ペットロスを克服した体験談
48歳女 ユーチューブの動画が悲しみを癒してくれた
40代後半の女です。離婚してから、ずっと一匹の犬と一緒に暮らしてきました。マルチーズとチワワのミックスで、とても愛らしい犬でした。名前をハッピーといいます。私が命名しました。犬が嫌いで、人間が大好きというハッピーは、いつも私と一緒に眠っていました。亡くなった当座は、自分の家に愛犬がいないことが、受け入れられず、泣いてばかりいました。友人と話していて、犬というキーワードが出てくるだけで、涙が出てくるので、長い間、ハッピーのことは禁句にしてもらっていたぐらいです。ハッピーの使っていた食器をみても涙、美容院でつけてもらったリボンを見ても涙、首輪をみても涙していました。あまりにハッピーの物に囲まれて生活していると、忘れられなくなると、食べていたドッグフード、ペットシーツ、タオル類は、ネットで調べた動物愛護団体に全部寄付しました。けれども、忘れることなんてできるはずがありません。2年たった今でも思い出します。それでも、今では、泣くことは減ったとは思います。お骨は私のベッドルームに置いてあるのですが、ハッピーが私のことを見守ってくれていると思えます。最近の私の趣味は、ユーチューブで犬の動画を見る事です。ゴールデンレトリバー親子の動画を好んで見ています。というのは、リアルタイムでゴールデンレトリバーの妊娠から子犬の誕生、すくすく大きくなっていく様子を1年あまりにわたって、見てきたからです。動画がアップされるたびに、わくわくしました。ちいさな掌にのるような子犬が、今では母犬より大きいのですから、他人の子の成長は早いです。その動画のゴールデンレトリバー親子は、父イヌ、母イヌ、子イヌと揃っているので、家族の軌跡もたどれるわけです。まず、父イヌがいて、その犬にお嫁さんがきて、結婚して、出産というふうに時系列ができています。ユーチューブの世界はすごいと思います。時間や、世界を共有しながら、私もまるで、犬を飼っているかのような喜びにひきこまれていきました。ペットロスはなくなることはないと思いますが、悲しみは少しずつ薄れていくと私は、自分に言い聞かせています。
32歳女、保護犬カフェで元気をもらう
私が愛犬と出会ったのは20年前、中学の頃でした。知り合いのペットショップで格安で当時大人気だったダックスフンドが買えると聞いて喜んで受け取りに行きました。出てきたのは目やにがちょっと多めのブラックタンのダックスフンド。まだ3ヶ月のため子犬で、鼻も短く、手の中に収まるくらいの大きさでした。とてもとても可愛くて、すぐ私は気に入りました。私がずっと犬を飼いたいと言っていてやっと飼えた犬。名前は父がつけました。それからすぐ、最愛の父が亡くなりました。突然の心臓発作で家族は家におらず、最後を看取ったのはその犬でした。それから父の形見犬となりました。生活は変わり、母は仕事へ出かけるようになり私も学生なので家にあまりいられず。躾もあまりされなかったためトイレし放題。毎日片付ける日々でした。でも可愛い可愛い犬なので怒ったりはせず可愛がっていました。社会人になってさらにあまり家にはいない私。犬はいつもひとりぼっち。そんな生活が10年ほど続きました。犬が16歳の時、私は結婚しました。結婚した際犬も一緒に苗字が変わりました。犬も16歳、人間でいうと80歳過ぎです。最後はゆっくり余生を過ごしてあげたいと、私も結婚して専業主婦になり家にいることが多くなりました。その年にぼうこう癌の宣告をされました。年齢もありますし、仕方がないかなと思って介護をしていました。保険に入っていなかったためたくさんお金がかかりました。でも今まであまり病気せずいてくれたので気にせず支払いました。とにかく一緒にいてあげる。16年間ずっと一緒にいてあげることができなかったので沢山撫でたり、お昼寝を一緒にしたりしました。17歳の誕生日、犬用のケーキをあげたらとても喜んでいました。義実家に帰る際など泊まりの場合はホテルに預けました。ホテルの人もとてもいい人で、毎日写真で様子をブログにあげてくれました。17歳の冬、ぼうこう癌が末期でもうあまり長生きできないと病院の先生から申告されました。ご飯もあまり食べれなくなり、私が作った甘く煮たサツマイモは唯一喜んで食べていました。最後を看取った日、悲しく吠えていました。それまで吠えることはあまりなかったので心配して夜一緒に寝ました。私の隣で静かに息を引き取っていました。その後ペットロスは時間の経過と、保護犬カフェで保護犬たちと戯れることで克服できました。ペットショップには悲しくなって行けず、どこか触れ合えるところがないか探していたら保護する団体を見つけました。保護犬カフェは利用するお金もその団体へ寄付されるため、まだ飼えない私のような人でもお茶をしにいく感覚で犬たちと触れ合える場所でした。色々な境遇のこたちが、元気に走り回っているのを見ると本当に元気をもらえます。今後犬を飼う際は、保護犬と決めています。
アラフォー男性 克服したのかなあ
私は30代後半の独身男性で、今は独り暮らしをしています。実家には、確か私が4、5歳の頃から常に猫がいました。「いました」と言っても、大概は私や母が迷い猫を拾って飼うということが多かったです。ほとんどの子たちには不妊や去勢の手術をしていましたが、ある時期には多頭飼いとなり一時は8匹を飼う大家族状態にもなりました。そんな歳月ですから、何匹もの猫たちの最期を経験してきました。老衰で亡くなった子、腎臓等の内臓を悪くして最期には衰弱してなっくなった子、交通事故に遭ってしまった子…。私は一人っ子でしたし、猫たちは、より一層、私にとっては兄弟のような存在でした。動物に言葉が分かるはずがありませんが、どこか気持ちが通じ合い、一緒に楽しく過ごしたり、あるいは私を慰めてくれる猫もたくさんいました。思うに、親しい人間関係と全く変わらないのです。ただ相手が小さかったり、私たち人間の選択の影響が大きいというだけのことです。なので、どの子が亡くなった時も、家族が亡くなったのですから、等しく悲しく、その形が違ったというだけでした。長く患っていたならば「それなりの」覚悟をしていましたし、事故の際には狂ったように嘆き悲しみました。広い庭はありませんでしたが、敷地の隅や、祖父母の土地にお墓を掘って葬いました。「ペットロス」は、家族等の親しい人を失うことと変わりません。なので、どう向き合ったら良いか、それを突き詰めて考えることは、尊い考えであり経験ですが、解を見つけることはできないと思います。命の終わりとの接し方ですから。悲しみの種類も様々だと思います。後悔が大きいかもしれません。もっと早く病気に気付いてあげられたら良かった。もっと一緒に楽しい時間を過ごさせてあげれば良かった。是非、今のその思いを、ありのままに感じてください。何か答えが出るわけではありませんが、あなたがそのような思いを強く強く感じること自体に、そのペットとあなたが過ごした日々の価値が凝縮されているのだと思います。
40歳女 近所のワンちゃんを構うことで回復したトラウマ
はじめまして。動物全般大好きな40歳女性「もふもふ」です。知人にたくさんの真っ白な子犬が産まれ、見にお邪魔した際に「日曜大工で小屋を作ってあげるから飼ってみないか」と言われて一匹飼うことになったのが始まりでした。私が30歳の頃のことです。当時は親元に住んでいたためお散歩の時間もたっぷりあり、可愛い盛りの子犬ということもあってよく構ってあげていました。飼う時には親にも「責任を持って飼うから」と宣言し、手製の木の小屋を毎日覗いて撫でたり庭に放して遊ばせたりしました。しかし私が仕事で多忙になり、車出勤するようになってからは、犬小屋の前を通る機会も減り、帰宅も遅くなりあまり構ってあげていませんでした。お散歩も週に数度きり。あとは両親に任せきりになっていました。責任を持って飼うとあれほど宣言したのに…。今思えばなんと無責任だったのか、と思います。10年そんなことが続いたある日、年齢的に腎機能が下がり免疫が落ちていた飼い犬は、予防接種の甲斐なく、ついにフィラリアにかかってしまいました。病院では「もうトシなので、あまり長くはないでしょう」とのこと。できるだけ接点を持とうとしましたが、小屋から這い出てくるのもツラそうにみえて、私はつい目を逸らし気味になってしまいました。もっと時間の限り、これでもかというくらいに構ってあげるべきでした。そしてついに一ヶ月ほど経った休日の朝、親から亡くなったことを告げられました。私は社会人になってからあまり構ってあげられなかった後ろめたさから「ごめんね」という思いばかりで、遺骸を直視できず、無責任なことにほとんどの手続きを親に任せてしまいました。大きな生き物を飼ったのはこのときが初めて。死ぬときになって生き物を飼うことへの責任の大きさを痛感しました。でももう手遅れです。「私にはもうペットを飼う資格はない」と感じました。「可愛いから、欲しいから」という理由だけで飼ってしまったことも後悔しましたし、自分の都合のいい時にしか構ってあげていなかったことへ後悔の念しかありませんでした。街中でペットを見かけると後悔にさいなまれ、自分の罪の意識から目を逸らし続けていました。ですがご近所さんが白い子犬を飼ったとき、「少しうちのワンコの子供時代と似ている」と思いつつ構っているうちに、だんだんとトラウマがほどけていくような気がしました。その子犬が成犬になった今もずっと子犬時代と変わらない頻度で構い続けています。<可愛い時代だけでなく、子犬特有の愛らしさを失っても変わらない気持ちで接していきたい。自分のペットにしてあげられなかったことをたくさんそのワンちゃんにしてあげたい>。私の独りよがりな気持ちでしょうが、そうせずにはいられません。さまざまな後悔から、次のペットを飼うことをためらう人も多いことでしょう。ですが、「かつての反省を活かしてペットを飼うことができる」という自信がついたら、ふたたびペットを飼うのもいいかもしれません。私にはまだその自信がないので、その近所の白いワンちゃんを構うのみに留めていますが、なにせペットへの罪悪感やロスの哀しみをこのワンちゃんが癒してくれました。存在そのものに感謝したい思いです。
33歳男 時間の経過がペットロスを解消してくれた
私は、現在33歳の男性です。今回は、愛犬を失った時のペットロスをどのように解消したのかについて、ご紹介します。私が犬を飼ったのは、小学校6年生の時に父が知り合いから、シーズーのメスの赤ちゃんを貰ってきたのがきっかけでした。初めてのペットだったので、最初は少し怖いと思いましたが、すぐに懐いてくれて家族でとても可愛がるようになりました。名前はリリーと名付けました。リリーはとても人懐っこくて、いつも就寝する時は私の布団の中で一緒に眠り込んでいました。たまに布団の中で、お漏らしをしてしまうこともありましたが、今となってはそれも良い思い出です。ずっと元気だったリリーですが、10歳を過ぎた頃から少しずつ静かになり、日中も眠っている時間が長くなっていきました。それでも夜に私や家族が帰宅すると、尻尾を振りながら出迎えてくれたので、まだまだ長生きするだろうと思っていました。ところがリリーが15歳のある朝、突然呼吸困難になってしまい、かかりつけの動物病院に連れて行ったのですが、その日の夜に亡くなってしまいました。先生曰く、老化によって内臓の機能がすでに限界を超えていたそうです。あまりにも突然の事だったので、私はしばらくの間リリーの死を受け止めきれずにいました。家でふとリリーの事を考えた時や、外で犬を見かけて不意にリリーを思い出した時に、その場で泣き崩れることがありました。そんな状態が続いたので、しばらくはリリーの写真を見る事が出来ませんでした。何よりも後悔したのは、リリーが亡くなる数年前から学業や仕事が忙しく、あまりリリーの相手をしてあげなかった事です。もっと家にいる時間を長くして、リリーとの思い出を作れば良かったと自分を責めました。リリーが亡くなってから、そんなペットロスの状態が5年程続きましたが時間が経つに連れて、徐々に悲しい気持ちは薄れていきました。今でもリリーをたまに思い出しますが、泣きたくなるような気持ちにはなりません。おそらく時間の経過が解決してくれたのだと思います。今もペットロスで苦しんでいる人達がいると思いますが、必ず乗り越えられる日が来るので安心して下さいと伝えたいです。
31歳男 新しい家族との出会いがペットロスを癒してくれた
私は現在東京都に住む30代会社員です。私の実家で10歳の頃から一緒に過ごしてきたラブラドールレトリーバーとの出会い、別れの経験を書きたいと思います。出会いは私が小学5年生の頃でした。習い事から実家に帰るとなぜか家の中がいつになく騒々しかったことを覚えています。元々犬が好きだった父が家族に相談もせずに、近くのペットショップでたまたま目が合ったラブラドールレトリーバーの女の子を連れて帰ってきてしまったのです。それまで飼ったことのある動物といえばハムスターくらいだったので、私も、下の弟、妹も初めは皆少し怖がるようにして接していたように思います。名前は当時流行っていたTVドラマのロシナンテの災難からとってロッシーと名付けました。ロッシーは本当に活発な、でも少し人見知りな女の子でいつもどこに行くにも一緒でした。まだ幼かった私たち兄弟と一緒に散歩に出た時には、池や川を見つけると我を見失って飛び込みに行ってしまうほど水に入るのが大好きでした。いつも一緒で、いつまでも一緒だと思っていたのですが、やはり大型犬の老化は早く、9歳になった頃からはケガや病気を繰り返し、病院にかかることも多くなってきました。様々な薬を飲み、体調の浮き沈みを繰り返していた9歳の7月7日、ロッシーは家族みんながリビングにいるタイミングで、一人一人に挨拶をするようにして寄り添って、しばらくすると一人で奥の部屋へ消えていきました。それがお別れでした。突然の別れでしたので、家族みんな泣き崩れ、動揺しました。それまで会話の中心だったロッシーがいなくなってしまったので家庭内の会話も減ってしまいました。こんなことをしたよね、とか、こうしてあげられしいたらもっと長生きしたんじゃないかとか過去のことばかりが話題になるようになりました。すっかり暗くなってしまった我が家がペットロスから立ち直ったきっかけは新しくラブラドールレトリーバーの男の子を迎えたことがきっかけでした。見た目はイエローラブと黒ラブで全然違いますし、性格も違います。そもそも男の子です。でもそれがよかったのだと思います。ロッシーとの思い出をなぞるのではなく、新しい思い出を作っていこうと思えたので。
29歳男 豚さんとの思い出は動画を見る事で解消
こんにちは。僕は29歳の男性です。職業としてっは現在、自営業(フリーランス)をしております。 この豚さんとの出会いとしては、友達の家が養豚場を経営していたことから始まりました。 肉豚として出荷されるはずだったのですが、僕が養豚場に遊びに行った時に、とても僕に懐いてくれた豚さんだったのです。 運命を感じてしまい、直談判して僕が飼う事にしたのです。豚さんの名前としては、「ブーちゃん」(そのまんまかい(笑)) ブーちゃんとは8年くらい一緒に暮らしました。とても人懐っこい子であり、可愛い子でした。 ちょっといじける顔や姿も、これまたキュートでした。ところが、老衰であの世に旅立ってしまったのです。 それからというもの僕は心身ともに悲しみによって病んでしまっておりました。でも、僕は生きなくてはいけません! そこで「どうしたらこの悲しみを乗り越えられるのか?」考えてみました。 考えた結果としては、「ブーちゃんと一緒に撮影した動画がある!」と思い、動画を見てみる事にしました。 そうすると今までの落ち込みは嘘のように、心身ともに元気になっていくのが自分でわかりました。 本当にメンタル的な事って大きいと痛感した一コマでもあります。 この時の心情としては、「その動画の中からブーちゃんがひょっこり現れそうな」感覚になりました。 ですが残酷なもので、ブーちゃんはあの世です。このなんとも言えない感覚に、少し辛かったのも事実ですが、毎日ブーちゃんの動画を見ていると、やる気も元気も取り戻すことができました。 そして、ブーちゃんは「僕が落ち込んでいる姿なんか見たくないよな」と思えるほどにメンタル的には回復しました。 後悔していることといえば、もっとブーちゃんと遊んでやれば良かったと思いましたし、甘えてきたブーちゃんを優しく抱きしめたり、撫でてやりたかったと思いました。 仕事が忙しかったり、日常の生活に追われて、ブーちゃんに構う事を疎かにしてしまったのも事実です。 最後になりますが、僕からのアドバイスとしては「ペットとの時間を大切にしてください!」としか、言いようがないのです。 ペットの一つ一つの仕草、性格、好きな食べ物、嫌いな食べ物、好きな遊び方、好きな飲み物、等を把握してあげて、ゆっくりゆっくりでいいから、思い出を作ってみてくださいね。 その思い出を動画か写真に記録させることも忘れないでください。 ペットが旅立った時に、その記録が絶対にあなたの力になってくれるはずです。 そしていつの日か、ペットロスを解消する事が出来る事を祈っております。
41歳男 新しい彼女がペットロスを解消してくれた
41歳会社員をしています。システム関連の仕事をしています。あれは、10年くらい前のことですが、それまで猫を飼っていました。ヒマラヤンという猫で、とても家族みんなで可愛がっていました。本当に、毎日、その猫と遊ぶのが、癒しになっていました。それでも、猫なので寿命が来ます。ちょうど10年前に、その猫が無くなってしまいました。本当に悲しくて、泣きまくりました。どうしたらいいのか分からない状況になっていました。本当に、ぽっかりと胸の中に穴が空いた状態になっていました。悲しくて悲しくてしょうあありませんでした。そのときの心情は、本当に家族を亡くしたのと同じ痛みを味わっていました。それから、1か月、2か月が経過しても、ほとんど、回復することはありませんでした。何をしても、猫の事が頭によぎってしまい、どうしようもない状況でした。なんとかしなければならないなと、趣味でヨガを始めることにしました。すると、そのヨガに通い始めると、可愛い女の子と出会うおとになりました。ヨガの女の子とすっかりと、仲良くlなっていました。そして、気づいたら、女の子と付き合うことになっていました。楽しい毎日がやってきました。彼女のことを考えると嬉しくてたまらなくなっていました。そして、気づいたら、猫を失った悲しみというものから、解放されていました。ペットロスを解消することができたのです。猫の空いた穴を、新しい彼女が埋めてくれました。本当に、当時の彼女には、感謝をしています。彼女が出来てから、本当にあっという間に、回復していきました。彼女の力は、大きいなと思いました。後悔していることといえば、2か月くらい、家の中でふさぎ込んでいることでした。もっと早く、外に出ていけば良かったなと思っています。読んでいる方にも、ペットロスになったらば、とにかく、外に出ていくことをおすすめします。いつまでも、塞いでいてもしょうがないので、切り替えることが大事だと思います。
元気になった金魚が突然死んでしまった話
当時28歳、女です。うつ病の休職中のできごとです。その当時、癒しにとアクアリウムで金魚を飼い始めました。3万円もする大きな、ひれの美しい金魚で、何件も金魚屋さんをみてまわって、お金をためて、この子がいいと一目ぼれをして決めた金魚でした。病状は軽快したとはいえど、まだ復職できるレベルではとうていなく、母親には「今はまだやめておいたほうがいいんじゃないの」ととめられましたが、結局は私が押し切り飼育をはじめました。事前に世話のしやすい水槽を選んで、さあ万全と飼育を始め、名前もつけて、毎日話しかけ、手からエサを食べるような人懐っこい金魚に育ちました。人はもちろん、うちの猫が水槽によっていっても、金魚もすいすいと寄っていくようななつっこさでした。1年近くたった時、冬の水温がかわったころに水替えをすると、金魚がまるで元気がなくなりました。おなかがはって、ひっくりかえるようになり、心配で金魚屋さんに相談しました。所定の薬をもらい、えさをたち、水のかえる分量や頻度の落とし方、ひやひやしながら毎日声をかけ、きっとよくなるよ、なおすからね、と金魚にも自分にも言い聞かせるように世話をしました。すると看病のかいあって、元気にすいすい泳ぎ、いつものようによってきて餌食いが戻ったのです。やった!よかった!と安堵で涙が出るほどでした。よかったね、私の飼い方がわるくてごめんね、これからは苦しい思いはさせないからね、と謝り、ほっとして図書館へと出かけました。帰ってくると、金魚は死んでいました。腹をうえにして、浮いていて、ぴくりともしません。信じられず、次の日までほぼ一晩様子を見ていましたが、やはり死んでいました。金魚屋さんにきいたところ、死ぬ前に元気を取り戻すことはあるようなのです。ろうそくの灯が消える瞬間に一瞬強くもえるように。そして、私がみたとおりのできごとがおこると。本当にかわいそうなことをしてしまった。あの子を飼うにふさわしい上手な飼育者のところへいければ、あの子はまだ元気でいたかもしれないのです。そして、子供だって生まれていたかもしれない。泣けてたまりませんでした。その時、ケースは違うのですが、主治医が希死念慮をするような心の病や症状の場合、いちばんうつがひどい時よりも、ちょっと動いてみようかな、という元気が少しでたときが実はいちばん危ないのだといっていたことを思い出しました。そういうときこそ用心してほしいと。私にもおぼえがある症状でした。それを思い出せて金魚のことや気持ちがぐちゃぐちゃになり、一晩泣いて、つらさは残るけれど、次の朝はすっきりとしていました。金魚が私の鏡というか、私の生きる手だすけをしてくれたのだとむしょうに思えたのです。傲慢な発想ではありますが。金魚との毎日も経験も、私が得た思いもずっと残ります。それが、救いになりました。
30歳 男性 思いっきり泣きまくった
はじめまして。都内在住の引っ越し太郎と申します。年齢は30台前半の男性です。私は以前、ビーグル犬を飼っておりました。きれいな茶色としろの模様に、額には素敵な流星が入っているイケメン君でした。彼との出会いはある日偶然に入った地元のペットショップでした。特にペットを飼う予定もなく、ただの暇つぶしに入店しただけだったのですが、すぐに目に入ったゲージにいたのが彼でした。目があった途端にしっぽを振り、抱っこしてほしそうにガラスにもたれて立ち上がるその姿に一目ぼれをして、衝動的に自宅に連れ帰る事になりました。さて、いざ連れ帰ったものの、それまでペットを飼った経験がなかった私は、ネットで情報を収集して、ご飯やゲージを大急ぎで用意しました。また、当時一番困ったのは躾についてでした。何をどうやって教えればよいのか見当もつかなかったのですが、今思えば彼は最初から聞き分けがよく、いたずらもしない非常におとなしいまじめな子でした。なので、躾らしい躾は行った覚えがありません。晩年を除き、トイレも決まった場所できちんとするよい子でした。彼との生活に慣れてきてからは、あっとゆーまに時間が過ぎた気がします。仕事で遅い帰宅の時は、私が帰ると必ず玄関まで迎えにきてくれて、そのまま一緒に散歩しました。仕事で疲れていましたが、彼との夜の散歩はリフレッシュすることができて次の日の仕事をまた頑張ろうと思うことができていました。なにも悪い事をしなかった彼ですが、ある日突然食べ物をはいてうずくまってしまいました。急いで病院に連れてゆくと胃がんと宣告されました。そこからは今までの生活が嘘だったかのように衰弱していき、本当にあっけなく亡くなってしまいました。何が悪かったのか、どうすればよかったのか、何もわからず、ただ、葬儀場でぼーっと彼の遺体を見つめていたのを今でも覚えています。命の儚さを実感しました。多忙を理由に帰宅時間が遅かったこと、もっといろんな場所に連れていってあげたかったこと、おいしいものをたくさん食べさせてあげたかったこと、心残りはたくさんあります。あっとゆーまの人生が、彼にとって幸せだったのかが今でもわかりません。彼の死後、しばらくは何に対してもやる気が起きず、ぼーっと過ごしていました。そんなある日、ケータイに入っている数少ない写真を見返した時、全ての思い出がよみがえってきて一人で号泣しました。大人になってからというか、人生で一番泣いたと思います。そうやって泣き散らしたあとは、不思議と気持ちが少し落ち着き、仕事にも徐々にやる気が起きてきました。ペットロスの気持ちは当事者しかわからないと思います。思い出を振り返って、感情を表に出すことで、乗り越えるための第一歩が踏めるものだと思います。人もペットも明日必ず元気でいられる保証はありません。今日できる事、今日伝えられる事は、ぜひ今日のうちにしてあげて下さい。