猫の火葬体験談
41歳男性 動物霊園で愛猫の葬儀を行い、気持ち良く送り出せた。
13年飼っていた愛猫のニャンが亡くなった2年前、我が家はペット葬儀をしました。
名前が示す通り、当初は飼うつもりはなく、引き取り手が見付かるまでの間、面倒をみるはずでした。
しかし、すぐに家族のハートの鷲掴みしたニャンは足掛け13年間、我が家の一員として、天寿を全うしました。
ネコとはいえ、ずっと一緒に過ごした家族です。
年齢的にも、ある程度の覚悟はしていましたが、家族全員は深い悲しみに暮れました。
そのまま、埋葬するのも可哀想だし、せめてお経の1つでも挙げてやろうと、いつもお世話になっているお寺に供養を頼みました。
しかし、宗派の方針でペットといった動物の供養はできないと断られてしまいました。
しかし、ペットの供養は動物霊園がやっているので、問い合わせてみてはどうかとアドバイスしてくれました。
すぐに私はネットで、近くの動物霊園を調べ、連絡をしてみました。
対応してくれた係りの方は、とても丁寧に落ち込んでいる私たちに寄り添うように対応してくれました。
葬儀の予約を入れ、私たちはニャンを連れて霊園まで出向きました。
ニャンを係りの人に託し、簡単な打合せが終わると、程なくして、葬儀が始まりました。
僧侶による読経が終わり、火葬してもらい、ニャンの遺骨を引き取りました。
葬儀は人間の葬儀と変わらない手順で行われ、家族の一員だったニャンを送り出すにふさわしい内容だったと思います。
費用に関しても、思っていたよりはお手頃でしたし、料金以上に、スタッフの対応が良く、私たちはとても満足することができました。
ペットを飼っていない人からは、
「ペットのお葬式をしたの?」
と、驚かれます。
客観的に考えれば、少しやり過ぎな気もしますが、長年一緒にいた家族が安らかに眠れるようにを送り出してやりたいという気持ちを表現する方法としては、とても良いものだと思いました。
私たちがお願いした動物霊園は、ペットとしてではなく、あくまでも家族の一員として、対応してくれたので、心置きなく、ニャンとの別れを悲しむことができました。
できればペットとの死別は避けたいものですが、死別の際は是非ともペット葬儀をお薦めしたいと思います。
32歳女 市の火葬場で焼却してもらい無事送り出せ、弔えました。
私は、田んぼや畑に囲まれた田舎に住んでいます。
毎年冬になると、家の車庫の2階では猫が冬を越しているようでした。
追い払うのも可哀そうなので、毎年静かに見守っていました。
春になる頃には自然と出て行き、冬になるとまた違う猫が来る。
そうして家の車庫は、猫たちに利用されていました。
ある暑い夏の日、フラフラと歩いている猫を見つけました。
家の2階で暮らしていた猫の内の1匹で、見覚えがありました。
餌も無くて、困っているように見えました。
私が夜に散歩に出ると、その猫と鉢合わせしました。
猫はぐったりとしていて寝ていました。
私は「家来るか?」「家おいで。」と話しかけました。猫は驚いて逃げて行きました。
その次の日くらい、本当に家に来たのです!
元々車庫で暮らしていたというのもあるけれど、今度は逃げないでジッとしていました。
私はお菓子をあげました。見ているうちは食べなかったけど、どうやら食べたみたいでした。
次の日から私を見つけては甘えて離れず、「にゃーにゃ―」言って付いてきました。
飼う事にしました。猫を飼うのは初めてでしたので、トイレの用意も分からなかったです。
外と家を自由に出入りできるようにしていました。
最初の内は車庫で飼っていました。ベッドを作ってあげて、ごはんもそこであげて。
でも、寒くなって来たので冬の内は家の中で飼っていました。
猫友達もいたみたいでよく他所の猫が家に尋ねて来たし、家の猫もどこかに出掛けている様でした。
でも、夜ご飯の時間には帰ってくるという生活を続けていました。
時々どこかの家に閉じ込められて1日帰ってこないという事があって、その時はとても心配で眠れなかった物です。「どこかで死んでるんじゃないか」と思って、泣きました。
心配なので私は完全室内外をしたかったのですが、母が外に出したがってダメでした。
「猫が外に出たがってる。」「かわいそう。」と言って、外に出していました。
心配していた事が起こってしまいました。
ある日の夕方、帰ってこないので探しに行きました。家の前の道路で轢かれていました。
私は泣きました。こんなに悲しいことがあったでしょうか。
次の日、市役所に電話をし火葬の予約をしました。
遺体を残しておくのはとても可愛そうで、すぐにでも弔ってやりたかったからです。
ペット用の焼却場で弔ってやりました。
49日過ぎた時、家の庭にお墓を作って埋葬しました。
名前と無くなった日を石に刻み、毎年命日には線香をあげています。
やっぱり、室内飼いにするべきでした。
40歳男 アメショ♀ ペット葬儀社 対応に感謝
アメショの女の子を飼っていました。
元嫁さんが一人でペットショップに行った際に気に入ったとの事で、後日私も連れていかれ、その後二人共気に入った為お持ち帰りに。
たった6年間という期間でしたが私たち2人と掛けがえのない時間を過ごしました。
ある日、具合が悪そうな状態が少し続いたので動物病院へ。 「腎不全」という病気で、余命半年と診断されました。
その後半年と少し病院に通いながら闘病生活を送り、静かに息を引き取りました。
亡くなった夜、薄暗い部屋に棺桶を置き「娘」の横でビールを飲みました。良く言う話ですが、まるで寝ているみたい。舌が少し出てちょっと間抜けな顔をしていましたが、数日前の「娘」の寝顔とそんなに変りなく見えました。
ペットの供養をしようとしたのは元嫁さんの要望から。
かわいがっていた猫の死への悲しみを受け止め、乗り越える為に、と私も賛成しました。
生前チョコモナカジャンボのモナカ部分が大好物だった「娘」。
最初気づいたのはたまたまでしたが、それ以来アイスを買うときはチョコモナカジャンボを選んで買うようになりました。
ペットの火葬をする時には、好きだった食べ物を一緒に入れてくれる、と言われたので棺に一緒にチョコモナカジャンボを入れて頂けました。火葬の後、ちゃんと火葬前に食べ物と一緒に並べている写真を撮って見せてくれました。
6年間溺愛した一人目の「娘」は数時間後に小さな骨壺に入って
帰ってきました。「骨になってもかわいいね」と小さく笑って元嫁さんがつぶやいていたのを覚えています。
私たちは既に離婚が決まっており、別の住居を探そうとしている時期でもあったので、友人からは「猫、空気を読んで死んだのかもね・・。」と言われました。
別れた嫁さんが骨壺を持って引っ越してしまったので、もう「娘」に会う事が出来なくなってしまったのが心残りです。
亡くなって半年以上経ちましたが、今もたまに生前にいっぱい撮った「娘」の写真をパソコンで眺めながら独り晩酌をしています。
30代実家の17歳の猫を神社で供養しました
私は30代の子持ちの女性です。高校生の時に、父親が会社の倉庫に紛れ込んでしまった子猫を連れて帰って来たのがきっかけで実家で飼っていた猫の話です。
昨年の2月、18歳になる目前で亡くなるまで、いつも当たり前のようにいてくれたかわいいかわいい猫でした。とても大人しい女の子で、目を合わせると声を出さずに鳴く子でした。
亡くなる1年近く前から胸に出来ていたしこりが大きくなり、中の膿が破裂してしまい病院へ行ったところ、高齢の為手術も難しいとの事でした。しこりをとってもまた出来て破裂して、を繰り返していく、と。しこりは膿んでしまい、強烈な臭いを発していました。私の母は、手作りの服を何着も作り、しこりを舐めたり床に触れてしまわないように着せていました。
元々小さい子でしたが、どんどん痩せていき、抱き上げるとギョッとするくらい軽くなっていきました。撫でると肋骨が露出していて、毛もツヤがなくカスカスでした。それでも、目が合えば声を出さずに鳴くのはいつも通りで、手を伸ばせば頭を擦り付けてくる、本当に可愛い子でした。最期は私の妹に見守られ、息を引き取りました。
早くに仕事から帰宅できた私は、妹と一緒に体を綺麗に拭き、小さな布団を掛け寝かせてあげました。一番面倒を見てくれていたのは母なので、母の帰宅を待ち、それからどうするか話あいました。以前知り合いからペット供養をしている神社の話を聞いた事があり、インターネットでそちらを調べ、電話で詳細を聞くことにしました。
電話を掛けると年配の女性が対応してくれました。まず、お悔やみを言ってくださり、とても優しく、丁寧に教えてくれました。他を調べることもせず、そちらでお願いをする事に決めました。供養の当日、車で行くと電話で対応してくれた女性が出てきてくれ、丁寧に案内をしてくれました。建物はまだ新しく、これまでに供養をしたワンちゃん猫ちゃんの写真や名前の入ったものが数多く置いてありました。小さなカゴにお花を添えて寝かせていたのですが、それを見て「こんなに綺麗にしてもらえて、とても幸せな猫ちゃんですね」と声を掛けてくれ、救われた気持ちになりました。
妹の子供たちも9歳と5歳ながらその場の雰囲気を感じ、真剣にお別れが出来ました。神社なので神式でのお葬儀をあげて頂きました。長年一緒にいた子とのお別れをきちんと出来たと思います。
亡くなった時には、離れたくない、いなくなってほしくない気持ちが大きく悲しさをどうにも出来ませんでしたが、そのお葬儀をしている最中にスッと気持ちが落ち着き、区切りが出来たのかなと思っています。お葬儀後他の子たちと合同での火葬でしたが、いつ火葬したのかの連絡もあり、最後まで細かい対応をしていただけたなと思います。
お骨は綺麗なお骨箱に入れて頂きました。子供たちもお別れをした事を受け止めてくれていて、「お参りに行かないの?」と言ってくれます。そこに行けばいつでもお参りが出来る、と思うと、失った悲しみは当然ありますが、お葬儀をして良かったな、と思います。実際、亡くなる前まではどうするか家族で悩みました。
ただ火葬して、お骨も持ち帰らない方が後々の事を考えるといいのか、と話していましたが、あんな風に丁寧に供養してもらえ、家族の私たちもしっかりお別れをする事が出来た事に感謝しています。
他のところと比べることもせず決めてしまいましたが、後悔はしていません。ただ、そこに電話する前にはインターネットで口コミを十分見ておいたのは大事だったかなと思います。口コミが良かったので決めた、というのはやっぱりあります。
63才男猫動物を供養するお寺単独で火葬して遺骨を持ち帰った
現在63歳の男です。結婚は52歳だったので、一人暮らしは長かった。彼女(猫)と会ったのは、45歳の時。
会社の事務の女性が、「お墓で猫拾ってきたけど、飼わない?」と言ってきた。普通に、猫飼わない?と言われたら、当時のアパートは動物を飼ってはいけないところだったので、断っていただろう。ただ、お墓で・・という言葉が引っ掛かった。今までたいして立派な生き方をしてこなかったので、今までの謝罪の意味も込めて、飼わなければいけないような気がした。
それで、いいよと返事をしてしまった。彼女が初めてアパートに来たのは、生まれて2ヶ月程の時だった。独り住まいが長かったこともあり、部屋の中で、自分の意志とは違う動きをする彼女は、不思議に思えた。一緒に寝たかったが、圧迫してはいけないと思い、ダンボールで寝床を作った。2年程経つと、意思疎通ができるようになる。
何を言っているかがわかるようになる。猫を飼っていいアパートに移ったり、健康診断をしたり、彼女のためにいいと思うことを優先した。6年程したある日、彼女は、血栓症になり、下半身が動かなくなった。病院の先生に言われた。
覚悟して下さい・・と。もうひとつの病院では、今まで手術をして助かった猫はいない・・とまで言われた。色々と調べ、血栓を溶かす薬を血管投与する方法を選んだ。1ヶ月程入院をしたが、その時営業の仕事をしていたので、時間をごまかしながら、毎日会いに行った。その費用も、ボーナスを前借して工面した。奇跡です・・と先生に言われた。彼女は右後ろ脚の足首を切断はしたものの、命は取り留めた。その後3年間、彼女は元気に私と暮らした。動物を飼ったことのある人は、判るだろう。
動物とはいえ、家族となんら変わらない。その当時、よく友人に語っていた。となりの親父が死んでも泣かないが、こいつが死んだら泣くよ・・と。単独で火葬をして、骨はしばらく転勤ごとに持ち運んだ。そして、お墓に埋葬した。彼女には、色々と教えてもらった気がする。その一番が、奇跡を見せてくれたこと。
奇跡は起こるんじゃない。起こすんだ・・と思っている根拠は、ここにある。猫に関わらず、動物を飼おうと思っている人がいるなら、こう伝えたい。人も動物も変わらない。
生き物に誠実に向き合うこと。それはきっと、自分を成長させてくれるはずだ。人と動物では、仏教では格差があるようだが、私には、そうは思えない。人なんかより、ずっと動物の方が偉く思える時もある。だから、人も動物も変わらないと考えている。後悔したこと・・もう20年も経ったから、薄れてきているけど、もっと沢山、何かをしてあげられたかな・・かな。けど、彼女に会えて、本当によかった。今も写真に向かって挨拶をしている。
ありがとう・・ってね。
27歳男性 動物霊園で悲しいけど少しほっとした
愛知県在住の男性です。
その猫と出会ったのは20年ほど前で実家で暮らしている時で、庭に度々訪れるようになった雌猫を母親がとても気に入り飼うことになりました。
当時母親は知っていたかわかりませんが、その雌猫はお腹に子供を宿しており、二ヶ月ほど経って4匹の子猫を出産しました。
猫の出産を目の当たりにするのは初めてで興奮したのを今でも覚えています。その猫は何故か私の部屋のクローゼットを出産場所に選んだので、ダンボール箱に毛布を引いて準備してやりました。出産が近づき不安なのか、甘えるような声をあげて母を呼び、母がしばらく側に付いていてやると落ち着いて大人しくなるというのを1日に何度も繰り返したそうです。
その後10年ほどたったある日、母は急性心不全で他界しました。
猫は母がいなくなった事に気付いていないのか、普段と変わり無い様子でした。
葬儀もひと段落したある日、猫のお腹にしこりがあることに気がつきました。
母親が他界した直後ということもあって家族は自分の事でバタバタとしており、特に気にも留めずに三ヶ月ほどすぎました。
お腹のしこりはどんどん大きくなりピンボール程の大きさになってしまい、慌てて獣医に連れて行きました。診断結果は乳腺癌でした。避妊手術をした雌猫がホルモンバランスの崩れから発症することが多い言われ、至急手術を勧められ手術をしました。当時獣医が言うには乳腺癌は乳腺に点在する腫瘍を刮ぎとるような方法で取り除くらしく、完全に除去することが難しいとのこと。
結局一度の手術で完全に除去できなかったのか、しこりが再発した為、2度目の手術をしましたが、やはり完治はしませんでした。最初に気づいたときに直ぐに獣医にかかっていれば、完治できたかも知れません。母親が他界したあと、残された私たちは自分のことで手一杯であまりかまってあげられなかったのが悔やまれます。
私は家族と相談して、家から車で20分くらいの場所にある動物霊苑で火葬することにしました。費用は確か2万円くらいだったと記憶しています。火葬した骨は共同墓地に納めるか骨壷にいれて持ち帰るか選択ができたので、私は骨壷に入れ持ち帰ることを選択しました。いつか母親の墓に一緒に納めてやりたいと思ったからです。
人間と動物を同じ墓に祀る事を変に思う人もいるかもしれませんが、母が可愛がっていた猫なので是非そうしたかったのです。持ち帰った骨壷は母の仏壇で保管し、49日のときに母の墓に納めました。
今でも猫を飼いたい気持ちはあるのですが、別れる時の悲しみを思うと、なかなか飼えないでいます。
36才 男 猫 みんなのペット葬儀 対応も良く満足です
私は東海地域に住んでいます。猫を飼っていました。名前はマリです。亡くなったおじいちゃんが命名してくれました。私とマリの出会いは14才の時で、兄が友達の家で生まれた子猫をもらってきたのがきっかけでした。
親の承諾もなしでもらってきた為、母は最初はちゃんと面倒見れるのかとブツブツ言っていましたが、優しい母だったので結局は飼えることとなりました。アメリカンショートの混じったミックス猫で全体がグレーの綺麗な毛並みの猫でした。かなり懐っこい性格の猫でしたが、一番懐いていたのが母でその次が私でした。
冬場になるといつも母か私の布団で寝ていたマリちゃんは本当に私にとって癒しの存在でした。大人になって20〜25才まで離れて暮らしていましたが、母がメールでマリの写真をよく送ってきてくれました。
母は写真を撮るのがあまり上手くなかったので微妙な表情の姿も多いですが、今となっては、いい思い出の写真です。26才で両親と共に引越しをして、私とマリを入れて4人で暮らすことになりました。マリは当時12才でとても良い子でしたので、新居の壁やソファなどを爪でいたずらする事がなく、ちゃんとホームセンターで買ってきた爪研ぎを使ってくれていました。
新居は車通りも多い所でしたが、危ないところを分かっているのか、ほとんど遠くへは行かず近場で遊んでいました。私が30才を過ぎた時マリの年齢は16才、猫の年齢としてはだいぶ高齢になってきた頃、若い頃に比べると毛並みがだいぶ悪くなり歳をとったんだなと感じました。相変わらず夜になると母か私の部屋にきて布団に入って寝るのが好きなマリでしたが、私が34才の時に母が持病で入退院を何度か繰り返し、35才の6月頃に入院した時にはお医者様から当分はもう家には帰れないとのことを告げられました。
マリも母が居ない家はどこか寂しそうに見えました。そこからはほぼ毎日私のベッドで一緒に寝るようになりました。母にお見舞いに行くと『マリは元気?』と聞かれ『食欲もあるし元気だよ』と答えると『マリちゃんはほんと長生きするねぇ。いつまで生きるのかねぇ』と言い、2人で笑っていた事がありました。母はその年の12月天国へと旅立ちました。
その後マリの容体が急に悪くなり、目があまり見えないのかフラフラと歩き、壁に頭をぶつけたり、高いところには登れなくなりました。ほんの1ヶ月でみるみる悪くなり、年が明けて1月末母の後を追うようにマリは天国へと旅立ちました。享年21歳でした。
猫としては長生きしたと思います。絶対にしっかりとした供養をしてあげたかったのでネットで調べた所、2万円かからずに葬儀をする事ができました。プランによっては1万円くらいでもできるそうで、そんなに高い金額ではないと思います。ペットといえども家族ですので皆さんもペット火葬、葬儀は利用してほしいと私は思っています。
36才女愛猫を近くの火葬場で供養、心はぽっかり穴が空いたよう
40代の専業主婦です。
長年飼っていた猫が亡くなったときのことです。
ずっと病弱でした。
年をとってからは、病弱なこともあったのでだんだんと調子も悪くなる一方でした。
病院で点滴などもしていましたが、私がたまたま家にいるときに亡くなりました。
最後看取ることが出来たのは良かったと思っています。
しかし、亡くなったことがすぐきは受け止められませんでした。
亡くなってから、近くの火葬場へ行きました。
動物などの火葬も行われているところがありました。
そこには、たくさんの動物のお墓もありました。
見ると御花や、線香もあげられていました。
とても綺麗なところだったので、少し安心しました。
病院嫌いなのにたくさん病院に連れて行っていました。
しょうがないとは、思っていましたが嫌いな病院に連れて行っていたことに後悔もありました。
病院に幾度に、シャーシャーふいて先生に威嚇していました。
しかし、最後の方は威嚇することもなくおとなしくなっていました。
威嚇もできないぐらいしんどかったんだと思います。
見ているのも辛かったです。
亡くなったときには、これからはゆっくり休んで欲しいと、話しました。
それでも、時々考えてしまいます。
もっと何かできたんじゃないか、やれることがあったのかもと。
何度も考えてしまいますが、何もおもいつきません。
亡くなってすぐの頃は、ぼーとすると言うか何か心に穴が空いたようなそんな感じでした。
習慣的に、ドアの明け閉めの確認をしたり、何処に居るのかとついつい探していました。
長年の習慣はすぐには変わらないものだなと思いました。
少しの間は、目で探していました。
そして、いなくなったんだなと改めて感じると言うのを繰り返していたように思います。
年数がたつに連れてそう言うことが減ってきましたが、思い出したり、考えたりすることはあります。
しかし、後悔と言うよりはこう言う楽しいことが合ったとか、こんなことしていたなどいい思い出になったように思います。
41歳女 愛猫をペット霊園で供養してもらい、前向きになれた
41歳会社員です。6~7年前の話ですが、長年家族のように暮らした猫を失いました。猫との出会いはまだ学生の頃、帰宅時に、近くの路上で瀕死の状態の子猫を見つけたことでした。犬か何かに襲われたのだと思われる咬み傷が首元にあり、必死で声を絞り出すように鳴いていました。まだ手のひらにおさまるくらい小さな猫でした。
すぐに動物病院へ連れていき、なんとか一命はとりとめましたが、片目の眼球に傷があり、視力が戻るのかどうかはわからないとのことでした。それでも猫は元気にすくすくと育ち、大人になるころには産まれたばかりの私の長女と同じくらいの大きさになっていました。以降は大きな病気もせず、私の二人の子供のお兄ちゃんのように、家族同然に暮らしてきました。
出会いから16年経った頃、突然食欲がなくなり、じっと寝ていることが多くなりました。心配していた矢先、普段は家からでないのですが、ドアをあけた瞬間とびだすように出て行き、縁の下に潜り込んで出てこなくなりました。「猫は死期が近づくと姿を消す」と誰かに聞いたことがあり、とても不安な気持ちになりました。
大好きな鰹節やキャットフードで気を引き、4~5時間経ちようやく出てきてくれましたが、それからは日に日に弱々しく、食欲もなく、寝ているだけの状態になりました。病院へ連れて行き、診察結果は老齢による腎不全をおこしており、もう長くはないとのことでした。もう少し早く健診に連れてきてあげていたら、と後悔しました。
それから数日後、母の膝の上で静かに「ニャー」と一度鳴いたあと、息をひきとりました。もう何日も鳴き声すらあげなかった最後の声に、出会った日の小さな姿がよみがえり、涙がとまりませんでした。その日は長女の誕生日の翌日でした。きっと、誕生日が悲しい思い出にならないように、そして長女を祝ってくれるために、がんばってくれたのだと思います。
翌日、近くで景色の綺麗なペット霊園を探し、供養してもらったあと火葬し、納骨しました。いつでも会いに来られるように、個別の納骨も考えましたが、寂しがり屋の性格だったため合同納骨を選びました。常にお参りする人の絶えない場所なので、そちらの方がよいと家族全員の意見で決めました。
家族を亡くすのと同じくらいの喪失感や悲しみですが、どのような形であっても、愛情があればきっと天国で見守ってくれるのだと感じます。供養という形で愛情を伝えられたことで、そのような前向きな考えも持てたのだと思います。
当時40代、男、猫を火葬して貰いお寺で供養しました。
都内在住持ち家でペルシャ猫を飼っていました。私と妻と長女(社会人)それに当時は妻の母が一緒に生活をしていました。私は62歳になります。4人と猫が一匹で主役はペルシャ猫でした、(ベル)と言います。特になついていたのは長女でお風呂に入ればドアの前で待ちます。寝る時も部屋の前で朝まで寝ている事が多く、何処に行ってもくっ付いて離れませんでした。妻はご飯を挙げたり下の世話をしたりしているので別格に見ていたのかも知れません。次が私で、呼ぶと近づいて来る程度で妻の母が格付けで言うと最下位だったと思います。
妻と娘が大手スーパーに買い物に行った時にベルとで在った様で一度は返って来て可愛い猫がいた事を話していましたが目と目が合って、連れて行ってと訴えている様な話をしていたのですが、私が仕事から帰ると小さな段ボールの中から小さなお目目が外を見ていました。一瞬で心を奪われてしまいました。よちよち歩きで何とも可愛い事、家の中がとても明るくなった気がしました。
平成の最初の頃で13年程一緒にいたと思います。もういる事が当たり前でベルも居場所が決まっていました。朝の居場所、昼の居場所、夜の居場所必ずいる場所が在り見ているだけでも癒しになっていました。
歳を取り多少体調を壊す事が増えて来て、何回か病院に行った事も在ります。最後の方は考えるだけでも可哀そうで見ているのが辛かったです。けなげに娘の部屋の前で倒れ込んで寝るのですが、段々酷くなって行くのが分かりました。病名は腎臓病で私が仕事に行くときに玄関まで来て横になってしまいました。それが私の見た最後です。仕事から帰るとソファの上にタオルを掛けて冷たくなっていたベルが居ました。(大泣きしました)
火葬場で火葬しましたが、ちゃんと礼服を着てお骨を拾い骨壺に入れました。49日まで家に祭壇を作りお供え物やお線香を挙げて供養していました。離れるのが嫌で1年程家にいたと思います。お寺の永代供養に入れてもらいお別れをしました.
参考