犬を亡くしてペットロスになった体験談
愛犬と暮らした8年間と辛すぎた突然の別れ
出会いは私が小学生の時でした。母親に連れて行ってもらったペットショップで一目ぼれしたのがミニチュアダックスフント。犬が大好きだった私はすぐに「欲しい!」と言いましたが、家族が犬をあまり好きではなかったことから反対されました。3か月間、毎日家族に頼み込み何度もの家族会議の末、やっとのことで犬を飼ってもいいとお許しをもらいました。数日後再びペットショップへ行き、ついに一番元気なミニチュアダックスフントを買ってもらいました。帰り道、自分の腕の中にいる子犬とこれから一緒に暮らすなんて信じられない気持ちと幸せな気持ちでいっぱいだったことは今でも鮮明に覚えています。見た目がチョコレート色だったことから「チョコ」と名付け可愛がりました。でもチョコと一緒に暮らすと、散歩やエサやり、排せつの処理やケージの掃除など、お世話することがたくさん。それでも大好きなこの子だから大変でもがんばれました。家族もだんだんとチョコが好きになってきているのを子供ながらに感じていました。春にはみんなでお花見に行ったり、夏には水浴びをさせに川に行ったり。どんなことをさせたら喜んでくれるかな?と家族で計画するのも楽しみの一つでした。そんな生活が8年続いたある日、高校生になった私が学校から自宅に帰宅したときでした。母親に話があると言われリビングに行くとチョコがきれいに広げられたタオルの上で横たわっていました。明らかに異様な雰囲気を感じ取った私は一瞬でチョコがもう動かないことを理解しました。母親が震える声で車にひかれたことを伝えてくれました。突然のことで言葉も出ませんでした。つらいお別れをして数日間は何も食べられない状態でした。テレビを見てもどうしてこんなにみんな楽しそうなんだろうとボーっと考えていたように思います。日常からチョコがいなくなったことでまさに抜け殻状態でした。ほかの犬をみるとどうしてもつらい気持ちが増すのでテレビなどでペット特集などをするとすぐにチャンネルを変えていました。数か月がたちだんだんつらい気持ちを乗り越えられるようになりました。特にこれをしたから辛くなくなったというのはなく時間が癒してくれました。これを書いている今でも思い出すと涙が出るので、一生チョコをなくした辛さは心のどこかにあるのだと思います。でもチョコと暮らした8年間は宝物で幸せだったことに変わりはありません。その日々を胸にこれからも生き続けたいと思います。冷たくなった体に触れ、涙が止まりませんでした。昨日まで元気に遊んでいたのにどうしてこんなことになってしまったの?もう一緒に散歩することはできないの?明日から顔も見られないの?チョコがこの世界からいなくなるの・・・?いろんな感情がぐちゃぐちゃになって泣くことしかできませんでした。これが夢だったらいいのにと何度思ったことか。
ヘルニアを発症し診察台でなくなった愛犬 しつけをもっとしておけば防げたのではないかと後悔
私の家にペットの犬、ミニチュアダックスフンドがきたのは、私が20歳のときでした。私の家族は父、母、兄、私の4人です。私が20歳の時、母がガンで亡くなりました。その時のショックとそれからの生活の過酷さは今でも忘れません。男ばかりの家で家事ができる者はいませんでした。家の中はめちゃくちゃでした。そんな生活のこともあり、祖母が家に定期的に手伝いによく来てくれるようになりました。祖母も高齢でしたし、家も近所というわけではありませんでした。父、兄共に仕事、私は大学生で家には祖母だけの時間が多くなり、父がそんな祖母のボケ防止として、犬を飼うことにしました。初めて家にきた犬の名前は桃太朗。生まれてまだ間もないミニチュアダックスフンドでした。両手に収まるとても小さな子犬で、ゲート内でプルプルと震えていたのを今でもよく覚えています。そんな桃太朗もすくすくと大きくなりましたが、男家族プラス祖母ということもあり、しつけは全くできていませんでした。家のいたるところで、オシッコやウンチ、壁紙を破る、物を壊す等とても手のやく子でした。その分、世話をした時間も多かったと思います。そんな桃太朗でしたが、ある時、大好きな散歩を嫌がる時がありました。いつもであれば、猛ダッシュで走っていくのに…原因はヘルニアでした。ミニチュアダックスフンドはよくなる病気ということでしたが、何気なく持ち上げたり、段差を登らせたりしていることも原因ということでした。手術をして一時治りましたが、また、再発。どんどん元気が無くなっていきました。元気が無くなっていく桃太朗をみて、とてもつらい日々でした。最後は診察台の上で静かに力尽きました。桃太朗は母が亡くなってからきて、すぐにきましたし、母の生まれかわりみたいなものでした。桃太朗がいなくなって、家の中はとても綺麗で、掃除も楽になりました。しかし、その分寂しさは倍増です。しつけをもっとしっかりしてれば、ヘルニアにはなっていなかったのか等後悔することもあります。今でも元気な桃太朗の姿が頭の中から消えません。
一周忌を迎え法要を済ませ愛犬 次の仔を迎えていいかな?許してくれるかなと家族と相談しています
昨年の10月、14歳で突然この世を去ったトイプードルのキャンディー私が小学校4年生の時に家にきてくれました。迎え入れた日はとても晴れていて印象的だったことを今でもよく覚えています。初めて会った時、他の兄妹よりも一回り以上小さいフワフワのわたあめのようなとても可愛い子でした。身体が弱かったため亡くなるまでに何度も病気をしたりしていましたがその度に乗り越えてきた子だったので今回もきっと乗り越えてくれるだろうと思っていました。たまたま、定期検診に連れて行った時に病院で発作を起こしそのまま入院、回復することなく亡くなってしまい何の前触れもなかったため、私も家族もかなりショックが大きかったです。亡くなった日も、とても晴れていてキャンディーが家に来た日とよく似ていました。また奇しくも、月は違いますが生まれた日と亡くなった日が同じということになんとも言えない気持ちになりました。ただ、家族でしっかり看取ることができ病院の先生方にも綺麗に可愛くしてもらいキャンディーも安らかな顔をしていたことだけは救いでした。先月、一周忌を迎え法要を済ませましたがこの一年は早かったような長かったような複雑な気持ちです。亡くなってからの1ヶ月は受け入れられなくて何度も泣いていましたが、今考えると無理して我慢することはなく無理して我慢してもただ苦しいだけなので家族で愛犬の思い出話をしながらゆっくり辛い気持ちを癒していけばいいのかなと思います。やはり、愛犬の存在は大きく家族で次の子をそろそろ迎えてもいいんじゃないかという風に考えています。キャンディーはいいよって言ってくれるかな~?なんて家族で話しています。
兄の押し付けで世話をしていた子犬が突然の行方不明に ブラシに残された茶色い巻き毛に後悔と涙がこぼれる
子供の頃私は動物が好きではありませんでした。それは記憶には無い話なのですが、物心がつく前に近所の犬に噛まれたことがあるという恐怖体験が尾を引いているのかもしれません。そんな私は打って変わって兄は活発で生き物全体が大好きというのですから、同じ環境でも人間は持っている資質が違い過ぎるということになるのでしょう。現在は違いますが、以前我が家は借家の一軒家に住んでいましたから、ペット禁止が罷り通る今のぎすぎすした世相とは違って大らかなように子供心にも感じていました。我が家は豊かではなく、家の中の物があれこれと消えだすと何らかの異変が起こっていることに直結するということです。それを敏感に感じ取った母がやんわりと兄を問い質しました。その疑惑の目が私に向けられることが無かったのは、やはり普段からの親の視線と言えるでしょうね。案の定兄は隠し事をしていました。近所の同学年の友人達と犬をこっそりと隠して飼っているというのです。兄はこのグル―プのリーダー格であり、お互いに仲が良かったので親に隠れて何かを共同でしでかすという、反抗期の共通した思いがあったのかもしれません。私もその一団の片隅に置かせてもらうこともありましたが、就学前の数年の年齢差はとても大きく、ついて行くのに精一杯といったありさまでしたから、悪事とも義挙とも言いかねるこの秘め事に私が加担出来なかったのはある意味当然でした。当事者達の親も加わっての相談が成された結果、我が家で子犬を引き取ることとなりました。もう誰憚ることなく堂々と犬が飼えることがよほど嬉しかったらしく、兄は実に意気揚々としていました。対する私は遠からず課される重い責任を押し付けられる予感で頭は一杯でした。兄は熱しやすく冷めやすい性格でしたので、この新しい生きたおもちゃに飽きるとその後始末をやらされるであろうことは明白でしたから。この外れて欲しい予感はすぐに現実となりました。友達連中が犬と一緒に遊んでいる時は主人面するものの彼らが家に帰ると面倒の一切合財を私がやらされることになったのです。嫌で仕方がありませんでしたが理不尽なげんこつを食らわされるか犬の世話かの二択ではほかの選択肢があろうはずは無いのです。幸いその子はとても人懐っこい賢い犬でしたから、世話がおろそかになりがちでも私の後を追って歩く日常でした。まだ私の犬嫌いは克服されていませんでしたので、特にかわいいとも思えずに遠巻きにして世話を細々と続けていたのです。しかし来た時も突然なら姿を消したのも何の前触れもありませんでした。その子犬は卒然と行方が分からなくなり、二度と帰って来ることは無かったのです。この時ばかりは私も兄もその仲間達も真剣に周囲を探し回りましたが、何の手がかりも?めないまま日が過ぎて行ったのです。それでもいつ帰って来てもいいようにとしばらくの間は餌も寝床もきれいに整えて待っていました。あれだけブラシをするのが嫌だったのにいざ姿が消えてしまうと後悔だけが残りました。もっと優しくしてあげるべきだったと。ブラシに残った茶色の毛が、あの子が生きていた証だったと分かった時には涙がこぼれ落ちて来ました。子供の間の噂話も時には真実が含まれていて、どこかの犬が車にはね殺されたという事実を知らされるころには、それがうちの子だったということは疑いようのないことだと確信しました。そのチビと名付けられた子犬はこの世に一枚の写真を残すことなく私達の前から消え去りました。死を確認したわけではありませんが、あらゆることから考えてももう生きてはいないことがわかるとやはり悲しくてしがたがありませんでした。主の居なくなった粗末な箱と散歩用のひもを見つめるたびに自分の心の狭さを痛感させられましたよ。ごめんな、チビ。再び犬が飼えるようになったのなら、心の中のあの子によく似た子犬を選んで今度は思いっきり幸せにしてあげたい。それが私の贖罪ですから。
愛犬の最後にそばにいれなかったことを後悔 せめてからだをさすってあげたかった
私がロビ君と会ったのは19年前。子供のころから犬が欲しくて、親やおばあちゃんい犬を飼うことをお願いしていたのですが、犬が死んだらかわいそうだから、大人になって世話ができるようになるまでダメだといわれました。私が大人になり就職し、ちゃんと犬の世話もできるようになったので、親とおばあちゃんにお願いし、犬を飼うことになりました。地元の広告に出ていた犬で、最近近所で犬が生まれたので、だれか引き取ってくださいとのこと。私はその広告主の家に行き、おかあちゃんが子供を産んだらダメなので、オスにしなさいという言いつけの元、一番おどおどしていて元気のなさそうなオスのロビ君を引き取ることにしました。あまり元気がなかったので心配だったのですがすくすく成長し、成犬になりました。毎日ロビ君の散歩を雪の日も雨の日も、雷の日もいける日は1回行きました。私も若かったのでダイエットの為ロビ君と毎日会社が終わってから1時間も散歩に出かけました。悪かったなぁと思うのは自分の都合でロビ君が匂いをかぎたかったりしても、無視して歩いて行ってしまったことです。自分勝手な飼い主でした。逃げて行った時何度かすごく怒ったり、たたいたりもしたことがあります。反省しています。17歳ごろから医者にガンなのではないかと言われましたが、もう老犬なので治療をするのはやめました。私は実家を出ていたので、ロビくんの死に目に会えませんでした。妹がLINEで電話をしてくれた時は、発作が起きてとても苦しそうだったのに、私は遠いところから祈る事しかできませんでした。ちゃんとロビ君も一緒に連れて行って最後まで面倒を見ないといけなかったのに出来なくて、色々後悔してよく眠れません。最後苦しかったと思うので、さすってあげたかったです。
もう犬は飼わないと心に決めたものの飼うことになった愛犬 病気でなくなり心に穴が開くも、出会えてよかった
ビーグル犬のジョン君と出会ったのは22歳の夏でした。前年に12年間家族として過ごしたゴールデンレトリーバーが亡くなり、あまりの悲しさに「もう犬は飼わない」と心に決めて過ごしていたそんな時、たまたま母が「里犬に出されたが出戻りしてきた犬がいるから飼えないか?」と知人から声をかけられたことがきっかけで我が家にやってきました。放浪していた期間も長かったため、気難しいところもありましたが、少しずつ家族に懐いてくれ、家族の一員として楽しい時間を過ごしていました。ジョン君が亡くなったのは、それから8年ほど経ってからでした。亡くなる1年半ほど前に脾臓の病気が見つかり、手術や毎日の薬の服用でそれなりに元気に過ごしていたのですが、高齢も重なり、亡くなる1週間程前になるとなかなか立ち上がることもできず、大好きだった食事さえも喉を通らないというような状態になり、最後は眠るように家族みんなに見守られながら旅立っていきました。お金や時間がかかったとしてもできるだけの事はしようと、家族で協力して看病、介護してきましたが、やはり亡くなったあとはもっとしてあげられることがあったんじゃないか?と考えることはありました。ジョン君が亡くなってから家族の胸にぽっかり穴があいてしまった時間もありましたが、時間が経つにつれジョン君の旅立ちを受け入れられるようになり、今では楽しかった思い出として家族で話をすることもあります。亡くなってしまったことはとても辛いですが、それ以上に「ジョン君と出会えてよかった」と思う気持ちが大きいです。ジョン君、我が家に来てくれて本当にありがとう。
みんなに支えてもらいながら、悪性リンパ腫と戦い星になった4歳の黒パグ
20代半ばになり、独り暮らしになれてきた頃のこと。犬を飼いたいと、調べ初めてから間もなく運命の出会いが訪れました。仔犬は黒パグの男の子。名前をボンと名付けました。一人暮らしで、お留守番をさせていましたから、仕事が終わるとすぐさま帰り近所の公園にお散歩。週末にはドッグラン、おしゃれなペットグッズを買ったりしてボンのいる生活を満喫していました。それは、ボンが4歳のお誕生日を迎えて少し経った頃でしたボンは排便の度に下痢をするようになりました。薬を変え、病院を変え、それでも良くならないばかりか食欲までなくなりました。どうして、こんなに治らないんだろう…不安ばかりが膨らみました。藁にもすがる思いで受診した病院で、先生は熱心に話を聞き、診察してくれました。「もしかしたら、これはお腹の問題だけではないかもしれません」詳しく検査をした結果。病名は「悪性リンパ腫」でした。それからは実家に戻り、家族の協力をもらいながら、先生と一つ一つの治療を話し合い病気と戦っていきました。負担の無いようにといくつかの治療を提案してくださり、私も納得のいく形で進められました。父も母も、日中勤めている私の分までボンの面倒を見てくれました。夜中に眠れず起き出して、じっと何かに耐えるようにお座りしていたボン。彼も小さい体でよく頑張っていました。けれど、1か月後、ボンは星になりました。もうダメかな。そう思って2日も仕事をずる休みして付き添いましたが、これ以上は、と出勤したその日の夕方のことでした。離れていたけれど、心臓がバクバクして「あ、ボンは星になった」と分かりました。一緒にいる間は頑張ってくれたんだな、と思いました。母に小さな仏壇を作ってもらって、ボンは私を待っていました。先生もわざわざお花を持って来てくれました。最後までみんなに愛され、支えてもらって、短いけれど幸せな犬生でした。心残りはなかったけれど、失った哀しみは強く、それから週末にはボンの絵ばかりを描いて過ごしていました。何枚も何枚も、描きました。心が癒されるには長い時間がかかりましたが、本当に幸せな宝物のような日々だったとしみじみ思い出します。ボンが病気になる前に夢を見ました。広くて緑の美しい公園のような場所でした。ボンもいつもの跳ねるような歩き方でご機嫌にお散歩していました。何故か鳥居が立っていて不思議な気がしたので覚えていました。もう何年も経っているけれど、もしかしたら私達は今でも、あの夢の中で、時々お散歩したりしてるのかな、と思ったりします。それから、熱心に診察してくれた、当時は開業したばかりの先生も、今では皆が名医と信頼する動物病院の院長先生におなりです。
愛犬の死が、私に教えてくれたこと
今から10年ほど前、私は22歳の冬に愛犬を亡くす経験をしています。トラくんという柴犬で、亡くなったときはおよそ15才でした。トラくんと出会ったのは、保健所で里親募集のイベントに参加をしたときのことです。まだ1才程度にも関わらず元の飼い主から捨てられ、それでも人懐っこいとても可愛い仔だったのを覚えています。その健気さに胸を打たれ、当時小学校低学年だった私は必死に親に頼みました。必ず最期まで面倒を看るからと、何度も約束したのも今では懐かしいです。トラくんとは、本当に色々なところへ行きました。家族旅行にも欠かさず連れて行きましたし、私の部活動の応援にも来てくれたことがあります。実は私は学校での人間関係が上手くいっておらず、いじめを受けていた時期も何年かありました。しかし帰宅するとトラくんがいる、その姿に何度癒やされたか分かりません。沢山の思い出や感謝、亡くなるときにはそれらが一気に溢れてきた記憶があります。様子がおかしくなったのは、亡くなるほんの2日前くらいからでした。出会いからずっと室内で飼っていたのですが、あるときから突然家に入るのを拒むようになったのです。何か家族を避けているような、変な感覚がしました。そしてその変化からすぐのこと、トラくんは私が朝起きると玄関のところで横たわり動かなくなっていました。息はしているのですが、全く家族の声にも反応をしません。慌てて病院へ連れて行くと、もう衰弱していてあまり持たないだろうと言われました。このときの困惑と悲しさは、今振り返っても苦しくて涙が出てきます。昨日まで元気だったのにどうして、もしかしてずっと無理をしていたのか、そういった思考を繰り返しては何とか奇跡が起きないか願っていました。とはいえ推定で15才、心のどこかでは理解していたのです。寧ろよくここまで元気でいてくれた、私たち家族を笑顔にしてくれたと、諦めではないのですがありがとうという気持ちの方が大きかったかもしれません。亡くなる直前には、大きな遠吠えを2回して何かを伝えようとしていました。実は他の愛犬家の方から、犬は死ぬときに遠吠えをするよと以前に言われていたので、これがお別れの挨拶なのかなと感じたのです。そうして翌日、トラくんは私が大学から帰宅すると亡くなっていました。最期は母と妹に見守られながら、ゆっくりと呼吸が止まったそうです。最期に立ち会えなかったこと、それはとても悲しかったです。しかし安らかそうだったと聞いて、少しだけ良かったとも思いました。うちに来て幸せだったのかな、それは現在でも思い返してしまいます。トラくんが亡くなってからは、何か大きな心の支えを失ったようでした。夢にも1週間ほど続けてトラくんが現れ、一緒に遊ぼうとすると遠くへ行くのです。また、私は当時就職活動を行っていました。愛犬を亡くして辛いなどというのは個人の事情でしかなく、就職試験の期限は待ってはくれません。自分はしっかり社会人になれるのか、その不安も大きく圧し掛かってくるようになりました。こんなときにトラくんがいてくれたらと、何度も写真を見ては思ったものです。突然迫られた別れへの覚悟、そして別れ、気持ちの整理など到底つくはずもありませんでした。これがペットロスなのかと、痛いほどに実感したように思います。愛犬の他界から3ヶ月ほどが経った頃、忙しさも手伝ってようやく前を向けるようになりました。こうなって初めて気が付いたのが、時間が経つことの重みです。悲しみが癒えることは叶わなくても、上手に向き合って過ごせるようになった自分には驚きました。時間の解決とは、きっとこういうことを言うのでしょうね。あれからもう10年、すっかり私も良いおじさんになろうとしています。ペットは以来1回も飼ってはおらず、今後もきっと飼うことはありません。与えてくれるものの大きさの分だけ、失ったときの悲しみも大きいです。トラくんは自身の命を通じて、私に大切なことを教えてくれました。現在ペットロスで苦しんでいる皆さん、今は悲しくても必ず前を向ける日はやって来ます。現在ペットを飼っている皆さん、いずれ必ず別れの日はやって来ます。常に少し先の未来を想像しながら、後悔のない時間を過ごしてください。トラくんは、今も天国で幸せに過ごせているでしょうか。私が頑張ればきっと天国に届くと信じて、これからも一生懸命に生きていきたいです。
13歳で亡くなった愛犬 彼は私の家に来て幸せだったのだろうか?
中学生の頃から飼っていた愛犬のアンディーが13歳で亡くなりました。アンディーは外飼いの雑種犬です。13歳になってから歩くとふらついたり、粗相をするようになったので心配はしていました。そろそろ室内で介護が必要だとも考えていました。しかしその日は突然訪れたのです。亡くなる前の日、アンディーはほとんどご飯も食べず、お気に入りの縁の下でじっとしていました。夜に、私と母が心配しておやつをあげようとしてもやはり食べません。具合が悪いのか、心配しながらも「また明日ね」と言ってその日は眠りました。明日、病院に予約して様子を見てもらおうと家族と相談もしていました。そして次の日。縁の下を覗くと、アンディーは動かなくなっていました。苦しんだ様子もなかったので、老衰だったのだと思います。その日はちょうど、家族全員が休みで家にいる日でした。アンディーはお気に入りだった毛布に包まれ、敷地内に埋められました。家族みんなに看取ってもらえたのは、彼にとって幸せなことだったと思います。私はアンディーが亡くなったにもかかわらず、その時は悲しい気持ちが湧いてきませんでした。恐らく、死を受け入れられていなかったのだと思います。しかし1ヶ月くらい経った頃、夢にアンディーが出てきました。そして私の手を噛んだのです。私はその夢を見て初めて大泣きしました。アンディーはマイペースでとても温厚な犬でした。でももしかしたら、本当は不甲斐ない飼い主に腹を立てていたのではないか、と。後悔することもどんどん出てきました。もっと早く室内飼いにしてあげればよかった、もっと沢山撫でて、褒めて、遊んであげれば良かった、と。この家に来て後悔したかもしれない。私達に貰われずにほかの家に引き取られれば、もっと幸せになれたかもしれないのに、と。今は気持ちが落ち着いています。玄関に写真を飾り、「行ってきます」「ただいま」と毎日挨拶しています。でもふいに思い出して、後悔して、大泣きすることがあります。何年経っても後悔しています。きっと一生そうなのでしょう。悲しみを埋めるために新しく家族を迎えるという選択肢もあると思います。しかし私は、恐らくもう動物を飼うことはないと思います。アンディーを幸せにしてあげられなかった、私には動物を飼う資格がない、幸せにしてあげられないと思っているからです。もしまたアンディーに会えたなら、全力で抱きしめてただひたすらに謝りたい。そう思うばかりです。
愛犬の死にもっと可愛がらなかったのかと後悔 いつかは死ぬということを考えさせられた
2015年の夏頃私が21歳の時愛犬、チビが亡くなった自分が小学校1年生の時に家にやってきた、ミニチュアダックスのちび生まれたての小さな体で家族みんなで可愛がっていた14歳という高齢だったのもありずっと今年が最後かなと3年ほど言っていて、覚悟は出来ていたつもりだったけど、亡くなってしまうととても辛いなかなか躾けがうまくいかずすぐに吠えたり、時には?みつこうとしたりとヤンチャな子だったそれでも辛い時にはいつもそばにいてくれて、癒しをくれていた小学生の時は散歩にも沢山いったり公園で一緒に遊んだりしていたが中学高校と大きくなるにつれて外に一緒に遊びに行くこともなくなっていった晩年はだんだん元気がなくなっていた前までは家の中を走り回ってタオルやぬいぐるみで遊んでいたけどいつからかそれもしなくなったそうやって弱ってるのが目に見えてても毎日チビが家にいるので心のどこかで「まだ大丈夫でしょ」と思っている自分がいたある時家に帰るといつものように寝ているチビがいたしかし、すぐに様子がおかしいことに気づく。息もあらく、とても苦しそうに「ぜぇー、ぜぇー」と息を漏らしているちょうど家族全員がそろっていて家族に見守られながら息を引き取った。当時は身近な人が死ぬ経験などしたことがなかった私にとって生まれて初めての「死」という経験なんでもっと可愛がってやらなかったのかなんでもっと散歩に連れて行ってやらなかったのかそう、後悔する毎日でした生きてる限りいつかは死ぬこんな当たり前なことを考えさせられる出来事でした毎日顔をあわせていてもお互いいつ死ぬかはわからないしっかり前を向いて「今」を懸命に生きようと思ってますチビは今、実家の庭で眠っています。家族のことを見守ってくれているのかなと思います。