ハムスターが亡くなってペットロスになった体験談

2024年1月14日

2年3ヶ月共に過ごしてくれた、小さくても大きな存在だった我が家の亡くなったペットの体験談

私には以前ジャンガリアンハムスターのペットが一匹いました。

家族みんなで大切にお世話して過ごしていた大切なペットでした。

小さいですし、犬や猫のように分かりやすく懐く感じでもないので、もしかすると一般的にはそこまで愛情深く執着しないと思われるかもしれませんが、私は全然そんなことはありませんでした。

以前にコーギーという種類の犬を飼っていた経験もあるのですが、そのときと同じくらい家族の一員だと感じれる存在でした。

毎日、「しっかりエサ食べたかな?」「温度調節は大丈夫かな?」なんて、子どもと一緒にお世話をしていました。

飼いはじめた当初は警戒心からか私の手を噛むこともあったのですが、時間と共にいつからか噛むこともなくなり、「私に慣れたのかな?」なんて、より愛情が芽生えました。

慣れてからの性格は、無邪気で人を恐がらない感じで、意外にも人の手が好きな仔だったと思います。

因みにですが、飼う前に、インターネットやペットショップでジャンガリアンハムスターの寿命が約2年ほどということは学んでいましたので、その辺もしっかり理解して飼っていました。

ですが、飼いはじめてから2年経った頃、そろそろ弱ってくるのかな?と日々注意深く見ていましたが、心配な気持ちを忘れさせるくらい意外に元気なままでしたので毎日「長生きしろよ」なんて言いながらエサをあげていました。

(笑)
しかしながら事態が変わったのはそれから3ヶ月後でした。

その頃私がお仕事の都合で3日ほど自宅を留守にする日があったのですが、3日目、私が自宅への帰宅途中家族から何度か携帯に着信が入っていました。

何も考えずに折り返してみると、家族から「○○(ペットの名前)死んじゃったんだ」という何だか実感が全くわかない報告を聞きました。

私はその瞬間から頭が真っ白になり、気付くと涙が出ていました。

しかもペットが亡くなったのは私が家を留守にしたその日(3日前)の夕方だったそうです。

いつものように何気なくペットを見ていた娘(当時小学生)が寝たまま動かないペットに気付き、何か変だと家族に伝えたようです。

私は急いで帰宅し、ペットの姿を確認しました。

(それでも実感がなかったです。

)
その日の夜中、涙が止まらない状態で私はペットに「一緒に過ごしてくれてありがとう」と伝え、お別れをしました。

その後、数日間は何をしていてもまだハムスターはゲージにいるような気がして、正直辛かったです。

なかなか消えない『喪失感』に「ペット(家族)がいなくなるというのは、こういうことなのか」と人生で初めての感情を学ばせてもらいました。

心がしっかりと受け入れて、亡くなった事実を整理出来るようになるまでには1ヶ月半ほど掛かったと思います。

今こうして思い返しても感謝の気持ちがいっぱいです。

今現在、そのハムスター専用ゲージには実は新たな家族になったジャンガリアンハムスターがいます。

亡くなったペットの分も愛情を注げるように共に過ごしています。

なかなか上手く書けないものですが、そんな感じで、私と家族が2年と3ヶ月生活を共に過ごした、今でも大切に思える存在のペットのお話でした。

あ、私の末っ子が「○○(ペットの名前)どこ行ったの?」と聞いてきましたが、まだ『死』というものが理解出来る年齢ではなかったので「お星様になったんだよ!」と伝えました。

今でも子どもからは「○○はお星様になったんだよね!」と言います。(笑)
それと、(今の仔には申し訳ないのですが)家族揃って亡くなった仔の名前と新たに家族になったジャンガリアンの名前を言い間違えます。(笑)

シマリスとの突然の別れに家族全員で泣いた

うちにシマリスがやってきたのは、2年前。旦那が人からもらってきました。
ハムスターはペットとしてなじみがあるけど、シマリスって…ペットとして家で飼うものなの?と、私はあっけにとられて、どうしていくんだろうという気持ちでした。

子供が3人いるので、旦那は子どもたちに動物を飼うことでいろいろ学んでほしいという考えでした。
今まで、金魚とかは飼ったことあるけど、小動物ははじめてでした。
生態もわからず、何を食べるのかもわからず、そこからのスタートでした。

手に乗って、ヨシヨシするようなことはできず、逃げ回るばかり。ハムスターと全然違う…逃げてしまったら、冷蔵庫の裏、洗濯機の裏…なかなか捕まえられない。

最初はそんな状態でした。でも飼っていくうちに、エサをあげれば近よってくるし、食べているときは触れるし、リスって本当にほっぺにエサを満タンに詰め込んだり、どこかの下に隠したり。

本当にかわいいなと思うようになりました。家族の一員になっていました。
しかし、別れは突然やってきました。一日に一回、ゲージか出して部屋に放すのですが、部屋の中に出ているときに、事故で物の下敷きになってしまい、おそらく内蔵破裂で、亡くなってしまいました。

病気などではなく、突然の別れだったので、気持ちの整理ができず、日常の中での突然で…悲しさがものすごくて、家族全員で泣きました。別れがこんなに悲しいとは…ペットとの別れがこんなにつらいとは…。
本当に家族だったんだと実感しました。

大晦日冷たくなっていたジャンガリアンハムスター 寿命は2年と聞いても後悔してしまう

昔一匹のハムスターを飼っていました。

オスのジャンガリアンハムスターでした。

ちょうど2000年の大晦日、家族で大晦日を過ごし、21世紀を迎えてから休みました。

休む際には「今年もよろしく」とハムスターに声をかけました。

とても寒い夜で、外は大雪でした。

翌朝起床後、家族に新年を挨拶等を行い、
一段落後にハムスターのゲージを見ると
横たわり既に冷たく、硬くなっていました。

新世紀の元旦から言葉を失いました。

雪が降る中ハムスターを埋めに行きましたが、
戻ってきても涙が止まらず、2~3日はずっと泣いていたことを覚えています。

その後実家を離れることになりましたが
帰省にした際には必ず墓参りに何年も通っていました。

墓参りはずっと家族には黙って通っていましたが、
そこはさすがに親です。

こっそり通っていることはばれていました。

働き出し、帰省すること頻度も減っていきなかなか墓参りにもいけなくなったあるとき
「もういいんじゃない」と家族に言われたをきっかけに
ある種強迫観念に駆られたように通っていた墓参りをやめましたが
その後も彼が使っていた餌皿だけは捨てられずにずっととってありました。

飼いはじめてちょうど2年ほどで、一般的にハムスターの寿命も2年と言われているので「もう寿命だったんだよ」と家族は言ってくれていましたが、
本当に寿命だったのだろうか?
あの寒い夜、寒さに耐えられなかったのではないだろうか?
なぜ暖房をつけておかなかったのか?
自分は精一杯彼の世話をしていたんだろうか?
暖かくしておけばあの日死ぬこともなかったのではないか?
と今でもたまに考えますし、悔います。

脱走を防ぐための対策で亡くなったホワイトスノーをみて、はげしく後悔した

高校生の頃どうしてもペットが欲しくてハムスターを番いで飼うことになりました。

小学生の頃からペットを飼いたいと両親に懇願してましたが、なかなか承諾を得ることができなくて、、、、
それが引っ越しを期に初めて許可され、嬉しかったのを覚えています。

家族でペットショップへ行ってホワイトスノーのオスとジャンガリアンのメスを飼いました。
毎日ゲージを覗くのが楽しみでした。
私には弟がいて、当時は中学生でしたがゲージの掃除に水替え餌やり全てやってくれていました。
清潔なゲージで心地よかったと思います。

それくらい我が家にとってペットは新鮮で可愛くて癒やしの存在だったのです。

最初のうち二匹はかなり激しい喧嘩をしていたので心配でしたが無事7~8匹赤ちゃんを産んでくれました。
ジャンガリアンがおっぱいをあげる姿はお母さんらしくて好きだったのでよく覚えています。

冬になると脱走してしまい、コタツで発見!なんてこともありました。
きっと寒かったんでしょうね。
ハムスター用のコタツをセットしゲージを固定させ脱走は防げるようになりました。
しかし数日してまたもやハムスターが脱走してしまいました。

唯一ゲージに残っていたホワイトスノーは亡くなっていました。
寒くて冬を超えれなかったようです。
ゲージを固定した自分たちを責めたのを思い出します。
小さな命が自分のせいで亡くなってしまったのか、、、そう思うと胸が苦しくて切なくて
二度と帰ってこない時間を巻き戻したいとさえ思いました。

小学生の頃ペットを飼うことを承諾してくれなかった両親の気持ちが今になって分かります。

どんなペットでも大切な家族で失った傷が癒えるまでかなりの時間が必要になります。

今でもハムスター飼いたいな
そう思うこともありますが私はまだ飼えません。

愛情を注いだぶん辛くなったハムスターの死、今もペットを飼う気がしない

小学6年生のころに、ハムスターを飼っていました。

友人が飼っているのを見て、その愛らしい姿にとても心惹かれ、親の反対がありましたが、世話は自分が見るから!と説き伏せ無事に飼うことができました。

正直、ハムスターと意思疎通を図ることは難しい..というか出来ていなかったと思います。

しかし、私は出来る限りハムスターに愛情を注いでいました。

名前はちび太です。

小さいのでちび太。

小学生が考え付く微笑ましいネーミングだったな。

と今は思っています。

さて、ちび太との思い出ですがバスケットのカバンの中にちび太を入れて、近所の公園の芝生で思い切り遊ばせたり(楽しんでいたかは不明ですが…)、小さなオケを買ってきて、時々お風呂に入れたりしていました。

世話をするのが面倒だと思ったことはありませんでした。

ひとつひとつの仕草が愛くるしくて、私が放ってしまったらこの子はどうなってしまうのだろうと思うと、世話をせずにはいられませんでした。

冬場は、鳥の巣を買ってきてあげました。

そうすると、鳥の巣の中にティッシュなどを運び入れて、自分の寝床を作るんです。

ちび太も鳥の巣が暖かくて快適なのが分かったんでしょうね。

藁の巣の中で寝るハムスターの姿はとっても可愛らしいものでした。

ちび太は私が中学生2年生の冬ごろまで生きていました。

ハムスターの寿命は2-3年と聞いたことがありますが、ちび太は3年半も生きることが出来たので、寿命が全うできたのかな?と思っています。

しかし、それでも最後の別れの日は30年経った今でも忘れられません。

手の中で必死に温めてもどんどん冷えてゆく体。

水や餌も口にしなくなります。

最後はブルブルっと震えて息を引き取りました。

寿命だったのだと割り切ろうとしても、私の中ではちび太との別れが辛すぎて、それからペットは一切飼っていません。

愛情を注げば注ぐほど別れが辛いなんて…矛盾していますよね。

立ち直っていないわけではありませんが、この先も一生ペットを飼うことはないかなあと思っています。

病院で受け入れてもらえないエキゾチックアニマル 受け入れてもらえたら少しは変わっていたのではないかといまだに思う

6年前から モルモットの雄と雌の2匹を買っていました。

ちょうど1年前に雄が、急に様子がおかしくなりました。

怖がりで、引っ込み思案でしたが名前を呼べば出てきて、おやつのおねだりに鳴くようにもなり、うれしい時は嬉しそうに鳴く、おとなしい雄のモルモットでした。

モルモット自体の寿命5年から10年なのですが、病気になっても、なかなか動物病院では受け入れてもらえないのが現実です。

特に田舎の動物病院は、犬猫に限られていたり、大型犬の受け入れも厳しいと聞きました。
都会でも、小動物を受け入れてくれる病院はなかなかありません。

特にモルモットは繊細な動物で『エキゾチックアニマル』と言われて、医療処置、検査でショック死などの可能性が高いため、受け入れてもらえません。

飼う前からそれを覚悟して飼っていましたが、老衰ではなく、明らかに何らかの病気の発症だったように思います。

変な呼吸音、食欲不振、尿の臭いや色、下痢、軟便と次々に症状が変わりました。

生まれつきかどうかわかりませんが、うまく鳴けない声が出ない鼻腔奇形があったようで普通の呼吸でも少し音がしてたのですが、それとは違う呼吸音変わり、明らかな様子の変化に付っきりの看病になりました。

好きな果物や野菜、餌など小さくカットし、口に近づけゆっくり食事と水分補給をさせました。2~3日続けると変な呼吸音が止まり元気に餌を食べるようになりました。

が、また急変ししんどそうに 隅っこに丸まっているようになり、尿の色が変わり始め、軟便になりました。

抱き上げると力なく自力で排泄できない状態で お腹が張っていて、股間を刺激しやっと尿や便が出る。

食事も固形は吐き出してしまうので すり潰し水で柔らかくし、米粒ぐらいにして口の中に入れて少しづつ、水も少しずつ、口に落とし飲める状態でした。

それが3日続き、4日目の朝、苦しそうな呼吸音、食事も水分も取れなくなりました。

覚悟を決めてずっと胸に抱いていました。たまに甘えるようなしぐさを見せていましたが夕方にそのまま呼吸が遠くなり死んでしまいました。

ずっと苦しそうにしていたのに、原因も何もわからないまま、痛みも何も取ってあげられないまま、苦しそうな呼吸のままだったことがすごくつらかったです。

病院で診てもらえたなら何か変わっていたのだろうかと、せめて痛みでも取り除けたのだろうか、もしかしたら延命出来ていたのだろうかと未だに考えます。

エキゾチックアニマルを飼う方々は多くが 病院で受け入れてもらえないことを嘆いていました。

少なくとも私もその一人です。

子供とともに育てていたハムスター、短い時間でも愛情をかけていたので割り切れず

わが家では何匹かのペットを飼っていますが、それぞれに私たちなりの愛情を掛けて育てています。

過ごした長さやかかわり方で愛着度合いも多少は違いますが、小さい動物だから、育てた期間が短いから情が移らなかったということはありません。

子どもが熱望したハムスターをわが家に迎えました。

「自分で面倒見る」と子どもは言うものの、日々のお世話に関してはやはり親の私が気を付けることも多く、扱い方にも慣れるとやはりかわいく思えてくるものです。

ハムスターは犬のように吠えたりしない分、気を付けて見守ることがお世話の第一歩です。

生後1か月くらいの子が次第に成長して私たちにも慣れて手に乗ってきたりするようになり、子どもが学校から帰って一緒に遊んだりするのが楽しみでした。

ハムスターは元々2~3年しか生きないとは言われていたのですが、その子は生後1年もしないうちに死んでしまいました。

このところ動きが緩慢だなと思って気を付けていたのですが、初めてのことで冬支度かと思ったりしていると、ある日明らかに弱った様子でしたので子どもも希望したので動物病院に連れて行きました。

ハムスターは小さいのでレントゲンや麻酔などが負担になるためにできる検査や治療もあまりないとのことでしたが、排せつを促す薬を処方してもらって家でスポイトで飲ませたりしました。

あまり有効ではなかったかもしれませんが、できる限りのことはしてあげたということが子どもの精神的な面を考えても良かったと思います。

その数日後に私の手の中で息を引き取りました。

子どもと共に泣きながら体をさすってさよならして、庭にお墓を作りました。

それから何日も、子どもが学校から帰って来ると、今までのようについ部屋の隅のハムスターのハウスの有ったところへ行こうとして「あ…居ないんだ」と涙を浮かべる様子に私も涙が出ていました。

あまり関わらなかった家族からは、「何年もいたわけじゃないんだし、どうせ長生きはしない動物だからね」などと言われましたが、私と子どもは短い時間でも愛情を掛けてお世話をしたので、簡単に割り切ることはできませんでした。

二人で思い出を話し合ったりして、何とか次第に悲しみが癒えて行きました。

ペットとの別れは悲しいものですが、それでも一緒に過ごす時間は大切な思い出になります。

デグーの突然死 ショックで会社へ行けませんでした ゲージはいまだ捨てられず

デグーという小動物を飼っていました。一見すると大きなネズミなのですが、人に懐きやすく、芸を教えるとすぐに覚えおやつのビンの蓋をあけたりするとても賢い子でした。

そんな子が、3年ほど前の猛暑の日、クーラーをつけていたにもかかわらず、ぐったりしていることに気づきました。
夜中だったため、動物の救急外来に来ていただきお医者さんに診せたり、翌日動物病院へ行きましたが、入院した翌々日に、その子は亡くなってしまいました。本当に突然のことでした。
動物病院から電話が来たのは出勤中で、駅で大泣きしてしまい、会社へ本日出勤できない旨を連絡し、動物病院へ向かいました。原因不明の突然死でした。

まだ2~3歳ほどだったので、こんなに早いお別れになるとは思わずにとてもショックでした。

ずっと抱きしめて泣いていたのですが、ふわふわだった彼はどんどん固く冷たくなっていって、このまま抱きしめていた方が彼のためにならないと思い、その日のうちに動物霊園に連れて行き、火葬してもらいました。

使っていたゲージは未だに捨てられず、その後もまだクローゼットに一式しまってあります。

いまだに、あんなに賢くて人懐こい子は他にはいないと思っています。唯一無二の存在です。
また、SNSで写真や動画をアップしていたので、色々な人に愛された子でした。
写真を見るたびに、またあの子に会いたいと思いますが、今はまだデグーを飼う気にはなれません。彼が1番のデグーでしたから……。

でも、気持ちの整理がついて、またデグーをお迎えする機会に恵まれたなら、そのときは彼のぶんも目一杯愛してあげたいと思っています。

ジャンガリアンハムスターが癌でなくなってから、涙ぐんだり精神が不安定な状態が続いた

私がペットであるジャンガリアンハムスターと出会った経緯は、偶然訪れたペットショップで特価になっていたことがきっかけでした。

そのまま売れ残ってしまえば、ともすれば爬虫類のエサにされてしまうような運命になるその子を見ていてどうしても飼いたいと思ってしまい、一目惚れして、そのまま我が家にお迎えすることになりました。

そこからその子との日々がはじまり、毎日温野菜やゆでたまご・ヨーグルト・鶏ささみ肉といったタンパク源から水分・カルシウムといったバランスの良い食事、衛生的な住環境(ホームセンターでアクリルのケースを購入し、オリジナルのケージに改良しました。)を維持して約3年が経過していたときのことでした。

亡くなった経緯は、その半年前ほどに左頬袋のあたりがぷっくり腫れていることに気づき病院に連れて行ったときにはときすでに遅し、末期の悪性リンパ腫であることがわかったことでした。

時期としては、すでに3歳を超えていたこともあり、外科的手術をするには小さいハムスターでは麻酔に耐えられるかといった問題もあり、獣医師の言うとおり内科的な投薬療法を取り入れることになりました。

その時の心情としては、よく言われている高齢ハムスターの口の中は怪我をしやすいということを失念して、にぼしを与えてしまったときに、それが傷口となって、炎症を起こして異形成・リンパ腫となってしまったのではないかと自分を悔いたことでした。

そこからなんとか生きながらえてはいたものの、なくなる前日までごはんを食べてくれていたことを今でも覚えています。

ペットが亡くなってからの体調の変化としては、仕事が手につかなくなり、睡眠不足になりました。

そして、ペットロス症候群となり、何をするのも億劫になり、一人でぼーっとして過ごし、時折涙を流すような日々が続きました。

私にとって本当の子どものような子であったので、まるで自分の生活からごっそりと大切なものが抜け落ちてしまい、生き甲斐を失ってしまったような状態に陥ってしまいました。

いつもその子のことを思い出しては、涙ぐんで目頭が熱くなるような、情緒不安定な精神状態が続きました。

同じく悲しみにくれている人がいれば、とにかくその子のことでやり残した・失敗したということがあっても、それはその子は許してくれていると思うことです。

ありがとうと言ってくれていると思うことで、互いの共有した時間は幸せだったということをあらためて実感することができると思います。

私は、現在の状況としてまた違うペットを飼うところまで立ち直ることができました。

もし、なくなったペットと会えたら、私は飼い主として合格だったかどうか、もしも話ができたら、どういうことが聞けるか、そういうことを想像しながら、また再びどこかで会えるといいなと思いつつ、いつまでもその子のことを忘れないでいるということを心に決めています。

身内の不幸には休息をもらえるのに、ペットの場合には適応されないことに怒りを感じる

これまでに、4度ほどペットを亡くしました。
その度に限界まで落ち込み、何をするにも身体が思うように動いてくれなくなりました。

やらなきゃいけないことはあるのに、胸の真ん中に大きな穴が空いたみたいで、考えないようにすればするほど悲しくなっていくのです。

食欲がなくなり、毎回何も食べれなくなります。

もういないのに、癖でついついケージを見て声をかけそうになっては空になった中身を見て落ち込んでしまったり…。

動物の多くは人間よりもずっと短命なので、命を迎え入れるということはいつか必ず別れが来るものではあるのですが、頭では分かっていても心が追い付いてこないんですよね。

あの子は幸せだっただろうか、うちに来てよかったと思ってくれただろうか。

そんなことばかり考えて、1日の大半を過ごすなんてことがほとんとです。
人間の家族であれば「身内の不幸」で休息を戴けるけど、ペットの場合はそれが適用されず…ペットも大事な家族なのに不公平だとやり場のない怒りも感じました。

どれだけの年月が経っても、傷が完全に癒えることはないんだと思います。
でも、悲しんでばかりいるとあの子たちが安心してお空で休めないから、落ち込んで落ち込んで、限界まで落ち込んでもう涙が出てこなくなったら、ゆっくりとでも元気になるように努力してます。

悲しいけど、でもそんなに悲しいのは亡くなった子たちが私にとって何より特別だったからです。
そして、そんな優しい気持ちを私に与えてくれたあの子たちに心から感謝しています。

いつか私がこの世を離れる時が来たら、きっとまた会って今までのお話を聞かせてあげるんです。
その時は元気に散歩をして、目いっぱい遊びます。

だから、寂しくてとても悲しいけど、その時を楽しみに毎日頑張って生きてます。

体験談

Posted by 管理人