猫が亡くなってペットロスになった体験談
愛猫の突然の死 長く一緒にいてやれずにゴメンねと謝りたい
初めて出会ったのは、仕事を始めて2年目、一人暮らしをしていて寂しさなどを感じてはいなかったが、捨て猫を拾った友人が飼い主を捜していると言うことで、少し目が悪いようだったが引き取ることにした。飼っている間に目は目やにが酷いだけで、すぐに治り、私にもすぐに慣れ、トイレもすぐに覚える頭のいい子だった避妊手術をしたせいで、太りやすくなり暴行にストルバイトという石が溜まりやすくなってしまい。その病気のせいで亡くなってしまった。あまりにも突然で具合が悪いしぐさもなかったので気付かず亡くなってしまった。寒い時期や家に帰るとすぐに近寄ってきて、私が座っていると近くに寄り添うか、足の上で寝転んでいた夜寝る時は布団の上で丸まり重たかったです。外に出たり、病院にいく時は怖がってしまい、おしっこをもらしてしまい、知らない人が家に来ると嬉しくかまてもらいたいのか、噛み付いたりじゃれたりしていました。突然の別れだったので、すぐに気持ちをコントロールすることは難しかったです、少しずつ時間が解決するように、日常に戻っていきました。ペットが亡くなったので次のペットを飼う方もいますが、ペットロスになるよりは飼った方がいいとはおもいますが、できるだけその子の代わりとして飼うのはおススメできません。新しいその子にも悪いし、代わりには絶対にならないので。もう一度会えたなら、「できるだけ長く一緒に居てあげれなくてごめんね」と伝えてあげたいです
突然死した愛猫 外へ遊びに出したほうがいいだろうと思ってだしたことを後悔
うちで飼っていた黒猫のナツを亡くした体験談です。妹が、ツーリング中に山で出会ったっ子猫でした。とても小さく親とはぐれてしまったようで、ジャケットの中に入れて連れて帰ってきました。それはそれは可愛らしい小さな黒猫でした。名前をナツと付け、マンションの5Fで飼いはじめました。ナツは好奇心旺盛で、頭のいい猫でした。外には出ることができないので、たまにベランダに出て遊びました。小さいうちに人の手で育てられたせいか、自分は猫!という自覚が薄かったように思います。朝になると、母はナツに「姉ちゃん起こして来て」といいます。すると私の部屋に来て、顔に鼻を近づけ起こしてくれました。いわゆる鼻チュです。遊ぶのも大好きで遊ぼうアピールをしてきます。外を眺めるのも大好きでした。よく窓から、遠くの山並みを長い時間眺めていました。無邪気なんだけど黒猫独特のどこかミステリアスな雰囲気がありました。家族皆がナツの可愛さに虜でした。私の学校卒業とともに引越すことが決まり、新居へ引越しました。今度は、マンションの1階です。当時室内飼いの猫は、一生室内飼いの方が良いと言う知識がなく、1階だったこともあり、自由に遊べるよう外へも出すようになりました。好奇心旺盛だったナツは、毎日外へ遊びに行き、出たり入ったりしていました。私も就職が決まり、あまり構ってやれなくなり、母が毎日家で面倒を見ていました。ある朝会社に行こうとしていたら、となりの方がやって来て、「マンションの入口付近で猫ちゃんが倒れているのはお宅のねこちゃんじゃないかしら?」といわれ、あわてて見に行くとマンションの入り口階段を登ってる途中で、ナツが倒れていました。息はなくでもまだほんのり暖かく…。会社に入ったばかりだったので、母に託して会社に行きましたが、ナツは助かりませんでした。獣医さんによると、畑に仕掛けてあるネズミ用の毒団子を食べたんじゃないか。ということでした。子猫で箱入り娘だったナツは、何も知らずに食べてしまったのでしょう。苦しく朦朧としながらも家まで戻ろうとしていたことが伺えて、たまらなく、切なさと申し訳なさと、悲しさとでしばらく立ち直れなかったです。今でも可哀想なことをしたと思い出すと胸が締め付けられます。今でも窓の外をずーっと眺めていたナツの黒く美しい姿を思い出します。
突然死した愛猫 外へ遊びに出したほうがいいだろうと思ってだしたことを後悔
うちで飼っていた黒猫のナツを亡くした体験談です。妹が、ツーリング中に山で出会ったっ子猫でした。とても小さく親とはぐれてしまったようで、ジャケットの中に入れて連れて帰ってきました。それはそれは可愛らしい小さな黒猫でした。名前をナツと付け、マンションの5Fで飼いはじめました。ナツは好奇心旺盛で、頭のいい猫でした。外には出ることができないので、たまにベランダに出て遊びました。小さいうちに人の手で育てられたせいか、自分は猫!という自覚が薄かったように思います。朝になると、母はナツに「姉ちゃん起こして来て」といいます。すると私の部屋に来て、顔に鼻を近づけ起こしてくれました。いわゆる鼻チュです。遊ぶのも大好きで遊ぼうアピールをしてきます。外を眺めるのも大好きでした。よく窓から、遠くの山並みを長い時間眺めていました。無邪気なんだけど黒猫独特のどこかミステリアスな雰囲気がありました。家族皆がナツの可愛さに虜でした。私の学校卒業とともに引越すことが決まり、新居へ引越しました。今度は、マンションの1階です。当時室内飼いの猫は、一生室内飼いの方が良いと言う知識がなく、1階だったこともあり、自由に遊べるよう外へも出すようになりました。好奇心旺盛だったナツは、毎日外へ遊びに行き、出たり入ったりしていました。私も就職が決まり、あまり構ってやれなくなり、母が毎日家で面倒を見ていました。ある朝会社に行こうとしていたら、となりの方がやって来て、「マンションの入口付近で猫ちゃんが倒れているのはお宅のねこちゃんじゃないかしら?」といわれ、あわてて見に行くとマンションの入り口階段を登ってる途中で、ナツが倒れていました。息はなくでもまだほんのり暖かく…。会社に入ったばかりだったので、母に託して会社に行きましたが、ナツは助かりませんでした。獣医さんによると、畑に仕掛けてあるネズミ用の毒団子を食べたんじゃないか。ということでした。子猫で箱入り娘だったナツは、何も知らずに食べてしまったのでしょう。苦しく朦朧としながらも家まで戻ろうとしていたことが伺えて、たまらなく、切なさと申し訳なさと、悲しさとでしばらく立ち直れなかったです。今でも可哀想なことをしたと思い出すと胸が締め付けられます。今でも窓の外をずーっと眺めていたナツの黒く美しい姿を思い出します。
高齢になっていた愛猫が姿を見せなくなってから4年 もう亡くなったのかと…なんともいえない感情に
私は10年前、黒猫を飼っていました。名前はチビ。私の母が母の友人から貰ってきた猫で、その時チビは2歳くらいでした。名前の由来は、小柄な猫で可愛いという理由でした。チビは雑種で、よく外にいつのまにか出て行っては、いつのまにか帰ってくる猫でした。私が帰ってきた時、家から2、3匹の猫と出て行く姿にはよく驚かされたものです。家の玄関を開ける時に一緒に家の中に入って、一緒に帰ってきたような感じになったり、寝ている時にお腹の上に乗ってきたり、共に暮らしているって感じて、とても可愛い猫でした。そんな自由で癒しをくれるチビが、あまり元気がないと感じてきたのはチビが10歳くらいの時でした。ずっと大人しいし、あまり餌は食べないし、病院に連れて行くことにしました。しかし、獣医さんからは特に病気はしてないけれど、高齢期に入って疲れやすくなっているのかも、とのことでした。その事を聞いてから私は、チビの死を意識し始めるようになりました。家に帰ってすり寄ってくるチビ。私はチビに対して、いつも家にいる家族だけでなく、いつかいなくなってしまう家族とも思うようになり、可愛さだけでなく、悲しさも感じる日々になりました。それから2年後の夏、チビがいなくなりました。よく外に遊びに行く猫でしたが、必ず3日以内には帰って来たのに、何日経っても帰ってこない。探しても見つからず、野良猫たちも来なくなり、私は気が気じゃありませんでした。単純に出て行ったとは考えられませんでした。それならとっくの昔にいなくなっているはず。そんな時、母から猫は死期が近づくと死体を見せないようにいなくなると聞きました。それを聞いた私はチビの生死が分からなくて、どうしていいか途方に暮れました。あれから4年、私の中でチビは死んだのだと思うようになりましたが、その死に目には会えませんでした。悲しいと思っていても、いやもしかしたら・・・という気持ちもあり、何とも言えない感情がずっとある日々を過ごしています。
乳がんでなくなった愛猫 不妊手術はしなくていいものと思いこんでいたことに…
今から約9年前、東日本大震災が起こる前でした。14年間一緒に暮らしてきた愛猫が亡くなりました。悪性乳腺腫瘍、つまり乳がんでした。この原因は、不妊手術をしていれば約9割がたは防げたということです。今の時代、ネットが発達してわからない事があれば、大抵のことは教えてくれる、良い時代になったと思います。一昔前私は、ネットの環境にいませんでした。私は無知でした。この子の体を傷つけたくない、痛い思いさせたくない、室内飼いで外にはさないから、不妊手術はしなくて大丈夫、など、自己判断してしまいました。私は幾度となく引っ越しを繰り返していました。そのたびに新しい動物病院に連れていき定期的に健康診断をしてもらっていました。動物病院の先生は、私がこの子に不妊手術を施していた、と思い込み不妊手術の有無を聞いてくれませんでした。動物病院の先生のせいにするわけではないですが、一言聞いてほしかったです。私はその子を自分の娘のように思い、亡くなった今でもとても愛しています。知人からちょうど、母猫から見捨てられて人間が育てている子猫がいるよ、と話しがありその子猫を引き取ったのが始まりでした。14年という歳月、私の生活自体穏やかに過ごしてきたというわけではなくて、楽しいことよりも苦しいことの方が多い時期でした。誰にも話せないことも、この子に話すと、いつも解決策が見えて問題をクリアしてきました。私に答えを教えてくれるのです。とても頭の良い子でした。最期、ペット霊園で個別葬儀をしてもらいました。そのお骨は、今も家のリビングにいます。ずっと私のそばに置いておきます。私の最期が来た時に私の骨と一緒にしてもらおうと思っています。
亡くなったはずの愛猫が最後の力であいさつしてくれた
私の家には今現在13匹の猫がいます。家で飼っている猫、外で飼っている猫、野良猫だった猫が住み着いているなどを全て合わせての数です。数年前野良猫で白い猫が迷い込んで来ました。雌猫でお腹が少し大きかったので名前をママにしました。初めはやはりなかなかなついてくれませんでしたが餌を与えて日が経つに連れて少しずつ心を開いてくれたのか近づいてくれて頭を撫でさせてくれるようになりました。数か月後に5匹の子供を産みました。雄3匹、雌2匹です。子供が小さい頃は家の敷地内をちょろちょろ走り回ったり車の下からエンジンの隙間に入ったりして大変でしたがすくすく育っていきました。しかしある程度大きくなったら1匹、また1匹と姿を消していきました。母親のママちゃんが元々が野良猫だったので風来坊の様な感じで色々な所を徘徊する遺伝子があったのかもしれません。しかしママちゃんと1匹の雄猫だけは家の敷地内にずっといて居なくなることはありませんでした。残った1匹の雄猫の名前はわさびにしました。名前の理由は特にありません。ママちゃんはとてもなついてくれました。私の姿を見ると遠くでも鳴きながら走って来てくれていました。その都度たくさん撫でてたくさん遊びました。ある日ママちゃんが急に具合が悪くなりました。その時10歳くらいでした。病院に連れていきなんとか回復しましたが数ヵ月後また具合が悪くなりまた病院に行くということを何回も繰り返していました。病院は母親が連れて行ってくれていたのでどういった病名なのかはよく分かりません。ママちゃんは家で夕方に亡くなりました。吐血したらしいです。私はその日仕事でいつもより少し家に帰るのが遅くなりました。私が車で家の敷地内に入ると死んでいたママちゃんが体を起こして私の車の所まで歩いてきました。(その時ママちゃんが吐血して心臓が止まっていたのは母親から後で聞かされました)そして私の足にすり寄ってきて一言にゃーといってそのままゆっくり地面に倒れて横になり息を引き取りました。数日後ママちゃんが夢に出てきました。ママちゃんがすり寄って来てなかなか足から離れなかったのを今でも覚えています。ちなみに雄猫のわさびちゃんはまだ元気い生きています。
15年いっしょに過ごした愛猫の死 悲しみにくれる日がながく続いた
15年いっしょに過ごした愛猫の死。悲しみにくれる日がながく続いた。私が大学生のとき、通学途中のお店屋の前で一つのダンボールに入ったかわいい子猫が泣いていました。私は、小さくて小さくて壊れてしまいそうなかわいい子猫、か細い鳴き声を聞いてそのまま掘ってくことができなくて、自分のカバンに入れて電車に乗せて家に連れて帰りました。そして、家に連れて帰ると飼うことは反対されていろんな知人に声をかけたのですが、誰も引き取り手が見つからずに家で飼うことになったのです。ペットを飼うことがほとんどした経験がなかったので、その時はうれしくてうれしくて1週間はまともに寝れずに過ごしました。朝起きると、あのかわいい子猫が玄関にいることがうれしかったのです。その名は、モモちゃんです。雌猫だったので避妊に手術をしました。おっとりしていて、一緒にいることで癒されました。わたしは、自分の買っているモモちゃん以外の動物は触ることができません。モモちゃんは、わたしになついていたのでまるで私の子ども、家族そのものでした。ホントに頭が良くて、穏やかでかわいくて仕方がない日が続き、うちに15年くらい行きました。亡くなる数年前から、目が見えなくなり、ほとんど動かない状態になったのです。エサも今まで硬いキャットフードを食べていたのですがそれも無理になり、歯が弱っているのかかみ砕く力も低下してたので柔らかい缶詰のモンプチを食べさせていました。冬になると寒いので、電気あんかを使って温めたりしていましたが、年をとると人間と同じように静かに息を引き取りました。十数年一緒に暮らしてきた私のかわいいモモちゃん、火葬したときは寂しさでいっぱいでした。骨がとても小さくて細くてあのやさしいモモちゃんはもういないのです。悲しみに暮れる日々がその後当分抜けなくて、何もしたくない日々が続きました。
結婚してから3年間一緒に暮らして、18歳で亡くなった猫
結婚3年目に、主人が18年間飼っていた猫が亡くなりました。年をとっていたので、いつどうなっても仕方ないと覚悟はしていましたが、お別れの時は突然やってきました。私たちは急に結婚が決まったこともあり、住居がなかなか定まらず、3年間で3回も引っ越してしまいました。後から思えば、度重なる引っ越しは老齢の猫の体に負担をかけたのだろうな、ごめんなさいという気持ちでいっぱいです。私は主人と結婚してからその猫と暮らすようになったので、最初は懐いてくれるかとても不安でした。それまで実家では犬は飼っていましたが、猫はいなかったのでなおさらでした。でも最初の日から、抱っこしても嫌がらず、次の朝には私の布団の上にドカッと乗って起こしにきました。その時は結構図太い猫だなと思ったものです。たったの3年間でしたが、私たち夫婦は猫を中心に笑ったり、泣いたりと楽しく暮らせました。老齢のためか、時々発作を起こして病院に駆け込むこともしばしばありました。一度は今夜が山ですと、お医者さんから言われて、待合室で夫と泣きくれたこともありました。その時はなんとか一命をとりとめたのですが、それからは見る間に痩せていきました。エサは食べるのですが、階段を上る力がなくなったのか、2階にある寝室にも来なくなりました。抱っこしてやるとがりがりで骨ばかり目立ちます。砂時計のように、命の砂がこぼれ落ちて行くような感じがしました。そんなある朝1階に降りてみると、眠るように亡くなっていました。一人にしないで寝室に連れて行ってやれば、看取ってやることができたかもしれないのにと思うと後悔の気持ちでいっぱいです。今でも時々、何かをしている拍子に猫はどこに行ったんだろう、トイレのそうじしなくっちゃと思うことがあります。飾ってある猫の写真を眺めていると、自然に涙が出てきます。いつかこの悲しみも癒える時が来るのかもしれませんが、今は猫と過ごした時間を思い出していたいと思います。
出会いがあれば別れがやってくるが現在ではネットで情報を調べる事でペットの病気等による死を回避する事ができるのでは?
30年以上も前の話ですが、私が小学生の頃に茶色い猫を飼っていました。猫の名前はマルでした。マルはペットショップで販売されていた猫という訳でなく捨てられていた猫を私が拾ってきました。当時親はペットを飼う事に反対していましたが、私のわがままを聞いてくれてマルを飼う事ができるようになりました。私が学校から帰ってくるとマルが玄関口までやってきてニャーと鳴き身体をスリスリしてきて非常になついてくれてすごく癒やされいつしかかけがえのない家族の一員となっていました。ただ、出会いがあれば必ず別れがやってきます。ある日を境にマルの食欲がなくなってきました。最初はちょっと具合が悪いだけで2,3日もすれば元気になるだろうと思ってあまり心配していなかったのですがそれが間違いでした。その数日後の朝、マルの様子を見に行くとマルの肛門から腸が出て出血していました。私はパニックになりながらも親を呼び、すぐにマルを動物病院へと連れていき手術をしてもらうことになりました。手術は無事に終わり確か1週間後にマルを迎えに動物病院に行きました。すると、マルは元気な姿を見せてくれて家に連れて帰って家族のみんなは一安心したのですが、その3日後にマルは亡くなりました。当時はインターネットもなく現在のように簡単に動物の病気やどんなエサを与えればいいのか等の情報が入手できず本当に自分たちがマルに与えていたエサは正しかったのかという疑問や後悔があります。焼き魚や、キャットフード等のエサで本当に良かったのか?また、なぜ手術は成功したのにも関わらず3日後に急に亡くなったのか?ただ、それまで家族の一員だったマルが亡くなった時に私はものすごく泣きじゃくった事を今でも覚えています。ペットを飼うという事は必ず別れがやってくるのでペットへの愛情が強ければ強いほど辛い思いをします。私はもうこのような辛い別れは2度としたくないのと責任を持ってペットを飼う事ができないと思うのでマルが亡くなってからはペットを飼う事はありませんでした。
いつも腕の中で眠っていた愛猫 気がつくと涙がポロポロこぼれて
今から2年ほど前のとても暑い日に、生涯でこれほどまでに可愛いと思える猫を失くしました。幼少の頃から猫は絶え間なく飼育していて身近で可愛い存在ですが、その猫は私にとって格別に可愛い存在でした。私が20代前半の頃、自宅アパート周辺に突然うろうろと現れたのが出会いのきっかけです。とても人懐っこい性格でしたが、イライラしてカーテンによじ登ったり癇癪を起こすこともある人間のような性格をした猫でした。出会ってすぐに私は運命を感じて飼うことを決心しました。近所の動物病院に連れて行くと先生に「シャム猫が入っているのかな、可愛いね」と褒められました。元々お腹の調子が崩れやすい猫でした。推定13年ほど生きましたが、高齢に差し掛かる頃には整腸剤などを混ぜてお腹の様子を見ながらご飯をあげていました。わがままなでやんちゃな性格のこのメス猫に、呆れたり怒ったりすることもありましたがとても愛していました。2年ほど前の春頃から急に食事を摂らなくなりました。焦って少し高級な餌をあげると少しだけ食べました。動物病院で血液検査をしたり点滴をしたり、免疫を高めるお薬を飲ませたりいろいろがんばりましたが息を引き取りました。亡くなってしばらくは夜、気づくと涙がポロポロと流れることがありました。夜はいつも私の腕の中で眠っていたからです。亡くなってからも悲しいですが、正直なところ辛いのは調子が悪くなってから亡くなるまでだと思います。良くなってほしい、どうすれば良くなるんだろうかと悩み、動物病院では似たような境遇の人と話をしてみたりもしました。いつかは離れ離れになる、亡くなる日はどうしても来るということを自分の中で受け入れることができれば辛さから解放されるのかもしれません。今大切なペットの寿命が近い人はとても辛い思いをしていると思います。その子は、あなたと一緒に過ごせた日々を幸福な思い出としていつまでも忘れないと思います。