ペットロスを克服した体験談

2024年1月14日

pixabayより
インターネット経由で募集(2019年7月~同年9月まで)したペットロスを克服した151人の体験談から、どのような行動がペットロスを解消させたのか計測し分類しました。

どのような行動がペットロスを解消させたのか結果(%は四捨五入)
23% (35人) 新しい仔を飼った。
9% (14人) 時間が回復させてくれた。
7% (11人) お葬式や埋葬・供養などをした。
4% (7人) 動画や写真を見た。
3% (6人) 妊娠や出産
3% (6人) 残ったペットが。
3% (6人) 家族や友人と話したことがきっかけ。
3% (5人) ぬいぐるみやフェルト人形
2% (4人) 虹の橋を読んだ。
2% (4人) 仕事に打ち込む。
2% (3人) 植木や観葉植物を育てた。
2% (2人) 夢に出てきた。
2% (2人) 保護犬保護猫カフェや猫カフェなどに行った。
2% (2人) 新しい彼女ができた。
31% (47人) その他

一般的によく言われる新しい仔を飼うという方法で回復したかたは23%と、もっとも多いものの、全体の4分の1程度しかなく、意外と少ないという印象でした。

今回の調査結果により、ペットロスを解消するための方法が非常に多岐にわたるということがわかりました。

ペットロスの解消には画一的な方法ではなく、その人にあった方法を模索するほうがいいということでしょう。

ただほかの人で効果があったものは、少なからず効果がある可能性もあるので、やりやすいところから、少しずつ取り組んでいくことが望ましいのではないかと思われます。

続いては実際の体験談です。

28歳女性 スマホで撮影した画像をみた

はじめまして、専業主婦をしている女性です。

私は結婚を機会に、実家を離れることとなり、ペットと別れなくてはならなくなりました。

実家は動物が大好きで、犬や鳥、ハムスターに金魚、ハリネズミなど様々なペットを飼ってました。

みんな大好きなのですが、今回はその中で、ハリネズミとの別れの話をさせていただきます。

出会いは一昨年の秋のことです。

近所のペットショップにメスのハリネズミがいたんです。

当時、ハリネズミブームだった私と母は、近所にハリネズミがいるのは珍しいと思い購入することにきめました。

性格はおとなしく、人懐っこいいい子でした。

家にお迎えした後も特に病気にもならず、とても健康な子で手が掛からなかった印象です。

そんな彼女は、お風呂のあとが特に苦手でよくタオルを噛んで離さないなんて事も…しばらくして、私の結婚が今年決まり、実家を離れることになったので、彼女を連れて行くか凄く悩みました。

結果、今の家ではハリネズミを診てくれる病院もないということで、実家においていくことに決めました。

お別れ当時から、最近まで彼女が気になってなりません。

ペットロスはハリネズミだけでなく、愛犬たちもいたのでそっちのことも…。

動物系のテレビ番組を見ていると「どうしてるかな…?」と思ってしまいます。

実家においていったことについて、後悔はありますが、家族が見ていることに安心してます。

スマホで撮影した画像を見て、寂しさを紛らわしたりするのですが一時的でむしろ逆効果かな…と。

とはいっても、SNSでハリネズミの写真を見てたりもしてました。

とっても癒されました。

自分自身の生活ももちろん大切ですが、私と同じく結婚や就職などで実家を離れなくてはならなくなった時は、無理に連れて行くことはないと思います。

病院もそうですし、新しい環境になれず、体調を悪くしてしまえば、もともこもないと思うので実家に甘えられるのであれば、預かってもらい定期的に帰る事をおすすめします。

あとは、動物が嫌いなわけででは無いので、ペットショップにむやみに立ち寄らないのも案のひとつです。

何故なら、お迎えしてしまいたくなりますからね。

ペットロス解消とは少し離れた話になってしまいましたが、私の経験談となります。

ロスって、意外と解消出来にくい問題ですね。

無理することはないですし、生きているならば会いに行けたら会いに行けばいいのです。

こんな話をしている内に、また実家のハリネズミに会いたくなりました。

27歳女 羊毛フェルト犬が救うペットロス


私は現在、27歳になる女性です。

私が物心がついたころには家に5匹ほどの犬を飼っていました。

その犬たちは保護犬や近所で育てられないかということで家にきた犬たちでした。

特にシーズー犬が多くそれぞれの個性があり犬がいない生活は考えていませんでした。

そして私が小学生になるころには5匹の犬たちは老犬となり寿命がきて旅立っていきました。

その後、犬のいない生活が何ヵ月かありましたがその状況に私の母が耐えられなくなりブリーダーからシーズーの子犬を譲ってもらい飼い始めました。

私はそのころ小学校高学年で久しぶりの犬、しかも子犬ということでとても可愛がりました。

ですがその犬が老犬になったころ祖父母の家に犬を預け父、母、妹と私の4人は父の仕事の都合で東京へ引っ越すこととなりました。

それまで犬たちと暮らした家は田舎だったのでいつでも犬を家族にできましたが東京のマンションはペット禁止で一切犬に関わることがなくなりました。

散歩をしている犬をみると本当にうらやましく、お金を払ってでも触らせてもらいたいと思うようになりました。

そんなとき、ありがたいことに犬に触れさせてくれた方に出会いました。

触れたとたん犬に対する思いがより強くなり絶対にまた一緒に暮らしたいと思うようになりました。

それから東京で犬と暮らすにはどうすればいいのかということをたくさん調べました。

ですが調べれば調べるほど今の現状では到底無理ということが分かり、そのまま過ごしているうちに犬と離れて20年以上たち、犬を見るだけで涙が出るようになりました。

そんな中で一人暮らしをはじめ自分だけで精一杯な中でも犬の存在は大きくなんで私は犬と暮らせないんだろうと思う毎日でした。

そしてある日、犬のことを調べていると羊毛フェルトでできた犬の画像を見つけました。

モノづくりが好きだったというのもあり犬を作ってみることにしました。

最初は小さくてキャラクターみたいな犬になりましたが作り続けていくうちに本物に近くなり始めました。

そして私の心にも変化が起き、たくさんの羊毛フェルトで作られた犬を見ているうちに寂しさがまぎれる感覚がありました。

今ではペットロスで悩んでいる方からの要望でその方の犬を作り渡すことで満足感があり自分自身のペットロスを解消しています。

30歳女 夢の中に現れたペットから感謝のイメージを受けて前に進んだ


これは今から20年以上前、私が小学生の時に飼ったハムスターの話です。

当時はハムスターがとても流行っていて、クラスにも必ず数人はハムスターを飼っている子がいました。

動物が大好きだけれども、動物アレルギーだった私は本当にうらやましく思っていました。

そのうち、「ハムスターなら小さいからアレルギーも出ないはず!お願い!」と親に懇願して、絶対に自分が世話をするからと約束して、なんとか許可がおりました。

ペットショップで、ひときわ色白で、目のパッチリした「彼」と出会いました。

悲しいことに、彼は生涯私になつくことはありませんでした。

素手で触ると噛みついてくるのです。

それでも彼はとびきり愛らしく、気高く、かけがえのない存在でした。

美味しいものを食べたときの「おいしい~」と目が細くなってニコニコとしている無邪気な姿が忘れません。

彼は平均寿命よりも長く生きて、眠るように亡くなりました。

老衰です。

けれども後悔がつきず、あの時もっとお掃除をしていたら。

もっと栄養のある食事をあげていたら・・・色々な思いがかけめぐります。

私がいけなかったんだ、と自分を責めました。

その夜から、彼のことを思い出しては、涙が出るようになりました。

会いたくても、もう会えない。

ごめんね、と謝りたくても、もういない。

たかがハムスターで・・・と笑う人もいるかもしれませんが、本当に大切な存在でした。

定期的にハムスターの夢を見るようになりました。

なんと、20年たった今でも定期的に見ます。

内容はいつも同じもので、決まってハムスターの世話を忘れている夢です。

「いけない!ハムスターを飼っていたんだ!掃除と餌やりをしなきゃ」そう言って焦っている夢です。

夢から覚めて、もうとうの昔に彼はいなくなったんだ、そう気づくとまた涙があふれます。

でもこの夢を何度も見るうちに、彼が「ありがとう」と言っている気がして、少しずつ浄化されていくような感覚がありました。

今はこの経験を活かし、動物の命の大切さを伝えていこうと思えるようになりました。

今も辛い思いはありますが、そういった気づきを与えてくれた彼に感謝をしています。

34歳 女性 中庭に巡る命を見てペットロスが解消


長く飼っていた犬を無くした時の話になります。

15歳で病気で亡くなってしまったのですが、年齢もそれなりだったので、大きな後悔はしていません。

ただ、今も鮮明にその犬の姿を思い出す事が出来ます。

最期の数年は、脳疾患のてんかんを患ったこともあり、真夜中でも発作を警戒してなければならず、寝不足と疲労が溜まっていました。

亡くなってしまった事で、看病をやり切った気持ちと、どうしたって埋められない存在感の穴が同時に私の中に生まれました。

寂しいけれど、ホッとしている。

そんな日々が続いて、静かで長いペットロスの期間が始まりました。

もっと出来ることがあったんじゃないかとか、一回でも多く遊べば良かったとか、いや、自分は頑張った、これ以上は無かったとか。

色んな事を考えました。

酷く落ち込むようなことは無かったけど、どこか寂しい部分はそのままで、それが薄れるまでには時間が必要という事も分かっていました。

二年が経った頃、その犬を飼っていた中庭に、猫の親子が現れました。

母猫と、生まれて数週間の仔猫です。

警戒心が強く、近づく事も出来ない二匹でした。

中庭に犬を飼っていた頃には、野良猫は寄り付かなかったので、その場所で猫を見るのは不思議な気分でした。

そして、ハッとしました。

この庭に、あの犬はもういないんだと。

その瞬間に、自分の中で区切りが付いたのをはっきりと覚えています。

それから、その庭でその母猫の育児が始まりました。

警戒していることは分かっていたので、普段は素知らぬふりで、気付かれないようにそっと窓から見守っていました。

その母猫は本当にしっかり仔猫のお世話をして、教育をしているのが分かりました。

家族も、みんな動物好きなので、このまま大きくなるまで見守っていようという温かい雰囲気でした。

仔猫もだいぶしっかりしてきたある日、もう一匹の痩せた三毛猫が現れました。

その猫は人間を警戒するのではなく、必死にこちらにアピールして、助けを求めていました。

そして、仔猫もそろそろ親離れをする時期になった時、母猫は姿を消しました。

三毛猫と仔猫はそのままうちで引き取りました。

それから母猫はたまに仔猫に会いに来ていましたが、完全な成猫になったのを見届けてからは、来ていません。

庭に集まる命が繋がって、ペットロスを癒してくれました。

46歳女性 愛猫との幸せな時間を思い出してペットロスが癒された


46歳女性です。

数年前に飼い猫を亡くした経験があります。

その猫は庭に遊びに来ていた野良猫が生んだ3匹の子猫のうちの1匹で、後日親猫と共に自宅で飼うことにしたオスの猫でした。

本当は完全な室内飼いにしたかったのですが、元が野良猫だったためか自分で窓を開けてしょっちゅう外に遊びに行ってしまう猫でした。

家で飼い始めてからすくすくと育っていって、2年経つ頃にはすっかり大人のオス猫と変わらないような体格になっていました。

そんなある日、とても元気な猫で病気や元気が無いといった気配は何もなかったのに、突然自宅のフローリングの上でぐったりと横たわってしまっていました。

家族もみんな驚いて急いで近所の動物病院に連れて行ったのですが、既に手遅れで亡くなってしまっていました。

獣医さんのお話によると、心臓が止まってしまい突然死したのだろうということでした。

こんなに急にいなくなってしまうとは家族の誰も思っていなかったので、ショックのあまりしばらくの間は泣いて過ごしていました。

火葬する際は花も一緒にお供えしました。

その猫がいなくなってからも、使っていた猫クッションを片付けることはできず、家の中で不思議と気配を感じてしまうことも多かったです。

また、やはり外に遊びに行かせていたために、気がつかないうちに小さな怪我や病気になってしまっていたのかもしれないと後悔もしました。

こんなに悲しい気持ちはきっとずっと消えないだろうと、その時は思っていました。

しかし何か月も経つうちに、不思議と悲しい気持ちは薄れていき、「あの猫はきっと猫の天国で幸せに暮らしているのだろう」という静かな気持ちに変化していきました。

亡くなった猫のことを悲しんでいるよりも、天国で幸せに暮らしている様子を想像する方が、亡くなった猫にとっても自分たちにとっても幸せだろうと思えるようになったのです。

何故このように思えるようになったのかといえば、猫が生きている間は家族みんなが幸せな経験ができたからなのだと思います。

いつまでも悲しんでいては、猫がくれた幸せな時間まで無駄になってしまう、そんな気がするのです。

今現在ペットロスで悲しんでいる方たちもいると思いますが、ペットと過ごした時間まで消えてしまうわけではありません。

無理に立ち直ろうと頑張りすぎる必要はないので、悲しい時は悲しんで、その合間にでもペットと過ごした幸せな時間を思い出してあげると供養にもなると思います。

43歳男 思い出の物は処分しましょう


普通のおじさんです。

小学校入学後すぐに父が友人からいただいた柴犬の赤ちゃんが我が家にやってきました。

しかし、会社員一年生の冬に我が家で育ててきた柴犬が天国へと出発したのです。

天国へ出発した日、仕事で、最後を看取る事ができなかった。

あの日、仕事を休んで最後まで一緒にいてやりたかった。

寂しくさせて出発したんじゃなかろうか?そばにいて欲しかったんじゃなかろうか?色々な事を思うと後悔ばかりでした。

我が家の玄関の脇にあった犬小屋を長らくそのままにしていたため、犬小屋を見るたびに胸が締めつけられ涙が出そうになりました。

そして、また戻って来るような想像をしてしまうのです。

柴犬が天国へ行って数ヶ月後。

犬小屋がボロボロになってきたので、玄関脇に置いておくとみっともないという事で、撤去解体する事になりました。

今後、犬を飼う予定がなかったので、犬小屋があった場所に花が咲く植物を植える事になりました。

種を植え、毎日の水やりをし、花が咲く頃には、毎日のように悲しんでいたのが知らず知らずのうちに柴犬を思い出して、悲しくならないようになりました。

それからです。

柴犬に使っていたものをすべて片付けよう。

処分しようと家族に相談しました。

はじめは、反対する家族がいましたが、やはり処分しようということになりました。

そして、すべてを処分した後、私以外にペットロスになっていた家族も回復しました。

大事に育てて、一緒に生活していたペットの物ですが、ペットが天国へ出発した後、視野に使っていた物があるとつい思い出して悲しくなったりします。

心苦しい思いがありましたが、思い切って全て処分して良かったなと思います。

思い出の物は処分して、心に大事にしまっておくのが、結果、家族全員にとても良かったなと思います。

今、思うのは、もっと早い時期に行動しておけば良かったと思います。

それも後悔の一つでした。

思い出の物を処分するのも、ペットロス解消する一つの行動ですね。

54歳 男性 結局、月日の経過が解決してくれるしかなかった


当年、五十も半ばに差し掛かる男性です。

ペットはその大・小にかかわらず愛情を注げば、注ぐほど、懐いてくれて、可愛いものです。

しかし、その分、いなくなってしまった時の喪失感、悲しみも計り知れません。

今からもう40年以上も前のことです。

まだ、小学校の高学年だった当時の話です。

公団住宅に住んでいるので、犬や猫を飼うことは入居時の規約で禁じられていました。

それでも、私は兄弟や姉妹がいない一人っ子だったのと、生来、動物が好きだったので自分で世話をするという約束で親に頼み込んで飼ったのが、文鳥でした。

どうせ飼うのなら懐いてくれる雛のうちから飼いたいと近所の小鳥店に出向きました。

運良く、丁度、繁殖の時期だったので桜文鳥、白文鳥も含めて雛が沢山、売られていました。

それまでは、文鳥と言えば桜文鳥という固定観念があったのですが、「白文鳥」という清楚な響きと珍しさに惹かれて、白文鳥を飼うことにしました。

多くの雛が口を開けてピヨピヨと鳴いている中に一際、元気がよく、目が合った(と自分が思っていただけなのかもしれませんが)雄の雛を見て「この子にします」と店の人に言って、餌と飼育に必要な道具一式を購入しました。

店の人から飼育上の注意点と「雛のうちの今は、背中が黒いけど大人になるにつれて徐々に消えていきますからね。

可愛がってあげて下さい」と教えてもらいました。

子供ながらに今日から小さいとは言え、一個の命を預かるという責任を感じたのを今も思い出します。

犬には「ポチ」猫には「タマ」と名付けるように、安直ですが、「鳥」なので「ピーちゃん」と名前を付けて、その日からピーちゃんとの生活が始まりました。

ピーちゃんは家族全員に懐いていましたが、餌をやる私には、親だと思っているのか特に懐いてくれて、私の歩く後を追ってくるので踏み潰してしまいそうになって危なく、掌にのせて歩いていたのを思い出します。

半年くらい過ぎたころには店の人が言ったように背中の黒い羽毛もすっかり、とれて大人の白文鳥になりました。

それを機会に鳥かごを購入して雛用の藁巣から引越しをしました。

最初のうちは、環境が変わったせいか、かなり動揺してかごの中でバタバタと暴れていたのですが、10日くらいで慣れてくれて私も一安心でした。

今、思うと、強引な引っ越しをさせてしまいピーちゃんには、可哀そうなことをしてしまったかもしれません。

当初の約束通り、鳥かごの清掃、餌や水の取替えは全て自分でやり、必ずその際には、言葉がわかなくても話しかけてやりました。

勿論、こんなことは、こちらの自己満足かもしれませんが、こういうことで互いの信頼関係は強まるようです。

実際、話しかけると目を見て聞いてくれていたように思い出します。

文鳥にもちゃんと心はあるようです。

それから大事にしていたことが、もう一つあります。

それは。

日に数回の放鳥、つまりかごから出して思いっきり飛ばしてあげることです。

人間でも、毎日、家の中にいたらストレスも溜まるので、それは文鳥も同じです。

最初のうちは、嬉しそうに家の中を飛び回っているのですが、30分~40分もすると疲れてしまうのか、飽きてしまうのか、私が机で勉強をしている傍にいろいろとイタズラをしてきます。

他愛もないことなので特に怒ることもしませんでしたが、集中しないといけないときは、手のひらに乗せておくか、肩にのせておきます。

最初は、耳たぶを甘噛みしたりして遊んでいますが、そのうちに眠ってしまいます。

放鳥している時に台所で水を出して両手の中に水をためて「お~い、ピーちゃん!」と呼ぶとパタ、パタと飛んできて気持ちよさそうに水浴びを楽しむことなどもよくありました。

夕飯時に放鳥すると私の傍にきて、飯椀のふちにとまり、一緒に米の飯をついばむほど懐いていました。

今、考えると衛生上良くないのですが、雛の時からずっと飼っていたせいか、そういうことは気にもしなかったです。

中でも忘れえぬ思い出は、モフモフです。

両手の中に乗せて私の鼻先でピーちゃんの背中を撫ぜることです。

適度なモフモフは、付き合ってくれますが、あまりしつこいと怒ります。

それでも、可愛いのでついついやってしまいます。

こんなに可愛いピーちゃんとの生活も徐々にお別れの日が近づいてきます。

文鳥の寿命は平均して、6年~7年くらいと言われています。

鳥も人間と同じで年齢を重ねると動作も鈍く羽の艶も何となく冴えなくなるようです。

それは、高校2年の冬の頃です。

その日も何時通り、登校前に餌と水を取替えたのですが、ピーちゃんは、何時にも増して動作が緩慢で元気がなく見えたので、得も言わぬ不安を抱えながらも登校しました。

その日は、授業が終わるとピーちゃんのことが心配で早々に帰宅の途につきました。

帰宅して直ぐに「ピーちゃん、ただいま。

大丈夫かい?」と不安げに話かける私にピーちゃんは、何時もと変わらずに喜んでかごの柵の飛びつき私の帰宅を喜んでくれました。

「朝の元気がないのは、杞憂に過ぎなかったのか」と私は胸をなでおろしました。

手を洗って早速、ピーちゃんを放鳥してあげました。

年をとってからは、若いころのように派手に飛び回ることもなく直ぐに私の肩に止まったので手の上に乗せて「朝は、心配したよ」と話かけて背中を優しく撫でました。

ピヨ、ピヨと鳴いて、指先を甘噛みしたりしていたのですが、疲れたのか、安心したのか、ピーちゃんはそのまま、眠ってしまいました。

しかし、それから、5分くらい経過しても全く、動かなくなってしまい、「ピーちゃん!」と呼びかけても反応しません。

私は、動揺して、「お母さん、ピーちゃんが大変だよ!」と母を呼びました。

母も飛んできてピーちゃんも手の中に抱いてみましたが、「あっ…ピーちゃんは死んでいるよ!」絶句しました。

私は頭の中が真っ白になってしまいました。

さっき、まで自分の手の中で生きていたピーちゃんが死ぬなんて…信じられない!私は、震える手で母の手からピーちゃんを受け取ると「ピーちゃんのバカ、親よりも先に死ぬヤツがあるかっ!?」鳥の寿命はわかってはいましたが、動揺のせいか私はこんなわけのわからないことを口にしました。

それを見た母が、「ピーちゃんは、お前が帰って来るまで待っていてくれたのだろね。

そして お前の手の中で旅立って行きたかったのだと思うよ」といいました。

これを聞いて、私の目から涙が止めどもなく溢れてきました。

只の偶然だったのかもしれません。

しかし、もし、母が言うように私の帰りを待って旅立って行ったのだとしたら犬や猫よりも遥かに小さい生き物なのに飼い主への恩義を忘れずにいたのかと思うと胸が締め付けられるようです。

今、この文章を書いている時ですら、当時のことを思い出すと言いようのない悲しさと苦しさが、こみ上げてくるようです。

「ピーちゃん、ありがとうね、ピーちゃん、ありがとうね…」私は、何度もつぶやき、手の中の動かなくなったピーちゃんに最後のモフモフをしていました。

ピーちゃんの体はまだ温かく、「ピヨ」という愛嬌のある声で起きだしても不思議ではなかったです。

ピーちゃんを亡くしたダメージは大きく、主のいない鳥かごを見る度に言いようのない喪失感に駆られ、「もっと暖かい場所に移してやればよかったのか」「老衰だとしても動物病院に連れていけばよかったのか」色々な思いが頭を交錯していきます。

結局、立ち直るのには、1ヵ月ほども掛かってしまったように記憶しています。

月並みなことですが、ペットロスから立ち直るには、月日の経過が解決してくれる「日にち薬」しかないようでした。

もし、ピーちゃんにもう一度、会えたなら飼い主として、健康管理がいまひとつ行き届かなかったことを詫び、そして、自分が帰ってくるまで頑張って、待っていてくれたことに心からお礼を言いたいです。

もう直ぐ、ここの公団住宅も建替えになりますが、ピーちゃんは、家の前にある小さな花壇で今も眠っています。


25歳女、愛犬の死をどう捉えるかによって道は拓ける


初めまして!20代の会社員、女性です。

今は一人暮らしをしています。

私のペットロス体験が誰かの手助けになればと思い今回記事を書かせて頂きました。

その犬は私が物心付いて間も無く我が家にやってきた、メスのゴールデンレトリバーでした。

名前はアリスと言います。

若干4、5歳だった私が両親の友人の家で産まれたアリスを見て欲しいと懇願し、それから10年間生活を共にしました。

当時の日本は今のように室内で犬を飼う事があまりなかった為、アリスも大きくなってからは外の小屋で飼うようになりました。

外飼いになったのが原因なのか、飼い主である、私や家族に対しては忠誠心が強く従順でしたが、他人に対しては常に牙を剥くような犬でした(笑)きっと、家を守らなくてはいけないという正義感がアリスにはあったんだと思います。

そんなアリスとの思い出は数多くあります。

小学生の頃、同級生の男子に馬鹿にされ、アリスを見せつけてやろうとやっとの思いで公園に連れて行き、ですが連れて行ったは良いものの、同級生の野球ボールにアリスが反応して駆け出してしまい、私もリードを離すわけにもいかなく、そのままぶっ飛び、芝生に突っ込み顔面から引きずられたり(笑)そして数ヶ月に一回ぐらいのペースで夜中脱走してみたり、私が中学生になり体型を意識し始めてランニングに勤しんでいる時に気がつくと後ろにいて一緒にランニングしていたり(笑)私の幼少期からアリスは常に私の側にいてかけがえのない存在でした。

ですが必ず、人間より先に犬は死んでしまいます。

アリスにもその時がやって来ました。

私が中学2年生になった頃でした。

アリスは散歩に行くのもままならないような感じで常にフラフラと体調が悪そうなのです。

両親や祖父母は暑いせいでちょっと夏バテでも起こしているんだろと言い病院へは連れて行きませんでした。

そんな日から一週間ほど経った頃、私の親は飲食店を営んでいていつも帰宅する時間が23時ごろと遅かったのですが、その帰宅する時間が遅く、実家も田舎にあった為、私の両親は帰宅するといつもアリスをノーリードで自由に家の周りを走らせて散歩していました。

私もよく両親が帰って来たと分かると外に出て一緒にアリスと戯れて、散歩をしていました。

その日もそうでした。

外へ出ると、ここ一週間、具合の悪そうだったアリスが元気に駆け回っていたんです。

私はやっぱり夏バテだったんだと安心して駆け回っていたアリスの名前を呼びました。

アリスは私に気がつくと一目散に駆けよって来ました。

私はアリスを抱き締めながら昔はもっと大きく感じていたはずの体を撫でて、夏の電柱のライトに群がっている蛾をみて、アリス~見て~気持ち悪いね~と笑いながら話しかけました。

そんな夜を過ごした次の日は早朝から雷が轟き、雨がひっきりなしに降り続け、天気がとても悪かったのです。

祖母はアリスが雷を苦手なことを知っていたので、安全な地下室にアリスを入れてあげました。

そして朝ご飯の時間になり地下室にアリスのご飯を持って行くと、アリスはもう冷たくなっていました。

昨日の元気な姿はアリスが最後の力を振り絞って、私達に心配を掛けないようにとしていたんだと考えると涙が止まりませんでした。

なぜ気が付く事が出来なかったのか、もっと出来ることは沢山あったんじゃないか後悔してもしきれませんでした。

私のこの心の痛みは一生消えないと・・それなのに、数週間後に母親が犬の里親サイトで犬を保護しようと思うと言ってきたのです。

私の心はズタボロです。

新しい犬なんて要らない!!ですが私の意見など通るはずもなく・・成犬になってから飼い主に捨てられたという、メスの秋田犬が我が家にやってきました。

保護犬と秋田犬という和犬のクールさも兼ね備えていた犬だったので、もちろんすぐには懐きません。

可愛くない!!やっぱり、アリスの代わりになんかなれないんだ!!受け入れる事は容易ではありませんでした。

ですが次第に接して行くうちにこの犬の生い立ちなどを考えるとそうやすやすと嫌いにはなれなかったのです。

昔は雨が降ろうが、雪が降ろうが、犬は外!そのせいで些細な変化に気がつけづにいた事も事実です。

アリスに対してしてあげられなかった事をこの犬にしてあげよう、それがアリスに対する多少の報いになるのではないだろうか?その保護犬はアリスとは違い室内で飼うことになりました。

初めは愛想も何もない犬でしたが次第に心を開いて行き、私も気がつくとアリスに対するペットロスが無くなってきていました。

可愛がれば可愛がっただけ、大きなペットロスが生れる事は当然です。

ですが、その愛犬の死をこれから先どう捉えるかによって自然とペットロスは無くなっていくのだと思います。

20代女 妊娠をきっかけに、抜け出せたペットロス


現在会社員で事務をしている、20代、女です。

大切なペットである、Aを亡くし、ペットロスに陥りました。

ペットを飼おうと思ったきっかけは、元々先に同じ種類のペットBを飼っていたのですが、そのペットとつがいになればと思い、飼い始めました。

なので、どちらかというと、はじめに飼っていたペットBのほうに愛情は傾いていたのですが、賢く、また、整った顔立ちのAに、どんどん惹かれていきました。

そしてAは神経質でしたが、じっと、人の目を見て話を聞いてくれる、当時仕事に悩んでいた私の一番の心の支えとなりました。

しかし、Bとの折り合いが悪く、喧嘩になってしまい、Aは死んでしまいました。

Aがいなくなってしまったことが信じられなくて、Aを思い出すたびに泣き、仕事もままならない状態でした。

ほとんど毎日、Aの墓参りをし、ありえないことですが、Aが生き返っていないかと、期待をしてしまうほど、精神的に追い詰められていました。

どうしてAと喧嘩をしたのかと、私自身に不備があったことを棚に上げて、Bに当たってしまうこともありました。

一週間ほど経ち、少しだけ冷静になってきたころ、私は少しでもAに似たペットが飼いたい、と販売元のホームページを見ました。

心なしか、やはりAと似ているように思いました。

しかし、またBと喧嘩してしまったら、という懸念もあり、もう一匹飼うことは断念しました。

喧嘩はありましたが、元々AはBのことが大好きで、よく一緒にいました。

なのでペットは、Bだけを飼い、Aの分まで愛情を注ごうと決めました。

そして私は、Aが生まれ変わり、また私に会いに来てくれることを願い、妊活を始めました。

そして、生活基盤と体調を整え、また会いにきてほしいということを心の中でAに伝えること半年ほどで、妊娠し、Aが会いにきてくれたことを実感したことで、はじめてペットロスから立ち直れました。

これからは子どものことを、そして、Bのこと、家族のことを、大切にすることで、Aへ顔向けできる人間になりたいと思えました。

55歳女性 猫カフェと仕事にやりがいをみつけて乗り越えたペットロス


50代既婚女性です。

子どもがいない私たち夫婦にとって、愛猫はとても愛しい存在でした。

出会ったのは、近所の地域猫を世話する人が、捨てられていた子猫2匹を拾ったと言って、私の仕事先に見せに来た時です。

そのうちの一匹がうちの子になりました。

その時は、栄養失調でガリガリに痩せ、毛並みは悪く、片目は良く見えていないようでした。

あまり長生きしないかもと覚悟しましたが、大きな病気もなく19歳を迎えました。

19歳になる少し前に、目が完全に見えなくなりました。

家の壁にぶつかりながら歩いていることで、目が見えなくなったことに気づきました。

ぶつかって怪我をしそうな場所にはすべて緩衝材をあて、危険がないようにしました。

ケージに閉じ込めたりせず、できるだけ今まで通りの生活ができるように心がけました。

それでもやはり心配で、私たちは外出を控えるようになりました。

目が見えなくなって半年後、食欲がなくなりました。

そしてその1か月後、急に徘徊が始まりました。

ある日突然、家の中をひたすら歩き回り、壁に突きあたってもまだ進もうとするのです。

その日から、私と主人は交代で、夜もリビング(猫の主な居場所)に寝袋で寝て、何かあった時に備えることにしました。

体重がどんどん減るので、人間の食べ物でも食べたがる物は何でも与えました。

チーズ、魚肉ソーセージなどです。

それまでは、塩分の多い人間の食べ物は、欲しがっても与えないようにしていました。

病院が大嫌いな子で、病院に行くストレスでかえって寿命を縮めると思ったので、病院には連れて行きませんでした。

病院に連れて行かなかったことを後悔しないように、十分話し合った結果でした。

もう長くはないだろうと覚悟してからは、濃密な時間を過ごしました。

毎日たくさん抱っこして、たくさん撫でて、毎晩一緒に寝ました。

ツンデレで言えばツンな子で、あまり抱っこや一緒に寝ることが好きではなかったのですが、このころはずっと抱っこさせてくれたし、ずっと一緒に寝てくれました。

猫ってなんて優しいのでしょう。

私たちに思い出を作る機会を、覚悟を決めるための時間をくれたとしか思えません。

外出を極力控え、夜は1時間おきに様子を見るために起きました。

自分たちが後悔しないように、出来る限りのことをしたつもりですし、実際に後悔していません。

そういう状態で愛猫は2か月生きてくれました。

彼女が2か月生きてくれたおかげで、私たちが生かされたのです。

そして、二人で看取ることができました。

看取らせてくれたのです。

覚悟を決める時間を与えられ、後悔もなかったので、ペットロスにはならないと思っていました。

ところが1か月後、風邪をひいたのをきっかけに、体調が悪い日が続きました。

体調悪化の原因はわからず、これがペットロスなのだと理解しました。

ペットロスは新しいペットを飼うことで癒される、と言う人もいます。

でも50歳を超えた夫婦がこれから新しい猫を飼うということは、猫が20歳まで生きることを考えると躊躇してしまいます。

私たちは猫カフェに行くことにしました。

あまり商業的なところではなく、保護猫カフェで居心地の良い所を見つけることができました。

保護された猫ちゃんたちが新しい家族をみつけられることを祈りながら、遊ばせてもらえます。

愛猫を亡くしてから2年が過ぎました。

今でも思い出せば悲しくなるし、名前を呼んでしまうこともあります。

でも猫カフェへ行くことと、仕事に新しいやりがいを見出すことができたので、なんとか乗り越えたかな、と思っています。

新しい子を迎えるのも一つの手段だと思いますが、それができない場合は(猫ちゃんを亡くされた場合は)猫カフェへ行くことで少しは癒されるかもしれません。

それと、何かやりがいのあることを見つけられればいいと思います。

ペットロス

Posted by 管理人