犬を亡くしてペットロスになった体験談
目をはなした隙にでていき車にひかれた愛犬 後悔ばかりが頭をめぐりふと涙がながれる日々
私とペットの出会いは、県外で暮らしている子供がペットを飼うことができなくなったということで、家につれてきたことからでした。その時、私はそんな犬のことを好きではありませんでした。ところがそれが不思議なモノですね、一緒にいることにより、とても可愛くなってくるのです。そして家族と一緒の感覚になり、毎日楽しく暮らしていました。そのワンちゃんがなくなったのは、ちょっと目を話したすきに家から出ていった事からです。探したら、すぐ近くの道路で車にひかれていたのです。その時は、一瞬何がなんだかわかりませんでした。どうしてこんなことになったのか、自分をとても攻めましたね。自分が気をつけていたらこんなことにならなかったと。そしてその時から、1週間ぐらいちょっとしたことで涙を流すようになったのです。もっと、美味しペットのご飯をあげたかった、一緒にいろいろなところに行きたかったとそのことを悔やんでも悔やみきれませんでした。そのことは、今でも時々思うことがあります。ペットは、無邪気なので良い思いしか残っていないのです。私と一緒に過ごした日々をワンちゃんは幸せだっただろうか、3年しか生きていないことに悲しみが止まりませんでした。散歩をしていると、とても可愛いと言われることが多く自慢のワンちゃんです。そのワンちゃんがいなくなるのは、想像していませんでした。その後は、寂しさを埋めることが出来るのは次のワンちゃんを飼うしかないと思い同じ種類のワンちゃんを飼っています。そのワンちゃんは、寿命を全うして欲しいと切に願っています。
海外生活を支えてくれた愛犬 お別れができず後悔 夢にでてきれくれて生まれ変わりを実感
海外に住んでいたとき、ゴンタという犬を飼っていました。犬を飼いたくて、現地の動物保護団体で子犬のときに譲ってもらったのです。柴犬くらいの雑種です。保護団体に見に行ったとき、市場で出産していたという野良犬の母親と、おっばいにむしゃぶりついている8匹の子犬がいました。その中で一番おとなしそうな泣き顔の子犬を選び、もらえる大きさになるまで待って、やっと我が家に迎え入れました。家に向かう車の中で、私の腕の中で不安そうにウフン、ウフンと鳴いていた姿が昨日のことのように思い出されます。その日から、夫と娘とゴンタとの生活が始まりました。ゴンタはかしこい犬で、現地では放し飼いが普通なのですが、娘がちょっと近所の友達の家に行くときなど「ゴンタ、ついて行ってあげて」と言うと、娘の前に立って一緒に行くのです。娘を無事に送り届けたらひとりで戻ってきて、門の前でじっと娘の帰りを待っていました。夕方、家事の合い間に庭先で一休みしているとやってきて隣に座り、私のひざのあたりをはむはむと軽く噛んで労ってくれたり。海外では、孤独になりがちです。私はゴンタに日本語で話しかけ、ときにぎゅっと抱きしめたり、一緒に寝転んでその体温を感じることで本当に救われていました。しかし4年ほど経ったとき、突然の別れがやってきました。夫にゴンタと留守を任せて、娘と二人で1か月ほど一時帰国したときのことです。その数日前からゴンタが少しずつ痩せてきて心配だったので、翌日に獣医に行くことを夫に頼んで出発しました。家を出るとき、ゴンタのおでこと自分のおでこをくっつけて、「帰ってくるまでに元気になってるんだよ」と言ったのが、最後でした。私たちが帰国して3日後、夫がひとりでゴンタを看取ることとなりました。獣医さんの話では、へビに噛まれたのではないかということで、どうしようもなく、その夜はゴンタがドアの隙間からクウ~ンと夫を呼び、夫が傍に行くと横たわって、そのままゆっくり息をひきとったのだそうです。1ヵ月後、私たちが戻ってきたときにはゴンタはもう埋葬されていました。最後を看取ってやれずかわいそうなことをしたという思いがずっとあり、急にいなくなったようで実感もなかなかわかず、道で似た犬をみかけては「ゴンタ!」と声をかけてしまう日々が続きました。そんなある夜、夢にゴンタが出てきたのです。私は犬たちがたくさん走り回って遊んでいる広い広い丘の様なところにいて、そこでゴンタを探していました。丘の真ん中に小さな小屋があり、その中に入ると、ゴンタが横たわっていて、頭の上のほうに白い光があり、そこへ吸い込まれようとしているところでした。「ゴンタは生まれ変わろうとしているんだ」と思った私は、ゴンタの体にぎゅっとしがみついて「ゴンタ!ゴンタ!」と叫んでいました。叫びながら目が覚めると、頬がぐっしょりぬれるほど寝ている間に泣いていたことに気付き、こんなことは初めてで自分でもびっくりしたのです。きっと、その日を境にゴンタは生まれ変わったのだと思います。最後に抱きしめてやれなかったから、夢の中で抱きしめさせてくれたんだと思います。生まれ変わったから、いつかまた私たちのところにやってくる。そんな縁がきっとまたある。そう思って、次に訪れる縁を待つ気持ちになれました。最後まで本当にいい子でした。
17年経っても、まだ夢を見ます
もう、17年前の話です。小学校の頃から、13年間飼っていたマルチーズ。大事な家族でした。もう、よぼよぼのおじいちゃんで、目も白内障で真っ白。いつも寝てばかり。歯もぬけて、ご飯もあまり食べられず、呼んでもあまり来なくなったので、見かけると悲しい気持ちになりました。母はお仕事、私は大学で、家をあけることが多くなりました。それでも、家に変えると、苦しいだろう身体で、玄関口までやってきてくれる、優しい子でした。ある日、冷たくなっていました。頭がおかしくなりそうでした。私にとって、彼は紛れもなく、家族であり、弟だったのです。吐いて、眠れない日が続きました。お恥ずかしい話ですが、たえられなくなって、逃げ道を探し、喫煙をはじめるようになりました。少し、自尊心が強くて、小さい体のくせに、怒ると喧嘩してきて。でも、私が調子が悪いときはずっとなめて看病してくれていて、朝起こしに来てくれるような、そんな賢い子でした。それがある日、いなくなったのです。三ヶ月くらい、まともな精神状態ではなかったと思います。しかし、他人にとっては、所詮他人の犬なんですよね。自分の家族以外にはみんな大したことがないような対応を取られ。唯一、心配してくれた友人の母親には今でも感謝しています。もう、なくなって17年たちます。ですが、一昨日、彼の夢を見ました。一昨日だけではありません、一年のうちに、いまだに何度も何度も彼が夢に出るのです。話しかけてくることもあります。勝手な思いですが、今でも見守ってくれるのかなと、都合よく思っています。今も、この文章をうちはじめて、涙がとまりません。私の心に、ずっと彼「コロ」は、いてくれるのですね。天国で、少しでも幸せになってほしいと、心から願っています。
はじめての犬との幸せな暮らしと悲痛な別れ いろいろ考え後悔
今年の5月のことでした。パピヨンの男の子のももが天国に旅立ちました。11歳でした。ももは、私と主人が結婚する前に同棲を始めたころにやってきました。とてもやんちゃでですが賢くて、人が大好きでした。私は動物を飼うという経験がなく、仕事もしていて始めは(絶対、大変だよ…)と気乗りしてなかったのをよく覚えています。主人はそんな中、ブリーダー様からももを譲り受けてきました。仕事から帰宅した私を白と黒のツートンカラーの元気な子犬がぶんぶんとしっぽを振りながら迎えてくれたのを昨日のことのように思い出します。可愛い!!絶対に大切にすると一目で気乗りしない気持ちが吹っ飛んでいきました。それから、一緒の生活が始まりました。しつけもブリーダー様がしっかりされており、もともとパピヨンは賢い犬種のため、そこまで苦労はなかったです。何をするにも一緒で、私が主人と結婚する前に一度、精神的な病にかかってしまったときもずっと寄り添ってくれていました。主人が長期出張のときも、ももがいたから、寂しさも軽く済んだのだと思います。それから、結婚をし、家を2度引っ越し、子どもが生まれましたが、大きな人生の節目にも、ずっとももは一緒にいました。やんちゃな盛りを超えてくると、やはり足腰が弱くなってきて、ぎっくり腰になったり、身体が弱々しくなってきていたので、気をつけないといけないと思った矢先でした。その日も、夕方仕事から帰宅し、ゲージから出して、いつものように過ごし、私たちは寝室へ、ももはゲージで寝ていました。夜中、私はふと用事を思い出し、目が覚め、用事をすまし、いつものごとく、ゲージに寝てるももがこっちを見ているのに気づき、おやすみと声をかけて寝室へ戻りました。するとキャン!!キャン!!キャン!!と痛い!!と言ったような変な鳴き声がしたので、慌ててゲージに様子を見に行きました。そこには倒れたももがいました。いくら呼びかけても、目をさましません。突然死でした。次の日、仕事を休んで葬儀屋さんへ。これでもかと言うくらい、泣きました。幼稚園に娘を迎えに行って、担任の先生と話をしながら、また泣いて。今でも思い出すと泣けてきます。どうしたらよかったのか、持病もなく前日まで元気だったのにとわけがわからない心境になりました。後悔したのは、新居に引っ越してきたときに少しゲージが小さくストレスをかけてしまったのかな…あのときの狂犬病の注射がダメだったのかな…といろいろ考えて後悔しました。それから、ゲージもずっとしまえなかったのですが、主人がパピヨン、また飼おうかと言い、今新しくパピヨンを迎えいれています。もものときにしてやれなかったことをしてやろうと心に決めて、毎日過ごしています。
早く気づいてあげたかった さよならも言えなかったペットとの別れ
小学校低学年の時、捨て犬を拾ってきて、家で飼いはじめました。雑種だっようですが、ゴールデンレトリバーが少しはいっているのかな、という容姿で、目がクリクリしていて、とてもかわいい子でした。大好きだった映画から、トトロと名付けました。捨て犬だったからか、最初は警戒していて、なかなかエサを食べてくれませんでした。車に乗せると、捨てられたときのことを思い出すのか、クウーンクウーンと悲しそうに鳴いてました。まだ小さいのに、すごくつらい経験をして、それが忘れられないんだなと感じ、私も悲しくなって泣きました。初めて買うペットなので、大切に育てました。トトロはどんどん大きくなって、エサをたくさん食べて、犬小屋もどんどん大きくしなければいけないほどでした。1年たつ頃にはすっかり慣れて、家族の一員として元気すぎるぐらいに毎日遊んでいました。ある朝起きると、トトロがぐったりとしていました。エサをあげても、すべてはいてしまい、とても苦しそうで歩けないほどでした。また、クウーンクウーンとないていて、わたしは心配で泣いてしまいました。トトロが心配でしたが、わたしは小学校にいかなければならず、心配でしたが、お母さんが病院に連れていくとやくそくしてくれたので、家をでました。それがトトロをみた最後でした。小学校から帰ってくると、犬小屋は空っぽで、トトロはどこにもいませんでした。お母さんにきくと、病院につれていったが、手遅れで、帰りに火葬してもらってきたということでした。死因は、トトロが近くの工場のネズミを駆除するエサを食べたことでした。どうして、もっと早く気づいてあげられなかったんだろうと今でも後悔しています。ペットはかわいいと思いますが、あれ以来、お別れをするのがこわくて、ペットを飼うことができません。
避妊の手術が原因?余命宣告されてから一ヶ月、私たちと一緒に懸命に生きた愛犬
6年前の10月にシーズーの愛犬モモが8歳の若さで天国に逝きました。年末から少量の頻尿頻便で、最初は膀胱炎だろうと医師から診断され、色々薬を試したものの、回復は見られずでした。2012年春に3Dレントゲンとってみたら、膀胱付近に結構大きな腫瘍か腫瘤がありました。病院からは良性の腫瘍なら取れるかもしれないと5月に手術したら、腫瘤だったので、周りの臓器に癒着してしまっている状態で全て取れませんでした。組織分析をしてみたら、良性だったので、ステロイド投与して様子みましょうと。この腫瘤もモモちゃんが避妊の手術した際に細胞レベルで入ってしまったものかもしれなくて、年月をかけて、ここまで大きくなってしまったみたいです。やはり手術で取れないものなので、よくはならないとは前々から言われていました。排泄するのは腫瘤があり、出にくいのでいきみ続け、とても辛そうでした。モモは段々痩せていき4キロまで減り、状態は良くならなくて、9月には食べられなくなり、透明な尿が出て、いわゆる尿毒症の症状です。病院へいったら余命一週間と宣告されました。宣告されたとき、顔もしっかりしているし、元気そうで何も信じられなくて、家族皆で泣き続けました。避妊の手術、しなければよかったのだろうかと、後悔が何度も頭をよぎりました。でも、この宣告からまた大好きな桃や梨やりんごを食べて、尿も黄色くなって元気になったものの、食べられなくなることもあったり、波はありましたが、大好きなお家で一ヶ月過ごすことができました。私は11月に結婚を控えていたので、死に際は新居に居り、母からの深夜の連絡で知り、新居と実家が近かったので、泣く泣く向かいました。モモはまだ温かかった。いつもの様に眠っているようでむくっと起きるのではないかなぁと不思議な感覚でした。母によると、母は風呂に入って、湯船に入っているとき、モモが「ワン!」っと、鳴き、どうしたのだろうと急いで風呂を出たら息を引き取っていたようです。きっと最期の力を振り絞って、「ママ、ありがとう」と、伝えたかったのでしょう。最期まで頑張った、モモちゃん…今思い返しても涙が止まりません。8年間、私の人生も大学受験、大学生活、社会人で就職して、結婚とどのライフステージでもいつもしっぽを振って喜んで玄関で迎えてくれたモモちゃん…。ありがとう。最期の1年、一緒に過ごした2代目シーズーの元気いっぱいのリリーは今7歳、モモと同じぐらいの年齢になりました。天国からも元気で、私たち家族を見守っていてくださいね。
15年友に過ごした愛犬がフィラリアでなくなる 家族全員が放心状態になるも、時間とともに悲しみが一緒に過ごせた感謝に変わる
もう10年前になりますが、15年間家族の大切な一員として暮らしていた愛犬の柴犬ムサシをフィラリアで亡くしました。ムサシは生後3か月の頃に信頼するブリーダーさんの元から我が家にやってきました。仔犬の頃は絶対に家族よりも先を歩かない慎重な子でしたが、成長と共にどんどん逞しくなり、玄関横の屋外で飼っていたのですが、見知らぬ人が来ると低い声で一声吠える頼もしい番犬になりました。家族が帰宅すると、ちぎれんばかりに尻尾を振り、その姿を見ると一日の疲れが一気に吹き飛ぶような気持ちになりました。そんな可愛いムサシに異変が表れたのはちょうど14歳になった頃です。小さな咳をするようになったのが気になり動物病院に連れて行き、フィラリアが寄生してしまっていることが発覚しました。とはいえ咳をする以外は元気で通常どおりの様子だったので投薬をしながら様子をみようという話になりました。ところが比較的高齢だったこともあり症状はどんどん悪化し、病気発覚から半年経つと大好きだった散歩も億劫がるようになりうずくまって静かにしていることが増えました。なんとかしてやりたい気持ちがはやるばかりでしたが、かかりつけの病院での投薬を続けるのみでどんどん弱って行き、最期は日中のほとんどを寝て過ごすようになりました。それでも亡くなる直前は、家長である父が「がんばれよ」と声をかけたのを受け、弱弱しく立ち上がり、一声「ワン!」と、元気だった頃のように吠えて応え、そのまま生涯を終えました。ムサシを亡くし、家族全員、泣いた姿を見たことがない父まで号泣し、みんなでムサシを抱えて庭にお墓を作って埋葬しました。しばらくはみんな放心状態のようになり、口を開けば「違う病院にみてもらえばまた違っていたかもしれない」「そもそも予防が徹底できていなかったのがよくなかった」と後悔ばかりが口をつき、なかなか前を向けない状態が続きました。それでも時の経過は人の心を慰めます。半年、1年と経つごとに、ムサシとの楽しい想い出を振りかえられるようになり、家族の会話も後悔や悲しみよりも、ムサシとの楽しいエピソードが増えてきました。亡くなってからも毎年命日にはムサシを偲び、10年経った今ではムサシへの感謝の想いでいっぱいです。ムサシを亡くしたことは本当に悲しかったけれど、ムサシを家族として受け入れて本当によかった。家族全員が同じ想いをもっている昨今です。
愛犬のガンによる死 火葬のあとに骨となった愛犬をみるのは心が痛んだ 今も生きている気がする
半年前、愛犬のベルが亡くなりました。原因は悪性のガンでした。ベルはよく私の部屋にある脚付きのベッドに元気に飛び乗ってきましたが、亡くなる数ヶ月ほど前から足腰が弱ってきていたのか、上手くジャンプできなくなっていました。老いが進んでるなあとは思っていましたが、その程度でした。犬は弱ってからが早いとよく聞きますが、まさにその通りで、気づいた頃には歩くのもままならなくなり、ある夜、息を引き取りました。まだ20代の私にとって、初めて身近に死を感じた体験でした。不思議なことに、愛犬が亡くなった悲しみよりも先に、いつか私自身に訪れるであろう死の恐怖を感じました。私もいつか目の前で固くなったベルのように冷たく、動かなくなってしまうのだと思うととても恐ろしかったのです。その夜は全く眠れませんでした。愛犬を亡くした悲しみが私を襲ったのは、数日後に行われた火葬の後でした。やはりベルが骨となった姿を見るのは本当に心が痛みました。あの元気に吠えるベルはもういないと思うと自然と涙が溢れました。一緒に過ごした大切な時間、たくさんの思い出が走馬灯のように頭を過りました。思えば、私の学生時代はずっとベルと一緒でした。私が中学生だった頃、家の近くのドッグランでかけっこした記憶は今も鮮明に残っています。今もベルは生きてるんじゃないかと、そう思うときもあります。ベルはイスに前足をかけてテーブルの上に食べ物がないか探そうとするので、食事のとき以外はイスをテーブルから離していたのですが、いまだにそのクセが抜けません。それほどベルは私の生活の一部になっていました。私はベルの一生になにか喜びをもたらすことができたでしょうか。ベルが私に与えてくれたもの、教えてくれたことの大きさを考えると、もっとお返しできることがあったのではないかと思ってしまいますが、もうそれは叶いません。けれども、感謝し続けることはできます。今も私の部屋には元気だった頃のベルの写真が飾ってあります。それを見るたびに今の環境や私を支えてくれている人たちに感謝しなきゃなと、また気持ちを改めさせてくれます。
心臓病でなくなった妹同然だった愛犬 ペットロスになり、結婚し家をでてもいまだに気配を感じる
6年前の夜中、家族の叫び声が飛び交う部屋の中、静かに息を引き取ったマルチーズのマクのことを今でも思い出します。クマの人形のようにふわふわで可愛かったので名前はマク。8年一緒に過ごしました。ある日の熱い日、外から帰るとマクの調子が悪く息をハッハッと喉に何かが詰まるような呼吸を繰り返しました。元気もないので近所の獣医さんへ連れて行きました。心臓の弁が硬くなり血液がうまく送れていないのだと言われました。お腹に水が溜まり呼吸も苦しいのだと酸素ボックスに入れられたり、ニトロという薬を出されたりしました。その日から急にひっくり返って痙攣を起こすようになりました。マクは私の妹のような存在でペットという感覚がなく、いなくなるなんてことを考えたこともありませんでした。辛い日はマクと一緒に寝たり、お風呂に入ったり、お休みの日もマクがいれば暇でつまらないということはありませんでした。私が落ち込んでいると心配そうに寄ってきてくれたり、そっと体をくっつけて黙って側にいてくれたり、私の心を読んでいるかのような子でした。家族みんながマクを大好きで、マクも愛情をいっぱい私にくれました。ある日の夜、マクがいつものように痙攣を起こしてひっくり返りました。ニトロを慌てて口の中に入れましたがマクの動きが止まりおしっこをもらした時に「あぁもうサヨナラだ」と思いました。「マク行かないでー!死なないで!やだー!」家族の怒号叫び声が家中に響き渡りその日は寝ずに仕事に行ったことを思い出します。病院の先生から、貴方達家族はペットロスになりそうだからきちんと気を引き締めて!悲しんではダメ!と言われてしまうほど家族中落ち込みました。1年以上、何か自分の一部を失ったような喪失感に襲われました。6年経ち、今もまだ忘れられず新しい犬を飼う気にもなりません。あの子だけが家族です。でもそれでいいと思っています。泣きたいだけ泣けばいいと思います。マルチーズを見れば今でも涙が出てきますし、マクの方が美人だなと思ったり、見知らぬ飼い主さんと「うちもマルチーズ飼ってるんですよー」とマクが生きているように話してしまうこともあります。年数の経過で悲しみは薄れても忘れてしまうことなんて1日もありませんし「死んだ」と受け入れていない自分もいます。あれから私も結婚をして家を出ていますが今でもたまに新しい家でマクの気配を感じます。ふわっと足元に触るあの細くて絡まりやい柔らかなマルチーズ特有の毛の感触…玄関でするかすかな声。あ、また遊びにきてるなーと思って「マク~?おいで~」と話しかけています。
亡くなった愛犬と夢で会う 楽しいけれど寂しい気持ち 素行が悪いが本当に家族だった
ペットは家族というと、バカげた発想だと思う人もいるかもしれません。しかし長年付き添えば、虫でもネズミでも家族としての愛着が湧くものです。私は11年連れ添ったペットの犬が死んで悲しい思いをしました。 その犬は父がどこかから貰ってきたゴールデンレトリバーの雑種ということでした。貰ってきた時、私はまだ5歳で小学校にあがる前でした。物心がついた極初期段階から私が高校2年生になるまでの間を共に過ごしました。人生で一番多感な時期、青春と呼んで良い時期を過ごしたので、それだけこの犬には愛着が湧いていました。私n人生の記憶の前半部分の10年はこの犬との記憶で埋まっています。 ペットを飼うということに両親が慣れていない状況でしたので、この犬は素行が悪く、人にも物にも噛み付く始末で扱いがとても難しかったです。まだ子供の私にも容赦なく攻撃してくるし、散歩で紐を持てば、犬の力が強くて私が引っ張られてびっくりして泣かされたこともありました。しかし犬という生物は知能が高いようで、こちらで悲しんでいるということを読み取ったようで、私が泣けば大人しくすり寄ってきて涙をペロペロとなめることもしていました。そのような仕草をみれば愛らしいと思わずにはいられませんでした。 予防注射につれていけば暴れるし、本当に手がかかったけど、私はこの犬の世話をするのが楽しくで仕方ありませんでした。 最後は老衰してしまい、あれだけ元気だったのに寝たきりになってしまいました。穏やかに死んでいきました。私は生物の死後硬直というのを初めて見ました。温くてやわらかい犬の感じが全くしません。悲しい上に恐ろしくなりました。 裏山に埋めた時には泣くのを止められませんでした。初めて身近なものの死を体験しました。しばらくは悲しくて学校にいっても元気がでませんでした。 いまでもたまに夢の中であうことがあります。楽しい夢だけど起きると寂しくもなります。 悲しい別れだったけど、良い出会いであり、良い経験だったとおもいます。