猫が亡くなってペットロスになった体験談

2024年1月14日

母のペットロスを解決してくれた?我が家を救う不思議な猫リレー

にゃ助は我が家にやってきた6代目の猫でした。


気性は穏やかで可愛い茶トラ猫。

産まれて間もなく野良の母猫とはぐれ、近所のお墓で助けを求めてミャーミャーと大きな声で鳴いてたのが出会いでした。

声を聞いた母猫が迎えに来るかもしれないから見守ろうと決めましたが、どうしても心配で何度も夜中に家族で様子を見に行った事を覚えています。

朝方になり声を聞いたカラスが集まってきたので、もう放ってはおけないと父が抱いて家まで連れてきました。



我が家はその半年前に飼っていた愛猫を亡くしたばかりでした。

その猫も同じく茶トラ猫でとても身体の大きい優しい猫でした。

1ヶ月程病み家族で看取りました。

母は亡くしてからしばらくしてから眩暈を訴えるようになり、どうやら世にいうペットレス症候群のようでした。

まさかとは思いながらも振り返れば当時私たち姉妹は高校生や社会人で外の世界へ出っぱなし。

専業主婦の母が昼間ずっと一緒に過ごしていたのが愛猫だったのです。

その存在がなくなった喪失感をいちばん感じるのは母であったのだと思います。



にゃ助はそんな家族、母の前に現れた救世主でした。


母は眩暈なんてどこへやら、にゃ助のお世話でまた日常を取り戻しました。

それから16年です。

家族に寄り添いにゃ助は我が家で暮らしてきた猫達の中でいちばんのご長寿長猫になりました。

家の建て替え、私の結婚、同居、出産。

家に赤ちゃんの居る生活。

様々な我が家の門出や変化を一緒に生き、いつも寄り添ってくれていました。

そんなにゃ助が去年亡くなりました。

16歳の大往生。

家族みんなで看取りました。

母はにゃ助を懐かしむことはあってももう悲しんだり眩暈を起こすことはありません。

今は家族と孫3人に囲まれて目まぐるしくも穏やかな毎日です。



我が家の歴代猫は全て野良猫か捨て猫です。

自ら家に迷い込んできたリ、近所で捨てられていて困っていたり、猫の方からやってくるのです。

私はそれを我が家の猫リレーと呼んでいます。

今は珍しく我が家には猫はいません。

穏やかに暮らす母を見ていると、もしかしたら猫が助けを求めて家に来るのではなく、我が家が助けて欲しい時に猫が来てくれるのかもしれません。



今度現れる猫はもしかしたら私にとっても救世主になるのかもしれません。

会える日を待っています。

同時期になくなった愛犬と愛猫 相棒がいなくなったショックだったのか、思い出すといまだに悲しくなる

私は以前、仲の良かった犬と猫を同じ時期に亡くしました。


今まで犬と猫を一緒に飼ったことがなく、仲良くなると思いもしなかったので、一緒に過ごすのはとても幸せでしたが、その分失くした悲しみは大きくて、しばらくは鬱病のようになっていました。


二匹を一緒に飼う前は、犬だけを飼っていたのですが、犬ゆ散歩させている途中で捨てられている子猫に出会いました。


出会った時から犬の方がすっかり子猫にメロメロで、とりあえず保護して病院に診てもらうことにしました。


初めは弱って目も見えていない子猫でしたが、世話をするうちにどんどん元気になり、綺麗な雌猫に成長しました。


犬はまるで宝物のように猫を大事にしていて、猫も犬のことが大好きでいつも一緒に過ごしていました。


そのため、初めは貰い手を見つけるつもりでしたが、我が家の一員として迎えることになりました。


飼い始めて2年経った頃から、元々年寄りだった犬の耳が聞こえにくくなったり、よく足をつまずくようになりました。


かかりつけの病院で、心臓も少し弱くなっていると指摘され、そろそろお別れの時が近いのかと覚悟するようになってきました。


しかし、ある時犬の方ではなく、まだ若い猫の様子がおかしくなり、病院に行ってみると、白血病にかかっていることが分かりました。


あまりに急なことで、私は強いショックを受けました。


猫の生命力にかけて治療しましたが、1ヶ月の闘病の末、息を引き取りました。


猫を亡くした後、犬は寂しそうに猫を探すそぶりを何度も見せ、見ているこちらが辛かったです。


それから2ヶ月後に、犬も持病の心臓が悪くなり倒れ、治療の甲斐なく亡くなりました。


猫を亡くした寂しさが犬の体に負担になったのではないかと、未だに悲しくなってしまいます。

12年過ごした愛猫の突然の死 1年近く受け入れることができなかった 1日1日を大切にしたいと実感

みなさま初めまして。

私は26歳の会社員です。


私が12年間ともに過ごした大切な家族の猫とのお別れの話です。



私がその大事な家族と出会ったのは、中学2年生の頃です。



私は小さいころから動物が大好きで、
週末は家族で動物園やお友達とペットショップへ行くのが楽しみでした。



それから何度も家族会議をし、
母も父も動物好きなこともあり

生後3か月の小さい子猫を家族として迎えいれました。



朝起きても、猫。


昼間の授業中も猫でいっぱい。


学校から帰っては、猫に直行。



家族で団らんをしている時
友達や、彼氏と喧嘩してつらい時
高校受験の時、
専門学校の試験の時、

思い返すと、いつも近くに猫がいました。



私が社会人になり2年目。



猫12歳の時
急に痙攣、嘔吐をして、そのまま亡くなってしまいました。


本当にいきなりの出来事でした。



急いで病院に駆け込みましたが、
私の願いは届きませんでした。



こんな急なお別れがあっていいわけがありますか。



昨日まではあんなに走り回って元気だったのに、
朝起きたときに、鈴の音がしない。


いつもいるお気に入りのソファにいない。


ご飯ちょうだいのニャーの声が聞こえない。



こんなに大好きなのに。


もういないんだ。



何度嘘であってほしいと思ったことか。



やり場のない気持ちでいっぱいでした。



ショックで立ち直れず、仕事を早退して帰ることが増えました。


その時母に言われたのが、

つらい、寂しいのはみんな同じ。


猫だけではなく、家族やあなた自身もいつかこの世から去る時がくる。


だからいつかまた会える。


恥ずかしくないように、しっかり頑張りなさい。



そんなこと分かってる。


でも受け入れることが出来なかった。



それから月日が経ち、
思い出として、笑って話せるようになったのは1年後のこと。



やっぱり時間しか解決してくれなかったです。



そりゃあ、今でもやっぱり寂しいですよ。


でもいつか会えると信じているので大丈夫。



あなたにもそう思える日が来ますよ。



ペットが教えてくれた命の尊さ、一日一日を大切に生きましょう。

老衰でなくなった愛猫 思い出はいまも色あせることなく鮮明に 本当の家族だった

飼っていた猫が亡くなって、もう、6年ほど経ちます。


年月が経過しても、猫のミータと過ごした記憶は鮮明に思い出せますし、褪せることも不思議とありません。



それは、本当に家族だったからだと思います。



ミータと出会ったのは、私が小学生の頃です。


2つ年下の弟が土手で捨てられていた子猫を拾ってきたのが、ミータでした。

やせ細って、お腹も下し、目やにで目が開かない状態のミータを動物病院に連れて行ったのが始めでした。



それからは私の部屋にビニールシート・毛布を敷き、トイレの世話から、躾、すべて私がしました。


もともと、動物好きな家族みんな、すぐにミータを家族として認め、それから、長く長く一緒に過ごしました。



大人になった私が結婚し、お嫁入りする時も、子供が産まれてからも、ずっと一緒に過ごしてきました。


子供には、毛の生えたお兄ちゃんのように、ミータも側で見守り、家族でした。



それまで病気ひとつしたことのなかったミータが、ある夏の日、毛玉をはくことができず、くふう~くふう~と空咳をするようになりました。


その時点で、すでに20年以上生きたミータはかなりのおじいちゃん猫でしたので、病院に連れていったときは、「老衰ですね」と。

自分で毛玉を吐く力がなくなってきていました。


それでも、それからしばらくは食欲もあり、元気で、その年の冬に、朝から寝たままだったミータの体が冷たく硬くなり出しました。



意識があり、目からは涙が出ており、結婚した家族全員がミータの体に手を置き、「ありがとうね」と泣きながら、少しづつ、息ができなくなり、目を閉じ、亡くなるミータを見送りました。


しばらくして、家に戻った私を主人や子供たちは何も聞かず、迎えてくれました。


キッチンで声を我慢できず、泣きながら料理する私を誰も、何も言わず、そっとしておいてくれました。



すぐには、葬儀する決意ができず、2日ほどはミータを家族と過ごしました。

それから、骨となり、土へと還りました。



今でも、あの時のつらさを思い出すと又、新しいペットを飼う決断ができずにいます。

ペットは家族、本当にこの一言に尽きます。



彼がいてくれて、私の人生は温かいものになりましたし、彼を思う家族の絆で離れた家族も繋がっているような気もするのです。

ペットロス

Posted by 管理人