亡くなったペットと会いたい!ペットロスの方の体験談
行方不明になった愛犬 似た犬を見ると20年たってもまだ目で追いかけてしまう
中学校3年の秋、ちょうど高校受験の準備が本格的に始まる頃に、私が物心ついた時から12年間一緒に過ごした愛犬のシロが急にいなくなりました。我が家は田舎の一軒家で庭が広いこともあり、外で飼っていたのですが、夜以外はシロを鎖でつなぐことはなく自由に過ごさせていました。人懐っこく、近所の人にも可愛がられる人気者の犬でした。そんなシロがある日いつものように家の周りを散歩中に急にいなくなったのです。私達家族はみんなで一生懸命に探しましたが一週間経ってもシロが帰ってくることはなかったのです。近所の人の心配してくれ、一緒に探してくれましたがやはり見つかりませんでした。そんな時、家向かいに住む当時100歳近いおじいさんが、犬も死期が近いといなくことがまれにあるから、きっとシロもそれでいなくなったんだよと教えてくれました。確かに、シロは人懐っこいお調子者ではありましたが、同時に警戒心が強く、危ないものには近づかないというバランスの良さも持ち合わせている賢い犬でした。そしてこの田舎の環境では、もし事故等であれば、近所の人が見かけているでしょうし、全く消息が不明というのはとても不思議でした。シロの亡骸もない状態で、突然の別れとなってしまったことに心の準備が追い付かず、とても悲しかったです。家族はそのうち、しょうがない、シロはきっとどこかで安らかに眠って自然に帰っていったんだと前向きに考え始めていましたが、私はシロに会いたい想いでどうしても現実と向き合うことができませんでした。20年近く経った今、あの時生きていたとしても、今は生きているわけがないシロですが、道端で似た犬を見かけると今でも無意識にシロを思い出す日々です。
やっぱり、ペットは家族だと思います
これは、私が中学生のころ飼いはじめた犬のお話です。名前はコウスケと名づけていました。元々は捨て犬で、私の父がたまたま散歩していた農道で出会ったようで、ひとなつっこくついてくるので、連れて帰ってきたのが、きっかけです。私の家では、動物と言えば猫しか飼った事がなかったので、コウスケが来た時はうれしくて、うれしくて、何度も犬小屋へ行ってさわっていた記憶があります。コウスケは、ガンでなくなるまでの10年間、私達家族と一緒に色々な景色を見たと思います。外で飼っていて繋がれていたけど、行儀もよく番犬としても沢山活躍してくれたのです。小さい頃は、ペットはペットだと思っていましたが、わたしも大人になりペットも家族なんだなと感じることができたのは、コウスケとの別れがあったからだと思います。亡くなったのは早朝、夜も家族みんなで、様子を見に行き、最後はみんなに看取られて、天国にいきました。もう、あのコウスケに会えないと思うと、どうして良いのかわからなくなるぐらい、悲しかったです。あの鳴き声が聞けないと思うと寂しかったです。力強くリードを引っ張るコウスケに会いたい。もっと散歩に行けばよかった。そんな事ばかり考えていました。ぽっかり空いた家族の穴は、なかなか埋まるものではなかったです。もうあれから10年が経つのですが、ちょうど1年前、犬をもらってくれないかという、父の知人からの紹介。私たち家族は、悩みました。別れる時のあのつらさはもう味わいたくない。私は反対しました。ですが、運命的な出会いもあり、また父がもらって来たのです。その父が、そのあと病気になり、後遺症が残るであろうと言われていたのに、今のワンちゃんのおかげもあり、奇跡的に良くなり、家族全員で、コウスケのように、今のワンちゃんもしっかりと可愛がっています。一番かわいがっているのは、病気になった父です。もしかしたら、コウスケが、父を助けてくれたのかもしれません。コウスケ、ありがとう。
長引くペットロスー愛犬の死から3年経っても抜けられません
生後50日でもらってきた雑種犬、マサムネ。ちょうど私が結婚し、実家を離れ、少し遠い場所へと引っ越したのと同時期だったので、私の嫁入り道具はマサムネだけでした。それから、私たち夫婦とマサムネはずっと一緒に暮らしてきました。自営で小さな店をやっているので、看板犬として、お客様にもかわいがってもらいました。16年10カ月たったある日、朝いつものように起きることができず、すぐ病院に向かいましたが、その途中に私の腕の中で息を引き取りました。加齢による弱さはありましたが、前の晩までとても元気で、病院でもとくに病気はみつからず、老衰でしょうと言われました。寿命をまっとうし、最後をみとることができたのですから、とてもいいお別れだったと思うべきなのはわかっていますが、それでも悲しく、立ち直れず、苦しいペットロスが続きました。雪の地域に住んでおり、1月に亡くなりましたので、前の日の散歩の足跡が残っていて、それを見ては泣き、また雪が降ってその足跡が消えてしまっては泣き、そんな毎日でした。それから3年が経ちますが、いまだに、散歩している他のおうちの犬を見ると、マサムネを思い出して涙が出そうになります。自分が死んだら、先に死んだ飼っていたペットが走って迎えに来てくれるんだよ、という話を聞けば、今すぐ死んでマサムネに会いたい、と思ったこともあります。世の中には、かわいい犬の動画などがたくさんあがっていますが、いまだにそれらを観ることができません。もちろん、新しく次の犬を飼うこともできずにいます。
土佐犬に噛みつかれ衰弱ししばらくしてなくなった愛犬 できることなら、もう一度会いたい
私が物心つく頃から、我が家では犬を飼っていました。彼女は息子を産み、そして病気で亡くなりました。息子である彼は、ずっと一緒に生活してきた、言わば、姉弟のような存在でした。彼の小屋で寝入ってしまい、親からすごく心配されたこともあります。それぐらい家族でした。近所に住んでいて、土佐犬を飼っている人がいます。まだ子供だった私は土佐犬は大きく、顔も怖く、いつも無条件におびえていました。私が中学生のとき、いつものように私の家の近くを散歩してきた土佐犬とその飼い主。力が強いのか、いつも軽トラで引っ張って散歩をしていたのですが、ある日、ふとした瞬間に、私の家のそばで土佐犬が離れてしまったのです。すると、私の家の犬に襲い掛かってきたのです。当然、体の大きさも違う彼は、首をかまれてしまいました。私たち家族が気づいたのはかまれてしまった後。父はすごく怒り、土佐犬の飼い主に文句を言いましたが、平謝り。これが飼い主の対応かと、その時のことは今でもよく覚えています。かまれた彼は、弱ってしまいました。しばらくガレージの中で療養させていました。私も学校へ行く前、帰ってきた後、逐一様子を見に行って声をかけていました。徐々に体力も回復してきて、ガレージの中で動けるようになってきた彼を、父はすこしだけ外に出してあげました。外に出しても必ず戻ってくるので、安心して離したのですが、その日はなぜか違いました。家の前の森へ入っていく直前、彼は一度父のほうを見て入っていったそうです。そして、その後彼が戻ってくることはありませんでした。彼は自分の死を悟っていたのでしょうか、最後に父のほうを見たのは「ありがとう、ごめんなさい」と言っていたのだろうと父は言っていました。今でも彼のことを忘れたことはありません。できることなら、もう一度会いたい、生きて帰ってきてほしいと願わずにはいられません。
大好きだった愛犬の死に夢でもいいから会いたいと何度も願った
小学校4年生のある日。お母さんについて行ったスーパーで、子犬を譲ります。という写真つきの張り紙があるのを見かけました。写真に写っていたのは、フワフワでまるで、ぬいぐるみのような犬でした。私は、どうしてもどうしても!その子を家族にしたいと強く思い、その日の夜、両親に相談しました。両親は、私の熱意に負け、犬と会ってみる約束をしてくれました。私は嬉しくて嬉しくて、この日のことは今でもしっかり覚えています。それから3日後、私たち家族は、その犬がいるおうちまで会いに行きました。そこに居たのは、あの写真のままの本当にぬいぐるみのような子でした。そしてその子は、その日の夜から私たちの家族になりました。可愛くて可愛くて…一生大切にするよ。とそう話しかけて抱きしめました。名前は私がつけました。ペコです。ペコちゃんみたいに下を出すからという理由でした。ペコちゃんは私の一番の親友で、お世話も全て私がやっていました。だからペコちゃんも私に一番なついてくれて、それから私たちは本当に幸せな毎日を過ごしていました。もうペコちゃんがいない人生は考えられなくなっていました。それから10年、私が18歳の頃、ペコちゃんは、あまり歩かなくなり、目もあまり見えなくなってしまいました。獣医さんには、歳だから仕方ないと言われていました。そんなある日、あまりにも突然にペコちゃんは天国へ旅立ってしまいました。老衰でした。私はひどく動揺し、まだ暖かさの残るペコちゃんを抱きしめることしかできませんでした。ペットのお葬式をしてくれるところに連絡をし、ペコちゃんのお葬式をしました。骨になってしまったペコちゃん。受け入れるには、すごく長い時間がかかりました。夢でいいから会いたいと何度も願ったものです。ペコちゃん、どうか私を天国から見守っていてね。またいつか、必ず会おうね。ずっと大好きだよ。ありがとう。
27歳女ペットの死に向き合い出会いに感謝する
バロンとの出会いは私が中学生の頃でした。夏休みも終わりの頃、宿題を終えることに必死だったた私は一日中机に向かう日が続いていました。宿題以外にも塾や他の習い事に充てる時間が多かったため睡眠や食事も満足にとれず、その期間は常に身体が重く気分も落ち込んでいました。そんな日々の中、ある日外に出かけていた母から私の携帯に一本の着信がありました。当時は反抗期真っ只中だったこともあり母からの電話は無視することも多々あったのですが、そのときはなぜか素直に電話に出ている自分がいたことを覚えています。電話に出てみると、「すごいかわいい子がいるの!今すぐ来て!」と興奮した様子の母の大きな声が耳元で鳴り響きました。あまりの音量の大きさに思わず電話を耳から遠ざけてしまったほどです。母の言っていることの訳がわからなかったため私は「何のこと?」と問いました。内容は、ペットショップにとてもかわいい子猫がいる。とのことでした。また、販売されている猫ではなく、引き取り手を探しているような形であるということもその時に聞きました。電話口の母に「来るよね?」と再び強く言われた私は、まだ終わっていない宿題を放り出して指定されたペットショップに行くことになりました。数時間後、私の家では一匹の可愛い子猫が走り回っていました。後にバロンと名付けられた子猫はどこにでもいるような見た目の持ち主で、他の人からすればお世辞にも可愛いとは言えない感じかもしれません。ですが、出会った瞬間になぜか愛おしいという感情が私の心には溢れ返っていました。この経験はいつまでも忘れられない私の大切な記憶です。衝撃の出会いから十四年あまり、私達の家族はバロンと共に楽しい日々を過ごしました。バロンが体調を崩してから息を引き取るまでの一ヶ月は私達家族にとってとても苦しく、けれど優しい時間であったように思います。バロンは家族皆に優しく抱きしめられながら天国へと旅立ちました。バロンの死後、心の中には大きな穴があいたようで、何をしていても虚しく感じる日々が続きました。それは私以外の家族も同じだったようで、家の中はとても暗い雰囲気が漂っていました。私は家にいることすら苦しくなってしまい、夜は家に帰らず朝まで外で飲み歩き、そのまま仕事場へ向かうというような生活。この苦しさからどうやったら逃れられるのか、出口の見えない日々が続きました。ある時、職場の同期に猫の話題を持ちかけられました。またあの悲しみがよみがえってしまうことがおそろしく思え、できるだけ猫の話は避けたいと願い出ました。同期は一瞬驚いた様子でしたが、すぐさま「つらかったね、気がきかなくてごめんね」と。そして続けて「無理はしなくていいけど、よければバロンちゃんの話を聞かせてほしい」と言ってくれました。ひと通りバロンの思い出話をした後、私はあることを思ったのです。今までバロンについて考えることを避けてばかりいて、バロンの死に向き合おうとしてこなかった自分の今の態度は、最後の瞬間まで懸命に生きたバロンにまったく敬意を払えていないのでは、と。生き物である以上、死を迎えることは当然のこと。ましてや、人間よりも寿命が限られている生き物を家族として受け入れたということは、その家族の最後を見届ける責任も同時に受け入れたということ。バロンが死んでしまった今、バロンと共に過ごした楽しい日々を思い、涙し、感謝することがバロンが生きた証であり、何よりの弔いであるのでは、と。心の中で「ごめんね」とバロンに伝えずにはいられませんでした。その後は家族との会話の中でバロンの話をすることも増えました。勿論今もバロンのことを思い出すと「会いたい」という感情が込み上げてきて涙してしまうことも多くあります。ですが、そこには虚しい気持ちは無く、ただただバロンへの感謝の気持ちが溢れるばかりです。私達家族の一員となってくれて、ありがとう。いつかまた、会える日まで。
34歳 女 時間ぐすり
私は、4年前に愛犬を亡くしました。私といえば犬好き、犬好きと言えば私というくらい周りでは犬好きで通っていて、本当に心の一部のような存在でした。私と彼女が出会ったのは、私が中学生の頃でした。初めて参加した、犬猫の譲渡会。その中でもとりわけ元気な子犬でした。譲渡会なので、くじ引きで譲渡していただけるかどうかが決まるのですが、決まった瞬間は今でも鮮明に覚えています。「膝の上に、まだ三ヶ月しか生きたことのない命が乗っている!」愛犬は本当に元気いっぱいに我が家にやってきました。愛犬はどちらかというとトボけた性格で温厚な犬でした。私達はどちらも子供でしたから、本当に姉妹のように育ちました。犬に泣かされたこともありますし、おそらく犬も私に泣かされたことも多いでしょう。それでも、一日の終りには、あたたかい愛犬のキスで仲直りしたものです。いまでも、あの頬にあたる舌のやわらかさ、あたたかさ、そして犬臭さを覚えています。ずっと一緒にいると思っていたのに…人生とは難しいもので、私のほうが実家を離れることになりました。理由は進学。それでもちょくちょく実家に帰っていたので、寂しさはありませんでした。しかし、その後結婚が決まり、実家から遠く離れたところに引っ越さなければいけなくなりました。私がどんなに家から長く離れていても、彼女は私のことを忘れることはありませんでした。いつも近づけば耳を伏せてしっぽはちぎれんばかりに振り、そして「早く犬小屋から出してよ!」と催促するのです。彼女はとっても素敵な犬でしたから、私の伴侶は犬嫌いが直り、今では犬が好きというところにまでなりました。彼女は本当に最後まで素敵な犬でした。健康で、病気一つせず、自慢の犬です。後悔があるとすれば、近くにいれてやれなかったことでしょう。それでも、16歳。天寿を全うしたと言えます。我が家に来て、彼女は幸せであったかなぁ。幸せであってほしいなぁと、心から思います。四年たった今、以前は犬を見るだけで大号泣していましたが彼女はもうすでに心の一部になりました。今ペットロスで苦しんでいる人がいたら、時間が癒やしてくれると伝えたいです。彼女がくれた愛情の分だけ、私の心は強くあります。愛犬は消えたわけではなく、心に空いた穴はすべて彼女の思い出と愛情で埋まりました。時間はかかりましたが、もう大丈夫です。ああ、でもそうだなぁ。やっぱりまだ、彼女には会いたいと強く思ってしまいます。