やっぱり、ペットは家族だと思います

これは、私が中学生のころ飼いはじめた犬のお話です。

名前はコウスケと名づけていました。
元々は捨て犬で、私の父がたまたま散歩していた農道で出会ったようで、ひとなつっこくついてくるので、連れて帰ってきたのが、きっかけです。

私の家では、動物と言えば猫しか飼った事がなかったので、コウスケが来た時はうれしくて、うれしくて、何度も犬小屋へ行ってさわっていた記憶があります。

コウスケは、ガンでなくなるまでの10年間、私達家族と一緒に色々な景色を見たと思います。
外で飼っていて繋がれていたけど、行儀もよく番犬としても沢山活躍してくれたのです。

小さい頃は、ペットはペットだと思っていましたが、わたしも大人になりペットも家族なんだなと感じることができたのは、コウスケとの別れがあったからだと思います。

亡くなったのは早朝、夜も家族みんなで、様子を見に行き、最後はみんなに看取られて、天国にいきました。

もう、あのコウスケに会えないと思うと、どうして良いのかわからなくなるぐらい、悲しかったです。
あの鳴き声が聞けないと思うと寂しかったです。
力強くリードを引っ張るコウスケに会いたい。もっと散歩に行けばよかった。
そんな事ばかり考えていました。

ぽっかり空いた家族の穴は、なかなか埋まるものではなかったです。

もうあれから10年が経つのですが、ちょうど1年前、犬をもらってくれないかという、父の知人からの紹介。

私たち家族は、悩みました。
別れる時のあのつらさはもう味わいたくない。
私は反対しました。

ですが、運命的な出会いもあり、また父がもらって来たのです。

その父が、そのあと病気になり、後遺症が残るであろうと言われていたのに、今のワンちゃんのおかげもあり、奇跡的に良くなり、家族全員で、コウスケのように、今のワンちゃんもしっかりと可愛がっています。

一番かわいがっているのは、病気になった父です。
もしかしたら、コウスケが、父を助けてくれたのかもしれません。

コウスケ、ありがとう。

熱中症になって突然逝ってしまったユモ

 私は、現在31歳の男性です。今から10年ほど前、自宅の玄関に一匹の若い雌の柴犬がよく来ていました。犬好きだった私は当時大学生で、なんとかこの犬を飼えないかと思っていましたが、まだ実家で両親と暮らしていたのでそのことは言い出せませんでした。しかし、父親は私と同じく犬好きだったので、動物嫌いの母親の反対を押し切って自宅で飼えることになりました。私達はその犬をユモと名付けました。
 そして、翌年私は就職し自宅を出る事にしました。その時、一人で心細かろうと父親がユモを差し出し「一緒に二人で暮らしなさい」と言ってくれました。ユモは、大人しく人に従順な性格でした。その為、私が住み始めたボロアパートの大家さんもペットを部屋に入れる事を黙認してくれたのです。私は、ユモと過ごす日々が楽しく、ユモが可愛くて仕方ありませんでした。散歩には毎朝欠かさず連れていき、夕食は毎日一緒に食べ、寝る時も同じ布団で眠りました。
 しかし、今から5年前の夏、私が仕事から帰った私は台所で亡くなっているユモを発見しました。私は、昨日までは元気だったのにどうしたのだろうと考えた結果、締め切った部屋の中で熱中症にかかってしまったのだろうと気付きました。私は、エアコンをつけたまま出掛ければよかったのにと後悔しました。私は、悲しみのあまり2日間会社を仮病を使って休んでしまいました。その事を家族に言うと、酷く怒られました。誰にもこの悲しみを理解されず、私は奈落の底に突き落とされた気分でした。
 今は、ユモと同じ雌の柴犬を飼っています。勿論今まで以上に気を遣っています。

猫と会えたこと、ペットに感謝していること、また会いたいと思うこと

私とその飼い猫は高校生の時の学校のからの帰り道でした。雨の中ぴくりとも動かず倒れていたので、放っておけず、保護しました。
家につれて帰ると、両親は飼い主を探す間だけならとこの猫が家にいることを許してくれました。でも、子猫の可愛さにみんなメロメロ。我が家のペットとして迎えることになりました。
亡くなったのは、猫が12歳の時です。とても元気で毛並みもよく、健康そのものだったので家族全員長生きするだろうと思っていました。
亡くなる前年の夏からとても食いしん坊だったのに、急に気に入った物しか食べなくなり、何だか元気がなさそうな日がちょこちょこありました。秋には、1度病院に連れていきましたが特に悪いところは見当たらず。
あまり食べない、動かない日が続き冬には少し目に見えて痩せてしまいました。
実はその年の春から、私は仕事の完成で遠方に引っ越していました。なかなか猫には会えない日には、家族に猫の様子を電話で聞いていました。
「そろそろ猫は長くないかも」と、翌年の1月に家族から連絡がきました。食べ物もほとんど食べないそうです。
私は1週間後、急いで新幹線に乗り帰りました。あんなに堂々とツヤツヤしていた猫が、ガリガリ毛並みもボサボサ、何だか変な匂いもしました。
私は猫用の栄養ドリンクのようなものを1日に何回もあげながら、3日間ずっと傍にいました。すると今まで寝たきりでトイレもままならなかった猫が小走りしたり、外の景色を見に行ったり何だか気力が出てきた!と家族も喜んでいました。
でも私が家を後にしたあと、1週間もたたないうちに猫は亡くなりました。
猫は変化に弱いと聞きます。あまり甘えに来なかった猫でしたが、お世話をしていた私が急に居なくなり、ストレスを感じていたのでしょうか。
すごく後悔しています。もっと会いにくればよかった、地元でもっと仕事を探せば良かった、と。寝れない日が続きました。もう1度だけ会いたい、最後の半年は幸せだったのか?とは悲しくて考えたくもありませんが、今はその猫にとても感謝しています。私も家族も毎日が本当に本当に楽しい日々でしたから。

小学生の頃の桜文鳥との日々に関して

小鳥が好きだった僕は小学生の頃、自転車で30~40分ほど走るとそこには郊外のペットショップがあり、桜文鳥のヒナを買いました。しかし、勝手に飼ってしまったことに親は激怒。でもそんな母も父も鬼ではなく、動物は好きな方なので、家族の一員として育てることにしました。名前はハッピーと名付けました。
ハッピー手乗り文鳥なのに指を差し出してもつつくばかり、でも手のひらを見せるとそこに着地し、くるまって眠るのです。
そんな不器用さも愛くるしくて、ハッピーは大人になりました。
すっかり家族の一員として、朝早くにハッピーの鳴き声で起き、カゴを開けると勢いよく家の中を一周飛び回って、肩の上に落ち着く。それはもはや家族にとって習慣化していました。
そんな日々も終わりの日がやってきました。
ハッピーは突然の病気で、獣医にも何度も通いましたがダメでした。
獣医の方も「小さい身体でこの子はよく頑張ったよ」と声をかけてくれました。
僕はハッピーがいなくなった毎日を実感するのにとても時間がかかった。
じわじわとこみ上げてくる悲しみ、それでも自宅でくるまってるわけにもいかず、学校の授業中に突然流れ出す涙。
辛かった。
ペットの話、しかも小鳥のことなど周りの人からしたら然程大したことではない。共有し合える人もいない、静かに悲しみに耐える時間が辛かったです。
しかし、子供の頃のこの経験で学んだことは、より動物たちを大切にしようということです。
僕は今子供もいまして、子供達はペットを飼いたいと言っています。この想いは僕から子供にも引き継いで行こうと思います。

結婚してから3年間一緒に暮らして、18歳で亡くなった猫

結婚3年目に、主人が18年間飼っていた猫が亡くなりました。

年をとっていたので、いつどうなっても仕方ないと覚悟はしていましたが、お別れの時は突然やってきました。私たちは急に結婚が決まったこともあり、住居がなかなか定まらず、3年間で3回も引っ越してしまいました。後から思えば、度重なる引っ越しは老齢の猫の体に負担をかけたのだろうな、ごめんなさいという気持ちでいっぱいです。

私は主人と結婚してからその猫と暮らすようになったので、最初は懐いてくれるかとても不安でした。それまで実家では犬は飼っていましたが、猫はいなかったのでなおさらでした。でも最初の日から、抱っこしても嫌がらず、次の朝には私の布団の上にドカッと乗って起こしにきました。その時は結構図太い猫だなと思ったものです。

たったの3年間でしたが、私たち夫婦は猫を中心に笑ったり、泣いたりと楽しく暮らせました。老齢のためか、時々発作を起こして病院に駆け込むこともしばしばありました。一度は今夜が山ですと、お医者さんから言われて、待合室で夫と泣きくれたこともありました。

その時はなんとか一命をとりとめたのですが、それからは見る間に痩せていきました。エサは食べるのですが、階段を上る力がなくなったのか、2階にある寝室にも来なくなりました。抱っこしてやるとがりがりで骨ばかり目立ちます。砂時計のように、命の砂がこぼれ落ちて行くような感じがしました。

そんなある朝1階に降りてみると、眠るように亡くなっていました。一人にしないで寝室に連れて行ってやれば、看取ってやることができたかもしれないのにと思うと後悔の気持ちでいっぱいです。

今でも時々、何かをしている拍子に猫はどこに行ったんだろう、トイレのそうじしなくっちゃと思うことがあります。飾ってある猫の写真を眺めていると、自然に涙が出てきます。いつかこの悲しみも癒える時が来るのかもしれませんが、今は猫と過ごした時間を思い出していたいと思います。

家族の人気者、その名はウパオ

先月の1月31日うちで飼ってるウーパールーパーが亡くなりました。
2年前にやってきたときは、とても小さな小さなかわいらしい形をした生き物でした。体の割には顔が大きくて、ピンク色で目が離れていて口は大きくて、顔の回りにはピラピラがついてみていてとてもいとおしい存在でした。このウーパールーパーをどこで手に入れたかというかというと、私がちょうど二年前に交通事故で整形外科の病院に通っていて、会計の場所に数匹のかわいらしいウーパールーパーの赤ちゃんが置いてらりました。ご自由にお持ちくださいと書いてあったのです。どうしようか迷ったところ、うちの息子がほしいというので飼うことに決めたのです。水槽を買ってきて、エサを買ってきて、ブクブクなるエアの機械を買ってきて水槽の中に入れました。名前は、ウパオです。毎日、姿が見れるようにカウンターの席の上におきました。日が経つにつれて、どんどん大きくなっていきました。最初は小さな赤ちゃんだったのでエサも、赤ちゃん用の物をあげていました。その食べる姿ととてもかわいいのです。最初は、ほとんど動きもなく、慣れていないのか緊張してなのか落ち着かないのかと思いました。じーっと、家族みんなで観察していても動きがなく、大丈夫かなと心配していました。しかし、日が経つにつれて、どんどん成長して体も多くなっていきました。しかし、最近水面から顔をだすことが多く、動きも激しくなっていきました。元気だなと家族は思っていたのですが、それは勘違いで苦しんでいたのです。エサも食べていないのに動き回っていたのです。ウパオは、横たわって動かなくなりました。その姿が、とても見るのが辛くて仕方がなかったです。痛々しい姿でした。ネットで調べたら、ぷかぷか病でした。水質があまりよくなくて、水面から顔を出すことによって感染病になったのでしょう。次の日、庭に家族でお墓を建てました。うちにきてくれてありがとうと伝え、天国に旅経ちました。

腎臓結石で天国へ旅立ったうちの猫

私は子供のころから猫が大好きで、近所で捨てられていた猫を拾っては自宅に連れて帰り飼っていました。
 
大人になって結婚して数年が過ぎ、仕事で出勤途中の朝、駐輪所の脇で、発泡スチロールの箱に入った子猫4匹を見つけました。

子猫たちは、まだ生後一週間ほどでした。
とにかくこのままでは子猫たちが心配でした。
保健所、いたずらの被害も考えたら、すぐに保護することが一番だと考えました。

会社には遅刻の連絡を入れ、家に連れて帰りました。
病院に連れていき、猫用粉ミルクを買い、一生懸命夫婦でお世話をしました。

4匹兄弟猫は、里親を探すことなく、そのまま家で飼うことになり、すくすくと育っていました。

7年が経ち、一匹が日に日に痩せていきました。

ご飯の皿の前には来ても、口にせず座っていて、エサは食べずに水の場所に移動して水を沢山飲んで寝床で休む、そんな行動が2日続きました。

2日目、動物病院に連れていき、検査の結果、腎臓結石で、腎臓の半分は機能していないことがわかりました。

病院の先生からは「食べなくなったその日か、翌日の朝にすぐ病院へ来るべきだった。まだ若いけど、腎臓の数値で見ると、この子は余命が数か月かもしれない」と言われました。

どうしようもない悔しさと、申し訳ない気持ちが強くこみあげました。

今まで当たり前のように一緒に過ごした子が、突如、死んでしまう現実。

病院の帰り道、桜が満開で綺麗だったけど、来年の桜の季節にはこの子は居ないんだと思うと涙が止まりませんでした。

できる限りの治療をはじめました。

自宅ではビタミン不足と脱水を防ぐ点滴、腎臓機能を助けるための毒素吸着の炭を毎日飲ませていました。

それから2年はなんとかそのまま体力を維持していましたが、やはり腎臓機能は少しずつ少しずつ、低下していきました。

治療を始めて2年間は、「死んでしまうかもしれない、でも、今は大丈夫」という気持ちになっていました。

そんな気持ちから一転、みるみる弱っていく姿に「もうお迎えが近いんだ」と、またどん底に戻りました。

病気が分かったその時に一度は覚悟を決めたはずだったけれど悲しみと後悔は変わりません。

食べても吐き、やがて水だけでも吐くようになって、その時点で薬も効果無くなり、何もしてあげられなくなりました。

しだいに体内に毒素がたまり、猫は昏睡状態になって意識が無くなりました。

心臓が止まるまでの数日間、本当に悲しくて、涙も止まらず、後悔と、色々な思いがぐるぐると渦巻いていました。

心臓が止まり、身体が冷たくなりはじめました。
今でも当時の闘病中のことは忘れられません。
思い出すだけで涙が出ます。

結果的にこれで良かったのか、もっと他にできることはないのか、闘病への自問自答は今でも解決していません。

月日が経つと、悲しみは緩やかになりました。
その子と出会えたことへの感謝も消えません。

その子と出会って良かったです。
自分が死んだとき、虹のたもとで待っていてくれると何かで読みました。
いつかその時、天国で会えたらなと思っています。

私を強くしたちゃあすけ

ちゃあすけは、私が高校2年生の夏に家にやって来ました。
やって来たというよりも、連れてきました。

電気工事士をしている父がある夏の夜に「今日の昼に子猫が近寄って来たよ。周りを見ても親猫もいなくて、ごはんをあげたら美味しそうに食べていたよ。」
という何気ない会話に、猫が苦手な私が気になってしまい詳しく聞いたことを覚えています。
その子猫のいた場所は、何もない山奥に建設中の建物があるだけで、そんな場所に1匹でいるのかと思うとかわいそうに思えて、気づいたら「探しに行こう!」と言っていました。

時刻は20時で、車で向かうと30分かかる場所になります。
到着すると辺りは真っ暗で、何も見えません。
父と妹2人と4人で探していると、父の足元にまとわりつく何が見えました。
懐中電灯を当てると、生まれたばかりの小さな茶色い子猫がいました。

タオルに包んで家に連れて帰りました。
本当はあまりよくないのですが、温めたミルクを出すとあっという間に飲み終わりました。
とても可愛いものの、私は怖くて近寄れなかったことを覚えています。

お風呂に入れると綺麗な金髪に近い茶色の子猫だったので、名前を「ちゃあすけ」にしました。

家の近所には、猫がたくさんいたので、首輪にひもをつけて家の中で飼うことにしました。
玄関と裏口から外に少し出ることが出来るようにしました。

毎日、一緒に遊んだり、一緒に寝たり、たくさん一緒に過ごしました。
おばあちゃんのことが大好きだったちゃあすけは、いつの間にか年をとり動きもゆっくりになってきました。
大好きだったおばあちゃんも病気のため、ベッドの上で過ごすことが多くなりました。

ちゃあすけは、暗い所やお風呂場の蓋の上で過ごすことが多くなりました。
「猫は亡くなる時に、人から見えないところに行くんだよ。」という言葉を思い出して、死が近いことを感じ取りました。

今からちょうど13年前に、ちゃあすけは大好きなおばあちゃんのベッドの上で亡くなりました。

私は死を意識していたものの、いなくなったことへの寂しさ、そして後悔ばかりが募り辛かったことを思い出します。

ちゃあすけは私に、苦手なものやことでも自分で向かってみれば案外大丈夫なものだということを教えてくれました。
2人で色々な経験をしたからこそ、今の私の気持ちがあるんだなと思います。

『茶亜助(ちゃあすけ)』ありがとう!

17年経っても、まだ夢を見ます。

もう、17年前の話です。
小学校の頃から、13年間飼っていたマルチーズ。
大事な家族でした。

もう、よぼよぼのおじいちゃんで、目も白内障で真っ白。
いつも寝てばかり。歯もぬけて、ご飯もあまり食べられず、呼んでもあまり来なくなったので、見かけると悲しい気持ちになりました。

母はお仕事、私は大学で、家をあけることが多くなりました。
それでも、家に変えると、苦しいだろう身体で、玄関口までやってきてくれる、優しい子でした。

ある日、冷たくなっていました。
頭がおかしくなりそうでした。私にとって、彼は紛れもなく、家族であり、弟だったのです。
吐いて、眠れない日が続きました。
お恥ずかしい話ですが、たえられなくなって、逃げ道を探し、喫煙をはじめるようになりました。

少し、自尊心が強くて、小さい体のくせに、怒ると喧嘩してきて。でも、私が調子が悪いときはずっとなめて看病してくれていて、朝起こしに来てくれるような、そんな賢い子でした。

それがある日、いなくなったのです。三ヶ月くらい、まともな精神状態ではなかったと思います。
しかし、他人にとっては、所詮他人の犬なんですよね。
自分の家族以外にはみんな大したことがないような対応を取られ。唯一、心配してくれた友人の母親には今でも感謝しています。

もう、なくなって17年たちます。
ですが、一昨日、彼の夢を見ました。
一昨日だけではありません、一年のうちに、いまだに何度も何度も彼が夢に出るのです。話しかけてくることもあります。
勝手な思いですが、今でも見守ってくれるのかなと、都合よく思っています。

今も、この文章をうちはじめて、涙がとまりません。
私の心に、ずっと彼「コロ」は、いてくれるのですね。
天国で、少しでも幸せになってほしいと、心から願っています。

足を悪くしてしまった愛犬

私が小学生の頃、愛犬が足を悪くして動き回ることができない状態で生活しながら死んでしまいました。
子供によくありがちで、私も最初の頃はよく散歩につれていったのですが、散歩の頻度も減ってしまっていた中、愛犬が足を悪くしてしまい歩けなくなってしまいました。
子供だった私は、犬と散歩するよりも友達と遊ぶ方がいいと思ってしまい友達との遊びを優先させてしまっていました。私の親も自営業だったとはいえ両働きで、犬の世話あまりできている家ではありませんでした。
愛犬は足を悪くしてからは、ほとんど動き回ることができなくなってしまい、下半身を車いすのようなものに乗せてどうにか動くことはできても家の敷地の中だけで、とってもとっても辛かったのではないかと思ってしまいます。
そんな生活の中、愛犬は死んでしまいました。両親の話では、歩けなかったことで体の機能が悪くなってしまい、死んでしまったと聞かされました。私が小学校へ行っている間に死んでしまいました。愛犬を看取ってあげることができませんでした。またその時、足を悪くしたのも、何か犬にとって良くないものを食べさせてしまったのかもしれないと聞きました。
私は今でも思い出すと、もっと一緒に散歩すればよかった犬と遊んであげればよかったとと時々思い出し、後悔してしまいます。当時の私は犬に対する知識も思いやりも全然足りなかったと思ってしまいます。もっとちゃんと世話をすれば、もっと長生きしてくれたのではないかと思ってしまいます。