猫が亡くなってペットロスになった体験談

2024年1月14日

めったに泣かない私ですが、愛猫を思い出すと涙腺が熱くなります

私が24歳のころ、私が小学校の頃から飼っていた猫ピートがいつも寝ている座布団の上で静かに息を引き取りました。


ピートの猫種はラグドールで、とても好奇心が旺盛で、よく外に飛び出しては鳥や虫を捕まえて遊んでいます。


ある時は野良猫やご近所の飼い猫と喧嘩になり大けがをさせてしまった事もありました。


そんなやんちゃな猫ではありますが、私が勉強机に向かっていると決まって落ち着かないように私の足元をウロウロし頬ずりをして乗せてくれと懇願します。


私が、「わかったわかった」とピートを持ち上げ膝に乗せると落ち着いた様子でウトウトと眠りにつきます。



そんなピートですが私が成人になるにつれ病気がちになり、元気に外へ飛び回ることも無くなっていきました。


寂しくはありましたが相変わらず私の膝に乗ることだけは好きなようで、いつものように乗せてあげると満足げな顔で眠ります。



ある日仕事から帰ってくると妹が私にピートが朝からずっと起きないという事を伝えられ急いで居間に向かうと眠るようにしているピートの姿があり、さすっても声をかけても微動だにしません。


歳も歳だという事もあり諦めました。

昨日はいつもどおり私の膝に乗せてあげた時はそういう予兆は感じられませんでした。

察するに眠りと同時に逝ったのでしょうただ死に気づいてあげられなかったのが全てもの悔いです。



遺体はピートが良く遊んでいた庭の中央に埋めてあげました。


めったに泣かない私ですが、ピートとの思い出を思い出すと涙腺が熱くなります。


いろいろな事があったけど本当に愛おしく憎めない我がピートありがとう

ぜんぜん安楽死じゃなかった私の愛猫 見取り看護を選択しなかったことへの後悔

もう20年以上前の話になります。


一緒に同棲していた彼はの仕事は不規則で夜勤が週に2回もありました。


だから日中に仕事をしていた私との生活はかなりすれ違いが多く、少し淋しく感じていました。



そんなある日、彼と散歩していた際にペットショップの前を通りかかりました。


そこには小さくてふわふわした白い毛のペルシャ猫の子猫がショーケースの中をよちよちと歩いていました。



その子猫を見ていたら、彼が自分の不在中に淋しくないようにとその子猫を突然その場で買ってプレゼントしてくれました。


それまで一度も猫を飼ったことがなかったのですが、すぐに猫の飼い方の本を買い勉強して、子猫を育てていきました。



私はその猫にリリーという名前をつけました。


ちょっと弱弱しい華奢なオス猫のリリーでしたが、いつの間にかすくすくと大きくなり、1年もすると立派で美しい毛並みの白いペルシャ猫へと成長しました。



リリーが1歳半になった時のことです。


突然トイレに行ってもなぜか尿がうまく出せないようで何度もトイレの周りをうろうろしたり、粗相をするようになりました。


何かおかしいと思い、すぐに私は獣医さんのところに連れて行きました。



獣医さんはリリーが尿路結石であるという診断を下しました。


幸い、手術で石を取ってもらうことができました。


手術後、1-2日後にはリリーは元気を取り戻し、以前のようにたくさん餌を食べて遊ぶようになりました。



病気が治って良かったと安心していたのですが、手術から1週間後、突然またリリーの様子がおかしくなり、ぐったりして元気がありません。


トイレは普通にできているのですが、まったく餌を食べず、目を閉じて暗い所に何時間も小さく固まっていました。



不安になった私は、再び獣医さんのところへリリーを連れて行きました。


そこで言われた病名は、伝染性腹膜炎でした。



実は、尿路結石で獣医さんのところに連れて行った時、私の前の人が獣医さんと話しているのが聞こえ、その方の猫が伝染性腹膜炎という病気であると知りました。


なんだか大変そうな病気でお気の毒だなと思っていたのですが、まさか自分の猫が同じ病気になるとは思っても見ませんでした。



獣医さんは毎回診察台を消毒液で拭いているようでしたが、今思えばその時に病院で感染したとしか思えません。


なぜなら、私はリリー1匹しか飼っていませんでしたし、室内飼いなので外で感染することは有り得ないからです。



私はこの病院を選んだことをひどく後悔しました。



その後、リリーは日に日に衰弱していき、何をあげても食べなくなってしまいました。


そして完全に元気がなく、ぐったりしていました。



どうしたらいいかと獣医さんに相談しました。


しかし、この病気は治らない病気で死を待つだけとなり、猫はずっと死ぬまで毎日苦しみ続けるので、安楽死も一つの選択であるとアドバイスされました。



すぐに決断できなかったのですが、苦しんでいる様子のリリーを毎日見ていて、死を待つだけのために苦しみ続けるのなら、安楽死の方がリリーにとってもいいという気持ちになってしまい、最終的に安楽死を選びました。



獣医さんの話では、注射で苦しまないから大丈夫との話で安らかに天国に行って欲しいと願っていたのですが、安楽死処置後にリリーを引き取りに行ったら、それはもう今まで見たこともないようなとても苦しそうな形相の死に顔でした。



その顔を見て、私は涙が止まりませんでした。


この獣医さんを否定するつもりはないですが、この病院を選んだこと、安楽死は苦しまないという言葉を信じて安楽死を選択してしまったこと、見取り看護という選択を考えなかったことなど、不運と自分の愚かさを悔やみました。



20年以上経つのに、リリーの壮絶な死に顔はずっと忘れられませんし、今でも思い出すと涙が溢れてきます。


安楽死は安易に選択すべきではありません。



また、私は獣医さんに対してこのことでクレームなどは一切出していませんが、動物病院の選択はとても大事であるとつくづく思い知らされました。


知り合いから評判を聞くなど情報収集をして良い病院を探すことは、こうした私とリリーのような不幸を避けることにもなるだろうと信じています。



リリーが亡くなってから10年ほど猫を飼うことができませんでしたが、寒い冬の夜空で途方に暮れていた子猫を拾ってから、再び猫を飼うようになりました。



幸い、その猫はほとんど大きな病気をしたことがなく、10歳を過ぎても元気です。


今はその猫にリリーの分まで愛情を注ぎ、大事にしています。

人懐っこい元ノラの愛猫 4年後亡くなるも、買った事がよかったのかどうか自問自答の日々

初めて飼ったペットは妹が拾ってきた子猫です。



当時私は24歳で、社会人になって一人暮らしをし始めたばかりした。



実家と私の住んでるマンションは同市内で自転車で20分程度の距離だったので、よく妹が遊びに来てたんです。



私はゲームが大好きで、それ目当てに妹が来てたって感じです。



合鍵も渡していましたし、仕事から帰ると妹がゲームをプレイしてる・・ってことが良くありました。



そんなある日、妹が猫を連れてきてたんです。



ウチへ来る途中で鳴いてる野良子猫がいて、可愛かったし連れてきた・・ということでした。



野良子猫って、大体警戒心が凄く強くて人間を避ける、もしくは人間に甘えて擦り寄ってくるかの2パターンです。



妹が連れてきた野良子猫は後者のタイプで、すごく妹に懐いていました。



私が呼ぶとすぐこちらに来てゴロゴロいいますし、ペット可のマンションだしこのまま飼うか・・というのがキッカケでした。



愛猫はトラと名づけて一緒に生活しました。



しかしトラは元々野良猫です。



外の広々とした空間を知ってます。



そんなトラにはマンションの室内(間取りはLDK)は狭かったんでしょうね。



事ある毎に外に出してくれ~出してくれ~と鳴かれました。



私の住んでる地域は都心部ですし、車もビュンビュン走っています。



今まで安全な自宅で平和な生活を送っていたトラがそんな所で生活出来るわけがありません。



他の野良猫と上手くコミュニケーションとれるかも心配です。



そこでいくら泣き喚いても外には出さないようにしてたんですよね。



たまに私が玄関ドアを開けた際に外に逃げられることはありましたけどね。



しかし私が危惧していた通り、体中怪我をして帰宅することもありました(恐らく他の野良猫にやられた)。



それでも外は好きらしく、トラは外に出してくれ~出してくれ~と鳴いてました。



こういうのでトラはストレスを過度に溜め込んでしまったんでしょう。



飼い出してから4年目にトラは亡くなりました。



私が仕事から帰ってきたら、トラはすでに冷たくなっていました。



前日に熱が出たり特別な体調不良とかもなかったので、自然死だと思います。



ただ私なりに感じてた死因は、ストレスによるものでは?ということです。



亡くなる半年前から元気はなくなってましたし鬱みたいな感じだったんですよね。



私はトラの為を思って自宅に閉じ込めていましたが、もし放し飼いにしていたらもっと長生き出来たのかな?

そう思って外に出していたら、もっと早く亡くなっていたかもしれない。



猫が車に轢かれてるのはよく見かけますし、私のしたことは間違ってなかった・・と自問自答を繰り返しました。



トラが亡くなってからの一週間は、何をするにもモチベーションが上がりませんでした。



時間は薬・・という言葉がありますけど、私はまさにそんな感じでしたね。



一ヶ月経過する頃にはかなり吹っ切れました。



ただトラの所持品(エサ皿やトイレ、トラ用おもちゃ等)を見掛ける度にふっとトラの事を思い出して物悲しくなったりとかはしました。



今はトラの所持品全部処分してしまってるのでこういうのはありませんけどね。



現在はペットを飼わず、普通に過ごしてます。



亡くなったペットに再び会えるとしたら、撫でてあげたいですね。



撫でるとシッポをピーンと立て、シッポ付近を撫でると足をモミモミさせて喜んだトラ。



喜んでるトラをもう1度見たいです。

前触れなく亡くなった愛猫、友達優先だったことに後悔

シャム猫のケーナとは、小学校に入る前に出会いました。

とても大好きで、エビの尻尾をあげたり、また、私が寝ていると近づいてきて私の 胸元にきて、舐めるのです。


それが気持ちいいのとこそばゆいのでしかくの方なく起きると嬉しそうな 声を出してきます。


それをずっとやっていたら寝れなくなります。


ケーナが突然死んでしまいました。


前触れがあったら良かったんですが、そんなこともなくいきなりだったのでびっくりしてしまいました。


固くなった体をさすっていると 体がとても硬くなるんだなと思いました。


中学生になると友達と遊ぶことが多くなり、あまりケーナと遊ぶのが少なくなってしまいました。

それが、とても後悔しています。


ケーナがいなくなって食事の時にいないのがとても寂しく思いました。

いつも私の横にいて私の物を欲しがるのを見ているととても可愛いと思いました。


でも、エビを丸ごと食べられることもありましたのでその時は怒りましたが、エビは美味しいですからそういう気持ちになるのもわかりますので仕方ないと諦めます。


今、ケーナと 会えるならまた私の上に来てペロペロ舐めて欲しいと思います。


そして、 ケーナと一緒に外に出て、一緒に走り、遊びたいです。

ケーナは、女の子でしたのでとても可愛くて、舐めてくる時のケーナがとても大好きでした。


もっと、長生きしてくれたらとても良かったのにと思います。

その時に友達ともケーナとも大事にしてたら良かったなと思います。

家族がたまたまそろったその日の朝に乳がんで亡くなった愛猫 待っててくれたのかな・・・と母がつぶやいた

初めて猫を飼い出したのが、私が小学生のころ。


拾った猫でしたが、気性が荒くなかなか小難しい雌猫でした。



私の妹なんて、その猫が怖くてにさわることが出来なかったぐらい^^;
(気に入らないところを触ろうとすると、すぐ引っ掻いたり、噛んで来たりするので)

でも、私にとっては親友みたいなもので、よく一緒に遊んだり、一緒に寝たり、辛いスナック菓子が好きな猫だったので一緒に食べたりしていました。



飴も食べるし、フライドポテトも食べる猫。


変な猫ですよね。



でも別れは突然くるもので、私が20代のころ、急にその猫がご飯を食べなくなりました。



本当に急だったんです。



母が病院に連れて行っても、一向によくなりません。



もう一度、違う病院への受診を母に言いましたが「病院へ行くだけでも猫にとってはすごいストレス。

正直可哀想だし、このまま本人(猫)の好きにさせてやりたい」と言い出しました。



正直、この時に私にはまったく理解できず、治せる病気かもしれないのに、何で他の病院へ母が連れて行かないのかわかりません。



私が泣きながら訴えましたが、聴いてもらえませんでした。



猫はそのまま何週間もご飯を食べず、大好きだったお菓子も食べず、水も飲まなくなってしまいました。



ガリガリに痩せ細ったからだ。



いつ死んでもおかしくない状況でした。



そして、ある日の朝方。



たまたま家族全員がそろっていた、まさにその日に猫は死んでしまいました。



偶然1人暮らしをしている妹も帰省していた日でした。



「家族全員が揃うまで、待っててくれたのかな・・・」

母がポツリとぼやきます。



後から知った話ですが、その猫は乳がんで、年齢も12歳。



手術でどうこうできる状態ではなかったそうです。



プライドが高く、まさに「お猫様」という感じの我が家の猫でしたが、家族がそろった家で最後を迎えることができ、よかったのかな・・・と思ってます。

動物病院の先生が太鼓判を押した元気な愛猫の旅立ち 眠るような最後だった

今年の5月、猫のマルが天国に旅立ちました。

21歳と3か月でした。



マルは、私が実家に戻った時に飼い始めた猫です。

初めてマルに会ったのはマルがまだ2か月の時。

私以外の家族はどちらかというと犬派だったのですが、マルと一緒に暮らしていくうちに、みんな猫が大好きになりました。



マルは、CMに出てくる猫のような愛嬌もなく、私の姿を見ては走って逃げていくような猫でしたが、仕事で失敗したり、恋愛がうまくいかなくて悲しんでいるときだけは、なぜか近くに来てずっと寄り添ってくれたり、人の気持ちが分かっているようなところがありました。



マルはずっと病気もせずに元気でよく食べる猫でした。

動物病院の先生からも、25歳ぐらいまでは大丈夫そうだね、と太鼓判を押してもらっていましたが、1年前、最もマルを可愛がっていた父が急死したころから、だんだん元気がなくなって痩せてきました。



それでも、焼き魚や鶏肉といった、マルの好物をたくさん食べさせて、しばらくは元気にしていたのですが、今年の2月、マルの21歳の誕生日を過ぎたころからめっきりご飯を食べられなくなってきました。



一日おきに動物病院に通い、点滴をしてもらう日々。

先が見えなくて、何よりもどんどん痩せていく姿を見るともうすぐ命の火が消えてしまうんだなと辛くなっていました。



マルの最期は、まさに眠るように、気づいたら冷たくなっていました。



火葬の帰りに動物病院に電話し、マルのことを報告しました。

先生が「最後は家族のみんなも病院に通ってくれて大変だったよね、だけど、マルちゃんもそのことをうれしく思って、少しでも生きなきゃってがんばってくれたんだと思うよ」と、声をかけてくれました。

先生も少し涙ぐんでいるようでした。



マルが眠るように、まったく苦しんだ様子もなく旅立っていったのは、確かに先生の言うように、私たちを悲しませないよう、マルががんばってくれたのかなと今は思っています。

13年ともにすごした愛猫「ミーコ」からのメッセージ、生まれ変わって歩き出すときめた

心身を病んで、それまでのように元気に働いたり、友達と遊んだりできなくなり、淋しくて知り合いのところに4匹生まれたキジ猫の子猫の中から1匹をいただきました。


哺乳瓶でミルクをあげるところから育て、「ミーコ」と名付けました。


小さい頃は、醜いアヒルの子で耳がやたらに大きくてバランスが悪く、子猫なのに誰もかわいいねと言ってくれなかったのですが、成長するにしたがって顔が小さく、目が大きく、足が長く、スタイルがよく、黒と白の模様のバランスが絶妙で、うちにはもったいない美しい猫に成長しました。


神経質でシャンプーするといつもストーブの前で自分の毛を元気になめなめしてきれいに乾かしていました。


しかし、ある日ストーブの前でなめなめする元気がなく、じっとしているのです。


様子がおかしいので動物病院に連れて行くとがんということでした。


それからあまり動かなくなり、お腹にある腫瘍の部分を自分で噛んでシーツに血がついたりしました。


暖かくなってくるとその腫瘍の部分に虫がわいたりするとお医者さんが言われたので闘病する姿を見るのも辛く、亡くなった晩は「これで楽になれたね」という気持ちの方が大きかったです。


亡くなった夜に血の付いたシーツを泣きながら洗いました。

その後冷たく硬くなったミーコを抱いて寝ました。


翌日、動物霊園に火葬に行く車のカーラジオから中島みゆきの「時代」が流れてきました。


「今はこんなに悲しくて涙も枯れ果ててもう二度と笑顔にはなれそうもないけど…今日は別れた恋人たちも生まれ変わってめぐりあうよ」あまりに状況にマッチした歌詞だったのでミーコからのメッセージ、天の声だと感じました。

火葬されるときも本当に最後のお別れで涙が出ました。


でも、その時代の歌詞「生まれ変わって歩き出すよ」のように生きなければミーコを親兄弟から引き離して一緒に暮らしてもらった意味がないと自分を鼓舞して頑張るように努めました。

愛猫がくれた19年間の思い出 死の間際に側にいてあげれなかった事を今でも後悔

4年前の冬に、私が小学校1年の時から19年間、姉妹のように過ごしてきた愛猫のリリを亡くしました。


19年という月日は、猫にとっては非常に長く、最後は老衰でした。



亡くなる半年程前から、食欲が無くなり、体重が落ち、殆どの時間を寝て過ごすようになりました。


夏を越せるのか心配になった程ですが、何とかそれから半年持ち堪えてくれました。



今思い返せば、点滴による栄養補給や延命治療がリリにとって良かったのかは分かりません。


長く苦しめる結果になっていたのかもしれません。


ただ当時の私には、リリを失うかもしれないという事がとても恐ろしく、出来る限り一緒にいたいという思いしかありませんでした。



12月に入り、トイレに行く事すらままならない状態になりました。


ある朝、いつもリリに声をかけてから出勤するのですが、反応が非常に薄く、嫌な不安が胸を占めました。


その日は金曜日で明日は休日という事もあり、私はなるべく早く帰ろうと思いつつ、通常通り出勤する事にしました。


嫌な予感を振り払うようにリリの頭を撫で、「行ってくるね」と声を掛け、家を出ました。



仕事を終わらせ帰宅すると、リリはもう冷たくなっていました。


最後の瞬間は苦しかったのでしょうか。


眼は開かれ、口も叫んだかのように開いたままでした。



側にいてあげれなかった事を、今でも後悔しています。


一人で苦しんで逝ったリリを思うと、未だに胸が締め付けられます。


忘れてしまったり、悲しみが消える事は無いのだろうと思います。


ただ、思い出す時は最後の時だけではなく、子猫の頃一緒に遊んだ事や、膝に乗ってきた暖かさも共に思い出します。



とても悲しく、堪え難い程の辛さでしたが、出会えて良かった、一緒に過ごせて良かったと心から思っています。



今は、縁あって捨てられていた子猫1匹と暮らしています。


リリとは全く違う性格の子で、毎日やんちゃで手を焼いています。


この子ともいずれお別れの時は来るのでしょうが、それでも今この子といて感じる幸せも確かにあります。



これからもリリとの思い出を大切に、今を生きていきたいと思います。

腎臓病で亡くなった愛猫 後悔から心療内科に通うように 苦しかったが3年目からはすこしずつ笑えるようになった

4年前にマンチカンのユメが亡くなりました。

腎臓病が原因です。



私の家族はみんな動物が大好きなので、小さな頃から犬を飼っていました。

犬が一番可愛いと思っていたのですが、友人が猫を飼っていてだんだん猫にも興味を持つようになったんです。



社会人になってから、初めて猫を飼ったんです。

それがユメです。

ずっと猫との生活はどんな感じだろうと思っていたんですよね。

ユメは陽気で好奇心が強くとても可愛い猫でした。



ユメが亡くなってからはずいぶん自分を責めました。

腎臓病に早く気づくことができなかったんです。

かなり悪化してから動物病院へ。

腎臓病だと言われて本当に驚きました。



確かにおかしいなと思うことはあったんです。

水をたくさん飲むようになったり、食欲がなかったりなど。

ユメが亡くなってからは、楽しかった仕事も友人と出かけることも嫌いになりました。



何をしてもユメのことが頭から離れず、もっと早くに気づいてあげていたら・・と思ってしまうのです。

夜に眠れなくなり、心療内科で安定剤や睡眠薬などをもらって過ごすようになりました。



猫が亡くなった友人達と話をして、一緒に泣いて悲しみました。

ユメが亡くなって2年ぐらいは毎日のように泣いて元気が出ませんでしたが、3年目から少しずつ笑えるようになりました。

でも、今でもマンチカンを見ると泣いてしまいます。



友人から泣きたい時は泣いていいと思うと言われて、心が楽になりました。

私はユメを思って泣くことを我慢していません。

でも、泣いた後はユメに「天国で会えるよね」と心でつぶやき、前向きに仕事に取り組むようにしています。

今も後悔がつきまとう愛猫の最期、病院選びと餌選びは慎重に

愛猫の「ナナ」が亡くなってもう5年になります。



真夏の炎天下に、バスタオルを敷かれた小さなバスケットの中でうずくまっていたナナを見つけた日から18年間、ずっと家族同様に可愛がってきました。



とても臆病で家族以外には懐きませんでしたし、抱っこされるのが苦手で甘え下手でしたが、夜寝るときはいつも私の布団で一緒に寝ていましたし、私がゴミ捨てでちょっと外に出ただけで「にゃーん」「にゃーん」と鳴いて私を探すとても可愛い子でした。



そんなナナも、15歳を過ぎる頃から徐々に体調を悪くすることが増えていました。


膀胱炎には数度かかりましたし、時折「てんかん」のようなけいれん発作を起こすことも出てきたのです。



そのたびに近所の動物病院に連れて行き、点滴や薬を投与していただいていましたが、けいれんの原因については「調べるのは時間がかかるし、わかったところで治療はできないかもしれない」と言われ、結局のところ何も手は打てず、ただただ発作が起こった時にケガをしないよう周りの危険なものを取り除く程度の対処しかできませんでした。



今思えば、餌の好き嫌いもなく何でも食べる子でしたので、それに甘えて食事が適当になっていたことが良くなかったのかもしれません。


最近になって、市販のペットフードの中には、ペットの体に良くない成分が含まれている商品もあることをネットで知りましたが、当時はそのような知識もないまま、何も考えずに「安いから」「食べるから」でペットフードを選んでしまっていたことを今とても後悔しています。



それ以上に今も考えてしまうのが、「もっと頻繁に病院に連れていくべきだったのではないか」「人間のようにセカンドオピニオンも考えるべきだったのではないか」ということです。



亡くなる1週間ほど前には、ナナは腎不全を起こしてしまっており、病院で点滴を受けたものの、もう立つことも自力でトイレに行くことも食べものを口にすることもできなくなっていました。



病院では「18歳だし寿命と考えてください」と言われました。


私はその言葉をそのまま信じてその後病院に連れて行くことはせず、家で看取ることを選びました。



しかし、その選択について、今になっても後悔の念が私につきまとって離れません。


「あの時別の病院に行っていればもしかするともっと長生きできたのでは?」
「立てなくなった後も、やはり病院に連れて行くべきだったのでは?」
ナナのことを思い出すたび、その言葉が頭をよぎります。



次にもう一度ペットを飼うことがあるとすれば、今度こそは出来るだけ後悔のないよう、病院選びと餌選びをしっかり考えたいなと思っています。

ペットロス

Posted by 管理人