新しい子でペットロスを克服した体験談
40代女性 ほかの子と関わることにより気持ちが変わった
ミケと初めて会ったのは13年ほど前でしょうか?近所の野良猫で人懐っこい性格でしたので子供たちの良い遊び相手でした。
ある時、近くの家の人が「保健所を呼ぶ」と話していた事を聞いた子供たちが、我が家に助けを求めに来た事が切っ掛けで飼い始めました。
ミケは5歳でしたが、子猫と間違えるほどの小柄な猫でした。
10年ほど一緒に暮らし、2か月ほどの介護生活で旅立ちました。
ミケを看取ったあとはあまりに辛く、二度と猫は飼わないと決めました。
でも、毎日のようにミケのお気に入りだったベットの上、クッション。
ソファーを見に行ってしまい涙がでました。
ブラッシングした際に取っておいた毛を洗い、干して、瓶に入れ、首輪と一緒に置き、いつもそこにいるミケを可愛いかわいいと、撫でました。
ある日、娘が「動物の保護施設を見に行きたい」と言うので私も興味があり、一緒にいった所、一匹の猫に娘が惹かれました。
顔立ちの綺麗なほっそりした猫でしたので、直ぐに貰い手は見つかるだろうなと思っていましたが、もう随分長く施設にいるとのこと。
娘が気に入った事もあり、話を聞くと「猫エイズ」「白血病」の反応が出た猫だそうで・・・。
猫を飼うつもりはなかったのでその日は帰りましたが、保護施設の猫が忘れられなくなりました。
「病気持ちと、言うことは一生あの狭い檻にいるのか?」「発病したらどうなるのか?」「安楽死?保護所が最後までちゃんと介護する?」ミケの時にお世話になった動物病院に聞きに行ったところ「白血病は2年で死ぬからやめた方がよい。
猫エイズだけならワクチンでまったく問題なく普通に寿命を全うできるけどね。
子猫なら反応が出ても変わるから次、検査したら陰性かもね」と言われ、ますます考え込むようになりました。
「あの猫は生きて2年。
一生、あの狭い檻の中なのか・・・」心の中に引っかかって、私は一生この引っかかりを持って生きて行くのかと思ったらそれも辛くなりました。
3日ほど経って保護施設から電話があり「先日お話した猫を再検査したところ陰性でした」と聞き驚きましたが、動物病院の先生の「子猫の反応は変わるから、一回陽性が出たなら持ってる確率は高い」との言葉も忘れられず。
しかし、「この引っかかりを持って生きて行く」のも辛いと思い、すぐに引き取りに行きました。
新しく猫を迎えることのなにが辛いのか・・・と、考えたところ。
やはり「死ぬこと」他に「ミケのいた場所が上書きされて思い出が薄れるような気がしていた事」でも、違うんですね。
上書きはされない。
ミケはちゃんとそこにいて、新しい子のお気に入りの場所は全く違う場所。
二匹ともまったく違うんですね。
思いもよらず「保護施設」の見学に行った事から新しい子を迎える事になりましたが、施設に行ってからミケが死んで辛い・・・との気持ちよりも「楽しかった事」を思い出すようになり、新しい子にも短い期間でもあの楽しさを共有したいと気持ちが変わりました。
新しい子をきちんと検査してもらったら白血病も猫エイズも持っておらず、ホッとしましたが別の病気がみつかり、今は月1で注射が必要で大変ですが、とても楽しく暮らしています。
47歳 女性 クロのペットロスを癒してくれたのは新しい子犬
私は動物が大好きで、犬、猫、ハムスターにインコ、フェレットにカメ、金魚にリス、うさぎなど沢山の動物たちと暮らしてきました。
そんな中で忘れられない犬が雌犬のクロです。
私が幼い頃に叔父が捨て犬を拾って来て、我が家に置いて行ったのがクロです。
実際は黒くはなくて、柴犬の雑種のような茶色の犬でしたが、家族の誰かが適当にクロと名付けたのでしょう。
いつからかは記憶はありませんが、小さな頃から一緒に過ごして来ました。
クロの好きな言葉は「さんぽ」体の大きなクロは散歩の時は私をぐいぐいと引っ張り、何度か転ばされたこともあります。
でも、私がわざと死んだふりをすると、心配してくぅーんくぅーん鳴きながら起こしてくれる優しいクロでした。
泣いているときは涙を舐めてくれて、喜ぶときには一緒にジャンプして。
お留守番が大嫌いで、出かける私たちを恨めしそうな悲しい目をするクロ。
お風呂も動物病院も注射も大嫌いでブルブル震えていた。
学校の給食の残りはクロのためにこっそりと持ち帰り、食べさせました。
食べきれない食べ物は、土を掘って隠していましたが、その後はたぶん腐ってしまっていたんじゃないかなと思います。
誰もいない広い高原に連れていき、リードを外してあげるとと耳を後ろにそらせ俊敏に駆け回り「見て!見て!」と得意そうにしていたクロ。
私はクロと一緒に成長していきました。
一時期、友達と遊ぶことに夢中になりクロをかまってあげずに忘れてしまっていたことがあります。
クロは毎日、おかえり!おかえり!会いたかったよ!って鳴いて尻尾を振ってくれていたのに、私はほっといてしまっていました。
クロどんなに寂しかったかな、私には友達がいたけれど、クロには私たち家族しかいなかったのに。
そのうち、クロはだんだんおばあちゃん犬になっていきました。
中年太りになりお腹が下がり、毛艶もなくなりボサボサになって、ハゲもできていきました。
それでも食欲はあり、りんごもキュウリもバリバリ食べていました。
徐々にボケが始まりました。
家族の帰宅を間違えて、他の人と間違えてワンワン吠えてしまい「あ!間違えた」としょぼーんと謝る様子などがありました。
さらに足元がおぼつかなくなっていきました。
それでも「さんぽ」は大好きで、「さんぽ」の言葉を聞くと喜ぶ姿が愛おしかったです。
ほとんど歩けなくなって、抱っこでも散歩は続けました。
そんなある日、クロが横になったまま動かなくなっていました…あ、生きてる。
声を掛けると動けず、目も開かないのに尻尾だけ振ってくれます。
あぁ、クロ返事してくれてるんだね。
クロクロ…そのまま徐々にクロは動かなくなって虹の橋を渡って行きました。
クロは水仙やマーガレットの咲くお花畑に眠っています。
その後、家族はみんなペットロスになりました。
犬小屋を見ては泣き、首輪を見ては泣き。
それからしばらくたち、同級生の家で犬が生まれたので見に来ないかという話がありました。
もうあんな悲しい思いはしたくない、もう辛い思いはしたくないと思いながらも、見に行ってしまいました。
かわいいむくむくした子犬!見ちゃったら…飼いたくなります。
そして新しい家族が出来ました。
クロのことはその後も何度も思い出し、涙したけれど新しい家族が出来たことにより悲しみから抜け出すことができたのだと思います。
ありがとうクロ。
私が虹の橋に行ったら迎えに来てね。
その後も沢山のペットを見送りながらも、また新しい家族を迎え入れて幸せをもらっています。
今悲しみの淵にいる方も、もしかしたら、新しい家族を迎え入れることによりペットロスから立ち直れるかもしれません。
沢山の愛をありがとう。
40歳女性 新しい愛猫を迎えてペットロスから立ち直れた
まだよちよち歩きだった頃に保護して、家族になった愛猫でした。
15年間、大病をすることもなく手のかからないいい子だった。
ある年、いつものように予防注射で病院を訪ねたら「高齢になってきてるし1度健康診断しましょう」と先生に言われ血液検査をしました。
結果は腎臓が悪くなってきているとのこと。
それから2か月ほどで急に容体が悪化し、病院に点滴に通いながらもどんどん痩せていきました。
そして1か月ほどしたころ手を繋いであげながら最後の瞬間を迎えました。
あっという間に逝ってしまって、数か月は何をしても涙が流れていました。
この記事を書いていてもまた涙が出てきます。
あの子がいなくなった部屋に、いつまでもあの子の存在がありました。
ちょっとした物陰が、あの子に見えました。
辛くて寂しくて堪りませんでした。
これがペットロスか・・・とぼんやり考えていました。
自分では浮上できないし、浮上するための努力をしようとも思いませんでした。
ずっと忘れずに考え続けていたいって思っていました。
1年が過ぎた頃、やっぱり猫が好きで、新しい家族を迎えようかと考えるようになってきました。
でも・・・あの別れを再度味わいたくないという思いが拭えずどうしても踏み出せないままでいました。
そしてさらに1年が過ぎた頃、急に今の子が家族になったのです。
朝、目を覚ますと子猫の鳴き声が聞こえてきました。
ベランダから外を見ると小さな子猫がヨタヨタと、私たちの住むマンションの駐車場へ入ってくるのが見えました。
旦那と一緒に様子を見に行ってみることにしました。
うちのマンションには立体駐車場があるんですが、さっき見かけた子猫が見当たりません。
どこに行ったのかなと辺りを探すと立体駐車場の地下部分に落下していました。
一人では這い上がってこれない様子でウロウロしていました。
「おーい、大丈夫??」って声をかけると一生懸命近づいてきます。
なんとか救出してみると目を傷めたのかほとんど目を開けれない状態の子でした。
こうして保護してから、我が家の子として迎えることになった新しい家族。
驚くことに、それまで前の子のことでずっと心が辛かったのがキレイに流れていったかのようになったんです。
思い出として心にずっと居続けているのは変わりないけど、新しい子を迎えることでペットロスから立ち直ることができました。
ペットは家族です。
先に逝ってしまうことは、その子の人生をしっかり見届けてあげられたということです。
別れは辛いけど、一緒に幸せを作れたと信じています。
どうか今、ペットロスで苦しんでいる人に届きますように。
40才女 新しい出逢いが癒やしてくれた
40代フランス在住の女性です。
30代始めには仕事の関係でベルギーに住んでいた頃に私とモモは出会いました。
出会ったのは大阪市が運営している動物保護施設のホームページです。
捨て猫で保護された時にはもう1才は超えていて、飼い主を募集するも1年以上も見つからず、あと数週間で殺処分されてしまう事がホームページに明記されていたので急いで保護施設に電話しました。
一時帰国の際に必ず引き取りにいくので殺処分は止めて下さいと。
私の一時帰国の日は殺処分の日を過ぎてしまっていたのですが、必ず迎えに行きますからと懇願し、受理していただきました。
日本に帰国した翌日に早速両親と共に保護施設に向かいました。
大阪と言っても家からはかなり遠い山奥にある施設でした。
施設に入ると中には20匹くらいの猫が保護されていて子猫も沢山いました。
中に入ると奥の方からダッシュで飛びついてきて足元にまとわりついて離れない猫が、私が殺処分されないようにお願いしていた「モモ」でした。
会った事もないのにまるで私が来るのを待っていたかのように、ずっと私の周りを離れず、飼育員の方や職員の方も驚いていました。
両親は他にもっと可愛い子猫もいるからわざわざ成猫じゃなくてもいいのではないか、と言われましたが私はもうこの子が運命の猫だとs信じ連れ帰る事になりました。
私にべったりな猫で毎日私の帰りを玄関で待ち、寝る時もずっと一緒でした。
モモと暮らす毎日は楽しくてたまらず、仕事のストレスも家に帰ると吹き飛ばしてくれました。
ある時、家に帰るとモモがなんとなく元気が無く、ご飯も食べないので病院につれて行きました。
先生によると「何の異常も無いよ。心配しすぎだよ」と。
家に連れ帰り様子を見る事にしました。
翌日起きるとぐったりとしていてまたご飯を食べず。
ただ先生に大丈夫と言われたのと仕事を遅刻する訳にも行かず、会社に向かいました。
定時で仕事を終えダッシュで家に帰ったらもう力無くぐったりしていたのですぐに病院に向かいました。
先生に看てもらうと、先生の顔色が変わり「体温が低すぎる」と言われ、緊急入院。
翌日病院から亡くなったとの電話がありました。
夕方迎えに行き連れ帰りましたが一晩中涙と嗚咽が止まらず。
死んでしまった理由も分からず。
その翌日には火葬してきました。
それから1週間ほどはもう何をしていても涙がでてしまう毎日でもう死んでしまいたいくらいでした。
ある日ペットロス解消方法をネットで調べていたら「新しくペットを迎えた方がいい」と書かれていたので里親募集のサイトでモモに似た猫を見つけて引き取る事にしました。
新しく猫を迎えると気も紛れ泣く事もあまり無くなりました。
今も元気で私のそばで甘えています。
ペットを亡くすと辛いです。
ただもう辛い思いはしたくないとペットを飼うのを止めずまた新しい子を迎えて欲しいです。
日本には殺処分で毎年何万匹もの犬や猫が亡くなっています。
その子達に手を差し伸べる意味でもはペットは飼い続けて欲しいと思います。
43才女性、生まれた時からの家族との別れと新しい出会い
40代独身女性、パートナーと二人暮らしの会社員です。幼い頃からペットがそばにいる環境で生活してきました。実家は鳥、犬、2~3匹の猫が常にいる状態で、私も幼い頃から動物好きでした。特に猫は、一番身近な家族・友達として、いつもそばにいてくれる存在です。その家族と、最初に別れを経験したのが15才の時です。ヤス、という名のその子は、年老いたヤス猫でした。彼女のオレンジの短毛は、いつも乾いた草とお日さまの匂いがして、私はその背中に頬をつけてクンクンするのが大好きでした。その頃、私の家には不登校の弟がいて、暴力がひどくなる時期が続きました。毎日殴られては家を追い出されて外で泣いていた私に、お日さまの匂いのするヤスのふかふかの毛は、心を落ち着けてくれる存在でした。外で一人、親にも誰にも助けてもらえず、飼い猫のお腹に顔をつけて泣いていた私にとって、なにも言わずあたたかなお腹を提供してくれるヤスは一番の理解者だったのです。ヤスとの別れは突然でした。ある雨の日、いつも帰ってくる時間になっても姿が見えないのです。少し心配でしたが、どこか遊びにいってるのかな?明日になったら帰ってくるかな、と、その日は思いました。しかし、その翌日、翌々日になってもヤスは帰ってきません。外で餌を持って「ヤス~、帰っておいで~!」と一生懸命呼びました。近所の草むら、裏山にも探しにいきました。「ヤス、年寄りだったからね、死んだのかも」と母が言いました。「絶対死んでないもん!生きてるもん!」と泣きながら母に言いましたが、どこかでひっそりと倒れている姿を想像したら、本当につらかったです。しばらく食事を取ることができなくなり、テレビを見ても何を見ても楽しい気持ちになることが出来なくなりました。暴力でつらい日々が続いていた私にとって、身近な家族よりも、ヤスの方が私の心に寄り添ってくれた存在だったからです。もっと一緒に遊んでいればよかった、とか、もっと美味しいものを食べさせてあげればよかった、もっとなでてあげればよかった、もっとそばに居ればよかった。ヤスがいなくなった日々から、私を助けてくれたのも、小さな猫でした。我が家の車庫に捨てられていたその子猫は、大人だったヤスとは違い、やんちゃで、あちこちに粗相をするし、ひっかくし噛みつく。でも、ご飯を食べてすやすや眠る姿は、すごく小さく弱く、でも命の塊みたいな温もりがあり。毎日学校から帰ったら、やんちゃな子猫に振り回される日々に、いつしかまた笑えるようになりました。動物は、どうしても人間より寿命が短いです。側にいられるのも、人の人生と比べたらわずかな時間。でも、何より無条件に愛せるという幸せを感じさせてくれる存在です。ペットを亡くすと、家族を亡くしたのと同じように感じ、「もう猫なんて飼わない」と思う人も多いと思います。私もそうでした。でも、命が短いからこそ教えてくれることもあります。短い命のこの子たちが、私のそばに来たのも縁だと思います。もし、もう飼わないと思っていたあなたのそばに、新しい家族ができる機会があったとしたら、そばに迎えてあげて欲しいと思います。
31歳女 猫を失った悲しみは猫が癒やしてくれた
保護施設でみつけておうちに迎えたねこを、4ヶ月足らずで亡くしました。おうちに迎えた当初から猫が病気であることが判っていたのです。猫は多頭飼育崩壊の現場から保護された猫エイズキャリアで、発症して末期の状態でした。先が長くないかも知れないと判りつつ、どうしても私はほかの猫ではなくそのねこがおうちの猫になって欲しかったのです。おうちに迎えてからのねこはみるみる痩せていき、お腹は病気の為に膨れて毛をむしられた鶏のようになっていきました。そして4ヶ月足らずでわたしの膝の上で亡くなりました。それからは毎日悲しくて悲しくて、あんなにかわいい生き物が死んでしまった事が理解できませんでした。生活にはぽっかり穴が空きました。大好きだったねこのいない暮らしは決して充実したものではありませんでした。とはいいつつ、猫を飼う気は少しもありませんでした。猫との暮らしは充実していて大好きでしたが、当時は一目惚れしてどうしても一緒に暮らしたかったねこを亡くし、私はもう生涯猫を飼うことは無いと思っていました。今後一目惚れして、大好きになる猫なんてあらわれないと思っていたのです。とはいいつつ、日が経つにつれて、猫は飼わないにせよ、猫は見たい、猫に触りたいと言う気持ちになってきました。私は再び保護施設に通い始めました。猫が私と同じ空間にいるだけでその時間は充実した時間になります。猫とふれあううちに、やはりわたしには猫が必要だと思うようになりました。そのときに出会ったのが、現在私を癒やしてくれているネコです。保護施設でタイミングが合い出会いました。ねことネコは尻尾が長く、毛色が同じです。顔や目の色は違うものの、同じ色の猫を飼うことに少し後ろめたい気持ちもありましたが今はこのこと出会えて良かったと思っています。ネコは亡くなったねこよりもさみしんぼですこしお茶目で、ドジなこです。前のこがしっかりしているこだったので、今はこの違ったかわいさに癒やされ日々を過ごしています。