新しい子でペットロスを克服した体験談

2024年1月14日

pixabayより

35歳女。犬とのお別れは火葬場での集団火葬。みんなで一緒にお空へ!

私は生まれた時から犬の居る生活をずっとしてきました。

今回の子に限ってお話しすると、何もかもが初めての経験でした。家族と同居ではなく、一人暮らしをしながら飼う事。今までは昔から日本の家庭によく居る様な雑種の子ばかりでしたが、ペットショップで自分で購入した事。血統書付きだった事。小型犬でしたので、大きさも今までと比べて小さかったです。

子犬から飼い始めて、私しか家に居なかったので本当によく懐き、とにかく可愛かったのを覚えています。生活や外出は犬中心となり、何をするのもどこへ行くのも一緒でした。

途中から、彼氏と同棲を始めて、新しい子も飼ったりして楽しく賑やかな生活も送る事ができました。(その後彼とは別れてしまいまい、私が飼っていた子は私が、新しい子はその彼が引き取りましたが)
最終的には実家に戻り、のんびりゆっくり家族と過ごしました。ただ、その子がおばあちゃんになってから結婚、出産を経験した為、その子は私の暮らす家ではなく実家(車で5分程)で暮らして居ました。約17年と長生きをしましたが、最後の最後まで私が中心になってお世話をすると言う事ができなかったのが、今でもとても心残りです。

ただ、実家がほど近かった為、しょっちゅう泊まりに行ったり、パート中は娘を預けたりしていましたので、ほぼ毎日顔は合わせていました。

残念ながら、私がパート中に最期を迎えた為、お見送りをする事ができませんでしたが、ハアハア言う彼女の為に、母がお水を綺麗な物に汲み直している一瞬の間に逝ってしまったそうですが、そこには娘が居て、いい子いい子してくれていたんだそうです。

なので、自分が付き添えなかった事はとても後悔していますが、娘がいてくれて本当に良かったと思っています。
今は、祭壇を作り、個別で火葬をして納骨して骨壺を家に取っておく方も多いようですが、田舎暮らしで昔はわんちゃんが亡くなってしまうと、山に行って土に埋めたりしていましたから、何となく全てを残しておくと言う事に抵抗があり、集団火葬を選びました。

賛否は有るかもしれませんが、お別れありきで、それを覚悟してペットは飼わなくてはいけません。忘れなければ、どんな供養の仕方でもきっと伝わると思うし、もし新しい子を迎え入れた時も、骨とかもあまり無い方が良いだろうと考えました。
何より、みんなで一緒にお空に行けた方が、楽しいんじゃないかなと思いました。

元気な頃に抜けた歯と、亡くなった後に少しだけ切った毛と、その頃付けていた首輪は取ってありますが、特に祭壇を作る事もせず、棚の片隅にそっとしまってあります。

ペットの供養は、もちろん費用も関係ありますし、みなさんの納得する形でするのが一番良いと思います。
新しい子を迎え入れた今でも、火葬して頂いた火葬場を通る時に、いつも空に向かって名前を呼んでいます。
いつまでも、どの子がナンバーワンなどと、選べないくらいスペシャルな子達ばかりでした!その気持ちが大切なのかな〜と思います。

1年命が延びるはずが、1ヵ月で天国へいった愛犬 痛い手術は必要だったのか?

もともと、家には1匹2歳のミニチュアシュナウザーのももちゃんがいました。

その子はとてもおてんばで可愛かったのですが、お友達が欲しいのかなと思い、たまたま父の会社で同じ犬種を飼っている方に子犬が産まれるということでメスの子を譲っていただきました。

名前はまつ毛が長くぱっちりとした目がお花のようだったので「ハナ」と名付けました。

初めて我が家に来た時から、ももちゃんとすぐに仲良くなり遊ぶ時も寝るときも歩きだすタイミングも全て一緒なくらい仲良しで我が家は一層明るくなりました。

モモが12歳、ハナが10歳の時です。

ハナは前日、いつものように父のベットで寝ていました。

朝になっていつも軽快にベットから飛び降りるハナがヘェヘェと舌を出して震えていました。

ハナを抱きかかえると触れないぐらい体温が熱く目はうつろでした。

田舎に暮らしているため休日に動物病院はあいてるわけもなく、とりあえず熱さましのまくらの上にのせ
なで続けました。

隣町の病院で応急処置をしてもらい、次の日いつもの病院へ。

レントゲンをとってもらうと「肺がん」

もういつもの動物病院では見れないとのことで大学病院で入院することになりました。

私たちは普段ハナが寝ているときのイビキに癒されていたのですがこのイビキは病気の合図だったそうで全く考えもしませんでした。

いつも元気に走り回っていたので「ぐっすりねている」そう思っていたのです。

大学病院では「うちに来たら安心、手術をすれば1か月の命を1年に延ばします」そう言われました。

1年でも一緒にいれたらそれまでに心の整理をつけて見送ってあげようと思いました。

しかし、
手術後1か月もしないうちにハナはガンが転移し天国へ旅立ちました。

私は仕事を終え、玄関で家族の泣き声が聞こえました。

恐る恐る家に入ると生暖かいハナが横たわっていました。

私が仕事に出てる間に、ハナは息ができなくなり急いで病院に連れていくと「このまま生かしておくのはハナちゃんは辛いはず。

楽にしてあげるほうがこの子の為です」

ハナは母と病院へ行ったときいつもの治療だと思い、診察台で母をじっと見つめていたそうです。

ですが先生が打った注射は安楽死用の注射。

ハナは診察台で横たわりました。

私はその最期に立ち会うことができず家で号泣しました。

次の日午前のみの仕事で午後はハナのお葬式でした。

午前の仕事は全く身に入らず涙で全く仕事が手につかなかったことを覚えています。

あの時、ハナに痛い思いをさせてまで手術を受けさせたことは最善だったのか、
3年経った今でも悩んでいます。

そしてハナが死んで、ももちゃんは一気に老けました。

グレーだった毛色は一気に白くなり寝てばっかりの
生活になりました。

ときどき寝ているのにワンワンと寝言で吠えているのです。

それを見てももちゃんへの心のケアも必要、私たちの寂しさも残ったまま。

気づいたらペットショップへ行き、ハナに似た同じ犬種の子を探していました。

そして我が家に新しい子犬が来ました。

ももちゃんは驚くほど元気になり、私たちも毎日ハナの話題はしつつも新しい子犬ナビちゃんに癒されています。

ナビという名前。

私たち家族は花火をみるのが大好きです。

ハナ
から名前をもらいナビに。

そしてナビという名前にはもう一つ由来が

ナビ=道しるべ

私たち家族、そしてももちゃん
家族全員の道しるべになってね。

そんな意味を込めてナビという名前を付けました。

ハナが死んでから一度もハナを忘れたことはありません。

毎日ハナの話をします。

いつまでも姿は見えないけどももちゃんとナビと家で走り回っている。

そんな感じをしながら家族に笑顔が戻りました。

16年間嫁いだ私の心の支えになってくれた愛犬 老衰に心が沈む 新しい仔を迎える提案を受けつけ、前向きに考えれるように

遠方へ嫁いだ私。

周りには慣れ親しんだ友達も親戚もいません。

とても不安な状態でした。

そんな私の様子を見て、義母が知り合いがいないのは寂しいだろうという心遣いからプレゼントしてくれたのが、愛犬のプニでした。

コロコロとして可愛いプニは、私の心の支えとなってくれました。

子犬の頃は、とにかくちょこまかと動き回り、いたずらばかりしていたヤンチャ坊主でした。

散歩中も、女好きのプニは、とにかく女性を見かければところ構わず追っかけまわします。

何かと手を焼くプニ。

そんなプニが大好きでした。

プニは私の寂しさを吹き飛ばしてくれる大事な存在となりました。

そして時は流れ、16年もの間、プニは私の傍に居続けてくれました。

しかしいつかは訪れる老衰。

プニにもその時がやってきました。

目が見えにくくなり、鼻もあまりきかない様子でした。

ただ、若い頃に比べれば足腰も弱くなったとは言え、
年を取ってもまだ、散歩にはでかけられたのはプニにとっても幸せな事でした。

しかし、命の火は徐々に消えつつありました。

プニの動く力が衰えていくのが目に見えてわかるようになりました。

そしてある日の夕方、仕事から帰ってきた時、プニが冷たくなっていました。

そのプニの姿を発見した時、その場で泣き崩れました。

いつかこの日が来るとは薄々感じてはいましたが、
もう少し生きていてくれる、大丈夫と思いながら、仕事へでかけていきました。

こんなことなら、仕事を休んで、プニの最後を看取ってやりたかった。

後悔の気持ちでいっぱいになりました。

プニがいなくなって、どっと寂しさが襲ってきました。

数か月が経ってもなお、心が沈んだままでいました。

そんな時、主人が新しい子犬を迎えようという提案をしてくれました。

プニも私がいつまでも落ち込んでいるよりも、明るく過ごす方が喜んでくれるに違いない。

そう思い、主人の提案を受け入れることにしました。

近々、新しい子犬がやってくる予定です。

今は、プニありがとうという感謝の気持ちを持ちつつ、
前向きな考えを持てるようになりました。

38歳男性 今いるほかの子との生活でペットロスを解消しました

38歳男性です。

4匹犬を飼っていました。

みんな兄弟ではありませんが妻と私は犬好きなので増えていきました。

毎日4匹の愛犬に癒され愛犬中心の生活を送り幸せでいっぱいでした。

1番上の子は19歳で亡くなりましたが、16歳の頃病気で急に歩けなくなり寝たきりになりました。

介護の始まりです。

床ずれができないように床ずれ防止用のマットレスを購入し、おむつを使用し食事を食べさせ水を飲ませたりと約3年介護をしました。

夜中でも水が飲みたくなったりおしっこをしたら、泣くので起きて水を飲ませてあげたりおむつを交換したりと寝不足にもなりました。

亡くなる半年ほど前からは夜泣きもひどくなり、何をしても泣き止まず私たちも体力的に辛かったですが、一番つらいのは本人だったのでしょう。

亡くなる1か月ほど前から食欲もなくなり色々工夫しながら少しでも食べれるようにしました。

亡くなる1週間前にはほとんど食べなくなり点滴に通いました。

先生からこれ以上は、効果は得られない時間の問題と言われた時には何とも言えない感情でした。

それでも生きようと一生懸命泣いている(もう声は出ていませんでした)様子を見ると胸が張り裂けそうでした。

最後は好きなおやつを1口食べ水をペロッとなめ大きく息を吸ってそのまま亡くなりました。

こんなにも悲しい気持ちになったのは生まれて初めてでした。

今にもまた起きてきそうな感じでした。

介護をしているときは大変なこともありましたが、亡くなって介護をする必要がなくなってから時間が余り、何をしてよいのかわからない状態になりました。

しかしまだ、3匹生きているので何とかペットロスになっている中でも日常の生活を送りました。

半年後、ようやく1番上の子がいない生活に慣れてきた頃に急に2番目の子が亡くなりました。

老衰でした。

あと2匹いますが、3番目の子も高齢です。

こんなに辛い思いをあと2回しなければいけないかと思うと辛すぎです。

私の経験からペットロスから立ち直るには新しい子を迎えるなどペットと過ごすことだと思います。

それ以外立ち直る方法はないような気もします。

私も今いる2匹がいなくなったら新しい子を迎えるつもりです。

40歳女 その子との思い出を毎日話しましょう

猫が大好きで三匹飼っていました。

現在は一匹いますがあとの二匹のうちの一匹を亡くした時ショックでその前後の記憶が何をしても悲しみと喪失感だったので同じ思いの方と分かち合えたらと思います。

その子はとてもおてんばなメスで田舎に住んでいることもあり外にも自由に出していました。

避妊手術もしてその子が2歳くらいの時、夜になっても朝になっても帰って来ないので心配したまま仕事に出かけたら、父から電話があり道路の反対側でうちの子が足が血だらけになって倒れているとのことでした。

車にはねられたのです。

父が病院に連れて行きまだ息はあったので仕事が終わってからすぐに病院に行きましたが何日か経って足の骨折だけでなく神経を傷つけてしまっていることがわかり、腰から下に感覚がないためもう自力で歩けないとのことでした。

神経が通っていないのでトイレの感覚もない。

1日何度かトイレを私たちがお腹を押して排便をする手伝う生活が始まりました。

木登りが大好きだったのに私のベッドにも自力で二本足で上がるのに一苦労でとても可哀想でした。

動かない麻痺した後ろ足の怪我を防ぐために私の部屋か二階だけで生活するようになりました。

私が出かけたり旅行以外はそれからずっと一緒の部屋で生活しました。

全てわたしか家族の力でトイレをして生き延びていると思うと本当に可愛いというかお世話のしがいがありました。

寝るときもほぼ私の腕まくらで寝ていました。

1日でもおしっこがでないと猫は死んでしまうから必ず家族の誰かが家にいなければなりませんでした。

そんな生活が10年ほど続いて、猫も高齢になりかけた頃、胸のあたりにしこりを見つけました。

病院に連れて行ったら乳ガンでした。

手術を勧められたとき、この子にもう麻酔や手術でカラダにメスをいれたくない。

二本足で10年生きてきて手術してさらに何年生きられるんだろうか。

家族もそれに賛成して余生をゆっくり過ごしてもらいたいと思っていたらその後1ヶ月半後くらいした頃急に元気がなくなり、そう思っていた2日後に呼吸がどんどん荒くなって亡くなってしまいました。

二本足でもすごく元気になって毎日ベッドによじ登ってきて一緒に寝てた子がそのベッドで苦しんでいる姿を見て最後何もしてあげられずに1日か2日でどんどん弱って死んでしまう姿、はじめて看取る愛猫の死に呆然とするばかりでした。

みんなで良くお世話したよねと慰めあいましたが同じベッドでいつもぬくもりを感じながら過ごしてた子が冷たくなり、その子が硬くなっていく姿はなんとも言い難いものです。

今もいる猫は可愛いですけど人間のベッドで一緒に寝ることを真冬でもしない子なので私の寝るときの寂しさのロスをうめるのには抱き枕でした。

また家族で毎日さみしいねとかその子の好きだった餌のこととかなんでもいいので思い出を語り合うことでその子を忘れていないこと、よくお世話したよねと話し励ましあうことで元気を得ています。

ガンの治療をしなかったことの後悔はありませんが、交通事故にあわせてしまったことは私たちが家と外を自由にさせていたせいで事故にあってしまったので今の子もそうですが、猫は飼うなら室内でが絶対良いと思います。

また思い出をどんどん話すとその子を忘れませんし写真や動画を見て懐かしむこともできるので生きているうちにその子の写真や動画をたくさん撮っておいて良かったです。

最近新たに子犬を迎え入れました。

全く猫とは違いますが新しい子を迎えることも気分が全く変わって良いと思います

47歳・女性「訳あり犬を我が子にして命を救ってペットロス克服」

現在40代後半の主婦で、小さい時からいつも犬と一緒の生活が当たり前の家庭で育ちました。

今から12年前に、大型の新築マンションに引越しをしたのですが、昼間は当時1歳の娘との生活で、見知らぬ土地ですし、友達もいないので、うつ病になりました。

たまたま出かけたホームセンター内にペットショップがあり、犬嫌いの主人が飼うことなんて許してくれないと思っていると、腸ヘルニアで売れ残っていて、しょんぼりとしている白いロングコートチワワと出会いました。

ちょうど引越しをしたマンションが「ペット飼育可能、ただし小型犬に限る」となっていたので、主人も私の病気が少しでも楽になればと、飼うことを許してくれて、我が家に連れて帰りました。

名前は「いちご」と名付けて、娘の妹のように可愛がりました。

寂しがりやで大人しく、いつも私の足元にいるかわいい子でした。

ヘルニアは治ったのですが、7歳になり、フィラリアの検査をしている時に、心雑音があることがわかり、エコーなどの検査をしたところ、「僧坊弁膜症」とわかり、投薬での延命しかないと宣言された時は、娘と私で病院で泣きました。

時々、「ゲホ、ゲホ」と咳き込みが激しい時があり、気にはしていたのですが、この激しい特有の咳き込み方が「僧坊弁膜症」のワンちゃんがすることと知りました。

咳き込みがひどい時に、もう少し早く連れて行って、診察を受けていれば、よかったのかと思うと、そうではなく、僧坊弁膜症を発症すれば、もう延命措置しかないと説明を受けると、もう大事にするしかないと決めました。

毎日1回薬を飲ませて、薬が切れそうな時に診察に連れて行く生活が3年間続きました。

薬がなくなれば、心臓の弁膜が止まって死んでしまう、その恐怖が毎日続きましたし、薬を飲ませていても、完全な延命措置ではありませんから、毎日毎日が愛おしくてなりませんでした。

しかし、別れは突然やってきました。

ちょうど中学受験をする娘の出願日の前日(2016年12月22日)に、「ママ、いちごちゃんの様子が変だよ」というので、様子を見ていると、おすわりをしていてもフラフラしているので、翌日に受験の出願はインターネットからできるので、出願を済ませてから病院へ連れて行くことにしていました。

そして翌日の12月23日、パソコンに向かって娘とネット出願をしていたのですが、突然いちごちゃんが倒れて泡を吹き出しました。

これは危険と判断して、近所に住む実家の父に車をお願いして、動物病院にも緊急診察の連絡をいれ、私がいちごをタオルで包んで抱っこして、急いで動物病院へ向かいました。

しかし、車の中で痙攣を起こして、泡をますます口から出して、冷たくなっていき「いちごちゃん!もうすぐ病院で先生に診てもらおうね」と声をかけましたが、車内で息を引き取り、動物病院で死亡確認をしていただき、泣きながら帰宅して、ペット専門の火葬会社に火葬をお願いしました。

延命しかなく、健康体に戻ることは絶対にないと宣言されて覚悟はしていのですが、突然の別れで、そして自分の胸の中で息を引き取ったので、かなりショックで泣きました。

娘の中学受験もあって、精神面に影響がでないか心配しましたが、「いちごちゃんのために、頑張る」とその後勉強を頑張り、見事志望校に一発合格をしました。

合格したのはよかったのですが、いつもいた「いちごちゃん」がいないということで、時々涙を流す娘には心が痛みましたし、私もふとした時に、自分の胸の中で死んだ「いちご」の顔を思い出すと、涙が止まらず、中学校の準備で出かけるのもつらくて、普段の生活も何もしたくないと感じました。

そして、4月に娘が中学校に入学してから、ふとペットショップに立ち寄った時に、「いちご」と同じような境遇のチワワの子を見かけたのです。

その子は、「目立たないうけ口」ということで、血統はいいのに、うけ口という理由で売れなくて、もう売れなければペットショップの人が引き取ることになっていたということを、店員さんから聞き、娘が抱っこして、いろいろと話を聞いていると、すっかり娘になついてしまい、ついに「いちごちゃんがまた来てくれた!この子を妹にしたい!」と言い出しました。

主人とどうしようかと悩んだのですが、ワンちゃん自体も娘にすぐになついて、離れたくないとぴったり寄り添うので、そのワンちゃんは「いちごちゃんの生まれ変わり」として、我が家の子にすることにしました。

しかし、その後、この引き取った子が食物アレルギーもちとわかり、病院でしか買えないフードで生活させているのですが、ひとなつっこい性格で、「いちご」とはまた違う性格なので、娘にも笑顔がもどり、私もふとしたことで涙を流したり、日常生活に不便さを感じなくなりました。

新しい子を迎えることで、ペットロスを解消するというのは、いいのかどうかはわかりませんが、「いちご」も障害を持っているということで、我々と出会い、そして新しくやってきた「マロン」は食物アレルギーとうけ口というハンディキャップを持っているので、我が家には、そういう訳ありの子がやってくるというご縁があるのかもしれません。

ハンディキャップをもつ犬を嫌がる人は多いと、店員さんからお聞きしましたが、私は、ハンディキャップをもつ犬ちゃんとの出会いで、かわいそうな子を救ってあげて、ペットロスを克服しているのだと感じます。

犬好きですし、保護犬にも興味はあり、もし余裕があれば、保護犬を我が子として引き取って、大事にしてあげたいです。

保護犬・保護猫を引き取ることも、ペットロスを乗り越える方法かもしれません。

36歳女 犬と猫のペットロスから立ち直ったきっかけ

30代の専業主婦です。

3年ほど前に愛猫を亡くし、約1年前には愛犬も亡くしました。

私は猫が昔から大好きでしたから、特に愛猫をなくしてからは長い間喪失感がありました。

その猫は、私がある時から道路上で毎日見かけるようになり、食事はとっているのか、怪我してないか、車には気をつけないとなど、ほっとけなくなってしまい室内で飼うことになりました。

茶色と灰色と白色の三色のまだら模様の変わった猫でした。

しっぽはボブテイルと言って、くるくると丸まっています。

その個性的な風貌は、時が経つほどに愛しさを感じさせました。

やんちゃな女の子でしたが、人間のような喜怒哀楽があるところも愛していました。

寂しい、イライラする、甘えたい、そんな感情が見て取れるわかりやすい猫でした。

よく明け方に私の所へ来たので、腕枕をして一緒に寝ていました。

よだれを垂らしてぐっすり眠る姿は今でも忘れられません。

徐々に年を取ってきて老衰で亡くなってしまってから、私はいつも通り生活をしていました。

しかし、その猫の温もりを感じられない、もう会えないと言う感覚もしっかり感じ、寂しかったです。

そして、最近子猫を飼うことになりました。

家に来てくれた子猫は、私がかつて愛した、亡くなってしまった猫によく似ています。

今、新しい子猫が来て半年以上経ちましたが、ペットロスの寂しい感覚や辛い感覚はほとんどありません。

私の周りにもペットロスで辛い思いをしている方は少なくありません。

その人の気持ちや感覚というのは、その人にしか分からないもので、外からコントロールできるものでもありません。

しかしもし、動物との新たな出会いがあるのであればそれを受け入れてみてください。

そうすることによってペットロスの辛さが和らぐ可能性があります。

人も動物も必ずいつかは亡くなります。

生きていくということは、動物の死を見送り続けるということなのかもしれません。

ですが、死が全てではないことも事実です。

今生きている動物や植物、なんでも構いません。

是非そちらに少しだけ目を向けてみてください。

27歳女、新しい思い出を新しい家族と作りました

私は1歳の頃から犬と一緒でした。

初めての犬は保健所から連れてきた雑種犬でした。

兄が駄々をこねておじいちゃんがあと1日しか余命がなかった子を選んできました。

外飼いの雑種でしたがとても頭のいい子で、幼い私が迷子になっても見つけて連れ戻してくれたりしました。

私が小学生の頃から毎朝の散歩は私の日課で毎日一緒でした。

私が16歳になると犬も16歳、犬はお腹に腫瘍ができ通院していましたが16歳の冬ご飯を持っていくと倒れていて父に抱っこされ安心したところで息を引き取りました。

外飼いだったこともあり寂しい思いも怖い思いも沢山したと思います。

たとえば私たち家族が知らないところでカラスにイジメられたり、新聞配達の人にイジメられたりしてたみたいです。

近所の人が助けてくれたりしましたが、室内飼いであればイジメられることもなかっただろうととても後悔しました。

もっと遊んであげて、もっと色んなところに出かければ良かったと思いました。

学校に行ったら泣くのを我慢してたりしましたが友人に、「その子は幸せだったね。

」と言われた瞬間に涙が止まりませんでした。

今でも思い出したら涙が出てきます。

ずっと可愛がってきて家族だった子が死んでしまうと何をしていてもその子のことが頭の中を過ぎりますし常に目に涙が溜まりました。

その時にこのままではダメだと思い私はその子の分ももっともっと幸せになる子を!と、その後2匹迎えました。

1匹は子犬のときには不整脈で、成犬になってからは心臓病(肥大)と脾臓にガンが見つかり通院しながら先生と話し合い無理をさせない範囲で色々な場所に連れて行って思い出を作りました。

とても良い先生に出会えて危なかったときも寝ずに治療して頂いて、家での過ごし方などもアドバイスしてくれたりケアも教えてくれ、息を引き取るときは出来る事はしたので後悔はしませんでした。

もう1匹は健康でディスクやアジリティ、いろんな大会に出てみたり一緒に競技をして思い出をいっぱい作っている最中です。

後悔しているならば新しい子を迎えるのもいいと思います。

迎えるのに抵抗がある方もいると思いますがなによりも癒されるます。

犬の優しさに触れることができる嬉しさ、また新しい家族と新しい思い出を作るのもいいと思います。

47歳女性新しい子猫を譲渡会で譲り受け飼い始めました

日本と海外両方転勤で転々としている転勤族です。

家族は夫婦と子供が一人です。

子供が生まれる前海外に住んでいたころ主人が出張がちで家にほとんどいませんでした。

新しい国に入国して日が浅く親しい友達もいなかったため寂しい時間を過ごしていました。

住んでいた場所がコンパウンドという塀で囲まれた一軒家が立ち並ぶ大きな区画の中でした。

プール、店、病院、レストランなどが備わるコンパウンドで中は治安もよい場所でした。

猫が可愛がられていた国柄もあり野良猫が多く住んでいました。

また気候は年中暑いので猫にとっても外での生活はしやすい環境でした。

日本のように迷惑がられていない野良猫はとてもフレンドリーでしたので寂しい時間を過ごしていた私の家にも時々猫が遊びに来ていたのでご飯をあげたりして仲良くなりその中の一匹を飼うことになりました。

その後転勤で日本、海外、行ったり来たりしましたがそのたびに連れていき16年ほど一緒に暮らすことができました。

最後は海外から日本に帰国しました。

高齢ということもあり長いフライトが不安でしたが何とか頑張ってくれました。

海外からペットを連れて帰るには狂犬病の注射、血液検査のあと6か月の待期期間が必要になります。

海外で待機するのですが突然転勤が決まったため6か月より早く日本に帰国することになり猫だけ成田の係留施設で待機することになりました。

先に家を決めあと1か月少々で我が家に迎え入れられるというとき係留施設で息を引き取りました。

もともと野良猫さんだったので正確な年齢はわかりませんが私たちと一緒に生活したのが16年。

野良猫時代に子供もウンでしたので十分長生きだったと思います。

最後に家につれていけなかったことが残念でしたが野良猫だったらもっと短い生涯だったはず、と後悔しないようにしています。

係留施設の方も何度も写真を撮って送ってくださいましたし会いに行ったときは丁寧に対応してくれてお骨もきれいな入れ物にいれて送ってもらいました。

骨壺を見ているといろいろな後悔や悲しみが襲ってくるのですぐに保護猫譲渡会に行き新しい子猫を迎え入れました。

もといる猫さんが亡くなってすぐになんてとか何日過ぎたらと気になさる方もいるかもしれませんがペットロスは日にちが解決することはないと感じたので私の場合はすぐに子猫を迎え入れました。

結果、子猫の愛くるしいしぐさで亡くなった猫と子猫を比べて家族でお話することもでき良かったと思います。

26歳女、新しい犬を迎えてペットロス解消

はじめまして。

大阪府在住のキラキと申します。

私は和歌山県出身で、結婚を機に大阪府に移住しました。

私が初めてペットを飼ったのは、小学生の頃でした。

当時私は、通っていた小学校のバレーボールクラブに所属しており、練習試合で知り合った隣町の小学校の友人から子犬を貰いました。

友私も家族も、初めてのペットで喜び、子犬をラッキーと名付けて大事に世話をしていました。

ある朝、私がラッキーの散歩から帰り、抱きかかえようとした時に逃げ出してしまい、行方不明になりました。

近所を探しましたが、両親は仕事で私も学校の時間が迫っていたため、それ以上探しに行くことが出来ませんでした。

授業が終わって帰宅すると、母が携帯を持ったまま泣いていました。

理由を尋ねると、ラッキーが国道で車にひかれて亡くなっていたと、役場から連絡があったからでした。

私も母と一緒に泣き、落ち着いてからラッキーの遺体を役場へ確認しに行きました。

役場の窓口でラッキーの遺体について伺うと、ラッキーが身に着けていた首輪とリードを渡され、愛犬の物で間違いなければ確認は以上で、愛犬のためにも綺麗な思い出のままでいてあげてほしいと、役場関係者からの気遣いでした。

私は、ラッキーが亡くなったのは、あの時私がラッキーを抱きかかえようとしたせいだと、自分を責めました。

ラッキーのことを考えると、一緒に過ごした思い出が溢れるのと同時に涙も止まりませんでした。

ラッキーが亡くなって2週間ほどした頃、家族と出掛けた際に立ち寄ったホームセンターでペットショップを見つけ、家族でラッキーの小さかった頃の懐かしい話をしながら、ケースの中の子犬を見ていました。

帰宅後、父と母が揉めているような会話が聞こえたので耳を澄ませてみると、父が先程訪れたホームセンターのペットショップの子犬が気になっているらしく、それに対して母は、まだラッキーが亡くなって1ヶ月も経っていないのに新しい子犬を迎えるのは、亡くなったラッキーが気の毒だと話をしていました。

それを聞いて、私も母と同意見でした。

ラッキーが亡くなったのは自分のせいだと思っていたので、子犬は可愛く思えても、新しい子を迎える気持ちにはなれませんでした。

それからラッキーが亡くなって1ヶ月が経とうとした頃、学校から帰るとテーブルの上にケーキの箱が置いてありました。

おやつのケーキだと思い箱を開けてみると、中には毛が黒い小さな動物が入っていました。

私は驚いて悲鳴を上げると、近くにいた父が笑っていました。

母が私に真剣な表情で、父が母と私のために新しい子を連れてきたそうで、ラッキーの時と同じように大事に育ててあげようと話をしてくれました。

私は父の気持ちは分かりましたが、喜んでいいのかは分からず、複雑な気持ちでした。

しかし、ラッキーと同じように、生まれてすぐに親から引き離され、新しい環境に来た子犬の気持ちを考えると、大事に育ててあげないといけないという考えに切り替わりました。

父が連れて帰ってきた子犬は、ミニチュアダックスフンドでした。

私は母に本屋に連れて行ってもらい、ミニチュアダックスフンドの飼い方の本を買いました。

本を読み進めるうちに、ラッキーが生きている間にしてあげたかったことや、ラッキーに対してしてはいけないことをしていたなどと、犬について今まで知らなかったことがたくさんありました。

また、私がラッキーを抱き抱えようとした時、ラッキーは驚いて逃げてしまったのではないかと思い、過去の自分の行動を反省しました。

人間も犬も、痛い思いや悲しい思いをしながらではなく、幸せだったと思いながら亡くなるのが理想ではないかと考えました。

そのため、ラッキーのような亡くなり方にならないよう、新しく迎えたミニチュアダックスフンドをキラキと名付け、大事に育てようと思いました。

そのキラキは今年で14歳になり、家族のスリッパやメガネなどを盗んでは、自分のテリトリーに隠しすいたずらっこです。

ごはんの時間になると、可愛らしく首を傾げながらおすわりをし、賢く待っているアピールをしています。

そんなキラキと過ごした時間はあっという間でしたが、その背景にはいつもラッキーがいました。

ラッキーにしてあげたかったことをキラキにしてみたり、キラキが楽しそうにしていたり喜んでいたりすることで、少し気持ちが救われた気がしました。

ラッキーが亡くなったことは今も悲しいですが、キラキがいてくれて良かったと思います。

世話をするのは大変でも、一緒に過ごす時間はかけがえのないものです。

これからもたくさん思い出を作っていきたいのと思うとともに、長生きしてほしいと願っています。

ペットは家族同然と思う方は多いのではないでしょうか。

ペットとのかけがえのない時間を、ペットと一緒に楽しく大切に過ごしてほしいと思います。

体験談

Posted by 管理人