犬の火葬体験談

2024年1月14日

unsplashより

40才 主婦 2代目はまだ受け入れられません。

私と愛犬の出会いは本当に突然でした。
突然、父が犬を連れて帰ってきたからです。職場近くの駐車場で子犬が産まれた。保健所に連れていかれる予定だから、とのことでした。当時の私は高1で、小さい頃から犬を飼いたい飼いたいと願っていましたが頑なに両親は世話が出来ないからとなかなか首を縦に振ってはくれなかったので、あまりの突然に犬がいる生活は宝くじが当たったくらいに嬉しかったです。

動物嫌いの兄と世話をどうせ丸投げしてくるんでしょ、と警戒気味の母を説得する間もなく生後3か月ほどの子犬は我が家で愛嬌を振りまいていました。

今では珍しい黒や茶色のぶち模様の雑種犬。よく食べよく遊びよく眠る番犬ちゃん。外の犬小屋を嫌い、いつの間にかテーブルの下で毛布を丸めて居座るようになりました。

私が社会人になっても朝一の散歩は私が連れて行っていました。私が寝ぼけ眼で歩いていてもリードで彼女はいつも通りの散歩コースを歩いてくれました。そして私が結婚して実家を出る日。私だけの荷物を外へ運んでいると顔回りの白髪が増えた顔で私の周りをうろうろしていました。引っ越し先は犬を飼えません。

連れて行く事は出来ませんでした。実家を出てからは近距離でしたので何度も散歩に連れ出したりしていましたが、老いと共に彼女の身体は病気に侵されていきました。がんでした。お中には水がたまり、顔はぱんぱんに腫れあがっていました。獣医は安楽死を進めてきました。私と母は無知だったのかもしれません。反対しました。

家で看取ると。どんなに苦しくてもうちの中ではおしっこはしませんでした。外のいつもの場所まで我慢をしていたそうです。彼女が亡くなる前日、私は体調を崩していました。

結婚、出産、仕事とこなしていく中で疲労がたまっていたのでしょうか。回転性の眩暈で立つことも出来ず、立ち上がっては吐き、歩くことも出来ず、目をつぶっても目が回っていました。夜中、救急車に乗せられ運ばれました。翌日、入院した事を実家に電話すると彼女が息を引き取った事を聞かされました。今でも思います。

私は過労や疲労がたまっていたのではなく、彼女の苦しさ、辛さが私に飛んできたんじゃないのか。最後の最後に私は側にいてやらなかったのか。こんなに苦しい思いをするのなら・・・と他に方法があったじゃないか・・と。その後、病院からすぐに実家に帰り固くなっていた彼女を撫でました。あんなに腫れていた顔がすっきりして若い頃の顔立ちになっていたのはびっくりでした。

そのころには私の眩暈はおさまっていました。実家の父と母がペット霊園に連絡をとり、火葬、埋葬の手筈となりましたが、あの日から10数年。子供たちもそれぞれ犬が欲しい。猫が欲しい、と言っています。

お世話をする事は当たり前です。看取りの事を考えると新しい家族を迎えるのには躊躇してしまいます。私には私の人生があり、生活し生きています。ですが、彼女が我が家に来た。毎日のお散歩、ご飯、お風呂。話相手。遊び。そして最後の病気。我が家に来て幸せだったのかな。退屈じゃなかったのかな。最後にあんな苦しさを私に伝えようとしてくれたのに私は自分がしんどいってだけで倒れてて、不安だったよね。

痛かったよね。ごめんね。気づいてやれなくて。そう思うと子供たちが願う、愛玩動物としての迎え方にはまだ私は受け入れられないのが現状です。

30歳女:愛犬ボビーをペット霊園で供養してもらい前向きな気持ちに。

はじめまして。
子供の頃から動物が大好きで大人になるまで動物とともに暮らしてきました。
現在は雑種猫3匹と、トイプードルの犬1匹と家族で生活しています。

昔飼っていた、うちのボクサー犬ボビーについて話します。
もともと私は大型犬種が好きで、子供のから大型犬を飼いたい!という願望がありました。
私が中学生の頃出会ったのがボクサー犬のボビーです。
里親募集のサイトを見ていてそこに掲載されたボクサー犬に一目惚れ。
家族にこの子が欲しい!!とお願いし、同意を貰って我が家に連れてくることになりました。

見た目は大きくて筋肉質で顔もちょっぴり怖くて、近所の人にはよくビビられていました(笑)
でも本当は人が大好きで甘えん坊で食いしん坊なボビー。

ある時予防接種を受けに病院に行ったときに睾丸が片方しかない、とお医者様から言われました。
うろ覚えですが、片睾丸の子はあまり長生きしないよ!と。
それでも家族に迎えた可愛いボビーを大事に育ててきました。
一緒に遊んで、時には喧嘩したり、、、(笑)
本当に兄弟のような関係でした。

しかし8年位経ったある日突然ボビーの食が細くなり元気が無くなってぐったりとしていました。
すぐに病院に連れて行き色々検査をしてもらいました。
生きるか死ぬかもわからない状態でした。
入院してもっと細かい検査をしたりと選択肢はありましたが、
入院して家族と離れて辛い思いをするより、慣れ親しんだ場所で自然の流れに任せよう、と
私たちはボビーを連れて帰ることにしました。

この選択が正しかったのか間違ってたのか。
賛否両論あると思いますが、、、。
それでも私たちはそれで正しかったと思っています。

ボビーをお家に連れて帰った翌日にボビーは眠るようにして息を引き取りました。

そして実家の近くのペット霊園に連れていき火葬してもらう事になりました。

ここでは火葬して下さり、遺骨も持ち帰ることができました。
まだボビーがすぐそばに居るんだ!と感じられました。
その後は再びペット霊園に連れていき、共同墓地へ預ける事になりました。
他の動物たちといっしょにあの世で元気に仲良く暮らしてくださいという思いで。

きちんと霊園で供養できた事で、亡くなった事で不幸な気持ちになるよりも前向きな気持ちで送り出すことができました。

40歳女性愛犬をペット斎場で供養してもらい気持ちが少し楽に

もう20年くらい前になりますが、13年飼っていた愛犬が病気のため亡くなりました。子犬の時に父がもらってきた犬だったので朝晩の散歩などもほとんど父が面倒を見ていました。

旅行に行くときも家族と一緒でいろんな場所に連れて行きました。家の中で飼っていたので食事中、くつろいでいる時、お昼寝している時いつも一緒で愛犬のおかげで笑顔が絶えない楽しい毎日だったように思います。でも、亡くなる半年くらい前から病気になり治療も難しいようで、最後の方は腹水が溜まったり夜中に何度もトイレに連れて行くよう吠えたり面倒を見ている父も疲れていました。

そんな中ある日の朝方、突然体調が急変して両親が見守る中息を引き取りました。悲しみでいっぱいでしたが、せめてみんながいる時だったので安心して眠りについたと思います。もし一人で留守番している時に亡くなっていたらもっと辛かったかもしれません。その日の夕方、みんなでペット斎場に連れて行きました。

個人で火葬もしてくれますが、母が一人だと寂しいかもしれないからお友達と一緒がいいかもと提案して、合同火葬してもらいました。いつか天国でまた会おうねと声をかけお別れしました。

父はとてもショックを受けトイレで一人泣いている時もありました。でも、いつかは別れがくると覚悟していたのでいつまでもクヨクヨしてはいけないとみんなで頑張りました。

そこのペット斎場は毎月一回供養祭を開いてくださいました。各自ペットの写真をフォトフレームに入れて持参すると、祭壇に写真を飾ってくださるのですが、なんだか子供の授業参観を見に行く気持ちでうちの子はちゃんと見えるところに写真立ててあるかしら、お隣のワンちゃんの写真も可愛いねと話し、いろいろ思い出しながらお経をあげてもらっていました。

そこに集まる人はみんな同じ気持ちの人が集まっていたので少し辛い気持ちが楽になります。やはりこの辛い気持ちは時間が経つのを待つしかないかもしれません。もう今は供養祭に行ってあげてませんが、自宅の仏壇にお水をあげ、毎日手を合わせています。いつも天国から見守っていてくれている気がします。

28歳 女 紹介されたお寺にて供養 寂しくもある意いい経験になった

現在、20代後半です。主婦をしています。
愛犬の供養を経験したのは18歳くらいの頃だったと思います。
私の家はディズニーアニメのわんわん物語りのモデルの犬種であるアメリカン・コッカースパニエルを飼っていました。

うちにはオスとメスが居ましたが今回はオスの愛犬についてお話しようと思います。
彼は、私が小学1年生頃に我が家に迎えられました。
白い身体に茶色の模様、長い耳に短い尻尾がとても可愛かったです。

性格はやんちゃでしたが、そんなに手が掛かることもなかったのを覚えてます。
強いて言うなら、来客が来るたびに興奮して「お客さんが来た!!」と吠えて教えてくれること。
有難いはずなのに、たまに間違えちゃう事もあったので無駄吠えの躾はもう少しちゃんとすべきだったかな…。

そんな彼は、健康そのもので病気や怪我は若い時にしたことが無く、しばらくして中年になったくらいでしょうか私の祖母が入院した時にショックのあまり食欲不振になってしまったんです。

それからです、徐々にではありますが確実に聴覚や視覚にも影響が出て来たのは。
その頃には、10歳を超えていたのですっかり老犬です。

祖母が退院してきたその日はよほど嬉しかったんでしょう、家の中で一日付いて歩いてました。
しばらくして祖母も元気だしいつもの生活に安心したのか、彼はあるクリスマスの日に家族に見守られて天に昇りました。老衰です。苦しむことも無く眠る様にスッと旅立ったのでした。

初めての愛犬を自宅で亡くした悲しみは言葉では言い表せないものがありますが、私たち家族が困ったのは、葬儀や供養の仕方でした。
何もかも初めてなのに加えて、今現在程に愛犬に対するサービスも情報も無かった印象です。
当時我が家には、パソコンもなく情報を探す術は携帯のみ。

そんな時私の母は区役所や動物病院へ電話をしてペットの死後のケアやどんな施設があるのか調べていました。
結果、とある田舎のペット専用の火葬場を紹介してもらい予約を取ったんだと思います。

当日は火葬場の人に車で送迎していただいて、目的地まで…結構立派なところで愛犬専用の個人的なお墓をもってる飼い主さんなんかもいて、愛犬の顔が彫ってある墓石なんかもちらほら…。
我が家は、集合墓地にて供養させて頂きました。

少し前の話なので所々曖昧なところはありますが、当時からペットも人並みにしっかり火葬をし供養してくれてるのなら、今はもっと凄いんだろうな…充実してるんだろうなと振り返ってみて思います。

当時は子供だったということもあり、全て親がやってくれたので供養の仕方などについて後悔すること、アドバイス出来る事などは特にありませんが愛犬の終活は人間同様、徐々にしてもいいかもしれませんね。

26歳女 愛犬を出張葬儀サービスを利用し供養、気持ちを改めました。

私は今、実家を離れ1人で暮らしていますが、実家は犬1匹と猫5匹という、小さな猫カフェのような状態になっています。
今でこそ人間の数よりペットの数の方が多いですが、私が小さい頃は、1匹の犬しかいませんでした。ポメラニアンの雄で、名前をチャオと言います。

チャオは新聞の片隅に「里親募集!」という記事となって載っていました。たまたま新聞を見かけた祖母が押し切るような形で飼い主に連絡し、名前もそのままに我が家の家族として迎え入れました。まだ生後半年ほどだったチャオは元気いっぱいで、初めて対面した時もしっぽを振り回しながら飛びついてきたのを、今でも覚えています。

それから10年ほどしてからでしょうか。母が新たにポメラニアンを買ってきたのです。そこから祖母が猫を拾っていき、いつしか我が家にはおじいちゃん犬のチャオと、若いペットたち、という構図になっていきました。私を含め家族たちは、新しいペットに夢中になり、チャオはお散歩のときにだけ構ってあげるような扱いになってきてしまいました。だんだんと年をとり、走り回ることもなく、チャオはダイニングテーブルの横のゲージの中が定位置でした。1番家族が集う所にいながら、まるで空気のような存在になっていってしまったのです。

そんなある日、仕事が終わった私に祖母からLINEが来ました。「チャオが死んじゃった」と。私はその時、え?とまるで空気が止まってしまったような感覚でした。チャオって、何か病気だったっけ?そんな年だったっけ?今朝具合悪そうだったっけ?死んじゃったってどういうこと?と頭の中でぐるぐる考えました。

頭を混乱させたまま家に帰ると、そこにはクッションの上に横たわるチャオがいました。いつもゲージの中で眠っていたチャオ。クッションの上でもまだ、今までと変わらず眠っているようでした。信じられないままそっと触れてみると、もう冷たくなり、動くことはありませんでした。「ああ、ほんとうに死んでしまったんだ」と、ようやく実感することができました。

後から母も帰ってきて、供養してあげなきゃね、という話をしました。

チャオが我が家では初めてのペットだったので、供養の仕方もわからず、ネットで調べました。最も多かったのはペット霊園を利用するという方法でした。しかし、今までずっと一緒にいたチャオを一人ぼっちにさせたくないね、という思いから家族と話し合いをし、出張葬儀サービスを利用し、遺骨は自宅で保管することとしました。

ペット用の火葬設備のついたトラックを用意してもらい、お唱えから火葬、納骨までを全て自宅で行いました。ただでさえ小さかったチャオは、手のひらに収まるサイズになってしまいました。その遺骨を、チャオが大好きだった祖父の仏壇の隣に添えてから、誰ともともなく「遺影を用意しないと」と言いました。

家族みんな、一斉にスマホのデータフォルダを見ますが、データフォルダには新しい猫や犬の写真ばかりで、チャオの写真が1枚もありません。そこで私たちは自分たちの愛情に偏りがあったことに気づきました。いるのが当たり前すぎて、最期まで平等にチャオを愛してあげられなかったのです。ガラケーのデータフォルダをあさって、ようやく1枚だけ写真を見つけました。そこには、原っぱでこちらに向かって走ってくるチャオの姿が映されていました。

その写真を見て、私は涙がこみあげてきました。一緒にいることがとても楽しかったのに。小さいころから一緒に成長してきたのに。もうこちらに向かって走ってくることは永遠にないのです。私は遺骨に手を合わせて、たくさん「ごめんね」を言いました。そして、もう二度とこんな思いはしないと誓いました。

今、実家には犬1匹と、5匹の猫がいます。そこに差はありません。たまに実家に帰ると、全員の頭を撫でて回ります。みんなと写真を撮ります。今ある日常が、当たり前ではないということを、チャオが教えてくれました。

この文章を見ている、ペットを飼っている方がいたら、ぜひ、写真として、記憶だけではなく記録としてもそこにいたということを残してあげてください。どうか皆さんが、後悔することがありませんように。未だに、使い手のないゲージが片せない私と家族からの、願いです。

40歳女性、焼却場にあるペット火葬場で供養、悲しかった

この春、愛犬を亡くして1年になりました。1年が過ぎてもいまだに彼の姿を目で追ってしまいます。そこにはいないとわかっているのに、空っぽの犬小屋や使われなくなったリードを眺めたり、似たような犬のぬいぐるみを探してしまいます。

愛犬は超大型犬に属するちょっと珍しい犬種でした。彼がわが家にやってきたのは10年前。当時、家族にトラブルがあり、家の中の空気はどんよりしていました。そんなある日、母がペットを飼いたいと。賛同した家族みんなで犬を飼うことを決め、近所のペットショップに行きました。犬や猫、鳥、爬虫類。お店にはさまざまな動物がいましたが、母はじっと大きな柵の中を見つめて、その場で立ち止まっていました。

その柵の中には牛のような配色の犬が4匹、たわむれていました。子犬なのに小型犬の成犬ぐらいはありました。大きい体をどすどす音を立てて遊んでいるその犬たちに、母は魅了されてしまったようです。大型犬を飼うのは夢でした。正直、体力的にも金銭的にも難しいだろうと考えていたので、まさか実際に飼うことになるとは思いませんでした。

無邪気に遊んでいたきょうだい犬の中に一匹だけいたオスを、わが家に迎え入れることになりました。当日、段ボールに入れられた彼は、大きすぎて頭が飛び出していて、来て早々、家族の笑いを誘いました。それから彼との日々が始まりました。大型犬はおだやかで優しい犬種が多いと聞きましたが、本当にそうでした。

おおらかでおとなしく、賢い子でした。無駄吠えをしたり、暴れたりしたことは一度もありませんでした。わが家は田舎なので珍しい犬種の彼は目立つようで、大きい犬なので人がいない田んぼのあぜ道を散歩しているのに、近くを通りかかった犬好きの見知らぬ人が、わざわざ車を停車させてまで話しかけにきたりすることがよくありました。そんな様子を、家族みんなで笑いながら話したりしていました。彼が来て、家の中が明るくなりました。

なかでも母は、彼を溺愛しました。彼も母を自分のお母さんだとでも言うように振る舞っていました。

大型犬は寿命が短いと聞いていました。本当にそうでした。どれだけ手をかけても、命には限りがあるのだと、家族として彼を迎えて10年になる頃から、急激に弱り始めた彼を見て、実感させられました。動物病院の先生は愛犬家で、彼をとてもかわいがってくれましたが、診察台で先生にすり寄る彼の大きな身体をなでながら、しっかり覚悟をしておきなさいと言いました。暑さに弱い犬種だったため、年々高くなる夏の気温を心配してさまざまなアドバイスをくれた先生でも、もう彼を治せないんだな…と思うと絶望感が押し寄せてきました。

ある日に明け方、キャンキャンと高い声が聞こえたので、彼のもとに行ってみると、彼は息を引き取っていました。大型犬らしく低く渋い声でいつもは鳴くのに、小型犬のような高い声でした。覚悟は決めていたけれど、家族全員、大泣きしました。今でも彼の話をするときは、涙がこぼれてしまいます。

彼の亡骸をどうするか話し合い、自治体で運営されている廃棄物処理場の一角にあるペット火葬場に亡骸を運びました。平日の早朝にも関わらず、私たち家族のあとに、小さな箱を持った夫婦が並んでいました。火葬担当の職員は、彼の亡骸を見て不安そうな表情を浮かべ、大丈夫かな…と言いました。焼却機へと誘導され、自分たちでやってくださいと言われ、彼の亡骸を穴のような焼却スペースに入れるとき、大きな彼の身体はスペースギリギリで、あちこちに背中や手足がぶつかり、なかば押し込むような形になってしまい、それが余計、家族を悲しませました。手を合わせると、やっぱり涙があふれて止まりませんでした。

数日後、彼を溺愛していた母は、ぽつんと言いました。彼の最期を看取れたこと、介護させてもらえたことは、幸せなのだと。その時はピンと来なかったけれど、彼と別れて1年が過ぎた今は、母の言う通りだと思います。世の中には事故や事件といった思わぬ形や望まない不幸な別れがあります。もしも、わが家のようにペットを病気で亡くしてしまって、深い悲しみに暮れている人がいるのなら、彼らと最期までともにできたことを、幸せに思える日がきっと訪れることを、心の片隅にとどめておいてほしいと思います。
 

52歳。女性。一人暮らしで初めて飼った豆柴。個別火葬で

自営業の女性。52歳です。今現在は犬4匹、猫1匹、うさぎ1羽と暮らしてます。もともと父親が犬好きで、子供の頃かほぼとぎれず犬が家にいる生活でした。時代も昭和から平成、そして平成の終わりへと向かう頃の話です。

昔は動物は死期が近づくと、家族の元を去ってひっそり息をひきとると言われ、家から出て行ったまま帰らず・・という犬もいて
最期を見てあげられなかった後悔からもう飼うまい・・と思っていても、知り合いに犬が生まれ、貰い手が・・となったら、新しい仔犬が来ていました。

犬が生涯を過ごして亡くなった時、まだペット霊園などなかった頃は遺体を泣く泣く保健所に引き取ってもらい「他のワンコ達と一緒にお空で遊ぶんだよ」と祈って終わっていましたが、近年は、業者による火葬場が増えてきているものの、明らかに我が家のペットではない骨が返ってきた等の問題も多いと報道され、なぜそんな事が起こるの?と不思議でした。
 
私も大人になり、一人暮らしで初めて飼った豆柴とはいつも一緒に行動し、本当に家族のようでしたが、その仔は癌に侵され10 歳で亡くなり、その時に「この子の骨を傍に置いておきたい」と心から思い、個別に火葬してくれる業者をネットで探し、親切な謳い文句の業者に「ここだ!」と思って頼んだら、死骸以外はあとの掃除が大変だから置くなと言われ、お骨拾いをしている間に思い出話をしても、全く聞いてくれない。

「え?」と感じ、次の仔からは、お寺が経営する室内で個別に火葬してくれる所でお願いした時にその時の事を話すと、動物を取り扱う業者は必ずしもいい人達ばかりでない。儲ける事が目的の人もいるのです。と教えられました。

今現在飼っているペット達は保護した仔たちです。もし、ペットロスに陥っておられるなら、新しい仔を迎えるというのも
一つの選択肢です。日本には幸せになりたい仔はたくさんいます。自身でまた新たに飼うという事が難しい場合は、保護犬または猫の一時預かりとか、動物愛護団体を応援する等動物達と関わる方法はたくさんあります。

その仔達の生身の体が亡くなったペットの代わりに癒してくれるでしょう。そして、お空にいるペットも飼い主さんが悲しみから救われる事を望んでるに違いありません。

38歳男性 愛犬の供養を寺で行う経験をし、時代を感じる

僕は、この記事作成時点で38歳の無職の独身男性になります。38歳で無職ですが、過去にはいろいろな仕事を経験してきて今は求職中です。

そんな社会からなかなか良い待遇を受けられていない私ですが、昔家族で犬を飼っていました。もうかれこれ10年も前に、我が家の愛犬は16歳と数か月でこの世を去りました。その我が家の愛犬との出会いはさらにさかのぼること約16年前、1993年頃という20世紀の時代でした。私は中学生に上がる頃の年齢で、その当時の親の知り合いの人の飼い犬が子犬を産んだ為、そのうちの1匹をもらうという話から我が家の愛犬を飼うことになりました。

犬種はビーグルです。スヌーピーのモデルになった犬で、耳がたれ耳で大変活発な子でした。飼い初め最初の頃は、庭での外飼いを親は考えていたようですが、この犬はなかなかのヤンチャで、外に出すと家の中に入れてくれアピールがすごく、窓をガリガリひっかいたりワンワン吠えたりと抵抗し、結局根負けした親が室内で飼うことに変更しました。晴れて室内犬となった彼女と、よく犬用のおもちゃを取り合うなどしてドタバタと走り回っていたこともあります。とても癒し効果のある愛犬でしたが、散歩に毎日連れて行ってやらないといけなかったりと世話をするのはやはり大変な面もありました。

その後、僕も大学進学と同時に実家を離れ一人暮らしを始める時期があったため、その期間は彼女とも会う機会が減りました。社会から打ちのめされて実家住まいを再開した時には、彼女も昔の頃と比べだいぶ年を取っていましたが、まだまだ元気でした。実家住まい再開3年後に彼女は息を引き取ります。最後は、歩けない状態で見ているのもつらい部分はあったのですが、あまりその苦しむ時間は長く続くことなく亡くなりました。

もうかなり前の話になるのですが、もう少しちゃんとした何かをしてやれたのかもしれないと思うことは今でもあります。ただ、犬の年齢として16歳は長生きの部類に入ると思うので、よく長い間生きていてくれたと感謝もあります。近くにペットを専門に供養する寺がありましたので、そこで火葬してもらいお経みたいなものもあげてもらいました。この辺については、あくまで形式的なものだったと個人的には思います。犬が人間社会との結びつきが強くなってきた為のペット供養方法なのだと思います。

飼っているペットが亡くなってから手厚いことをしてやるのではなく、生きている間に楽しい時間を過ごさせてやることが、ペットに対しても一番大事なことだと思います。生命があるものはいずれ必ず死を迎えます。ペットを飼っている方は、ペットが生きている間にペットと楽しむ時間を多く過ごすことが、ペットにとっても嬉しいことなんじゃないかなと思います。
 

44歳、男。愛犬を近所の寺で供養。今は良い思い出です。

もう10年以上前の話になります。のちに愛犬となるペットとの出会いは仕事の得意先でのことでした。得意先の方が僕の事を大変気に入ってくださってプライベートな話もよく話をしました。そのお客様が犬のブリーダーをサイドビジネスでやっていた方でまだ小さな子犬も数匹だけ残っている状態だと聞かされました。

またブリーダーの世界が流行に非常に左右されやすい業種でその方が扱っていた犬種も人気がなくなって売れなくなってきている犬種でした。高齢になった事と今後は犬の世話も厳しくなってくるという事でもう引退するという話でした。その時、奥の部屋のドアから顔をのぞかせていたのが後に僕の相棒になる犬でした。

またタイミングよくそのお客様が「この子犬、飼ってくれない?」と言ってきたのでした。今思えば、運命だったのかなと思います。それからは僕の家に新しい家族が増えました。我が家に来てからは本当に色々なところへ一緒に行きました。近所の散歩に始まり、海へ行ったり、川へ遊びに行ったり。本当に楽しかった。

出先で嬉しそうに飛び回っている相棒を見ると僕もすごく幸せな気持ちになりました。ただ、僕はまだ若かったんだと思います。本当に自分から近いものの『死』という場面に立ち会ったこともなくそんなことも考えたこともなかった。僕の家へ来てあっという間に10何年が過ぎて相棒はすっかり老犬になっていたのはわかっていました。

たびたび体調が悪いかな?と思う場面も増えていって。病院に行く回数も増えて行って。あの日もそんな感じでした。与えた食事にもあまり口にせずに「また体調が良くないね。仕事から帰ってきたら病院へ連れて行ってあげるからね。」と告げて僕はいつものように出ていきました。仕事先での昼休みの休憩中に近所のペットショップによって「少しいつもと変わったペットフードにしたら少しは食べてくれるかな?」なんて考えてペットフードを買ったのを覚えています。

夕方になる前に妻から電話がかかってきました。すぐに出ることが出来なくてかけなおすと泣きながら「クッキー(愛犬の名前)、死んじゃった・・」と言われました。なんかすごくショックで家に帰るまでの記憶はありません。家に帰ってから体温の無くなった相棒を見たときはずっと涙が止まりませんでした。ほんとにずっと涙が出ていました。

次の日の朝まで僕の腕で抱っこして今までのように頭をずっと撫でながら話しかけていました。泣きながら電話帳のページをめくってペット葬儀のページの紙が涙でぐちゃぐちゃになってました。次の日の夜に火葬と葬儀を近所のペット専門のお寺で行いました。そこは火葬もしていて所有している火葬場が山中にあり抱っこして向かいました。最後の別れの言葉は何を話したかはあまり覚えていません。

でも焼かれていった相棒に空に向かって「今までありがとう。最高だったよ。」って言って見上げた夜空の星がいつも以上に輝いて見えたのは憶えています。でもあれからもう3年、今は少しは打たれ強くなりました。後悔なんかこれっぽっちもありません。後悔してメソメソしてても亡くなった相棒が悲しむだけでしょうし。

今はちゃんとお寺には2,3か月に一度くらいは会いに行ってます。そのたびに住職の方にお経を唱えてもらって。骨壺に入れてあって保管して頂いているんですが行くたびにあの時と同じように撫でてあげて話しかけて。この時だけは少しだけ泣かせてくださいね。クッキー、おまえはずっと俺んちの家族だからな。

16歳の男の子 くう ペット葬儀場で火葬 思い出で幸せになれる 

ダックスの男の子を飼っていましたが、昨年の8月に亡くしました。名前はくうです。
くうと出会ったのは11年前。親戚の叔母さんから、知り合いの人が飼えなくなり里親を探しているというので、飼うことにしました。くうは、5歳でした。くうは、ちょっとやんちゃで、良く食べる子だったので、家の中がとても賑やかになりました。やんちゃなのですが、とても寂しがりやで、寝るときは私の布団にの中に潜り込んで朝まですやすや眠りました。

亡くなる2週間ほど前、いつものように朝のご飯をあげようと、くうに呼びかけたのに、くうが起きてきませんでした。あれ?と思い、そばによると、白い泡のようなものを嘔吐した跡の横で上目使いになって私を見つめてきました。その日の夕方、獣医さんに診てもらいに行きました。すると、膵炎でした。しばらく水も食べ物もあげてはいけませんと言われ、数日間はとても可哀そうでした。

一週間してもくうは良くならず、少しのご飯を口にしては嘔吐してしまい、どんどんやせてしまい、とうとう、食べ物も水も欲しがらなくなっていきました。獣医さんに通いましたが、処方された薬も飲むことができませんでした。もうだめかと思ったある日、突然くうが以前のように散歩に行きたいと玄関で催促していました。

私はくうを抱っこして外へつれて行ってやりました。公園で下ろしてあげると、いつもの元気なくうのようにあちこち臭いをかいだり、楽しそうに歩いていました。その時は本当に治って良かったと嬉しかったです。しかし次の朝、くうは一つ遠吠えのような声をだして亡くなってしまいました。涙が止まりませんでした。

その日の夜はくうと過ごし、次の朝くうの体を洗い、保冷剤と花束を段ボールに詰め、くうを中にそっと寝かしてやりました。ペット専用の葬儀屋さんへ電話し、すぐに手配をしてもらいました。きちんとお経やお線香の供養をしてもらい、その日の午後に火葬しました。くうの毛を少し袋に入れて持ち帰り、後日お墓に埋めてやりました。

火葬される前のくうは眠っているようで、とてもさみしい気持ちになりました。もう天国でいっぱい大好きなご飯食べて、たくさん遊んでねと言いました。葬儀場では、他のワンちゃんやネコちゃんが埋葬されていました。くうにもお友達がたくさんできるといいなと思いました。

くうは、膵炎になるまでとても元気でやんちゃでよく食べる子でした。歳も16歳には見えませんでした。幸せな一生を送ってくれたかどうか、くうに訊いてみたらよかったなと思います。ペットはいつ亡くなてしまうかわかりません。生きている間に、うんと可愛がって幸せにしてあげないと、亡くなってしまった時に後悔すると思います。ペットロスになる人もいらっしゃいますが、今、くうの遺影の写真を見ると、良く食べてよく遊んで楽しかった思い出が私を幸せにしてくれます。11年前私の家に来てくれてありがとう。

参考

体験談

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