犬を亡くしてペットロスになった体験談
青春時代を過ごした愛犬との別れ 一日中頭から離れずに、仕事に打ち込めなかった日々
今から6年前、愛犬だったゴールデンレトリバーのラビを亡くしました。死因は寿命によるものです。無くなる前の数日、ラビの体調はとても悪そうだったので、覚悟はしていました。しかし、実際に亡くなると寂しいものです。ラビとは、私が中学生の頃に知り合いました。両親が動物愛護団体に所属する知り合いから引き受けたことがきっかけです。初めは恐くて触ることもできなかった私ですが、エサをあげるうちに徐々に懐き始め、いつしかラビは私にとってとても大切な家族になっていました。一緒に散歩をしたり、サッカーをしたり、旅行に行ったこともあります。短い間ではありましたが、ラビと私には強い絆のようなものを感じていました。一度ラビは病気で倒れたことがあったのですが、そのときは心配でたまりませんでした。一睡もできなかった日もありました。しかし、あのときよりは私は大人になったので、ラビが亡くなっても受け入れられると思っていました。ただ、現実はまったく違いました。心の中にぽっかりと穴ができてしまったようでした。一日中ラビのことが頭から離れずに、仕事に打ち込めなかった日々もありました。もういっそのこと、ラビと同じところに行きたいと思ったこともありました。しかし、ラビは私の心の中に生き続けています。ラビが見られなかった景色を、代わりに私が見てあげなければいけません。ペットを亡くすのは想像以上に辛いものです。人によっては悲しみを乗り越えるのが困難になるかもしれません。ただ、生き物である以上、必ず別れのときはやってきます。そんなときに後悔しないよう、ペットと過ごせる時間を精一杯生きることが何より大切だと強く思いました。
おとなしく人懐っこい愛犬の死 思い出すと今も涙がこぼれる
私は鹿児島県与論島の出身で、2013年に7年ぶりに与論島に帰省しました。そしたら亡き姉が飼っていた愛犬ジョンがいました。この犬は亡き姉が寂しいあまりに親に「ペットが欲しい」と言い出して、近所のおばさんから子犬をもらったのが始まりです。この愛犬はジョンという名前ですが、とても人懐こい性格です。そして噛み付くこともせず人が来ても吠えることはありませんでした。僕も与論島に引っ越してきてからはとても可愛がっていて散歩に行ったり、餌を与えたりしてとても可愛がっていました。また姪っ子もとても可愛がっていて、姪っ子は東京に住んでいるのですが、与論島に遊びに来たときはジョンと遊んでいていました。このジョンはとても賢く離し飼いしても家にちゃんと戻ってきます。頭が良くて「お手!」と言っても手を差し出します。大した躾をしていないのになぜか躾がちゃんとなっています。しかしそんなジョンも2015年に病気が発覚しました。与論島の獣医さんに診てもらった結果、体の中にギョウ虫がいると言われ、注射や薬をもらって治療していましたが、病気が発覚してから3ヶ月後に他界しました。最期は眠るように旅立って行きました。その時のことを思い出すととても悲しい気持ちになります。家族を失った気持ちで苦しくなります。ジョンとの想い出はいっぱいあります。父、母、私の3人で可愛がっていて、家族同然の扱いをしていたのでそのジョンがいなくなるととても辛い気持ちでした。思い出すと今でも涙が出てきます。
愛犬のおかげで不登校が治りました ありがとう もう一度会えるなら公園で走り回って遊びたい
私が愛犬のコロと出会ったのは小学1年生の時でした。その頃の私は幼いながらも人よりも繊細で、学校に行けていませんでした。そして学校に行けない自分自身も嫌で、心がとても疲れてしまっていました。そんな時に、両親が動物好きの私を元気付けようと買ってくれたのが、愛犬のコロでした。コロとはいっぱい遊びました。色々な公園に行ったり、小型犬なので自転車の前かごに乗せて色々な景色を見たりしました。そうしているうちに私は、自分が必要とされる喜びを知り、性格も明るくなりました。そしてしばらくすると学校に行けるくらいに回復することができました。そんなコロも私が大学生になったころには老犬で、少しずつ目が見えなくなる、歩き方がよろよろするなどの症状が出てきました。もう先はそんなに長くないとわかっていましたが、それでも死んでしまうなんて想像できませんでした。症状が急変したのは私が大学3年生、コロが14歳の時でした。急に鼻血を出し立てなくなってしまい、病院に行きましたが、寿命でもうあと数日の命だと言われました。それから3日後に息を引き取りました。静かに目を閉じるその瞬間に立ち会えてよかったと今も思っています。亡くなる瞬間は(仕方ない。生き物はみんな死ぬんだから。)と言い聞かせて涙を堪えましたが、その後急に涙が溢れてきました。お互いが子供の頃に一緒に遊んだ日々、コロのおかげで学校に行けるようになったこと、一緒にソファで寝たことなどを思い出すと、涙が止まりませんでした。それから1ヶ月くらいは、コロがまだ家にいるような感覚が続き、とても不思議でした。もしかしたら、本当にまだ家にいてくれていたのかもしれません。もう一度コロに出会えるなら、小さい時のように、一緒に公園を走り回って遊びたいです。
謎の突然死をしてしまった常習脱走犯だった愛犬 思い出すときはいつも笑顔になる
わたしが高校生の時、自宅に帰ると、母からクリが死んだよ。と言われました。昨日まで元気で病気でもなかったのに何を言っているんだ?という感じで、庭に出てみると、クリがいない・・。何かの上にシーツがかけられていました。わたしは、シーツの下にはクリがいる・・と思いましたが、怖くてめくれません。そもそもどうして死んだのかも聞いていません。少しだけ隙間から覗くと、クリの口が見えました。一目でもうこの世にいない事がわかるほど、ピクリともしないし息もしていない。結局わたしはそれ以上見れませんでした。母にどうして死んだの?と聞いても教えてくれません。家族はみんな黙ったままで誰も何も言いません。異様な雰囲気のまま、その日を過ごしました。悲しさよりも、わけがわからず、まだ死んだ事を受け入れらてもいなかったので、考えないようにして寝ました。数日後、母から実はね、弟がクリをお風呂に入れてあげるんだーって一人でお風呂に入れたみたいなの。そしたらクリが動かなくなっちゃったんだって・・と。お風呂に入れた事でどうして死んでしまったのかは今だに分かりません。大型犬なので溺れるとも思えません。そもそもクリは頭の良い犬です。力もあるので、何かあれば自分で脱走するでしょう。そう、クリは常習脱走犯です。でも、脱走しても必ずわたしが見失わない距離感を保ったまま逃げます。何度もクリは止まって振り向いてわたしが近づくと逃げるという感じで、完全にわたしをオモチャにしていました。弟は当時小学生になったばかり。弟がクリを死なせるなど考えられません。可愛がってあげてるつもりが死なせてしまったので、家族も表立って悲しむ事ができず、皆沈黙していたのでした。弟もお風呂に入れただけなのにどうして・・という風に動揺していました。私も弟の手前、あまり悲しむ様子を見せないように、クリは天国に行ったんだね、最後にお風呂に入れて気持ちよかっただろうね。と弟に言いましたが、今でもちゃんと笑えていたか分かりません。今でも最後に顔を見てあげなかったこと、なでてあげなかったことを後悔しています。そして今だに話題に出しにくい事がとても悲しいです。でもみんな今でも愛しています。別れは悲しいけど、クリを思い出すときはいつだって笑顔になるわたしと家族です。
愛犬のフィラリアでの死 20年経っても悲しみは癒えない いつかまた会えると信じている
20年前に愛犬の柴犬を9歳で亡くしました。飼うきっかけは、当時デパートの屋上にあったペットショップで買いました。従姉妹の家で飼っていた柴犬がその少し前に亡くなり、同じ名前を付けました。父の実家で昔飼っていた犬にも付けていた名前でもあったのですが、後々従姉妹の母である叔母に嫌味を言われました。死因はフィラリアでした。小学生の時に初めて飼った犬で、飼い方を知らない飼い主でした。人を噛む犬になってしまったので、病院もろくに連れて行ってあげられませんでした。病気になって弱っていったときには、変わってあげたいと毎日寝るときにお祈りしていました。私の膝の上でお漏らししたこともありましたが、私に心を許してくれていると逆に少し嬉しくなったりもしました。ただやはり精神状態もかなり辛く、学校に遅刻してしまったときには担任の先生に怒られ過呼吸を起こして一日保健室で過ごしたこともありました。保健室の先生と元担任の先生に慰められたことを覚えています。10歳も生きさせてあげられなかったのが本当に悔やまれて、今だに心苦しいです。その次に飼った愛犬も16歳で一昨年にこの世を去りましたが、天国で一緒に仲良く遊んでいると思っています。同じ合同墓地に埋葬されているので、たまにお墓参りに行きます。安らかに眠ってくれていることをお祈りし、ごめんねという想いとありがとうを伝えます。20年経っても悲しみは癒えません。いつかまた会えると信じています。元気だった頃は散歩をサボってしまったこともあったので、もし会えたらたくさん散歩に連れて行ってあげたいです。今も柴犬が一番好きな犬です。柴犬まるちゃんが人気になって嬉しいです。うちの愛犬の代わりはいませんが、重ねながら見て癒されています。左足のふくらはぎに噛まれた痕が残っていますが、それも大切な思い出の一つで、愛犬の生きた証しです。
一緒に成長してきて、安らかに眠るようになくなった愛犬
もう、 7年以上前のことです。僕が生まれるよりも前からベスという犬がいました。ベスは20年以上の生涯を過ごし、老衰でなくなりました。ある朝いつものようにベスに「行ってきます」と挨拶をして家を出ました。その時は、いつものように元気にしっぽを振って見送ってくれました。そして、夕方いつものように帰って来るともうベスは、なくなっていました。とても穏やかな顔でまるで眠っているようでした。そして、次の日に火葬してもらいに行きました。その時、涙が出そうでしたがぐっとこらえて、ベスを見送りました。しかし、家に帰っていていつもベスごいた場所を見て、我慢できずに泣いてしまいました。自分より年上で先に生きていましたが、一緒に成長してきて、家族の中でも一番仲良かったので、遊んだり、ご飯あげたり、散歩したりいろんな思い出がよみがえってきて、号泣してしまいました。最後、死に目に合えなかったことを今でも後悔しています。しかし、苦しまずに亡くなっていたらしいので、良かったかなとは思っています。いつも、ベスがいた場所を見ると思い出して今でも泣きそうになります。家族が亡くなるというのはとてもとても悲しいことなので、我慢しないで思いっきり泣く方が良いと思います。亡くなっても、楽しかった思い出はなくならないので、今は悲しいという気持ちよりも、楽しかった思い出の方が思い出されて、ベスの分ももっと成長していけるようになりたいと思っています。もし、またベスと会うことができるなら、大きくなった自分を見せて驚かせたいです。今はまだ飼うつもりはありませんが、将来、犬を飼うときがあったら、また新しい犬とも一緒に成長していけるように、仲良く過ごしていきたいです。
愛犬の死でわかったのは、いつまでも心の中にいるということをみんなで共有できることが大切ということ
私の飼っていたのは茶色の柴犬でした。飼い始めたころはまだ3歳でよく覚えていませんが、兄が飼いたいといい、いつの間にか兄がしていた散歩を小学生の高学年になった頃、私が一人でするようになっていました。本当は犬に人間と同じものを食べさせるのは良くないんだなと、幼心ではわかっていましたが散歩に行くとコンビニにつないでお小遣いで唐揚げを買い一緒に食べていました。おいしそうに食べるのでなおさら毎回のように行き、食べさせていました。普段は外で飼っていましたが、冬や雨に日は家の玄関に入れて横で布団を敷き一緒に寝ていました。それくらい大好きでした。犬がだんだん弱り始めてきたのは私が中学2年生の時のことで、一気に弱ってしまいました。一度は回復したもののまた歩けなくなってしまい家の中で飼っていました。ある日テスト期間だった私は、部活もなく早く帰ってきていつも通り丸まっている姿をを確認するとそのまま2階へ上がっていきました。しばらくして母が帰ってきて、死んでいると知らされました。この時私がなくなる前最後の人だったんだと思い、なんで撫でて一言声をかけてあげられなかったんだと今でも後悔しています。最後ひとりで逝かせてしまったんだなと、どんな気持ちだったのかなどはわかりませんがさみしい気持ちでだったかもしれないと思うととても苦しくなります。今でも思い出すと涙が止まらなくなります。それでも今、亡くなってから8年たっても命日は忘れず家族みんなで思い出話をしています。いつまでたっても我が家の三男坊だったことは変わりません。亡くなったときは本当に悲しいですが、ペットは私たち人間よりも寿命が短いのがほとんどです。思い出がたくさんある分立ち直るのに時間はかかりますが、いつかいい思い出になり、何年経っても話に出てきてみんなの心の中にいるペット達はきっと、また幸せに生まれ変わってこれるのではないかと思います。
愛犬の死後半年は気が張っていたが、納骨した瞬間フラッシュバックで涙が溢れその後うつ状態に 今は前向きになりつつ
18年前、動物管理センターの里親会に薄茶色で大きな耳が垂れている上目遣いの小さな雑種犬が檻の隅で震えていました。先日亡くなった母はその子が気になって仕方なかったので我が家に連れてきたのがポンとの生活の始まりでした。近くに人が居ると、お尻を誰かの足の上に乗せピタリと身体を寄せてくる甘え上手な男の子でした。犬は切らさずに、ずっと飼っていた我が家でしたが、こんなにも性格の良い子は初めてでした。とっても優しくて飼い主の言うことをきちんと守る頭のいい子でもありました。食べるのが大好きでごはんやおやつだけでは飽き足らず、高齢になった時には毎日の散歩に出かけると落ちているゴミなども口にしてしまうほどでした。去年の秋に、ポンを連れてきた母が病気で他界すると父も次第に元気を無くし、ポンにも元気が無くなって来てしまいました。父が緊急入院することになったので私も忙しくポンを自宅で預かる訳には行かなかったのでペットホテルに一時預かりでお願いしました。預けて1ヶ月後ほどした時にてんかん発作を発症し引きつけを起こすようになり3度ほど続いたある日そのまま亡くなったとホテルから連絡がありました。引きつけを起こしたので可愛いはずの顔は少し強ばっていましたが18年も良く生きていてくれたと感謝でいっぱいになりました。母の死に父の入院、自分の家族の生活がありますから落ち込んではいられない、としばらくは気が張っていましたが納骨出来なくて半年間ずっと家に置いていたポンの遺骨を庭に埋めようとした時に、突然フラッシュバックしたように涙が溢れ止まらなくなりました。いつも元気にしていた私が号泣してる??と子供たちは絶句で、かなりビックリしていたようでした。1度溢れ出した悲しみは止まらず、食事を摂る量も減り、前向きに考えられなくなってしまいうつ状態になっていたのだと思います。今は子供たちの笑顔で少しずつ前向きになってきました。大切なペットを亡くして前向きになれない今があっても、一歩一歩進んでいけば必ず未来はあります。天国に行ったうちのポンはきっと絶対に笑っている私を見たいと思っているので少しずつ元気を出していきたいと思っています。
おじいちゃんの一命を取り留めたのは愛犬のお陰?おじいちゃんと愛犬コロの絆
10年以上も前に飼っていた、オスの柴犬(コロ)が亡くなりました。コロは、大工の棟梁だった祖父が、現役時代に知り合いから突如もらってきた大き目な子犬でした。建築会社を営んでいた時代に、家から見える位置の母屋の隣に工場があり、その工場の入り口に番犬として祖父の作った犬小屋で飼われていました。家の方に連れてくることも考えていましたが、当時はもう1匹メスの柴犬(マリ)という先輩犬がいたため、廃業し、工場をほとんど使用しなくなってからも、コロの居場所は工場の入り口でした。祖父は毎日、コロと遊び、工場の入り口で語り合っているように見えました。そんな祖父も、タバコ好きがたたってしまったのか、引退後に肺がんを患ってしまい、自宅と病院を出たり入ったりしていました。そして、なぜか同じ時期にコロにもガンが見つかり、コブのような塊が出来てきました。闘病の末、祖父は自宅での療養にはいり、ガンの進行はあったものの、現役時代に鍛えていたこともあり多少は動けていました。コロの手術でガンを切除し、いつもの場所でのんびり過ごしていました。そんな日々が過ぎる中、残暑の厳しい9月のことでした。祖父の容態が急変し、救急車が自宅を出発したとき、コロも容態が急変しました。呼吸が苦しいのか、ゼイゼイと目を見開き横たわって体は痙攣をおこしていました。その時、たまたま工場を借りに来ていたお弟子の大工さんが、その様子に気付き知らせてくれたのですが、私も祖父が運ばれた上に目の前で愛犬が苦しみだしたことで、コロを抱きしめながら大泣きするしかありませんでした。その後、コロはそのまま息を引き取りました。そして、祖父は一命を取り留めました。コロが、ガンを再発していて亡くなったのか、別の原因だったのかは今でも分かりません。分かりませんが、1つだけ今でも悔やんでいることがあります。それは、コロの水入れに水がなかったこと…。工場は目と鼻の先にありましたが、水があるかどうかまでは見えなかったので、私たち家族も気にしていつも多めに入れたり、見たりしていたのですが、暑さで飲み切っていたのか、遊んでいるときにかやしていたのかどうかはわかりませんが、私はそれが原因かもと今でもずっと悔やんでいます。でも、当時祖父が一命をとりとめたのは、コロがおじいちゃんの代わりに悪いものをもっていったんだよ。と祖母がずっと話していました。そして祖父も、息子夫婦である父と母、妻である祖母に見守られながら自宅のベットで最後に言葉を交わして亡くなったそうです(孫である私と妹は、当時県外の学校に出ており帰れません死に目に会えませんでした)コロは、おじいちゃんが育てていたみかん山の自宅と工場が良く見える位置に、お弟子さんが作った棺桶に入れて埋めてくれました。そして祖父も、自宅と工場を見下ろしみかん山が少し見える位置にあるお墓に眠っています。祖父とコロがあちらで語り合っていることを、私は自宅から見上げる位置にいる1人と1匹をみながら願っています。
父が長期入院になり寂しそうにしていた愛犬 父が他界し8年後 愛犬も老衰 天国で再会できればいいなと…
ペットは家族と一緒。いつも一緒に生活してました。私が高卒で会社に就職が決まり、一段落した頃に、妹が結婚しました。父親は大反対でしたが、何度も挨拶に来て父親を説得した結果です。その後、妹がいなくなり、しょんぼりしていた父親を見て、ペットを買ってあげようと思いつきました。大型犬より中型犬の方がいいな、と思いブリーダーから直接買いました。犬種はシェットランドシープドック(通称シェルティ)にしました。まだ産まれて1ケ月程しか経ってないイヌです。早速家に持ち帰ってプレゼントすると父親と母親も一緒に喜んでくれました。名前は父親が”ジャック”と名づけました。妹が結婚し3人家族から、ジャックを入れてまた4人家族に戻ったんです。父親は溺愛し、何度も何度もチュウをしてあやしておりました。それから順調に育ち二年がたつと、家は二階建てなんですが、朝僕が起きる頃になると、母親が私を起こしに行ってきてと言うと、ダッシュして二階に上がってきて私の顔をペロペロ舐めて起こしにきました。お散歩も毎日行っていました。餌は普通のドックフードです。特別なものは与えてなかったです。警戒心が強いイヌなので、近くで物音がすると、すぐ吠えます。ある日、父親が朝から晩酌をしてかなり酔っ払ってからジャックと一緒に散歩に出掛けたのですが、公園で焼酎を飲みそのまま公園で寝て、リードを離しジャックが逃げてしまいました。家族総出でさがしましたが、ジャックは見つからず…諦めかけていたその日の晩、ジャックはなんと自力で家に帰って来たんです。嬉しくて泣きそうになりました。その数年後、父親が病気になり長期入院しました。父のいない家にジャックはお留守番。私と母親が家に帰って来てもなんだか物足りなさそうな感じでした。ご主人様はやっぱり父親だったんですね。その後父は癌で苦しんだ末に他界しました。この先、父親はずっとジャックに会うことは叶いませんでした。ジャックは母親と私で面倒を見てました。そして8年が経ち、ジャックも衰弱しきっていき、先日他界しました。悲しい思いも沢山味わいましたが、天国で父と再開できたかな、二人で仲良くしてればいいなーと私と母親は思っています。