犬を亡くしてペットロスになった体験談
幼い私に色々なこと教えてくれた愛犬マリとの悲しい別れ
今でも鮮明にマリとの記憶は、私の心の中に残っています。マリは、真っ白いフサフサの毛をしたスピッツで、私が物心ついた頃には、いつも傍らにいました。マリは、メスのおとなしい性格の犬で、父親が独身の頃からの相棒で、そのまま我が家のメンバーとして一緒に生活していました。マリの小屋は、我が家の縁側のすぐそばの庭の中にありました。田舎で育った私は、幼い頃から、マリと父親と一緒によく散歩に出かけました。時々姉も同行し、自然に囲まれ環境で私は男の子の様に、マリと野原を駆け巡り、雑木林で遊び、小川をジャンプで飛び越えたりしながらマリとの生活を楽しんでいました。幼い私をマリは、いつも見守ってくれて、危ない道や小川があると、私のことをいつも立ち止まって、見ていました。インドア派の母親に帰宅して、マリのそんな様子を話すと、マリは自分より私が弱いから心配で見守ってくれているんだと母親は言っていました。ほとんど吠えることがないマリが、決まって吠える時は、雑木林で蛇を見つけた時や、見知らぬ人が家を訪れた時でした。マリにとって見知らぬ人でも、私たち家族がその人と、親しそうに話していると決して吠えることはありませんでした。私は、そんな賢くて優しいマリが大好きでした。私が7歳の頃、マリの体調に異変が出てきました。元気だったマリは、好きだった散歩へ行くことさえ嫌がり、尻込みするようになりました。そしてついに、食事の時でさえ、外へ出て来なくなってしまいました。寒いのか、時々体が小刻みに震えていました。明らかに体調が悪そうでしたが、動物病院もほとんどない時代でしたから、どうすることもできませんでした。私たちは、ただマリを見守る事しかできませんでした。いつも外で生活していたマリを、家の中で飼うことにしました。それでも、マリは、やっぱり自分の家のほうが良かったのか、フラフラの体でも、外にある自分の小屋へとすぐに戻ってしまいます。家族が心配していたことが起こってしまいました。ある朝、父親がマリの様子を見に行ったら、すでにマリの体は冷たく、マリは自分の小屋で、私たちの目を避けるように、亡くなっていました。私は、悲しすぎて朝から晩まで泣きました。その日は日曜日でした。涙がこんなにも出るものだと初めて知りました。世の中にこんなに悲しいことがあるのだと、7歳の私は、気づかされました。その時に、生きていてもいつか、死というものが訪れるのだと初めて感じ、今でも幼い頃に、悲しくて泣いていたその光景が脳裏に浮かんできます。マリとの別れから40年以上が過ぎますが、マリを回想しながら、こうして文章を書いているだけで涙が出てきます。もう一度マリに会いたくなりました。
だんだん衰弱して亡くなった愛犬 あんなに苦しそうな姿をみるのはもうこりごりです
私はまだ小さい頃に家で犬を飼っていた経験があります。私がまだ小学生の頃の話です。私には弟がいるのですが、その弟と近くの公園で遊んでいる時に、近所のおばちゃんが沢山の犬を連れて散歩していました。それで、そのうちに顔見知りになり、一匹貰うことになったのです。それからは、弟と私とで大事に育てることにしました。勿論、家の両親も色々協力してくれました。犬の餌を用意してくれたり、または散歩に連れてってくれたりと本当にありがたかったです。私と弟も勿論、交代で散歩に連れてったりしていました。そして、段々と月日が流れていって、犬も歳をとっていきました。犬の寿命は人間に比べたら全然短いですので、それを初めて経験した時は本当に辛かったです。誰しもが経験あると思うのですが、生き物が弱っていくところは、とても本当に辛くまた悲しいものです。ですので、私はそのペットの犬が段々弱っていくところが本当に辛かったので、そのペットが亡くなって以降は一切生き物を飼いたいと思わなくなり、今、現在も何も飼っていません。勿論、ペットは可愛いとは思いますが、そんな悲しい思いをするぐらいなら、もう二度とペットを飼いたいとは思いません。その私が飼っていたペットの犬は、段々衰弱していき、そして、毎日くんくんと辛そうに泣いていました。その時の様子は今でもよく覚えています。ですので、あの時の辛い日々を今でも鮮明に覚えているので、ペットは本当にもうこりごりです。不思議と逆に亡くなってしまってからの方がまだ私は少し気持ちが楽になりました。むしろ、苦しんでいる時の方が本当に辛かったです。
最後に家族旅行をしてから旅立った愛犬 もう犬は飼うことはできないというほどの充実感をくれた
中学校入学から犬を飼うことになりました。チワワの女の子です。チワワなので、子犬の中でもとびっきり小さくて、片手の手のひらにおさまるくらいの女の子です。当時はチワワブームで、たくさんのチワワがペットショップに並んでいましたが、この子を抱っこして顔を近づけると、私の鼻先をペロリと一舐めしました。まるで「これからよろしくね」と言っているようなそんな気がしてこの子にしたのです。犬を飼い始めてから我が家の雰囲気は変わり、もともと仲の良い家族でしたがみんなで散歩に行ったり、今日の犬の成長を語ったりと、より家族同士の絆を強めてくれました。それから17年後、すっかり年をとったチワワ。犬種的にもともと足腰の強くない犬ですが、自力ではすっかり立てなくなりご飯も無理にでもあげないとなかなか食べてくれなくなるくらいに老いてしまいました。大人になって私も含め兄弟は独立し、実家を離れてからは仕事の都合でなかなか家族で集まれなくなっていましたが、両親の還暦お祝いにと、数年ぶりに家族みんなで旅行をしました。もちろん犬も一緒です。すっかり弱った犬をつれての旅行なのでゆっくりとしたスローペースの旅行でした。みんな久しぶりの家族揃っての時間を楽しくすごしました。それから1週間後、犬は死にました。まるで、最後にもう一度家族みんなで過ごしたくて旅行しようと家族を集めてくれたかのようで、それに満足したように旅行の後に死んでしまいました。最後まで家族から愛情を注がれ続け、犬と一緒に家族みんなが成長し、絆を深めてくれた犬。亡くなるつらさが苦しすぎて、もう犬を飼うことはできないと思うくらいに充実した時間をくれました。けれど、死んだ時の犬の表情はほほえんでいて、きっと幸せな人生だったなと感じてくれていたのだろうなと思います。
実家で飼っていた愛犬の老衰 もっと一緒に遊んであげればよかったと後悔
私が中学2年生の頃にであったミニチュアダックスフンドの愛犬チャンス。当時は「妹がペットを飼いたい」と言って我が家に連れてきました。私自身、ペットに対して特段興味はなかったのですが、一緒に生活をする中で次第に”家族”という思いが生まれてきました。そんな愛犬が亡くなったのは27歳の頃に結婚し実家を出て行った直後のことでした。一番愛犬と接していた母からの連絡を受け、その死を知りました。老衰であるとのことでした。私が家を出ていった直後ということで「見送ってくれるまで一緒にいてくれてありがとう」という気持ちと「最期に一緒にいられなくてごめんね」という気持ちが入り混じりました。連絡を受けた瞬間は、何が起きたのか一瞬理解が出来なかったことを今でも覚えています。キレイな顔と毛並みで、家族と家が好き。散歩に行っても帰りの方が喜んで歩くような愛犬でした。ありきたりの言葉しか出てきませんが、もっと一緒に遊んであげればよかったです。弱ってきていることを知りながら仕事などが忙しいことを理由にかまってあげれていなかったことを後悔しました。悲しく寂しい気持ちになりつつも、妻が妊娠していることもあり私自身しっかりしなければと気持ちを強く持つように心掛けていましたが、一番可愛がっていた母が憔悴してしまっていることが気掛かりで心配でした。もし私と同じような状況の人がいましたら、まずは気を強く持ってください。愛犬に限ったことではありませんが、亡くなった相手はあなたがいつまでもうつむいていることを望んではいないはずです。一緒に過ごした思い出を大切にして時々思い出してあげてください。
家族だけで看取るのは不安だった・・病院が開いていれば
私たちの愛犬は8年前に熱中症のようなもので亡くなりました。うちの子は、ペットショップで売れ残っていました。小さくて可愛いくて、母のひとめぼれでした。一度抱っこしてしまったら離れられなくなってしまったのです。家に来たその日に咳が止まらなくなり次の日ペットショップに連れていくと、心臓の病気があることがわかりました。ペットショップの人には違う子にしますかと言われましたが、一度うちに来た子を手放すことなんかできませんでした。そのペットショップはとてもいいところで、咳がなくなるまで病院に通わせてくれ、咳が出なくなるまで面倒を見てくれました。10年くらいはとても元気に過ごしていました。すごく可愛く楽しくて仕方ありませんでした。13歳過ぎたころに、突然夜中に具合が悪くなってしまいました。田舎なので夜中は病院が閉まっていました。最後は病院に連れて行けず家族で看取りました。最後の方はとても苦しそうで、見ているほうもどうしてあげたらいいのかわからず、心が苦しかったです。愛犬がなくなって何年かは、小さな音がするとあの子ががいるんじゃないかとか、夢の中に出てくるとその日は一日寂しい気持ちになったりもしました。でも何年か経ってくると、楽しい思い出が蘇ってくるようになりました。最後までああしてやりたかったとか、美味しいものを食べさせてあげたかったとか後悔は尽きません。またいつかあの子のような子と出会えたらな・・・と思えるようになってきました。
フィラリア病に侵されていても生き続けた犬
中学2年生の夏でした。休日、朝起きると玄関で飼い犬のももが倒れていました。私は天国に行ってしまったと確認していないのに見た瞬間に悟りました。飼い犬のももは私が生まれる前に祖母のところで飼っていた犬から生まれた子犬でした。うちで引き取って育てていて子どものころからの友達のように又はもうひとりの親のように、ももは家族でした。庭で飼っていたので居間の窓を開けるとももが顔を出して窓のふちに私が座ると足をペロペロ舐めてきたりして、すごくかわいかったです。いつも学校から帰ってきたらももが吠えて出迎えてくれて、私だとわかるとしっぽを振って駆け寄ってきておかえりなさい。と出迎えてくれるようでした。でも、もうその夏から学校から帰ってきた私を出迎えてくれるももはいなくなりました。面影を感じながら、寂しくガランとした庭を眺めてはもものことを思い出す日々が続きました。今にも吠えて近くによってきているような感覚になります。ももの様子がおかしくなったのはその年の1月頃でした。散歩をしていると急にももの足がカクっとなり、すぐに持ち直しましたが、歩きにくそうにしていました。ちょっと躓いたのかなと思っていると少し歩くとまた、カクっとなったので不思議に思い病院に親と一緒に連れていきました。獣医さんに診てもらうとフィラリア病だと言われました。蚊やダニノミに刺された犬に血液から寄生虫が侵入する病気です。その寄生虫が心臓にたくさんまとわり付いていて、獣医からはもう死んでいてもおかしくないと言われ、ショックを受けました。それから週に1回の点滴をしながら、自宅で療養していました。次第にももは歩けなくなり、そのストレスから夜中に吠え続けることがしばしばありました。そして夏に天国へ旅立ちました。もちろん覚悟はしていましたが、家族全員悲しみにくれ、その場から動こうとはしませんでした。もう少し早く病院に連れて行ったり、予防注射をしたりしておけばよかったと後悔しております。ももにはよく頑張ったね。ありがとうと声をかけて埋葬しました。
愛犬の早すぎる死に世界が白黒になった 与えてくれた愛情を刻み生きていきたい
我が家は、父が愛犬家で私が生まれたる前から犬がいないことはありませんでした。なので、私も物心ついた時から犬がいるという生活は当たり前でしたし、犬が怖いということは全くありませんでした。しかし、父が飼う犬は大型犬のアフガンハウンドやボクサーという犬種で室外犬でした。そのため、反動で小型犬で室内に飼うということを高校生の頃までずっと夢みてました。大学生になり、あるペットショップで可愛い赤ちゃんのミニチュアダックスフンドを見ました。運命だと思い、バイトをして親には内緒でそのミニチュアダックスフンドを購入するお金を貯めて念願の室内犬を飼いました。潔癖症の母ですが元々愛犬家なので飼ってきてしまったなら、とミニチュアダックスフンドのポッケと私の時間が始まりました。まだ、1ヶ月半の赤ちゃんだったので、寝るときはゲージに入れてと思ってましたが深夜にずっと寂しくてクーンクーンと鳴くので私の布団で隣に寝かせてあげると落ち着いて寝ていたことを今でも覚えていています。以来、ポッケはお布団で私の隣に寝ることが日課になりました。大学生なので、バイトやゼミ、サークルや飲み、デートの度に家に帰るのがとても遅くなることがありましたが、ポッケは私の足音を聞くとすぐに玄関まで出てきてるおかえりなさいの「ワンワン!」と迎えてくれます。そんなポッケとの生活がずっと続くと思ってました。しかし、私が社会人になり忙しい日々を送っていて、中々ポッケとの遊ぶことも少なくなってきたと思っていました。ポッケの食欲が徐々に減り、心臓の病気で余命わずかということをお医者さんから言われました。ショックでした。まだまだ寿命じゃないのに。毎日、ごはんの量は減っていきますが、いつもと変わらず仕事から帰るとどんなに遅い時間でも出迎えてくれました。そして、3ヶ月後、歩くのも困難な状況でしたが、ポッケは仕事帰りの私をきちんと玄関まて迎えてくれて、そして、そのまま膝に抱っこされると安心したかのように眠って天国へ行きました。当たり前のようにいてくれた存在がいなくなってしまったことにショックで仕事から、帰るたびに泣いていました。帰ってもそこに迎えてくれるポッケがいなくて、世界が色がなくなり、白黒に見えました。布団に入っても温かいぬくもりがいないことが信じられませんでした。今でも書いていると涙が出そうになります。しかし、ポッケが与えてくれた思い出と共に悲しさを胸に忘れずに与えてくれた愛情を刻み生きていくと思うと強くなれた気がしました。
ヘルニアになって亡くなった愛犬 今でも会社のトイレで泣いてしまう もう少し思い出に浸っていたい
10年飼っていた家族同然のペット、シーズーの小夏が亡くなったのは今年の3月。ペットを飼っていた人、今飼っている人はペットを失くす事がどれだけ辛くて苦しいか、わかると思います。去年の11月、気づいたら小夏はヘルニアを発症していました。それまでは元気にお散歩に行ったり走り回っていたのに、急にびっこをひきだしました。これまでそんな事は無かったので、妻も私も驚き、でもすぐ治るだろうくらいに考えていました。ですが、人間と違い犬のヘルニアは命に関わると医師から聞き、もうあまり長くない可能性があると言われた時、視界が真っ暗になり何も考える事が出来ませんでした。ペットは人間よりも先に亡くなるのは理解していたつもりですが、あまりにも唐突すぎて、頭が回りません。あまりにショックな事が起きると人はこうなるんだな、と感じたのを覚えています。なんとかならないかと色んな事を試し実践しましたが日に日に小夏は元気が無くなり、最後は歩けなくなりました。そして今年の3月、眠るように小夏は息を引き取りました。亡くなってから半年以上が経ちますが、思い出してしまうとダメですね。仕事が手につかず会社のトイレでたまに泣いてしまいます。10年前、初めて我が家にきた小夏は小さいながらも元気一杯で、可愛くてたまりませんでした。私共が小夏を迎え入れるまで、それまで小夏はペットショップで売られていましたが、買い手がつかず売れ残っていました。妻と、吠えなくて小さな犬が欲しいねと常に話しており、小夏と出会えたのは一つの運命だったのだと思います。初めて小夏に触れた時の事は今でも忘れる事は出来ません。小さくて柔らかくて温かくて、それでいて触っても吠えず、もう私も妻も一瞬でこの子を飼いたいと思いました。小夏は天国に行ってしまいましたが、街中でシーズーを見ると思わず近寄り、飼い主さんの許可を得て触らせてもらっています。忘れる為には新しい犬を飼うのが良いと聞きますが、もうしばらくは小夏との思い出に浸っていようと思います。
フィラリアでなくなった愛犬 予防薬があったことを知り後悔 知識を身につけることの大事さを痛感
あれは私が小学校1年生だった時。ある日、遊んで家に戻ってくると、ニコニコ顔のお父さんが私と妹を待っていました。お父さんは、私たち二人を車庫の方へ呼び寄せ、車のドアを開けました。そこには、ぴょんぴょんと飛び跳ねる柴犬の姿が!私と妹は、前から犬を飼いたいとお願いしていたのですが、ずっとダメだと言われていたのです。それがある日突然柴犬がうちに!当時生後2ヶ月の柴犬。茶色くて小さくて本当に本当に可愛かった。私が名前をつけました。当時流行っていたアニメ、名犬ジョリーからとってそのままジョリー。ジョリーとはずっと一緒に歳を重ねていけると思っていました。小学1年生だった私が中学1年生になった頃。ジョリーの体調が悪く、大好きだった散歩にも行きたがらないようになりました。病院に連れて行くと、フィラリアとの診断。しかも、もう末期で手の施しようがないとのこと。目の前が真っ暗になりました。元気だった頃は、毎日私が学校から帰って来ると、これ以上飛び上がれないというほどぴょんぴょんと高くジャンプして、喜びを表現してくれていたジョリー。それが最後の方は腹水が溜まり、動けなくなりました。散歩に連れて行った時に途中で全く動けなくなり、私が泣きながら抱きかかえて家まで戻ったこともあります。あれは、ちょうど私の家庭訪問の日。家に戻ると、ジョリーが眠るように死んでいました。苦しそうではなく、本当に眠っているだけに見える姿。家庭訪問に来た何も知らない先生は、その姿を見て「よく寝ているね」と言ったぐらいです。あの日から毎日涙が止まらなくなりました。少しでもジョリーのことを思い出すと泣けて来てしょうがない。お風呂の中で何度泣いたか分かりません。もっと、遊んであげればよかった、もっと散歩に連れて行ってあげればよかった、どうしてフィラリアを予防できなかったんだろう、と毎日毎日後悔ばかり・・・あれから何年も何十年も経った今でも、まだ次の犬を飼うことはできていません。犬の中では今でもダントツに柴犬が好き。また飼いたいなと思うこともありますが、あの別れの辛さを思い出すと飼う勇気は出ません。あの時小学生だった私。フィラリアの予防薬があることも知らなかった。もし知っていたら、もし定期的に予防薬を投与できていたら、もっと長生きしてくれたかもしれない。そう思うと、本当に辛いです。今犬を飼っている人には、犬の病気やその予防に対する知識を身につけて欲しいです。大切な命。人間よりも短い時間しか生きられないのなら、できるだけそれを延ばしてあげて欲しいです。
もっと遊んであげたかったです
3週間前に、12年飼っていた犬が亡くなりました。私は、去年結婚をして実家を出てしまったので、最期を看取ることが出来ませんでした。私が実家を出るときから、すでに病気がちな犬だったので、長生きが出来るかどうかはわからない状態だったのですが、それでも母親から犬が元気で過ごしているという話を聞いてみて安心をしていました。私が飼っていた犬は、お腹に石が出来やすい体質で、普通のドッグフードが食べられず、病気の犬でも食べられるドッグフードだけを食べていました。おやつを食べることも出来ず、数年間、同じドッグフードばかりを食べていたのですが、それでもご飯の時間には、嬉しそうにご飯を食べてくれていました。また、どんな犬にも仲良くしていける性格で、散歩に行くと犬の友達が沢山居て、楽しそうに挨拶をしていました。人から見ると元気そうに見えるので、毎日薬を飲んでいたりすることを伝えると驚かれていたのですが、見た目は元気でも、やはし、徐々に体は病気に蝕まれていたみたいです。ある日、母親から犬のお腹が張っていて、ご飯も食べず元気がないので病院に連れて行くと連絡があり、そこから、病院で処置をしてもらったのですが、その後もご飯が食べられずに1週間ほどで亡くなってしまいました。ずっと一緒にいた犬で、旅行に行くときも一緒、私が凹んでいるときには抱きしめながら泣いたこともあります。もっと、近くで一緒に居たかったなと思います。もう、実家に帰っても会えないと思うと辛すぎます。亡くなって3週間経つのですが、昔の写真を見たりしながら、いまだに泣いてしまいます。