうです。

両親のショックは大きくしばらく眠ることもできなかったとか。

私自身も非常に落ち込みました。

そんな落ち込みの状況を救ってくれたのはやはり猫でした。

死んだ猫の兄弟の接し方が変わり、より人に懐くようになりました。

猫的には一番優遇されていた猫のポストが空いたのでそこに入ってきただけなのかもしれませんが、そうした変化が人を癒します。

死んでしまった猫は帰りませんが、また新しい猫との思い出とともに立ち直ることができたと思います。

猫の寿命を考えれば、いつかは人間より先に死んでしまうのは避けられないので、生きている間に精一杯可愛がってあげたいと思いました。

48歳、女性、あえて供養しないことでペットロスを回避

うさぎを3代飼ってきて、3羽目のうさぎも月に帰りました。

亡くなる1週間前から手厚く看取りのケアを続け、納得できるお別れができたものの、うさぎがうちに来てから亡くなるまで一緒にいる時間が長かったため、喪失感はとても大きかったです。

やはり、亡くなった日の夜は、生き物が動く音がしなくて、部屋が静かすぎて怖くて1人で寝られませんでしたし、しばらくは誰もいない家に帰宅したときに「帰ったよー」と言ったり、娘を間違えてうさぎの名前で呼んでしまったり、調子が狂いました。

ペットロスの悲しみが来たのは、亡くなってしばらくしてからです。

亡くなった直後は、介護から解放されたことで少しホッとしてそれほど辛くありませんでした。

しかし、うさぎが生きている時はスーパーに行く時でも毎回野菜を選ぶのが楽しみだったり、マンションのベランダでハーブや牧草栽培をしたり、そういった習慣があったので、スーパーに行ったりベランダに出た時に涙が出そうになることが増えました。

ペットを失った寂しさや悲しみというのは、本人にはとても辛いものでも、ほかの人は伝えてもあまり共感してもらえないものです。

言っても迷惑になるだけかなと思い、あまり悲しんでいる様子は周囲には見せず、日々淡々と自分の仕事をこなすことに専念しました。

また、あえて供養もしませんでした。

近年は、ペット供養も業者さんによっては人の葬儀と同じくらい豪華になってきていますが、私の場合は逆に「何もしない」ことが悲しみを和らげることにつながっていると思います。

亡くなったのはわかっているのですが、供養をすると亡くなったのを認める気がして寂しくなってしまうので「また帰ってくるかもしれないな」と思うことにして、ケージは完全に片づけず、いつもの居場所に置いて、あとは通常の生活を過ごしています。

ベランダの家庭菜園も、もしかしたら「お化け」になったうさぎが食べに来ているかもしれない、と思ってそのまま栽培を続けることにしました。

ハッカやタンポポ、オオバコなど、ちょっと私達人間のオカズになりにくい植物なので、処分しても良かったのですが、何もなくなった土を見るのも寂しいと思ったので…。

看取りは手厚く行いましたが、亡くなった後は供養にお金も手間もかけず、生前の通りの生活をしています。

そのことがかえって、死を意識させず、私にとっては精神安定剤となっています。

飼い主が悲しんでばかりいても、天国のペットも心配すると思います。

27歳、男性、愛情と時間が解決してくれる

私は、長崎県内にてフリーランスとして働いている者です。

私は長崎県に生まれ、小学3年生の頃から社会人になるまで実家で飼っていた犬がいます。

テリア系の雑種で、コロっとした小さな犬だったので、コロと名付けられました。

知人の家で数匹の子犬が産まれ、飼い主を募集していたため、我が家で引き取ったのがコロでした。

コロとは小学生の頃から一緒に遊んだ利して、家族の中でもよく可愛がられました。

特に大きな病気になることもなく、私が社会人になっても元気にしていました。

しかし、ある時私がコロを散歩していると、コロがよく段差につまづいたり、排水溝の金網に足を踏み外したりしていることに気づきました。

それから約半年程経過すると、コロの目は緑色に変色し、目は見えなくなっていました。

生きているものはみな、平等に死を迎えることになりますが、私はコロが死ぬという現実を受け入れられずにいました。

コロがいない実家での暮らしを想像していると、とても憂鬱な気分になり、食事も喉を通りにくくなりました。

その年の冬に、コロは歩けなくなり、間も無く生き絶えてしまいました。

私は悲しみのあまり涙を流し、コロを庭に埋めてあげました。

犬といえど、やはり家族であったため、失ったショックはとても大きかったです。

しかし、いつまでもクヨクヨしていては、死んでいったコロに顔向けできないと思い、前向きになるように自分に言い聞かせながら生活をしました。

私は、コロを家族のように愛し、接してきたので、コロとの出会い、生活、別れの中で後悔は全くなかったことに、そこで気づきました。

今では、愛犬コロと過ごした日々は、とてもいい思い出です。

これからペットを飼おうとしている方が、数多くいらっしゃると思いますが、ペットといえど、人間と同じ家族です。

人間と同じように別れの日はやってきますし、別れることはとても辛いでしょう。

ですが、必ず時間が解決してくれます。

ペットとの時間を大切にし、愛情を持って接すれば、必ずいい思い出として振り返れる日が来るでしょう。

38歳男性 ペットロスを解消したのは時間とマルとの思い出でした

皆様初めまして私は都内在住の男性です、私が以前飼っていたペットが亡くなり落ち込みペットロスになりペットロスを解消するまでのお話しをさせて頂きたいと思います、宜しければ最後までお付き合い下さい、では。

私は以前ペットとして猫を飼っていました名前はマルといいます、何故マルという名前にしたかというと単に太っていて丸かったからです、マルとの初めての出会いは自宅近くの路上でした、段ボールが道端の端に置かれていて中からニャ~!ニャ~!と鳴き声がしていたので私が覗き込むとまだ子猫だったマルが震えながら鳴いていました。

段ボールの中には手紙が入っており読むとこの子猫をどなたか引き取って育てて下さい‥とだけ書かれていました、私は無責任だなと思いつつもこの子猫を捨てた方も何かしらやむを得ない事情があったんだろうと思い私は震えながら鳴いているマルを抱えて自宅に連れて行きました。

マルは捨てられる前まではちゃんとご飯は与えてもらっていたのでしょう、まん丸とした太った身体でした、私はマルに牛乳を与えてみるとガツガツと飲み出しその姿を見て安心した事を今でも覚えています、数日後一応私はマルを動物病院へと連れて行き体調や病気等の検査を受けさせました。

一通りの検査の結果は数日後に出たのですが何の問題も無く健康という事でした、そしてようやく本当にひと安心して私とマルの生活がスタートしました、私は日中仕事で自宅にいませんのでマルはその間自宅で留守番なのですが、まぁ‥大変でした‥夜に仕事を終えて帰宅すると部屋の中の物は棚から落ちてるわ‥壁紙は爪で引っ掻いた跡があるわで‥本当に困りました。

しかし年月が経ちマルも年齢を重ねていき徐々に落ち着きが出始めて、大変なイタズラはせず、トイレもちゃんと指定の場所で出来るようになりました、この時からは本当に手が掛からずマルの成長がとても嬉しかったです、そんなこんなでマルと出会った日から早いもので13年という月日が経ちマルは老衰で天国へと旅立ちました‥。

マルの最後は自宅で眠るように息を引き取りました‥その後マルのお葬式を済ませてまた1人の生活に戻りました‥しかし自宅で1人でいるとマルの残像が私の中には残っており突然寂しくなり泣いてしまったりしていました‥そんな生活が数ヶ月続きました、いわゆるペットロスというやつです。

私がマルを失った事で陥ったペットロスから立ち直ったキッカケは‥時間とマルの写真でした、やはり辛い事も時が解決してくれるというのは本当ですね‥私は時が経つにつれて部屋に飾ってあるマルの写真を見てはおはよう!とか元気か?とかおやすみ!等の言葉をかけていました、すると自分でも分かりませんがいつまでも悲しんでたらマルも悲しむかな‥と思ってきたのです。

それからは私は早いスピードで落ち込んでいた心が回復していき、以前の元気な自分へと完全に回復しました、最後になりますが私同様に大切なペットを亡くされペットロスで現在苦しんでいる方は変に頑張らずにゆっくり心を休ませて下さい、必ず時間が解決してくれますからね!、以上で私がペットロスから立ち直ったお話しをさせて頂きました、最後までお付き合い下さいましてありがとうございました、それでは。

22才女 趣味や仕事に打ち込むことでペットロス解消

群馬県桐生市22歳学生です。

2年前1月6日に愛犬のゴールデンレトリバーのアレックスが突然死にました。

ゴールデンレトリバーは比較的寿命が長いと言われていますがわずか5歳でした。

家に帰るとちゃんと玄関まで迎えにきてくれる優しい子でした。

家族みんなで可愛がり大切な存在でした。

アレックスはもともと皮膚が弱く、亡くなる1ヶ月ほど前から耳のあたりをよく引っ掻いていたため塗り薬で治療をしていたのですが、なかなか良くならなかったため再度獣医にかかると手術が必要だと言われました。

そこまで悪いのかな?と思いましたが、悪化したら怖いなと思い承諾しました。

手術当日も「今から病院に行くからね」と言うと、少し嫌そうな顔をして私も心苦しかったですが、これで治るならと自分に言い聞かせて病院に向かいました。

全身麻酔をしてゆっくりと目を閉じていくアレックスをみて、なんだか悲しくなりましたし、まさかこれで最後だなんて夢にも思いませんでした。

手術は朝からでしたが夕方ころ獣医から連絡があり、アレックスの容体が急変したからすぐに病院にきて欲しいを連絡があり、私はすぐに向かいましたが、すでに心臓が止まり亡くなっていました。

今でアレックスとの思い出がよみがえり、ふと泣いてしまうときがあります。

もちろんお葬式もあげて区切りをつけて前に進まないといけないことはわかっています。

けれど無理なんです、どうしても無理なんです。

こんなに私の中で大きな大切な存在になっていたことに、アレックスが亡くなって初めて気付いたんです。

私が元気ないときは黙って足元にいてくれました。

寒くて眠れないときは一緒にベッドのなかにいてくれました。

誰にでも優しく決して吠えることのなかったアレックス。

こんなに優しい子がどうして、、もっと冷静になって手術なんて簡単に承諾しないほうが良かったんじゃないかと自分を責めてしまいます。

いま大切なペットがいる方、自分の大切な家族に何かあったらすぐに病院に行くと思いますが、ひとまず冷静になって自分で日頃からペットの病気についてしっかりと調べておいた方が良いです。

一緒に過ごす時間が長いのは他でもない自分自身です。

今もアレックスのことは思い出しますが、自分で趣味をもったり友人と一緒に旅行に行ったり、仕事に打ち込んだりと徐々にペットロスは解消されつつあります。

同じペットを亡くした方の参考になればと思います。

28歳女 老犬になって気づいた愛犬の大切さ

去年の夏、愛犬が旅立ちました。

その愛犬とは小学生のときに出会い、親に頼み込んで迎え入れました。

ずっとワンちゃんを飼いたかった私はとても嬉しくて、迎えてからいつも散歩やご飯をあげるなどをしていたと思います。

でも、中学生になると、部活なども始まり愛犬の世話などはほとんど親に任せっきりになってしまいました。

大学進学を機に家を離れ、一人暮らしをするようになったのですが帰省するたびに嬉しそうに迎えてくれる愛犬の姿を見て、今まで以上に愛犬を愛するようになりました。

とはいえ、大学を卒業し実家に戻ってからも仕事などで世話をあまりすることはありませんでした。

だんだんと老犬になり、元気も食欲もなくなっていく愛犬の姿を見てようやく「世話ができる当たり前の状態がどれだけ素晴らしいことなのか」を意識しました。

それからというもの、できる限り世話をするようになりました。

あまり与えていなかったおやつや缶詰もあげるようにしました。

そして迎えた去年の夏。

とても暑い日でした。

外飼いだったので家の中に入れようとしたのですが親に反対され、外に出したまま外出して帰ると亡くなっていました。

今思えば怒られてでも家の中に入れるべきだったと、とても後悔しています。

朝は元気だったのに、帰ると動かない状況が理解できずただ泣くことしかできませんでした。

愛犬が亡くなって一年が経ちましたが、思い出さない日はありません。

ただ、気持ちは少し変わりました。

今は「心の中に愛犬は生きている」と思っています。

そう思うことで悲しさは和らぎましたし、実際心の中で生きていると思います。

今、ワンちゃんを飼っている方、これから飼おうと思われている方、ワンちゃんの一生はあっという間です。

一日一日を大切に、ワンちゃんの世話をしてほしいです。

そして、夏の暑さはワンちゃんにとっても大敵です。

動物だから大丈夫ではなく、熱中症にならないように工夫をしてあげてください。

また、悲しいですがいつ亡くなるか分からないので、慌てないように火葬場を調べておくことをおすすめします。

27歳女ペットの死に向き合い出会いに感謝する

バロンとの出会いは私が中学生の頃でした。

夏休みも終わりの頃、宿題を終えることに必死だったた私は一日中机に向かう日が続いていました。

宿題以外にも塾や他の習い事に充てる時間が多かったため睡眠や食事も満足にとれず、その期間は常に身体が重く気分も落ち込んでいました。

そんな日々の中、ある日外に出かけていた母から私の携帯に一本の着信がありました。

当時は反抗期真っ只中だったこともあり母からの電話は無視することも多々あったのですが、そのときはなぜか素直に電話に出ている自分がいたことを覚えています。

電話に出てみると、「すごいかわいい子がいるの!今すぐ来て!」と興奮した様子の母の大きな声が耳元で鳴り響きました。

あまりの音量の大きさに思わず電話を耳から遠ざけてしまったほどです。

母の言っていることの訳がわからなかったため私は「何のこと?」と問いました。

内容は、ペットショップにとてもかわいい子猫がいる。

とのことでした。

また、販売されている猫ではなく、引き取り手を探しているような形であるということもその時に聞きました。

電話口の母に「来るよね?」と再び強く言われた私は、まだ終わっていない宿題を放り出して指定されたペットショップに行くことになりました。

数時間後、私の家では一匹の可愛い子猫が走り回っていました。

後にバロンと名付けられた子猫はどこにでもいるような見た目の持ち主で、他の人からすればお世辞にも可愛いとは言えない感じかもしれません。

ですが、出会った瞬間になぜか愛おしいという感情が私の心には溢れ返っていました。

この経験はいつまでも忘れられない私の大切な記憶です。

衝撃の出会いから十四年あまり、私達の家族はバロンと共に楽しい日々を過ごしました。

バロンが体調を崩してから息を引き取るまでの一ヶ月は私達家族にとってとても苦しく、けれど優しい時間であったように思います。

バロンは家族皆に優しく抱きしめられながら天国へと旅立ちました。

バロンの死後、心の中には大きな穴があいたようで、何をしていても虚しく感じる日々が続きました。

それは私以外の家族も同じだったようで、家の中はとても暗い雰囲気が漂っていました。

私は家にいることすら苦しくなってしまい、夜は家に帰らず朝まで外で飲み歩き、そのまま仕事場へ向かうというような生活。

この苦しさからどうやったら逃れられるのか、出口の見えない日々が続きました。

ある時、職場の同期に猫の話題を持ちかけられました。

またあの悲しみがよみがえってしまうことがおそろしく思え、できるだけ猫の話は避けたいと願い出ました。

同期は一瞬驚いた様子でしたが、すぐさま「つらかったね、気がきかなくてごめんね」と。

そして続けて「無理はしなくていいけど、よければバロンちゃんの話を聞かせてほしい」と言ってくれました。

ひと通りバロンの思い出話をした後、私はあることを思ったのです。

今までバロンについて考えることを避けてばかりいて、バロンの死に向き合おうとしてこなかった自分の今の態度は、最後の瞬間まで懸命に生きたバロンにまったく敬意を払えていないのでは、と。

生き物である以上、死を迎えることは当然のこと。

ましてや、人間よりも寿命が限られている生き物を家族として受け入れたということは、その家族の最後を見届ける責任も同時に受け入れたということ。

バロンが死んでしまった今、バロンと共に過ごした楽しい日々を思い、涙し、感謝することがバロンが生きた証であり、何よりの弔いであるのでは、と。

心の中で「ごめんね」とバロンに伝えずにはいられませんでした。

その後は家族との会話の中でバロンの話をすることも増えました。

勿論今もバロンのことを思い出すと「会いたい」という感情が込み上げてきて涙してしまうことも多くあります。

ですが、そこには虚しい気持ちは無く、ただただバロンへの感謝の気持ちが溢れるばかりです。

私達家族の一員となってくれて、ありがとう。

いつかまた、会える日まで。