亡くなったペットと会いたい!ペットロスの方の体験談

2024年1月14日

pixabayより

最後の供養で心と心が繋がった、忘れられない日

もうすぐ50歳を迎える主婦です。
一生、忘れられない出来事があります。

愛犬サリーを亡くして、動物の葬儀屋で葬式後お骨を預けて10年間、私達家族は 供養を欠かしませんでした。
サリーの命日になると、管理の方に必ずお経をあげてもらい、その後 愛犬と過ごした15年間の思い出話に花を咲かせていました。
笑いあり涙ありで、家族一人一人がそれぞれの思いを打ち明けて【偲ぶ会】はいつも温かな雰囲気でした。
この愛犬サリーと縁がなければ、私達は感動することも生活に潤いなど無かったのかもしれません。
そのぐらい、愛情を持って接していたと記憶しています。

供養を続けて10年目、管理者の方から「そろそろ愛犬サリーちゃんを土に帰してあげようと思うのですが、どうでしょう?」と話があり、私達は1日時間をもらい、話し合いました。
人間も動物もいつかは自然に帰し、輪廻転生で新しい命が誕生するというお話を
昔、お坊さんの説法で聴いたことを思い出しました。
この話で家族も納得し、いよいよ骨を土に埋めることを決心しました。
当日、私達家族は愛犬サリーが土へ帰される場所へ車で向かいました。
管理者の方が、いつもと違うお経をあげました。
私達はお骨をそれぞれ持ち、泣きながらお経を聴いていました。
すると、不思議なことが起きたのです。
サリーの骨が温かくなり同時に手の平も熱を帯び始めました。
私だけだと思っていたら、家族も「私も、俺も」と言い出し、側にサリーの気配を感じたことは、今でも忘れていません。むしろ、忘れられない記憶です。
思い返してみると、サリーの死後49日には、母の枕元に現れたとか、今回のような体験も不思議でなりません。

サリーは私達に『ありがとう』とお礼を言いに来てくれたのだと思いました。
そして、最後のお別れの日も『僕はここにいるよ』と言われているような気がしてなりませんでした。
大切に育て、思い出深かっただけに私達はこれからも、サリーとのご縁を一生忘れることはないでしょう。
また、来世 会いたいな。

66歳;女 愛犬チロを亡くし葬儀を済ませた今も会いたい気持ちが募る

私は60代半ばの女性です。

我が家の愛犬:チロ(男の子)を亡くして、かれこれ今年で10年の月日が過ぎました。


 チロとの出会いは某ペットショップ。

両親と私の三人家族の中に、チロが加わったのは平成4年の春。


その当時、試練とも言えるいろんな出来事が我が家で起こり、その苦難を何とか癒したいとの思いで、ペットショップにワンちゃんを求めて母と出向いたのです。

当初は、スピッツを、と考えていたのですが、なんとそのスピッツの隣のケージで小刻みに震えていたのが、生後半年のマルチーズ(後のチロ)でした。


その姿に母と私は迷わず買い求め、父の待つ我が家へと一目散。

父に報告したかったことがあったのです。


それは、なんと、その子と父の誕生日が一緒だったこと!! なんと不思議な巡り合わせだったことか!
我が家に来るべくして《この子》は来たのです。



 《チロ》と名付けたこの子は、それ以来、我が家のアイドルであり、 長男的存在でした。

ペットショップ
で母が最初に抱き上げた事もあってか、誰よりも母に懐いていました。

ワンちゃんは順位をつけるとよく言われますが、まさに我がチロも例に漏れず・・・  母が外出から帰って来る気配を感じると、すかさず玄関までお迎えに。

私が帰宅するとドアの向こうから走ってくる足音が途中で止まり・・(≫≪)『Oh my チロ!』と何度思ったことか・・(トホホホホ・・(≫≪)

 お散歩は専ら母の日課に。

『チロ、ドライブ!』というと、喜び遺産でグルグル走り回っていたチロ。


ドライブの際は、窓から半身を乗り出して風邪を体一杯に浴びていたチロ。

時には左折するタイミングで
勢い余って道路に落ちてしまったことも・・? 後続車が無かったことでまさに九死に一生を得! ある時は誤って川に転落し、運よく近くにいた青年に助けられたことも・・?

 チロとの思い出は尽きません。

そんなチロが10年前に心臓発作を起こし・・。

必死で母と心臓組成マッサージを施して、一旦は事なきを得たのですが、相次いでその大事な母が今度は急に血圧が上がり、倒れ、救急病院へ・・。

検査の結果、心臓バイパス手術を緊急で行うことになったその時、本当に時を同じくしてチロの様態が悪化し、行きつけの動物病院へ・・? 母も手術前だという中での出来事に私はパニックになってしまいました・・。

しかし、必死の介護も虚しくチロは動物病院で、治療を受けながら私の腕の中で息を引き取りました・・。

その直前、私に振り向いたチロの瞳は何か言いたそうにジッと見つめて・・。

『チロ!』!!  そしてチロは逝ってしまったのです。

17歳8ケ月の日々でした。

主治医は『ここまで長生き出来たのは、本当にご家族が可愛がっていた証拠ですね。

大往生ですよ。

』と声をかけて下さいました。



 その後、母の心臓バイパス手術も大成功に終わり・・。

でも、チロがいない・・。

もしかしたら、チロは
母の代わりに逝ってしまったのかも知れないと・・。

そう思っても、どれほど涙を流したことか!! ペットのメモリアルホールの方に泣きながら電話をかけ、チロを迎えに来てもらい、葬儀を行って頂きました。


退院後、母とともに祥月命日の日には、チロの大好物の食べ物を持って会いに行きました。

何度も何度も・・。



 今もチロの可愛い写真を日当たりのよい窓辺に飾っています。

チロ! 大好きなチロ! 今でも、これからも、ずっと一緒だよ! キミの大好きなお母さんもキミのお陰で長生きしているよ! もうすぐ90歳を迎える母と共に、チロとの日々を思い出しながら、あの懐かしい散歩道を今日も歩いてきました。

35歳女性 ペット専門お葬式場で気持ちの整理を

私は30代の主婦で子供が2人いますが、一人目の出産直前に10年連れ添った愛犬を亡くしました。

愛犬は高速道路でよたよた歩き危ないところを知り合いに保護され、犬は絶対に飼わない!といっていた両親にも関わらず大きく反対にも合わずに買うことになりました。

見た目はシーズーのようでしたが、実際はどうなのか、そして何歳なのか、どこから来たのか、全くわかりませんでしたが。

犬なのに散歩が嫌いでドックフードはお腹がすいても食べないのに、おやつは袋を引きちぎってまで食べるような面白い子でした。

でもそれがたたったのか、肥満になり心臓に負担をかけていたようです。

ずっと元気だったのにいきなり体調が悪くなりあっという間に天国へ行ってしまいました。

産まれてくる我が子と触れ合わせる気満々だった私は現実をなかなか受け入れることができませんでした。

一度寝て起きた後、実はまた生きてるかも、と愛犬の体を触ったけれどもちろん冷たくて動きません。

けれども私をたくさん笑顔にしてくれた愛犬を最期もきちんと見送ってあげなければ、とお葬式をきちんとあげることにしました。

インターネットで調べて良さそうところを予約。

亡くなった次の日の昼にはペット専門の火葬場へ連れていきました。

人間と同じようにお経もあげてもらい、棺代わりにした段ボールに愛犬に似合うお花を飾ってあげました。

火葬自体はさみしくないように他のわんちゃんと一緒にしてもらいました。

お墓もひとりのお墓だと寂しいかな、と思い共同墓地に。

今でもたまにお墓参りに行っています。

犬の火葬は市で請け負ってくれることもありますが、それだと愛犬に会いたいときどうしたらいいかわかりません。

でもきちんとお葬式をあげてもらい、さらに共同ですが墓地に入れてもらったことで、愛犬に会いたいときに会いに行ける、一方的かもしれないけれどお話ができること、とてもよかったなと思っています。

愛犬を亡くすことは本当に辛いことです。

ですがお葬式をきちんとあげることで気持ちの整理ができるのも事実。

お金はかかりますが、一緒に過ごした大切な時間をしっかりと思い出にするために、お葬式をあげておくことはとても良いことだと思います。

大好きだった愛犬の死に夢でもいいから会いたいと何度も願った

小学校4年生のある日。


お母さんについて行ったスーパーで、子犬を譲ります。

という写真つきの張り紙があるのを見かけました。


写真に写っていたのは、フワフワでまるで、ぬいぐるみのような犬でした。


私は、どうしてもどうしても!その子を家族にしたいと強く思い、その日の夜、両親に相談しました。



両親は、私の熱意に負け、犬と会ってみる約束をしてくれました。


私は嬉しくて嬉しくて、この日のことは今でもしっかり覚えています。


それから3日後、私たち家族は、その犬がいるおうちまで会いに行きました。



そこに居たのは、あの写真のままの本当にぬいぐるみのような子でした。


そしてその子は、その日の夜から私たちの家族になりました。


可愛くて可愛くて…一生大切にするよ。

とそう話しかけて抱きしめました。



名前は私がつけました。

ペコです。


ペコちゃんみたいに下を出すからという理由でした。


ペコちゃんは私の一番の親友で、お世話も全て私がやっていました。


だからペコちゃんも私に一番なついてくれて、それから私たちは本当に幸せな毎日を過ごしていました。


もうペコちゃんがいない人生は考えられなくなっていました。



それから10年、私が18歳の頃、ペコちゃんは、あまり歩かなくなり、目もあまり見えなくなってしまいました。


獣医さんには、歳だから仕方ないと言われていました。



そんなある日、あまりにも突然にペコちゃんは天国へ旅立ってしまいました。

老衰でした。



私はひどく動揺し、まだ暖かさの残るペコちゃんを抱きしめることしかできませんでした。



ペットのお葬式をしてくれるところに連絡をし、ペコちゃんのお葬式をしました。


骨になってしまったペコちゃん。


受け入れるには、すごく長い時間がかかりました。


夢でいいから会いたいと何度も願ったものです。



ペコちゃん、どうか私を天国から見守っていてね。


またいつか、必ず会おうね。


ずっと大好きだよ。

ありがとう。

カニカマの与えすぎがよくなかった 弟のように可愛がっていた愛猫の腎臓病での死

猫のふみまろと出会ったのは5年くらい前の10月くらい。

まだちっちゃい子猫でうちの庭に入ってきた。


大体の猫は人が寄ってきたら逃げるんだけどふみまろは逃げなかった。


カニカマで確保できた。

ちょろいかわいい。


それからお風呂とかで身体洗ってお迎えして、100均とかでおもちゃいっぱい買ったりしていっぱい遊んだ。


1年位で見向きもしなくなったけど。


庭が広いのでよく外に遊びに出て喧嘩もよくするようなやんちゃ坊主だった。


怪我も多かった。

師匠のような猫から喧嘩を教わっていたんだろうってわかったのは結構経ってから。


ふみまろがいるときは庭に結構いろんな猫が遊びにきたり彼女みたいなかわいい猫もいっぱい遊びにきてて見てて楽しかった。


自分の子じゃない子猫の世話とかもよくしてたみたいでよく外に出てた。


鳴き声はカラスみたいでやかましかったけれどもトイレのしつけもすんなりできてたしとにかく懐っこかった。


そしてカニカマがめちゃくちゃ好きだった。


それがよくなかった。

ついつい家族みんなしてカニカマをあげすぎていたせいで腎臓を悪くしてしまっていたみたい。


だから今年の夏に一気に具合が悪くなって、ご飯も食べなくなって、そのまま弱って眠るように亡くなってしまった。


今思えば死期は悟っていたのかもしれない。


死ぬ数週間前からやたらと可愛い仕草をするようになってなついてきていたから、精一杯自分は飼い猫だとアピールしているようだった。


まだ5歳。

もっとずっと長くいられるものだと思っていた。


正直今もつらいというか今が一番つらい。


寒い時期になるとよってきたあったかいもふもふした可愛い生き物がいない。


けれども最低でも1年は彼を偲び、喪に服すつもりだ。


また縁があるなら生まれ変わった彼に会いたい。

外に飛び出し亡くなった愛猫 今は受け入れられるが、毎日泣いていた

物心がついた頃から家に猫がいた私にとって、猫は家族と同じでした。


外に遊びに行ったまま、1日でも戻ってこない猫がいれば、奈落の底に突き落とされたような感覚で、心配で何も手がつかないほどでした。



家では多くの猫が生まれ、最大で6匹の猫がいた時期もあります。


多くの猫を出産から死まで見送りましたが、一番衝撃が大きかったのは、10年飼っていたシャムのチコの死でした。


チコは道路で車にはねられたのです。

私の一番のお気に入りの猫でした。



私が幼稚園生の時、オスのシャムがいたので、父がつがいのメスの子猫を買ってきました。

それがチコでした。


チコは生涯たくさんの子猫を産み、他所の人にあげたり、家で飼ったりしているうちに、常時4匹の猫を飼うようになっていましたが、私にとってのナンバーワンはいつもチコでした。



チコは私たち家族には従順で人懐っこいのですが、他所の人には警戒心を持って接するとても賢い猫でした。



両親が車で帰ってくると、お迎えに車の前に飛び出してくるほどで、歩いて帰ってくる私を見つけると、屋根の上から「ニャーニャー」と鳴いてお迎えしてくれていました。



授乳中の子猫が居る時は、外部に対して徹底的に警戒して、散歩中の犬に飛びかかる、勇敢な母猫でした。



そんなチコが、ある日家の近くの道路を横断中に跳ねられて、あっけなくこの世を去りました。

私が中学生の時のことでした。



ずっと一緒に育ったチコが「いなくなった」現実に、涙が止まらず、毎日涙で枕を濡らし、腫れぼったい目で登校していました。

勉強など手につきません。


頭の中はチコでいっぱいです。


2週間ほどそんな日が続いたでしょうか。


徐々に「チコがいない事に慣れ」てきて、いつしか涙を流さなくなりました。



猫を飼うことは、とても楽しく、まるで兄弟姉妹のような感覚です。


性格が良く、賢い猫ならなおさら愛おしいものです。



愛する家族がある日突然いなれば、誰しも闇の世界に入ったような感覚になるのでは無いでしょうか。

心の傷が癒えるまでは異なる時間軸に生きてるような感じです。



「もう一回チコに会いたい」
最後に見たチコの姿を思い出します。



「あの時、窓を開けて外に行かせてゴメンね」
と謝りたい。



チコ以外にも、多くの猫を飼い、見送ってきましたが、別れはいつも辛いものです。

とはいえ、あまりにも悲しむと自分自身が苦しくて、日常生活に支障が出てしまうので、感情をコントロールする術を身につけました。



悲しいのは事実ですが、日中は考えないようにするなどの工夫で乗り越えるようにしています。


猫がいなくなっても、自分の日常は続きますし、続けなければいけません。


私たち人間も、いつかは死ぬのだし、運命は各々違います。

それを受け入れてある意味割り切るようにすると、自分自身がとても楽になります。



今でも時々猫を飼うことがあります。


引っ越した飼い主に置いてけぼりにされた猫や、道で拾った迷子の子猫などです。

残念ながら、不慮の事故や高齢であまり長く続かず、その度に悲しい思いをしていますが、チコの時のように悲しみにくれる事はありません。



年をとったせいもあるだろうし、自分の子供の方が優先順位が高いせいもあるでしょう。


猫が私の気持ちに占める比重が、子供の頃よりも低いことは事実です。



でも、悲しくて、いつでもどこでも涙が出てしまう気持ちは、痛いほどわかります。

自分がそうでしたから。



悲しみが薄れるのに、どれほどの時間がかかるかは、人それぞれでしょう。


その人の状況にもよりますが、いつまでも泣いている事が悪いとは思えません。


例えば、20年間ペットと暮らす独居老人だったら、心の拠り所をなくすかもしれません。


兄弟同然で育ったペットが死んだら、体の一部をもぎ取られるような気持ちになるでしょう。



流す涙の数が多いほど、その猫を愛している証拠なのですから。

腎不全でなくなった愛猫 病気に気が付かなかったことに後悔 一度でいいかも会いたい

今から2年前に14年前から飼っていた猫のソアラが死にました。



ソアラは私が小学4年生の時にどうしても猫がほしくて誕生日プレゼントに親に買ってもらった大事な家族です。



死因は腎不全と猫が死ぬ原因がかなり多い病気だったのですが、なんでもっと病気にかかってることに早く気づかなかったのかと今でも後悔しています。



最初の異変は尿の量がいつもよりもかなり多いなと思っていた程度で不思議に思わなかったのですが本当はその症状は腎不全の第一症状と言われているみたいでこの時点で病院に連れていってあげていればまだ生きていた可能性があるのかなと思うと悔やんでも悔やみきれません。



そのうち食べ物を吐き出すようになり、流石におかしいと思って病院に連れて行ったときはもう手遅れでした。

末期腎不全と言われてしまい延命処置しかできないと言われもう頭が真っ白になった記憶があります。



自分も死んでしまいたいと思いました。

それほどショックが強かったです。



親にはいつか必ず寿命はくるもの、また新しい猫を飼えばいいと言われたのですがそうじゃないんです!

新しく飼ったとしてももうその子はソアラじゃない、全然違う猫だと思うと中々新しい子を飼う気がおこらないのです。



猫は好きです。

だから新しい子を飼いたいとは思ったりすることもあるのですが、ソアラの顔が浮かんできてどうしてもダメなんです。



もう1度だけ会いたい、会って幸せだったのかソアラに聞きたいです。

そうじゃないと前に進めない気がしてずっと後悔の渦にいるような気がします。

愛猫の腎不全での旅立ち 人生ではじめの絶望 涙がとまず制御できない感情 10年後の今は楽しい思い出に…

10年前に、8年間家族として生活を共にしてきた愛猫(クロ)が腎不全で旅立ちました。

病気が発覚してわずか3カ月後の出来事です。



治療をすればあと数年は大丈夫と信じていたので、私にとっては想定外のお別れとなりました。



人生でいろんな失敗や人との別れを経験してきましたが、クロとの別れでは、初めて絶望という感情を経験しました。



亡くなった時もショックは大きかったですが、1番堪えたのが火葬をして遺骨となり、姿形が目の前から消えてしまったことでした。



数日前には生きていたのに、今ではもう二度と会えない、現生にはクロがいないというのは、とても残酷な現実でした。



もしクロが亡くなったら、きっと私はボロボロになるなと思っていましたが、最初の数日~1週間は悲しくても、思っていたほどボロボロにはなりませんでした。



私って意外と強いんだと勘違いしたほどです。

でもそれは後からジワジワやってきました。



ある日突然クロがいない現実を突きつけられて、絶望という感情があふれ出し涙が止まらなくなるのです。

いい大人なのに情けないくらいの泣き方でした。



仕事で家から離れている時や、家族と過ごしている時は(悲しくなるだけなのでクロの話題は避けていたので)意外と普通に過ごせていたのですが、お風呂やトイレやベッドの中など一人の空間にいる時は、突然悲しみの感情が襲ってきて制御できないほどでした。



普通でいられる時と、そうではない時の感情の波が激しすぎて、このままだと壊れるんじゃないかと思ったほどです。



でも、そのたびに私が自分に言い聞かせてきたのは「この感情は仕方ない」ということでした。



だって愛猫が亡くなったのだから、ボロボロになるのは普通なのです。

逆に泣かない方がおかしいのです。



だからこの状況は仕方ないことなんだと言い聞かせて、泣きたい時は抑えることなく泣き続けて、感情を吐き出しました。



最初の2年は本当に大変でしたが、3年5年と月日が経っていくうちに、感情の波の感覚も長くなり、だいぶ落ち着いてきましたのを覚えています。



そして今年で10年です。

もう10年されど10年です。

思い出すと未だ泣いてしまう時もあるけど、あの時の絶望という感情はもうありません。

また会いたいなとか楽しかったな大好きだったよという、ただ愛しい気持ちの感情だけです。



ここまでになれるまで相当時間はかかるけど、いつかはそういう気持ちになれます。



だから今ペットロスで苦しんでいる人も、いつまでのその感情に襲われるわけではないことを信じて欲しいです。

猫と会えたこと、ペットに感謝していること、また会いたいと思うこと

私とその飼い猫は高校生の時の学校のからの帰り道でした。

雨の中ぴくりとも動かず倒れていたので、放っておけず、保護しました。


家につれて帰ると、両親は飼い主を探す間だけならとこの猫が家にいることを許してくれました。

でも、子猫の可愛さにみんなメロメロ。

我が家のペットとして迎えることになりました。


亡くなったのは、猫が12歳の時です。

とても元気で毛並みもよく、健康そのものだったので家族全員長生きするだろうと思っていました。


亡くなる前年の夏からとても食いしん坊だったのに、急に気に入った物しか食べなくなり、何だか元気がなさそうな日がちょこちょこありました。

秋には、1度病院に連れていきましたが特に悪いところは見当たらず。


あまり食べない、動かない日が続き冬には少し目に見えて痩せてしまいました。


実はその年の春から、私は仕事の完成で遠方に引っ越していました。

なかなか猫には会えない日には、家族に猫の様子を電話で聞いていました。


「そろそろ猫は長くないかも」と、翌年の1月に家族から連絡がきました。

食べ物もほとんど食べないそうです。


私は1週間後、急いで新幹線に乗り帰りました。

あんなに堂々とツヤツヤしていた猫が、ガリガリ毛並みもボサボサ、何だか変な匂いもしました。


私は猫用の栄養ドリンクのようなものを1日に何回もあげながら、3日間ずっと傍にいました。

すると今まで寝たきりでトイレもままならなかった猫が小走りしたり、外の景色を見に行ったり何だか気力が出てきた!と家族も喜んでいました。


でも私が家を後にしたあと、1週間もたたないうちに猫は亡くなりました。


猫は変化に弱いと聞きます。

あまり甘えに来なかった猫でしたが、お世話をしていた私が急に居なくなり、ストレスを感じていたのでしょうか。


すごく後悔しています。

もっと会いにくればよかった、地元でもっと仕事を探せば良かった、と。

寝れない日が続きました。

もう1度だけ会いたい、最後の半年は幸せだったのか?とは悲しくて考えたくもありませんが、今はその猫にとても感謝しています。

私も家族も毎日が本当に本当に楽しい日々でしたから。

愛情を注ぎすぎていてペットロスになるんじゃないかと不安だった母 愛犬の死にさいして、してあげれることはしたと意外と元気だった

愛犬Bちゃんと出会ったのは私が中学生の頃でした。

当時保健所に連れて行かれそうになってたのを引き取ったのが私とBちゃんとの出会いです。


Bちゃんは当時6歳くらいで、とても人懐こくすぐに私とも仲良くなりそこから私が結婚して家を出るまでずっと姉妹のように共に過ごしてきました。


私が結婚し、家を出て間もなくガンになり何度か手術・入退院を繰り返しました。


その度にもう長くはないと言われ続け、それでも数年生き16歳の誕生日を迎える数ヶ月前に亡くなりました。


その時にとても不思議なことがおこりました。


それは、亡くなる前々日くらいに私がBちゃんの夢を見て何故か怖くなり夫に頼み、次の日に実家に帰りました。


私と夫が実家に着き数時間した頃、ほとんど自力で立つことが困難だったはずのBちゃんがいきなり立ち、普段あまり近寄らない夫の方に行き、そして母の方に戻ろうとした瞬間息が荒くなりほどなくして亡くなりました。


とても悲しかったし、こんなにも間近で生物の死を見るのが初めてで軽くパニックになりましたが、それと同時に看とれたことと最後に挨拶をしてくれたのかなと思うと悲しみと共に今までありがとうという気持ちが溢れ、大人になりあまり泣くことがなかった私ですが大泣きしました。


ペットの死はかなり精神的に辛いですし、受け止め難いです。


今でも実家に帰ると玄関に迎えに来てくれてたBちゃんを思い出し、悲しくなります。


ですが、今回驚いたことがあります。


私はBちゃんが亡くなったら母がどうなるかとても心配でした。


なぜなら、母はBちゃんをとても可愛がり娘のように育ててきて、なによりもBちゃんを優先するような人でした。


そんな母だからきっと精神的にすごく病むだろうなと思っていたのです。


ですが、母は泣きはしたものの思ってたよりもBちゃんを引きずってなく元気でした。


そのことを母に聞くと母は、自分はBちゃんにしてあげられることを全てしたから後悔はないと言っていました。


それを聞きとても納得しました。

自己満足でも自分がBちゃんにしてやれる最大限のことを尽くしたのだからきっとBちゃんも幸せだったと思います。


私も娘がいますが、ペットは色々な事を学ばせてくれるので、やはりもう一度飼いたいなと思っています。

Bちゃんみたいな子にまた出会いたいです。

体験談

Posted by 管理人