犬を亡くしてペットロスになった体験談
5年経った今でも写真に手を合わせています
5年前の3月愛犬の「ぷー」を亡くしました。ぷーは嫁が連れて来た犬で、結婚する前から遊んでいました。小さい頃から知っていたので家族同然で、自分にも馴染んでいましたし、ぷーの世話は自分が担当していました。5年前の3月仕事中、職場に嫁から電話があり、突然ぷーが死んだと聞かされました。一瞬何が何だかわからなく、頭の中が真っ白になったのを覚えています。職場のスタッフにお願いして早退させてもらい家に直行しました。そこには箱に横たわったぷーが眠っていました。人前で泣いたのは何年振りかわかりません。嫁から聞かされた話ですが、獣医さんいわくお腹に腫瘍があったらしく、病院に着いた時は手遅れだったらしいです。自分はその日仕事に行く時、家に誰もいなく、ぷーがイタズラしないように洗面所のなかに閉じ込めて家を出ました。少し嫌そうな顔で見送ってくれましたが、それがぷーとの最後になるなんて思いもしなかったです。その当時まだ娘も小さかったのであまり記憶がないらしく、たまに「ぷーどこ行ったの?」、「ぷーはもう帰って来ないような気がする」などと言われるとものすごく辛いです。もういないぷーを今でも家族として娘が認識してくれている事は大変嬉しいですが、同時にぷーがいない寂しさを痛感します。思い返せば、面倒くさくて散歩に行くのをサボってしまったり、トイレに連れて行くのを渋ったり、もっと遊んであげれば良かったなど、後悔する事が多々あります。葬式の時、ぷーの小さい時の写真を見て、それまでの思い出が走馬灯の様に蘇って娘の前なのにも関わらず泣いた事を覚えてます。家族を失うと悲しみが消える事は無いと思いますが、それでも写真に手を合わせてその日の報告をするとぷーが身近に感じます。
母が亡くなって一人になった父を支えてくれた愛猫 実家に会いにいく前になくなり後悔 泣いてばかりいた
私が20歳の頃、友人と訪れたコンビニエンスストアで子猫を拾いました。真っ白な体にブルーの瞳のとてもきれいな猫でした。捨て猫や野良猫を見たことはそれまでもありましたが、なぜかその子だけは離れることができず、思わず友人の車に乗せてもらい連れて帰ったのを覚えています。もともと飼い猫だったのか、トイレや食事の躾もすでにされていて、食卓の上のものに手を出したりするようなことも無く、とても賢い子でした。性格もおとなしくて、走り回ったりじゃれたりといった猫らしい行動があまり無く、いつも家族の誰かにぴったりと寄り添って寝ていました。私は当時実家暮らしでしたので、父も母も非常にかわいがっており、いつも家族の中心にその子がいました。ある年私の母親が病気で亡くなり、実家には父と私と猫だけになりました。毎日母と寝ていた猫は、とても寂しそうに見えました。父はもう定年退職して家に毎日おりましたが、母親がいなくなった寂しさをその子がずいぶん紛らわせてくれていたと思います。数年後、私が実家を出ることになり、その子は置いていくしかありませんでしたが、父を一人で残して行くより安心できました。きっと父の話し相手になってくれていたと思います。それからは私もたまにしか実家に帰ることができず、猫と触れ合う時間がだんだん減っていきました。猫が14歳になった頃、父から「だんだん弱ってきている」と連絡があり、最後に実家に会いに行く前に亡くなってしまいました。猫にしては14歳は長生きで、病気もせず大往生でしたが、それだけに一緒過ごした時間が長く、いなくなってしまった後はとても辛かったです。家の中の何を見ても思い出し、しばらくは何も手にかず泣いてばかりいました。もっと会いに行けばよかった。と何度も思いましたし、写真などがあまり残っておらず、小さい頃からもっと記録を残せばよかったとも思いました。なにより一人になってしまった父はとにかく寂しそうで、あまりに辛いのでもう生き物を飼うのはいやだと言っていました。一緒にいられる時間は限られているものです。わかっていたつもりでいましたが、失って改めて思い知らされることばかりでした。長い間、父親といてくれてありがとうと伝えたいです。
亡くなってからも夢にでてくる心臓病で亡くなった愛犬 後悔もあるも楽しい思いでも多い
5年前に愛犬を心臓の病気で亡くしました。まだ8歳で、平均寿命より早く旅立ってしまいました。愛犬と出会ったのはホームセンターの中にあるペットショップで、元気に暴れてる姿に惹かれました。店員さんにケージから出してもらって、抱っこさせてもらったときに私の顔を激しく舐めてきました。「もうこの子しかいない!」とビビッと来て、我が家に迎え入れました。愛犬の犬種図鑑を見ると”おとなしくあまり吠えない”と書いてあったんですが、うちの子はよく吠えて元気に動き回る活発な女の子でした。寝るときも一緒に寝ていて、寒い夜は布団に入りたくて教えていないのに、寝てる私の肩をトントンとして、『入れて!』と催促するくらい人間味溢れる犬でした。そんな愛犬は亡くなる数年前から咳をするようになり、体調が急に悪くなったのは6月で、上旬に病院に連れて行き、もう残り少ない事を宣告されて、2週間後くらいに旅立ちました。いつも一緒にいて娘のようでもあり、妹のようでもあり、友達のようでもあった愛犬がいなくなって、命日を迎えるまでの1年間ずっと寂しかったです。亡くなって数日は食欲もなく、泣いてばかりいました。そんな私を心配してか、愛犬の魂が家の中で不思議な現象を多々起こしていて、愛犬が近くにいることを感じられました。「もっと早く病院に行っていれば」「ああしておけばよかった」など5年経った現在でも後悔することが多いですが、楽しい思い出もたくさんあり、たまに夢にも出てきてくれます。命が亡くなるのはとても辛くて悲しいですが、寂しさを埋めるのは同じ生き物でしか埋められません。街で愛犬と同じ犬種を見ると「キャー!かわいいー!」ってなるので、そろそろまた同じ犬種の子を迎え入れようかなと考えています。
浮気症の夫との夫婦生活を支えてくれた愛犬の死 夫の暴言が許せず 離婚をして弔いながら生きていきたい
私とマルチーズのそらが出会ったのは、結婚2年目の時でした。結婚してすぐに子供を望んでいましたがなかなか授からず、夫の私への関心も薄れたころでした。「ペットを飼うとますます子供ができなくなるよ」と周囲からは言われましたが、ペットショップで出会った時に運命を感じてしまったのです。それまで、ペットを飼うことに興味がなかったのに、不思議とそらとは家族になりたいと思いました。そらという名前は我が家に来た時に良く晴れた空がきれいだったことからつけました。ペットを飼うのが初めての私にとってはそらとの生活は試行錯誤の連続でした。でも、本当にかわいかった。夫との距離がどんどん広がる中、私はそらとの生活にすべてをかけていました。そんなある日、思いがけず妊娠しました。出産のための入院中はそらに会えなくてとても心配でした。退院後は赤ちゃんの世話に追われてそらとの時間が減ることをきにしつつもどうしても赤ちゃん優先の日々に。それから12年。子供も小学校6年生になっていました。夫は、出産後も私に心が戻らず、浮気を繰り返したり借金をしてきたり散々な結婚生活でした。初めての子育てもたった一人でしなければならずうまくいかなくて泣くこともたくさんありました。そんな私を支えてくれたのがそらです。かまってあげられなくなったのに私の愚痴ばかり聞いてくれたそら。辛い時は、やさしく寄り添ってくれたそら。12歳でこの世を去ってしまいました。心臓病で肺に水がたまったことが直接の死因だそうです。私が愚痴ばかり言っていたからストレスがたまったのかなとか、子供の世話で手いっぱいであまり散歩にいけなかったなとか後悔でいっぱいです。きちんとお葬式をして納骨をしたいことを夫に伝えると「犬ごときにそんなことすんのか。お金の無駄だな」と言われました。その言葉がショックで、それからご飯がのどを通らなくなり、夜も眠れません。息子が私の代わりに夫に訴えて何とか葬式をあげ納骨することはできましたが、夫の顔を見るたびに震えがきます。12年間の結婚生活を支えてくれたのは、夫ではなくそらです。そんなそらのことを貶めた夫の言葉が許せません。夫と離婚して息子とそらを弔いながら穏やかに生きていきたいと今は願っています。
15年連れ添った家族との別れ
2017年12月 愛犬のマロンが老衰で亡くなりました。その日のことは今でも鮮明に覚えています。私が小学2年生のころ、一戸建てに引っ越し、その時に家族と話し合い、ペットを飼うことになりました。当時、両親から言われたことは、責任をもって世話をするということ。当時のマロンは生まれたてということもあり、小さく、手のひらに乗るサイズでした。しかし、犬の成長は思ったよりも早く、2~3年も経てば抱っこをするのもやっとの大きさに成長しました。飼い始めてからというもの、朝、昼、晩と毎朝3回お散歩に行きました。とても元気なシェットランドシープドックで、元々牧羊犬ということもあり、毎回長時間の散歩をし、マロンが満足するまで帰宅はできませんでした。中学生のころはそれが少し苦になることもあり、無理やり引っ張って自宅に連れ込んでいました。今思うと、もう少し付き合ってあげれば良かったと思っています。マロンが亡くなる1年ほど前から、体力がなくなってきたのか、散歩の時間が短くなり、また、目の色が白くなってきて、モノに当たるということも頻繁に起こるようになってきました。さらに、おむつを穿かせてあげないと家の中で漏らしてしまうほどになってしまいました。私がフィリピンに語学留学に行くちょうど一週間前、マロンはなくなりました。母はマロンが亡くなることが分かっていたのか、マロンが亡くなる一週間前あたりから、「家にいるときはできる限り一緒に居てあげて」と、言いました。その日、マロンはいつものように眠っていましたが、突然呼吸が荒くなり、息ができなくなり、そのまま息を引き取りました。その時は、涙が止まらくなったのと同時に、マロンとの思い出が一気に蘇ってきました。とても悲しく、何度も何度ももっといっぱい遊んであげれば良かった、もっといっぱい散歩に連れて行ってあげれば良かったと後悔しました。マロンが亡くなってから1年3か月が経ち、帰宅したときは納骨に手を合わせ、話しかけるようにしています。他にも飼っているペットがいるので、もっと愛情を注いで、後悔がないようにしていきたいと思っています。
帰省するまでがんばって生きていてくれた愛犬との最高の10年間の思い出
高校生になってすぐ友達の近所に子犬が産まれ欲しい人を探しているとのことで、親に許可をもらい、茶色の柴犬オスを貰いました。一度、小学生のころまでうちには犬がいたので買い方や、小屋などはありましたが、新しい家族が出来てみんな喜んでいました、子犬のころは本当に可愛いですし、みんなで取り合いでした。段々と、成長し大人になり賢くなり、もう家族の一員でアイドルでしたちょうど日韓のワールドカップの前だったので、サッカー少年だった自分は、ベッカムとなづけました。最初は全く覚えてもらえない名前も、ワールドカップでベッカムブームが来ると、みんなにすぐ覚えてもらえました。一緒に散歩したり、遊んだり毎日の癒しでした。大学までは実家から通っていたので毎日の見送りはしてくれました。大学を卒業すると、一人暮らしを始め、実家から離れるのでベッカムとはお別れになりました、この時は本当に寂しかったです。月に一度は帰るように心掛けて、帰るたびに沢山遊んであげましたが、だんだん、自分が帰るのがわかるとなかなか、離れず帰してもらえませんでした。だんだん、ベッカムも年を取り、老犬になってきていました。昔のような元気はなく、落ち着いているというか、ゆっくりな行動になっていました。調子もだんだん悪くなっていてでも会えば元気にしっぽを振って寄ってきてくれます。10歳になったくらいには、もう散歩もいけないくらい弱っていて、自分が実家に帰るときまでは、頑張って生きてくれましたが、みんなで夕ご飯を食べた後、外に飛び出して、そのまま舌を出してなくなっていました。急にだったので信じられなかったですが、自分が帰ってくる日まで一生懸命生きてくれて、最後に遊べて家族と一緒にご飯を食べてから旅立ちました。本当に悲しかったです。いつかこの日が来るというのはわかってはいましたが、現実は認められません。それ以来、ペットは飼っていません。一緒にいる時間は最高のパートナーですが、別れは辛すぎます。大切な命ですので、また次に飼うときは最高の愛情を与えたいです。
ガンがみつかり旅行の直前に亡くなった愛犬 旅行にいかなければよかったんじゃないかと後悔
小学1年生の時、愛犬のバーディーは私の家に来ました。クリスマスにやってきたバーディーは、私にとって最高のクリスマスプレゼントでした。とっても頭がよく、スポーツ万能で人の感情をとても読み取ってくれる甘えん坊な子でどこへ行くにも一緒でした。私とバーディーは一緒に成長しました。私が大学生の時、バーディーに癌が見つかりました。癌が分かったのは夏で、目の上にポコッと小さなできものが出来ていたので私は外に出て蚊に刺されたのだろうと思い、掻いてあげようとしたところいつもだったら気持ちよさそうにするのに、その時は痛そうにかばうような仕草をし不思議に思ったのが癌発見のきっかけでした。脳に癌があるとのことで、摘出するのは難しいとのことでした。私は、急な出来事にとても悲しくなり何日も泣き続けました。残された時間を大切に過ごそうと努めましたが、だんだんと元気がなくなっていくバーディーを見るのはとてもつらいことでした。バーディーが亡くなった日、私は前々から大学の友達と旅行の予約をしていました。旅行へ行こうとした直前バーディーは亡くなりました。「最後まで良い子だったね。みんなが揃っているときを選んで亡くなったんだね」と母親は言い、私は正直言うと全然旅行に行く気になれずドタキャンにはなってしまうけど、断ろうかと考えました。しかし母親は、「予約していたんだから旅行に行っておいで」と私に言い私は旅行に行くことを決めました。旅行中も涙をこらえるのが大変だったのを覚えています。今になっては、旅行に行かなくてもよかったんじゃないかとか、癌で痛くて鳴き声を上げてるときにもっと寄り添ってあげたかったとか、後悔はたくさんあります。亡くなった後は、喪失感でいっぱいでした。帰宅したとき迎えてくれる気がするバーディーがよくいた下駄箱の下から出てくる気がするなど、まだバーディーがいる気がして、亡くなったのを信じたくなくて苦しかったです。時間が経つにつれ、苦しさはだんだんと癒えてきましたが三十路手前になった今でも実家に帰るとバーディーが出迎えてくれるような気がするときや夢に出てくることが未だにあります。それだけ私にとっては大切な存在でした。バーディーにはとても感謝しています。
老衰でなくなった愛猫 もう一度あえるなら、背中をなぜてあげたい
猫のミルクとの出会いは私が小学5年生の時でした。家の前に迷いこんできたミルクはまだ子猫ですごく可愛かったので、親に「どうしても飼いたい」と頼みこんだことを今も憶えています。そんなミルクが亡くなったのは、それから17年後のことでした。猫として長く生きてくれたと思います。ミルクが亡くなるまで、何の兆候もなくある日突然朝になると冷たくなっていました。昨日まで普通に生活していたのに、急な別れ。思いもしなかった出来事に動揺してしまいました。かかりつけの獣医さんによると「老猫の突然死は決して珍しいことではなく老衰だと捉えて下さい」とのことでしたが、どうしても自分の中で整理がつかなかったです。夜、布団の中に潜りこんできたミルクが居ない現実に毎晩泣きはらしました。会社へは今まで通り行きましたが、帰って来るとミルクの姿が見えないのでやはり精神的に落ち込みました。家族の中で私が一番ミルクを可愛がっていたので、この気持ちを共有出来る人がいなくて辛かったです。それから1年経過した頃に「またペットを飼いたいな」と思うようになったのですが、どうしてもミルクのことを思いだしてしまい「あんなに愛情はかけられないのではないか」と考えるようになって思いとどまりました。そんな私の今の楽しみはミルクの写真を見ることです。写真を見ていると、悲しい気持ちよりもあの時の楽しかった記憶が蘇って元気が出てくるんです。そして叶わない夢ですが、今ミルクに会えるとしたらもう一度背中を撫でてあげたいですね。
愛しのサムよ、16年間、幸せな時間をくれてありがとう
大阪に住む叔母の家の犬が、5匹 赤ちゃんを産みました。「うちは、5匹も面倒見れないから、1匹飼ってくれないかしら?」と写真付きで手紙が届きました。犬を飼うことが夢だった私は、両親に「ねぇ、この赤ちゃん犬、可愛い。私がお世話するから、買っていいよね」と、かなりお願いしたことを覚えています。母は、「私は犬は怖いから、触れない。だから、あなた達が面倒みなさいよ!」反対を押しきって、犬を飼うことにしました。大阪から飛行機で遥々、福岡へ。飛行場で、ぷるぷる震える赤ちゃん犬を抱っこして、車で我が家へ帰りました。今日からうちの家族になる、赤ちゃん犬に何と名前をつけようか、みんなで話し合った結果、その年はオリンピックでイーグルサムというキャラクターが人気だったので、その名前にちなんで、【サム】と名付けました。サムとの生活が始まり、あっという間に成犬となり、私達が大人になって行く過程で、サムもたくましく成長しました。たまに、兄弟喧嘩のような感じになることもありましたが、翌日には尻尾を振って私達を出迎えてくれる、とても明るく活発な犬でした。15年の歳月が過ぎたころ、サムがガンにかかり、手術をすることになりました。主治医は、「術後1年間、命があるかわかりませんから、可愛がってあげてくださいね」と宣告され、私達は精一杯、サムのお世話をしました。16年目の春、とうとうサムは動けなくなりました。苦しそうな息をして、もうダメかもと思い、最後に水を与えました。サムは、私の目をじっと見つめていました。あんなに犬嫌いだった母が、最後、タオルにくるんで抱っこし、病院に連れて行ったのです。サムは、病院で、静かに息を引き取りました。サムの遺骨は、今でも動物霊園で供養しています。サムが亡くなった後、みんな悲しみに打ちひしがれていました。サムとの思い出がたくさんありすぎて、私は涙が止まらず、数日間泣きっぱなしで、母は、サムがいてくれたおかげで、辛いことも頑張ることができたし、元気をもらっていた、感謝してると号泣。私が学校で嫌なことがあり、落ち込んでいたら、サムはそっと私の横に寄り添い、心配そうな目で見てくれたり、父と母が、夫婦喧嘩をしていたら、「ワン!ワン!」と必死に止めたり、とにかく、賢い犬でした。あれから十数年経った今でも、時々、家族がサムの話題で盛り上がります。それほど、私達に大切な何かを教えてくれて、思い出を残してくれた宝物なのです。サム!私達の家に来てくれて、本当にありがとう!天から見守っていてね。私達も、サムのことは忘れないよ。
遠距離恋愛の彼女に振られた日に愛犬も亡くなった 大事な物は失ってから気付く
小学生4年生の時に飼い始めたペットの犬が死んだときは今までで一番悲しい出来事でした。その犬を飼うまでに、雨の日に子犬が紛れ込んできたこともあり、その時に飼うことを親から許して貰えなかったりと悔しい出来事があったりと犬を飼いたくて仕方がなかったです。待望のその犬は、親戚から譲ってもらった犬で、白と茶色の混ざった柴犬みたいな感じの雑種で、耳のところが茶色でパンダみたいな感じだったので、パンダという名前にしようと姉が提案しましたが、最終的にアニメからとってペスという名前になりました。飼い始めてからは一緒に遊ぶのが楽しくて、毎日遊んだり、一緒に昼寝をしたりと、いつも一緒に過ごしていましたが、大学受験などで忙しくなったり、彼女が出来て夢中になったりと、だんだん相手をすることが少なくなりました。そして、22才の時に朝起きたら死んでいました。前の晩の夜中に吠えたり、鳴いたりということがなく、夜中は気気づかなかったですが、苦しんだような顔をして死んでいたので、一人で苦しんでいたと思います。少し前から苦しそうな咳っぽいことをしていたので、喉が悪かったと思います。散歩の時に、ものすごく引っ張っていたので、それが原因だと思います。その後動物霊園に行き火葬してもらいました。いなくなってから、大事さに気付くということはよく聞きますが、本当のことだと思いました。生きていた時は、他のことに忙しくて、興味があまりもてなくなり、相手をすることが少なくなっていたので、もっと一緒に遊んだり散歩したりすれば良かったと後悔しました。同じ日に遠距離恋愛をしていた彼女から振られるということもありました。原因は忙しくて相手をできていなかったことだと思います。大事なものを二つ同時に失って、やる気も気力もなくなり、とても悲しかったです。それからは同じような過ちをしないように、ペットを飼うのをためらっています。