虹の橋を読んでペットロスを克服した人の体験談

2024年1月14日

pixabayより
ペットロスの解消に有効とされる作者不明の詩が虹の橋です。
虹の橋を読んでもペットロスが解消しない人もいる』で紹介しているように、ペットロスが解消しない人もいます。
今回は、まずはじめに、虹の橋を紹介してから、虹の橋を読んでペットロスを解消した人の体験談を紹介していきます。

虹の橋

天国の、ほんの少し手前に「虹の橋」と呼ばれるところがあります。
この地上にいる誰かと愛しあっていた動物は、死ぬとそこへ行くのです。
そこには草地や丘があり、彼らはみんなで走り回って遊ぶのです。
食べ物も水もたっぷりあって、お日さまはふりそそぎ、
みんな暖かくて幸せなのです。
病気だった子も年老いていた子も、みんな元気を取り戻し、
傷ついていたり不自由なからだになっていた子も、
元のからだを取り戻すのです。
・・まるで過ぎた日の夢のように。
みんな幸せで満ち足りているけれど、ひとつだけ不満があるのです。
それは自分にとっての特別な誰かさん、残してきてしまった誰かさんが
ここにいない寂しさのこと・・。
動物たちは、みんな一緒に走り回って遊んでいます。
でも、ある日・・その中の1匹が突然立ち止まり、遠くを見つめます。
その瞳はきらきら輝き、からだは喜びに震えはじめます。
突然その子はみんなから離れ、緑の草の上を走りはじめます。
速く、それは速く、飛ぶように。
あなたを見つけたのです。
あなたとあなたの友は、再会の喜びに固く抱きあいます。
そしてもう二度と離れたりはしないのです。
幸福のキスがあなたの顔に降りそそぎ、
あなたの両手は愛する友を優しく愛撫します。
そしてあなたは、信頼にあふれる友の瞳をもう一度のぞき込むのです。
あなたの人生から長い間失われていたけれど、
その心からは一日も消えたことのなかったその瞳を。
それからあなたたちは、一緒に「虹の橋」を渡っていくのです・・・。

けれど、動物たちの中には、様子の違う子もいます。
打ちのめされ、飢え、苦しみ、
誰にも愛されることのなかった子たちです。
仲間たちが1匹また1匹と、それぞれの特別な誰かさんと再会し、
橋を渡っていくのを、うらやましげに眺めているのです。
この子たちには、特別な誰かさんなどいないのです。
地上にある間、そんな人は現れなかったのです。
でもある日、彼らが遊んでいると、橋へと続く道の傍らに、
誰かが立っているのに気づきます。
その人は、そこに繰り広げられる再会を、
うらやましげに眺めているのです。
生きている間、彼は動物と暮したことがありませんでした。
そして彼は、打ちのめされ、飢え、苦しみ、
誰にも愛されなかったのです。
ぽつんとたたずむ彼に、愛されたことのない動物が近づいていきます。
どうして彼はひとりぼっちなんだろうと、不思議に思って。
そうして、愛されたことのない者同士が近づくと、
そこに奇跡が生まれるのです。
そう、彼らは一緒になるべくして生まれたのでした。
地上では巡りあうことができなかった、
特別な誰かさんと、その愛する友として。
今ついに、この「虹の橋」のたもとで、ふたつの魂は出会い、
苦痛も悲しみも消えて、友は一緒になるのです。
彼らは共に「虹の橋」を渡って行き、二度と別れることはないのです。

31歳男 愛猫をペット霊園で葬式してもらい、気持ちが落ちついた

東京郊外出身の俳優です。

「先生」との出会いは小学校2年生の時でした。

兄の同級生の家で子猫が生まれたと聞き、二人で見に行ったのを覚えています。

アメリカンショートヘアとチンチラの雑種で、トラ猫なのに毛足の長い猫と、短い猫が数匹。

その中でも毛足が短く、一番やんちゃで活発だったのが「先生」でした。

家に帰り、早速両親に飼いたいと駄々をこねましたが、すでに我が家に一匹猫を飼っていたこともあり母に反対されてしまいました。

しかし、数日後その反対したはずの母がまた同級生の母友達に連れられ、一目惚れで連れて帰ってきてしまったのでした。

「先生」の名前の由来は、御飯時にテーブルの上に乗ったおかずを終始諦めずにいる根性が座ったその姿勢を、僕ら兄弟に見習わせようということから「にゃんこ先生」の「先生」が残った形です。

我が家に人の出入りが多かったせいか、先生は自分も人間かのように、お客様が来ても全く警戒心ない不思議な猫でした。

ある年のこと、父が体調を崩し心臓病を患いました。

闘病生活に入った父の面倒を見る母の心はどんどん疲れていきましたが、そんな時に彼女の心の癒しとなったのは先生の存在でした。

しかしその時ですでに先生は15歳、すでに猫としては随分な年寄り猫になっていたのです。

そして父が亡くなった直後、自分の仕事を終えたかのように先生は順番に体調を崩し、あとを追うように天国へ旅立ちました。

そしてその瞬間、これは今でも本当に信じられない光景なんですが、家の前に二本の虹がかかったんです。

家族で泣きながらその虹を見、その夜に先生の葬儀を行いました。

ペットの火葬場で行われたお葬式は、なんだか少し無駄にムーディな音楽などが流れ過剰な演出がありつつも、しっかりお骨の説明などもしていただき、ちゃんと供養することができました。

火葬している間待合室で待っていると「ペットが渡ってくる二本の虹のお話」という絵本がそこにありました。

つい先刻その光景をリアルに見たあとだったので驚いたのですが、先にその虹の橋を渡り買われていたペットは飼い主の魂をそこで待っているという内容だったと思います。

家族でその話を見て、先生はきっと虹の向こうで待っていてくれてるんだねと話してまた泣いたのでした。

その1週間後、僕の娘は産まれて来ました。

2本の虹は、飼い主を待つための虹ではなくて、新しい命をバトンタッチでこちらに送るための虹だったようです。

近所のアイドルだった愛猫 白血病でなくなり、悲しみでペットロスに 虹の橋をみて3ヵ月後回復

我が家では、小さい頃から猫を飼っていました。

命をお金で買うなということで、ペットショップで購入するのは、祖父が大反対だったので、捨て猫や子猫が生まれたらもらってきて育てていました。

家に、動物がいると、少しでも明るくなるんですね。

子供とも、また違う感じで。


我が家の愛猫は、本当に人懐こい猫でした。

完全室内飼いではなく、捨て猫だったので、外にも出すようにしていました。

近所の人が「今日も遊びに来てたよ」って言ってくれるくらいの猫でしたので、近所でもアイドル的な動物でした。


猫に、白血病があることは知りませんでした。

ワクチンを打っていれば、大丈夫だと病気にならないと思っていたんですけど、そうではなかったのです。

嘔吐をしていたので、動物病院に連れて行くと、白血病でした。

人間ですと、化学療法や移植などで、寛解までいけるレベルですけど、猫は別物です。

輸血などをするとかの処置は出来ますけど、人間ほどではありません。

自然治癒もありえるらしいのですけど、我が家の猫は、病には勝てませんでした。

発病から二年目で他界しました。


猫って、こっそりと飼い主に死ぬ姿を見せないで死ぬと言うじゃないですか?我が家の猫も、そんな感じで、家の端の方に行き、そっと他界しました。

猫の本能、希望じゃないですけど、抱っこしながら天国に送ることも考えましたけど、それじゃない方が良いのかなと思いました。


けど、それがいけなかったのか、ペットロスになってしまって、時間を見つけては、お墓に行き、大号泣。

本当は、飼い主の胸に抱かれながら逝きたかったのではないかという後悔を続けていました。

食欲もなくなり、それまで使っていた猫ちゃんのグッズが捨てられないで、タオルとかもたまに洗って、元の場所に戻してとやっていました。


そんな時に、友人から「虹の橋」という詩を見せてもらい、友人からも天国で穏やかに暮らしているから、飼い主が泣いていてはダメだと言われて、すぐに回復はしませんでしたけど、3か月くらいでペットロスから立ち直ることが出来ました。


言葉で意思疎通が出来ないからこそ、難しいなと思いました。

腎臓結石で天国へ旅立ったうちの猫

私は子供のころから猫が大好きで、近所で捨てられていた猫を拾っては自宅に連れて帰り飼っていました。


 
大人になって結婚して数年が過ぎ、仕事で出勤途中の朝、駐輪所の脇で、発泡スチロールの箱に入った子猫4匹を見つけました。



子猫たちは、まだ生後一週間ほどでした。


とにかくこのままでは子猫たちが心配でした。


保健所、いたずらの被害も考えたら、すぐに保護することが一番だと考えました。



会社には遅刻の連絡を入れ、家に連れて帰りました。


病院に連れていき、猫用粉ミルクを買い、一生懸命夫婦でお世話をしました。



4匹兄弟猫は、里親を探すことなく、そのまま家で飼うことになり、すくすくと育っていました。



7年が経ち、一匹が日に日に痩せていきました。



ご飯の皿の前には来ても、口にせず座っていて、エサは食べずに水の場所に移動して水を沢山飲んで寝床で休む、そんな行動が2日続きました。



2日目、動物病院に連れていき、検査の結果、腎臓結石で、腎臓の半分は機能していないことがわかりました。



病院の先生からは「食べなくなったその日か、翌日の朝にすぐ病院へ来るべきだった。

まだ若いけど、腎臓の数値で見ると、この子は余命が数か月かもしれない」と言われました。



どうしようもない悔しさと、申し訳ない気持ちが強くこみあげました。



今まで当たり前のように一緒に過ごした子が、突如、死んでしまう現実。



病院の帰り道、桜が満開で綺麗だったけど、来年の桜の季節にはこの子は居ないんだと思うと涙が止まりませんでした。



できる限りの治療をはじめました。



自宅ではビタミン不足と脱水を防ぐ点滴、腎臓機能を助けるための毒素吸着の炭を毎日飲ませていました。



それから2年はなんとかそのまま体力を維持していましたが、やはり腎臓機能は少しずつ少しずつ、低下していきました。



治療を始めて2年間は、「死んでしまうかもしれない、でも、今は大丈夫」という気持ちになっていました。



そんな気持ちから一転、みるみる弱っていく姿に「もうお迎えが近いんだ」と、またどん底に戻りました。



病気が分かったその時に一度は覚悟を決めたはずだったけれど悲しみと後悔は変わりません。



食べても吐き、やがて水だけでも吐くようになって、その時点で薬も効果無くなり、何もしてあげられなくなりました。



しだいに体内に毒素がたまり、猫は昏睡状態になって意識が無くなりました。



心臓が止まるまでの数日間、本当に悲しくて、涙も止まらず、後悔と、色々な思いがぐるぐると渦巻いていました。



心臓が止まり、身体が冷たくなりはじめました。


今でも当時の闘病中のことは忘れられません。


思い出すだけで涙が出ます。



結果的にこれで良かったのか、もっと他にできることはないのか、闘病への自問自答は今でも解決していません。



月日が経つと、悲しみは緩やかになりました。


その子と出会えたことへの感謝も消えません。



その子と出会って良かったです。


自分が死んだとき、虹のたもとで待っていてくれると何かで読みました。


いつかその時、天国で会えたらなと思っています。

13歳で、老衰で亡くなった愛犬への想い ペット用品からも目をそらした私を回復に導いたのは虹の橋だった

昨年、14年もの時間を一緒過ごした愛犬が旅立ってしまいました。


老衰でした。



生後半年くらいで我が家にやってきた愛犬。


コーギーのメスでした。


太くて短い足。


ぷりぷりで、食パンみたいなおしり。


真っ黒で、クリクリな目。



全てが愛おしくて、本当に本当に大好きでした。



亡くなる半年前くらいから、老いは感じていました。


散歩も喜ばないし、1日中寝てばかり。


居間で寝転がる愛犬の姿を眺めながら、「どうか、1日でも長生きしてくれます様に…」
といつも願っていました。


老いていく愛犬の姿を見て、愛しさと同時に切なさも感じながら過ごす日々が続きました。



愛犬が亡くなる前日、仕事の最中に母からメールがとどきました。


具合が良くないみたいだ、と。


病院へ行き点滴をしてもらってきたけれど、とても苦しそうだ、と。



ついに、恐れていた出来事が起きてしまった…。


張り裂けそうな心を必死に抑えながら仕事をこなし、すぐに帰宅しました。



座布団の上に横たわり、苦しそうになんとか呼吸をしている愛犬の姿を見た瞬間に、涙がポロポロと零れ落ちてしまいました。



がんばれ、がんばれ…。



頭を撫でながら、一晩中愛犬に寄り添っていました。



うたた寝してしまい、ハッとして朝方目を覚ますと、愛犬は眠る様に息を引き取っていました。



つい何時間前まで生きていたのに…。


どうして、ひっそりと旅立ってしまったの…。



動かなくなった愛犬を抱きしめながら、今まで経験した事がないくらいに嗚咽をしながらただただ泣き続けました。



家族皆で愛犬を見送り、自宅に帰宅。


暗く、ガランとした我が家。


オモチャやゲージ、首輪、リード…。


愛犬が残していった品々が目に入るだけで、耐えきれない悲しみが襲ってきました。



当たり前にいた愛犬が、もういない。


二度と会えない。



その現実は、言葉では表し様がないほどに辛いものでした。



愛犬が亡くなってからしばらくは、精神的にとても脆い状態が続きました。


空を見上げただけで涙が溢れてきたり、仕事にも身が入らず、一日中ボーっとやり過ごしたり。


買い物先でペット用品が目に入ってきただけで、いたたまれない気持ちになり目を逸らしたり。



どうしても愛犬の死を受け入れられず、現実から目を逸らして生きようとしていました。



そんな私の姿を見続け、見兼ねた姉からある日一通のメールが届きました。


URLが貼り付けられていたので開いてみると、「虹の橋」というサイトに繋がりました。



そのサイトに書かれていた文章を読み終えた瞬間、心がスーッと楽になっていくのを感じました。


そこには、全ての悲しみを救ってくれる暖かく優しい言葉の数々が書かれていました。



愛犬は、虹の橋を渡ったんだ。


悲しい別れじゃなく、また必ず会えるんだ。



そう思えた瞬間に、考えない様にしていた愛犬の姿が目に浮かび、とっても幸せな感情を取り戻す事ができたのです。



愛する事の幸せ、暖かさを教えてくれた愛犬。


命の儚さを教えてくれた愛犬。



愛おしい、愛おしい愛犬。



出会えた事への感謝で胸がいっぱいになり、空へ向かって「ありがとう」と伝えました。



その日から、私は愛犬の死を悲しんだ涙は一回も流していません。



今でも毎日愛犬の事を考えるけれど、そこにはいつも笑顔の愛犬がいます。

31歳男 ペットロスの後悔から立ち直らせてくれた詩


去年の春、約20年飼っていた猫を亡くしました。

私は現在31歳なので、小学生の時から共に生活していたことになります。

そんな猫の病気のこと、いなくなった後に思ったことなどを書いてみたいと思います。

飼い始めたきっかけは、近所の家で子猫が4匹生まれ、その内の1匹を我が家で引き取るという形でした。

我が家は庭が広く、近くに車が通るような道もないため、外に出たい時に外へ出す飼い方をしていました。

それから19年以上、病気らしい病気はしたことがなく、20年はもちろん、25年26年と長生きしてくれるものと家族一同思っていたところ、母が異変に気づきました。

餌を食べる量が減り、どことなく元気がないように感じ動物病院へ。

そこでの診断は「慢性腎不全」高齢になればなるほど避けられない病気で、一度衰えた腎臓の機能は回復することはないそうです。

異変に気づいてから約二週間後、とても苦しそうな姿を見せた後、天国へ旅立ちました。

苦しんでいる猫を見ている時、そして旅立った後に思ったことは、腎不全のリスクを何でもっと事前に考えておかなかったのかということでした。

20年も生きていれば内臓の機能はどこかしら衰えていて当然なのですが、これまでの健康ぶりに油断してしまっていました。

本で調べたり病院で検査をしていれば、腎臓の機能を助ける食事を与えるなど、緩和ケアをする余地があったのではないかと後悔しました。

それは思いは今でも残っています。

亡くなって約一年が経ち、ときどきスマホに保存してある画像を見ながら思い出を振り返ります。

目つきが異様に鋭い猫だったため「どれもこれも目つき悪っ!」と家族で笑っています。

長年一緒にいただけに寂しさは消えませんが、自由に外へ出す飼い方をしていた分「どこかで元気にしてるのかな」と考え楽になれる面があるのも大きいです。

個人的に一番救われたのは、最近知った「虹の橋」という詩。

「病や老いのない楽園で飼い主を待っている」という趣旨の詩を読んで涙を流し切り、負の感情から解放されたような、前向きな気持ちになれました。

52歳女性 愛猫のメッセージで癒やされました


私は埼玉県に住む50代の女性です。

パートをしながら年老いた母と実家暮らし。

20代の頃から猫がいる生活を続けてきました。

最後に亡くなったトラ猫のサンちゃんで3匹目ですが、初めてペットロスになりました。

サンちゃんは会社の人から譲ってもらった子で本当に大人しく、手のかからない子でした。

ご飯はカリカリしか食べないし食卓からものを失敬することもない、壁を引っ掻いたりすることもしない。

つまり人間にとって困ったことをまったくしない猫でした。

本当に一緒にいてこれだけ楽な猫は初めてで、私達親子はサンちゃんを可愛がるだけ可愛がってきました。

そんなサンちゃんも14才になりそろそろ足腰が弱ってきたなぁと感じていた頃、でも前の猫よりも病気一つせず元気だったのでまだまだ数年は生きてくれていると信じて疑わなった頃、異変が現れました。

ご飯を食べずにうずくまって動かないのです。

トイレもしていないようだったので、すぐに病院へ連れて行きました。

レントゲンの結果、肺の周りに何か膿のようなものが溜まっていると。

すぐにそれを抜いていただき、入院させました。

翌日お見舞いに行きました。

サンちゃんは声が出せるようになっていましたが、まだまだ弱々しくご飯も食べないということでした。

先生は単純なものではなく、手の施しようがない悪い病気の可能性もありますと言われましたが、私はとにかくサンちゃんが良くなることしか信じられませんでした。

その次の日病院からサンちゃんが亡くなったと報告がありました。

その頃から私の記憶は曖昧なのです。

ハンマーのようなもので頭を叩かれたうな衝撃でした。

ボンヤリした頭で先生のお話を聞いて、眠っているようなサンちゃんの遺体を引き取りました。

ボンヤリしながらお花を買いに行き、火葬の予約をしました。

すべて夢のようでした。

3日前まで元気だった猫がこんなにあっけなく亡くなるなんて…。

とてもじゃないけど信じられませんでした。

でも家に連れて帰ってから翌日固くなったサンちゃんの身体はその死が本当だと言っていました。

ウィルス性の胃腸炎というのがサンちゃんの命を奪ったのです。

猫のとても怖い病気の1つです。

その日から私は生きる屍のようになりました。

何をやっても現実感が薄いというのか…。

とりあえず仕事をして食べて寝ていましたが常にサンちゃんのことが頭にから離れません。

もっと早く気づいてあげていれば、病院に連れて行ったのは正解だったのか、などと考えました。

そして思うのはサンちゃんのいない家はとてつもなく寂しいということでした。

もう一度抱きしめたい、声が聞きたいと思いました。

毎日声をあげて泣きました。

泣き暮らして何が支えになったかと言えば『虹の橋伝説』でした。

亡くなったペットは虹の橋で飼い主を待つというお話です。

もう一度会えるならそれまで生きなければと思いました。

それから夢に出てきたサンちゃんにも助けられました。

私が夢に出てきて!と叫んで寝たら本当に出てきて、テレパシーで会話しました。

何と言ったと思いますか?『んもー何の用?せっかく遊んでたんだから用がないのに呼ばないで!』これには参りました。

サンちゃんは自分の死など気にもとめてなかったのです。

何も変わらないのになんで泣いてるのさという感じです。

この夢のおかげで毎日大泣きすることはなくなりました。

仕事もありがたかったです。

ヒマになると考えて悲しくなるので頭を空っぽにできる場所があって良かったです。

一年くらいはペットロスは続きましたが少しずつ癒えます。

サンちゃんの気配を感じることもありますし、メッセージを受け取ることもありました。

いずれも私を気遣ってくれるメッセージでした。

年があけて付き物が落ちたように楽になりました。

10ヶ月くらいかかりましたね。

今でも寂しいですが生きてるのが辛いということはありません。

今お辛い方も必ず癒えるので大丈夫です。

色々な他のペットを亡くされた方と語るのも良いと思います。

一緒に生きた大切な時間を思い出に変えて、いつか会える日まで生き抜こうと思っています。

20才男 僕の部屋の窓からは花が見える


初めまして。

僕は田舎住まいのアルバイターです。

 僕の人生には物心をついた時からずっとペットがいます。

僕の家ではペットと呼ばず毛のある子どもということで、毛どもちゃんというのですが、一緒に暮らしてきた毛どもちゃんの種族も様々です。

僕がはっきりと記憶にある子たちだけでも、リス、ミニチュアダックス、ミニウサギ、セキセイインコ、フクロモモンガ、猫、ロップイヤー(うさぎ)とたくさんです。

僕の記憶にない毛どもちゃんたちもいるのだと聞いています。

 保護した鳩もいました。

 僕が高校時代、セキセイインコちゃん、ミニウサギちゃん、ミニチュアダックスちゃんと半年余りの間に立て続けに虹の橋へと渡って行ってしまったつらい時期がありました。

 僕は別れの時が近くなると傍を離れたくありません。

とてもつらいけれど、抱っこして撫でて「がんばれ、がんばれ」と必死に応援します。

涙は出来る限り我慢します。

 そして、虹の橋へ渡って行ってしまったら、たくさん「ありがとう」と伝えます。

 もう一緒に過ごすことは出来ない。

僕は何も手につかなくなってしまいます。

学校を休み、たくさんの花を買いに行きます。

重くても自転車で、歩いてたくさんの鉢植えの花を買います。

その子の好きだった色や似合っていた色、そんなことを思い出しながら花を選びます。

 いよいよ身体ともお別れの時、母親に身体をきれいにしてもらった子を寝かせ、ごはんやおもちゃなど持って行かせてあげます。

何度経験しても、あの土を掛ける瞬間の何とも言えない罪悪感や辛さは慣れません。

 そして、たくさん花を植えます。

咲いている花を見ると、元気に一緒に過ごしていた時を思い出して笑顔になれるのです。

季節が変わるたびに花を買い植えます。

 僕がいつか人生を終えて、虹の橋で皆に再会できる時まで、虹の橋の子たちに心配をかけないように、皆との思い出を、皆のくれた笑顔の時間を思いながら一生懸命生き抜きます。

 後悔はたくさんあります。

あの時こうしてあげればよかった。

もっとこうしてあげればよかった。

でも一番はすごく甘えん坊だったミニチュアダックスちゃんが夜中に一人でひっそりと虹の橋へと渡って行ってしまったこと。

あんなに寂しがり屋で甘えん坊だったのに。

 まだまだ今も一緒に暮らしている毛どもちゃんたちがたくさんいます。

 毛どもちゃんたちは優しくて可愛くて愛おしいとても大きな大切な存在。

なのに与えられた命の時間は人間よりもずっと短く、見送ることのほうが多い。

 つらいけれど、その子たちとの時間を思い出すと、どんなに笑顔と優しい時間をくれていたのだろうと思います。

 写真や花を見て、その子たちの思い出を笑顔で思い出し、その子たちに負けないように一生懸命生き抜いていつか虹の橋で再会する時に胸を張って会えるように。

 必ず虹の橋から見守っていてくれると思います。

52歳・女性・虹の橋の話を知りペットの死への考え方が変わった


子供の頃から動物が大好きで、ペットを飼っていなかった時期はありません。

それゆえ、ペットとの別れは何度も経験しています。

愛するペットと別れても比較的短期間で立ち直ることができるのですが、以前飼っていた猫との別れではかなりつらいことがあり、立ち直るのに時間が掛かりました。

その猫との出会いは、我が家が自営業で飲食店を経営していた頃です。

お腹を空かした野良の猫で食べ物を与えたところ、すぐになついてくれました。

野良猫は警戒心が強いタイプも多いですが、この子は以前は飼い猫だったようで、短期間で抱っこすることもできました。

当初は猫が毎日のように店に通い、餌を与えていたのですが、いつまでもこのままにしておくわけにはいかず、自宅で飼うことになったのです。

見た目はサバトラのメス猫でウサギのように短い尻尾が特徴的でした。

明るい性格で、先住猫たちともすぐに仲良くなれたのです。

それから数年間は元気に暮らしていましたが、次第に元気がなくなり病院に連れていくことになりました。

診断はガンで、手術をするかどうかを選択することになったのです。

ガンと診断されたこともショックでしたが、それ以前に毎日猫と触れ合っていたにも関わらず気づけなかったことが悔やまれてなりませんでした。

まだ年齢も若いこともあり、手術を決断したのです。

手術からしばらくは調子良く過ごしていたのですが、それから急変し、いろいろな治療を試してみたものの手遅れで短期間で天国に旅立ってしまったのです。

もう少し早く発見できていたら、もっと長生きしてくれただろう、元気に過ごせただろうといつまでも自分を責めていました。

今でも、思い出すとつらくなるときがありますが、ある時に「虹の橋」の話を聞き、いつかまた会えるという気持ちになれたのです。

もちろん、生きている間は合うことはできませんが、いつか私も旅立ったときに、待っていてくれたらどれだけ幸せだろうと考えています。

愛するペットと同じく、天国に行くためにも少しでも良い人間でいようと考えるようになりました。

今も数匹の猫と暮らしていますが、いつか来るお別れの際にも過剰に悲しますに笑顔で送ってあげたいと思っています。

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ペットロス

Posted by 管理人