小学生の頃の桜文鳥との日々に関して

小鳥が好きだった僕は小学生の頃、自転車で30~40分ほど走るとそこには郊外のペットショップがあり、桜文鳥のヒナを買いました。しかし、勝手に飼ってしまったことに親は激怒。でもそんな母も父も鬼ではなく、動物は好きな方なので、家族の一員として育てることにしました。名前はハッピーと名付けました。
ハッピー手乗り文鳥なのに指を差し出してもつつくばかり、でも手のひらを見せるとそこに着地し、くるまって眠るのです。
そんな不器用さも愛くるしくて、ハッピーは大人になりました。
すっかり家族の一員として、朝早くにハッピーの鳴き声で起き、カゴを開けると勢いよく家の中を一周飛び回って、肩の上に落ち着く。それはもはや家族にとって習慣化していました。
そんな日々も終わりの日がやってきました。
ハッピーは突然の病気で、獣医にも何度も通いましたがダメでした。
獣医の方も「小さい身体でこの子はよく頑張ったよ」と声をかけてくれました。
僕はハッピーがいなくなった毎日を実感するのにとても時間がかかった。
じわじわとこみ上げてくる悲しみ、それでも自宅でくるまってるわけにもいかず、学校の授業中に突然流れ出す涙。
辛かった。
ペットの話、しかも小鳥のことなど周りの人からしたら然程大したことではない。共有し合える人もいない、静かに悲しみに耐える時間が辛かったです。
しかし、子供の頃のこの経験で学んだことは、より動物たちを大切にしようということです。
僕は今子供もいまして、子供達はペットを飼いたいと言っています。この想いは僕から子供にも引き継いで行こうと思います。

結婚してから3年間一緒に暮らして、18歳で亡くなった猫

結婚3年目に、主人が18年間飼っていた猫が亡くなりました。

年をとっていたので、いつどうなっても仕方ないと覚悟はしていましたが、お別れの時は突然やってきました。私たちは急に結婚が決まったこともあり、住居がなかなか定まらず、3年間で3回も引っ越してしまいました。後から思えば、度重なる引っ越しは老齢の猫の体に負担をかけたのだろうな、ごめんなさいという気持ちでいっぱいです。

私は主人と結婚してからその猫と暮らすようになったので、最初は懐いてくれるかとても不安でした。それまで実家では犬は飼っていましたが、猫はいなかったのでなおさらでした。でも最初の日から、抱っこしても嫌がらず、次の朝には私の布団の上にドカッと乗って起こしにきました。その時は結構図太い猫だなと思ったものです。

たったの3年間でしたが、私たち夫婦は猫を中心に笑ったり、泣いたりと楽しく暮らせました。老齢のためか、時々発作を起こして病院に駆け込むこともしばしばありました。一度は今夜が山ですと、お医者さんから言われて、待合室で夫と泣きくれたこともありました。

その時はなんとか一命をとりとめたのですが、それからは見る間に痩せていきました。エサは食べるのですが、階段を上る力がなくなったのか、2階にある寝室にも来なくなりました。抱っこしてやるとがりがりで骨ばかり目立ちます。砂時計のように、命の砂がこぼれ落ちて行くような感じがしました。

そんなある朝1階に降りてみると、眠るように亡くなっていました。一人にしないで寝室に連れて行ってやれば、看取ってやることができたかもしれないのにと思うと後悔の気持ちでいっぱいです。

今でも時々、何かをしている拍子に猫はどこに行ったんだろう、トイレのそうじしなくっちゃと思うことがあります。飾ってある猫の写真を眺めていると、自然に涙が出てきます。いつかこの悲しみも癒える時が来るのかもしれませんが、今は猫と過ごした時間を思い出していたいと思います。

家族の人気者、その名はウパオ

先月の1月31日うちで飼ってるウーパールーパーが亡くなりました。
2年前にやってきたときは、とても小さな小さなかわいらしい形をした生き物でした。体の割には顔が大きくて、ピンク色で目が離れていて口は大きくて、顔の回りにはピラピラがついてみていてとてもいとおしい存在でした。このウーパールーパーをどこで手に入れたかというかというと、私がちょうど二年前に交通事故で整形外科の病院に通っていて、会計の場所に数匹のかわいらしいウーパールーパーの赤ちゃんが置いてらりました。ご自由にお持ちくださいと書いてあったのです。どうしようか迷ったところ、うちの息子がほしいというので飼うことに決めたのです。水槽を買ってきて、エサを買ってきて、ブクブクなるエアの機械を買ってきて水槽の中に入れました。名前は、ウパオです。毎日、姿が見れるようにカウンターの席の上におきました。日が経つにつれて、どんどん大きくなっていきました。最初は小さな赤ちゃんだったのでエサも、赤ちゃん用の物をあげていました。その食べる姿ととてもかわいいのです。最初は、ほとんど動きもなく、慣れていないのか緊張してなのか落ち着かないのかと思いました。じーっと、家族みんなで観察していても動きがなく、大丈夫かなと心配していました。しかし、日が経つにつれて、どんどん成長して体も多くなっていきました。しかし、最近水面から顔をだすことが多く、動きも激しくなっていきました。元気だなと家族は思っていたのですが、それは勘違いで苦しんでいたのです。エサも食べていないのに動き回っていたのです。ウパオは、横たわって動かなくなりました。その姿が、とても見るのが辛くて仕方がなかったです。痛々しい姿でした。ネットで調べたら、ぷかぷか病でした。水質があまりよくなくて、水面から顔を出すことによって感染病になったのでしょう。次の日、庭に家族でお墓を建てました。うちにきてくれてありがとうと伝え、天国に旅経ちました。

腎臓結石で天国へ旅立ったうちの猫

私は子供のころから猫が大好きで、近所で捨てられていた猫を拾っては自宅に連れて帰り飼っていました。
 
大人になって結婚して数年が過ぎ、仕事で出勤途中の朝、駐輪所の脇で、発泡スチロールの箱に入った子猫4匹を見つけました。

子猫たちは、まだ生後一週間ほどでした。
とにかくこのままでは子猫たちが心配でした。
保健所、いたずらの被害も考えたら、すぐに保護することが一番だと考えました。

会社には遅刻の連絡を入れ、家に連れて帰りました。
病院に連れていき、猫用粉ミルクを買い、一生懸命夫婦でお世話をしました。

4匹兄弟猫は、里親を探すことなく、そのまま家で飼うことになり、すくすくと育っていました。

7年が経ち、一匹が日に日に痩せていきました。

ご飯の皿の前には来ても、口にせず座っていて、エサは食べずに水の場所に移動して水を沢山飲んで寝床で休む、そんな行動が2日続きました。

2日目、動物病院に連れていき、検査の結果、腎臓結石で、腎臓の半分は機能していないことがわかりました。

病院の先生からは「食べなくなったその日か、翌日の朝にすぐ病院へ来るべきだった。まだ若いけど、腎臓の数値で見ると、この子は余命が数か月かもしれない」と言われました。

どうしようもない悔しさと、申し訳ない気持ちが強くこみあげました。

今まで当たり前のように一緒に過ごした子が、突如、死んでしまう現実。

病院の帰り道、桜が満開で綺麗だったけど、来年の桜の季節にはこの子は居ないんだと思うと涙が止まりませんでした。

できる限りの治療をはじめました。

自宅ではビタミン不足と脱水を防ぐ点滴、腎臓機能を助けるための毒素吸着の炭を毎日飲ませていました。

それから2年はなんとかそのまま体力を維持していましたが、やはり腎臓機能は少しずつ少しずつ、低下していきました。

治療を始めて2年間は、「死んでしまうかもしれない、でも、今は大丈夫」という気持ちになっていました。

そんな気持ちから一転、みるみる弱っていく姿に「もうお迎えが近いんだ」と、またどん底に戻りました。

病気が分かったその時に一度は覚悟を決めたはずだったけれど悲しみと後悔は変わりません。

食べても吐き、やがて水だけでも吐くようになって、その時点で薬も効果無くなり、何もしてあげられなくなりました。

しだいに体内に毒素がたまり、猫は昏睡状態になって意識が無くなりました。

心臓が止まるまでの数日間、本当に悲しくて、涙も止まらず、後悔と、色々な思いがぐるぐると渦巻いていました。

心臓が止まり、身体が冷たくなりはじめました。
今でも当時の闘病中のことは忘れられません。
思い出すだけで涙が出ます。

結果的にこれで良かったのか、もっと他にできることはないのか、闘病への自問自答は今でも解決していません。

月日が経つと、悲しみは緩やかになりました。
その子と出会えたことへの感謝も消えません。

その子と出会って良かったです。
自分が死んだとき、虹のたもとで待っていてくれると何かで読みました。
いつかその時、天国で会えたらなと思っています。

私を強くしたちゃあすけ

ちゃあすけは、私が高校2年生の夏に家にやって来ました。
やって来たというよりも、連れてきました。

電気工事士をしている父がある夏の夜に「今日の昼に子猫が近寄って来たよ。周りを見ても親猫もいなくて、ごはんをあげたら美味しそうに食べていたよ。」
という何気ない会話に、猫が苦手な私が気になってしまい詳しく聞いたことを覚えています。
その子猫のいた場所は、何もない山奥に建設中の建物があるだけで、そんな場所に1匹でいるのかと思うとかわいそうに思えて、気づいたら「探しに行こう!」と言っていました。

時刻は20時で、車で向かうと30分かかる場所になります。
到着すると辺りは真っ暗で、何も見えません。
父と妹2人と4人で探していると、父の足元にまとわりつく何が見えました。
懐中電灯を当てると、生まれたばかりの小さな茶色い子猫がいました。

タオルに包んで家に連れて帰りました。
本当はあまりよくないのですが、温めたミルクを出すとあっという間に飲み終わりました。
とても可愛いものの、私は怖くて近寄れなかったことを覚えています。

お風呂に入れると綺麗な金髪に近い茶色の子猫だったので、名前を「ちゃあすけ」にしました。

家の近所には、猫がたくさんいたので、首輪にひもをつけて家の中で飼うことにしました。
玄関と裏口から外に少し出ることが出来るようにしました。

毎日、一緒に遊んだり、一緒に寝たり、たくさん一緒に過ごしました。
おばあちゃんのことが大好きだったちゃあすけは、いつの間にか年をとり動きもゆっくりになってきました。
大好きだったおばあちゃんも病気のため、ベッドの上で過ごすことが多くなりました。

ちゃあすけは、暗い所やお風呂場の蓋の上で過ごすことが多くなりました。
「猫は亡くなる時に、人から見えないところに行くんだよ。」という言葉を思い出して、死が近いことを感じ取りました。

今からちょうど13年前に、ちゃあすけは大好きなおばあちゃんのベッドの上で亡くなりました。

私は死を意識していたものの、いなくなったことへの寂しさ、そして後悔ばかりが募り辛かったことを思い出します。

ちゃあすけは私に、苦手なものやことでも自分で向かってみれば案外大丈夫なものだということを教えてくれました。
2人で色々な経験をしたからこそ、今の私の気持ちがあるんだなと思います。

『茶亜助(ちゃあすけ)』ありがとう!

17年経っても、まだ夢を見ます。

もう、17年前の話です。
小学校の頃から、13年間飼っていたマルチーズ。
大事な家族でした。

もう、よぼよぼのおじいちゃんで、目も白内障で真っ白。
いつも寝てばかり。歯もぬけて、ご飯もあまり食べられず、呼んでもあまり来なくなったので、見かけると悲しい気持ちになりました。

母はお仕事、私は大学で、家をあけることが多くなりました。
それでも、家に変えると、苦しいだろう身体で、玄関口までやってきてくれる、優しい子でした。

ある日、冷たくなっていました。
頭がおかしくなりそうでした。私にとって、彼は紛れもなく、家族であり、弟だったのです。
吐いて、眠れない日が続きました。
お恥ずかしい話ですが、たえられなくなって、逃げ道を探し、喫煙をはじめるようになりました。

少し、自尊心が強くて、小さい体のくせに、怒ると喧嘩してきて。でも、私が調子が悪いときはずっとなめて看病してくれていて、朝起こしに来てくれるような、そんな賢い子でした。

それがある日、いなくなったのです。三ヶ月くらい、まともな精神状態ではなかったと思います。
しかし、他人にとっては、所詮他人の犬なんですよね。
自分の家族以外にはみんな大したことがないような対応を取られ。唯一、心配してくれた友人の母親には今でも感謝しています。

もう、なくなって17年たちます。
ですが、一昨日、彼の夢を見ました。
一昨日だけではありません、一年のうちに、いまだに何度も何度も彼が夢に出るのです。話しかけてくることもあります。
勝手な思いですが、今でも見守ってくれるのかなと、都合よく思っています。

今も、この文章をうちはじめて、涙がとまりません。
私の心に、ずっと彼「コロ」は、いてくれるのですね。
天国で、少しでも幸せになってほしいと、心から願っています。

足を悪くしてしまった愛犬

私が小学生の頃、愛犬が足を悪くして動き回ることができない状態で生活しながら死んでしまいました。
子供によくありがちで、私も最初の頃はよく散歩につれていったのですが、散歩の頻度も減ってしまっていた中、愛犬が足を悪くしてしまい歩けなくなってしまいました。
子供だった私は、犬と散歩するよりも友達と遊ぶ方がいいと思ってしまい友達との遊びを優先させてしまっていました。私の親も自営業だったとはいえ両働きで、犬の世話あまりできている家ではありませんでした。
愛犬は足を悪くしてからは、ほとんど動き回ることができなくなってしまい、下半身を車いすのようなものに乗せてどうにか動くことはできても家の敷地の中だけで、とってもとっても辛かったのではないかと思ってしまいます。
そんな生活の中、愛犬は死んでしまいました。両親の話では、歩けなかったことで体の機能が悪くなってしまい、死んでしまったと聞かされました。私が小学校へ行っている間に死んでしまいました。愛犬を看取ってあげることができませんでした。またその時、足を悪くしたのも、何か犬にとって良くないものを食べさせてしまったのかもしれないと聞きました。
私は今でも思い出すと、もっと一緒に散歩すればよかった犬と遊んであげればよかったとと時々思い出し、後悔してしまいます。当時の私は犬に対する知識も思いやりも全然足りなかったと思ってしまいます。もっとちゃんと世話をすれば、もっと長生きしてくれたのではないかと思ってしまいます。

愛犬と暮らした8年間と辛すぎた突然の別れ

出会いは私が小学生の時でした。
母親に連れて行ってもらったペットショップで一目ぼれしたのがミニチュアダックスフント。
犬が大好きだった私はすぐに「欲しい!」と言いましたが、家族が犬をあまり好きではなかったことから反対されました。3か月間、毎日家族に頼み込み何度もの家族会議の末、やっとのことで犬を飼ってもいいとお許しをもらいました。

数日後再びペットショップへ行き、ついに一番元気なミニチュアダックスフントを買ってもらいました。
帰り道、自分の腕の中にいる子犬とこれから一緒に暮らすなんて信じられない気持ちと幸せな気持ちでいっぱいだったことは今でも鮮明に覚えています。

見た目がチョコレート色だったことから「チョコ」と名付け可愛がりました。でもチョコと一緒に暮らすと、散歩やエサやり、排せつの処理やケージの掃除など、お世話することがたくさん。
それでも大好きなこの子だから大変でもがんばれました。家族もだんだんとチョコが好きになってきているのを子供ながらに感じていました。春にはみんなでお花見に行ったり、夏には水浴びをさせに川に行ったり。どんなことをさせたら喜んでくれるかな?と家族で計画するのも楽しみの一つでした。

そんな生活が8年続いたある日、高校生になった私が学校から自宅に帰宅したときでした。
母親に話があると言われリビングに行くとチョコがきれいに広げられたタオルの上で横たわっていました。明らかに異様な雰囲気を感じ取った私は一瞬でチョコがもう動かないことを理解しました。母親が震える声で車にひかれたことを伝えてくれました。突然のことで言葉も出ませんでした。

冷たくなった体に触れ、涙が止まりませんでした。昨日まで元気に遊んでいたのにどうしてこんなことになってしまったの?もう一緒に散歩することはできないの?明日から顔も見られないの?チョコがこの世界からいなくなるの・・・?いろんな感情がぐちゃぐちゃになって泣くことしかできませんでした。これが夢だったらいいのにと何度思ったことか。

つらいお別れをして数日間は何も食べられない状態でした。テレビを見てもどうしてこんなにみんな楽しそうなんだろうとボーっと考えていたように思います。日常からチョコがいなくなったことでまさに抜け殻状態でした。ほかの犬をみるとどうしてもつらい気持ちが増すのでテレビなどでペット特集などをするとすぐにチャンネルを変えていました。

数か月がたちだんだんつらい気持ちを乗り越えられるようになりました。特にこれをしたから辛くなくなったというのはなく時間が癒してくれました。これを書いている今でも思い出すと涙が出るので、一生チョコをなくした辛さは心のどこかにあるのだと思います。でもチョコと暮らした8年間は宝物で幸せだったことに変わりはありません。その日々を胸にこれからも生き続けたいと思います。

愛犬の死が、私に教えてくれたこと

今から10年ほど前、私は22歳の冬に愛犬を亡くす経験をしています。
トラくんという柴犬で、亡くなったときはおよそ15才でした。

トラくんと出会ったのは、保健所で里親募集のイベントに参加をしたときのことです。
まだ1才程度にも関わらず元の飼い主から捨てられ、それでも人懐っこいとても可愛い仔だったのを覚えています。
その健気さに胸を打たれ、当時小学校低学年だった私は必死に親に頼みました。
必ず最期まで面倒を看るからと、何度も約束したのも今では懐かしいです。

トラくんとは、本当に色々なところへ行きました。
家族旅行にも欠かさず連れて行きましたし、私の部活動の応援にも来てくれたことがあります。
実は私は学校での人間関係が上手くいっておらず、いじめを受けていた時期も何年かありました。
しかし帰宅するとトラくんがいる、その姿に何度癒やされたか分かりません。

沢山の思い出や感謝、亡くなるときにはそれらが一気に溢れてきた記憶があります。

様子がおかしくなったのは、亡くなるほんの2日前くらいからでした。
出会いからずっと室内で飼っていたのですが、あるときから突然家に入るのを拒むようになったのです。
何か家族を避けているような、変な感覚がしました。

そしてその変化からすぐのこと、トラくんは私が朝起きると玄関のところで横たわり動かなくなっていました。
息はしているのですが、全く家族の声にも反応をしません。
慌てて病院へ連れて行くと、もう衰弱していてあまり持たないだろうと言われました。

このときの困惑と悲しさは、今振り返っても苦しくて涙が出てきます。
昨日まで元気だったのにどうして、もしかしてずっと無理をしていたのか、そういった思考を繰り返しては何とか奇跡が起きないか願っていました。

とはいえ推定で15才、心のどこかでは理解していたのです。
寧ろよくここまで元気でいてくれた、私たち家族を笑顔にしてくれたと、諦めではないのですがありがとうという気持ちの方が大きかったかもしれません。

亡くなる直前には、大きな遠吠えを2回して何かを伝えようとしていました。
実は他の愛犬家の方から、犬は死ぬときに遠吠えをするよと以前に言われていたので、これがお別れの挨拶なのかなと感じたのです。
そうして翌日、トラくんは私が大学から帰宅すると亡くなっていました。
最期は母と妹に見守られながら、ゆっくりと呼吸が止まったそうです。

最期に立ち会えなかったこと、それはとても悲しかったです。
しかし安らかそうだったと聞いて、少しだけ良かったとも思いました。
うちに来て幸せだったのかな、それは現在でも思い返してしまいます。

トラくんが亡くなってからは、何か大きな心の支えを失ったようでした。
夢にも1週間ほど続けてトラくんが現れ、一緒に遊ぼうとすると遠くへ行くのです。

また、私は当時就職活動を行っていました。
愛犬を亡くして辛いなどというのは個人の事情でしかなく、就職試験の期限は待ってはくれません。
自分はしっかり社会人になれるのか、その不安も大きく圧し掛かってくるようになりました。

こんなときにトラくんがいてくれたらと、何度も写真を見ては思ったものです。
突然迫られた別れへの覚悟、そして別れ、気持ちの整理など到底つくはずもありませんでした。
これがペットロスなのかと、痛いほどに実感したように思います。

愛犬の他界から3ヶ月ほどが経った頃、忙しさも手伝ってようやく前を向けるようになりました。
こうなって初めて気が付いたのが、時間が経つことの重みです。
悲しみが癒えることは叶わなくても、上手に向き合って過ごせるようになった自分には驚きました。
時間の解決とは、きっとこういうことを言うのでしょうね。

あれからもう10年、すっかり私も良いおじさんになろうとしています。
ペットは以来1回も飼ってはおらず、今後もきっと飼うことはありません。
与えてくれるものの大きさの分だけ、失ったときの悲しみも大きいです。
トラくんは自身の命を通じて、私に大切なことを教えてくれました。

現在ペットロスで苦しんでいる皆さん、今は悲しくても必ず前を向ける日はやって来ます。
現在ペットを飼っている皆さん、いずれ必ず別れの日はやって来ます。
常に少し先の未来を想像しながら、後悔のない時間を過ごしてください。

トラくんは、今も天国で幸せに過ごせているでしょうか。
私が頑張ればきっと天国に届くと信じて、これからも一生懸命に生きていきたいです。

ペットがなくなって苦しんだ体験談~その後~

1年前の冬。当時20代前半だった私は、うさぎを1匹飼っておりました。私にとっては癒やしの存在でしたが、仕事から帰ってきたときに倒れているところ見て始めは寝ているのかなと思い触れてみたのですが体温が低かった為、おかしいと思いすぐに獣医に問い合わせ診察してもらいましたが時遅く命の火(病名:ガン)が失っておりました。

ペットは家族のと同じ存在で亡くなったときは喪失感で胸がいっぱいでした。
うさぎの名前をニコちゃん(雌)ですが、名前を何度も何度も叫んでは涙が止まらなかった記憶があります。
かけがえのない唯一の存在だったので、仕事を3日間お休みし寝込みました。

でも、とある番組で動物特集で亡くなった動物に対してその後の気持ちや行動が前向きなのをみて、改めて私自身も気持ちを切り替えることは直ぐには出来ませんでしたが歩み進めようと決意し前向きになっていきました。

愛するうさぎが亡くなった今、またうさぎを飼っております。名前は、ニココちゃん(雌)です。
亡くなったニコちゃんにそっくりで面影があったのでペットショップにて即購入致しました。
大人しいところや、お腹がすいたら足踏みするところまで一緒でとても幸せです。
きっと、ニコちゃんが巡り合わせてくれたのかなって。。。
私は当時購入する前想いました。

最後になりますが、ペット=家族であり死はとても悲しいことで言葉には表現できないつらさがあります。
ですが、また巡り合う奇跡やその子のためつぎに生かすことも出来ることがあると私は思います。

以上
私が飼っていた動物の死についての体験談です。