ペットロスを克服した体験談
44歳女性、植木を購入して楽しみを作り、半年経ってペットロス改善
16年間飼っていた愛犬が亡くなり、もう家族同然だったので、約半年間は家族全員でペットロスになりました。特に父は定年退職してから毎日のように愛犬と共に散歩したり、出かける時にはいつも一緒にいたので、ペットロスが激しく、一時期は外に出かけるのも億劫になり、なかなか外へ出かけようとせず、家の中にいることが多くなって防ぎこむようになりました。ペットロスの解消方法がいまいち見つからず過ごしていた時、ホームセンターへ出かけると、植木があったので気になる苗をいくつか購入してみました。ミカン・ブルーベリーなど苗を購入し、まずは庭の土を改良することが必要なので、腐葉土を購入して土の状態をよくするなど、色々と手を加えて色々と工夫して庭の改造を行いました。父も元気が出たようで、庭の土を改善するため、ホームセンターから買ってきた腐葉土を加えて土をならしたら、その後しばらく経ってから苗を植えて、毎日様子をみるのが楽しみになりました。やはり植木はお手入れしないと虫がつきますし、色々とトラブルも起きやすくなるので、しっかりと対処するようにするなど、父も普段からしっかりと苗の対策を行うようになり、ちょっとした楽しみができたことで、少し時間はかかりましたが、半年経った頃からペットロスから解消されました。もう16年間一緒に過ごしてきた愛犬だったので、最初はとても寂しく感じ、毎日ふとした時に愛犬がいた頃を思い出していましたが、それも次第に薄れてきたので、やはり植木の手入れなど色々と手を加えるようになってからだいぶ気持ちが楽になってきたのを感じるようになりました。外に出たくないといっていた父も庭を改造することで、楽しみが増え、気持ちもだいぶポジティブになってきたのを感じます。普段の生活の中で、ペットロスは色々と影響がありますが時間をかけてゆっくりと環境を変えていくことで次第に精神状態も落ち着いてきたのを半年経ってから実感しました。
36歳男 ペットの死はペットが癒してくれた
私は30代の男性です。田舎にある実家に住んでいたころからいろいろな種類のペットを飼ってきました。犬や猫、ウサギなど一般的なペットから、珍しい動物も飼ったことがあります。その中の一つを紹介したいと思います。出会いは私が中学生のころ、その日は土曜日で学校が午前中まででした。家に帰ると一つ下の弟が先に帰ってきており、大きな段ボールがリビングにおいてありました。中を見ると子猫でした。どうやら捨て猫を見つけてしまったらしく、放っておけなくなり連れてきたみたいです。弟は面倒を見るつもりでしたが、その時すでに我が家には犬が2匹いました。私も猫は今まで飼ったことがないし、とてもかわいかったのでを何とか親を説得し、家族の一員となりました。決して人懐っこいわけではなく、自分が甘えたいときには甘えてくる猫らしい猫でした。進学の為実家を離れる際にも気がかりで、頻繁に帰ってきては猫とあそびました。ただそれも年に数回なので、そのあと10年ほど生きましたが、実家を出てから会った日数を数えてみると1か月にも満たない日数でした。就職して頻繁に帰ることができなくなり、最後に会った数日後に亡くなりました。状況的に難しかったとはいえ、もっと時間を作って会いに行きたかったと非常に後悔しました。亡くなったの聞いたときにすぐにでも駆け付けたかったのですが、実家とその時住んでいた場所がだいぶ離れていて、交通費などを見てもすぐに行けるような状況ではありませんでした。実家を出る前も、忙しくれかまってやれなかった時もあったので、もう少し時間を作っておけばよかったと後悔しています。解消したのはほかでもない一緒にいる家族(ペット)でした。犬が2匹いたのですが、比較的に猫と仲が良く、猫が亡くなってから一緒にいる時間を作る様に意識し、限られた時間の中で濃い時間を作ることで、解消することができました。この記事を読んでいただいている方へ、ペットを飼う場合、寿命を見てもペットの方が先に死を迎えます。生きている間にできる限り一緒にいる時間を作ってあげてください。その中で、ペットの死を受け入れることができる覚悟を持ってください。時間は永遠ではありませんので、限られた時間の中でペットと楽しい時間を過ごすことができていれば、受け入れることができるはずです。
41歳男性気持ちを切り替えて解消
私は41歳の男性です結婚する前に、5年飼っていた犬が亡くなりました亡くなってからの翌日からは喪失感が酷く、仕事に手がつかないくらいの状態でしたさすがにそれではまずいと思いまして、別のペットを飼おうかと思いましたが、さすがにできず下記の方法でクリアしました体を動かす事にしました家に閉じこもりがちになっていて、運動をしていなかったのでまずは軽い運動から始めました。体を動かすと、交感神経を活発化させたり、脳内からセロトニン(幸福ホルモン)が分泌されると言われています。とにもかくにも体を動かすことです食事をとることにしました健全な体調にするべく、食生活を見直しました。三食食べる事、肉魚だけではまずいので、野菜を摂取して、バランスのよい食生活に移行しました。とにもかくにもバランスよく食生活をすることですお墓をつくり、お参りペットがいない状況を受け止めるには精神的にはきついかと思いますが、それでは前に進むことができないので、整理をする為に、家の庭にお墓を作りました。毎日、お参りをしまして、私の気持ちを伝えました当初はつらかったのですが、徐々にではありますが、現実を受け止められるようになりますので、「悲しくなってもしょうがないよね~」と思えるようになり、前に進めるようになりました。勝手な思い込みですが、私がずっと悲しんでいるようでは、ペットも悲しんでいると勝手に思いまして、子持ちが吹っ切れるようになりました前向きに生きることがペットの気持ちであると思います人に話を聞いてもらう同じ境遇に遭遇した友人がいましたので、話を聞いてもらいました。しかしながら、あまりにもペットのお話をしすぎると何時間もすると相手に精神的な負担をかけすぎるので、少しだけするのがよいかと思います上記を行って解決するのかわかりませんが、まずはどれでも酔いのでやってみてはいかがでしょうか?飼い主の状況をペットが喜ぶわけではなく、ペットの気持ちを背負ってこれから前向きに生きていくことが良いかと思います
48歳女性食べてペットロスを解消しました
約16年間一緒に生活していたネコを亡くしてペットロスに陥りました。昔からネコが好きでやっとネコを飼える環境になって16年間本当に幸せでした。毎日その子が居てくれるだけで心が安定していたから亡くなった後は完全にペットロス。自分の子供を亡くしたような辛さで心もカラダも折れそうでした。16年間って長いですよ。人間の子供だっておぎゃーと生まれて16年経てばカラダだって大人ですからね。ネコはそこまでの成長が見えないけれど、16年間寝食を共にしていたのだから自分の子供同様に可愛かった。最終的に腎臓が機能しなくなって亡くなってしまいました。最期は自宅でわたしとわたしの母が看取りました。母が居なかったらわたしはもっともっと深いダメージを受けていたでしょう・・・。その子の状態が悪くなり2習慣くらい通院したり入院したりしていたんですが、その時も母が居なかったらわたしは気がおかしくなっていたでしょう。ひとりではとても耐えられない状態にありました。その子が亡くなってお葬式をしました。ペット供養が出来るお寺を紹介してもらって火葬してお経を上げてもらいました。人間の時と同じような手順できちんと供養してもらい、骨をキレイな骨壺に入れてもらって自宅へ連れて帰りました。今もその子の骨は自宅のリビングにあります。毎日お水をあげています。家族が集まる1番賑やかな場所にその子の骨を置いている理由はその方が寂しくないと思ったから。そしてその子が好きなソファーがあるからです。わたしはしばらくペットロス状態で食事が喉を通りませんでしたが、母が励ましてくれて頑張って食べるように。食べられるようになるにつれてペットロスが解消していきました。食べないと人間ダメになっちゃいますね・・・。ペットロスの期間は半年くらい。食べられるときに食べることを続けていくうちに元気になれて母も安心したようでした。悲しむときは悲しんでいいと思いますよ。
当時10歳 男 大泣きして癒した
私は、夫婦二人ぐらしをしている還暦を迎えたおっさんです。これから書く事は私が小学生の頃の話です。その頃のことを思い出しながら、子供の気持ちで書きます。 ある日学校から帰り、近所の空き地で友達と遊び、薄暗くなってきたので家に帰ろうと歩いていると小さな猫が私についてきました。走って逃げようとしましたが、それでも必死についてきます。かわいそうになり、抱き上げて家に連れて帰りました。お母さんに飼いたいとお願いしました。お父さんに聞いてからと言われました。ほどなくお父さんが仕事から帰ってきて、今まで何も飼ったことがなかったので、良いと言ってくれました。 私は、タマと名前を付けて可愛がりました。タマは頭の良い猫で毎朝私の耳をあまがみして起こしてくれました。私が学校に行くとき途中まで必ずついてきました、送ってくれていたのでしょう。でも閉口することもありました。蛇やネズミや虫などを捕まえては、家にもって帰って来るのです。タマにとっては大威張りで自慢だってのでしょう。そのうち、タマはお腹に子供を宿し3匹、子猫を生みました。そうタマは雌猫だったのです。その後、3回2~3匹づつ子猫を生みました。普通猫はお産を人に見せないものだそうですが、タマはお産のたびにお母さんが手伝っていました。生まれた子猫は、近所の人にもらわれていきましたが、残った子猫はすべて家で飼っていました。いつの間にか家は猫屋敷になっていました。 何年かたったある日、タマは体調を悪くしてあっけなく死んでしまいました。猫は死ぬときも人眼につかないところに行くそうですが、タマは私たち家族の目に届くところで死にました。私は大泣きしました。お母さんが、猫は死ぬと猫の島に行って幸せに暮らすのだと、話してくれました。タマの亡骸を段ボールに入れ、線香の束に火をつけて入れて近所の海に行き流してあげました。お母さんと二人で、猫の島でしあわせに暮らせよと祈りながらいつまでも見送りました。
27歳、男性、愛情と時間が解決してくれる
私は、長崎県内にてフリーランスとして働いている者です。私は長崎県に生まれ、小学3年生の頃から社会人になるまで実家で飼っていた犬がいます。テリア系の雑種で、コロっとした小さな犬だったので、コロと名付けられました。知人の家で数匹の子犬が産まれ、飼い主を募集していたため、我が家で引き取ったのがコロでした。コロとは小学生の頃から一緒に遊んだ利して、家族の中でもよく可愛がられました。特に大きな病気になることもなく、私が社会人になっても元気にしていました。しかし、ある時私がコロを散歩していると、コロがよく段差につまづいたり、排水溝の金網に足を踏み外したりしていることに気づきました。それから約半年程経過すると、コロの目は緑色に変色し、目は見えなくなっていました。生きているものはみな、平等に死を迎えることになりますが、私はコロが死ぬという現実を受け入れられずにいました。コロがいない実家での暮らしを想像していると、とても憂鬱な気分になり、食事も喉を通りにくくなりました。その年の冬に、コロは歩けなくなり、間も無く生き絶えてしまいました。私は悲しみのあまり涙を流し、コロを庭に埋めてあげました。犬といえど、やはり家族であったため、失ったショックはとても大きかったです。しかし、いつまでもクヨクヨしていては、死んでいったコロに顔向けできないと思い、前向きになるように自分に言い聞かせながら生活をしました。私は、コロを家族のように愛し、接してきたので、コロとの出会い、生活、別れの中で後悔は全くなかったことに、そこで気づきました。今では、愛犬コロと過ごした日々は、とてもいい思い出です。これからペットを飼おうとしている方が、数多くいらっしゃると思いますが、ペットといえど、人間と同じ家族です。人間と同じように別れの日はやってきますし、別れることはとても辛いでしょう。ですが、必ず時間が解決してくれます。ペットとの時間を大切にし、愛情を持って接すれば、必ずいい思い出として振り返れる日が来るでしょう。
40代女性、新しい愛犬と暮らしがペットロスを解消してくれました
私達夫婦には子供が居ません。結婚して2年ほどが経った時に、犬を飼おうと思い始めました。でもペットショップではなく、何らからの理由で保護されている犬を飼いたいと思って、色んな保護施設を周ったり、犬の里親探しのイベントなどに参加して、夫婦二人ともが気に入る犬を探し回りました。そして、ある里親探しのイベントに行った時に、一匹の可愛い犬に出会いました。その子は私達夫婦を見ながら一生懸命に柵の周りを飛び跳ねていました。その犬を見て、私も主人も気にって、その子を引き取ることになりました。その子はその時3歳で、元の飼い主さんから虐待をされていたので保護されていたそうです。その過去の辛い経験からなのか、一緒に住むようになってからしばらくの間は、とても大人しく、全く鳴くこともありませんでした。でも保護団体の方から、その子は散歩が大好きだと聞いていたので、頻繁に散歩に連れて行きました。それから一カ月ほど経った時に、愛犬をおいて私も主人も家の外に出た時、初めて鳴き声を聞きました。その時は可哀そうと思う気持ちと、初めて彼女の鳴き声を聞くことが出来て嬉しかったのを覚えています。そしてそれから、愛犬はだんだんリラックスしてくれるようになって、お腹を見せて寝るようになりました。そんな姿を見て、私たちに心を開いてくれていると嬉しかったです。私たちは愛犬と一緒に色んな場所に出かけました。公園、ビーチ、山など、私達が行くところはどこにでも連れて行きました。何度もキャンプにも一緒に行きました。そして愛犬はどこに行っても楽しそうでしたし、私達はその姿を見て嬉しかったです。でも愛犬が10歳を過ぎたころから、行動がだんだん遅くなってきました。そして15歳を過ぎると、大好きな散歩にもあまり行きたがらなくなってしまったり、家でもずっと寝ていることが多くなりました。心配だったのですが、年だから仕方がないと思ってそのままにしていました。でも愛犬が16歳を過ぎたころからは、極端に動きが遅かったり、以前とは態度が違ってきたので、かかりつけの動物病院に連れて行きました。そして獣医師さんに言われたのは、愛犬の腎臓が弱っているということと、高齢だから仕方がないということでした。それでもまだ大丈夫かなと思っていたのですが、その数日後から愛犬が苦しんで鳴くようになってしまいました。あわてて、再度、動物病院に連れて行って、色々と検査をしてもらうと、腎臓と肝臓の状態がかなり悪いので、もしかしたら今夜が峠で明日まで持たないかもしれないと言われてしまいました。私達はその言葉を聞いて、すごくショックで二人で泣きました。愛犬はぐったりして、まったく動けない状態でした。でも私は最後までちゃんと看取る覚悟をして、愛犬を夜通し、なでたり、話しかけたりしていました。そういう日が何日か続いた後、愛犬が少しずつ、動けるようになってきました。まったく動くことが出来なかった愛犬がゆっくりと歩けるようになった時には、本当に嬉しくて感動しました。そしてそれからは、また一緒に愛犬が好きだった公園やビーチに出かけることが出来ました。ご飯も少しずつ食べることが出来るようになって、すごく嬉しかったです。動物病院にも頻繁に連れて行って、お薬をもらったり、点滴を打って貰いました。そんな日々が3か月ほど続いた後、愛犬は急に天国に逝ってしまいました。弱ってはいるけど、まだまだ大丈夫だと思っていたので、彼女を失った時には本当にショックでした。息を引き取った後にも、何度も人工呼吸をしたり、身体をさすって話しかけたりしましたが、彼女が生き返ることはありませんでした。私たちは本当に悲しくて悲しくて、愛犬の思い出がいっぱいある家に居ることが出来ずに、外出ばかりしていました。周りの人たちは、別の犬を飼うことを勧めてきましたが、私達は愛犬のことが忘れられなかったし、愛犬を失った時のショックが強すぎて、別の犬を飼うことは出来ませんでした。そしていつも愛犬の話をしました。それから2年以上が経ってから、引っ越しで遠くの場所に移動しました。すると新しい犬を飼いたいという気持ちになりましたので、探して小さな子犬を飼い始めました。その子犬を飼いだしてからも、前の愛犬のことをよく思い出して夫婦で話しますが、前の様に悲しい気持ちは無くなってきました。そして今の愛犬との生活を楽しんでいます。新しい犬を飼い始めたことによって、やっと長い間のペットロスから立ち直れた気がします。そして今の愛犬との生活を大切に楽しんで行きたいと思っています。
52才女性観葉植物を育てる事で猫への愛情を植物に例えることが出来た
愛猫ですが2年前に亡くなりました。心臓の病気で寿命でした。亡くなった時は、看病を主人と2人でやれるだけやりきったという気持ちでいたつもりでしたが、今までいた者が居ないということは、日に日に寂しさが募ってきました。猫寺が近くにあり、猫の温もりが欲しくて主人と一緒に猫に会いに行きました。触ってみましたが、ウチの愛猫とは全然違う触り心地に感じられますます自分の猫が愛おしくなり、2人で元気になるつもりが悲しさで帰宅する感じになってしまい、本当に寂しかったですね。ちょっとロスになってましたね。同居している義母が綺麗好きで、もう猫は飼わないで。毛が抜けるからと言っていたので、猫を飼うわけにもいかずで、寂しく気持ちのよりどころがありませんでした。そんな時に、ホームセンターで小さい観葉食物が安売りでたくさん売ってました。育てるというか、世話をするものを失って、母性本能の行き場がない状態でしたが、この観葉食物を買ったことから始まって、育てるということに目覚めました。猫を飼っている時は葉っぱを食べたりしてしまうので観葉食物はずっと置いていませんでした。もともと花や植物は好きだったので、久しぶりになんだか世話をするのが、嬉しかったです。植物だから義母にも迷惑にはならないし大丈夫でした。それから仕事が休みの毎週末になるたびにホームセンターや、花屋に行って何か可愛い植物はないかと見に行くのが気晴らしになりました。安いし小さいので、しかも色々な種類を集めて世話をしていると心が安らいで気分も明るくなりました。猫の事はまだまだ全然忘れたりしてませんし、寂しいですが、そればかり考えている事がなくなってロスが和らいできたと思います。猫がいた場所、猫のトイレや、餌入れが置いてあった場所が置くものがなくてしばらくガランとしてましたが、今ではその代わりにちょっと植物を置いたりしています。植物を育てることが、猫を育ててる代わりみたいなものですね。ロスを解消しています。
12才、女性 飼っていたもう一羽のお陰でペットロス解消出来た
40代、専業主婦です。家で始めて飼ったのはセキセイインコでした。そこあとに、黄色いセキセイインコと青いセキセイインコを飼いました。その黄色いセキセイインコは、少し目を離した隙に猫に襲われてなくなりました。子どもの頃だったので、かなりショックだったことを覚えています。青いセキセイインコは、プリプリしていてかわいい子でした。黄色いセキセイインコは、気の強い感じで、しっかりしている感じでした。黄色いセキセイインコは、しゅっとしていて、ホッソリタイプの鳥でした。2羽いるのが当たり前だったので、青いセキセイインコも寂しそうに見えました。子どもながらにそう感じました。しかし、青いセキセイインコのお世話もあるし、しっかりしないといけないとも思いました。落ち込んでばかりいてはいけないと。鳥のお世話は、私がすると約束して飼ってもらっていたのでしっかりしようと言う気になったと思います。だから落ち込んでばかりいないで、立ち直れたように思います。ペットが亡くなるのは、いつかは経験しないといけないものです。その事はやはり子どもだったので、その時がくるまできちんと理解出来ていなかったように思います。その時が突然きて、心の準備が出来ていなくてパニックになったんだと感じます。しかし、青いセキセイインコがいたことで自分がしっかりしないといけないと思いました。自分がしっかりしないといけないと思うと、立ち直るしかなかったのかも知れません。確かに悲しかったし、辛かったです。いつもいるはずの黄色いセキセイインコがいなくなることは。しかし、ずっと悲しんでばかりいてはいけないとも感じました。その事で成長できたのも事実です。きちんと思い出として、しょうか出来たのかもしれません。一緒に過ごしたの日は楽しかったし、大切な思い出です。それは変わらないし、ずっといい思い出として残っているとわかったので、立ち直れたんだと思います。
49歳・女性・お墓の花壇と他の動物が癒してくれました
現在49歳、身体が弱く独身ですが、要介護1の高齢の母と静かに暮らしてます。今まで3匹、犬を飼った事がありますが、最後に飼った犬が死んだのは18年前です。真っ白の秋田犬のメスでした。私が進学の為に家を離れてる時、生後半年の子犬がもらわれて来てました。帰省の時、初めて会いましたら、他人を見る目で見られてしまいました。私はこの家の娘で、あなたよりも古株なのよ。それにしても、なんて綺麗な犬でしょう。弟が女優のマリリンモンローが身につけていた白い毛皮のイメージとよく似てるという事でモンローと名付けました。私が卒業後、家に帰りましてその後10年近く一緒に過ごしました。飼い主孝行で13年半も長生きしてくれましたのに、介護は亡くなる3日位しか、必要なく、あっという間に亡くなりました。後悔してる事は犬の飼育書をもっと読めばよかったかな、という事です。大きな物置につないで飼っておりました。広々としてよいかと思ってたのですが、犬はオオカミの巣穴のイメージで狭い所に入って休むと安心するそうですね。毛布でも入れてやれば、暖かそうですしね。若い頃は冬に雪が降るとお腹をこすりつけて遊んでましたが、晩年は布団と毛布を敷いてやると喜んでました。食べ物も特に齢をとってからはもっと気を遣ってやればよかったと思います。結構食べない方が良いものもあるみたいで。でも1週間に2羽、自家製鶏がらスープをやってたのはよかったのでしょう。一滴も残さず、容器をなめてました。冬に亡くなりまして自宅の庭に深さ1m位の大きな穴を掘って埋めました。新聞紙を敷いてセーターをかけて、花と食べ物を入れて。動物が掘り返さないようにトタンをブロックで飛ばないようにおいて。春に花壇を作りました。最初の年に色々な種類の花がミックスされてる種を播きましたが、ピンクと白のおいらん花の大輪が一つずつ咲きまして、モンローが会いに来てくれた気がしました。もう18年になりますが、なるべく踏まないように花を植えてます。そして、犬を飼ってた頃は現れなかった狸が柿の実を狙って出没するようになり、遊び場にしてた休耕田はキジの縄張りとなりました。