ペットロスで後悔ばかりしている方の体験談

2024年1月14日

pixabayより

54歳女愛猫をお寺で火葬し納骨後気持ちが落ち着いた

結婚し子供が二人生まれて借家に引越して数年経ったある日、家の前で猫の鳴き声が聞こえます。
玄関を開けるとキジトラ柄の猫がいて家に入り込んできました。
保育園児だった子供達は人懐っこいその猫をすぐに大好きになり飼い始める事になりました。
それから半年後その猫は子供を6匹産み、5匹は飼手が見つかったので残った子猫と親猫の2匹が残りました。
子猫が自力で生きていける大きさになると母猫は家出して前の家の飼い猫におさまっていました。
子猫にしろと名付けそこから14年一緒に過ごしました。
臆病で優しいしろは、子供達に何をされても怒ったことがなく噛んだり引っかく事もありませんでした。
人が好きでいつも誰かの膝に乗って気持ちよさそうに眠っているのが大好きでした。

子供達が成長し、立て続けに家を離れ一人暮らしを始めてからは私の寂しさをいつもしろが埋めてくれました。しろも私と同じように子供たちのいない事が寂しかったのかもしれません。
私の帰りを玄関でませんでした待ち寝るのも一緒。トイレにまで入り込んでくる事もありました。

それから一年ほど経った頃少しづつしろの様子がおかしくなりました。
老化の為歯槽膿漏でカリカリは食べられなくなり、老猫用のえさでも食べた後爪で口をひっかき血まみれになってしまったり、食べてもすぐに吐いてしまう。

吐いてしまうのでいつも空腹でエサをくれと鳴き、与えるまでずっとついてまわり噛み付く事もありました。あんなに大人しかったしろが凶暴な姿をみせるようになり正直戸惑いました。

病院では肝臓が悪いと診断され肝臓の薬と吐き気を止めを処方され飲ませると嘘のように元気になり復活したと喜んだのもつかの間、三か月後には以前よりも悪化していました。

食欲はなくなり毎日点滴に通うようになりましたがその後元気な姿を見る事はありませんでした。
最期は見たこともない形相で暴れた後息をひきとりました。

臆病なしろは、車に乗る事も病院も苦手なのに嫌がるしろを無理やり病院に連れて行った事を後悔しました。治療してもこんなに早く逝ってしまうことになるなら可哀そうな目に遭わせるんじゃなかった。点滴の時も暴れる事もなく怯えて震えている姿が脳裏から離れませんでした。

夏の暑い日の夜だったので発泡スチロールに氷を敷き詰めすのこをおきその上に寝かせ枕元におきしろの手を握って寝ました。翌朝知り合いのお寺に火葬をお願いしました。そこは元々普通のお寺でしたが数年前からペットの火葬場を作って供養してくれるようになっていました。
火葬は人の時と同じように和尚さんのお経とともに焼香します。そして数時間後お骨を拾いに戻り、お骨は家に持ち帰り、毎日線香をあげて過ごしました。

泣いても泣いても涙は枯れません。しばらくはそんな苦しい日々でした。
お盆に子供達が帰省した時、家族全員でそのお寺のペット専用のお墓に納骨しました。
そしてようやく前に進めるようになりました。

58才女性 愛猫ペット専用の葬儀施設がありがたかった

私は兵庫県に在住の50代の女性です。
5年前に天国に行った愛猫、ランの話を聞いてください。
2人の息子たち(当日22才、19才)の保護猫ちゃんを引き取りたいという強い希望で主人と2人で会を訪ねました。子猫ちゃんたちが5匹くらいいる中で、一匹のおとなしそうな猫ちゃんに目がいきました。生後2ヶ月くらい。
それがランとの出会いでした。

生き物を飼うのは初めてのことで家族4人であたふたでした。
少しずつ慣れてきて私たちはそれはそれは幸せな日々を送りました。
ランは?
起きてる?
ご飯食べた? ウンチした?
もう寝た? 
ヘソ天で寝てるよ〜かわいい。
ほら、遊ぼ。こっちにおいで。
呼んだらくるよ。
自分の名前、わかってるよね。
そっちじゃなくてこっちにおいで、ほら、ボクのほうになついてるよ。
こいつ、自分がこんなにかわいいって自分でわかってるのかな。
かわいい、かわいい。

家族4人は本当に幸せでした。
ランがうちに来て2ヶ月ほど経った頃。ちょっと元気なくない?
お熱あるよね。
獣医さんに診てもらうと、風邪かな、予防接種もしてるので大丈夫ですとのこと。
でも2日経っても様子は変わらずで。
検査の結果、猫特有の白血病でした。
いろいろな病院、治療法を探しました。かかった医院には車で30分以上かけて、また待ち時間が2時間という時もありました。漢方薬も試しました。

治ってほしい一心でした。
3時間おきにご飯を食べさせました。
細かくしてお口にもっていきました。
闘病は5ヵ月続きました。

どんな時もランはかわいくて、私たちに優しくて、がんばってくれました。
冬の夜、私の腕のなかで、息子たちの見守るもとで旅立ちました。
ごめんね、ランちゃん。辛い闘病をさせてしまったことが後悔です。
長い車の時間、点滴、苦い漢方薬。
辛かったでしょうに。
7か月のランとの生活は私たちの一生の宝です。全ての命を大事にすることを教えてくれました。
今も私たちの心の中でランはいてくれます。

44才女愛犬を動物専用霊園で供養してもらい気持ちが軽くなりました。

初めて。私40代の主婦でございます。私の運命のワンコちゃんとの出会いは10数年前に母親の会社に近所の人からもらって下さいと頼まれて会社で飼っていたんですがやはり夜など1人で居させるのはかわいそうということになりうちで飼うことになりました。

とても人懐っこい柴犬でおでこのところに白のマークがありみんなに可愛がられてました。私が体調悪くて寝ていると横で寄り添って寝てくれたりしていました。散歩は朝と晩に欠かさず行きました。子供達も協力的で取り合いになるほどでした。何度か家から逃げ出したこともありましたが1時間ほどすると戻ってきて玄関の前で寝ていました。

そんな楽しい毎日を送っていましたがやはりかわいいワンコちゃんも12年経った頃お腹に腫瘍が見つかりました。気付いた時には結構大きかったので取り除くこともできただ弱っていくのを見ていくのは本当に辛かったです。

1ヶ月後にワンコちゃんは家族に見守られながら天国へ旅立ちました。私達は家族として生きてくれていたのだからきちんと見送ろう!ということになりペット供養をしました。犬でもちゃんと人と同じように流れていき、感動しました。ちゃんとお別れもでき仏壇に飾っておけるミニサイズの首輪を作り毎日拝めるようにしました。

やっぱりきちんとやれば気持ちもスッキリしてやって良かったなぁと思いました。こんな形でうちのワンコちゃんはなくなってしまいましたがやはり切除できるくらいの大きさの時に病院に行って気付いてあげられたならもっと長生きできたのかなとつい後悔をしてしまいます。

全然調子も悪くなったり、食欲不振になったりしなかったものですから気づかずに生活してたので何に検診みたいなものをすれば良かったかなぁと思いますがそれはやっぱりなかなかできず残念でなりません。みなさんのワンコちゃん、ニャンコちゃんは大丈夫でしょうか?私のようにきちんと検診を受けて長生きさせてくださいね。

28歳女 近所のペット専用葬儀場で供養してもらい少し気持ちが楽に

犬が大好きで実家でも家族で1匹の愛犬を飼っており、
20代後半で結婚を機に、結婚相手の飼っていた可愛い
チワワと生活を送っていた主婦です。

今まで大型犬を実家で飼っていたので、チワワという
小型犬に新鮮な気持ちで夫が仕事の際にも自宅で戯れ
て距離を縮めていきました。

子犬の頃から夫と暮らしていたその子は、家の中では
私よりも上の立場といった感じで私を気遣ったり、
心配してくれる可愛い先輩でした。

生活を始める前に5年程夫とお付き合いをしていたので、
その間も少しですが、その子とも遊んだり、ジャレたり
する機会がありました。

そして、結婚してから2年程が経った頃、食べることが
大好きだったその子の食欲が少しなくなり始めました。
散歩に行ってオシッコをする機会ももちろんあったのですが、
それまで絶対に家のトイレでおもらしをすることのなかった
その子がトイレ以外の場所でおもらしをするようになりました。

老犬になっていたこともあり、間に合わないことも出てきた
のかなと思い、おむつをしてあげることにしました。
そして、朝になると朝食を作っている私の足元でうろうろ
しているその子が朝も起きてこなくなりました。

そこで、一度近所の獣医さんに診てもらうことにしました。
1日病院に泊まって検査をしてもらったっところ、膵臓に
腫瘍ができているようで、自分で食事をすることが困難に
なっているとのことでした。

入院して管で食事を補給し、様子を見ていました。
仕事の帰りに毎日病院に足を運び、様子を見ていましたが、
舌が壊死してきたり、顔色も悪く、私が会いに行っても
あまり反応をしなくなりました。

入院から5日後、その子は病院のベッドで静かに息を
拭き取りました。
短い同居生活でしたが、出会って7年程のその子の死へ
の悲しみを強く感じながら、病院に迎えにいきました。
涙を堪えきれないくらい悲しかったことを覚えています。

実家で飼っていた愛犬が亡くなったときは、火葬場には
行ったもののお骨を持ち帰ると愛犬との生活を思い出して
しまって辛すぎるという母の気持ちを汲んで、お骨は
火葬場に埋葬してもらいました。

その時、一緒に連れて帰ってやれない後悔から、しっかりと
供養してあげて、自宅に一緒に帰って仏壇を設けて、
ずっと忘れない大切な家族として、生まれてくる子ども
たちにも伝えていこうと思いました。

今回のことで私が感じたことは、病院に連れて行って
検査をしてもらった時点で、悪化しないように最善を
尽くしますと言ってもらったときに、自宅に連れて帰って
最後の時間をそばで一緒に過ごしてあげられれば良かった
と思いました。

回復の可能性を信じていましたが、もう15歳の老犬だったので
そのことも受け止め、早く判断してあげられたら
もっとその子は幸せだったのではないかと後悔しています。

同じように、病気を抱えてしまっている愛犬を飼っている
人にお伝えしたいのは、そのとき愛犬に何をしてあげられる
のか、何が今幸せなことなのかを早く判断できるかできない
かで、少しでも後悔が残らない最後を迎えさせてあげること
ができると思うので、辛いとは思いますがしっかりと向かい合って少し考えてみてください。

28 女 犬を飼っている人に対して ペット霊園 虚無感と後悔

私は20代の専業主婦です。結婚前は3匹の小型犬の飼育経験があります。そのうち2匹とは死別したので、供養も丁重に行いました。

私が死別した愛犬達と出会ったのは、ペットショップです。それぞれ別のペットショップで出会っています。2匹とも仔犬の頃に引き取っていたので、しつけがとても大変だった事をよく覚えています。2匹のうち1匹が亡くなったのは、私が小学1年生の頃でした。当時、まだ幼かった私は両親に言われるがままに犬の供養を行いました。なので、特に愛犬のために行動を起こす事はありませんでした。しかし、もう1匹の愛犬が亡くなった時は高校生になっていたので行動をそれなりに起こす事が出来ました。

季節は秋が深まっていた頃だと思います。不注意で愛犬を死なせてしまった両親は泣いてばかりで愛犬を弔うための行動を全く起こしていませんでした。「このままではいけないから、愛犬をきちんと供養してお別れしてあげよう」と家族を説得しました。愛犬だけのお墓を作ろうという話も出ましたが、ひとりぼっちでは寂しいのではないかと進言し共同墓地への埋葬が決まりました。

愛犬の身体を焼く前に、お別れの時間が設けられました。両親や弟は、愛犬の亡骸を抱きしめていましたが私は抱きしめる事が出来ずに耳だけを触って終わりました。今思うと、高校に入ってから愛犬と遊ぶ時間が取れていなかったので最後くらいきちんと抱きしめてあげれば良かったと後悔しています。その時は、亡骸の冷たさに戸惑いと笑って見送ってあげなければならないという使命感でいっぱいで他の事は考えられなかったです。
全てが終わった後は虚無感だけが残されました。愛犬の死から10年以上経ちますが、やはり最期のお別れの時を思い出すと自分の事しか考えていなかったと後悔で胸がいっぱいになります。

今後、愛犬との別れを経験する人は大勢いると思います。もし、その時が来てしまったら悲しくても辛くても愛犬の身体を抱きしめてあげて下さい。沢山の愛情があった事を忘れさせないために、愛犬との思い出を忘れないためにも必ず抱きしめてあげて下さい。

40代 女性 猫のゆうちゃん お寺で供養 後悔しています

北関東在住の40代主婦です。シャム猫とペルシャ猫のハーフの「ゆう」との出会いは、お友達が作れない子供の気持ちを楽にしてやりたいと思ったことがきっかけでした。

新聞のお譲りしますのコーナーに出ていたお宅に連絡し、譲っていただきました。物静かで品が良く、とても頭の良い猫でした。家族の一員となってから8年ほどたったころ、猫エイズが原因となり、亡くなりました。延命のための注射を毎週受けていましたが、動物病院の先生の、「これ以上の延命は、ゆうちゃんにとっては苦しいものになるかも知れません。」というお言葉を聞き、とても悩みました。

延命をやめるということは、死に近づくことになりますので、気持ちはとても苦しかったのですが、ゆうを苦しませては元も子もない…と、延命治療をやめることを決断しました。最後は、自分の寝ていた場所から力を振り絞って移動し、私の寝ている掛け布団の足元まで移動してきて、そこで息を引き取りました。大切な家族でした。

何とか少しでも良い供養をしてあげたいと思いました。火葬は、通常の火葬場で引き受けてくださいました。ゆうが遊んでいたボールや、包まっていたお包みなどを一緒に入れ、火葬していただいたのですが、煙突から出る煙は、やはり悲しいものでした。それから遺骨を、ペットを供養してくれるお寺に運び、他のペットなどが供養されている場所に収めていただきました。後悔しているのは、お寺の方が、他の動物の遺骨が沢山入っている場所に、ゆうの遺骨を流すように入れた時でした。

「こんなに沢山の動物の中に放り込んでしまって、ゆっくり休めるかな…。」という気持ちが込み上げ、申し訳ない気持ちになりました。せめて、小さなスペースでも、骨壷と写真立てを飾られるくらいのスペースを持つペット霊園などで供養してあげられればよかった。小さなツボにいれて遺骨を持ち帰り、写真と一緒に家で供養してもよかったのではないかと、今でも思います。

これからご供養をされる方には、どうか後悔などのないようにしていただきたいと思いました。

ハムスターが凍死してしまった

どうも初めまして.26歳男性です.京都で大学院生をやっています.私は1年半ほど前にキンクマハムスターを2匹飼いました.長毛でグレーの雌と短毛でベージュの雄を一目惚れして飼いました.

1匹だと寂しいと思って同じケージで育てました.二人は喧嘩もあまりなく,3か月後に子供が10匹ほど生まれました.子供が生まれると雄ハムを別のケージで買ったほうがいいという情報を得たので寂しいだろうけどはなして育てました.子供たちはすくすく育ち,親ハムも元気にしていました.

しかし,1年ほどたった冬に雄の親ハムが冬眠してしまいました.どうやら寒すぎたようです.暖房は家の中でつけていましたが,ハム用のものは買っていませんでした.ものすごく後悔しています.ハムが寒くて寒くてしんどくて息を引き取ってしまうかとを考えると,本当にひどいことをしてしまったと思います.

昨日までは元気だったので急すぎてつらかったです.ハムスターは自分が弱っていることを隠す生き物だと知っていながら,その様子に気づけなかったのは飼い主失格です.ほかのハムスターたちをすぐさま部屋の中で暖かいところへ移動させました.そしてすぐにプランターを買ってきて土に埋めて線香をつけてベランダで自分で供養をしました.

本当であればもう一年くらい生きたと思います.彼の分も強く生きねばならないと思いました.プランターにはヒマワリの種を植えています.天国で元気にやっていることを心から願っています.アドバイスとしてはハムスターは思っている以上に寒さに弱いということを心にとめておいてください.

小さい暖房装置を買ってあげるか,綿などを入れて暖かくしてあげる,水などをこぼしていたらふき取って体が冷えないようにしてあげることが重要です.そして,何よりも愛情をもって育ててあげてください.ほかのハムたちは今も元気に生きています.そして健康です.みなさんも生き物は大事にしてあげてください.同じような過ちを犯すこと人がいなくなることを願います.

34歳女 中学生時代、愛猫をペット霊園にて供養してもらう

 34歳、女性です。現在はペットは飼っていません。

 中学生の時に飼っていた猫の話です。猫の名前は『わか(若)』で男の子でした。子猫から飼い始め、拾ってきた猫です。少し前に兄が拾ってきた猫が亡くなり、寂しい思いをしていました。

 もう猫は飼わないといった雰囲気でしたが、私が世話をするという約束で名前もつけ、家に迎える事になりました。

 まだ、ミルクを飲む子猫だったので、そのお世話をしながら、自分の部屋にトイレを置き、トイレを覚えるようしつけました。

 元気いっぱいの成猫に成長し、2年も経たない頃、血尿が出ていることに気づきました。数日続いたので、動物病院につれていくことに。診断は尿路結石のような感じでした。その違和感から、自分の陰部を噛んでいたようで、そのため血尿が出ているとのことでした。

 市販のエサで、なりやすい猫が多いとのことで、病院で販売されている、医療用というのか、塩分等が管理されたものを推奨されました。もちろん、一日の摂取する量も決まっています。

 それを食べるようになり、『わか』は満足しないのかエサを催促するのがひどくなり、少しの量を1日何回にも分けて与えていました。

 エサを変更したお陰で、血尿はなくなり、数ヶ月も経たないうちに、いつもの元気な姿に戻っていました。

 しばらく病院のエサを食べ続けたのですが、結構な高額だったので、市販のエサに戻し、量を調節することにしました。中学生の私はそれが良くない選択だとは深く考える事ができませんでした。

 その後は記憶が曖昧なところがあるのですが、再び体調を悪くした『わか』は亡くなってしまいました。

 大人になってから色々調べると、病気は再発するものだし、もっと自分に出来た事があるんじゃないかと思うと胸が苦しくなってしまいます。ペット霊園で火葬し、そこでお骨も預かってもらうことにしました。

 ここ数年は減ったのですが、成人してからも、自分のせいで『わか』の寿命を縮めてしまった罪悪感と、何も出来なかった自分、『わか』の苦しむ姿が忘れられず、何と表現していいのかわからない感情がずっと胸にありました。

 そして、見送った自分、ごめんねと後悔している自分に何ができるのか、それは『わか』に伝わることもなく取り返しもつかないんだという気持ちと、どう向き合っていけばいいのかと思う日々です。
 

26歳女 大好きな愛犬を失いペットロスになり心を落ち着かせるまで

初めて愛犬と出会ったのは私が小学2年生のときでした。ホワイトテリアという犬種で、両親の友人の友達が子犬がたくさん生まれたということで耳がたっていた子を気に入り連れて行きました。

当時は現在と比べて犬の遊べる場所や食事が一緒にできるところが少なく、室内の小屋で飼っていました。初めての愛犬で、私の背丈も小さく追いかけられると逃げてばかりいました。愛犬は黄色のボールが好きで、一緒に散歩に行ったり、夏はバーベキューに行ったりと楽しく過ごしていました。

学生の頃は、遊べる時間が少なく自分中心の時間を過ごしていました。犬の寿命は短く、犬にとっては飼い主と遊べる時間も限られています。人は自由に遊びに行くことができますが、犬は自分で遊びに行くことができません。

愛犬は賢く、飼い主が思っている以上に感情を読み取ってくれます。徹夜で作業をしているときには近くで座って一緒にいてくれたりしました。一緒に過ごした時間は大切な宝物です。

小さい頃からずっと一緒に過ごしていると、一緒に過ごしているときには気づかないことが過ぎ去ってから後悔に変わります。16年間一緒に過ごしたのですが、亡くなるとき家族みんながいるときでした。老衰とのことだったのですが、突然のことで気持ちが追いつきませんでした。もっとしてあげられることがあったのではないか、こうしてあげたかったなど後悔ばかりでした。

愛犬がもし今も生きていたとしたら、いろんなところに連れて行ってあげたいです。ペットと一緒に泊まれる旅行やドッグラン、散歩だけでなく愛犬同士のお友達を作ってあげたり楽しいことをたくさんしてあげたいです。犬用のおやつやジュースなどたくさんあるのでおいしいものを教えてあげたいです。

愛犬を守れるのも楽しい思い出を作ってあげられるのも飼い主だけだと思います。最期は家族で看取ることができ、ペットを供養、火葬していただけるところに行きました。

今でも愛犬の写真にお供えをして、手をあわせています。愛犬は大切な家族で、ペットロスになり、今も同じ犬種の犬を見かけると思い出して切なくなり、なかなか立ち直れないままですが、お供えをしたり手を合わせることで心を落ち着かせています。

33歳女性、愛兎を動物寺で供養し、天国に行けたと安心できました。

現在33歳主婦です。うさぎを飼いだしたのは15年前で、結婚した時もうさぎは一緒に住もうと考えていました。

うさぎの名前はあずき。たまたま行ったペットショップで、一番小さいのに元気よく走る姿に買いたいと思い、親にお願いをしました。うさぎの餌やりはもちろん、小屋の掃除、夏に暑くなったら涼しい所へ移動させたり、ときには小屋の中だけでは狭いだろうと散歩をさせたりしていました。とても元気で、何でも食べて、よく寝る子で、でも臆病で、可愛らしい子でした。

わたしに良い人が見つかり、一緒に暮らすようになった時もうさぎは一緒にきましたし、これから彼とわたしとうさぎの2人と1匹の生活が始まるんだと思っていました。

ある日、動物病院で定期検査をした帰り、彼が小屋へうさぎを戻していたのですが、扱いに慣れていないためにうさぎの脚をくじかせてしまいました。そこから食べることができなくなり、衰弱して、死んでしまいました。最期はとても苦しそうに悲鳴をあげて、そして亡くなったのですが、わたしの中でとてもつらい瞬間でもありました。

ですが唯一、一緒にいることができたことが良かったと思っています。苦しい瞬間、辛い瞬間、一人ぼっちにさせないようにすること、それは飼い主にしかできません。大好きな家族と最期の時間を過ごすことができたこと、それだけがうさぎのあずきも、そしてわたし自身も救われた行動でした。
火葬ではあずきが好きだった人参や遊んでいたものを入れて、焼いてもらいました。うさぎの骨は軽く、焼いたあとはほとんど残らなかったのですが、わずかなものを骨壷に入れて、供養してもらいました。

火葬してもらう間、供養してもらう間、どうして彼に小屋に入れてもらうことを頼んだのか、自分でしていればもっと長くいれたのではないか、そしてあんなに苦しい思いをさせずにすんだのではないかと後悔していました。供養が終わっても、空っぽの小屋を見ては落ち込み、一人涙を流していました。

それでも月日が流れると、ずっと落ち込んでいるわけにはいきません。わたしは納骨堂にお参りをして、いつものように日常の報告をして、少しずつですが前を向いていくことを決めていきました。

もしもペットを亡くして辛い思いをしているのなら、会いに行ってあげてください。何があったのか、話してあげてください。きっと、天国に行ってしまったペットも、あなたを支えようとそばにいて、笑っているあなたのそばで安心できますから。

体験談

Posted by 管理人